愛妻弁当パニック

愛妻弁当パニック

朝4:30。比呂美の朝はいつもより早い。
理由がある。学校に持っていく弁当を作るため。今日は気合が違った。
"勝負弁当"が必要になったからだ。ある日、学校でこんなことが…

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「付き合いだしてから、どのくらい?」
「あっ、もうそんなになる?早いもんだねー」
「さすがにクラスも慣れてきたよねー」
「過剰なイチャイチャが減ってきたし」
「まぁ、その分、ねぇ?」
「あらイヤだ。どういうことかしら?」
「だって、ほら、家に帰れば…」
「ふ、二人きりに!!!!」
「そう!そして若い二人は…」
「イヤっ!」
「ダメっ!」
「ヤメテっ!」
「もう!やめてよぉー」
いい所まで聞いてから笑顔でツッコミを入れる比呂美に、味方はいない。
「ま、それはともかく…」
冷静な朋与は話し始めた。
「…どーなの?最近は」
「え?何が?」
「何かイベントあった?」
「イベント?」
「そう、何かしてあげた?」
「!」
「って!そっちじゃない!」
「あ、朋与まで、と思っちゃった、ごめん」
「はぁ、周りに惑わされないようにね」
「そうだね。で、何?イベントって」
「いかにも付き合い始めっていうヤツ?」
「?、わかんない」
「まあ、別にその前でもなぁ、お弁当とかはフツーかぁ。ん?」
「…」
「どしたの?」
「まだ、だった」
「何が?」
「まだ…だった…、手作り弁当…」(ゴゴゴゴゴゴゴ)
決意に燃える比呂美を見て、朋与は少し不安になった。そして的中する。

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毎朝のことだが、二人は仲良く手を繋いで登校する。
「んっ♪ふふふっ♪」
「あれ?上機嫌だなぁ、どうした?」
「ふんっ♪ふふっふーっ♪」
「…」
聞いていない、比呂美は全く聞いていない。何かとても楽しい想像をしてい
るようで、眞一郎の声さえ耳に入っていない。鼻歌を歌いながら繋いだ手を
動かし、小躍りで歩いている。眞一郎としては比呂美が楽しそうにしている
のは自分も楽しくなる、特に問い正すことなく登校した。
それが間違いだった…この時点で釘をさしておくべきだったのだ…

学校に着いてからの比呂美は少し変だった。いつもよりテンションが高く、
何をしても元気が良いので、周囲はちょっと何かイヤな予感がしていた。
お昼休み。当然のように最も早い動きを見せたのは比呂美。
「眞一郎くんっ♪お弁当っ♪食べようっ♪」
「!!!」
( ( (いつもと全然違う…) ) )
クラス全員は一瞬何が起こったのかわからなかった。

比呂美はさすがに毎日お昼ごはんまでも一緒に食べない。ほとんど朋与や友
人たちと食べている。比呂美から誘うことはなかったのだ、しかも堂々と。
今までは…
「えっ!?今日は何か買って食べろって、言ってたよな?」
眞一郎はちょっと驚いた。自分の弁当が用意されていなく、そのように比呂
美から言われていたのだ。
「ん?あるよぉ♪お・べ・ん・と・うっ♪」
変なテンションの比呂美が大きい包みを示している、満面の笑顔。
「いや、でも…ここで?」
席に近づいてから確認してみる、外は雪が積もっているので、皆教室で食べ
ているから、ここで一緒に、ということらしい。
「そぉだよぉ♪はいっ♪ここに座ってっ♪座ってーっ♪」
比呂美のテンションについては、これ以降特に述べません。あえて例えるな
ら、キャピキャピしています、かなりの上機嫌を3倍増しで。眞一郎はクラ
ス全員の注目浴びながら、大人しく"比呂美の横"に座る。椅子は殆どくっつ
いていた。

