眞一郎母の戸惑い 比呂美逃避行後編

 true tears SS第四弾 眞一郎母の戸惑い 比呂美逃避行後編

「私なら十日あれば充分」

 パトカーで仲上家に帰宅した比呂美を眞一郎が抱き締める。
 反応できずに硬直していたが、比呂美は離れようとする。
 その姿を見ていた眞一郎母は、比呂美に告げる。



 第九話の内容を予測するものではありません。
 本編で不明瞭な仲上湯浅両家の設定を追加しております。
 比呂美母は比呂美の幼い夏祭り前に病死。
 父子家庭であった比呂美父は一年前の夏に病死。
 比呂美が仲上家に引き取られた理由は比呂美父の遺言。

true tears SS第三弾 純の真心の想像力 比呂美逃避行前編

「あんた、愛されているぜ、かなり」
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 バイクが故障して純くんと屋根のある停留所に避難していた。
 警官に見つかって、自宅と学校に連絡をされた。
 純くんはバイクのレッカー移動の連絡を入れていたため、その場に待機している。
 私を乗せたパトカーは補導されて仲上家に向っている。
 もう少し純くんと話ができれば、考えをまとめることができた。
 本当に私はおばさんに愛されているのかな?
 おばさんは仲の良かった仲上湯浅両家の四人の写真で、
お母さんの顔を切り取っても焼けなかった。
 そんなことを自信ありげに純くんは推理してくれた。
 今もコートのポケットの中にある写真一枚と私の説明だけで。
 もし正解なら、この一年以上も私がやってきたことは何だったんだろう。
 居候の身だから大人しく従っていて、眞一郎くんへの想いを封印してきた。
 純くんが私の立場なら、おばさんと正面から向き合って喧嘩をするようだ。
 そんなことをすれば、仲上家から追い出されて、
眞一郎くんから離れなければならないと思っていた。
 だからずっと口答えをせずに耐えてゆこうとしていた。
 でも今回は耐えられなかった。
 パトカーが仲上家の前に停車してから、降りる。
 誰がいるかを確認せず、門の前に立つ。
「ご迷惑をお掛けして申し訳ありません」
 仲上家に引き取られるときのように、深々と頭を下げた。
「家に入りなさい。怪我はないかい?」
 おじさんは優しく微笑んでくれている。
「まったくありません」
 固い表情を崩さずに答えた。
 一歩を踏み入れてみる。
 なぜかそばには乃絵がいる。
 私が純くんのバイクに乗っている姿を眞一郎くんと見てから、仲上家に来ていたようだ。
「お兄ちゃんはどうしたの?」
「バイクが故障しているからレッカー移動をしているわ。すぐに戻って来ると思う」
「良かった」
 乃絵は右手を胸に当てて安心している。
「お兄さんを連れ出したり、鶏小屋でのことはごめんなさい」
「いいよ。バイクのことは驚いたけれど。お兄ちゃんがあんなことをするのは意外だった」
 乃絵はいつもの笑顔を取り戻しているようだ。
 今度は眞一郎くんの横を通り過ぎようとする……。
 急に抱き締められて反応ができずに硬直してしまう。
 見開いた先には、玄関の前におばさんがいる。
「心配した」
 呟きには安堵が込められていた。
 私は逆に心の底から苛立ちが上り始める。
「離して……」
 私は両手で眞一郎くんの身体から逃れる。
 自分の行動や状況を理解できずに、おばさんのほうへ歩いて行く。
 まったく後ろを振り向かない。
 今、眞一郎くんや乃絵の様子を窺う余裕はない。
「濡れたでしょう? 着替えたほうがいいわ」
 今までで見たことのない顔なので、私には感情を読み取れなかった。
「そうします」
「付き添っていいかしら?」
 声の調子には抑揚がない。
 私が穢れているのかを確認するつもりかもしれない。
「構いません」
 純くんとは何もなかったから、避ける必要はない。
 私はおばさんを自室に招いた。
「タオルとコートを貸してね。あなたは髪を拭いたほうがいいわ」
