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  サムライガール・サバイバル  ◆uFyFwzytqI

 セント・マデリーナ島名物の美しい自然公園に囲まれて、ひっそりとたたずむペンションがあった。
 外見はB&B(Bed and Breakfast)スタイルの西洋風建築の宿泊施設で、部屋数は10部屋だった。
 普段なら、その優雅なたたずまいは来訪者を優しく迎え入れて、ゆったりとした気持ちにさせてくれた事だろう。
 だが、現在ペンションのロビーにいる人々の間には、そのような気配は微塵もなかった。

 (んー、こりゃ気まずいなんて月並みな表現じゃ到底追っつかないねえ。まるで冤罪で死刑判決を言い渡された被告みたいだよ) 
 千葉紀梨乃は似たような境遇でありながら、比較的落ち着いた様子で周囲を伺っていた。
 彼女の衣装は、キャミソールの上にカーディガンを羽織り、7部丈ジーンズというものだった。
 このペンションには紀梨乃も含めて、約20人がゾンビから逃れて避難していた。ほとんどが自然公園目当ての観光客らしい。
 テレビはさっきから警察発のライブ中継ばかり放送していた。ゾンビの群れと、必死に立ち向かう警官達が、交互に映しだされている。

 「ねえキリノ、これって現実なの? さっき襲ってきたアレってゾンビ? あたし達どうなっちゃうの?」
 紀梨乃の幼なじみにして親友(自信をもって断言できる)の桑原鞘子は、涙目になりながらすがるように言った。かなりの動揺が見られる。
 彼女は胸に自信があるのか、チューブトップに薄手のジャケット、そしてタイトジーンズと、やや大胆な服装だった。

 「うーん、そうだねえ、やっぱりゾンビ……だと思うよ。動きは鈍いし頭悪いけど、腕力があって人間を襲うっていう、ポピュラーなタイプの奴だね」
 「そんなぁ、あたし嫌だよ、死にたくなんかない。キリノ、怖いよぅ」
 「おーよしよし、泣かない泣かない」
 紀梨乃は赤ん坊をあやすように鞘子をなだめる。紀梨乃は鞘子に比べて、比較的落ち着いていた。

 (にしてもホント、サヤじゃないけど、どうなっちゃうだろうねー。あの時の福引って何か呪われてたのかなあ)
 紀梨乃はこの島に来ることになった経緯について回想していた。
 彼女と鞘子がセント・マデリーナ島を訪れるきっかけは、何気ない会話から始まった。

 いつものように剣道部の部活を終え、帰る時に鞘子が誘ってきたのだ。
 「ねえキリノ、商店街の福引券があるんだけど一緒にやらない? あたしってくじ運悪いらしくてさ、いくらやってもハズレばっかなのよ。
 キリノが引いてくれたら、ガラガラの引きも変わるかな〜ってね」
 「あー、お安いご用だよ、行こ行こ。ま、そんな変わるとも思えないけどね」
 そう言いつつ、紀梨乃が引いた時、「特賞 セント・マデリーナ島ペア1組2名様ご招待!」が当たったのだ。

 2人は思わず抱き合って喜んだが、同時に問題が発生しているのに気付いた。他の部員はどうしよう?
 彼女たちが通う私立室江高校の剣道部は、男子2人に女子5人、ついでに顧問が1人の、計8人の小世帯だ。
 部員同士の関係は和気藹々(わきあいあい)としたものだが、それでも「セント・マデリーナに行く」などとバレたら、一緒に行くとか何とか一騒動起こるだろう。
 結局2人の秘密で、家族に伝言だけ残して出発した。今頃大騒ぎかもしれないが、「一生に一度のチャンス(大げさ?)だし、思い切りはっちゃけよう!」と2人で決めたのだ。
 
