あさみさんの平穏な休日

「ふぁ~、……今何時?」
 目を覚ましたあさみが時計に目をやると、正午まで後十分といった所だった。
「もう少し寝てたかったな……」
 そう言いながら身体を起こす。
 部屋を出て台所に出ると兄が台所に立っていた。
「おはよう」
「早くないぞ。何時だと思ってるんだよ」
「十一時五〇分」
「よろしい」
 そう言うとまた下を向いてフライパンでパンを焼き始める。
「あたしにも朝ごはん」
「僕が作ってるのは昼ごはんだ」
 そう言いながら生クリームを冷蔵庫から出し、泡立て器で攪拌する。
「待ってな。すぐ絹の分も作ってやるから」
「名前呼ぶの禁止!」
 すかさずあさみが兄に指摘する。
「じゃあなんて呼べばいいんだ、妹よ」
「シルクのしーちゃん」
「馬鹿」
 焼き上がったフレンチトーストを皿に乗せ、ホイップしたクリームを乗せると、あさみ
に差し出した。
「はい、お待たせ」
「お兄ちゃんは?」
「順番が変わるだけだ。今から焼く」
「ふうん、じゃ、いただきまーす」
 遠慮なくかぶりつく。
「うん、おいし」
「これくらいは自分で作れるようになれ」
「お兄ちゃんが家出て行ったら考える」
「出て行ってからじゃ遅いだろ……」
 兄は自分のフレンチトーストを完成させると、シナモンをふりかけてテーブルに置き、
いすに座った。コーヒーを注いであさみに渡し、自分のカップにも注ぐ。
「ところで昨日、夜中に凄い音がしてたがあれはなんだ?」
「あ、あれ?あれは寝る場所確保してたの」
「……寝る場所?」
「ベッドの上お洋服で一杯になっちゃってぇ、平らな所探して場所広げてたら雑誌の山が
崩れちゃってさあ」
 まいったなあ、とあさみが明るく笑う。
「なあんだ、そうか、あはは……て笑えるか!」
「うぇ」
「掃除しろ、掃除」
「また今度」
「今度っていつ?」
「あたしの気が向いた時」
 少なくともこの半年一度も気が向いていないから部屋が寝る場所もなくなっているわけ
だが、その事実は無視している。
「今日向け今向けすぐ向け」
「ごちそうさま~」
 フレンチトーストを食べ終わったあさみはさっさと自分の部屋に戻る。慎重に足場を選
びながらベッドに辿り着き、積み上げられた服の中からブラウスとスカートを選び、着替
えた。脱いだパジャマは適当に放り投げている。
 あさみは部屋の中をぐるりと見渡した。半年分の少女漫画誌、三か月分のファッション
誌、CDにDVD、その他正体不明の物体がそこかしこにまとめて置かれていた。もっと
も、第三者の目を通せば、これは無秩序な散乱と言うかもしれない。
「まだ平気かな」
 あさみはそう結論付け、外へ遊びに出た。



「あ、朋与、こっちこっちぃ~」
 朋与の姿を見つけたあさみは手を大きく振りながら近づいた。
 家にいても退屈なので外に出たのはいいが、本屋で一時間も立ち読みしているともう飽
きてしまい、これは誰かを誘うしかないと朋与に電話をかけたのである。
「ごめんね、急に電話かけちゃって」
「ああ、ま、あたしも暇だったし」
「で、どこ行こうか?」
「……誘っておいてノープラン?」
「朋与ならどこか知ってると思って」
「うーん、そ・れ・じゃあ……新しく出来たカレー屋に行こう。開店記念で大盛が三百円
引きだって言ってた」
「あたし、大盛なんて食べられないよ」
「大丈夫、並盛も百円引きだから」
「あんまりお得じゃない!」
「その分福神漬けたくさん食べて取り返せばいいじゃない」
「そんなもんで取り返したくない」
「うるさいわねー、じゃあ何が食べたいのよ?」
「あたしは『食べたい』じゃなくて『遊びたい』の」
「なんだ、先にそう言ってよ」
 発端である電話の内容はきれいに忘れ去っていた。
「じゃあ、カラオケでも行く?」
「それが一番かな」
 カラオケボックスもそれほど多くはないが、考えてみれば後はウィンドウショッピング
くらいしかすることもない。
「じゃ、他に誰か誘おうか」
「そうね、誰か空いてる人呼ぼう」
――しかし、そう都合よくは進まなかった。美紀子は既に外出中、真由は家の手伝い、女
バスの面々もそれぞれに用事があり、今から遊ぶのは無理との事だった。
「やっぱり急に電話しても駄目かなあ」
「あと連絡してないのは?」
「あとは……比呂美とか」
 言いながらあさみは絶望的な気分になった。朋与も同意見らしい。
「比呂美誘ったらもれなく仲上君が付いてくるわよ、しかも新婚さんモードの」
「て言うか、邪魔するなって怒られそう……」
 二人のリストから比呂美の名前が削除された。
「仕方ない、二人で騒ごうか」
「他にいないもんね」
 二人で歩き出すと、前方に見覚えのある人影を発見した。坊主頭の、小柄な少年であっ
た。
「あ、あれ」
 あさみが指さすと、朋与も誰だかわかったようだった。
「あ、あれ仲上君家の丁稚君じゃない、おーい」
「と、朋与、あの人多分あたし達より年上だよ」
 あさみが朋与の袖を引っ張る。しかし朋与は気にした様子もなく
「丁稚君誘ってみようよ。どんな歌歌うか見てみたいわ。おーい」
 少年もあさみたちに気が付いた。とことこと二人に歩いてくる。
「あさみさん、黒部さん、どうもっス」
「こんにちわ~」
「どうしたの、お使い?」
「いえ、髪が伸びてきたんで、切りに行ってきたっス」
 そう言って彼は自分の頭を撫で回す。いつ見ても同じイガグリ頭だと思っていたが、本
人なりには譲れない長さへのこだわりがあるのだろう。それ以上考えない事にした。
「じゃあ、今日はお休みなんですか?」
「ええ、そうっスけど?」
「じゃ、あたし達と一緒にカラオケ行かない?二人じゃさすがに味気なくってさあ」
「俺っスか?…………俺は構わないっスけど、最近の歌知らないっスよ」
「大丈夫、大丈夫、じゃ、行きましょ」
 かくして、非常に珍しい取り合わせの三人は、カラオケボックスに連れ立ったのであっ
た。