比呂美は気にしていない。というより、眞一郎しか見えていない…
「はーいっ♪じゃ~~ん♪」
肩を少しすくめ、両手を広げて机の上のお弁当を見せる比呂美。すごい量だ。
軽く3人分はある。
( ( (愛妻弁当かよ!しかもっ!クラス全員の前で!) ) )
皆は心の中で叫ぶしかなかった。とても注意できる状態ではない。
「え!こんなに!?」
「うんっ♪たぁくっさん♪食べてねぇ♪」
「でも…、これ…、すごい量だよ」
「イヤなのぉ…?」
比呂美はしゅ~んとして、右手の人差し指を口にもっていき、ちょっと悲し
そうな上目遣い、頬を染め、大きな瞳は瞬きを繰り返す。
「あ、いや、そんなことではなくて…」
「ほんとっ?♪じゃ~あ♪食べよ~♪」
元の変なテンションに復帰する。
「…」
「あれぇ~?♪お箸が一組しか入ってなぁ~い♪」
「…」
「ど~うしよ~う♪」
「…」
眞一郎もさすがに不安を感じる、キャピキャピ・モード3倍の比呂美に…
「ど~う♪しよ~う♪かなぁ♪」
(君は…こんなにキャピキャピしてた?…)
「こまっ♪ちゃっ♪たなぁ~♪」
「…」
すごく楽しそうに困られてもどうにも反応できない、ちょっと踊ってるし。
「ねぇっ♪ねぇっ♪しんいちろうくんっ♪」
(君は…僕の知っている君じゃない…)
「しんいちろうくんっ♪ってばぁ♪」
袖をくいくい引っ張られる。仕方が無いのでそっちを見る。
「ごめんねぇ?♪しんいちろうくんっ♪おはしがいっこしかないのぉ~♪」
「!」
顔を覗き込まれて、その笑顔に驚いた。にこぱっ☆である。
(ぜ、全然、困ってない。というか何でそんなにうれしいんだよ…)
「あのねっ♪あのねっ♪じゃ~あ~♪いっしょにっ~♪たべよっ?♪」
(一緒?)
状況を飲み込めない、誰も比呂美を止めるものはいない、絶賛暴走中。
「あ…あの…えとっ…」
一変して、今度は控えめモードでいじらしい仕草。
「あ………あ……あ…あ~~~~ん☆」
(マジで!?)
この時の状態を詳細に記します、なるべく正確に。
    比呂美は眞一郎の右側、
    膝をきちんとそろえ、
    左手を胸の真ん中に持っていき、
    右手で箸を使って眞一郎へおかずを差し出し、
    しかし、恥ずかしいのか顔は眞一郎から背け、
    きゅっと目を瞑り、
    ぷるぷる、とおかずが宙で震えている。
以下、この状態を"あ~ん"と記述します。
「あ…あ~~~ん☆」
(やるの!?)
クラス全員の視線なんて、比呂美にはわからない。"あ~ん"に全ての注意が
いってしまっているようだ。
「あ~~ん☆」
(本当にやるのか!?)
ちらっと、周囲に視線を配ってみる眞一郎。全員が「食ってやれ!」と目で
叫んでいる。
(マジでっ!?今!?ここで!?家でもやったことないんだぞっ!)
完全に守備モードの眞一郎、しかし、味方は一人もいない…
「あ~ん☆」
(あ、ちょっと不機嫌だ…、いくしかないのか…、おれ…おれ…)
がんばれ、眞一郎!

ぱくっ。心が折れた瞬間。
「!」
おかずが食べられたことを悟り、にこぱっ☆は目を見開いた。
「んぐんぐ」
咀嚼していると、にこぱっ☆は振り返り顔を覗き込んでくる。
「どおっ♪どおっ♪どおっ♪どおっ♪おいし?♪」
一言一言発音する度に、にこぱっ☆は小躍りして上下している。
「う…うん、おいしい…」
「ほんとっ?♪ほんとっ?♪やった~あ♪よしっ♪」
にこぱっ☆が小さく可愛いガッツポーズをする。
(も、もう、いいよな?)
ほっとした眞一郎にコンボが炸裂する。
「あ…あ~~~ん☆」
(また!?)
にこぱっ☆は、また"あ~ん"している。
ここで、もう一度眞一郎はクラスの確認を取る。「勝手にしろ!」なそうな
ので、諦めるしかない。
ぱくっ。心が砕けた瞬間。
「!」
にこぱっ☆は振り向く。
「んぐんぐ」
今度は、にこぱっ☆が顔を覗き込んで咀嚼を見つめる。
「お~い~し~ね~?♪」
眞一郎がうまそうに食べるのを見て、にこぱっ☆は上機嫌。
「こっ♪んっ♪どっ♪はっ♪どっ♪れっ♪かっ♪な~っ?♪」
にこぱっ☆は次に食べさせるおかずをうきうきと探している様子。眞一郎は
このチャンスを生かすことにした。
「比呂美も食べたら?」
にこぱっ☆がうれしそうに振り向いた。
「ええっ?♪しんいちろうくんが♪たべさせてくれるの?♪」
「は?」
「たべさせてくれるんでしょ?♪」
「た、食べさせる?」
「うんっ♪しんいちろうくんが♪わたしに♪」
「…」
にこぱっ☆は予想外の提案をしてくる。そして、眞一郎の逡巡を突く。
「はいっ♪」
にこぱっ☆は両手で箸を持ち、可愛いポーズで差し出してくる。
「はいっ♪」
眞一郎は怖くなったので、視線でクラスに確認を取る。「やれるもんなら、
ヤッテミロ!」だそうだ。これはいくらなんでも…
「はいっ♪」
にこぱっ☆は全然諦めない。
箸を受け取る。大切な何かが失われた瞬間。
「わぁ~いっ♪」
にこぱっ☆は小躍りで、わくわくしているようだ。眞一郎はがっくり。
「た♪べ♪さ♪せ♪て♪あ~ん♪」
眞一郎がおかずを取った時、にこぱっ☆は待ち構えていたように口をあける。
その姿勢はこうだった。
    比呂美は眞一郎の右側、
    眞一郎の方を向いたので膝がぶつかり、
    腿はほとんど密着、
    膝をきちんとそろえ、
    その上に両手をきゅっと握って置き、
    背筋を伸ばして、
    ちょっとあごを突き出し、
    口をあけ、
    目を瞑って待っている。
にこぱっ☆は、どきどき♪わくわく♪と聞こえてきそうな体の動き。
眞一郎には選択肢がない。クラスに確認することも不可能。退路はない。
誰も彼を助けない。誰も…
そっと、にこぱっ☆口の中におかずを入れる。にこぱっ☆が咀嚼し、
「ん~ん♪しんいちろうくんがたべさせてくれると♪おいし~い♪」
両手を赤く染めた頬に添えて、にこぱっ☆はご満悦である。
眞一郎としても幸福な時間のはず…

