日英和親条約

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'''日英和親条約'''(にちえいわしんじょうやく、 '''Anglo-Japanese Friendship Treaty''')は[[1854年]]、[[日本]]と[[イギリス]]の間で締結された最初の条約。幕末の混乱期から明治初頭にかけ、日本が列強と結ぶことを余儀なくされた[[不平等条約]]の一つである。'''日英約定'''(にちえいやくじょう)とも。 1854年[[9月7日]]、[[ジェームズ・スターリング提督]](Admiral Sir James Stirling)率いるイギリス東洋艦隊が[[長崎市|長崎]]に来港、日本との通航を要求した。 [[砲艦外交]]の圧力の下、[[江戸幕府]]の許可を得た[[長崎奉行]][[水野忠徳]]及び同目付[[永井尚志]]が同年[[10月14日]](嘉永7年8月23日)、条約に調印した。 日本は先の[[日米和親条約]]で米国に[[下田市|下田]]と[[函館市|箱館]]の開港を認めていたが、この条約では長崎と箱館を英国に開放([[条約港]]の設定)し、薪水の供給を認めた。また、[[治外法権]]・[[最恵国待遇]]などの規則も定められた。ただし通商規定は無かった。 これに[[香港総督]][[ジョン・ボーリング]]は異論を挟んだが、[[清国]]との関係悪化によって妥結した。 その後、[[ロシア]]や[[オランダ]]とも同様の和親条約が締結され、[[1858年]]には[[エルギン卿]]が来日して五港開放や貿易と英国人の居住を認める[[日英修好通商条約]]が締結される。 == 参考文献 == *''Great Britain and the Opening of Japan, 1834-1858'' by W.G. Beasley (Japan Library paperback, 1995, first published by Luzac & Co., 1951) ISBN 1873410433 == 関連項目 == *[[日英関係]] *[[条約の一覧]] *[[不平等条約]] *[[日米和親条約]]   [http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%97%A5%E8%8B%B1%E5%92%8C%E8%A6%AA%E6%9D%A1%E7%B4%84 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年11月11日 (火) 15:16。]    

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