大川周明

「大川周明」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

大川周明」(2008/11/30 (日) 00:39:15) の最新版変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

{{Infobox Celebrity | name =大川周明 | image =Okawa_Shumei.jpg | caption = | birth_date =[[1886年]][[12月6日]] | birth_place =[[山形県]][[酒田市]] | death_date =[[1957年]][[12月24日]] | death_place =[[神奈川県]]中津村 | occupation =[[思想家]] | salary = | networth = | spouse = | website = | footnotes = }} '''大川 周明'''(おおかわ しゅうめい、[[1886年]][[12月6日]] - [[1957年]][[12月24日]])は、戦前の代表的な[[思想家]]の一人。 なお戦後は、[[イスラーム]]への興味から、[[コーラン]]の全文翻訳するなど日本のイスラーム研究にも貢献した。 ==出自== [[山形県]][[酒田市]]出身。荘内中学(現[[山形県立鶴岡南高等学校]])、[[第五高等学校 (旧制)|第五高等学校]]を経て、[[東京帝国大学]]文科大学卒(印度哲学専攻)。「特許植民会社制度の研究」で法学博士([[1926年]]取得)。[[東亜経済調査局]]・[[満鉄調査部]]に勤務の後、[[法政大学]]教授大陸部([[専門部]])部長を経て[[拓殖大学]]教授。 == 学生時代 == 後にともに活動する北一輝らと同様に、[[平民新聞]]の読者であった。 荘内中学時代は、庄内藩の儒者・[[角田俊次]]宅に下宿し、このときに漢学の素養を身につけた。 五高時代には、[[栗野事件]]で活躍した。 ==戦前の活動== インドの独立運動を支援。ヘーラムバ・グプタを一時期自宅に匿うなどした他、インド独立運動に関わる(『印度に於ける國民的運動の現状及び其の由来』(1916年))を執筆するなどして、インドの現状を日本人に知らしむるべく尽力した。 亜細亜主義の立場に立ち、研究や人的交流、人材育成につとめる。執筆活動としては、亜細亜の各地域に於ける独立運動や欧米列強の動向に関して『復興亜細亜の諸問題』(1922年)、また、亜細亜における英雄([[アブドゥルアズィーズ・イブン=サウード]]、[[ケマル・アタチュルク]]、[[レザー・パフラヴィー]]ら)を日本人に知らしむるべく彼等の評伝をまとめた『亜細亜建設者』(1941年)を著すなどした。 日本精神復興を唱え、独自の視点で代表的日本人([[佐藤信淵]]、[[源頼朝]]、[[上杉謙信]]、[[横井小楠]]ら)の評伝をまとめた『日本精神研究』(1924年)を執筆、更に日本史を概観する書物として『日本二千六百年史』(1939年)を著す。同書は大ベストセラーとなるも、内容に、当時賊徒として批判の対象であった北条義時、泰時や足利尊氏・直義兄弟を称賛するなど不敬の箇所ありとして多方面よりの攻撃に晒され、改訂を余儀なくせられる。 これらの本の内容からも知れるように、大川の歴史観は、いわゆる[[皇国史観]]のそれではなかった。 [[大正]]・[[昭和]]期に、[[北一輝]]、[[満川亀太郎]]らと親交があり、[[猶存社]]、[[行地社]]、[[神武会]]を結成。[[三月事件]]・[[十月事件]]にも関与し、[[五・一五事件]]では禁錮5年の有罪判決を受け服役。 [[ルドルフ・シュタイナー]]の[[社会三層化論]]を日本に紹介した人物でもある(「三重国家論」として翻訳)。 [[満州事変]]に際しては、在満邦人と満州人民を政治的横暴から救うという視点から、[[満州国]]の建国を支持し「新国家が成立し、その国家と日本との間に、国防同盟ならびに経済同盟が結ばれることによって、国家は満州を救うとともに日本を救い、かつ支那をも救うことによって、東洋平和の実現に甚大なる貢献をなすであろう」とした(文藝春秋昭和7年3月号『満州新国家の建設』)。 北守南進を主張していたが、それはあくまでも「日中連携」を不可欠のものとしており、日中間の戦争を望むものではなかった。なお、日中戦争が勃発した当時、大川は獄中にあった。 対米戦争について、大川は「最後の瞬間までこの戦争を望まず、1940年に、日本がもっと準備を整える時まで、戦争を引き延ばそうと努力した」(『国際検察局尋問調書』第23巻)のであって、巷間言われるような、大川が無謀な対米戦争に日本をし向けた、というイメージは適切なものではない。 ==東京裁判== [[太平洋戦争]]終戦後、[[A級戦犯]]として起訴される。[[極東国際軍事裁判|東京裁判]]に出廷した被告の中で唯一の民間人だった。 大川は水色の[[パジャマ]]を着、素足に[[下駄]]を履いて東京裁判に出廷した。休廷中に前に座っている[[東條英機|東条英機]]の頭を後ろから音がする程はたいたり(軍人は坊主頭)、「インダー、コメンジー!(「Inder kommen Sie! 独訳:インド人よ来たれ!」、アメリカは[[インディアン]]を収奪したことを主張していたという説がある)」、または「イッツア、コメディ!(「It's a comedy! 