ある日の比呂美17


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「うぃっす!」
電源の入っていない自動ドアを手で開けて、『あいちゃん』の店内に足を踏み入れると、そこに店主の姿は無かった。
代わりに調理場からこちらに仏頂面を向けてきたのは……
「俺の新車に傷、つけなかっただろうな」
野伏三代吉の恨みがこもった『視線』と言う名の槍が、鋭く全身を突き刺してくる。
(怒ってるなぁ。 まぁ当然か)
と内心呟きながら、開店準備に追われる三代吉を横目に、眞一郎は頭を掻きながらカウンター席に陣取った。
「あ~ ……悪ぃ、ハンドルがちょっと……」
「なにぃぃ!?」
学校に到着するとすぐ、眞一郎は自転車を校門脇に乗り捨てて、一目散に体育館へと疾走してしまった。
当然、スタンドを使って立て掛ける、などという気の利いた作業がなされる事も無かった訳で……
必然的に新品の自転車は随所に擦過傷を負い、無残な姿を『あいちゃん』の裏手に晒している。
「お・ま・え・なぁ~!!」
「だから悪かったって。今度、埋め合わせするからさ」
このとおり、と拝むようなポーズをとる眞一郎に呆れたのか、三代吉はそれ以上詰め寄ってくることはなかった。
「俺の計画がメチャメチャだぜ」
などと愚痴りながらも、三代吉は冷蔵庫からコーラを引き出し、慣れた手つきで栓を抜く。
冷えた瓶をドンと眞一郎の目の前に突き出すのと同時に、彼は別の詰問を始めた。
「で? 何だか知らないけど……間に合ったのかよ」
「! …………あぁ」
ニコッと笑みを返しながら、コイツはいつもこうだな、と眞一郎はあらためて思った。
……三代吉は……本当は自転車の傷なんか心配しちゃいない。
眉間にシワを作っていたのは、きっと自分の…………いや、自分と比呂美の心配をしていたからだ。
それでいて……入ってはいけない一線を自覚している気配りと優しさが……コイツにはある。
(さっきの比呂美と朋与の笑顔…… 見れたのは三代吉のお陰だよな)
…………とてもありがたい、頼もしいと感じる。
…………
「なんだよ、人の顔ジッと見て」
無言で視線を送る自分を『気持ち悪いヤツ』とでも思ったのだろうか?
拭き掃除をしていた三代吉の手が止まり、また憮然とした表情がこちらに向けられた。
「なんでもね~よ」と笑ってコーラを一気に煽り、口にするのは照れくさい感謝を、炭酸と共に押し戻す。
そして、しばらく二人で雑談に興じていると、二階につづく階段がトントンと軽快な音を立て始めた。
「あれ? 眞一郎、来てたんだ」
バンダナを頭に巻いた愛子が現れ、声を掛けてくるのと同時に、眞一郎もまた、片手を上げてそれに応える。
いつも通りの、何気ない受け答えに笑顔になる『接客仕様』の愛子。
……だったのだが、カウンター内でのんびりしている三代吉の姿を見つけた途端、彼女の顔色が変わった。
「三代吉!あんた何やってんのよ!」
「へ? 何って??」
「夕方から団体さんの予約入ってるって言ったでしょ!! 倉庫から材料運んどいてって昨日頼んだじゃない!!」
やべぇ!忘れてた!と叫ぶやいなや、エプロンを大慌てで外し始める三代吉。
ラブラブサイクリングは無理だったか、と内心で笑いを噛み殺しながら、眞一郎はその背中を呼び止めた。
…………やはり……言うべき事は、言うべき時に言わなければならない……と思う。
「……三代吉……サンキューな」
今日だけのことではない。
今までの分と、そしてこれからの分。
おそらく、一生掛かっても返しきることが出来ない三代吉の友情……
眞一郎は心の底から、何物にも代え難いその宝への感謝を、短い一言に込めて彼に送った。
何気ない言葉の中に自分の真意を汲み取ったのか、鼻を軽く擦って照れを隠し、「バカ野郎」と笑う親友。
その姿は、追い立てるように背中を押す愛子と共に、勝手口の向こうへと消えていった。
「さっさと行って来い! 三十分以内に帰ってくることッ!!」
「す、スイマセン、店長~」
間抜けな……でも、どこか温か味のあるやり取りが、視界の外から聞こえてくる。
眞一郎は三代吉に、胸中でもう一度「ありがとう」と呟いてから、戻ってきた愛子に視線を移した。
「ったく。出勤したら予定表を確認しろって言ってるのに。 ……で? 眞一郎はどうしたの?」
従業員の出来の悪さを嘆きつつ、店主は開店準備を引き継ぎながら話し掛けてくる。
「いや。 借りてたチャリを返しに来ただけなんだ」
そう短く告げて、カウンターに手をつき、腰を上げる。
他に用事は特に無いし、このあと比呂美と待ち合わせているので、のんびりもしていられない。
「それじゃ」と愛子に手を振ったところまでは良かったのだが……

