ファーストキス-11


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――第十一幕『なにトキめいてんだろう』――

「――はぁ?」
 なぜだか、訳が分からなかった。
 比呂美は、不謹慎にも、誠意のこもったこの手紙に向かって、魚のように口を大きく開
けて声を上げた――。

★六月二十三日(月曜)くもり――

 昨日夜遅くまで起きていたというのに、眞一郎の目覚めは早かった。この手紙を書いた
ことにより、なにか心の奥のつっかえ棒がひとつ取れた感じがして、爽やかな気分を味わ
っていた。いつもと変わらぬ忙(せわ)しないスズメのさえずりさえも、初めて聞く鳥の
語らいに聞こえた。時間も空気も新鮮に感じられた。
 机の上には、白い封筒。昨日、眞一郎が書いた手紙がこれに収まっている。
 それを手に取ると、再び、手紙を書いていたときの感情が湧き起こってきて、眞一郎は、
堪らず胸元のTシャツをつかんだ。いつのまにか心臓がドキドキ鳴っていた。
(そう……この感じだ。比呂美も感じてくれるはずだ……)
 恋ごころ――。
 比呂美に対して『恋』を意識したのは『いつ』だろうか――。眞一郎は考えてみたが、
明確な瞬間は、思い当たらなかった。恋の芽生えは、人それぞれで、出会ってすぐだった
り、なにかの切欠でということもあるだろうが、根本は『想いの積み重ね』なのだろうと
眞一郎は思った。いつのまにか、『恋ごころ』を積み重ねていき、いつのまにか、『恋』に
突入する――。
 眞一郎と比呂美の場合も、ごく自然にお互いを意識していったのだろう。
 だが、ふたりの場合、相手に想いを打ち明ける前に、とてつもない衝撃に見舞われてし
まった。比呂美の両親の死という……。
 そのことで、一度ぺしゃんこにされてしまったふたりの『恋ごころ』。時間が経って、
元にもどっても、どこか歪んでしまった気持ち。
 比呂美は、眞一郎を、現実を実感するための唯一無二の存在として想うようになり、眞
一郎は、比呂美を、自分を犠牲にしてまでも守らなければならないという存在として想う
ようになった。
 それでは、ふたりの『恋ごころ』はどこへいってしまったのだろうか。
 眞一郎は、早い時点で、このことを整理しておく必要があると考えていた。人の気持ち
というものは、そう簡単にやり直しの利くものではないと分かっていても、比呂美がごく
ふつうに夢見たであろうことを、ひとつでも多くしてやりたいと思っていた。

……おれが、もっと男らしかったら、比呂美に悲しい思いさせずに済んだのに……

 もう一度自分の気持ちをかみ締めた眞一郎は、その手紙を鞄にしまうと、階段を下りて
いった。

 この日、仲上家の朝食は、四人揃ってはじまった。
 眞一郎は、早々に食べ終わると、胡坐から正座に座りなおした。こうするときは、真面
目な話を切りだすときなのだ。理恵子と比呂美は、すぐ箸を置き眞一郎を注視する。新聞
に没頭しているヒロシは、理恵子の「あなた」という声に、ようやく新聞を持つ手をさげ
させられ、いつもと頭の高さが違う眞一郎に気づくと、新聞を慌てて脇に置き、「んん」
と咳払いした。
 みんなの注目が眞一郎に集まる。
「あの、父さん……。部活がらみで、大きな絵の制作に取りかかることになったんだけど
……それで、帰りが、夜十時頃にしばらくなります」
「夜十時? ……そうか……わかった。遅くなるときは、母さんか、比呂美に電話しなさ
い」
「はい」
「いつまでつづくんだ?」
「毎日ってわけじゃないけど、七月六日までです」
「二週間か……」
「はい」
「どんな絵を描くんだ?」
「まだ詳しくはいえません。だけど…………ひとりで描きます……」
 ヒロシの眼光が鋭くなる。
「……そうか、楽しみにしている。思いきりやりなさい」
「うん、そのつもり」
 僅かな時間だけども淡々と続いた父と息子の会話。言葉以上の『何か』も交わされてい
るのだろう。理恵子と比呂美は、そう感じていた。
 眞一郎からの話は、たったこれだけだった。父の承諾を確認した眞一郎は、すぐに席を
立ったが、廊下に出る扉を開けてから立ち止まり、もう一度、父・ヒロシの顔を見た。
「おれも……虎と対峙してみるよ……」
 その言葉に、ヒロシは、新聞を広げかけてた手をまた下ろし、眞一郎の顔を見ようとし
たが、眞一郎は、すでに廊下を進みだしていた。
「今の、な~に?」
とちょっと怪訝そうな理恵子。重要な言葉だと感づいている。
 ヒロシは、ふふっと含み笑いをすると、新聞とのランデブーを楽しみだした。
 理恵子は、仕方なく比呂美に話しかけた。
「や~ね、男の秘密って……比呂美、わたしたちで、暴いてやりましょう」
「……はい……」
 比呂美が少し戸惑い気味に返事をすると、珍しくヒロシが口を挟んだ。
「眞一郎には、つらいことだ。そっとしておけ。……お茶くれ……」
 ヒロシの言葉の意味がまるで分からず、理恵子と比呂美は、目を丸くしてお互い顔を見
合わせたが、ヒロシの言葉は、それ以上つづかなかった。