       「「「「いいかげんにしろっ!」」」」

その時、クラス全員が、教室が吼えた。
「こんどはっ?♪あ~ん♪するっ?♪そ・れ・と・も♪…」
にこぱっ☆には聞こえていない。そう、にこぱっ☆には眞一郎とお弁当しか
目に入っていない。声も眞一郎の声しか聞こえない。楽しそうに次のことを
考えながら、眞一郎とお弁当を見比べている。完全に壊れている比呂美。

眞一郎はそうはいかなかった。箸を受け取った瞬間から、怒気を全身に感じ、
冷や汗を全身から吹き出していた。にこぱっ☆のようにはいかないのだ。
そう、にこぱっ☆が楽しそうにしている間、眞一郎から色んなものが失われ
ている間、クラスメイト達は一口も食べていないのだ。空腹の上にイチャイ
チャなんて表現では済まされない二人を見せ付けられ、怒り?何?それ?ぐ
らいの感情が渦巻いていたのだ。しかも、20分間。
健康な高校生が長時間昼食を妨げられ、イチャイチャを見せられ、もうどう
にもならないくらい、どうにもならないのだ。もう一度咆哮があがる。

       「「「「いいかげんにしろっ!」」」」

(そうだよな、そうだよ、おれだって…)
眞一郎は天を仰ぎ、感慨にふける。涙が出そうだった。
「こんどはっ?♪あ~ん♪するっ?♪そ・れ・と・も♪…」
にこぱっ☆は繰り返している。まるで眞一郎を追い詰めるかのように…

その後の惨劇を簡単に述べたいと思う。
女子全員に囲まれ「しんいちろうく~ん♪」と手を伸ばそうとするのを押さ
えつけられた比呂美は、にこぱっ☆モードから徐々に復帰していった。
叱られ、説教されるが、「あ…あ~ん、って」と「あ…あ~ん、って」と、
うわ言のように呟いていた。
眞一郎は「遺書は書いたのか?」との問いに「別に生命保険とか入ってない」
と微妙に訳のわからない返答をした後、格闘技系絵本のためのアイデアを男
子全員からもらっていた。一通り終わった後、放り投げられた眞一郎は床に
落ちた、「ふぁさ」という音がした。

 ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―

下校時。
二人は手を繋いで歩いている。眞一郎は聞かずにいられない。
「どうしたんだよ?今日のお昼さ」
「あ、あのね…」
すっかり比呂美は元気を失くしていた。
「うん」
「お弁当食べたかったの…」
「そりゃ、わかるけど、あれは、なぁ」
「したかったの…」
「でもさー」
「あーん、って、したかったの…」
「あのねぇ」
「あーん、ってね、ってね?、したかったの…」
あまりに元気がないので、眞一郎は心配になって言ってしまった。
「学校ではもうダメだぞ」
これは失言といえよう。
「じゃあ!家ならいいの?」
すっかり元気になって比呂美は笑顔で聞いてくる。
「えっ!?」
「家ならいいんでしょ?」
「あ…いや、そういうこと…」
「いいんでしょ?♪」
比呂美の笑顔に眞一郎は屈服した。
「あ…ああ」
「やったね♪」
せめて親のいない時にしてくれ、にこぱっ☆モードは、と願う眞一郎だった。

 ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―

比呂美には"愛妻弁当禁止令"が発せられ、お昼を眞一郎と一緒にすることすら
クラス全員の許可が必要になった。
次の日に性懲りも無く一緒しようとすると「ガーッ!」と全員に吼えられて、
しゅ~ん、としていた。
眞一郎には特別な罰は与えられなかった。彼もまた被害者であることは、皆が
承知していたのだ…

END


-あとがき-
すみません、とうとう比呂美が壊れてしまいました。あーん、を想像してハ
イになってしまい、彼女は我を忘れてしまったようです。
お察しの通り、4話冒頭の眞一郎のセリフが使われています。あの時の比呂
美は辛いウソをついていましたので、眞一郎に同じセリフを言わせてあげた
かったのです。今度は、幸せモード絶好調の比呂美で。

最後に、読んで下さってありがとうございました。

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最終更新:2008年03月21日 00:35
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