 セント・マデリーナに着くと、ホテルのチェックインもそこそこに、外に飛び出していろんな所で遊び回った。遊ぶのに夢中で、ゾンビ発生に気付くのが遅れるぐらいに。
 紀梨乃達は幸いにもゾンビが同時多発的に(いつ、どこで?)発生した時、その場にいなかった。だからゾンビの発生原因は不明だが、いきなり襲われることも無かった。
 でも、もし「その瞬間」に立ち会っていたら、自分たちは何か出来ただろうか。もしかして、惨劇の火種を1つでも消せたのかも……。

 (なワケないかー。あたし達、剣道好きなだけの女子高生だし、サヤがテンパってそれどころじゃなかったよ)
 実際、ゾンビが人を襲っているのを見た時の、鞘子の反応は大変なものだった。泣くわ喚くわの大騒ぎで、1人で明後日の方角に逃げ出しかけた程だ。
 すんでの所で紀梨乃が鞘子の手を掴んで引き止めて、離れ離れにならずにすんだ。

 それから後は必死だった。ヒステリー状態の鞘子をなだめたりすかしたりして、どんどん増えるゾンビの襲撃から逃げ回る一方だった。
 目印に乏しい自然公園を駆け回る内に、偶然このペンションを見つけた。幸い周囲にゾンビの姿はなかった、と思う。
 こんな時でも、屋根があるという安心感は何よりも耐え難い魅力がある。鞘子はゾンビがいるかどうかの確認もせずに、ドアを激しくノックした。
 「もしもし、誰かいますか。開けて下さい!」
 だが、ドアが開く気配はなく、中から口論が聞こえて来た。
 
 (もしかして、ゾンビと間違えられてる?)紀梨乃がそれに気付いた時、
 「あたし達はゾンビじゃありません! 本当です! 早く、早く助けて!」
 鞘子が必死に呼びかけると、やっとドアが開いた。開けたのは警官の制服を着た壮年の男だった。
 
 ……そして現在に至る。
 なぜ、地獄のような事態が島に襲いかかったのか? どれだけの人が不安を抱きながら、生き残っているのだろう。いや、生きて島を脱出できるかどうかも怪しい……。
 
 (うわ、思考がネガティブになってる。ま、考えてもしょうがないね、今はサヤの安全が大事だし。余裕があったら他の人達も助けてあげたいけどねー)
 紀梨乃は、まだ不安そうにしている鞘子と手をつなぎながら、取り留めもないことを思っていた。
 剣道部部長の紀梨乃は、普段から「みんなのため」を基準にして行動する事が多い。今も自分より鞘子や他人のことを気にかけている。
 もっとも、それは部長という肩書き云々より、本来の面倒見のいい性格がそうさせていた。

 ペンションの至る所からトントンカンカンと金槌の音が聞こえてくる。紀梨乃達が避難した後、ドアや窓などの出入り口を塞いでゾンビの侵入防止をする事が決まったのだ。
 ロビーに残っているのは、紀梨乃達を含む女子供8人だ。しばらくすると、金槌の音が止んだ。
 「よし、これで出入り口はすべて塞いだぞ。ゾンビも見当たらないし、しばらくは安全だ」
 警官を先頭に汗だくになった男達が板や金槌、釘を手にして入ってきた。
 
 「あ、どうもお疲れ様です。はい、どうぞ汗拭いて下さい。冷たい飲み物はいかがですか?」
 紀梨乃があらかじめ用意しておいた、冷やしたタオルと飲み物を差し出した。
 「おお、ありがとう。気がきくね」

 「いえいえ、大したことじゃありません。まだ冷蔵庫が使えたおかげですよ」
 「このペンションも他の施設と同様、太陽光発電を取り入れているからね。電気については心配いらないよ」
 ペンションのオーナーが汗を拭きながら気さくに答える。ロビーの雰囲気が少し明るくなった気がした。
 
 「そういえば、まだ君達の名前を聞いてなかったね。私はロバート・フォスター、当ペンションのオーナーだ」
 「初めまして、あたしは千葉紀梨乃といいます。よろしくお願いします。で、あの子が桑原鞘子です」
 紀梨乃はフォスターに鞘子を紹介する仕草をした。
 「あ、く、桑原鞘子です」 
 鞘子は慌てて立ち上がって挨拶した。身長170cmと日本の女子高生としては大柄な彼女だが、この中ではやはり低い方だ。
 もっとも157cmの紀梨乃に至っては、小学生と間違われそうになった。(この面子じゃ仕方ないけどねー)それを思い出して、紀梨乃は内心苦笑する。
 
