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 夏休みが終わり、県立ベリーズ高校の新学期が始まった。
 2年B組に転入生がやって来た。
 彼の背の高さと、威圧感のあるシルエットに、教室は少なからずどよめいた。
「熊井友理也。厚木高校から来ました。」
 ぞんざいに自己紹介を放り投げると、熊井友理也は窓際の席につく。
 担任の教師から「足を机にのせるな」とのお叱りを受けた。
「あ、……あの。」 
 隣の席の小柄な男子がおどおどした様子で熊井に呼びかけてきたので応じる。
 男子はつづけざまに、
「け、……けさはどうも。」 
「ん? ああ、電車の?」
「はい。助かりました。」
「なに、なに?」
 話へ割って入って来たのは、後ろの席の男子。ニコちゃんマークを思わせる顔。
「けさ電車で絡まれてたのを助けてもらったんだ。」
「なに、オマエまたからまれてたのー?」
「うん。ほんとにありがとう、熊井くん。」
 率直にお礼を言われるものだから、熊井はつい窓の外に目をやり、
「別に、通行の邪魔だったから踏みつぶしただけだ。」
 と答えた。
 その態度にニコちゃんマークがはしゃいだ。
「なに? ツンデレ? ツンデレなの?」
「うるせーな」
 熊井はむっとした表情でニコちゃんマークを一瞥し、また窓の外を見た。
 担任が騒がしい一画を注意する。
「ぼく、嗣永桃太郎、よろしくね。」
「オレ徳永。覚えといてよ。」
 授業に戻る前に、小柄な男子と、ニコちゃんマークが名乗った。
 熊井の返事は、
「忘れとく。」



 一限目の休み時間、廊下のごみ箱が蹴られた。
 二三人の柄の悪い生徒があたりをうろついていた。
「君たち、片付けたまえ。」
「あ?」
 無愛想に生徒達が見やると、そこには端麗な姿の男子生徒が佇んでいた。
 不良生徒はハッとして俯くと詫びを入れ、散らかしたごみを元に戻す。
「夏焼くんは違うなあ」
 通りがかりに教師が感心していたので、不良生徒達はバツ悪く立ち去った。
 彼らの内の一人の携帯に着信が入った。
《《どうした。何かあったか?》》
 電話の向うから問われると、
「いえ、実は今朝……。」
 彼らは口々に事情を打ち明けた。
《《……ふうん、手も足も出なかったんだ。で、なんて子?》》
「いや、それが、でけーヤツってのは覚えてんすけど、名前までは。」
「たぶんウチの学ッコっすよ。駅一緒でしたし、この辺で学ランうちだけっすから。」
「頼みますよ、夏焼さん。俺らのカタキとってください。」
《《君らにはあまり僕の名前を口にしないでほしいな。》》
「あっ、スンマセン。いや、その、絶対手がかりは見つけますんで。お願いします。」
《《考えておくよ。けど須藤のところの者なら色々と面倒だから、約束はできないよ。》》

 トイレを出て来た夏焼と、入って行く熊井が通り過ぎざま目を合わせる。
 一瞬、沈黙が流れ、あとは何事もなかったかのようにすれ違った。
 夏焼の脳裡に電話からの情報が過る。即ち「でけーヤツ」。
「さっきの転入生か。」
 どうやら相手は夏焼と同じクラスらしかった。



 高天に日が輝く。熊井は売店で焼きそばパンを購入し、中庭で食べようと考えた。
「早くしないと~……。」
 とひとりごちながらこちらに近づいてくる紅顔の少年に熊井は目を奪われた。
 彼の右手はズボンの中でボリボリと上下していた。
 熊井は思わず避けてしまった。あれは股間を掻いているのに違いない。
 その彼とすれ違った後に、熊井は気になって一度振りかえった。
 売店で菓子パンを二つとジュースを二本頼んでいた。

