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[[Image:Prince of Wales-3.jpg|thumb|200px|イギリスの戦艦プリンス・オブ・ウェールズとアメリカの駆逐艦マクダガル]]
[[画像:Prince of Wales-5.jpg|thumb|200px|戦艦上のルーズヴェルトとチャーチル]]
'''大西洋憲章'''('''たいせいようけんしょう'''、'''Atlantic Charter''')は、[[1941年]]8月の[[大西洋会談]]において、[[英国首相]]の[[ウィンストン・チャーチル]]と、[[アメリカ合衆国大統領]]の[[フランクリン・ルーズベルト]]によって調印された憲章。
[[ニューファンドランド島]]沖の[[戦艦]]、[[プリンス・オブ・ウェールズ (戦艦)|プリンス・オブ・ウェールズ]]上で調印された。[[太平洋戦争]]開戦前で合衆国はまだ参戦していなかったが、この憲章は戦後の世界構想を述べたものであ<!-- り非常に興味深い内容と言え -->る。
八項目からなり、その内容は要約すると以下になる。
# 合衆国と英国の領土拡大意図の否定
# 領土変更における関係国の人民の意思の尊重
# 政府形態を選択する人民の権利
# 自由貿易の拡大
# 経済協力の発展
# 恐怖と欠乏からの自由の必要性
# 航海の自由の必要性
# 一般的安全保障のための仕組みの必要性
憲章の第3条については、ルーズヴェルトとチャーチルの間で見解の相違があった。ルーズヴェルトがこの条項が世界各地に適用されると考えたのに対し、チャーチルはナチス・ドイツ占領下のヨーロッパに限定されると考えた。つまり、イギリスはアジア・アフリカの[[植民地]]にこの原則が適用されるのを拒んでいた。
== 関連項目 ==
*[[十四か条の平和原則]]
* [[第二次世界大戦]]
* [[ABCD包囲網]]
* [[連合国共同宣言]]
== 外部リンク ==
{{Wikisource|en:Atlantic Charter}}
* [http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/docs/19410814.D1J.html 大西洋憲章(英米共同宣言)] - 東京大学東洋文化研究所 田中明彦研究室
[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%A4%A7%E8%A5%BF%E6%B4%8B%E6%86%B2%E7%AB%A0 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年11月16日 (日) 01:03。]