    ぐぅ~

朝食以降、何も補給を受けていない胃袋がとうとう悲鳴を上げ、その叫びが愛子の耳に届いてしまった。
「何よ。 お昼食べてないの?」
「うん…まぁ…… 色々あってさ」
苦笑して去ろうとする眞一郎を呼び止め、愛子は鉄板に火を入れる。
完全に浮いていた腰を席に戻して数分待つと、香ばしい匂いを放つ今川焼きが三つ、眞一郎の前に差し出された。
「助かったよ。ホントは腹ペコでさ」
もう一本、追加されたコーラと共に、眞一郎は世界一の今川焼きで空腹を満たし始める。
愛ちゃんの焼くヤツは味が違うな、と世辞ではない世辞を口にしてみたが、愛子はまともに取り合ってはくれなかった。
…………
「ねぇ、眞一郎」
黙って開店作業を続けていた愛子が、突然、こちらに目を向け口を開く。
「ん? なに??」
口の中いっぱいに今川焼きとコーラを詰め込んだ眞一郎に向かって、愛子は驚愕の一言をサラリと言い放った。
「あんた、また女の子泣かせてきたでしょ?」
「ぶっ!!!」
いきなりの……しかも弱点を正確に撃ち抜くような愛子の一撃に、眞一郎は思わず口にしたコーラを噴き出してしまった。
汚いなぁと顔をしかめながら、愛子は手元の雑巾でカウンターと眞一郎の口元を拭く。
「ゴメン…………でも、なんで?」
表情で『その通りです』と白状しながらも、眞一郎はそう訊かずにはいられなかった。
魔法使いでも見るような視線を向ける自分に、愛子は「『お姉ちゃん』を舐めんなよ」と見得を切って笑う。
「あんた、『あの時』と同じ顔してるもん」
そうキッパリと断言し、愛子はカウンターの向こう側から、自分を見下ろしてくる。
…………腰に手を当てて、踏み台代わりのビールケースに仁王立ちしている愛子お姉ちゃん…………
…………あの時とはいつのことだろう……心当たりがありすぎて、どれか分からないな…………
『弱みを握られた弟』的な思考が、ショックで麻痺しかけた脳みその中をグルグルと巡る。
どんな返事をしたらいいのかと困っていると、愛子は満面の笑みのまま、拳骨を自分の脳天に落としてきた。
「いてっ!」
「まったく……アタシと乃絵ちゃんだけかと思ってたのに」
やれやれ、と呆れて肩をすくめ、「あんたはナチュラルに女を泣かせ過ぎ」と説教を垂れる愛子。
だが『お姉ちゃん』はそれ以上、事の次第を深く突っ込んで訊いてこようとはしなかった。
ただ一点だけ、「比呂美ちゃんは知ってるの?」と冗談の混じらない鋭い声で重要な事を問い詰めてくる。
「知ってる。 ……全部……知ってる」
真面目な質問に同じ真剣さで返答をすると、愛子は納得したらしく、「そう」とだけ呟いて話は打ち切られた。
…………
…………
「ごちそうさん。 んじゃ俺、行くわ」
開店の邪魔にならないようにと、再び席を立った眞一郎を、愛子はまた呼び止めた。
自分の分は三代吉が取り返してくれたからいいけど、と前置きしてから、彼女は静かに呟く。
「乃絵ちゃんと……その娘の涙は無駄にしちゃダメだからね」
その言葉の重さに胸が詰まり、声が出ない眞一郎に向かって、愛子は「分かったの!」と念を押す。
眞一郎は、はにかんだ笑顔で「うん」と頷くのが精一杯だった。
そして「ありがとう」という感謝の気持ちを、『照れ』というオブラートに包んで口にし、店を後にする。
「また、おいでね」と背中に告げてくる愛子の声…………
それが、比呂美の元へと向かう今の眞一郎にとっては、温かく、貴重で、かけがえの無い物に感じられた。

