ファーストキス-12


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――第十二幕『そんなの関係ないよ……』――

「ごめん、待った?」
 漫画によくあるような自分の台詞に、比呂美はふきだしそうになったが、今はさすがに
笑えない。
「いや、いま来たところ。時間、ちょうどだし」
 眞一郎もまた比呂美と同じことを思う。
 約一週間お互い我慢して、ようやく交わした言葉がこれなのか……。
 ふたりは、もっと気の利いた台詞をいえなかったものかと、心の中で頭を掻いた。
 駅前の喧騒の中、二人の間だけは、なにか特別な空間のようだった。正確に表現するな
ら、比呂美の周りは、と言い替えた方がいいかもしれない。ばっちりおめかしした比呂美
は、枯れた木でも蘇らせることができるのではないかと思うくらい若々しいパワーに満ち
溢れていた。それに加え、もはや17歳の小娘の立ち振る舞いではなかった。
 眞一郎は、はじめて見る比呂美の本来の姿に、頭の中が沸騰したようになり、思わず、
「ひ……」と比呂美の名前をいってしまいそうになったが、どうにか堪えて、
「湯浅さん、ありがとう」
ということができた。
 比呂美も、
「こっちこそ……。仲上君、手紙、ありがとう」
と丁寧にいって笑顔を返した。
 その一言ずつで、ふたりは、少し落ち着けた。
 眞一郎の格好は、普段とあまり変わりなかった。Gパンに半そでの白のトレーナー。ト
レーナーの胸のところには、図案化された鷲のプリントが施されている。そして野球帽。
この帽子は、黒地で、額のところに『Y』のロゴマークが入っている。北陸出身の野球選
手が所属しているメジャーリーグのチームの帽子で、眞一郎が中学生ときに『湯浅』のイ
ニシャルと同じということで、この帽子を買ったことを比呂美は知っていた。あとリュッ
クサック型のバックを持っている。
 比呂美はというと、まず、ワンピースを着ている。クリーム色の布地に白とピンクの小
さな花の絵柄が入っている。眞一郎がこの服を見るのは初めてで、この服は、今月初めの
比呂美の誕生日に仲上夫妻から贈られたものだった。眞一郎のために初披露したのだろう。
それから、比呂美も帽子をかぶっている。あと数日で七月という時期なので、日中の日差
しは、かなり厳しい。なので、つばの広い、純白のチューリップハットを比呂美は選んだ。
持ち物は――頑丈そうな大きな手さげを肩に引っ掛けている。それから、竹製の四角いバ
スケット(手さげ籠)を持っていた。あと、日傘。いかにも『アウト・ドアーでのんびり
デート』というスタイルだった。
「あ、あの、服、似合ってるよ……」
 初めて見る比呂美の可憐さに、眞一郎はまだ、比呂美のことをまともに見ることができ
ず、斜め上の宙を見ながら、比呂美の格好に感激を露にした。
「ありがとう。……仲上君は、なんか……やんちゃ」
「え?」
 眞一郎は、思わず訊き返したが、へへっと照れくさそうに笑った。初めてのことでも変
にかしこまらないのが眞一郎の流儀なのだ。初エッチのときに比呂美はそれを感じていて、
眞一郎の格好に納得していた。
 さて、いつまでものぼせっ放しじゃ話が進まないので、眞一郎は、これからのことをよ
うやく切りだした。
「どこか、いきたいところ、ある?」
「あの~」
といいながら、比呂美はバスケットを少し持ち上げて、眞一郎にその中身をアピールした。
「ちょうどお昼だし、一緒に食べない? サンドイッチとか作ってきたし……」
 眞一郎の目は途端に潤んだ。比呂美の持っているバスケットを確認したとき、もしや、
と眞一郎は思ったのだが、まさか現実になるとは――。今まで仲上家で、さんざん比呂美
の手料理を食べてきたというのに、涙が出そうになるくらい嬉しさが込み上げ、一枚も二
枚も上手な比呂美に、頭の下がる思いだった。
「じゃ~運動公園にいこうか。天気いいし」
「うん」と比呂美は、大きく縦に首を振った。大満足な提案だったらしい。
「それじゃ、バスでいこう」
 眞一郎たちは、バスターミナルの方へ歩きだした。
「それ、持つよ」
 眞一郎がバスケットへ手を伸ばして比呂美にそういうと、比呂美は、素直に預けた。
 バスに乗り込むと、最後部の座席に並んで座った。日曜ということもあって、車内は家
族連れが多い。
 眞一郎たちが向かう運動公園は、麦端町から山間部へ向かった丘陵地帯にあった。北陸
地方では一、二を争う運動施設と自然公園とが合体したようなところで、人気の観光スポ
ットとだった。また、スポーツの大会など頻繁に行われ、バスケットを小さい頃からやっ
ていた比呂美は、ここで何度も試合をしたことがあり、比呂美にとっては、自分の庭みた
いなところだった。また、比呂美の両親との思いでも少なくなく、眞一郎もそれを知って
いた。駅からは、バスで40分くらいのところにある。
 バスの後部座席は、比較的によく揺れるものだ。
 バスがカーブなどにさしかかると、ふたりの肩はよくぶつかった。その度に、ごめん、
とお互いに謝っていたが、いい加減めんどうになると、ふたりは、距離を縮めて、体をく
っつけ合った。それから、ふたりは、目的地に着くまで無言になった。
 まだ、眞一郎の告白が済んでいないというのに、この状態は、順番をすっ飛ばしている
のでは、とふたりは思ったが、触れ合いたいという気持ちは、もう抑えられなかった。無
言のままでいることで、なんとか踏み止まろうとしていた。いま、どちらかが、言葉を発
しようものなら、一気にその気持ちは決壊し、作戦は強制終了してしまうだろう。だが、
それだけは、どうしても避けなければならない。ふたりの一週間の苦労が水の泡と化すか
らだ。でも、バスの間だけでもルールを犯してお互いを感じなければ、とても持ちそうに
なかった……。
 バスが公園への一本道に入ると、突然、眞一郎は、帽子を深くかぶった。比呂美は、横
目でちらっとそれを確認すると、眞一郎は、泣いているようだった……。比呂美は、声を
かけずに、気がつかないフリをしてあげた。
 バスは、中間地点付近を通過して、大きな川を渡ると、一気に辺りは、自然の空気に溢
れかえった。遠くの方には、野外競技用の大きな照明塔が見える。比呂美は、その懐かし
い形に視線を縫い付けていると、今まで見たことがなかった看板が目に入った。なんだろ
うと、比呂美はそれに視線を移す。紺色の地に白文字のシンプルなデザインだった。『ミ
ルキー☆ウェイ』と書かれてある。夜は内側から光を灯しそうな看板だった。そう、ラブ
ホテルの看板である。確かに、看板のずっと向こうの森林の真ん中に、屋根だけ、それら
しき建物が見えた。

