俊成忠度 - 第十五回花祥會のパンフより


《解説》村 尚也

能・俊成忠度(しゅんぜいただのり)
 平家の武将・平忠度は文武両道にすぐれたが、戦死した後も和歌への妄執が歌人藤原俊成のもとを訪ね、『千載集』入集歌が読み人知らずと書かれた怨みを述べ、修羅の苦患へと陥ちていく。
 忠度は平忠盛の六男で、清盛の弟にあたる人物。武人としては、治承四年(一一八〇)五月の橋合戦や三井寺攻め、三年後の北国攻め等に参加。一方、歌人としては、女性との和歌の贈答などでもその風雅ぷりが伝えられるが、なんといっても都落ちの途中、引き返して藤原俊成に会い、自選の歌百余首を勅撰集への入集を願い託した逸話。また岡部六弥太に討ち取られ、名を明かさなかったが、その尻龍{しこ}(矢を挿し込む入れ物)から「行暮れて 木の下影を宿とせぱ 花や今宵の主ならまし 忠度」の一首があった話などが名高い。
 本曲はこの後者のエピソードをモチーフとして、岡部六弥太がこの一首を、歌道で交誼のあった俊成のもとへ届ける処より始まる。
 『千載集』に入れられた「さざ波や 志賀の都は荒れにしを 昔ながらの山櫻かな」が読み人知らずとされた怨みは、世阿弥の名曲『忠度』でも扱われるが、本曲では和歌の初めとされるスサノオや人丸・紀貫之、躬恒{みつね}などに思いを馳せるうち、修羅へと転位していくさまにも焦点がある。
 本来、修羅物は仏法守護の帝釈天とそれを邪魔する阿修羅との闘争を描くのが古型であったようだが、その意味では、キリにその二者のイメージを喚起し、そこに忠度自身の武道ばかりか、和歌の道での闇も投影した処に面白さがある。
 最後にある詞章「花を踏んでは同じく惜しむ少年の春」とは、”初面”に際し、本曲に挑む関根祥丸へ対する、まさに愛歌にもなろうか。

 ※尚、忠度をテーマにした謡曲は多かったようで廃曲には「現在忠度」「名所忠度」「くさかり忠度」「生田忠度」「志賀忠度」「新忠度」などがあった。また「只乗り」を「薩摩守」とシャレた早期のものに狂言の「さつまのかみ」があることを蛇足と承知で付記しておく。


第十五回花祥會のパンフより










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最終更新:2010年01月30日 00:44
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