 いちいち指図をされるのは嫌だけれど、素直に応じる。
 私は言われたように髪を拭き終わっても、
おばさんは丁寧にコートに付いた水分を除いて壁に掛けてくれた。
 あのコートの中にはお母さんの写真が入っている。
 もしかして抜き取られたかもしれない。
 私は箪笥から私服を出すと、
「持っていてあげるわね」
 おばさんが手伝おうとしてくれた。
 私は堂々と脱ぎ始めながら、おばさんを見る。
 おばさんは視線を逸らしてくれている。
 私の部屋で何をするつもりかと考えてみる。
 身体検査ではなかったようだ。
 着替えが終わり、開放感から言葉を洩らす。
「疲れちゃった……」
 一気に思い出せないほどに出来事が無数にあった。
 仲上家でのことも含むと、何もかもがわからなくなる。
「いろいろあったからね」
 おばさんにも疲労が溜まっているようだ。
「ごめんなさい。さっきの眞一郎くんのこと……。避けられなくて……」
 指摘されるまでに謝罪した。
「眞一郎にも抑え切れないものがあるのかもね。
 お兄さんを待っている女の子を連れて来ていたのにね。
 いきなりだったし、比呂美のせいではないわ」
 おばさんはゆっくりと自分の思考を明かしてくれた。
「比呂美……?」
 一瞬だけ自分のことだと思えなかった。
 おばさんが私のことを擁護してくれていたから。
 私に隙があるからと罵られると考えていた。
「別なほうがいいかしら?」
「比呂美がいいです」
 慌てて言い切った。
「実は比呂美が家を出る前にも、比呂美と読んでいたのよ」
「気づきませんでした……」
 お母さんのことしか頭になかった。
 どうしてこんなことをしたのかを訊きたかったのに、自分から逃げてしまった。
「ああいうことをされると無理はないわね。
 比呂美と話がしたいからって、あのようにした私が悪いの。
 出て行った比呂美を追い駆けようとしても、足が動かなくて声が出なかったわ。
 眞一郎が女の子を連れて帰宅すると、比呂美が男とバイクに乗っていたと言ったわ。
 かなり心配していたようで、ずっと落ち着かなかったの」
 おばさんの言葉だから、すべてを鵜呑みにできないけれど、信憑性はありそうだ。
 まだかなり抵抗がある。
 別人のように変わってしまっているから。
 私も学校と仲上家とでは使い分けているから、責められないけれど。
「心配されているのはよくわかりました。
 でも身体に触れて欲しくはなかったです。
 純くんは指一本も触れて来なかったのに」
 ようやく抱き締められたときの苛立ちに気づけた。
 純くんは一回目のデートのときの別れ際に、仲上家の前で髪と口元を撫でて来たが、
今回はまったくして来なかった。
「純くんって、今日、会っていた男の子?」
 おばさんは興味深げに訊いた。
「そうです」
 何でおばさんに余計なことを話しているのだろう。
「大切にされているのね。バイクで家の前まで送るから、どういう男の子か気になっていたわ」
「同じバスケをしていて蛍川の四番で、他の女の子にも人気があって……」
「そうなんだ。あなたはてっきり眞一郎のことを……」
 純くんのことを話せば眞一郎くんの話に結び付けられるのを忘れていた。
「眞一郎くんのことは……」
 言葉を紡ぐことができない。漠然としたままで、以前のように明確に思えなくなっている。
 眞一郎くんのことを否定すればいいだけなのに、さっきのことがあるから、
無理をすればすべてを崩壊させてしまいかねない。
「今のは忘れて。そういう話をしたかったのではないの。
 あの写真のことを比呂美に伝えたかったの。
 すべてを焼いてしまって、最初からやり直そうとしてもできなかった。
 あの写真にいる四人との関係で、比呂美のお母さんの姿を消すことができなかった。
 あのまま放置することで誰かに見つけられてから、詫びようと思っていたの。
 できれば比呂美に見つけて欲しくて置いたままにしていたのよ」
 おばさんのほうから本題に移らせてくれて、正面から私に説明してくれた。
「お母さんはどういう人だったのですか? 
