寺島宗則

寺島 宗則(てらじま むねのり、1832年6月21日天保3年5月23日)- 1893年明治26年)6月6日)は、江戸時代後期の幕臣、明治時代の政治家である。爵位は伯爵。名は徳太郎、または藤太郎。別称に松木弘安(松木弘庵)。通称は陶蔵。

日本の電気通信の父と呼ばれる。第4代外務卿として活躍した。

来歴・人物

1832年、薩摩国出水郡出水郷脇本村字槝之浦(現・阿久根市脇本)の郷士長野成宗の次男として生まれる。江戸に出て蘭学を学び、薩摩藩島津斉彬の侍医となったが、斉彬の死後に藩を離れて幕府の蕃書調所に勤める。


関連書籍

  • 高橋善七『日本電気通信の父 寺島宗則』図書刊行会
  • 犬塚孝明『寺島宗則』吉川弘文館

関連項目




出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年11月17日 (月) 14:15。












     

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最終更新:2009年01月06日 23:15
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