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{{Battlebox
| battle_name=ドーリットル空襲
| campaign=南方作戦
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| image=[[Image:USS Hornet.jpg|300px]]
| caption=ホーネットからのドーリットル隊の発艦
| conflict=[[太平洋戦争]]
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'''ドーリットル空襲'''(-くうしゅう、Doolittle Raid)、または'''ドゥリットル空襲'''とは、[[太平洋戦争]]中の[[1942年]][[4月18日]]に、アメリカ軍が[[航空母艦]]に搭載した[[陸軍]]の[[爆撃機]]によって行った[[日本]]本土に対する空襲である。名称は空襲の指揮官の名前に由来する。
==経緯==
[[真珠湾攻撃]]以降一方的な敗退を続け、さらに開戦後の[[1942年]][[2月24日]]には、[[大日本帝国海軍|日本海軍]]の'''[[伊号第一七潜水艦|伊17]]'''乙型大型潜水艦によるアメリカ本土の[[カリフォルニア州]][[サンタバーバラ (カリフォルニア州)|サンタバーバラ]]のエルウッド[[石油]]製油所への砲撃を受け、大きな衝撃を受けた[[アメリカ合衆国軍|アメリカ軍]]は、士気を高める方策として[[帝都]]・東京を[[爆撃]]する計画をたてた。
アメリカ陸軍は長距離爆撃機を保有していたものの、その行動半径内に日本をおさめる基地は無く、[[ソビエト連邦|ソ連]]の領土は[[日ソ中立条約]]のため、爆撃のための基地使用は行えなかった。また、[[アメリカ海軍]]の空母艦載機は航続距離が短く、爆撃のためには空母を日本近海に接近させる必要があり、これは[[太平洋]]上で唯一動ける空母機動部隊が危険に晒されることを意味した。そんな中、アメリカ海軍の潜水艦乗組員が「航続距離の長い陸軍の爆撃機を空母から発艦させてはどうだろうか」と[[フランクリン・ルーズベルト|ルーズベルト]][[大統領]]に進言。[[B-25 (爆撃機)|B-25]]爆撃機を急遽、空母の短い飛行甲板から発進出来るように軽量化を図った。
陸軍爆撃機の空母からの発艦は実戦では初であり、この作戦はトップシークレットとされた。また、空母に着艦するのではなく、[[日本列島]]を横断して当時、[[日本軍]]と戦争中であった[[中華民国]]東部に[[中華民国国軍]]の[[誘導信号]]の下で着陸する予定となった。B-25を搭載する空母は[[ホーネット (CV-8)|ホーネット]]とされ、[[エンタープライズ (CV-6)|エンタープライズ]]が護衛につくこととなった。
==空襲の経過==
1942年4月1日、16機のB-25を搭載した空母[[ホーネット (CV-8)|ホーネット]]および護衛の[[巡洋艦]]3隻、[[駆逐艦]]3隻は[[サンフランシスコ]]を出撃した。途中、[[エンタープライズ (CV-6)|エンタープライズ]]と巡洋艦2隻、駆逐艦4隻と合流し、日本へ向かった。攻撃予定日前日の4月17日、発艦予定海域手前で日本軍[[特設艦船#特設監視艇|特設監視艇]]、[[第二十三日東丸]]に発見された。第二十三日東丸は軽巡[[ナッシュビル (軽巡洋艦)|ナッシュビル]]の砲撃で撃沈され、乗員14人全員は艇と運命を共にした。日本軍に発見されたことで、爆撃隊は予定よりはやく空母ホーネットを発艦した。なお、ナッシュビルはもう1隻監視艇(長渡丸)を撃沈している。
[[ジミー・ドーリットル]]中佐率いるB-25爆撃機16機は[[東京市]]、[[川崎市]]、[[横須賀市]]、[[名古屋市]]、[[四日市市]]、[[神戸市]]を爆撃した。
