ある日の比呂美・台風編6


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「…え……」
「だいじょうぶ。 ひろみちゃんには、ぼくがついてる」
聞き覚えのある…それでいて、とても懐かしいセリフが耳元で響く。
そうだ……昔……子供だったころ、自分は同じ言葉を確かに聞いた。
一緒に仲上の家に遊びに来た両親が、所用で先に帰宅してしまい、比呂美一人で夜を過ごす事となった…あの日。
台風が来るから一緒に寝ましょうと言ってくれたおばさんの気遣いを、生意気にも断った嵐の夜……
結局自分は、《世界の終わり》のような風の音に耐えられず、眞一郎に助けを求めたのだった。
『……こわいの……いっしょにねていい? しんいちろうくん』
べそをかきながら枕元に立つ自分を、眞一郎は今のセリフと共に迎え入れてくれた。
同じように……抱きしめてくれた…………
…………

「あのさ…… 反省、してるから」
比呂美の震えが治まるのを確認してから、眞一郎が謝罪の言葉を口にする。
先程までのことは、もうどうでもよくなっていた比呂美だったが、一応、眞一郎に合わせて意地悪を言ってみることにした。
「……なにが?」
「なにが?って…………全部、さ」
話を聞かずに携帯を切ったこと。 嵐の中に飛び出し、危険に身を晒したこと。 エッチな想像したこと。
今夜の罪状を、眞一郎は思いつく限りに羅列していく。
「えっと~ あとは……」
「あとは?」
男臭い胸元に鼻柱を擦りつけながら、比呂美は更に追い討ちをかけ、次の謝罪を促した。
そう…… まだ一番大事なことを謝ってもらっていない。
「…………」
「ん?」
ふと視線を感じ、埋めていた顔を上げてみると、じっとこちらを見つめる眞一郎と目が合った。
少し照れが混じっていた表情が、真摯なものへと変化していき、次の瞬間、唇から比呂美の求めていた言葉が生み出される。
「お前に…比呂美に、凄く心配かけたこと」
語尾に《か?》も《かな?》も付いてはいなかった。
これが今夜一番の失敗だと、眞一郎ははっきりと自覚したようである。
比呂美は胸の奥が充足感に満たされ、じんわりと身体の芯が温まっていくのを感じた。
さすが眞一郎だ。 私の一番大切な人だ…… と改めて思う。
顔全体を更に強く胸板に埋めながら呟いた「許す」という言葉は、眞一郎に届いただろうか?
抱きしめる力が少しだけ強まったことが、その返答である気もしたが、比呂美には判別がつかなかった。

時間にして数分、抱擁を交わしてから、ふたりは再び布団に横たわった。
今度は背中合わせではなく、顔と顔を向き合わせる形で。
「いろいろ悪かったけどさ、やっぱり来て良かったよ」
くしゃっと崩れた眞一郎の笑顔は能天気そのものだったが、もう怒りの感情は湧いてこなかった。
胸にあるのは愛おしさ…… そして感謝の念だ。
「…………ありがと」
「え? なんだ??」
声帯を震わせずに発した比呂美の囁きを聞き逃し、眞一郎は思わず問い返した。
だが比呂美は答えることなく、両手の指を眞一郎のそれに絡ませて、瞼を閉じてしまう。
「なぁ、今なんて言った?」
眞一郎は何度か問い掛けを繰り返したが、比呂美に答える気がないのを察したらしい。
詰問はすぐにやみ、暫くすると、穏やかな寝息がそれに取って代わった。
薄目を開けてみると、もうすでに深い眠りの底へと落ちた眞一郎の寝顔が見える。
「ふふ。 おやすみ、眞一郎くん」
比呂美はそう呟くと、再び目を閉じて、眞一郎の後を追った。
風の音も雷鳴も消えてはいなかったが、もう怖くはない。
《眞一郎がいる》という確かな感触だけが比呂美の全身を支配し、心地よい眠りの底へと、その意識を引き込んでいった。

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