「涙には 幾つもの 想い出がある~ 心にも 幾つかの 傷もある~」
 酒蔵の少年が熱唱していた。
 吉幾三を。
 あさみが朋与をつついた。
「朋与、最近の歌っていうか、これ……」
「そういうレベルの話じゃないわよね……」
 朋与も苦笑するしかない。
 三人でカラオケに入り、最初の二十分は「朋与リサイタル」であった。最新のナンバー
を四曲立て続けにリクエストし、その後あさみと朋与で二曲づつ歌い、その間少年は飲み
食いしながら合いの手を入れていたが、朋与に
「そろそろ何歌うか決まった?」
 と振られ、選んだ曲が〝これ〟だった。
「こんなのしか知らないのかな?」
 あさみの疑問は素朴だか的確だった。
「きっと職場の平均年齢が高いからこうなっちゃったんだよ」
 朋与はいささか同情的だ。あさみは一瞬、眞一郎の渋い父親が演歌を熱唱する姿を想像
し、ちょっと幻滅した。
 というような事をしていると、少年が歌い終わった。
「おー、いいぞいいぞー」
 それまでとはくるりと態度を変え、朋与が愛想よく出迎える。
「こんな曲しか歌えなくて恥ずかしいっス」
「そ、そんなことないよ、とってもよかったよ」
 あさみがフォローを入れる。実際、歌そのものは下手ではない。
「酒造りの職人が『酒よ』を歌う。これ以上の選曲はないね」
 朋与が褒めてるのか馬鹿にしてるのか微妙な事を言った。もちろん、本人は褒めている
つもりである。
 幸いにして、酒蔵の少年は人の言葉の裏など深読みしない純真な心の持ち主であった。
彼は安心したように相好を崩し、
「よかった、これが駄目だったら歌える歌がなくなってたっス」
 あさみの中ではギリギリアウトだったのだが、黙っている事にした。
「よし、ここであたしがもう一曲」
 朋与が再びマイクを持って前に出る。少年はジュースを一気に呷っていた。
「前からああいう歌が好きだったんですか?」
 あさみが少年に訊いた。何せ接点がない二人である。おまけに少年からはほとんど話し
かけないのだから、あさみが話題を見つけるしかない。
「歌は全然興味なかったっス。社長のところにお世話になって、それで付き合いで教えて
もらったっス」
「仲上君のお父さんから?」
「いえ、古株の先輩っス」
 ふ~ん、と、あさみはもっともらしく頷いて見せた。今の会話でわかった事など何一つ
ないが、まるで興味のない顔をするのも悪い気がする。
 次の話題を、とあさみが探していると、ドアが開いてピザが運ばれてきた。
「あ、来た来た。それ、あたし」
 歌い終わった朋与が即かぶりつく。
「朋与、あれだけ歌いまくっていつの間に注文したの?て言うか食べすぎでしょこれ」
「気にしない。歌で消費できるから」
 根拠不明な自信を見せて平然と食べ続ける。
「ね、次デュエットしない?何か歌える曲ある?」
 まさか銀恋とか言わないでよね、と思いつつあさみが提案する。
 少年は暫く考えた後、こう答えた。
「『二人の愛ランド』なら歌えるっス!」