日本側には50人の死者、家屋262戸の被害が出た。また、索敵から帰還した海軍[[攻撃機]]を敵機と誤認した陸軍[[戦闘機]]の機銃攻撃を受け、海軍軍人1名が死亡。意図的か誤認か定かではないが、[[国際法]]上禁止されている非戦闘員に対する攻撃に至った機もあり、掃除を終え、帰ろうとした小学生1名が[[機銃掃射]]を受け、死亡した。この学童には「悲運銃撃善士」という[[戒名]]が与えられた。また、日本軍の航空機と勘違いし、手を振った学童に対しても機銃掃射したが死者は出なかった。しかしこのうち一機(ホーネットを4番目に発艦した機長エベレット・w・ホームストロム[[少尉]]のB-25は正規の防空戦闘機隊ではないキ61試作機([[三式戦闘機|三式戦闘機飛燕]])の追撃をうけ、翼内燃料タンク漏れと旋回銃故障に陥った。
爆撃機は日本列島を横断し、中国東部に着陸した(一機は[[ウラジオストク]]に着陸、乗員は抑留された)。乗員は戦死が1名、行方不明が2名、捕虜となったのが8名で、残りはアメリカへ帰還した。[[大本営]]はこの被害を隠蔽し、「敵機9機を撃墜。損害軽微」などと発表した。しかし当日は晴天であり、墜落した航空機など市民からは一機も確認されなかったため、大本営の発表に対し『皇軍は空気(9機と空気をかけた駄洒落)を撃墜したのだ』と揶揄するものもいた。一方、日本軍に逮捕された捕虜の一部は処刑され、これに対してアメリカは、『野蛮人の蛮行』として大々的に[[プロパガンダ]]に利用した。
==影響==
===ミッドウェー海戦===
{{main|ミッドウェー海戦}}
この攻撃の報に、本土への攻撃に対する防御を受け持っていた陸軍はもとより海軍の[[山本五十六]][[聯合艦隊]]司令長官は衝撃を受けた。山本長官は安全圏確保のために敵空母殲滅も視野に入れたミッドウェー島攻略作戦の実行につながっているとされる。ミッドウェー海戦では、指揮官の認識不足から現場に混乱が生じ、初の大きな敗北を喫し、[[山口多聞]]を始めとする緒戦から支えてきた有能な人材や、機材の多数が海中に没する結果を生んだ。
===アメリカ本土空襲===
{{main|アメリカ本土空襲}}
敗退続きだったアメリカ国内はこの空襲によって沸き立ったが、この東京初空襲に対抗して、6月21日には日本海軍の潜水艦が、[[オレゴン州]]アストリアにあるスティーブンス海軍基地を砲撃し基地の施設に被害を与えた他、9月には日本海軍の潜水艦の艦載機がアメリカ西海岸のオレゴン州を2度にわたり空襲(アメリカ本土空襲)した。
しかし上記のように敗退続きであったアメリカ政府及び軍は、国民への精神的ダメージを配慮してこの空襲の事実を公表しなかった。なおこの空襲は、現在に至るまでアメリカ本土に対する唯一の外国軍機による空襲となっている。
===シャングリラ===
ドーリットル空襲の成功はすぐにアメリカ本国でも宣伝されたが、作戦の全容は長く秘匿された。空母ホーネットの名も例外ではなく、記者会見で空襲の成功を発表した[[フランクリン・ルーズベルト|ルーズベルト大統領]]は記者団からの「爆撃機はどこから発進したのか?」という質問に対し、「発進地は[[シャングリラ]]」と答え、煙に巻いた。シャングリラはもとより架空の地名であるため「爆撃機は空母シャングリラから発進」と一部で誤って報道された。
なお、このエピソードが元になったものか、後日、本当に空母[[シャングリラ (空母)|シャングリラ]](CV-38;[[エセックス級航空母艦]]の1隻)が就役している。
==関連項目==
{{commons|Doolittle Raid}}
*[[東京大空襲]]
*[[太平洋戦争の年表]]
*[[大日本帝国海軍艦艇一覧]]
*[[第二次世界大戦]] - [[太平洋戦争]]
*[[海軍]] - [[大日本帝国海軍]]- [[アメリカ合衆国海軍]]
*[[パール・ハーバー (映画)]]
==外部リンク==