 朝食の片づけを済ました比呂美が勝手口に向かうと、眞一郎がそこに立っていた。
「待ってたの? もう、いってくれれば、早く済ましたのに」
と少しふてくされて比呂美はいったが、内心飛びつきたくなるほど嬉しかった。
「一緒にいこうか」
 眞一郎のこの言葉に、比呂美の顔は素直に笑顔に染まる。そして、急に照れくささがこ
み上げてくる。いつもそばにいるのに何故なのだろう、と比呂美は不思議に思った。
 比呂美は、眞一郎の横を歩きながら、昨日、眞一郎がなぜ自分を学校までついてこさせ
なかったのか、分かった気がしていた。それは、こんなにも胸がドキドキするからだ。何
かに打ち込もうとしているときに、こんな気分になっていては、邪魔なはずだ。バスケッ
トの試合で、自分のプレーを眞一郎にあまり見られたくないのと同じことなのだろうと思
った。
 それと、比呂美は、昨日、理恵子に言われたことも思い出していた。

……横に並んで同じ方向を見ることも必要よ……

 比呂美は、いい言葉だな~と心の中でその言葉を繰り返していた。
 いつも眞一郎と正面から向かうことしか考えていなかった比呂美にとっては、驚愕の一
言だった。すっと肩の力が抜ける言葉でもあった。
 今こうして肩を並べて歩くと、確かに、眞一郎の見ている景色と比呂美のそれとは、ほ
ぼ同じになる。本当の意味はそういうことではないと比呂美は分かっていても、それだけ
でも嬉しかった。そうして、本当の意味での、その言葉の意味をかみ締めなければいけな
いと自分に言い聞かせた。いつか、きっと、眞一郎の心の目が見ているものと同じものを
を見るのだと……。
「そういうことだから」
「え?」
 眞一郎の突然の言葉に、比呂美の思考は寸断される。
「さっきの話。比呂美にもまだ詳しいことは教えられないけど、これから、帰りが遅くな
る」
「なんか旦那さんみたい」
と茶化す比呂美。
「じゃ~なんていえばいいんだよ。他にいいようがないだろう?」
「もう、そんなにむきにならなくても」
「ま~いいや。さて、甘えんぼさんは、この寂しさに堪えられるかな~?」
とやり返す眞一郎。
「なにそれ。立看をこっそり忍ばせたのは、どこのだれよ!」
「あっ、そういえば、それ、どうした?」
「まだ、部屋にあるわよ」
「ふう~よかった~」
 眞一郎は、大げさに胸を撫で下ろす。
「なんか腹立つな~その態度」
「なんでだよ。なんでそんなに怒るんだよ。アイドルとかの立看ならわかるけど、凛々し
い比呂美の、世界にひとつしかない立看だぜ。それを、好きな男の子の部屋に飾って何が
不満なんだよ~」
「いやらしっ」
 比呂美は、ぷいっと眞一郎と反対方向を向く。
「べつに不潔な気持ちはないぞ。自分にやきもち妬いてどうすんだよ」
「じゃー眞一郎くんの立看作って、わたしの部屋に置く?」
 眞一郎は、斜めを上を見て想像してみる。
 寝起きの比呂美が、自分の立看に向かって朝の挨拶をする……。かどうかは分からない
が。
「…………やっぱ、はずかしいな……」
「でしょう?」
「でも、もったいないな~」
 眞一郎の情けない声が、曇り空に吸い込まれていく。
 久しぶりにふたり一緒の朝の登校だったが、あの手紙が比呂美に渡される瞬間は、刻一
刻と近づいているのだった。