 「2人ともよろしく。ところでテレビはどうなっている。状況は好転してるか? 警察署との電話はどうだった?」
 フォスターが警官に尋ねた。警官は眉間に皺を寄せる。
 「……駄目だ、今までと同じだ。応援を出す余裕はない、現場で持ち堪えろ、の一点張りだ」 雰囲気が再び重苦しくなった。
 
 「(ありゃりゃ、これはマズい。えーと、話題話題)あのー、何かあたしに出来ることありますか? あ、サヤは休んでていいよ。疲れてるでしょ」
 紀梨乃はフォスターに明るい口調で訊いた。同時に鞘子への気遣いも忘れない。
 「いや、特にないな。心配しなくても、ここにいれば安全だよ」 フォスターは気を取り直して言った。 
 「うん、キリノありがとう……」 鞘子は沈み込むように座り込んだ。

 紀梨乃はフォスターを説得する。
 「まあまあそんな事言わずに、あたしもちょっと体動かした方が気がまぎれて良いんですよ。日本で剣道やってたし」
 「ケンドー? もしかしてサムライの技を現代に伝える、あの武術か?」
 「はい、日本の剣術です。カッコ良いですよー」
 紀梨乃は愛想良く笑った。
 
 「そうだったのか! 私はトーマス・クルーズの『ファースト・サムライ』を見て以来、日本のサムライのファンになったんだよ! いやあ、あの映画はいいね、感動したよ!」
 「ええ、ホントいい映画でしたねー(背景の自然が微妙に日本じゃないのが、少し気になったけど)」
 「そうと分かれば話しは早い」
 フォスターはいきなりロビーから出て行った。

 紀梨乃は呆気にとられた。
 「サヤ、今あたし何か変なこと言った?」 「いや、言ってないと思うけど……」
 すぐに戻ってきたフォスターは、二振りの日本刀を差し出した。
 「さあ、コレをプレゼントしてあげよう。以前日本の刀鍛冶に特注して作って貰ったものだが、存分に使ってくれ!」
 
 「(……! おお、これは良いチャンス!)ありがとうございます。これがあれば百人力です!」
 紀梨乃は2本とも受け取ると、「はいコレ、サヤの分ね」と1本を鞘子に渡した。
 「え、ちょっとキリノ、コレ重いよ」
 鞘子は戸惑っているようだ。普段部活で使う竹刀はせいぜい500g程度だが、刃渡り80cmほどのそれは1.5kgはありそうだった。
 
 「ま、本物だからねー。それよりサヤ、疲れてるかもしれないけど、ちょっと構えてみようよ」 「え?」
 言いながら紀梨乃は刀を抜かずに「んっ!」と中段に構えてみた。確かに少し重いが、慣れれば扱いに困るということは無いだろう。
 「ほらほらサヤも早く〜」 「わ、分かったわよ……」
 仕方なく鞘子も紀梨乃の隣りで構えてみせる。2人の予想以上に様になっている構えを見て、周囲から感嘆の声が漏れる。

 「どう、落ち着いた、サヤ?」 紀梨乃が優しく声をかける。
 「う、うん」
 鞘子は扱い慣れた道具――厳密にはかなり違うが――に触れて、自信を取り戻したらしい。表情が明るくなっていた。
 (良かった、サヤはかな〜り繊細だからねえ。まあ、回復力はあるから、キッカケさえ掴めれば元気になるのも早いし、それほど心配しなくていいけど)
  
 その後、警官とフォスターを中心に、籠城のための食料分配や、24時間態勢の見張りについてのシフトについて話し合った。
 また、フォスターの計らいで、ペンションに備蓄してあった防災グッズが全員に配られた。
 紀梨乃はフォスターを手伝いながら、ペンションを歩き回り、「万一」に備えて部屋の間取りや備品について、さりげなく把握しておいた。
 