 私が幼いときに亡くなったから、詳しく覚えていないので教えてください」
 優しくて穏やかだったのはわかるけれど、私の知らない姿があるのかもしれない。
「比呂美の知っている姿と同じよ。でも私だけ、見方が違うかもしれない。
 比呂美のお母さんはいつも笑顔を絶やさなくて、誰からも好かれていたわ。
 私は何でもはきはきと話していて、たまに喧嘩をしたことがあった。
 比呂美のお母さんとは親友で何でも打ち明けていた。
 私はあの人がことが好きと伝えているのに、比呂美のお母さんは、微笑んでいるだけだった。
 比呂美のお父さんがお母さんに告白すると、あの人が私に告白してくれた。
 それから仲の良い夫婦として接するようになったの。
 比呂美のお母さんが本当に比呂美のお父さんのことを愛していたのは、
事実で写真からでもわかるわ。
 それなのに私はもしかしたら、比呂美のお母さんはあの人のことを好きなのに、
私たちの関係を崩さないために黙っていたのかもと思ってしまった」
 昔を懐かしんでいて、お母さんを憎んでいないのはわかった。
「お母さんが大人しくて口数が少なかったからですか? 私と似ているから」
「私はすぐ言葉や態度に出てしまうの。だから比呂美のような性格の人が怖いの。
 どう接すればいいかわからなくなるから。
 比呂美のお母さんの場合はみんなと合わせられたわ。
 でも比呂美はいるだけであの人と眞一郎の心を掴んでしまっているの。
 あの人は娘も欲しがっていたし、比呂美にお母さんを重ねている。
 眞一郎は比呂美を意識している。
 私は比呂美のお母さんのことがあるから、抵抗してしまったの。
 一度、そうしてしまうと後戻りができなくなったわ」
 おばさんは私が仲上家にお世話になるときさえも、すぐにどこかに行ってしまった。
 それなのにいつも私に嫌味を言おうと姿を現してくれる。
「私が何も言おうとしなかったからですか?
 でも居候の身ですから、控えめにしていたのですが」
 挨拶をするだけの関係だった。
 一年くらい接していても、おばさんやおじさんのことさえも詳しく知らない。
 眞一郎くんの東京の出版社とのことさえも。
「やはり居候だからって気にしていたのね。そういうことは考えなくてもいいのに。
 仲上家には比呂美を大学まで行かせるぐらいのお金があるのを、
パソコンで帳簿を付けているときにわかると思うわ」
「でもそんなことを言ったって……」
 おじさんには不自由な暮らしをさせないように考慮されているけれど、
おばさんもそうだとは思わなかった。
「私なら十日あれば充分。
 あなたのように居候の身で仲上家に来たら、明るく振舞って溶け込もうとするわね。
 ずっと何かに耐えていられないし、あの人が眞一郎なら親身に相談に乗ってくれるから。
 悩むとしたら、登下校やお互いの部屋の行き来をどうしようかしら」
 あの写真のおばさんのように明るくて馴染んでゆく姿が浮かぶ。
「お世話になっているから、そういうふうにはできなかったです」
 仮に眞一郎くんのことがなければできたかもしれない。
 学校のときのように切り替えればいいだけだ。
 おばさんは瞼を閉じてから語り始める。
「比呂美から非難の声を発しないと気づいてもらえないわよ。
 仲上家の手伝いくらいなら、他の家庭でもしている子どもはいそうだし。
 どんどんエスカレートしてしまうわ。
 あなたは卒なく何でもできるから、頼られてしまうのよ。
 比呂美につらい想いをさせてきたわね。
 嫌なら嫌と反抗してもらいたくて。
 私はこういう性格だから、思ってもいないことを口にしていたわ。
 比呂美が眞一郎の妹だとか、ふしだらとか、お母さんまで非難して。