 放課後――。
 眞一郎と西村先生は、壁絵に必要な器材を車に積み込むと、現場に向かった。
 商店街は、昨日の賑わいが嘘のように閑散としていた。月曜日は、昨日の疲れを癒すの
と商品の仕入れのために営業を休む店が多い。
 眞一郎の押す台車が、なにか場違いのようにきりきりと音を立てる。
 壁絵の現場である噴水広場に着くと、他の面では、コンプレッサの音が鳴り響いていて、
いくつか照明が点けられているところがあった。ブルーシートの向こうで、人影が忙しな
く揺らいでいる。
 眞一郎たちもブルーシートをくぐると、早速、作業服に着替えた。
「まず、ブロックのつなぎ目を滑らかにするんだ。バリが出ていたり、つなぎ目の部分が
溝のようになっていたり、出来栄えが悪くなる」
「どうするんですか? 下塗りをするんですか?」
と眞一郎は、尋ねた。
「下塗りもするが、まず、起伏の激しいところは、削るしかない」
 西村先生は、そういうながら、道具箱の中から、カンナ削りの刃のような四角い鉄片を
取り出した。
「これで、削るんだ。削った後は、ざっと荒いペーパーヤスリで滑らかにする」
 西村先生は、その鉄の刃を眞一郎に手渡す。
「そのあと、下塗りだ。ブロックの表面は、けっこうざらざらしているからな。おまえの
絵本のような独特なタッチを出すのには邪魔になるだろう」
「はい、僕もそう思います」
「じゃーはじめようか。おまえ、マスクとゴーグルは、ちゃんとつけとけよ。吸い込むと
体によくないからな」
「はい」
 いよいよ眞一郎の十七歳の挑戦が、静かにスタートしたのだった。

 眞一郎がブロック塀と奮闘しているころ、比呂美は部活を終え、帰宅するところだった。
朋与は、家の用事とやらで一足先に部室を後にしていた。比呂美は、下級生部員に一言声
をかけると、昇降口に向かった。
(眞一郎くん、まだ学校にいるのかな~ 大きな絵ってなんだろう……)
 比呂美は、一瞬、デザイン部の部室に寄ってみようかと思ったが、今朝の登校時の、眞
一郎のセリフを思い出し、まっすぐ帰ることにした。

……甘えんぼさんは、この寂しさに堪えられるかな?

 眞一郎が自分のことを『甘えんぼう』といったことに、比呂美は少し反発したい気持ち
になったが、正直、否定できなかった。比呂美自信、自覚していたことだったからだ。ふ
たりきりのときは無性に甘えたくなったり、わがままを言いたくなったりした。眞一郎の
部屋で過ごす時間があまりにも居心地が良かったので、その衝動を抑えきれなかった。た
まに、エスカレートして、エッチがしたいと口走ることさえあった。その度に、眞一郎は、
嬉しさと、恥ずかしさと、悲しさが複雑に入り交じったような顔をして、比呂美の衝動を
必死になってかわしていた。比呂美は、最初のうちは、眞一郎のその困った顔を見るのが
好きだったが、最近になってようやく、眞一郎が頭を壁に打ちつけたくなるほどに理性と
欲望の狭間でのたうちまわってたことに、思いが至るようになった。
 でも、自覚していたこととはいえ、眞一郎の『甘えんぼさん』といったことが、癪に障
っていた。眞一郎の知らないところでいっぱい頑張っているのに、と比呂美のプライドが
それを許さなかった。
 比呂美に対する挑戦状とも取れるこの眞一郎の言葉に、比呂美は湧き上がる闘志を抑え
ながら、どうやってこのレッテルを眞一郎に剥がさせようかと考える。そんなことに頭の
中が悶々としていても、比呂美の体は、無意識のうちに下駄箱の扉を開けてくれる。
 でも、次の瞬間、比呂美の思考は完全に中断させられるのだ、あるものに。
 下駄箱の中の、白いものに……。
 比呂美の黒い通学用の靴の上に、丁寧に白いものが置かれてある。もちろん、『丁寧』
というのは比呂美の受けた印象のことだ。それを確認した比呂美は、半ば反射的に下駄箱
の扉を閉めてしまう。
 比呂美は、大きく、二回瞬きをする。そして、自分の左右の状況に目をやり、他に生徒
がいないことを確認する。おそるおそるまた扉へ手を伸ばしかけて止める。比呂美は、す
でに、その白い物体が手紙であることを認識していたので、それを手に取った後の扱いを
どうするか考えていた。
 ゆっくり、学生鞄の覆いカバーのロックを外し、広げる。鞄の中のどの空間にその手紙
を落とし込むか考えると、もう一度、左右を確認した。
(だれもいない。いまだ!)
 比呂美の腕は、いっぱいに引っ張られた弓の弦が開放されるように、一直線に下駄箱の
扉を開け、その手紙を鷲掴みにすると、鞄の中へ意の通りに落とし込み、カバーを閉めた。
 この間、0.416秒。
 比呂美は、もう一度左右を確認する。すると、二階からの階段を下りてくる朋与の姿が
目に入った。朋与もすぐ比呂美に気づき、駆け寄ってきた。
(あ~ぶね~)
 比呂美は、ほっと胸を撫で下ろす。
「朋与ぉ、さきに帰ったんじゃ……」
 比呂美は、完璧に平静を装い、靴を履き替える。このことは、気づかれるわけにはいか
ない。
「ちょっとね、忘れ物」
(大丈夫、朋与に察知されていない。こいつに知られると、あとがめんどうだからな~)
「じゃ~わたし、さきに行くね、用事あるから。バイバイ」
と朋与も靴を履き替え、比呂美の脇をすり抜けていく。
「うん、バイバイ」
 小走りの朋与の背中は、みるみるうちに小さくなって比呂美の視界からすぐに消えた。