……ラブホテルが、できたんだ。朋与が確か話していた……

 まさか、眞一郎のデートコースに入っているのでは、と思った比呂美は、眞一郎を横目
でちらっと見た。眞一郎は眠っていて、首がかくかく動いていた。無理もない、眞一郎は、
壁絵制作で疲れきっているようだった。比呂美は、眞一郎の腕を優しく起こさないように
つかんで、眞一郎の体の重心を自分の方に移動させた。すると、眞一郎の首は、比呂美の
方にかくんと折れて、比呂美の体に眞一郎の体重がかかった。

……ごめんね、疑ったりして……

 比呂美は、心の中で眞一郎に謝ると、眞一郎の膝の上にあるバスケットを自分の膝の方
に移動させた。作戦が台無しになるよ、と比呂美は心の中で呟いたが、眞一郎が完全に安
心しきって自分に体を預けているこの状態が、比呂美には堪らなく心地よかった。以前、
眞一郎が何かに落ち込み塞ぎ込んでいるときは、ひとりにしておいてくれ、と突き放され
たのに、今は、こうして寄りかかってくれる。間違いなくお互いの関係が深くなっている
のだと、比呂美には思えたのだ。

 そうこうしているうちに、バスは目的地に着いた。車内の賑わいが一段と盛り上がると、
眞一郎はそれに気づき目を覚ました。そして眞一郎は、左腕にしっかりと張りついた柔ら
かい感触に気がつくと、自分が今までどういう格好でいたのかをすぐ悟り、慌てて比呂美
に謝った。
「ご、ごめん、湯浅さん……その……」
 比呂美は、ばつが悪そうにしている眞一郎に無言で笑顔を返すと、
「いこ」
と小さくいって立ち上がった。そして、バスケットをまた眞一郎に持ってもらった。

 バスの発着場からは、しばらく山の方に歩いた。
 どの方向を向いても人がまばらにいた。時折、野外で行っている競技の歓声が聞こえて
くる。
 雲ひとつない素晴らしい青空が広がっている。数日前に東北地方の太平洋沿岸を台風が
かすめたため、この北陸地方に、大陸からの爽やかな風が吹き込んできていた。日差しは、
今年一番の強さだったが、木陰に入れば、風が暑さを一気に吹き飛ばした。
 眞一郎と比呂美は、野球場や陸上のトラックのある地帯を抜け、さらに奥へ進んだ。す
ると、極端に人影が減り、大きな木が点在する原っぱに出た。桜や銀杏の並木があったが、
今はそれらを楽しむ季節ではない。
 やがて、比呂美が、一点を指差した。
「あそこのベンチ、空いてる」
「うん、そこにしよう」
 ふたりは、少し進行方向を斜めに変え、大きな楠(くすのき)の下にある木製のベンチ
に向かった。
「だいぶ、登ってきたね」
 眞一郎は、後ろを振り返りながらいった。
 遠くに眞一郎たちの住む町の全貌を見ることができる。
 ベンチに着くと、眞一郎は、比呂美に「待って」といって、リュックサックから、ビニ
ールシートを取り出し、ベンチに広げた。
「用意いいね」
「はじめからここに来るつもりだったし」
 比呂美は、眞一郎のこの言葉にここで告白されるのだろうかと思った。
 ふたりは、バスケットをベンチの真ん中に置き、それを挟むように座った。意外にこの
場所は、よく風が吹き抜け、ベンチに広げたシートの端がばさばさと揺れた。
 比呂美は、バスケットの蓋を開け、中からまず、ビニール袋に入れたおしぼりを取り出
し、ひとつを眞一郎に手渡した。
「あ、ありがとう」
 眞一郎は、手を拭きながらバスケットの中を覗こうとしたとき、なにかに思い当たった
ように声を上げた。
「あっ、なにか、飲み物買ってくるよ」
「待って。アイスコーヒーなら持ってきたよ」
と比呂美は、大きな手さげの方から水筒とガラスコップを取り出し、コップもひとつを眞
一郎に手渡した。
「用意いいね~」
 お互い、顔を見合わせて笑った。
「なんでわざわざガラスのコップ?」
「紙だと、風で飛んじゃうから」
「なるほど、さすが」
 眞一郎は、感心したように頷いた。
 バスケットの中には、サンドイッチがびっしり詰まっていて、端の方に、玉子焼きの入
ったタッパと、ウサギさんに細工されたリンゴが入ったタッパがあった。
「好きに、食べて」と比呂美は、眞一郎を促した。
「うん、いただきます」
 眞一郎がサンドイッチに手を伸ばしかけると、比呂美は、
「ひとつだけ、からしがたっぷり塗ってあるから」
と呟いた。
「マジ?」と手を引っこめる眞一郎。
 比呂美は「嘘に決まってるじゃない」といって大笑いした。
「いや、黒部さんをよくデコピンしている湯浅さんならやりかねん……」
と眞一郎も少し反撃した。