*[http://www.e-doctors-net.com/shinjyuku/okazaki/index.html 岡崎医院 ](日本で最初に空襲の被害を受けた建造物。現在は鉄筋コンクリートのビルになっている)
*[http://www.geocities.jp/torikai007/pearlharbor/tokyo.html 東京初空襲](真珠湾攻撃の報復)
[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%AB%E7%A9%BA%E8%A5%B2 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2007年11月4日 (日) 07:16。]
{{Battlebox
| battle_name=ドーリットル空襲
| campaign=ミッドウェー作戦
|colour_scheme=background:#ffff99; color:#2222cc
| image=[[Image:USS Hornet.jpg|300px]]
| caption=ホーネットからのドーリットル隊の発艦
| conflict=[[太平洋戦争]]
| date=[[1942年]][[4月18日]]
| place=[[東京]]
| result=-
| combatant1=日本軍
| combatant2=アメリカ軍
| commander1=-
| commander2=[[ジミー・ドーリットル]]中佐
| strength1=-
| strength2=[[B-25 (航空機)|B-25]]、16機
| casualties1=死者50人、家屋262戸
| casualties2=戦死1名、行方不明2名、捕虜8名
|}}
'''ドーリットル空襲'''(-くうしゅう、[[英語]]:Doolittle Raid)、または'''ドゥリットル空襲'''とは、[[太平洋戦争]]中の[[1942年]][[4月18日]]に、[[アメリカ軍]]が[[航空母艦]]に搭載した[[アメリカ陸軍|陸軍]]の[[爆撃機]]によって行った[[大日本帝国|日本]]本土に対する[[空襲]]である。名称は空襲の指揮官の名前に由来する。
==背景==
[[真珠湾攻撃]]以降一方的な敗退を続け、さらに開戦後の[[1942年]][[2月24日]]には、[[大日本帝国海軍|日本海軍]]の'''[[伊号第一七潜水艦|伊17]]'''乙型大型潜水艦による[[アメリカ合衆国|アメリカ]]本土の[[カリフォルニア州]][[サンタバーバラ (カリフォルニア州)|サンタバーバラ]]のエルウッド[[石油]]製油所への砲撃を受け、大きな衝撃を受けたアメリカ軍は、[[士気]]を高める方策として[[帝都]]・[[東京]]を爆撃する計画を立てた。
アメリカ陸軍は長距離爆撃機を保有していたものの、その行動半径内に日本を収める基地は無く、[[ソビエト連邦|ソ連]]の[[領域 (国家)|領土]]は[[日ソ中立条約]]のため、爆撃のための基地使用は行えなかった。また、[[アメリカ海軍]]の空母艦載機は航続距離が短く、爆撃のためには[[航空母艦|空母]]を日本近海に接近させる必要があり、これは[[太平洋]]上で唯一動ける空母機動部隊が危険に晒されることを意味した。そんな中、アメリカ海軍の潜水艦乗組員が「航続距離の長い陸軍の爆撃機を空母から発艦させてはどうだろうか」と[[フランクリン・ルーズベルト|ルーズベルト]][[アメリカ合衆国大統領|大統領]]に進言。[[B-25 (爆撃機)|B-25]]爆撃機を急遽、空母の短い飛行甲板から発進出来るように軽量化を図った。
陸軍爆撃機の空母からの発艦は実戦では初であり、この作戦はトップシークレットとされた。また、空母に着艦するのではなく、[[日本列島]]を横断して当時、[[日本軍]]と戦争中であった[[中華民国]]東部に[[中華民国国軍]]の[[誘導信号]]の下で着陸する予定となった。B-25を搭載する空母は[[ホーネット (CV-8)|ホーネット]]とされ、[[エンタープライズ (CV-6)|エンタープライズ]]が護衛に付くこととなった。