 比呂美は、帰宅して自室に入ると、机の上に鞄を置き、鞄のカバーを開けて中身を確認
した。手紙は、下駄箱で放り込んだまま大人しくしていた。すぐに、ドア越しに理恵子か
ら声をかけられたので、手紙の中身を確認するのは、後にすることにした。

……いまさら、ラブレター? それとも悪戯? それとも後輩から?
  朋与があのタイミングで出てきたのが気になる……

 比呂美は、食事の支度をしながら、着地点の見えない思考の堂々巡りに陥っていた。そ
んな様子を感じ取った理恵子は、比呂美に声をかけた。
「今日から、眞一郎が遅くなるみたいだけど、あなたに迷惑かけるかもしれないわね。ち
ゃんとすれ違いにならないようにしておきなさいよ」
「はい……」
 比呂美は、手紙のことが頭でいっぱいで気のない返事をしてしまう。
「なに、もうなんかあったの? 今朝はあんなに仲良く登校してたのに」
「い、いえ、なにもありません。って、おばさん見てたんですか?」
「わたしの情報網を、あなた、甘くみているわね」
「情報網って、おばさん、いったい何者?」
「主婦に決まってるじゃない。主婦も情報戦をする時代よ」
 理恵子は、胸を張って、ふふっと笑った。
「そういえば、おばさん、石動乃絵と会ったことあるんですか?」
「え?」
 理恵子の手が一瞬、止まる。
「だって、きのう……」
 比呂美は、昨日を理恵子から叱られたときに、眞一郎と乃絵のやり取りをまるで見てき
たかのように理恵子が話していたのが、気になっていた。それに、理恵子は、乃絵という
人物の外見だけでなく内面も知っているようだった。
「会ったことないけど、眞一郎と付き合ってたのは知ってたわよ」
「ほんとうにそれだけですか?」
「それだけよ……わたしは、眞一郎の母親よ。眞一郎の様子を見ていれば察しはつくもの
よ」
 本当は、それだけではなかった。理恵子は、乃絵の『ニワトリくん』の記事を見ていた
のだった。その記事から、乃絵という人物を推し量っていた。
 ただ、理恵子は、その記事のことを比呂美には黙っていた。比呂美がその記事を見たと
ころで、眞一郎と比呂美の関係がどうにかなってしまうとは思わなかったが、ヒロシに、
眞一郎から比呂美に話すまで黙っていろといわれていたので、ずっと触れないでいたのだ
った。
 三人だけの仲上家の夕食――。
 今まで、眞一郎だけがいない夕食は、数え切れないほどあったが、これから約二週間、
この三人だけ夕食がつづくと思うと、どことなくぎこちない感じになる。それは、多少な
りとも、ヒロシや理恵子もそのことを意識しているからだろうか。
 一言も会話らしい会話がなかった。
 比呂美は、思いきって、今朝眞一郎が口にした虎うんぬんのことを話題にしようかと思
ったが、理恵子が秘密を暴こうと自分に切りだしたとき、ヒロシが遠まわしに制したこと
を思いだし、出かかった言葉を押し戻した。あれは、女が口を挟むな、ということだろう
と比呂美は思った。その証拠に、理恵子は、自分から言い出したことなのに、そのあと一
切そのことに触れない。そんな理恵子のヒロシに対する忠誠ぶりに、比呂美は、憧れとい
うよりは、戸惑いみたいなものを感じるのだった。

