前半は部落問題を参照
被差別部落の数や部落問題の認知度については大きな地域較差がある。差別の対象となった賤民身分や被差別部落の呼称も地域により様々であり、一般に関西を中心とした西日本には大規模な被差別部落が多く存在し、解放運動が盛んであるが、関東地方では被差別部落自体が比較的少ないことから認知度が低い傾向にある。
北陸地方や東北地方では被差別部落がごく少数点在するのみであり原田伴彦 田中喜男『東北・北越被差別部落史研究』明石書店 1981年、明治期以降解放運動の盛り上がりに欠けていた。学校での教育なども行われないため、これらの地域の住民は部落問題への認知度自体が非常に低く、「部落」と言う言葉も単に一般の集落や町内会を指すことが多い。北海道や南西諸島には歴史的な被差別部落は存在しない。
北陸地方で部落問題が発展しなかったのは全国の被差別民も多く帰依していた浄土真宗が大多数を占めることが一因である。浄土真宗では武士、猟師、そして被差別民の「役務」・「家職」にともなう殺生は、忌避の外としていた。例えば越中(富山)には「稼職に非ざる殺生を致し申す間敷事」という「念仏行者心得か条」が残っている。越中(富山)の被差別民にあたる藤内は隔離される事無く、集落に分拠していたため被差別部落そのものが形成されなかった。
加えて、1980年代後半以降、これらの地域では急速な過疎化が進み、1990年代以降は被差別部落も含め消滅する集落が珍しくなくなった。この状態で被差別部落の隔離が維持されることはなく、意識が低かったこともあって部落問題そのものが過去のものとなりつつある。その為、北関東地方も含めたこれらの地域では、通常の学校教育では現代の部落問題に関して教えることはまずない事から、関西以西に進学する学生を対象に、部落問題についての禁忌、タブーといったものを特別に講義する事態になっている。
「最近、都会やその近郊では近隣の住宅や人の移動などで存在が薄れ、部落差別は現在はほとんど意識されることがなくなった」とも言われるが、最近でもその存在その物をタブーとする人においては差別意識が改善されたのではなく、単に忌避意識が潜在化しているだけであるという解釈もある。
また、糾弾闘争に対して、近年では、「差別とされる内実も、被差別部落出身だからというよりも、強力な圧力団体がバックについているがゆえに敬遠され、差別解消を建前とする部落解放同盟が、反対に真の意味での差別解消を妨げている。自己目的化した団体は、本来の目的を達成することでその存在意義を失うことを恐れている」とする主張もある。
その一方で、出版物やインターネットなどでアンダーグラウンド情報などとして、差別を煽動するような情報が流されるという事実もある(アマチュアパケット無線での「地名総鑑」流布事件)。
また、「苛烈な『糾弾』への忌避感情」を利用して押し売りや恐喝等を行うえせ同和行為(2007年には在日朝鮮人による犯罪も発覚している)も部落問題の解決を遅らせている一因となっている。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年11月29日 (土) 13:42。