比呂美は、眞一郎と待ち合わせの約束をした海岸沿いの防波堤に腰掛け、ひとりで海を見ていた。
三代吉に自転車を返しに行った眞一郎と別れてから、もうかれこれ一時間になる。
『あいちゃん』からここまでは大した距離ではないので、てっきり先に来ていると思ったのだが……
(シャワーと着替え。食事まで済ませた私より遅いって、どうなのよ?)
そう胸の中で愚痴りながらも、比呂美は立腹しているわけではなかった。
……たまには一人で……海を見ながら静かに物事を考えるのも悪くない……そう思う。
朋与のこと…… さっき聞かされた『おばさん』とお母さんの再会のこと…… そして眞一郎のこと……
経験不足の自分の頭では、正確な回答を導き出せないのは承知しているが……
……それでも……少しでも……噛み砕いて、呑みこんで、自分の血にしなければならない。
そうしなければ、支えてくれる優しい人たちの想いに、一生報いる事が出来ないのではないか、と比呂美には思えた。
…………
…………
「!」
照りつける太陽の光と比呂美との間を何かが横切り、思索の海に潜っていた意識を、現実に引き戻す。
吸い寄せられるように視線を上向けた比呂美の瞳に映ったのは、空を舞う二羽の海鳥たちだった。
上昇気流に身を任せ、真上を旋回する姿…… それは自分とは無関係な存在であるはずなのに、何故か目が離せない。
「にゃあ」
そしてこれもまた、突然に左側から聞こえてくる猫の鳴き声。
いつの間にそこに現れたのか、見覚えのある小さなシルエットが、すぐ隣で空を見上げていた。
「ボー……ちゃん?」
呼び掛ける声に、また「にゃあ」と反応し、こちらに近づいてくる彼は、間違いなく朋与の飼い猫『ボー』だった。
「なにしてるの?」という比呂美の問いには当然答えず、腕に胴体を擦りつけて挨拶してから、再び離れていくボー。
忙しいから構ってやれないぞ、とでも言いたげに、ボーはまた空に……鳥たちに向かって鳴き始める。
…………何度も……何度も……空に向かって鳴き続けるボー…………
それは今朝、眞一郎の部屋で目にした絵本の世界の再現だった。
続きを……結末を教えてもらっていないストーリー……その答えがここにあるのではないか。
何故か訳もなくそう思え、比呂美はボーと海鳥たちの『会話』に意識を傾け、耳をすませた。
…………

        バサッ!

何度目かのボーの叫びに応え、海鳥たちが旋回を止めて舞い降りてくる。
ボーの頭上を掠める様に飛び、また大空へと舞い上がっていく鳥たち……その雄大な飛翔が目に焼きつく。
……それは決して威嚇などではなく、ボーの魂を、どこか別の場所に誘おうとしている様に、比呂美には見えた。
「にゃあ!」
ボーもそれを理解したのだろうか。 彼は鳥たちの軌跡を追うようにして、比呂美の側を離れ駆け出していく。
…………その先の待つ何か……誰かを求めて飛翔するように…………
…………