 屋上で数人がつるんでいる。体格のいい男子生徒が一人目立つ。
 そこへ徳永が現れるや、楽しげな面持ちで、
「ねえねえ須藤。知ってるー?」
「テメェ徳永、須藤“さん”だろーが。言葉に気ーつけろ。」
 徳永から話しかけられた体格のいい男子ではなく、取り巻きの一人が口を挿んだ。
「あ? オレはオマエらみたいな三下じゃねぇーんだよ。」
「ぁんだと?」
 ここで沈黙を破った須藤は「もういいだろ」と諍いを止め、
「どうした?」
「ああ、さっきの転入生のコトよ。」
「熊井?」
 徳永は頷き、今朝電車内で熊井が嗣永を救ったことを語った。
「強いのか。」
「らしい。まー桃から見りゃ誰だって強いだろーケド。他にも何人か見たって。」
「なんの話っスか。」
 不意に聴こえた声に徳永が振り向くと、紅顔の少年がいた。
「うわっ! 菅谷かよっ。」
「須藤さんパンかってきました。」
 菅谷と呼ばれた紅顔の少年は、菓子パンを須藤へ渡すと、
「よくインキンにパシリさせれるな、うつるよ?」
 徳永は須藤をうかがった。
「よけいなお世話だ。用がすんだらとっとと行け。」
「へいへい。」と生返事で徳永は屋上を去った。



 駐輪場で嗣永が朝熊井に伸された三人に絡まれている。
 目撃者は昼食を終え、教室へ戻ろうとしていたある男子生徒だった。
 彼はやや躊躇ったが、半泣きの嗣永を見かねて口を滑らせた。
「なにやってんスか先輩。ソイツ俺ンとこのクラスメートなんスけど。」
「清水か。オメーには関係ねーよ。」
「またフクロに遭って踊れなくなりてーのか? ダンス部キャプテン。」
「次入院したら残り少ない部員もいなくなって廃部だぜー。」
 たたみかけられた返答に、清水はただ強張るばかり。 
「し、清水くん。ぼくは大丈夫だから、い、行ってよ。」
 嗣永が言った。直後、三人の一人が彼の腹を殴打する。嗣永は呻いた。
「うっせぇな。テメーは朝やりそびれた分死ね。」
「や―――っ!」
 やめろ、と清水が声に出しかけた時だった。
「そのへんにしとけ。」
 清水が背後の気配に振り向けば、熊井がいた。
 熊井は、ポケットに手をつっこんだまま三人を睨みつけている。
「あんた、けさの転校―――。」
「どきな。」
 正面しか視ていない熊井は、清水とのやりとりを掃くように前進した。
「あんたら、電車でもそいつに絡んでたな。好きなの?
それとも、……俺が相手じゃ恐くて仕返しに来られなかったか?」
 三人は熊井の挑発に図星を言い当てられたのか、何も言い返せなかった。
「なんか言えよ。」
 熊井から催促されたからか、三人の一人が口を開きかけた。
 突然、彼は宙を舞った。熊井の右脚が彼の舞った方向に伸びている。
 コンクリートの地面へ落下した彼の顔面にはくっきりとした足跡がある。
「言い訳は聞きたくない。」
 自分が眠らせた相手の沫を吹く姿を見やってから、熊井はぼそりと呟いた。
 清水も嗣永も、無論残りの二人も、絶句するしかなかった。



 熊井は、上級生二人が失神した仲間を担いで逃げ去った後、
 へたり込んでいた嗣永に手を差し伸べた。
「立てるか。」
「ほんとに、何度も、ありがとうございます。」
「タメなんだ、敬語はよせ。」
「は、はい。」
 熊井と嗣永のツーショットは、まるで大人と子供だった。
 清水は立ち尽くしていたが、我に返り、二人の同級生と共に歩き出した。
 渡り廊下の出口に夏焼が立っていた。
 清水はまた強張った。
「おまえ、今の、……観てたのか。」
「まさか。出遅れてしまっただけだよ。」
 夏焼は清水に答えてから、うっすらと笑みを浮かべた。
「風紀委員は僕なのに迂闊だった。嗣永君の危急にも駆け付けられなかったし、
その上熊井君の喧嘩も止められなかった。我ながら本当に情けない。」
「俺があんたを追い越しただけだ。」
 ぶっきらぼうな口調の熊井。
 夏焼は微笑みかける。
「熊井君だったよね。有難う。」
「走って行くあんたの独り言が勝手に耳に入っただけだよ。」
「あの人たち上級生だったのに、よく立ち向かえたね。」
「腹ごなしにもならなかったが、風紀委員にも見られたし、転校早々停学かなコリャ。」
「クラスメートを救ってもらったんだ、先生には黙っておくよ。」
「あそ。悪いね。」
 熊井は呑気だが、夏焼の一語一語を聞き入っていた清水は心中穏やかではない。
「なあ、雅。」
 清水は夏焼を下の名で呼んだ。
 一寸間があり、清水は言いかけたことを飲み込んだ。
「先生に用事があったのを思い出したよ。また。」
 夏焼は三人に背を向けた。