英訳:これは茶番だ」、戦勝国による裁判に対する不公正を主張した説がある)」、「アイ、アイ、シンク」と奇声を発するなど、常識を逸した行動をとり、法廷は爆笑の渦に巻き込まれた。 翌日の法廷で、[[オーストラリア]]の[[ウィリアム・ウェブ|ウェッブ]]裁判長は大川周明を精神異常と判断し、[[1947年]]4月9日に、大川を正式に裁判から除外した(この時下記のように脳梅毒に罹っていたためである)。 ==免訴後== 大川は米軍病院に入院させられ(のち東大病院、[[松沢病院]]に転院)、[[梅毒]]による精神障害と診断された。のち精神鑑定で異常なしとされたが、裁判には戻されず、松沢病院に入院継続させられた。入院中、以前より念願であった[[コーラン]]全文の翻訳を完成する。なお東京裁判終了後、まもなくして松沢病院を退院した。東京裁判で起訴された被告人の中では、裁判終了時に存命していて有罪にならなかった唯一の人物である。 その後は、「[[瑞穂]]の国」を築く為の農村復興運動に取り組んだ。 ==エピソード== * 大川は、東京裁判が始まった時から、「すべて茶番なんだ、こんなもの裁判じゃない」と周囲に漏らしていたなどといわれ、現在でも詐病説が絶えない。 * 大川の身長(178cm)は、東京裁判の全被告の中では飛び抜けて高かった。 * ちなみに、のちにイスラーム研究者となる[[井筒俊彦]]に、精神的にも物質的にも援助をしていたのが、大川周明だった。 * 『大川周明関係文書』柳澤一二宛て書簡(昭和30年4月27日)に云う、「[[平泉澄]]博士は、当代の学者中、生(周明)が先生と敬ひて師事する唯一人」とあり、年下の国史学者平泉を評価していたと云う。大川の墓銘は、平泉が書いている。 * 「学者としては血があり過ぎ、志士としては学問があり過ぎる」と評された。 ==代表的著作== *『復興亜細亜の諸問題』([[1922年]]、のち[[中公文庫]]) *『日本精神研究』([[1924年]]) *『特許植民会社制度研究』([[1927年]]) *『国史読本』([[1931年]]) *『日本二千六百年史』([[1939年]]) *『米英東亜侵略史』([[1941年]]、[[第一書房]]) *: [[佐藤優]]による解説書がある。小学館 [[2006年]] *『回教概論』([[1942年]] 中公文庫 1991年、ちくま学芸文庫 2008年) *『古蘭』([[1950年]]) *『安楽の門』(1951年)大川周明顕彰会 1988年 *『大川周明全集』([[1961年]]-[[1974年]]) *『大川周明集 近代日本思想大系21』[[橋川文三]]編集解説 筑摩書房 [[1975年]]  *『頭山満と近代日本』春風社 2007年 *『道 大川周明道徳哲学講話集/人格的生活の原則・中庸新註 大川周明道徳哲学講話集』 *『特許植民会社制度研究 大航海時代から二十世紀まで』 各[[書肆心水]] 2008年 ==おもな研究書== *[[松本健一]]『大川周明』([[岩波現代文庫]]、ISBN 4006030991) *大塚健洋『大川周明』([[中公新書]]、[[1995年]]、ISBN 4121012763) *『大川周明日記明治36年~昭和24年』([[岩崎学術出版社]]、[[1986年]]) *『大川周明関係文書』([[1998年]]、ISBN 4829502037) *刈田徹『大川周明と国家改造運動』([[人間の科学社]]、[[2001年]]、ISBN 482260201X) *[[佐藤優 (外交官)|佐藤優]]『日米開戦の真実 大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く』([[小学館]]、[[2006年]]、ISBN 409389731X) *呉懐中『大川周明と近代中国』([[日本僑報社]]、[[2007年]]、ISBN 4861850606) *[[関岡英之]]『大川周明の大アジア主義』([[講談社]]、2007年、ISBN 4062879220) ==大川周明が登場する作品== *[[やまむらはじめ]]『[[カムナガラ]]』([[少年画報社]]) ==大川周明を演じた人物== * [[丹波哲郎]](『[[陸海軍流血史]]』) * [[庄司永建]](『[[山河燃ゆ]]』) * [[石橋蓮司]](『[[プライド・運命の瞬間]]』) == 関連項目 == *[[アジア主義]] *[[道会]] *[[老壮会]] *[[ジャワハルラール・ネルー]] *[[マハトマ・ガンディー]] *[[ラース・ビハーリー・ボース]] *[[頭山満]] *[[押川方義]] *[[八代六郎]] *[[岡倉天心]] *[[前嶋信次]] *[[川島浪速]] *[[佐々木到一]] == 外部リンク == {{commons|Shumei Okawa}} *[http://www.c20.jp/p/osyumei.html 大川 周明 / クリック 20世紀] [http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%A4%A7%E5%B7%9D%E5%91%A8%E6%98%8E 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年11月11日 (火) 19:40。]     

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示:
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。