 あなたが仲上家を恨んで何かをしてくるとか。
 いつか眞一郎だけでなく仲上家も奪って、私に仕返しをして居場所をなくすとか。
 私は思い込みが激しすぎて、悪化させてしまうの」
 諭すように語っていたのが、波風を立ててゆく。
 本音から出る言葉ではないとわかるから、私の心には突き刺さらない。
「おばさんは私を罵りながら、おばさん自身も傷つけているのですね。
 もしおじさんが私のお母さんと寝たら、
おばさんはおじさんを繋ぎ止めておくことができなかったから」
 純くんから言われたことに重ねてみた。
 私は口にするだけでも、目頭が熱くなってくる。
「その後に倉庫に行ってあの写真の比呂美のお母さんを切ってしまった。
 どうしても視界に入れたくなくて、他の写真も。
 今もね、一枚だけ残してあるのよ」
 おばさん白いハンカチを取り出して、一枚の小さな写真を見せてくれた。
 お母さんの穏やかで幸せそうな微笑。
 私はコートからあの写真を取り出した。
 机の引き出しからセロテープを持って、おばさんのところに戻る。
「合わせましょうか?」
「お願いできるかしら」
 おばさまから受け取ってから、ふたりで机に行く。
 私は丁寧に修繕してゆく。
 やはり刃物の切り口は残っているけれど、お母さんは元の状態になった。
 本当にお父さんのことを愛しているのがわかる。
 そっと付き添って安心している表情だ。
 おばさんはじっと写真を見て、懐かしんでいるようだ。
 私は本棚にあるアルバムを開く。
 何度も見ていたので、すぐにページを開いて、そっとあの写真のそばに置いてあげる。
 おばさんは見比べながら、気分を落ち着かせているようだ。
 私はそのようなおばさんの表情を眺めている。
 今までにじっとおばさんの顔を見ていたことはなかった。
 私もおばさんのことを避けていたのだ。
「もしよろしかったら、いくつか差し上げますよ」
 私の言葉におばさんは小さく口を開けてから、左右に小さく首を振る。
「写真には順序があるから空白を作るべきではないわ。
 たまに見せて欲しい。今はこの一枚だけを大切にするわ」
 おばさんは写真一枚をどこに仕舞おうか悩んでいる。
「アルバムには空白がありますから、加えませんか?
 このアルバムは仲上家で保管してもらったほうが、両親も喜ぶと思います」
 他にアルバムはあるし、このアルバムはあの四人の思い出が詰まっている。
 仲上湯浅両家を繋ぐものとして最適だ。
「今度こそ切る事無く大切にするわね」
 おばさんは閉じてから丁重に受け取ってくれた。
 今は机の上に置かれているけれど、私の手が届く場所に飾ってくれるのだろう。
「比呂美は眞一郎のことが好きよね?」
 急におばさまが訊いてきて、顔を覗かれる。
 私は何もできなくて頬に熱を帯びてくる。
 眞一郎くんへの想いを封印していたのに、たった一言で砕かれた。
「やはりね。特に目の辺りが比呂美のお母さんがお父さんを見つめるときと、そっくり。
 幸せで和んでいるときに、さらに心地良いことがあると表情に出やすいの。
 待っている間に、比呂美の本心をどうやって引き出そうと考えていたわ」
 おばさんは悪戯ぽく微笑んでいる。
 何をするときも私の意志を尊重していて、詰まると話題を変えてくれていた。
 お母さんの写真をそのような使い方にされるとは考えてもみなかった。
「さっきまでアルバムを眺めていただけなのに、そんな話をするのは卑怯です!」
 おばさんに対して怒鳴った。もうどうなってもいい。
「ますます赤いわよ。あなたたちふたりを見ていればわかるわ。以前から。
 食事のときに醤油差しを取るときに手が当たるときがあったしね。
 どうして眞一郎に何も言わないの?