 熊井から逃げた上級生三人の内二人が階段の踊り場にいた。
 一人が携帯を使用している。
《《もう少し応戦してくれないとデータがとれないじゃないか。》》
「スンマセン。でも、やっぱ強すぎますよあのデカブツは……。」
《《強い? 大したことないよあんなの。》》
「じ、じゃあどうしてわざわざこんな回りくどいことを。」
《《完勝するためさ。僕が負けるとでも思っているのか?》》
「そそ、そういうわけじゃないっすけど……。」
《《……。チャイムが鳴ったね、君たちはもういいよ、お疲れ様。》》
「ちょっ、な、夏焼さん、待って下さいよ―――。」
 通話が途切れた。
「マズイ。このままじゃ俺らも清水みたいにシメられちまうぞ。」
 一人が言った。片方も頷く。
 二人は煙草で気を落ち着かせた後、
「須藤に守ってもらうしかないか。」
「そうだな。……いや、でも今更泣きつけるか?」
「詫び入れるしかねぇよ。」
「俺ら上級生なのにな……。」
 暗い決断が下された。
「おい、授業が始まってるぞ。あ、お前ら煙草やってるな!」
 階段の下からジャージ姿の竹刀を持った教師が怒鳴った。
 二人は徐に紫煙を吹かすと、そのまま教師を素通りして行った。
「くそっ。校長が甘いからって教師を舐めてやがる。」
 捨てゼリフがあとに残った。

 教室で須藤が眺めていたのは熊井だった。
 熊井は授業に興味なく、けだるそうに窓の外を眺めている。
「ふーん、あいつがねぇ。」と呟きながら、須藤は清水に目をやった。
 清水から駐輪場での出来事を聞かされてのことだった。
 不意に菅谷がドアの隙間から教室をのぞき込んで須藤を呼んだ。
「伝言です。」菅谷からの言葉に、須藤は眉を顰めた。



 放課後。夕日が燃え上がっていた。
 校舎裏の壁際に葛が花を咲かせている。三年生二人の姿があった。
「誰か来たか?」
 一人が辺りを警戒しながら聞くと、もう一方は首を横に振った。
「くそっ。ケータイくらい持っといてくれよ、しかも校内で会うなんてよ……。」
「携帯電話は好かんのですわ。」
 二人は不意に現れた須藤に驚き仰け反った。
「それから俺は学校のことは学校で済ます主義なんで。悪く思わんで下さい。」
 須藤は一人だった。
 煙草を咥えた須藤に、一人がすかさず火を点した。
「見張りも頼めそうにないですね。先輩がたじゃ。」
「頼む。須藤、……さん。このままじゃ俺らやられる。」
「誰にです?」
「……。」
「言えませんか。」
「……、夏焼。」
「片っぽは自分らでケジメつけて下さいよ。」
「えっ。」
 須藤の背景に黒い影が並ぶ。十人近い生徒が波濤の如く迫っていた。
 二人に背を向け、須藤は十人と対峙する。
 ハッとして二人が振り向けば、そこにはまた十人ほどがいた。
 先頭を切った一人が須藤に蹴りかかった。
 だが須藤はその足を掴み、そのまま投げ飛ばす。壁に叩きつけられた。
 残りを睨み据え、仁王立ちの須藤。
「どんどん来いや!」
 怒号が空気を震わせた。
 殴りかかる者がいれば一本背負い。怯んだ者には拳が唸る。
 須藤の姿は猛牛の暴れる様を想起させた。
 三年生二人はどうしていたか。
「頼む、勘弁してくれ。」
 一人が命乞いすると、相手が笑う。
「何いってんですか。迎えに来ただけですよ。先パイ。」
 二人はきょとんとしながら顔を見合わせた。



 翌朝。
「停学~?」
 徳永が素っ頓狂な声で言った。清水は外れた音に失笑しつつ、
「二十二人に囲まれて十五人も病院送りにしたらしい。」
「で、須藤は?」
「かすり傷。夏焼の取り成しがなかったら退学モノだったとよ。」
「その話笑える。合コンで使うわ。」
 徳永はチラリと夏焼の机を一瞥した。
 当人は席を外している。