ボーの姿が視界から消えた時、比呂美は全ての答えを掴んだような気がした。
そして自分も、正体が分からない何かに促されるように立ち上がる。
全身に吹き付けてくる風を正面から受け止めて…… 両腕と両脚を一杯に拡げて……比呂美は思う。
(飛ぶんだ!!)
……『飛ぶ』…… それはあの石動乃絵が口にしていたフレーズ。
そして、言葉の中に込められた意味が……今の自分には良く分かる。
接点など無いと思っていた少女の想いが、眞一郎を通して、いつの間にか己の血肉になっているのを感じる。
……飛ぶ……みんな…いつか飛ぶ……
絵本の中のボーも、朋与も、『おばさん』も、……そしてたぶん、石動乃絵も……
…………自分の道をみつけて、羽ばたいていく………… ……そして……
(私も飛ぶ! 私のみつけた空を!!)
それはみんながくれた空。 眞一郎の空。 どこまでもつづく蒼の中を、自分は彼と二人で羽ばたきたい!
…………
…………
洗いたての髪を潮風に泳がせながら、比呂美は防波堤の上で心と身体をいっぱいに開放する。
ようやく現れた眞一郎がその後ろ姿に引き込まれ、立ち尽くしている事にも、しばらく気づくことはなかった。

「飛べそうか?」
後ろから掛けられた声に、比呂美はハッと肩越しに振り向いた。
いつからそこにいたのか……眞一郎の笑顔が、少し離れた場所からこちらを見ている。
「…………」
「……なんか言えよ」
口走ってしまったポエムっぽい質問に返答がもらえず、眞一郎は困ったような表情を作った。
だが比呂美の顔は、眞一郎と同じ透明な笑顔を反射するだけで、すぐにまた海へと向き直ってしまう。
視線を風に戻し、無言で世界に向き合う自分の背中を、比呂美は眞一郎への答えにした。
(……感じて……眞一郎くん)
…………
…………
今の自分の所作を目にして、『飛ぶ』という単語を連想した眞一郎……
視界の外にいる彼は、きっと石動乃絵を思い出しているに違いない……
……朋与のことも、思い出しているに違いない……
(石動乃絵と黒部朋与が、仲上眞一郎の中にいる。大事な何かを…形作っている……)
かつてはそう考えるたびに、胸の奥に黒い炎が燃え上がり、嫉妬で身を狂わせていた。
自分に出来ないことを眞一郎にしてやれる……彼女たちが憎かった。
でも、今は違う。
あなたの涙は奇麗だ、と言ってくれた石動乃絵の想い……
眞一郎を包んであげて、と言ってくれた黒部朋与の想い……
そのどちらもが、身体の奥底に根を張っているのが、ハッキリと分かるから。
……あの頃の『湯浅比呂美』は、もういない……
眞一郎と同じように、彼女たちと接することで、自分は変わった……飛ぶことができた。
二人の想いを受け入れて、力に出来た今、不の感情が心を支配することは……もう無い。
…………そして…………
風に向かう自分の背中を見つめてくれる眞一郎は……その事を全てを理解してくれている……
……自分の……湯浅比呂美の全てを…………
…………
…………
比呂美は広げていた手足を畳むと、振り向いて防波堤から飛び降りた。
視線を絡ませてくる眞一郎の前に立ち、「わかった?」と悪戯っぽく小首をかしげて笑ってみる。
「……うん」
口中で小さくそう言った眞一郎は、比呂美の示した答えに満足しているようだった。
感極まった様子の眞一郎に、「帰ろう」と呟き、ひとり歩き出す比呂美。
「あ……待てよ、比呂美」
背後から呼び止めるその声には、聞こえないフリをする。
そして比呂美は、記憶の底に沈んでいた、ある唄を歌い始めた。

