ある日の比呂美13


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膝立ちの姿勢になって、股間をティッシュで押さえている比呂美を、眞一郎は黙って見ていた。
声を出したくない、と言う方が正確かもしれない。
呼吸はかなり落ち着いてきたが、内在する精力を全て吐き出した疲労感は、予想以上に凄まじかった。
頭もフワフワしている感じで何も考えられず、ただ脱力したまま、目の前の比呂美を見ることしか出来ない。
そんな眞一郎の様子に気づいた比呂美は、クスッと悪戯な笑みを浮かべた。
腹筋に力を込めた比呂美の鼻腔から、「んっ」という声が漏れ出す。
膣の奥深くまで打ち込んだ自分の精を搾り出しているのだな、ということだけは、朧気に理解できた。
「……見て…………凄いよ……」
上目遣いにこちらを見つめ、比呂美は精液を受け止め終わったティッシュを差し出してくる。
畳まれた紙の中央に溜まる、盛り付けられたヨーグルトのような……純白ではない濁ったモノ。
固体なのか液体なのか分からない白濁に混じる、僅かな赤い線と青い臭気……
「………………」
無言のまま表情を変えず、二人が交わった証拠に眼を凝らす。
比呂美の純潔を散らし、心も身体も結ばれたのだという実感が、眞一郎の胸を貫き、そして熱くした。
……だが、一瞬の反応の遅れが、比呂美に無用な誤解をさせてしまう。
「そんな心配そうな顔しないで……」
その言葉が電気ショックのように、眞一郎の精神を覚醒させた。
決して『妊娠』のことを忘れていた訳ではないが、今、考えていたのは別のことだ。
しかし比呂美は、眞一郎の気持ちを読み違えたまま言葉を紡ぐ。
「…………大丈夫よ。……もしもの事があっても、仲上の家や眞一郎くんに迷惑は掛けないから」
…………私が望んだことだから、その時はひとりで何とかする…………
視線を横に逃がしながら比呂美が続けた言葉に、眞一郎は刹那、怒りを覚えた。
……『その程度の男』と思われている、という苛立ち……
だが、比呂美をそんな考えに追い込んでいるのは、自分自身の不甲斐なさだと、すぐに思い至る。
(……確かに…そうかもしれない…… けどっ!!)
今の自分に『力』が無いのは分かっている。 でも……もう比呂美と心がすれ違うのは御免だと眞一郎は思った。
資格があろうが無かろうが、偽りのない気持ちだけは……ぶつけ合わなければ。
とっくに定まっていた決意が、口より早く、眞一郎の腕を動かした。


穏やかだった眞一郎の表情が急に不機嫌になり、右手が精液を受け止めたティッシュを比呂美から取り上げた。
眞一郎は手早くそれを丸めると、階下へと捨ててしまう。
突如、甘い雰囲気が霧散してしまった空気を感じ取り、「なに?」と訊きかえす比呂美に、眞一郎は言った。
「お前、何を言っても俺は怒らないって思ってるだろ?」
「え!?」
自分は眞一郎の癇に障る何かを口にしただろうか? 迷惑は掛けない、と言っただけなのに……
どう返したらよいか分からずオロオロしている比呂美を、眞一郎の腕は問答無用でギュッと抱きしめた。
「!!」
そして形の整った耳朶に口付ける近さで囁く。
「……迷惑掛けないとか、ひとりでとか…………今度言ったら許さないからなっ!」
「…………眞一郎くん……」
背中に食い込んでくる眞一郎の力強さを実感しながら、比呂美は自分の愚かさを思い知った。
また自分の悪い癖が出てしまった…… もうそんな気遣いは必要無いのに……
左右の瞳から、また……熱い雫が零れ落ちてしまう…………
…………
比呂美が愚図り始めたことに気づき、眞一郎の指がまた、濡れた目尻を優しく撫でる。
「……もう……拭うだけじゃなくて…………たまには……泣かせない努力もして……」
そう言って眞一郎をなじる比呂美の顔は、涙に濡れながらも美しく輝いていた。