 食べ盛りのふたりは、バスケットの中身をきれいに平らげると、しばらく、黙ってアイ
スコーヒーを味わいながら飲んだ。
 一番気温が高くなる時間帯だというのに、秋のように爽やかだった。木のざわめきが、
耳に心地よい。野鳥のさえずりも休むことなく聞こえた。市街地より気温が10度くらい
低く感じた。
「湯浅さん、よくここ来るんでしょ?」
「うん。バスケの試合で。自分が試合するときもそうだけど、実業団の大会があるときも
よく見に来るの」
「へ~。バスケ、小学生からはじめてたよね? なんでバスケ?」
「お父さんとお母さんがバスケットしてて、わたしが小さい頃、バスケの話に加われなく
て、悔しかったの、それで……」
 眞一郎は、まずいことを訊いてしまった、と思ったが、比呂美は愉快そうに話していた。
「ふ~ん」
「仲上君は、絵、うまいよね。中学のとき、密かに楽しみにしてたんだ~」
「なにを?」
「仲上君の絵を。ほら、毎年、写生大会あったじゃない。あれに、毎年、入賞してたよね。
一番じゃなかったけど、わたしは、仲上君の絵が一番好きだったな~」
「へ~見てたんだ……確か、家にあるよ」
「見たい。こんど見せて」
「うん、いいけど……」
「なに考えながら、絵を描いてるの?」
「え? 考えたことないな~ ……なんていうか、漠然と頭で思い描くというか、想像す
るというか……あ、ほらっ」
「なに?」
「バスケでさ、シュートするときと同じじゃないかな」
「シュートってシュート?」
 比呂美は、シュートを打つマネをした。
「うん。あれってさ、ボールがゴールに向かってどういう軌跡を描くかって思い浮かべな
がらシュートしない?」
 比呂美は、再びシュートを打つマネをしながら考える。
「……うん、確かに、そうかも」
「だろう? それと、おんなじなんだよ」
「なんか面白いこと発見したね」
 まったく違う分野なのに大きな共通点を見つけたと思った比呂美は、胸の空く思いだっ
た。ずっと眞一郎の絵のことは分からないと思ってきた比呂美だったが、いろいろと見方
を変えれば、眞一郎のことがもっと理解できるのでは、と感じた瞬間だった。比呂美は、
こういうことに関して、乃絵にコンプレックスを抱いていたので尚のことだった。
「絵の世界では、いろいろとバランスっていうのが大事だけど、スポーツだって同じだろ
う? 体のバランスだったり、攻撃と防御のバランスだったり。所詮、同じ人間のやるこ
となんだから、根っこは同じなんだよ」
「そうね……そう考えると、文系と体育会系と分けなくてもいいかも」
「えらく飛躍したな」
「えぇ~だって、そういうこといってるんじゃないの?」
「向き不向きがあるから」
「あぁ~ダメ。あしたの練習でシュート打つとき仲上君の顔がちらつきそう」
「それは、光栄だな」
「シュート成功率が下がったら、責任とってね」
「どうやったら、責任とれるんだよ」
「そうね~バックボード(※)に絵を描くとか……」
(※バスケット・ゴールのリングが取り付けてある反射板のこと)
「そりゃ、停学になるよ、たぶん」
「じゃ~朋与にデコピンして忘れさせて」
「そりゃ、間違いなく殺されるよ」
 ふたりは、大笑いする。
 眞一郎は、比呂美が大笑いするのを久方ぶりに見た気がした。その笑顔は、間違いなく、
比呂美の両親がまだ生きている頃の比呂美の笑顔に限りなく近かった。眞一郎も、そのこ
とに胸の空く思いだった。ふたりが、こんなに饒舌に話すことは滅多になかった。眞一郎
は、いつも、心のどこかで、比呂美の両親のことを触れないようにしていて、比呂美も、
そんな眞一郎を感じていたからだ。なので、会話にすることに対してどこか臆するところ
があった。しかし、この『恋のはじまり作戦』遂行のため、一気に付き合う前の状態に戻
したことで、その枷が外れかかろうとしていた。
「じゃ~話を変えようよ。湯浅さん、料理すごい得意そうだけど。サンドイッチすげ~う
まかったよ」