 ――しばしの間、平穏な時が過ぎる。温かい食事も食べられた。今の紀梨乃や鞘子にとって、100カラットのダイヤモンドより貴重な休息が与えられた。

 しかし、彼女達が対策を練っている間にも、人の形をした破局は着々と迫っていたらしい。
 ロビーにいた紀梨乃達の耳に、階段を慌ただしく駆け下りる音が聞こえた。
 「あれ、見張りの人だ。何かあったのかなあ?」
 鞘子が呑気な口調で紀梨乃に話しかけた。とりあえず、いつもの調子に戻っている。
 「あったんだろうねー、このまま救助されるまで平和に過ごしたかったけど、儚い望みかな」
 紀梨乃は日本刀に向かって何やら作業をしていた。刀の鍔と鞘を下げ緒で結んで、抜けなくしている。

 「キリノ、何でそんな事してるの?」
 「ちょっとしたゾンビ対策だよ。ああ、そんな怯えた顔しなくても大丈夫だって。いやさ、あたしたち剣道やってるけど、本物の日本刀なんて使ったことないでしょ? 
 ぶっちゃけうまく斬れるとも思えないんだよね。だからフォスターさんには悪いけど『重くて頑丈な竹刀』として使うつもりなんだ。多分この方が上手に扱えるから」
 「……そういうもんなの?」 
 「うん、そういうもんなの」
 鞘子の質問に、紀梨乃はオウム返しで答えた。まだ納得しかねる表情の鞘子だが、彼女の不安を上塗りするつもりで、紀梨乃は日本刀を握らせた。
 
 そこに警官達が深刻な表情で入ってきた。
 「みんな、落ち着いて聞いてくれ。ゾンビの群れがこちらにやって来る」
 「えっ!?」 鞘子の顔が青ざめる。
 「数はどれぐらいですか?」 紀梨乃は鞘子の不安を和らげるために、鞘子の肩に手をそえながら尋ねた。
 
 「最低でも50だ。心配無用、我々は必ず守ってみせる」
 警官は断言すると、男達に迎撃準備を指示する。彼等が打ち合わせ通りに持ち場につくと、「女性陣は子供をつれて2階に避難するといい」と言った。 
 「あたしも戦います」 紀梨乃は静かに立ち上がった。
 「それは危険だ、君も2階に行きなさい」 警官がたしなめる。
 
 「お役にたてる自信はあります。なんたってサムライガールですから!」
 爽やかな笑顔で、かなり恥ずかしいセリフを言ってのけた。それでも構わない、鞘子や他の人達を守るためなら、いくらでもアピールするつもりだ。
 「素晴らしい、まさにサムライの心がけだ! いいじゃないか、彼女なら立派な戦力になるぞ」
 フォスターが賛成した。
 「……いいだろう。ただし、くれぐれも無理はしないように」
 「ありがとうございます」 紀梨乃は深々と頭を下げた。

 「キリノ……」 「サヤ、女性陣はまかせたよ」
 正面玄関にドシンと重い物がぶつかる音がした。続いて窓ガラスが割れる音がする。
 「奴らが来た。畜生、殺されてたまるか!」 
 割れた所から入ってくるゾンビの手を殴りつけながら男が叫ぶ。
 
 本格的な攻防が始まった。ゾンビの侵入を阻止するため、彼等も可能な限りの手段を取った。扉は板の補強、窓はゾンビを直接攻撃で対処する事になっていた。
 バットやゴルフクラブなどで殴ったり、包丁や鉈を叩きつける。警官とフォスターは自前の銃――警官は拳銃、フォスターはライフル――を発砲した。
 紀梨乃は小手打ちの要領でゾンビの手を打ち据えた。手応えからすると、骨折させているかもしれない。

