ファーストキス-間


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――幕間 『ほら、ここにいるよ』――

 ナナホシテントウムシが飛び立つと、男の子は、悲しそうな顔をした。でも、男の子の
顔は、まるで糸でつながれているみたいに、その赤い点に引っ張られ、体も転ばないよう
についていった。
 自分の背丈ほどある白と薄桃色の花の世界では、その赤い点は目立った。
 その赤い点は、そんなに長い距離は飛ばなかった。だから、男の子は、すぐ追いついて
は、それを見ることに夢中になり、飛び立っては、また追いかけるという、鬼ごっこを
延々と楽しむことができた。それほどまでに好奇心が駆り立てられていても、男の子は、
決してその赤い点には触れようとはしなかった。ちっさな手足がはっきり見える距離まで
顔を近づけても、首の角度を変えたり、見る場所を変えたりと、とにかく見ることに夢中
になった。
 男の子は、知っていたのだ。その赤い点に触れて鬼を交代しても、その赤い点は自分を
追っかけてこないことを。つまり、その遊びが終わってしまうことを知っていたのだ。
 長く続けることに意味があった。赤い点と一秒でも長く戯れるという遊びでもあったの
だ。
 男の子は、しっかりルールを守り続けたが、赤い点はしだいに花畑の端に近づき、とう
とう飛び出てしまった。
「ああ~いっちゃった~」
 男の子が赤い点の消えた方向へ顔を向けると、ひとりの女の子が立っていた。
 男の子は、すぐ顔をそらした。おしっこをしているところを見られたときみたいに恥ず
かしくなった。
「なに、みてたの?」
「…………」
「ねえ~」
「うるさいな~」
 女の子は、むっとして花畑にずんずん入ってきた。
「はいってくんなよ! おれが、さきにあそんでたんだかんな~」
 女の子は、ぴたっと足を止めたが、
「なにそれ」
といって、また男の子に近づいてきた――と思いきや、脇をすり抜け、もっと奥へ進んで
いった。
 そして、女の子は、花畑のほぼ中央で止まると、360度ぐるりと回って、大笑いした。
「すっご~い! ね~ね~このはな、なんていうの?」
 女の子は、しぶしぶふ後ろをついてきた男の子に無邪気に声をかけた。
「かすみそう」
「へ~しってるんだ~。かすみそう、かわいいなまえ」
 女の子は、心底感心して目を丸くしたあと、うっとりと目を細めた。
「なにしてたの? いっしょにあそぼ」
「やだよ」
 男の子の知る限りでは、今までこの花畑に自分以外の人間が入ったことはなかった。だ
から、男の子にとっては、この花畑は秘密の基地だったのだ。だれにも知られなくなかっ
たのに、この女の子は、自分に許可なくずかずかと入り込んでしまった。それが許せなか
ったのだ。
 女の子は、あからさまに拒否されて、肩をすぼめて「ん~」と歯痒そうに唸った。
「おとこは、おとなになるまで、おんなとあそんじゃいけないんだ」
 男の子は、そんな女の子の表情に後ろめたさを感じつつも、女の子を追っ払おうとした
が、女の子は、そう簡単にへこたれなかった。
「なにそれっ、バッカじゃないの」
と女の子がいい返すと、男の子は、さらに叫んだ。
「あそんだら、けんこんしなきゃいけないんだぞっー!」
 女の子は、はっと息を呑んで固まった。女の子の方は、「けっこん」の意味を理解して
いるらしい。
 しばらく沈黙がつづいた。
 急に女の子の威勢がしぼんだことに、男の子は、ある恐れを感じた。そして、それはす
ぐ、目の前で現実のものとなった。
 みるみるうちに女の子の顔がくしゃくしゃになって、大声を張り上げて泣き出したのだ。
 男の子は、またお母さんに叱られると思った。
 両手で顔を覆い突っ立て泣き続ける女の子。
 栗毛色の透き通った髪。桃色の髪留め。白いワンピースに白いくつした。
 男の子が今までこの女の子を泣かしたのは、一度や二度じゃなかった。
 その度に、男の子は途方に暮れ、駆け出したくなる思いに駆られたが、、逃げ出したこ
とは一度もなかった。
 母のお仕置きが怖かったからではない。
 この女の子のことが好きだったからだ。
 男の子が、早く泣き止まないかな~と、少しかがんで女の子の顔を覗き込もうとしたと
き、赤い点が、女の子の胸に飛んできて止まった。
 すると、男の子の頭の中にいい考えが浮かんだ。
「さんにんなら、あそんでもいいんだぜ」
「え?」
 女の子は、両手を開いて、顔を上げた。
「さんにんなら、いいんだ」
「ぐすッ……もうひとりは、どこにいるの?」
「ほら、ここにいるよ」
といって男の子は、女の子の胸を指差して、その赤い点に顔を近づけた。
 それと同時に、女の子も頭を下げたもんだから、ふたりは、ごっつんこしてしまった。
 ふたりは、星を飛ばして倒れこんだが、すぐに、ふたりの笑い声が花畑に響き渡り、周
りのかすみ草たちを安心させたのだった。