「ありがとう。でもね、得意そうじゃなくて、料理がうまいの」
「たいした自信だな~」
「お母さんに毎日鍛えられてるから」
「え?」
(お母さんって……)
 眞一郎は、比呂美のその言葉に硬直した。
「お母さんの腕前に追いつくのが、今のわたしの生きがいのひとつ……」
 眞一郎は、「比呂美」と声がでそうになるのをぐっと堪えた。
「…………」
 比呂美は、無言の眞一郎に笑顔を見せ、全然平気よ、と伝えた。
「そ、そう、お母さん、そんなにすごいんだ~」
 眞一郎は、どうにか相槌を打ったが、比呂美は、さらに眞一郎を驚かせた。
「でもね、今のお母さんは、本当のお母さんじゃないの。お父さんもそう」
 眞一郎は、比呂美の腕をつかみ、無言で大きく首を横に振った。
「わたし、引き取られたの」
「ひ……湯浅さん! 話さなくていい、話さなくていいよ」
 比呂美は、自分の腕をつかんでいる眞一郎の手を優しく振り解く。
「仲上くんには、ちゃんと話さなきゃと思ったの。あんな真剣な手紙くれたから。わたし
もそれに応えなくちゃって……」
 眞一郎は、唾を飲み込み、比呂美の言葉のつづきを待った。
「わたし、もう平気。人は、いずれ死ぬんだもの。わたしの家の場合、ちょっと時期が早
かっただけ。それに、今のご両親にも大事にしてもらってるし、幸せだよ……」
 比呂美の顔は、頭上に広がる青空に負けないくらい清々しかった。比呂美の目にも涙は
一滴も湧いていなかった。
「……ほんとうに……よかったね……」
 眞一郎は、なんて言葉を返したらいいのか分からず、口から出てきた言葉がそれだった。
「でもね、引き取られた先に、男の子がいてね。その子が、ちょっとエッチで……困って
るの……」
「なんだって!」
 眞一郎の声は、裏返った。「エッチなのはおまえだろ」という言葉が喉まで出かかった
が、ぐっと堪えて、肩をぷるぷる震わせた。
「男の子って、ああいうものなのかな~。仲上君、教えて」
「そ、そういうものなんじゃないのかな~。なにがあったのかは、知らないけど……」
 比呂美は、よく耐えたわね、という挑発的な顔をした。
(こいつ~)
 なにかいいたげな眞一郎を無視して、比呂美は、コップに口をつける。
 すると、遠くの方から、牧歌的なオルガンのような音が聞こえてきた。
「やったぁー!」
 比呂美は、その音を確認すると、歓喜の声を上げて、辺りを見回し、その音の主を探し
た。
「なに? どうしたの?」
「アイスクリーム屋」
「アイスクリーム屋?」
 眞一郎が、訊き返すと、比呂美は、山手の方を指差した。
 真っ白で四角い、宅配便のような車が、近づいてきていた。車の天面のどこかに七色の
風船がくくりつけられいて、風に弾んでいた。
「あのアイスクリーム屋、滅多に現れないの」
「へ~」
「わたしも、まだ一回しか食べたことがなくて。小学生の頃、お母さんとお遊びに来たと
きが初めてなの」
 比呂美は、大きな手さげから、財布を取り出した。
「だから、伝説になってるの。女の子の間で……。カップルでいるときに現れると、うま
くいくんだって」
と早口で比呂美はいうと、立ち上がり、その車へ駆けていった。
 比呂美は、手を上げて車を呼び止める。
 眞一郎は、その比呂美の後姿に、等身大の比呂美を見た気がした。誰の目も気にせず、
自分の気持ちをストレートに表現する。笑いたいときは笑い、泣きたいときは泣く。比呂
美という女の子は、もともと性格が真っ直ぐな子なのだ。それが、眞一郎の知っている本
当の比呂美だった。
 比呂美の気持ちを無視して眞一郎が自分勝手に進めたこの作戦だったが、比呂美が比呂
美なりにその作戦の意義を考えてくれたことに、眞一郎は、心底感謝していた。また、な
にかにつけ、眞一郎に対して口で説明することを求めてきた比呂美が、今回のことのよう
に、黙って自分の考えに賛同してくれたことに、比呂美の心の変化を感じずにはいられな