 序盤は比較的順調だった。ゾンビの襲撃は単調で、何のひねりも無かった。しかし、徐々に危険な兆候が表れていた。
 奴らは疲れを知らない。こちらがいくら撃退しても、懲りずにやってくる。銃で撃ち殺そうとしても、警官の拳銃とフォスターのライフルの2丁しかない。
 困ったことに、ゾンビは弾が命中しても簡単には死なない。頭部か心臓へ命中させる必要がありそうだった。

 反対に「こちら側」は疲労が貯まっていく。(こりゃかなりヤバい事になりそうだね)紀梨乃が不安を感じた時、どこかから絶叫がおこった。
 向かいの部屋で戦っていた男が疲れて息をついた瞬間、ゾンビに腕を噛まれたのだ。それを助けようと他の場所から応援が駆けつける。
 「待て、そいつは私が対処する。持ち場に戻れ!」
 警官が慌てて言ったが手遅れだった。1番脆くなっていた裏口が無人になっていた。そこにゾンビが体当たりしたらしく、裏口のドアが観念したように倒れてきた。

 「まずい、2階に退避しろ!」 
 警官が全員に呼びかける。噛まれた男は――ゾンビによって外に引きずり出されていた。断末魔の絶叫が聞こえてくる。
 紀梨乃は束の間目を伏せた。そして顔を上げ2階に駆け上がった。背後からさらに新しい悲鳴が聞こえてくる。何人か逃げられなかったようだ。
 2階では男3人が部屋からクローゼットを担ぎ出していた。殿だった警官がそれを見て「よし、そいつを食らわせてやれ!」と叫んだ。

 男達は階段をノロノロと上がってくるゾンビに、クローゼットを投げつけた。それに巻き込まれたゾンビが数体、転がり落ちていく。
 それから何度もゾンビの襲撃を防いだが、投げつける物が減ってきた。男達の疲労はさらに貯まってくる。その間、紀梨乃は(申し訳ないが)休ませて貰っていた。
 「限界か、最後の手段を取るしかないな」
 警官が呟くと、最後の弾倉を交換してスライドを引いた。フォスターが頷いて、鞘子たちが隠れている1番大きな部屋のドアを開けた。
 
 (最後の手段?) 紀梨乃が事情が分からずに戸惑っていると、
 「体力がのこっている内にペンションから脱出する。窓から庭に下りるんだ」
 フォスターがペンションにいる全員(すでに14、5人しかいない……)に宣言した。
 「庭に? 一体どうやって下りるの!?」
 避難していた女性観光客の1人が素っ頓狂な声を上げる。年齢は50代、少し、もとい、かなり太っている。  
 警官の銃声が聞こえる。発砲の間隔が長い。慎重に狙って撃っているようだ。
  
 「この部屋に集めてあるベッドのマットレスや毛布などで即製のクッションを作ります。地面まで3mもありませんから、衝撃はそれほど無いでしょう」
 「そんなこと言って、もし怪我でもしたらどうするの!」
 女性はヒステリックに叫ぶ。
 さすがの紀梨乃も呆れた。そんな事を心配してる場合じゃないのが、分からないのだろうか。いや、そんな判断力さえも失っているのかもしれない。

 「議論している暇はありません。皆さん、手伝って下さい」
 「分かりました。サヤ、そこのマットレス持って」 「う、うん分かった」
 
 紀梨乃は中年女性に反論の隙を与えずに、鞘子に声をかけてマットレスを引っ張った。新製品なのか、思ったより軽い。すぐに男が1人手伝ってくれた。
 窓辺まで持って行き、窓を開ける。幸い庭にゾンビはそれほど居なかった。代わりにペンション内にかなり侵入しているのだろうけど。
 「よし、投げるぞ、そぉーれ!」
 男の掛け声で庭に放ると、ゾンビが1体下敷きになった。モゾモゾとうごめいていたが這い出してくる。
 「その調子だ。時間が惜しい、どんどんいくぞ!」
 フォスターが続いてマットレスを落とした。それからはバケツリレーのように立て続けに物が流れてきた。時折、液晶テレビや椅子をゾンビに投げつけて牽制する。