==経過==
[[Image:Japanese fishing boat sunken by Doolittle-Raiders.jpg|thumb|right|200px|敵艦発見を報じた後、撃沈された日本の特設監視艇]]1942年4月1日、16機のB-25を搭載した空母[[ホーネット (CV-8)|ホーネット]]および護衛の[[巡洋艦]]3隻、[[駆逐艦]]3隻は[[サンフランシスコ]]を出撃した。途中、[[エンタープライズ (CV-6)|エンタープライズ]]と巡洋艦2隻、駆逐艦4隻と合流し、日本へ向かった。攻撃予定日前日の4月17日、米艦船レーダーに映った国籍不明の2隻の漁船を哨戒機で確認中に日本軍[[特設艦船#特設監視艇|特設監視艇]]、[[第二十三日東丸]]に発見された。第二十三日東丸は軽巡[[ナッシュビル (軽巡洋艦)|ナッシュビル]]の砲撃で撃沈され(エンタープライズ艦載機の攻撃も受けている)、乗員14人全員は艇と運命を共にした。発艦予定海域手前の予想外の遠距離で日本軍に発見されたことで、爆撃隊は予定より早く空母ホーネットを発艦した。なお、ナッシュビルはもう1隻の監視艇(長渡丸)を撃沈している。
[[ジミー・ドーリットル]]中佐率いるB-25爆撃機16機は[[東京府]][[東京市]]、[[神奈川県]][[川崎市]]、[[横須賀市]]、[[愛知県]][[名古屋市]]、[[三重県]][[四日市市]]、[[兵庫県]][[神戸市]]を爆撃した。
日本側には50人の死者、家屋262戸の被害が出た。また、[[偵察|索敵]]から帰還した海軍[[攻撃機]]を敵機と誤認した陸軍[[戦闘機]]の機銃攻撃を受け、海軍軍人1名が死亡。意図的か誤認か定かではないが、[[国際法]]上禁止されている非戦闘員に対する攻撃に至った機もあり、掃除を終え、帰ろうとした小学生1名が[[機銃掃射]]を受け、死亡した。この学童には「悲運銃撃善士」という[[戒名]]が与えられた。また、日本軍の航空機と勘違いし、手を振った学童に対しても機銃掃射したが死者は出なかった。しかしこのうち一機(ホーネットを4番目に発艦した機長エベレット・w・ホームストロム[[少尉]]のB-25)は正規の防空戦闘機隊ではないキ61試作機([[三式戦闘機|三式戦闘機飛燕]])の追撃をうけ、翼内燃料タンク漏れと旋回銃故障に陥った。
爆撃機は日本列島を横断し、中国東部に着陸した(一機はソ連の[[ウラジオストク]]に着陸、乗員は抑留された)。乗員は戦死が1名、行方不明が2名、捕虜となったのが8名で、残りはアメリカへ帰還した。[[大本営]]はこの被害を隠蔽し、「敵機9機を撃墜。損害軽微」などと発表した。しかし当日は晴天であり、墜落した航空機など市民からは一機も確認されなかったため、大本営の発表に対し『皇軍は空気(9機と空気をかけた駄洒落)を撃墜したのだ』と揶揄するものもいた。一方、日本軍に逮捕された爆撃機搭乗員は、[[捕虜]]ではなく都市の無差別爆撃を実施した疑いにより戦争犯罪人とされ一部は処刑され、これに対してアメリカは、『野蛮人の蛮行』として大々的に[[プロパガンダ]]に利用した。
== 影響 ==
=== ミッドウェー海戦 ===
この攻撃の報に、本土防空を受け持っていた陸軍はもとより海軍の[[山本五十六]][[聯合艦隊]]司令長官は衝撃を受けた。真珠湾攻撃の影響を免れたアメリカの空母機動部隊によるハラスメント的な攻撃は1942年前半から既に島嶼部で始まっていたが、本土空襲を受けて山本長官は日本本土の安全確保のため、敵空母殲滅を視野に入れた[[ミッドウェー島]]攻略作戦の実行を決意したとされる。だがこれにより生起した[[ミッドウェー海戦]]では、指揮官の認識不足から現場に混乱が生じ、初の大きな敗北を喫し、[[山口多聞]]を始めとする南雲機動部隊の活躍を緒戦から支えてきた有能な人材や機材の多数を海没する結果を生んだ。