かった。眞一郎は、自分と比呂美の将来を思い描きはじめている。比呂美もまた、自分と
の将来を思い描きはじめているのだと感じ、比呂美をさらにいとおしく思った。
 しばらくすると、車のそばにいる比呂美が、ベンチの方に歩きだした。
 片手にひとつのソフトクリーム。
 眞一郎は、あれ? と一瞬思ったが、その直後、まさか! と心が爆発した。
 三色の鮮やかな色彩が目に付いた。上から、ピンク、薄紫、そして白。
 比呂美の満面の笑みが、どんどん近づいてくる。
 眞一郎の心臓の鼓動は、どんどん高鳴っていく。
「買ってきたよ」
「う、うん」
 眞一郎は、なぜひとつなのか、すぐ尋ねなかった。ここは、デリカシーを働かすべきだ
と考えた。
「えっとね~上から、トマト、なすび、大根、味」
と比呂美は、もっともらしく丁寧に説明した。
「それは、体に良さそう」と眞一郎は、そのことにつっこまない。すると、比呂美は、ひ
とつだけ買った理由をいった。
「さっきの伝説には、つづきがあってね。ひとつのアイスクリームをふたりで食べると完
璧なんだって……」
 眞一郎は、どう完璧なのかは、敢えて尋ねなかった。
「でも、それって溶けてしまわないよね」
「大丈夫。溶けて、心にしみこむから……」
 比呂美にうまく返されてしまって、眞一郎は、お手上げ、という表情をした。
「湯浅さん、まず、好きなだけたべていいよ。あと、僕が食べるから」
と紳士的なことを眞一郎はいったが……。
「交互に食べないと、ダメなの」
 さすがの比呂美もこの台詞は、恥ずかしかったのだろう。斜め下を見て俯いてしまった。
 眞一郎は、自分も恥ずかしがっていてはダメだと思い、落ち着いた口調で、比呂美に最
初を促した。
「じゃ~湯浅さんから」
 比呂美は、眞一郎のその言葉に少し安心したような顔をして、小さく黙って頷き、ソフ
トクリームを自分の口に近づけていった。比呂美の口がゆっくりと開き、舌先が躊躇いが
ちに現れた。そして、クリームの尖った先端をぺろっとひと舐めして、はい、と眞一郎に
ソフトクリームを持った手を差し出した。
「え? らしくないな~ もっとがぶりといきなよ。日が暮れちまうよ」
と眞一郎は、比呂美の僅かに舐めた跡と比呂美の顔を見ながら笑った。
 眞一郎の「らしくない」という言葉に、少し不満に思った比呂美は、「そうね」という
と、再びソフトクリームを口に持っていこうとした。だが、すぐそれを、眞一郎が
「待って」といって慌てて止めた。
「交互に食べないとダメなんだろ?」
 比呂美は、「あっ」と声を漏らし、眞一郎を見ずにソフトクリームを差し出した。
 眞一郎は、比呂美からソフトクリームを受け取ると、比呂美を同じように比呂美の舐め
た跡のところをちょこっと舐めた。そのとき、比呂美は眞一郎の口元をまじまじと見つめ
ていた。
「はい、つぎは、がぶりとどうぞ」
と眞一郎は比呂美にソフトクリームを返す。
 比呂美は、口を大きく開け、本当にがぶりと吸い付いた。ソフトクリームが、比呂美の
唇から離れると、比呂美が吸い付いた場所が、小さく尖っていた。比呂美の唇には、クリ
ームがたくさん残り、比呂美は、舌先を唇にそって動かし、それをきれいに舐めていった。
 眞一郎が比呂美のこの仕草を見るのは初めてで、眞一郎もそれをまじまじ見つめた。
 比呂美からソフトクリームを渡された眞一郎も、がぶりと吸い付いた。クリームの部分
は、一気に半分なくなった。
 ふたりは、何度かこうやって食べ相子をした。やがて、クリームの部分がなくなり、コ
ーンの部分が残ると、そこも交互にかじって食べた。最後のコーンの欠片は、眞一郎が食
べた。さくさくっという音が、すぐに聞こえなり、ふたりは、名残惜しそうに黙っておし
ぼりで手を拭いた。
 それから、比呂美は、ずっと黙っていた。
 ふたりの間には、バスケットは置かれておらず、比呂美の向こう側に移動していた。
 爽やかな風が、相変わらずふたりをやさしく撫でていた。