 家事から解放された比呂美は、そのあとすぐにお風呂に入った。
 そして、ようやく、白い手紙とのご対面の時がやって来た。
 比呂美は、手紙を蛍光灯に透かして見た。間違いなく便箋が入っているようだ。文字も
うっすらと透けていたが、読めるほどではない。封筒の縁を、撫でるように確認していく。
カミソリのようなものは、なかった。安全を確認した比呂美は、ハサミで封筒の端の一辺
をカットした。
 四つ折になっていた便箋を広げると、少し甘い香りがした。一瞬、女からだと比呂美は
思ったが……。

――――――――――――――――――――――――
湯浅 比呂美 さんへ

 突然こんな手紙を送ったこと 謝ります
 どうしても君に この気持ちを伝えたくて
 小学生の頃から 君をずっと見ていました
 いつも明るく かすみ草の花のように笑う君が
 いつしか 僕のこころの安らぎとなっていました
 中学生になっても この気持ちは変わらず
 切なさを覚え苦しくなり 17歳になった今 
 この気持ちに決着をつけようと思いました
 君に会って この気持ちを伝えたい
 どうか一度だけ 僕と向き合ってください

                仲上 眞一郎

 6月29日 日曜 正午
 ○○駅南口 時計塔の前で待ってます
――――――――――――――――――――――――

「はぁ?」
 比呂美は、その手紙を読んだあと、反射的に声を漏らした。
 その文面をそのままくみ取れば、この手紙は、眞一郎から比呂美に宛てたラブレターと
いうことなのたが、いまさら、なぜ、どうして、と比呂美の頭の中は疑問符のオンパレー
ドになった。比呂美は、とりあえず、疑問符をかき集めて横に置くと、眞一郎との最近の
会話を急いで振り返った。きっと、なにか手がかりがあるはずだと。

……そういえば、メールのやり取りで……
 『いいこと思いついだんだ』
 『比呂美が泣いて喜ぶことさ』
 『来週 埋め合わせする いやでも付き合ってもらうぞ』
 『わかった正々堂々と申し込むよ』

 比呂美は、携帯電話を急いで手に取り、眞一郎から来たメールを開いた。
(あった、これだ。でも、このことなんだろうか……)

……そういえば、学校帰りに眞一郎くんと会って、虹が出てたときに。
  わたしが、冗談で、別れるっていったら、
  『それもいいかもな』っていった、確か。
  あれは、お互いの関係をやり直そうと、
  眞一郎くんは、マジで考えていたってこと?

 比呂美が、思い当たったのは、この二つだったが、それでも、この手紙の意味と眞一郎
の考えがよく分からなかった。それは、自分の気持ちというものを眞一郎が無視している
ように思えたからだった。そこで、新たな仮説が浮上してくる。
「……まさか! 朋与の悪戯?」
 学校の昇降口で、比呂美が手紙を鞄にしまったあと、タイミングよく朋与が現れた。に
わかに、朋与と眞一郎が共謀したのは信じられなかったが、立看のことで眞一郎に恨みを
抱いた朋与が、眞一郎を脅迫したとも考えられなくはない。
 でも、この手紙を見る限り、悪戯で書いたようには見えなかった。間違いなく、眞一郎
が丁寧に書いたときの字だった。それに、気持ちがこもっているのが、比呂美には、はっ
きり伝わっていた。逆に、その徹底振りが、比呂美を陥れる執念にも感じられなくはなか
ったが。
 とりあえず、比呂美は、朋与に探りを入れてみることにした。
 朋与は、電話にはすぐ出なかった。10コール目でようやく電話に出た。
「朋与ぉ、見たよ」
『何が』
 少し不機嫌な朋与の声だった。
「読んだよ」
『なにが!』
 朋与は、なにか忙しそうな感じだった。
「とぼけないで」
『だから何よ』
 朋与は、少しキレはじめた。
「いくら朋与でも怒るわよ」
『だからなんのことよ! こっちも怒るわよ』
 朋与は、怒鳴りだした。でも、朋与の悪ぶりを知っている比呂美は、まだ引き下がらな
い。
「あのことバラすよ」
『も~いい加減にして! 夕飯作ってるから切るよ!』
 朋与は、完全に切れた。そして、電話も切れた。

