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'''五榜の掲示'''(ごぼうのけいじ)とは、[[慶応]]4年[[3月15日 (旧暦)|3月15日]]([[1868年]][[4月7日]])に立てられた五つの[[高札]]のことであり、明治政府が出した民衆に対する最初の禁止令である。
その前日に出された[[五箇条の御誓文]]が、公卿や大名に示され、都市で発売されていた太政官日誌で布告されただけだったが、五榜の掲示はほぼ全国に対し出されている。また、君主や家長に対する忠義の遵守すること、集団で謀議を計ることや、許された宗教以外([[邪宗門]]、はっきり言えば[[キリシタン|キリスト教]])の禁止など、[[江戸幕府]]の政策を継承する内容となっている。その一方で、同時に旧幕府時代の高札の廃棄も命じているところから、新政府の権威とその支配圏を象徴するものであった(その証拠として、[[奥羽越列藩同盟]]加盟[[藩]]では、五榜の掲示は立てられないから新政府との開戦と同時に破棄されている事が挙げられる。また、その他の[[佐幕派]]の[[大名]]・[[旗本]]領でも掲示されていない)。
[[明治]]6年([[1874年]])、高札制度が廃止されると同時に、事実上廃止された。
== 立札 ==
=== 五榜の掲示 全文 ===
*一札:五倫道徳遵守
*二札:徒党・強訴・逃散禁止
*三札:邪宗門厳禁([[1873年]]に諸外国から批判を受け廃止。)
*四札:[[万国公法]]履行
*五札:郷村脱走禁止
== 関連項目 ==
*[[五箇条の御誓文]]
*[[高札]]
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