 その姿を見れば、嫉妬に狂う私でも何も言えなくなるのに」
 一緒に外を歩いていただけで注意してくる人の発言とは思えなかった。
「おばさんは世間体とかすぐ口にして、眞一郎くんから離そうとなさいます」
「仕方がないでしょ、そういう役割だから、私は。
 それで抑えられるほどなら、眞一郎と親しくして欲しくないわ。
 でも今の比呂美なら構わない。
 今までひどいことをしてきた私と向き合ってくれるから」
 悲壮な表情をしていなくて、アルバムの中のおばさんと同じだ。
 おじさんのそばで楽しそうに笑っているときと。
「でもおばさんから逃げないで話をするように教えてくれたのは純くんです」
 純くんのおかげで嫉妬せずにおばさんと対峙ができている。
「いい男の子ね。眞一郎も見習って欲しいわ。
 ぜひ会ってみたいわね」
「純くんもおばさんと会ってみたいと言っていました。
 おばさんが私を大切にしてくれているって」
 さすがに愛しているとは言えなかった。
 おばさんは朱に染まりながら訊いてくる。
「連れて来るの? 眞一郎がどう思うかしら?」
 家に男の子を招いた経験のない私は困惑してしまう。
 純くんは何の目的でこのことを私にさせようとしたのだろう。
 封印を理由に眞一郎くんへの想いを告げるのを先送りしていたのかもしれない。
 おばさんに嫌われているからと、何もしないほうがいいと。
 今のうちに何とかしないと、乃絵と眞一郎くんがますます親しくなってゆく。
 私が行ったことのない眞一郎くんの部屋までも、乃絵ならためらうことなく入るだろう。
 そんな私の苦悩が滲んできているのか、おばさんは口を開いてくれる。
「さっきまでの良い顔が消えて、いつもの顔に戻っているわよ。
 まわりのことを気にしないで、眞一郎に想いを伝えたほうがいいかもね。
 石動乃絵を紹介されてしまったから、眞一郎はかなり揺れているわよ。
 あなたもこのまま純くんと付き合えないよね?」
「紹介までされているのですか?」
 真っ先に浮かんだのは眞一郎くんの行為だ。
「しないわけにはいかないでしょう。
 どういう理由であれ、うちに女の子を連れて来たのですから」
 おばさんはもったいぶって詳しく教えてくれない。
「いいのよ。もうまわり、特に私のことは気にしなくても。
 今まで私が言っていたことは逆なの。
 比呂美が仲上家に来ることで戸惑ってしまったの。
 長年、築いてきた仲上家が壊れそうで。
 それとあなたたちを見ていると、じれったくて邪魔したくなるのよね」
 あの睨み付ける瞳が消えて、見守るような優しさを湛えている。
 でもまだまだ問題が山積みに思えて二の足を踏めない。
「別に眞一郎と付き合ったからって、仲上を継ぐようにとは思っていないから。
 私も考えを改めないといけないわ。
 付き合ったり別れたりしながら決めればいいと思う。
 世間やまわりに何を言われようとも、しっかり考えて行動してくれれば。
 昔、比呂美のお母さんとも、こうやって恋の話をしたかったわ。
 今は比呂美がいるから楽しめそう」
 ずっと汚れ役に徹したかのように手のひらを返している。
 でも言葉にはおばさんの想いが込められているので信じられる。
「もっと以前からこうやって話をしていれば良かったです」
「何か話し掛けるきっかけがあればいいのにね。
 もう今回のようなことはこりごり。
 外で知らない男の子で会っているからって、娘を持つ母親のような気苦労をしたくはないわ」
 おばさんは滞る事無く述べた。
 本心から口にしてくれた台詞だ。
 今の私ならおばさんに試したい単語がある。さっきの仕返しだ。
「お母さんと呼んでもいいですか?」
 おばさんは何も答えてくれないけれど、頬に水滴が伝っている。
「そういうことは言ってから、訊きなさい……」
 私も込み上げてくるものがあり、身体が反応してしまう。
 お母さんを抱き締めると、お母さんは私の背中に両手を回してくる。
「お母さん、ここにいていい?」
「私の娘の比呂美、ここにいていいかしら?」
 私の問い掛けに、お母さんはすぐに答えてくれた。
 抱擁は一方的なものではなくて、こういうものだと思う。
 どうしようもない高ぶる気持ちに身体が勝手に動いてしまう。
 今まで嫉妬し合いながら自分自身を傷つけ合っていた。
 まだまだこれから眞一郎くんを取り合って嫉妬し合うだろう。
 憎しみがまったくなく、にこやかにでだ。
 いつかお義母さんと呼べる日が来るのかな?