 プッ ツ― ツ― ツ― ツ― ……

 朋与じゃない。比呂美の勘と経験は、そう答えを出した。
 比呂美は、すぐ朋与に謝りのメールを送ると、大きく息を吐いて、便箋を再び観察した。
 手紙の文面をゆっくり読み返してみる。比呂美は、あることに気がつく。
 ラブレターでは、「あなたが好き」と告白するのが普通だと思うのたが、この手紙には、
「好き」とは書かれていない。「この気持ちに決着をつける」と書かれてある。これは、
ほぼ「好き」といってるようなものだが、会って直接言葉で伝えたいということなのだろ
う、と比呂美は思った。
(そういえば、わたし、眞一郎くんに、好きっていわれたことないな……。
 あの竹林で抱きしめてくれたときは、付き合おう、だったし。
 初エッチのときも、いわれなった……
 眞一郎くんは、そのことをすっと気にしていたってこと?)
 それだったら、自分が眞一郎の部屋に訪れたときに、抱きしめて囁けばいいじゃないか
と比呂美は思った。
 この手紙の内容を要約すれば、比呂美を呼び出して、直接、好き、と伝えたいというこ
とだ。もしかしたら、呼び出して、連れて行く先に何かあるのかもしれない。
(ラブホテルとか……………………まさか、ね)
 エッチを盛り上げるための演出とも考えられなくはなかったが、眞一郎は、そういうタ
イプではないと、今まで四回ほど体をつなげたときのことから比呂美はそう感じた。
 比呂美がこの手紙の意味をあれやこれやと考えること約二時間、ようやく、眞一郎が、
手紙の送り主が帰宅した。

 勝手口で靴を脱いでいる眞一郎に比呂美が駆け寄ると、眞一郎は、比呂美に目をやって、
ただいま、と普通に口にしたが、そのあとから、比呂美とは目を合わそうとしなかった。
比呂美は、眞一郎のいつもと違う態度にすぐ気づくと、眞一郎の自分を遠ざけるような態
度に、自分の言葉を慎重にさせられた。
「眞一郎くん……あの……その……えっとー……あれ……なんだけど……」
 眞一郎は、比呂美を無視するように、脇をすり抜けていく。
 比呂美は、眞一郎のこの態度にむっとして、眞一郎の後を無言でぴったりついていく。
 廊下を黙って進むふたり。二階への階段の手前で眞一郎は、立ち止まった。
 そして……。
「……どうしたいか、自分で考えてくれ」
「え?」
「……どうしたいか、自分で考えてくれ」
 訊き返した比呂美に、眞一郎は、丁寧な口調で繰り返した。その口調には、比呂美を遠
ざけるような色はまるでなかった。比呂美への愛情がしっかりと込められていた。比呂美
は、眞一郎のその言い方で確信した。
(間違いない、眞一郎くんだ。悪戯なんかじゃない。はっきりと手紙の意味は分からない
けど、眞一郎くんは、本気だ、真剣だ)
 眞一郎は、ゆっくりと、階段に足をかける。比呂美が、なにかいってくれば、すぐにヒ
ントを答えてあげられるようにゆっくりと……。五段上がっても、比呂美は、なにも発し
ない。そこで、眞一郎は、比呂美が手紙の意味をおおかた理解したのだと判断した。そし
て、眞一郎は、二階へ上がった。
 やがて、眞一郎の部屋の扉の音が静かに聞こえた。
 比呂美に対して閉ざされてしまった扉。
 比呂美は、窓の外を見た。大きなガラス窓に、自分の全身が映し出されていた。
(わたし、なんて顔してんだろう。まるで、捨てられた、子猫みたい)

……ときには、横に並んで同じ方向を見ることも必要よ。
  たとえ相手の顔が見えなくても……言葉を交わさなくても……

 比呂美の心の中心で、理恵子の言葉が、響いた。その言葉に比呂美の心は奮い立つ。
 比呂美は、自室に戻ると、布団を敷き、宿題もせずに布団にもぐった。
 そして、さきほどの眞一郎の言葉をもう一度思い返す。