 二限目の最中に熊井は登校した。
 下駄箱の前で熊井の両脚に二人の男子が体当たり気味にしがみ付いた。
 絶対に離さない。そんな決意が彼らから伝わって来る。
「テメーは足癖が悪いからな。」
 眼の前にも男子が一人いる。いずれも嗣永に絡んでいた三年生であった。
「懲りないね、あんたら。根性あるよ。」
「熊井、オマエやんねーとよ、赦してもらえねーんだ。」
「早くしろよ!」
「わ、わかった……。」
 熊井の前に立った三年は仲間の声に応えたが、さすがに尻込みする。
 しかし、メリケンサックを握り締め、覚悟を決めた。
「死ねやぁ!」
 殴りかかって来る相手に顔色一つ変えない熊井がいる。
 あくびが出た。
 相手の額が割れる。カウンターで熊井の肘打ちが入ったのだ。
「ゴメンな。手癖も悪いんだ、俺。」
 肘打ちに沈んだ相手は顔面血まみれとなり、天を仰いで痙攣している。
 脚を抑えていた二人も振りほどかれてしまうや否や蹴り飛ばされてしまった。

「熊井くん、三日間の停学ね。夏焼くんが転入生の君を庇ってくれたから、
このくらいの処分で済んだんだ。彼に感謝しなさい。」と教頭から告げられる。

 だがその翌朝、熊井は何食わぬ顔で登校して来た。
 彼の佇まいはいつにも増して不遜に見えた。



 停学処分にされた生徒がそこにいる。
 見回りの教師が竹刀を振るった。
「熊井、どうして来た。」
「スンマセン、斉藤先生。俺背高いでしょ、遠くて話聞きとれなかったんすよ。」
「……、もういい。保健室にでもいろ。」
 言われたとおりにした。
 誰もいなかったので勝手にベッドへ横たわる。
 しばらくして、ドアを開く音が聞こえた。
「あれっ、先客かよー。」
 呑気な声に熊井は聞き覚えがある。
「熊井じゃん!」
 そこにはこちらを覗き込む徳永の顔があった。
「お前停学にされたんじゃなかったっけ?」
「ムカついたから出て来た。」
「なにそれ。面白いやつだなーお前。桃助けるし。あんなの日常茶飯事なのによ。」
「アイツいつもああなのか?」
「見た目通りよわっちいからね。絡みやすいんじゃねーの。あっ!」
 またドアの開く音がした。同時に徳永が声を上げた。
「あらまた来たの徳永くん。今日は何かしら?」
 男子校には似つかわしくない、女の声がした。
「頭痛がするんだ。」
「お腹抑えてるわよ。」
 徳永は悪戯っぽく笑っている。
「そっちに寝てるコは?」
「停学なのに登校してる奇特な少年熊井友理也くんでーす。なっ。」
 いきなり掛け布団が引っぺがされた。徳永がやった。
「あらイケメン。」
 熊井を見て、そう述べたのは、わりと綺麗な女性だった。
「そりゃないよ麻理子ちゃん。ボクというものがありながら。」
 徳永が情けない口調ですがりついた。
「……、なんだお前ら。」
 熊井の正直な感想である。



10

 徳永は清水と嗣永に熊井の登校していることを伝えた。
「エッ熊井くん来てるの?」
 嗣永が甲高い声でたずね返した。
「だからさっきから言ってるだろ。」と徳永はうざったそうだ。
「ごめん……。」
「あんま苛めてやるなよ。」
 しぼんでしまった嗣永を見かねて清水が口を挿んだ。
 清水は夏焼の席の方を見た。夏焼が座っている。
 こちらを気にしている様子はなさそうだ。と清水は安堵した。
「それと、無暗に言いふらすなヨ。」
 清水は忠告したが、徳永の返事は軽い。
 今一度、清水は夏焼の方を見た。
 夏焼もこちらを見ている――――ッ!
 猛禽にも似た熱のない眼光に、清水は背筋が凍るようだった。

 純白シーツの張られたベッドの掛け布団から片足がはみ出している。
 嗣永は保健室にいた。誰の目を気にしてか、ウズラのように身を屈めていた。
 彼の前にだらりと落ちている足はきっと熊井のものだ。
 なにするでもなく、屈んだまま嗣永はその足を見守っていた。
「嗣永くん、また怪我したの?」
「わっ。」
 声にびっくりして嗣永が立ちあがる。養護教諭の大江麻理子がいた。
「怪我じゃないね。」
「く、熊井くんを……。」
「そっか、クラス一緒なんだね。」
 嗣永はこくこく頷いた。
「でも熊井くんもういないわよ。」
「エッ。」
 ベッドを検めてみれば、別人が寝ていた。
「熊井くんは?」
「さぁ。さっき少し席を外していたらいなくなっていたから。」
「そうですか……。ありがとうございました。」
 嗣永は保健室を出た。


          11~20