 そして、庭に大量の寝具や毛布などが散乱した。そこは一時的にゾンビの空白地になっている。
 「準備ができたぞ!」
 フォスターが警官に呼びかけた。「分かった」警官は答えて、行きがけの駄賃とばかりにテーブルを階段に蹴り落とすと、すぐに部屋にやって来て鍵をかけた。
 「おお、良い具合に散らばってるな。それじゃあ、私とフォスターがまず飛び降りてゾンビを蹴散らす。その間にみんな飛び降りろ。防災グッズを忘れずにな!」

 「ねえキリノ、他に方法はないの?」
 鞘子が心細げに紀梨乃に尋ねる。紀梨乃は安心させるように微笑んだ。
 「う〜ん、無さそうだねー。あれば良かったんだけど」
 紀梨乃は部活の時に身につける、長い水色のリボンで髪を縛った。よし、気持ちが引き締まった。
 
 「行くぞ!」
 警官が銃と金属バットを手に飛び降りた。一瞬膝をつくが、すぐ立ち上がり、ゾンビに向かって発砲した。続いてフォスターがライフルを持って飛び降りる。
 「おお、凄ぇじゃないかあの2人。もし生き残れたら勲章を申請してやろうぜ」
 1人の男が言いながら飛び降りて加勢した。さらに男女混合で数人が続く。その時、扉にゾンビがぶつかる音がした。
 「ちっ、ここもあまり保たないぞ、急げ!」
 残った男2人が扉を押さえながら、紀梨乃達に言った。

 「キリノ……」 
 「サヤ、行くよ。大丈夫、あたしに続いて」  
 紀梨乃は1度だけ深呼吸する。次の瞬間、身を翻して1番柔らかそうな所に飛び降りた。
 楽な着地ではなかったが、クッションのお陰でかなり衝撃が和らいだ。素早く立ち上がり、日本刀を中段に構える。
 (怖くない怖くない、いつもの部活と一緒、相手が少し違うだけ)
 自分に言い聞かせて、1番近くにいたゾンビに向き合う。狙いを定め、右足を踏み出して、両手を内側に絞りながら剣先をゾンビのみぞおちに突き出した。
 現在の剣道では、胸突きはルール違反だが、ゾンビ相手に遠慮は無用、というよりそんな余裕はない。みぞおちを突くと、ゾンビが体をくの字にしてのけ反って倒れた。

 「キャア! あ痛たたたた」
 紀梨乃の横に鞘子が尻餅をつきながら着地した。
 「やっほーサヤ、よく来たね。残ってるのは何人?」
 紀梨乃はゾンビに視線を向けた訊いた。
 「えっと、5人、だったかな」

 「りょーかい! もう少し持ち堪えるよ!」
 紀梨乃はマットレスに登ろうとするゾンビの腹を突く。鞘子も立ち上がって中段に構えるが、まだ立ち向かう勇気が湧かないようだ。
 「キリノ、ごめん、あたしやっぱり怖い……」
 「んー、しょうがないねサヤはー、じゃあゾンビ見張ってて。あたしからは離れちゃダメだよ」

 などと台詞を交わしている内に、更に母子連れが飛び降りてきた。これで残っているのは中年女性と、男2人の計3人のはずだ。
 「急げ、後はアンタだけだ!」
 「ちょ、ちょっとあたしには無理。どうにかしてよ!」
 この期に及んで、中年女性はまだ渋っている。
 「どうにもなるか! さっさと降りうわあああっ!」
 男の絶叫とドアが破られる音が同時にした。中年女性の悲鳴が聞こえる。紀梨乃が見上げると、飛び降りようとした所を後ろからゾンビに噛まれていた。
 
 「これまでだ、我々だけで脱出するぞ」
 生存者は庭にいる十数人だけと判断した警官が宣言する。それだけではない、庭にもゾンビが集結しつつあり、ここに留まるのも限界だった。
 前衛と後衛を男達が務め、紀梨乃達女子供は真ん中を進む。