……どうしたいか、自分で考えてくれ……

 ラブレターをもらった湯浅比呂美は、どうするのだろう?
 どうするの? 好きな男の子からだよ。
 もちろん、OKするに決まってるじゃない。
 でもこの手紙って、わたしたちが、付き合っていない状態で出された手紙ってことにな
ってるみたいだから、それを台無しにしてはいけないってことだよね。だから、眞一郎く
んは、さっき、わたしを遠ざけるような態度をとったんだ。そういうことなんだ。

『ふたりは、幼馴染……。
 やがて、お互いに意識するようになって。
 男の子の方から下駄箱に白いラブレター。
 それから……』

 眞一郎くんはこの『恋のはじまり作戦』進めようとしている。徹底して臨むつもりだ。
 じゃ~わたしも徹底しなくちゃ。
 つまり、完全に付き合う前に戻すってことよね。
 一緒に住んでるから、家の中では、どうしても顔を合わせてしまうけど、だからって、
またこの家を出て行くわけにはいかない。とりあえず、今度の曜日までなんだから、この
作戦を台無しにしてしまうようなことを整理しておかなくちゃ。
 まず、名前、呼び方ね。わたしは『仲上君』と呼ぶしかない。眞一郎くんも『湯浅さ
ん』と呼んでくるだろう。なんか、鳥肌が立ちそう。
 次に、家の中では、極力会話をしてはいけない。お互い、仲上家と湯浅家の子供として
出会って恋をするわけだから、それをぶち壊さないためにも、家の中では、ご飯のとき以
外は顔を合わせないようにしないと。
 そうしたら、弁当はどうしようかな。眞一郎くんの弁当は、わたしがよく作っているか
ら、一週間だけは、おばさんにお願いしなくちゃ。しかたない。
 とれあえず、大きなところは、こんなものかな。
 これで一週間を乗りきれば、日曜日の初デートを無事に迎えることができる。

『恋のはじまり……。
 デート。
 そして、告白……』

「あ……そうか……」
 比呂美は、ようやく、眞一郎の手紙の真意に気づいた。
「そういうことね……」
 眞一郎君くんは、自分から男らしく気持ちを伝えて、わたしとの恋をふつうにはじめた
かったんだ。おばさんの「兄妹かもしれない」という嘘があったり、石動兄妹に翻弄され
たりして、お互い、切羽詰った状態から、付き合いだしたから、そのことを、眞一郎くん
は気にしていたんだ。間違いない、これだ、手紙の意味。
 比呂美の全身の緊張がようやく解れた。そして、比呂美の胸の中に甘酸っぱいものがこ
み上げてくる。比呂美は、この感じを懐かしく思った。
 今、比呂美の頭の中の時間は、眞一郎への恋ごころを意識しだした中学生の頃に戻って
いた。
 小学生の頃からずっと同じクラスで、眞一郎の顔は見慣れていたが、中学生になり、眞
一郎の背が伸びだし、肩幅が広がっていくにしたがって、自分でも気が付かないうちに眞
一郎を目で追うようになっていた。そして、眞一郎の言動や仕草を、細かくチェックする
ようになった。幼馴染ということもあって、眞一郎の性格や好みというものは、だいだい
分かっていたが、他の女の子となにを話しているのか、どういう女の子が好みなのか、愛
子のことが好きなのではないのかなど、そういうことになると、神経が尖った。学校の帰
り道で眞一郎と会うと、偶然を装った。そして、眞一郎が話しかけてくるのを待った。で
も、いつも他愛のない話ばかりで、がっかりした気分にさせられた。
 両親がなくなり、高校生になると、眞一郎の態度は、急変した。はっきり、自分の盾に
なろうとしているのが分かった。それが、逆に、眞一郎の自分への気持ちを押し留めさせ
ていたのだろうか。
 それから、いろいろあって、好きという気持ちを打ち明けたが、そのことをいったん白
紙に戻して、眞一郎は、この手紙で告白をやり直そうとしている。
 そういうことなのだろうと比呂美は思った。
「わたし、なにトキめいてんだろう……処女でもないのに……」
 切なさに胸が締め付けられていた比呂美は、そう呟いた。それからすぐに思いつく。
「あっ、そうか…………わたし、処女に戻るんだ」
 比呂美は、掛け布団を頭からかぶり、ころころと笑った。

ツールボックス

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