……眞一郎くん、そろそろ告白タイムでもいいんじゃない?

 比呂美は、少し焦れたように耳元の髪を直した。
 眞一郎は、真っ直ぐ、遠くを見ていた。なにかを考えてる風でもなかった。比呂美が、
そんな眞一郎の横顔を見つめていると、その視線に気づいた眞一郎は、比呂美を見つめ返
した。その表情は、どこか憂いがかっていた。
「これから、海、いきたいんだけど……」
 比呂美には、その言葉の意味がなんなのか、はっきりと分かった。
 それは、間違いなく、あの砂浜で、想いを告げるということだと……。
 比呂美は、無言で大きく頷いた。

 ふたりは、海岸沿いの道を歩いていた。眞一郎が先を歩き、その後を比呂美がついてい
っていた。まだ、ソフトクリームを食べたときの甘酸っぱい雰囲気が、ふたりにまとわり
ついていたが、ふたりは、手もつながず、黙って、砂浜のあの地点を目指して歩いた。
 比呂美は、ソフトクリームの食べ相子を、『間接キス』などと生易しい言葉で片付ける
ほど子供ではなかった。眞一郎の唾液が、間違いなく、自分の体内に染み込むのだ。少女
のように振舞ってはいても、頭の中では、眞一郎への愛欲にすぐ溺れた。しかし今は、前
を歩く眞一郎の背中に飛びつきたいという衝動よりも、眞一郎がこの後どんな風に告白を
してくるのかという好奇心の方が勝っていた。
「ここから、下りよう」
 砂浜へ下りる階段にさしかかると、眞一郎は、かすれた声でいった。
 ふたりが階段を下りると、砂浜に、眞一郎のスポーツシューズの足跡と、比呂美のスニ
ーカーの足跡が、絡まった糸のように印を付けはじめる。
 ふたりとも、帽子が風で飛ばないように押さえていた。空は未だに雲ひとつない見事な
ブルーのグラデーション。比呂美のワンピースのスカートの裾は、風ではためき、時折、
内側に身に着けたスリップを覗かせた。
 やがて、眞一郎は、黒く光るものを見つけた。
 比呂美とキスした場所を示すモニュメント。以前、ふたりは、この場所に、砲丸玉くら
いの大きさの黒くて丸い石を置いていた。ふたりとも、それがいつ波に流されても構わな
いという程度の拘りしか持っていなかったが、今は、それを確かに目指していた。
 そして、ようやく、ふたりは、ふたりだけの、かけがいのない場所にたどり着いた。
 唇を交わしもしたし、大喧嘩もした場所。
 眞一郎は、バスケットを砂浜に置き、野球帽をゆっくり脱ぐと、それを折りたたんで、
Gパンの後ろポケットに突っ込みながら、比呂美に向き合った。
 比呂美も大きな手さげを肩から外して砂浜へ下ろし、チューリップハットを脱ぐと、そ
の中へ突っ込んだ。
 ふたりは、迷いなく、躊躇いなく、お互いを真っ直ぐ見つめた。海からの風が強い所為
で、ふたりの耳は、ゴーという音に支配されていた。
 ふたりは、あの竹林で眞一郎が比呂美に交際を申し込んだときよりも数倍緊張していた
が、同時にどこか安心感のようなものを感じていた。
 比呂美は、眞一郎は間違いなく、「好きだ」とストレートにいってくるだろう感じてい
た。眞一郎は、大事な場面では、決して小細工は使わないと知っていたから。比呂美は、
そんな眞一郎の次ぎの行動を冷静に考えていたが、眞一郎は、比呂美の想像よりももっと
冷静な行動を取った。
 眞一郎は、比呂美にさらに近づくために足を砂浜の上を滑らすと、両腕を比呂美の肩を
通り越して背中に回して、比呂美を抱き寄せた。そして、比呂美の耳元へ、口を近づけて、
比呂美に自分の気持ちを告げた。
「湯浅比呂美が、好きだ。この気持ちを君に伝えたかった。恋人になってください」
「…………………………はい……」
 全身が毒にでも当たったように痺れてしまった比呂美は、そう返事するしか声が出なか
った。あの竹林でのときは、二回も「いや」といって断ったというのに、もうそんな余裕
は、比呂美にはなかった。しばらくの間、比呂美は、眞一郎の肩に自分の顎を預けたまま、
眞一郎の体の温もりを感じた。そうしているうちに、眞一郎がなぜいきなり抱きしめたの
かが、分かってきた。おそらく、眞一郎は、抱きしめて耳元で言わないと、海風の音が邪
魔して自分の言葉が届かないと考えたのだろう。
 ふたりは、じっと抱き合ったまま、お互いの体の感触を楽しんている。
 比呂美は、眞一郎の体が少し逞しくなっているのを感じた。以前、四回ほど裸で体を重
ねたときの記憶と比較してみたのだった。眞一郎の肩は、滑るようななめらかさが無くな
りつつあった。胸板も少し厚くなっている。眞一郎の体を求める欲求がどんどんエスカレ
ートしていく。比呂美は、眞一郎の頭に自分の頭を側面ですり合わせるように押しつけた。
眞一郎が、微かに「あっ」と声を漏らすと、突然、比呂美の中に、キスしたいという欲求
が湧き起こってきた。どうして、もっと早くしなかったんだろうと、比呂美は、歯痒さを
覚えた。比呂美は、眞一郎の腰に回した手を、眞一郎の体を離そうとする方向に力を入れ、
眞一郎に、体を離してほしい、と合図を送った。その合図を受け取った眞一郎は、背中に
回した手を肩へ滑らせて、比呂美の体をゆっくり離した。
 ふたりは、『男』と『女』の目をしていた。
 つまり、お互いの体を求めるという目を……。
 比呂美は、すぐに、瞼を下ろして、顎を少し持ち上げた。
 眞一郎は、右手を比呂美の肩から外すと、その手を比呂美の頬にそっと当てた。人差し
指と中指と薬指の指先が、僅かに比呂美の頬の柔らかさに沈み込む。それから、その手は、
ゆっくりと頬に沿って下りていき、比呂美の唇へ到達した。そこで比呂美は、目を開け、
どうしたの、という表情を作った。
「やわらかいね」と眞一郎が囁くと、
「こんどは、唇で感じてみて……」と比呂美は返した。そして、目を閉じた。
 眞一郎は、右手をまた比呂美の肩へ戻して、比呂美へ顔を近づけていった。
 比呂美の鼻の頭の位置を確認しながら、自分の顔を近づける。あと5センチくらいにな
ったところで、比呂美の唇を見た。きれいに結ばれていた比呂美の唇が、少しだらしなく
僅かに開く。これは、比呂美がキスするときの癖だった。口が少し開いていると、鼻息を
少し抑えることができて、お互いに鼻をくすぐり合うことがないという発見からだった。
眞一郎の胸に、さらに甘酸っぱさ溢れかえる。そして、頭の中は、比呂美の鼻息、唇の感
触、舌先の戯れという妄想でいっぱいになる。
 そのとき……。
 眞一郎は、閃いた。