 だが、ペンションの庭から、市街地に至る道路に踏み出す瞬間、
 「ぐあぁっ!」
 前衛の警官が突然現れたゾンビと衝突した。思わず拳銃を落としてしまい、そこに別のゾンビが襲いかかる。
 反撃する間もなく、警官が噛まれた。さらに致命的なことに前進が止まってしまった。たちまちゾンビが群がってくる。
 殿でライフルを撃っていたフォスターも、弾切れの隙にゾンビ3体にのしかかられていた。
 
 「そんな……、キリノどうしよう!? このままじゃ殺されちゃう!」
 オロオロする鞘子を見て、紀梨乃は決断した。最悪でもサヤだけは助けたい。
 「サヤ、今からゾンビの群れを突破するよ」
 「え、ど、どうやって?」
 「あたしのリボンを目印について来て。他は何も見なくていいし、やらなくてもいいから、それだけは守って。約束だよ」 「う、うん」

 紀梨乃は残った全員に向かって言った。
 「聞いてください! あたしが先頭に立ってゾンビを蹴散らします。皆さんはその後に続いてください。いいですね、行きますよ!」
 言い終わるや、紀梨乃は走り出した。目の前のゾンビに続いて突きを繰り出した。続いて胴を叩き込む。ゾンビがよろめいて倒れた。
 チラリと後ろを振り返る。鞘子の他に数人がついてくるだけだった。他は反応する前に襲われたらしい。

 「よーしサヤ、偉い、その調子だよ!」
 鞘子に声をかけながら、紀梨乃は出来るだけゾンビが少ない場所を選んで走り続けた。
 そして、無我夢中でゾンビの群れをかいくぐって、2人はようやく連中を撒くのに成功した。後は、駄目だったようだ……。
 (皆さん、助けてあげられなくてごめんなさい。今の私はこれが限界でした……) 紀梨乃の心に悔恨が残った。

 ――さすがに座り込んでしばらく肩で息をしていたが、ようやく呼吸が整って紀梨乃が鞘子に向き直る。
 「サヤ、大丈夫?」 
 「う……あ、ああ……」 頷きかけた鞘子の目が恐怖に見開かれた。
 「どうかした?」
 紀梨乃が鞘子の視線を追った先に、1体のゾンビがいた。距離は1mもない。

 「!?」
 咄嗟に立ち上がって日本刀を構えようとするが、両肩を掴まれる。振り払おうとしても、異様な怪力でどうにもならない。
 「ん、くうぅ……」
 苦悶の表情を浮かべる紀梨乃に、ゾンビが濁った目で紀梨乃を見つめ、赤黒い口を開けて噛みついてきた。
 紀梨乃が思わず目をつぶった時、
 「てやああぁーっ!」
 背後から掛け声が聞こえた。耳元をビュンと風を切る音がしたかと思うと、何かが潰れる音がして、肩の圧迫感が消えた。 

 「……?」
 紀梨乃が目を開くと、こめかみを砕かれたゾンビが仰向けに倒れていた。しばらく痙攣していたが、すぐに動かなくなった。
 「ハア、ハア、や、やった……キリノを襲うゾンビ、倒した……」
 鞘子が荒い息を吐いて、日本刀を突き出したまま立っていた。紀梨乃の安全を確認すると、力が抜けたのか、両膝をつく。
 
 「あ、ありがとうサヤー!」
 紀梨乃は鞘子に思い切り抱きついた。
 「キ、キリノ!?」 
 鞘子がうろたえたような声を出す。(おそらく)運動以外の理由で、顔が赤くなっていた。
 「ううー、やっぱりあたしは幸せ者だよ。人生最大のピンチで、助けてくれる友達がいるなんて!」
 
 鞘子は少しまんざらでも無さそうな顔をするが、すぐに落ち込んだ表情に戻った。
 「でも、やっぱりダメ。これだけゾンビだらけなんて、今頃島で生き残ってるのはあたしたちだけよ、きっと……」
 「そんな事ないって、まだ無事な人はたくさん残ってるよ」
 紀梨乃は元気づけようとして言ったものの、もちろん彼女にも確証があるわけではない。鞘子は半泣きになっている。
 
