thumb|320px|アメリカ国立公文書館に現存する計画書による日本の[[分割統治計画。東京23区は米中ソ英4か国、近畿と福井県は米中2か国による共同統治。]]
日本の分割統治計画(にほんのぶんかつとうちけいかく)は、第二次世界大戦において、ドイツやオーストリアが降伏後米・英・ソ・仏4カ国に分割統治されたように、本土決戦後の日本も北海道・本州・九州・四国を連合国それぞれが統治しようとした計画。
連合国は第二次世界大戦中、日本が明治維新以降に『暴力的に獲得した地域』を連合国によって分割する方針を打ち出していた。連合国は日本降伏後、かかる地域を以下のように分割占領した。
これらは、1945年(昭和20年)の日本降伏後、速やかに実行された。
これら占領地域には、日本が内地とした地域もあり、その点で言えば、日本領土は史実でも分割されている。しかし、本土決戦の回避により、上記以外の日本本土を構成する北海道・本州・四国・九州及び付属島嶼は、連合国軍最高司令官総司令部(通称GHQ、実質は米国)によって1952年(昭和27年)まで統一した占領統治下におかれ、分割されることはなかった。本計画では、これらの本土地域も細かく分割することになっており、この項目で指す分割とは、この計画を指している。
アメリカにある国立公文書館に現存する計画書によると、北海道と東北はソ連占領地域、関東・中部・福井県を除く北陸及び三重県付近はアメリカ占領地域、四国は中華民国占領地域、中国・九州はイギリス占領地域として統治し、首都東京の23区は米・中・ソ・英の、福井県を含む近畿は中華民国とアメリカの共同管理下に置くという計画であった(地図参照)。
この計画が廃案となった理由ははっきりしていない。有力な説としては以下が挙げられる。
その他にも、以下のような説などさまざまな主張がある。
いずれにせよ、この計画が実行されなかった事は日本にとっては良い結果をもたらしたといえよう。仮にドイツや朝鮮半島、ベトナムのように資本主義を支持する国と社会主義を支持する国で分割統治された場合、前述の国の例を鑑みれば、そのまま複数の国に分断されてしまい、最悪の場合は朝鮮戦争やベトナム戦争のように、日本人同士が相討つ事態になる可能性があった。また東京の共同管理にもベルリンと同様の困難を伴ったであろう。また、すべての困難を乗り越えてドイツのように国家の再統合を達成しても、旧西ドイツと旧東ドイツのように互いの国民の精神や生活水準に著しい差異が生じ、現在の日本においても見られる日本人同士での対立や差別が顕在化する可能性があった。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年12月10日 (水) 10:25。