 眞一郎は、このとき七歳。比呂美も、もうすぐ七歳。

                  ◇

 眞一郎は、ひたすら、鬱蒼と茂った竹林を全力で走っていた。
 無造作に生えている竹林なのに、なぜか走りにくいことはなかったが、猛スピードで駆
け抜けているという実感もなかった。
 遠くの方は霞がかかっていて、どの方向に走れば、この竹林を抜けれるのか皆目検討が
つかなかったが、今はそんなこと考えている場合じゃない。だって、ほら、後ろから、ご
立派な虎さんが、襲いかかってきてるじゃありませんか。後ろに手を伸ばせば、一瞬にし
て引きちぎられてしまうだろう。
 そんな距離に虎さんがいるのだ。もう、焦るとかそんなレベルではない。
 とにかく、走った。風を切って、走った。走り続けた。
 すると、前方に下着姿の比呂美が、立っている。素っ裸じゃなかったのが、悔しいやら、
ほっとするやら。

……なんて格好をしているんだ……

 眞一郎は、心の中で比呂美につっこんだが、自分は今、他人の心配をしている場合じゃ
ない。
「眞一郎くん、速く、もっと速く!」
「比呂美ィ!、いいから逃げろ!」
「うん、わかった」
 比呂美は、そういうとバスケットで鍛え上げた背中を眞一郎に向け、駆け出した。比呂
美は、速かった。どんどん比呂美の姿が小さくなっていく。
「比呂美ィ! 待って、いや、待たなくていい」
「眞一郎くん、速く!」
 どんどん比呂美の姿が小さくなっていく。
「比呂美! 比呂美!」
 比呂美の姿が、消えてなくなる。
「比呂美ィ――!」
 眞一郎が、そう叫んだときだった。背後から人の声がした。眞一郎は振り返ると、そこ
には、追いかけてきていた虎さんがすっくと立っていて、その横にひとりの少女がいた。
 ニワトリの尻尾のような髪型に、ピンクの髪飾り。
「乃絵ッ!!」
 眞一郎は、思わずそう叫ぶと、その少女は眞一郎を指差し、虎さんに向かって、
「かかれっ」
と合図を送った。
 そうすると、虎さんは、がおっと吼え、眞一郎めがけてジャンプした。
 虎さんの顔がだんだん大きくなっていく。
 立派な顔つきだこと。立派な目、立派な口、立派な牙。虎さんの喉ちんこも見えた。

……もーッ、喰われるーッ、ダメだ――――ッ!!

そして、視界も頭の中も、真っ白になった。

 眞一郎は、目を覚ました。汗をぐっしょり掻いていた。
(夢か……)
 焦点を見慣れた天井に合わせていくと、視界の左下に落ち着いた感じのブルーの色に気
づく。
 なんだろうと、目をやると、臭いものを嗅いだような顔をした比呂美が立っていた。
「わっ! 脅かすなよぉ」
 慌てて上半身を起こす眞一郎。
「比呂美、って何度も呼んでた」
「え?」
「寝言……」
「あっ」
 あちゃ~寝言で叫んでたんだ。
「わたしが出てきたの? どんな夢だった?」
「あ、いや……その……」
 下着姿のおまえが出てきた、なんてとても言えるわけがなく口ごもってしまう。
「それに、乃絵っていった」
「!!」

……乃絵っていった、乃絵っていった、乃絵っていった、乃絵っていった……

 わちゃーッ! と眞一郎は、心の中で頭を抱えると、比呂美は、すたすたと歩きだした。
「ちょ、ちょっと待ったーッ」
 乃絵は悪役だったんだ、といおうとしたが、それをいったところで、比呂美の機嫌は治
まりはしないだろう。
 比呂美は、扉の手前でぴたっと止まると、振り返りもせず、
「遅刻するよ、この浮気者っ」
といって、廊下に出て扉をぴしゃっと閉めた。
 眞一郎は、急いで着替えて居間へ追いかけていったが、待ち構えていたヒロシに殴られ
ることになった。

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