 (う〜ん、どういう風に言えばいいのかなあ……そうだ!)
 「サヤ、逆に考えるの。何が原因か分からないけど、いきなりゾンビにならずに済んであたし達は幸運だったんだよ。
 しかもゾンビ発生から今までの襲撃を躱せたんだから、二重に運が良かったとも言えるでしょ」
 「そうかなあ……」
 鞘子はまだ納得しきれていないようだ。

 (こうなったら奥の手、発動!)紀梨乃は片膝をついた状態で鞘子の頭を抱え込むと、自分の胸に抱きしめた。
 「ちょ、ちょっとサヤ!?」
 「ほらほら〜、サヤの泣き虫さん。今ならあたしの胸で思いっきり泣いてもいいよ。あたしが守ってあげるからねー。
 う〜ん、サヤの髪はいつもサラサラで良い匂いするねえ。何ならこのまま撫で撫でしてあげよっか〜?」
 「……」
 (あれ? 反応がない)
 鞘子は無抵抗でされるがままになっていた。強ばっていた鞘子の体から、力が抜けていくのが感じられる。
 紀梨乃が何となく鞘子の髪を撫でてあげていると、鞘子の両腕が彼女の腰に回された。鞘子の成長した胸が、紀梨乃に腹部に押し当てられる。

 (ええー! これはまさかの百合展開!? ってかゾンビの警戒しないと)
 紀梨乃は慌てて周囲を見回す。ゾンビは見当たらないし、気配も感じられない。しばらくこの体勢が続いた。
 随分長い時間だったように紀梨乃には感じられたが、実際はせいぜい1分ぐらいだっただろう。鞘子がゆっくりと紀梨乃から体を離した。

 「ありがとうキリノ、あたし、もう大丈夫だから。キリノに抱かれてるとね、何だかとっても安心してきたの」
 さっきまでの不安そうな雰囲気は消えて、落ち着いた表情になっている。
 「そ、そりゃ良かったよ(百合じゃなくて、安らぎが欲しかったわけね……)。それじゃ、行こっか」 
 この状況であるはずのない展開を想像していたのを誤魔化す様に、紀梨乃は立ち上がった。

 「どこ行くの?」
 「とりあえず、無事な人を探そう。きっとどこかで生き残ってるよ、少なくともあたしはそう信じてる。そして、協力してゾンビに立ち向かって、島から脱出しよう」 
 「OK、その方針で行きましょ」
 鞘子も立ち上がると、歩き出した。軽やかなステップだった。

 (ポジティブスイッチが入ったかな。ま、サヤが元気になって何よりだよー)
 紀梨乃は鞘子の横に並びながら歩く。サヤ、一緒に日本に帰ろうね。


【D−06/ペンション近くの森/1日目・日中】

【千葉紀梨乃@バンブーブレード】
 [状態]:疲労(小)。前向き。鞘子を守る強い気持ち。
 [服装]:キャミソール、カーディガン、7部丈ジーンズ。
 [装備]:日本刀(刃渡り80cm、刀身と鞘を下げ緒で固定している)
 [道具]:防災グッズ(乾パン・缶詰×6食分、250ml飲料水パック×6)。日用品数種。携帯電話。観光用地図。
 [思考]
  1:サヤを守る。
  2:安全な場所を見つけて一休みする。
  3:無事な島の住民や観光客を助けて、協力し合う。
  4:サヤが元気になってよかったー。

【桑原鞘子@バンブーブレード】
 [状態]:疲労(小)。前向き。紀梨乃への依存。
 [服装]:チューブトップ、薄手のジャケット、タイトジーンズ。
 [装備]:日本刀(刃渡り80cm、刀身と鞘を下げ緒で結んでいる)
 [道具]:防災グッズ(乾パン・缶詰×6食分、250ml飲料水パック×6)。日用品数種。携帯電話。観光用地図。
 [思考]
  1:キリノについていく。
  2:安全な場所を見つけて一休みする。
  3:無事な島の住民や観光客を助けて、協力し合う。
  4:キリノ、ありがとね。