♪す~ぐそこ~にアブラムシ~♪
        ♪眞一郎~の靴~の底にもアブラムシ~♪

後ろをついてくる眞一郎……その心が震えるのを明確に感じるが気にしない。
……蒼天に向けて口ずさまれる……うろ覚えのメロディ……
何も含むところはない。 それは眞一郎にも分かっていると思う。
ただ……今はこの唄を……彼女の唄を歌いたい。
そんな気分だった。
…………
眞一郎を子分のように引き連れ、比呂美は防波堤沿いの道を晴れ晴れとした顔で、歌いながら進んでいく。
(……気持ちいい……)
石動乃絵もこんな気持ちだったのだろうかと思い、声のトーンを上げたその時、後方から突然に爆笑が巻き起こった。
「ぷぷっ……ぶはははははははは!!」
響き渡る笑い声に心の高揚をかき消され、比呂美の眉間にシワが刻まれる。
振り返ってみると、眞一郎が緩んだ目元に薄っすらと涙を浮かべながら、呼吸困難に陥ったかのように身悶えていた。
「な、なによ!」
「くく……わ、悪ぃ……。 でもお前……唄だけはヘタクソだよな……ププッ……」
何とか押さえ込もうとして叶わず、眞一郎はまた大口を開けて笑い出す。
比呂美は顔を真っ赤に紅潮させながら、腹筋に手を添えて苦しむ眞一郎を置き去りにして再び歩き出した。
(ホントにもうっ! 空気読めないのは直らないんだからっ!!)
唄が下手なのは、言われなくても自覚している。
麦端高校で完璧少女の名を欲しいままにしている自分の、唯一の弱点が『コレ』だった。
(歌手になりたいわけじゃないんだから、別にいいじゃない!)
そう。 なりたいモノは他にある。
……湯浅比呂美がなりたいモノは、眞一郎の……仲上眞一郎の…………
…………
脳天から怒気という湯気を発散しながら、思考が別の結論へとスライドしかけた時だった。
「その唄、まだ一節つづきがあるんだぜ」
もう笑っていない眞一郎の声が、耳朶の裏に響く。
それがどうしたのよ、と声を荒らげながら比呂美が脚を止めるのと同時に、眞一郎の喉が高らかに鳴った。

    「♪眞一郎~の心の底に……『湯浅比呂美』!!♪」

町じゅうに聞こえるような大声で叫ばれたそれは、先程とは全く逆の意味で、比呂美の顔を耳まで赤く染める。
「……な……」
感激と羞恥にまみれて声が出ない比呂美の真横まで、眞一郎は一気に距離を詰めてきた。
そして勢いに任せて手を取り、指をしっかり絡めると、比呂美の身体を引っ張るようにして、眞一郎は歩き出す。
……繋いだ手から……指先から……眞一郎の想いが、熱に形を変えて伝わってくる……
比呂美は自分と同じ様に、頬を赤らめている眞一郎の横顔を眼に焼き付けながら、握る手の平に力を込めた。
眞一郎がそれに反応し、視線をこちらに寄こす。
「今朝の絵本の…つづきだけどさぁ……」
そう言いかける眞一郎の言葉を、比呂美は首を横に振ることで止めた。
結末はもう知っている。 眞一郎の描きたい物語なら……ちゃんと分かっている……
瞳の光で紡いだ想いは、眞一郎の心に届いたらしい。
黙って頷き、話を途中で打ち切ると、仲上の家へ向かう歩速を少しだけ早める眞一郎。
比呂美は恋人に歩くスピードを合わせながら、帰路の先で待っている家族の顔を思い浮かべた。
今日は着物の着付けレッスンのあと、新しい料理の作り方を教わる約束をしている。
《今夜は…… そうね。ブリ大根にしましょう》
今朝、『おばさん』が嬉しそうに言った言葉…… それが頭に浮かび、比呂美は顔をほころばせた。
「?? 何だ?」
「ううん、何でも。 おばさん、気が早いなぁ~って」
不思議そうな顔で見つめてくる眞一郎を横において、比呂美は『ブリ大根』が持つ意味を考える。
(あ……そういえば……)
……女の子がお嫁に行く時、ブリ大根を食べると幸せになれる…………
幼い頃、この地方特有の素敵な風習を教えてくれたのは、確か母だったなと、比呂美は懐かしく思い出していた。

                [おわり]
ツールボックス

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