 お父さんとおじさんに言える練習を、心の中でしておかないと。
「もっとも大切なことを言い忘れていたわ」
 お母さんは私の右肩から顔を離して見つめてくる。
「何でしょうか?」
 私はしっかりと直視する。
「オイタはダメよ」
 ふたりの母親として伝えておかないと」
 お母さんは娘の頭を撫でて諭すように言った。
 最初、意味がわからなかったけれど、ようやく理解できた。
「眞一郎くんにそんな甲斐性はありません!」
 口にしてみたけれど、さっきの抱擁が誰もいない部屋の中だったら……。
 きっと二回目はありそうだし……。
 もう封印を解いてしまった身体は、どう動くか私自身もわからない。
「眞一郎は突発的なことをするのよね。
 だから先に身持ちを固くしておかないといけないわ。
 比呂美の一睨みがあれば、眞一郎は手を出せないわね。
 たまに眞一郎に噛み付いている現場を目撃しているからね」
 お母さんの目元は震えていて堪えているようだ。
 私は身に覚えが多すぎて特定できない。
 純くんと出会ってから、眞一郎くんに笑顔で挨拶さえもしていない。
「お母さんには敵いません。とても怖かったんですよ、今まで!」
 これからもずっとお母さんの思考に、いい意味で悩まされそうだ。
「そんなことを言うようになったわね。
 そろそろみんなのところへ戻らないと」
 お母さんから身体を離して先に行こうとする。
「お母さん、お顔を拭いておいたほうがいいかも」
「ご一緒するわね」
 ふたりで鏡台に顔を収めて、笑顔になるように調整し合う。
 部屋を出てからも、お母さんと並んで歩く。
 今までなら信じられない行為だ。
 ずっと背中ばかりを見ていたから。
 お母さんが近づいて来ると怯えてばかりいた。
 こんな私だから好かれていないと思っていた。
 同じ屋根の下で暮らすのだから笑顔でいれば良かった。
 もしかして私は封印することで、何もかもを放置してきたのかもしれない。
 お母さんが私の立場なら十日で親密になっていたらしい。
 もし仲上家にお世話になる当日に、封印する事無く、ぎこちなくても笑顔でいれれば、
さっきまでの状況にはならなかったのを確信している。
 お母さんやお父さんだけでなく、眞一郎くんにも距離を置きすぎた。
 あの日だって眞一郎くんは笑顔で出迎えようとしていたのに。
 それなのに私は無表情で頭を下げた。
 拒絶と受け取られてもおかしくないくらいに。
 両親がいなくても、学校では笑顔でいたから、眞一郎くんは私の変わりように驚いていた。
「比呂美、微笑みなさい。誰もが癒されるのだから」
 お母さんは再出発させるように、とびきりの笑顔を向けてくれる。
「はい」
 私はあの写真のお母さんのように返答しようとする。
 お父さんにも褒められた微笑を浮かべながら。
 でも今はさらに足取りが重くなっている。
 ……眞一郎くんをまともに見られそうにない……。



               (完?)



 あとがき

 ありえないくらいに眞一郎母の変わりようです。
 振り子は反動で逆方向に大きく揺れます。
 いっそのこと、今までの台詞を逆にして解釈してみました。
 血縁問題のきっかけは眞一郎母の比呂美母へのささやかな疑念です。
 比呂美母が眞一郎父のことが好きなのに黙っているかもしれないと思い込みました。
 微笑むだけで男を虜にして、何も言わない態度に苛立っていました。
 比呂美母は比呂美父を愛する淑女です。
 眞一郎母は比呂美が非難の声を発しないために、
エスカレートして仲上家の手伝いをさせていました。
 比呂美と眞一郎母がお互いを理解し合うきっかけがあれば、良かったでしょう。
 誰もが傷つかずに円満に解決しようとしたら、このような展開になってしまいました。
 そろそろ比呂美と眞一郎母とのわだかまりをなくしてあげたくて、一気に解決させました。
 この眞一郎母が比呂美と眞一郎との間にいれば、ふたりはすぐに親しくなるでしょう。
 眞一郎母が最上位にいる構図は変わりようがありません。
 その前に比呂美と眞一郎母が、みんなの前に行くと、誰もが驚くだろうな。
 お父さんと言われた眞一郎父はどうするのだろう。
 本編ではどうなるんだろう。
 さまざまな妄想や伏線が絡んできて、かなりの長文になってしまいました。
 ご精読ありがとうございました。

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最終更新:2008年03月21日 00:04
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