仮50

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'''コードトーカー'''(Code talker)とは、[[アメリカ軍]]において、盗聴される可能性の高い[[無線]]交信に英語ではない、部族語を駆使して偵察報告や命令下達に活躍した[[ネイティブアメリカン]]の事である。 彼らの部族語をコード([[暗号]])の代わりに用いた。ネイティブアメリカンの言葉が暗号として使われた理由は、[[アメリカ]]国内で訓練無しにその言葉の使い手を調達出来、国外にはその言葉を解するものがいなかった事が挙げられる。 == 概要 == [[第一次世界大戦]]でも[[チョクトー]]<ref>[http://en.wikipedia.org/wiki/Choctaw#World_War_I_code_talkers Choctaw : World War I code talkers]</ref>、[[コマンチェ]]両部族出身者がコードトーカーとして従軍しているが、[[第二次世界大戦]]において最初に用いられたのは[[ディネ|ナバホ族]]だった。約400名がサイパン島、グアム島、硫黄島、沖縄に従軍した。 これらの部族語に共通するのは、いずれも複雑な[[文法]]構成をしているほか、発音も特殊な音が使用されており、幼少時からその言語環境で育ったもの以外には習得・解明が極めて困難であるという点である。 知らない言語の会話は知っている言語の会話よりも[[暗号解読]]が難しい。選ばれた言語は書かれた文献がわずかしかないので、非話者にとっては研究することすら困難だった。 したがって、偽の暗号文を送ろうと試みても成功する可能性は低かった。 さらに、英文の段階で暗号化することにより、コードトーカーとして訓練されていない[[母語|ネイティブスピーカー]]が日本軍に捕虜にされた場合であっても、暗号解読されることを防いでいた。 [[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]は第一次世界大戦においてコードトーカーが果たした役割に注目し、第二次世界大戦前に30名ほどの人類学者をその言葉習得を目的にアメリカ国内に派遣しているが、その言葉の複雑さ故に失敗している。 ヒトラーがその言葉解明に動いた事を知ったアメリカ側は、ヨーロッパ戦線におけるコードトーカーの使用を中止し、太平洋戦でのみ使用することを決定した。 ナバホ・コードトーカー達は、単に無線や電話を使ってナバホ語で会話したのではなく、英単語をそれと同じ文字で始まる別の英単語に置き換え、さらにそれをナバホ語に翻訳するといった[[換字式暗号|置換暗号]]を開発した。 こうして、必要があれば英語で表現できるものは何でも訳すことができた。その際、特別な意味を持たせたナバホ語やコードブック(暗号書)を使う事により、交信をより一層暗号化している。 通常のナバホ語話者にとっても、こうした暗号通信の全体はまったく理解できなかったであろう。 このコードブックの使用により、日本側が[[1942年]]にフィリピンで捕虜にしたナバホ族出身のアメリカ陸軍軍曹[[:en:Joe Kieyoomia|Joe Kieyoomia]]は暗号を解読するに至らず、日本側によって拷問を受けている。 ナバホ語の暗号は、[[暗号学]]の基準からみれば非常に複雑なものではなく、ネイティブスピーカーと訓練された暗号学者が効果的に協力すれば解読することもできたかもしれない。 アルファベット暗号のように単純であったなら、Joe Kieyoomiaの知識が日本の暗号学者に渡った場合、暗号は簡単に破られていただろう。 日本側はついに最後までナバホ語の解読に成功しなかった。 アメリカ海兵隊による[[硫黄島の戦い]]における「[[摺鉢山]]の占領」は、「大きな口の七面鳥、羊の目は治療された」というナバホ語には翻訳されて司令部に報告された。 [[1968年]]の機密解除に至るまで、コードトーカー達の活躍は世間に知られることはなかった。 その後、[[1982年]]に[[ロナルド・レーガン]]大統領によって表彰され、同時に[[8月14日]]をコードトーカーの日(National Code Talkers Day)と定められることになった。 また2000年にはナバホ・コードトーカーに議会名誉黄金勲章(Congressional Gold Medal)が授与<ref>[http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_Congressional_Gold_Medal_recipients 議会名誉黄金勲章受章者リスト December 21, 2000] を参照</ref>されている。 [[ノルマンディー上陸作戦]]のとき、14名の[[コマンチェ]]族が従事していた。 第二次世界大戦時の最後のコマンチコードトーカーだったチャールズ・チビティー([[:en:Charles Chibitty|Charles Chibitty]])は2005年7月20日に死去した<ref>[http://en.wikinews.org/wiki/Last_WWII_Comanche_'code_talker'_dies Last WWII Comanche 'code talker' dies(Wikinews)]</ref>。 イギリス軍では、[[ウェールズ語]]を用いた似たようなシステムを採用していたが、広くは用いられていなかった。 [[2002年]]には、[[ニコラス・ケイジ]]、[[アダム・ビーチ]]、[[クリスチャン・スレイター]]([[:en:Christian Slater|Christian Slater]])が出演したコードトーカーを題材にした映画『[[ウィンドトーカーズ]]([[:en:Windtalkers|Windtalkers]])』が公開されているが、全てが歴史的に正確に描写されているわけではなく、また元コードトーカーの兵士からも批判された。 == 脚注 == <references/> == 参考文献 == * Kenji Kawano(河野謙児)『Warriors: Navajo Code Talkers』 Northland Pub (1990/09)ISBN 978-0873585132 == 関連項目 == * [[暗号史]] * [[野村直邦]]海軍中将 [http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年3月26日 (水) 18:33。]     
仮50 [http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年3月26日 (水) 18:33。]     

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