 カラオケボックスを出ると、少年は
「戻って部屋の掃除でもするっス」
 と言って別れた。残された二人は町をぶらついていた。朋与は
「あ、ここのたこ焼きおいしいのよ。ちょっと買ってくるね」
 とか、
「この前新聞で紹介されてたパン屋だわ。家に買って帰ろ」
 など、もっぱら食べる事に余念がない。
 決してファッションに興味がないわけではなく、その長身も相俟って何を着ても映える
少女なのだが、いかんせん食欲が勝りすぎる。来年部活をやめたら一気に『来る』のでは
ないだろうか。
「大丈夫よ、やめたら食べないから」
「そんな事言って~。比呂美を見てみな。普段から油こい物を食べないように気を使って
るから」
「比呂美は現在進行形でスタイルを維持する必要があるでしょ?」
 意味ありげな含み笑いをしながら朋与が答える。あさみはその意味する所を了解して、
顔を赤くする。
「も~、朋与!」
「おやぁ?何を赤くなってるのかなあさみさん?」
 意地悪く笑いながらソフトクリームの最後のコーンを平らげる朋与。突然、
「あ、あさみ、見て、見て!」
 と指差した。指差した先にはラーメン屋の看板――いや、「二十分完食で三千円」の張
り紙が。
「…………また?」
「挑戦ある限り受け続ける。それが私の宿命(さだめ)なのよ」
「なんでちょっと格好よく言ってるの?て言うか挑戦するの店じゃないから。朋与だから」
 あさみの指摘は一切耳に入らず、朋与はラーメン屋に挑んでいった。



「ただいま」
 夕方になってあさみは帰ってきた。あさみの兄はまたも台所に立っていた。
「お帰り」
「お母さん、まだ帰ってこないの?」
「もうじき帰るって、さっき電話があった。すぐ夕食なら出来るから、食いたいなら軽い
ものにしておけ」
「……いい、食べる気しない」
 兄は顔を上げた。
「どうかしたのか?」
「胃って食べ物を見るだけでもたれるのね……」
 彼女の兄は意味が判っていなかったが、間違いなく深く考える事ではないだろうと判断
した。
「コーヒー飲むか?」
「紅茶がいい」
「わかった。待ってろ」
 やかんを乗せて湯を沸かしている間、兄は魚の鱗を器用に取っていた。
「今日のおかず、何?」
「イシモチのアクア・パッツァだ。これならそんなにもたれないぞ」
「オリーブ多めにして」
「了解した」
「あと、ご飯じゃなくパンで食べたい」
「用意してある」
「何か手伝う事ある?」
「部屋の片付けを是非頼む」
「却下」
「Gが出そうで嫌なんだよ」
「出たらあたしが片っ端から殺ってあげるから」
「物騒すぎる言い方やめろ」
 兄が妹をたしなめ、それから
「で?外は楽しかったか?」
 と訊いた。
「う~ん、いつもと変わんないかなあ。平穏無事ってやつ?」
 妹はそう答えた。

                     了



ノート
「あさみ」を名ではなく、姓にしたのは、眞一郎や三代吉に名前を呼ばれる可能性を考えての苦肉の策です。
元々モブの中では人気のあったあさみは真由や美紀子より朋与たちに絡ませる事は決定していて、当然、作中で眞一郎や三代吉に名前を呼ばれる可能性も高いと思いました。
しかし、眞一郎も三代吉も、特に親しくもない女子を下の名前で呼ぶのは考えにくいし、だからと言ってこちらで考えた姓で呼んでしまうとあさみっぽくないしで、どうしようかと考えた時、「あさみ」を「浅海」という姓にしてしまえばいいやと居直りました。
で、逆に女子からも「あさみ」と呼ばれる理由として、名前が気に入らないから、という理由をこじつけ、麻からの連想で「絹」という少し年寄りぽい名前をつけてみました。
ttのヒロインは総じて家庭的なことが一通り出来るので、あさみは逆に何にも出来ない、かわいいだけで世の中を渡っていってしまう女の子として設定しています。
実際、兄はごちゃごちゃ言いながら、妹にフレンチトーストを先に渡し、コーヒーも先に注いであげるなど、4番に劣らぬシスコンぷりを発揮しています。知らないうちにモテテいるタイプです。

酒蔵の少年については、あえて付け加えないようにしています。比呂美達と変わらない年頃(一歳上で書いています)で住み込みで杜氏の修行というのは現代ではかなり特殊な事例だと思いますし、掘り下げれば掘り下げられるとは思うのですが、家庭事情等背負わせていくと、彼の澄んだ瞳に別の色が混じってしまいそうな気がします。やはり彼は地べたと並ぶttの良心として純真な存在でいて欲しいなあと思っています。

本当はこの話、モブキャラスレの保守に書いていたものです。書いてるうちにスレが落ちてしまって……ははは。

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最終更新:2008年11月02日 01:35
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