……今の、この、感じは……

……この感じを、絵に、映すことができれば……

 そう、眞一郎は、気づいたのだった。
 今取りかかっている壁絵の物足りなさが、『なにか』ということに。
 眞一郎の顔は、比呂美から3センチくらい離れたところで止まった。
 比呂美は、焦れたように、眉毛を少し動かし、眞一郎を急かす。
 ごめん、と眞一郎は、心の中で謝ると、ようやく唇を押しつけた。
 眞一郎の背中に回した比呂美の腕の力が急に強まり、比呂美の唇は、眞一郎の唇を食べ
るように動きだした。眞一郎も負けじとやり返す。
 今まで蓄積されてきた甘酸っぱさは、一気に昇華され、淫らな酔いの境地へと変わった。
 眞一郎と比呂美――ふたりの唇と舌先は、まるで殴り合いをしているように激しく動い
た。吸われたら吸い返し、舐められたら舐め返すというように……。
 六日間、溜まりに溜まった性欲が、ふたりの口元で、まさに弾け、連鎖反応を起こして
いるようだった。
 でも、限界はいずれ訪れる。
 徐々に、ふたりの唇の戯れも落ち着いていき、やがて、自然現象のように止まった。
「く、るし、かった」(くるしかった)
 比呂美は、息を乱しながら、そう呟いた。
「比呂美……」

……比呂美……

 その言葉は、今のふたりにとって、作戦終了の合図だった。
 六日間、我慢しつづけて、ようやく口にすることのできた名前。
 比呂美の目に、涙が湧き起こってきた。
「比呂美、きょうは、いや、いままで、ほんとうにありがとう」
 眞一郎は、比呂美のおでこに自分のおでこをつけて、いった。
「うん……さ、びし、か……った」(さびしかった)
 比呂美の涙の川は、すぐに決壊した。
「ごめん。……でも、やっぱり、泣いたね」
「え?」
 比呂美は、思わず訊き返した。
「お姫様だっこ」
「あ!」
 そう、眞一郎が以前、比呂美が泣いて喜ぶことを思いついた、と比呂美にメールしたこ
とがあったのだ。比呂美は、そのことをすぐ思い出したのだが……。
「さびしくて、泣いたの。喜んでないもん。だから、して」
「ウソいうなよ、嬉しくて泣いたんだろう?」
「わたしを毎晩泣かしておいて、よくそんなこといえるわね」
「うっ……」
 眞一郎は、それをいわれると、もう何も言葉が出なかった。そして、黙って、比呂美の
横に移動して、比呂美の左腕を自分の首にかけさせてから、自分の右腕を比呂美の背中に
回して腰を落とした。それから、左腕を比呂美の膝の裏側に回して、比呂美を抱き上げた。
 比呂美の体が宙に浮くと、「きゃっ」と比呂美は黄色い声を上げた。
「なんか眞一郎くんって、バカみたい」
「バカっていうなよ!」
 比呂美は、ころころと満足そうに笑った。
 しばらく、眞一郎は、比呂美を揺すったり回したりして遊んだが、すぐに腕が痺れてき
た。
「もう、いいだろう?」
「えぇ~このまま家に連れて帰って」
「おれを殺すきか!」
と眞一郎は比呂美に吼えて、比呂美を下ろした。
 比呂美は、「おつかれさん」というと、眞一郎の頭をぽんと軽く叩いた。
「どういたしまして」
「ねぇ、デートのつづき……しないの?」
 比呂美は、そういいながら、大きな手さげに突っ込んでいたチューリップハットを取り
出し、かぶった。
「えっ、つづきって?」
「だから……その……最後まで……しないの?」
 比呂美は、手を体の後ろで組み、胸を少し突き出してそういった。
 眞一郎だって、これからどこかにしけこんで、比呂美とそういう行為に及びたいのはや
まやまだったが、やはり、どうしても壁絵のことが気になって仕方がなかった。壁絵に取
りかかってから、一週間経とうとしていたが、もうすでに、壁絵の存在自体が、眞一郎の
一部のようなものになっていた。自分の分身のように思えるようになっていたのだ。比呂
美には、気分を壊させて悪いと思ったが、断るしかなかった。この今の新鮮な気持ちで、
壁絵に早く向かいたかった。そして、比呂美のために早く完成に近づけたかったのだ。
「湯浅さんって、初デートでエッチ許しちゃうような、そんな人だとは思わなかった」
 眞一郎は、悪戯っ子のような目で比呂美にそういった。
「別に……いいじゃない……そんなの関係ないよ……」
 比呂美は、少し照れて、「湯浅さん」を演じようとする。
 眞一郎は、さらにからかう。
「じゃ~どこでする?」
「なっ! 仲上君もそんなデリカシーのない人だとは思わなかった!」
 比呂美は、大きな手さげをつかむと、砂浜をずんずんと大股で歩きだした。
「ごめんごめん」と謝りながら、眞一郎は比呂美についていく。
「もういいっ!」
 こうして『恋のはじまり作戦』は、思わぬ副産物をたくさん生んで、比呂美のふくれっ
面と共にゲーム・オーバーとなった。

