シーメンス事件

「シーメンス事件」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

シーメンス事件」(2008/11/19 (水) 00:11:50) の最新版変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

'''シーメンス事件'''(シーメンスじけん)は、[[ドイツ]]の[[シーメンス]]社の行った[[大日本帝国海軍|日本海軍]]高官への[[贈賄]]事件のこと。[[ヴィッカース]]社への巡洋戦艦「[[金剛 (戦艦)|金剛]]」発注にまつわる贈賄も絡んで、当時の政界を巻き込む一大疑獄事件に発展した。[[大正]]3年([[1914年]])1月に発覚し同年3月には海軍長老の[[山本権兵衛]]を首班とする[[山本内閣]]が[[内閣総辞職]]にまで追い込まれた。 == 事件の背景 == 海軍は明治初年以来、[[イギリス]]・ドイツなどから艦船や装備品を購入しており、外国の造船会社相互間の競争は激しく、海軍の高級技術将校や監督官などは、その立場上各造船会社や軍需品を取り扱う企業の日本代理店との交渉や手数料をめぐって問題を起こしやすかった。 明治末期から大正初期にかけては、藩閥・軍閥に対する批判が高まった時期であり、軍の経理問題にも一般の関心が寄せられた。前年の大正2年([[1913年]])には、[[大正政変]]・[[第1次護憲運動]]で長州閥・陸軍に攻撃の矢が向けられたが、大正3年(1914年)1月にこのシーメンス事件が発覚すると、薩摩閥と海軍とに批判が集中した。 == 事件の概要 == この事件は、シーメンス社社員のカール・リヒテルが会社の重要書類を盗み出し、東京支店長を脅迫したが失敗したことから、[[ロイター|ロイター通信]]特派員アンドルー・プーレーに書類を売り、ドイツへ帰国、恐喝未遂罪で起訴されたことに始まる。 大正3年([[1914年]])[[1月21日]]の外電は、リヒテルに対するベルリン公判廷での判決文の中で、彼の盗んだ書類中に発注者の日本海軍将校に会社側が[[リベート]]を贈ったとの記載があると伝えたので、[[1月23日]]、第31議会衆議院予算委員会で、[[立憲同志会]]の[[島田三郎]]がこの件について厳しく追及した。山本内閣は、この議会に海軍拡張案とその財源として営業税・織物消費税・通行税の増税の予算案を提出していたことから、これに反対する民衆の攻撃の的となり、新聞は連日海軍の腐敗を報道し、海軍内部からの[[内部告発]]もあり世論は沸騰した。 1月末から2月初めにかけて、関係者の喚問や家宅捜索が開始され、2月7日、[[藤井光五郎]]機関少将([[艦政本部]]第4部長)、沢崎寛猛大佐が検挙され、海軍[[軍法会議]]に付された。[[2月10日]]野党の立憲同志会・[[立憲国民党]]・[[中正会]]は衆議院に内閣弾劾決議案を上程した。その日、[[日比谷公園]]で内閣弾劾国民大会が開かれていたが、この決議案が164対205で否決されたことを聞くと、この大会に集まっていた民衆は憤激して[[国会議事堂]]を包囲し、構内に入ろうとして官憲と衝突した。 司直の取調べが進むとこの[[汚職]]事件はいっそう広がり、[[3月12日]]イギリスの[[ヴィッカース]]社の日本代理店である[[三井物産]]の重役岩原謙三が、明治43年([[1910年]])に巡洋戦艦「金剛」をヴィッカース社に注文させるため海軍高官に贈賄した容疑で拘禁され、ついで飯田義一・山本条太郎ら三井物産の関係者が起訴された。その結果、当時の艦政本部長で元[[呉鎮守府]]司令長官[[松本和]]中将が「金剛」の建造に際し、三井物産の手を経てビッカース社から約40万円の[[賄賂]]を受けていたことが判明した。この間、[[貴族院 (日本)|貴族院]]は海軍予算7000万円を削減することを可決し、予算案は両院協議会の不調となり不成立となり、[[3月24日]]山本内閣は総辞職した。 後継の[[第2次大隈内閣]]は海軍粛正の声に押されて[[八代六郎]]新海相の元で大改革を断行、[[5月11日]]には山本前首相及び[[斎藤実]]前海軍相を[[予備役]]に編入する。5月19日[[軍法会議]]は、松本和前艦政本部長に対し三井物産からの収賄の容疑で懲役3年、追徴金40万9800円を、また沢崎寛猛大佐に対し、[[海軍無線電信所船橋送信所]]設置に絡みシーメンス社から収賄した容疑で懲役1年、追徴金1万1500円の判決を下した。東京地方裁判所は[[7月18日]]山本条太郎ら全員に有罪判決を下し(控訴審では全員執行猶予)、9月3日の軍法会議では藤井光五郎に対し、ビッカース社他数社から収賄したとして、懲役4年6ヶ月、追徴金36万8000余円の判決を下し、司法処分は完了した。 しかし、折から[[第一次世界大戦]]の勃発もあって、3名の海軍軍人を有罪としただけでこの事件は終結し、産業界と軍部との癒着構造の根源にまでは追及されなかった。 == 参考文献 == * 紀 脩一郎 『史話・軍艦余録 : <small>謎につつまれた軍艦「金剛」建造疑獄</small>』 光人社、1979年。 * 奈倉文二・横井勝彦・小野塚知二 『日英兵器産業とジーメンス事件 : <small>武器移転の国際経済史</small>』 日本経済評論社、2003年、ISBN 4818815047。 * 木村久邇典 『帝国軍人の反戦 : <small>水野広徳と桜井忠温</small>』 朝日文庫、1993年、ISBN 4022607823。 ** 補章「汚職告発者太田大佐の悲劇」(初出:『歴史と人物』1976年9月号、中央公論社)、243-260頁。 == 関連項目 == *[[山本権兵衛]] *[[大正デモクラシー]] *[[徳川家達]] *[[シーメンス]] *[[鰻香内閣]] [http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%82%B9%E4%BA%8B%E4%BB%B6 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年10月16日 (木) 10:04。]     

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示:
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。