=== 中国大陸飛行場の破壊 ===
陸軍はドーリットル空襲の再発を防ぐため、作戦に利用された淅江省以南の中国軍の飛行場を利用できなくすることを目的として、[[支那派遣軍]]に命じて[[浙贛作戦]]を実施した。作戦は1942年5月中旬から6月にかけて実施され、動員兵力約18万、飛行機3個飛行戦隊により、目的の飛行場の破壊と同地を守る顧祝同の率いる中国第三戦区軍34個師団を打ち破ることに成功する。同作戦は1942年9月30日に終了が発表された。
=== アメリカ本土空襲 ===
敗退続きだったアメリカ国内はこの空襲によって沸き立ったが、この東京初空襲に対抗して、6月21日には日本海軍の潜水艦が、[[オレゴン州]]アストリアにあるスティーブンス海軍基地を砲撃し基地の施設に被害を与えた他、9月には日本海軍の潜水艦の艦載機がアメリカ西海岸のオレゴン州を2度に渡り空襲した([[アメリカ本土空襲]])。しかし上記のように敗退続きであったアメリカ政府及び軍は、国民への精神的ダメージを配慮してこの空襲の事実を公表しなかった。なおこの空襲は、現在に至るまでアメリカ本土に対する唯一の外国軍機による空襲となっている。
=== 成増飛行場 ===
本空襲は、帝都防衛のあり方を問う大きなきっかけとなった。[[東部軍管区 (日本軍)|東部軍]]司令官の[[中村孝太郎]][[陸軍大将|大将]]は、[[千葉陸軍高射学校|陸軍防空学校]]および高射砲第7連隊の高射機関砲を[[皇居]]周辺へ配備し、1942年[[4月20日]]に、独立飛行第47中隊を防衛司令官の指揮下に入れ、帝都防空の任に当たらせた。軍では、この目的にかなう飛行場として、[[成増飛行場]]を建設した。
==エピソード==
===シャングリラ===
ドーリットル空襲の成功はすぐにアメリカ本国でも宣伝されたが、作戦の全容は長く秘匿された。空母ホーネットの名も例外ではなく、[[プレスリリース|記者会見]]で空襲の成功を発表した[[フランクリン・ルーズベルト|ルーズベルト大統領]]は[[記者|記者団]]からの「爆撃機はどこから発進したのか?」という質問に対し、「発進地は[[シャングリラ]]」と答え、煙に巻いた。シャングリラとは当時の[[小説]]で映画化もされた「失われた地平線」に出てくる[[ヒマラヤ山脈|ヒマラヤ]]付近にあるとされる架空の地名であり、それを知らない記者には冗談が通じず「爆撃機は空母シャングリラから発進」と一部で誤って報道された。
なお、このエピソードが元になったものか、後日、本当に空母[[シャングリラ (空母)|シャングリラ]](CV-38;[[エセックス級航空母艦]]の1隻)が就役している。
==関連項目==
*[[東京大空襲]]
*[[太平洋戦争の年表]]
*[[大日本帝国海軍艦艇一覧]]
*[[第二次世界大戦]] - [[太平洋戦争]]
*[[海軍]] - [[大日本帝国海軍]]- [[アメリカ合衆国海軍]]
*[[パール・ハーバー (映画)]]
==外部リンク==
{{commons|Doolittle Raid}}
*[http://www.hospita.jp/hospita/1034063.shtml 岡崎医院](日本で最初に空襲の被害を受けた建造物。現在は鉄筋コンクリートのビルになっている)
*[http://www.geocities.jp/torikai007/pearlharbor/tokyo.html 東京初空襲](真珠湾攻撃の報復)
[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%AB%E7%A9%BA%E8%A5%B2 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年10月22日 (水) 12:34。]