「くしゅんっ」
それぞれに陰部の始末をしている途中で、眞一郎は軽いくしゃみを発して鼻をすすった。
どうやら、全身に薄っすらと塗られた汗が体温を奪ったらしい。
「シャワー浴びる?」
「いや、家に帰ってから風呂入るし…」
そこまで言いかけて、眞一郎はハッと口をつぐんだ。
そうなのだ。眞一郎はこの部屋に泊まらない。……朝まで共にいることは出来ない。
…………
「少し冷えちゃったね。……私も…なんか寒い」
比呂美はそう言うと、足元に畳んでおいた毛布を引っ張り、二人の身体を包んだ。
残された僅かな時間……もう少し、眞一郎の存在を感じていたいと思う。
身体全体で圧すようにして眞一郎を横たえ、比呂美はその肩に顔を預けた。
「……暖かい」
そう呟いて眼を細めると、眞一郎は比呂美の想いを察したのか、無言のまま、胸に添えた手を握ってくれた。
…………
…………
眞一郎の太くはない上腕を枕にして見る天井は、不思議な景色に見える。
毎日見ている物なのに、何故かそれが、こことは違う『別の世界』を映している気が、比呂美にはした。
…………眼前に拡がる蒼い世界……そこに眞一郎と二人で浮かんでいるような錯覚…………
神秘的な想像に身を委ねているうちに、比呂美の思惟にふと、父と母のことが浮かんできた。
(お父さんとお母さん……どうしてるかな……)
逝ってしまった両親のいる世界は、こんな所なのではないか、と理由も無く思う。
娘の自分から見ても、とても仲の良い夫婦だったから、きっと向こうでも寄り添って離れないことだろう。
そしていつか、生まれ変わって『こっち』に帰ってきても、互いを必ず見つけるに違いない。
…………そんな二人だったのに…………
『おばさん』の誤解を真に受けたとはいえ、母を信じられなかった自分を愚かだったと、今更だが思う。
そんなこと…あるわけが無かったのだ…… 『おばさん』の言うとおり、あるわけが……
(ゴメンなさい、お母さん。 ……でもね……今なら……)
心から母を信じられる。理解することができる。……同じ『女』として…………
……自分も命懸けで愛せる相手とめぐりあい、そして固く結ばれたから……
…………
…………
「なに…考えてる?」
反射する蒼を見つめながら、眞一郎が短い沈黙を破った。
「いろいろ。眞一郎くんは?」
「う~ん……やっぱ泊まっていこうかなぁ……なんて…」
と言って頬を寄せてくる眞一郎を、比呂美は「ダメに決まってるでしょ」と優しく嗜める。
ハハハと笑いながら「だよな」と返してくる眞一郎の横顔には、比呂美を安心させる不思議な力があった。
本当はずっと……朝まで眺めていたいけれど、それはまた今度にしようと思う。
楽しみを後に取っておくのも悪くない、などと比呂美が考えていると、緩んでいた眞一郎の表情が突然変わった。
「! ……なに?」
急に真剣な顔を向けてくる眞一郎に驚き、比呂美は瞼をパチパチとしばたたかせる。
「大事なこと…言い忘れてた」
「??」
枕として貸し出されていた腕の筋肉が蠢き、下腕が比呂美の肩を強く引き寄せた。
そして……瞳孔の更に奥……心の底に焦点を合わせて、眞一郎は告げる。
「ただいま、比呂美」
「!」
…………
……まったく……この人は……『湯浅比呂美』を泣かせる天才だ…………
またしても熱くなった涙腺に「堪えろ」と命じながら、比呂美はそんなことを思った。
「……お帰り、眞一郎くん」
ギリギリで踏み止まった涙を蓄えたまま、自分が眞一郎の『帰るべき場所』であることを、抱き合うことで確認する。
…………
…………
毛布に包まりながら一言も喋らず、眞一郎と比呂美は、互いの体温で相手を温め合う。
…………その夜、二人が寝所の中で交わした会話は、その短い挨拶が最後になった。


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