 比呂美はひとりで、海岸沿いの道路をしばらく歩き、交差点にさしかかると、折れて、
仲上家の方に向かう坂道に入った。坂を上がりきったところで、前方に見慣れた人物が目
に入った。
「比呂美」
「おじさん……」
「眞一郎と一緒じゃなかったのか?」
「あ、あの、さっき別れて、そのまま学校に」
「そうか……」
 そう呟くとヒロシは、家へ歩き出し、比呂美も横に並んで歩いた。
 比呂美は、いつに増して緊張した。ついさっきまで、今隣に歩いている男性の息子さん
と、あれやこれやとやりたい放題していたからで、後ろめたさも一入だった。比呂美が、
そんなことを思いながら肩をすぼめていると、ヒロシの方から話しかけてきた。
「家内とは、最近、どうだ?」
「……はい……優しくしてくれます」
「あいつ、言い方がきついときがあるからな~」とヒロシは、苦笑いをする。
「そんなことありません。ふつうだと思います」
「わたしに言いにくかったら、眞一郎にいいなさい」
「あ……は、はい……」

……はい、遠慮なく。さきほど、その息子さんと舌を絡ませキスをしていました……

「正直、比呂美が、戻ってきてくれて、ほっとしたよ」
「……すみませんでした」
「謝らなければいけないのは、わたしの方だ」
「そ、そんなっ。……わたしが、わがままでした……」
「おまえたちには、もう少し、わがままになって欲しいんだけどな」

……はい、お姫様だっこもしてもらいました……

「おまえたちは、人に気を遣い過ぎている。ま、比呂美の場合は、そうしろといっても素
直に受け入れられないだろうが。親の目の前で大人しくしている子供たちを見ていて、嬉
しいと思うか?」

……大人しくしてないと、いろいろとバレちゃうから……

「そ、それは……」
「子供というのは、生意気ぐらいがちょうどいいんだよ。だから、最近、眞一郎が、妙に
先の方を見ているような顔をしているのが気になってな……ま~それはいいことなのかも
知れんが……」
「わたし、そういわれても、やっぱり、おじさんたちに甘えることはできません。といっ
ても、実際は経済的にとか甘えているんですが、今のままで、十分幸せだと感じていま
す」

……ほんとうに、しあわせです……

「……そうか、ありがとう」
「でも……こういう風には、甘えてもいいかな~と……」
 比呂美は、そういうと、ヒロシ腕に自分の腕を絡ませた。
「あっ、こらっ」
 ヒロシは、身を反らして、比呂美を引き剥がそうとしたが、そう簡単に比呂美は離れな
かった。あまり乱暴にするといけないと思ったヒロシは、観念して、それを許して歩いた。
「おじさん、眞一郎くんと同じ照れ方する」
「比呂美も、比呂美の母さんと同じように悪戯好きだ」
「これは、感謝の表れです」
「でも、家内の前ではしないでくれよ」
 ヒロシは、後がこわいぞ~という口ぶりだった。
「それは、わかりません」ときっぱりいう比呂美。
「やっぱり、悪戯好きだ……」とヒロシはぼやいた。
 数分で仲上家の前まで来た。
 通用門まであと10メートルといったところで、中から、理恵子は運悪く出てきた。
 理恵子は、ふたりの姿を見て、顔を真っ青にした。比呂美は、慌てて腕を解く。
「比呂美、あなた、まさか……仲上くんとデートって……うちの主人とだったの?」
「ちがいます! ちがいます! ちがいます!」
 比呂美は、腕を前へ突き出し大きく横に振って全力で否定をしたが、理恵子は治まらな
かった。
「あなた、たいした度胸してるわね」
と理恵子の突き刺さるような言葉。
「ちがいますって。おじさんとは、そこであって。眞一郎くんは学校へいってしまって」
「じゃー、なんで腕組んでいたのに慌てて外したの」
 比呂美は、本当にまずいことになったと思った。
「いえ、それは、その……」
「どうして、答えられないの」
 理恵子の追及はつづく。
「えっと~」とヒロシを横目で伺う比呂美。
「まったく、比呂美には、もう少し厳しくしなくちゃいけないかしら。自覚しているかは
しらないけど、あなた、やっぱりふしだらなところがあるわよ」
「あ、あの、ごめんなさい……」
 比呂美が完全にしゅんと縮こまってしまうと、途端に、理恵子はころころ笑いだした。
「ばかね~なに慌てているの。冗談よ、冗談」
と理恵子は比呂美を呆れたようになだめたが、このあと、ヒロシは空気を読めずにとんで
もないことを口走った。
「おれは、比呂美とデートしてみたいな……」
 すぐ、理恵子と比呂美は、ヒロシの顔を注視した。
 三人が作るトライアングルに変な色の空気が渦巻く。
「……あなた、なんてこというんですか!」
 半ば叱責するような理恵子の声に、ヒロシは、
「冗談さ、冗談」
といって笑い飛ばしながら、家の中に入っていった。
 このあと、しばらく理恵子の機嫌が悪かったのはいうまでもない。

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