全体主義

「全体主義」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

全体主義」(2009/01/05 (月) 22:07:11) の最新版変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

'''全体主義'''(ぜんたいしゅぎ、totalitarianism)とは、民衆一人一人の自由、権利を無視しても国家の利益、全体の利益が優先される政治原理、およびその原理からなされる主張のことである。歴史的には近現代において国カを全て総動員する[[戦間期]]にこうした主張があらわれたとされるが、今日でも、個人の自由や利益を制約する傾向が顕著な国家について「全体主義国家」あるいは「[[全体主義体制]]」の呼称が<!--(おもに批判的な意味で)←非批判用語であるとして価値中立的概念として用い得るとする議論もあり-->あたえられている。[[個人主義]]や[[民主主義]]の対語として良く使われる。 == 背景 == {{雑多な内容の箇条書き|date=2008年9月|section=1}} * 「全体主義」totalitarismoの語は[[:en:Giovanni Amendola|ジョヴァンニ・アメンドラ]]によって1923年に初めて用いられた。これを気に入った[[ジョヴァンニ・ジェンティーレ]]が全体主義を称するようになる。また、[[ベニート・ムッソリーニ|ムッソリーニ]]体制下のイタリアが、[[1929年]][[11月2日]]の「[[ロンドンポスト]]」によって最初に全体主義国家と評せられている。 * 全体主義は[[第一次世界大戦]]後、欧米諸国の[[自由民主主義]]体制に対する批判として、戦間期の[[ドイツ]]の[[ナチズム]]、[[イタリア]]の[[ファシズム]]にあらわれた。 * 同時期の[[日本]]でも[[大政翼賛会]]と[[軍部]]の下で[[全体主義体制]]が敷かれたとされていた。しかし、[[1970年代]]までに[[全体主義体制]]概念が整理された{{要出典}}ことから、日本の[[政治体制]]が[[全体主義体制]]と呼び得るか否かが議論の対象になった。その後、この時期の[[日本]]については[[軍国主義]]とだけ形容することが増えている。{{要出典}} * 当初の議論で全体主義が標的としたのは、[[ブルジョワ民主主義]]の思想や制度である。すなわち、[[19世紀]]後半から顕在化した[[労働問題]]などの各種[[社会問題]]において、当時の[[自由主義]]国家は有効な対応を立てられなかった。国家は個人の自由には立ち入らないまま、深刻さを増していく社会問題を放置しているのであり、[[ブルジョワジー|ブルジョワ]]階級の取引と妥協の場と化した[[議会]]もまた、中間層以下の庶民の苦しみに目を向けようとしていない。全体主義の主張では、こうしたブルジョワ民主主義の「欠点」が批判されたのである。 * 全体主義がその「処方箋」として示したのは、国家が積極的に介入してこなかった社会、[[経済]]、[[文化]]の諸領域にまで干渉し、不毛な[[選挙]]や[[議会]]政治を否定して、直接的な民意形成を採用することである。こうした体制運営によって、それまで過剰に偏重されていた個人の自由を制限し、国家全体の利益を優先させることが可能になるとされたのである。 * [[1951年]]には[[ハンナ・アーレント]]が『全体主義の起源』を発表し、全体主義を生み出すに至った思想史的系譜を明らかにしようと試みた。[[ファシズム]]や[[ナチズム]]が、先行の[[マルクス・レーニン主義]]に影響を受けていたことが指摘された。これに触発されて両者の直接的間接的な関連性を実証する研究が始められた(近年では地域史研究で成果が出ている[http://www.kcg.ac.jp/acm/a5072.html]) * さらに時代を下ると[[政治体制]]の類型として[[スターリニズム]]を「より完成度の高い全体主義」として整理する議論が優勢になった。[[大躍進政策]]・[[文化大革命]]期の[[中華人民共和国]]や、ソ連の[[衛星国]]であった[[東側諸国|東欧諸国]]・[[朝鮮民主主義人民共和国]]などにも全体主義的な動員と熱狂が社会を支配した時期が認められる(ただし北朝鮮については全体主義的熱狂が社会を支配している期間を明らかにすることが難しい)。 * [[同時多発テロ]]以後の[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[ジョージ・ウォーカー・ブッシュ|ブッシュ]]政権においても、テロ対策を理由に[[米国愛国者法|愛国者法]]など国内の個人の自由を制約する傾向が強まっており、全体主義の気配が生まれつつあるとする意見もある。 <!--* [[大韓民国]]においても、[[日帝強占下反民族行為真相糾明特別法]]や[[親日反民族行為者財産帰属特別法]]などの[[親日派]]を断罪する法律が可決成立し、[[反日]]という主流から外れる主張(例:「[[竹島]]は日本領土である」等)は断じて認めない傾向が強く、さながら「反日全体主義」とも揶揄される状況となっている。{{要出典}}+ここで揶揄の紹介はやっていない--> *全体主義の語はさまざまな意味で用いられるが、[[政治]]・[[経済]]・[[文化]]・[[思想]]・[[国民]]等が一元化される状態を言うことが多い。ほとんどの場合なにかしらの[[イデオロギー]]に基づく一元化が目指される。歴史上登場したケースでは多くの場合、[[国家]]が公認し宣伝するイデオロギーに基づいて社会のあらゆる領域において一元化が目指されている。 == 概要 ==<!--以下も「特徴」や「欠点」を列挙するなら、もっと整理する必要があると思います。--> # [[ユートピア]]的イデオロギーによって正当化されることが多い。 # 個人の放埓を制限し集団で力を合わせて危機を乗り切ろうという意図から産まれる。 # しかし、批判勢力の口を封じるうちに、集団の中心人物・中心グループが集団を私物化して制御不能の状態に陥り、悲劇的結末を招く場合が多い。 # 解決策を示す事ではなく、[[資本家]]・[[左翼]]勢力(その国が[[資本主義]]国家か[[社会主義]]国家かによって異なる)・外国(人)など判り易い「国民の敵」「大衆の敵」を作って攻撃し、大衆に[[カタルシス|爽快感]]を味わわせる事によって支持を集める。 # 基本的に、[[善意]]を装って生まれる。<!--全体主義だけを特徴付けるものではないと思います。以下の点にも同じようなことが言えるのでは。--> # しばしば新時代への希望が喧伝される。 # [[労働者]]階級等の[[貧困層]]、少産階級のように、政治に不満を持つ階層を取り込む[[ポピュリズム]]によって生まれやすい。 # [[貧困層]]が多数派の、[[普通選挙]]制度を採用する国で生まれやすい。 # 国民に[[主権者]](国主)としての自覚がなく、どうすべきか考えず、公僕を指揮して問題解決するより、贔屓の[[英雄]]/[[独裁者]]の指揮下に入って助けてもらおうとして自ら[[奴隷]]に落ちる場合([[自由からの逃走]])に発生する。 # 軍事力による[[クーデター]]だけではなく、[[ナチス]]のように政治パフォーマンスで人民の人気を得て合法的手続きを踏んで[[権力]]を掌握する場合も多い。 # 完全主義の人々が主導力となる。 # 大衆の好意を獲得しやすい。 # [[異端]]を排除する度合いが、徐々にエスカレートしていく。 == 欠点 == # 国家・民族など全体が個人に優先する主義であるが、最高決定権・主権を政府の中心にいる少数が占有するので、結局、一代か[[世襲]]かと言う点以外、[[絶対王政]]や[[貴族制]]と変わりなくなってしまう([[寡頭制]]参照)。 # 国家の主人は国民ではなく少数権力者で国民は実質上、権力者の奴隷の状態になる。 # 政府の権力が、国民の人権を制限する事を許容するので、政府を批判した人間は[[強制収容所|収容所]]に送られたり、残虐な[[拷問]]に掛けられるのも絶対王政や貴族制と類似する。 # 批判者がいなくなるので権力は絶対的となり、[[腐敗]]する([[ジョン・アクトン]]の言葉)。 # 権力者が清貧を貫いても、批判勢力を粛清した事により[[官僚制]]の弊害が発生する。 # 思想・文化等すべてを[[イデオロギー]]一色で塗りつぶしてしまうので、それらは自然的な発展が許されず、イデオロギー化のための手段として利用される。 # イデオロギーに染まった人々が主導権を握るために、正当な主張を持っていたり、あるいは学術・芸術などに優秀な能力を有していても、体制に従わない者は[[粛清]]されていくため、有能な人材が居なくなる恐れがある。 # 国家の目指す方向が誤っていても、それを指摘する勢力は政府によって鎮圧される為に、国家の存立そのものが危うくなる事態に発展する。 # 個人の頭で[[自由]]に判断する能力を奪われてしまう。 # 政治・経済・文化・思想・国民等、すべてを国家が管理するため、[[国策]]として集約的に[[工業力]]を上げるなど効率が良い場合と、組織の硬直化を招いたり悪い場合が極端に現れる。[[計画経済]]が採用される場合が多く自由な経済活動が阻害され、[[市場原理]]が働かなくなる場合、[[地下経済]]が広がる場合が多い。 == 政体および政治体制としての呼称 == [[アリストテレス]]は政体を[[君主政]]・[[共和政]]・[[民主政]]と分類し、その堕落形態を[[独裁制|専政]]・[[寡頭政]]・[[衆愚政]]として分類した。 近代では[[戦間期]]から[[全体主義]]の語が登場し、[[第二次世界大戦]]に入ると[[全体主義]]および[[全体主義体制]]の語は民主体制への対置として用いられはじめた。 [[1970年代]]以降は、非民主的な政治体制をすべて[[全体主義体制]]として把握することを避けるため[[権威主義|権威主義体制]]の概念が提唱され、[[政治体制]]をどのように規定すべきかという議論とともに[[全体主義体制]]・[[権威主義|権威主義体制]]・[[民主主義|民主主義体制]]という分類が定着しつつある。<!-- #間接的な『主張』になっているおそれがあるため、次の節をコメントアウト。そもそも関連があるのならば文中にて自然にリンクされるはずですが、暫定的に出典待ちとします。# ==関連項目== *[[主義]] *[[多元主義]] *[[共産主義]] *[[民族主義]] *[[軍国主義]] *[[国粋主義]] *[[ファシズム]] *[[ナチス・ドイツ]] *[[スターリニズム]] *[[天皇制ファシズム]] *[[全体主義体制]] *[[コーポラティズム]] *[[統制社会]] *[[ディストピア]] *[[毛沢東思想]] *[[大政翼賛会]] *[[ハンナ・アレント]] *[[クロード・ルフォール]] *[[藤田省三 (思想史家)|藤田省三]] *[[1984年 (小説)]] --> [http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%85%A8%E4%BD%93%E4%B8%BB%E7%BE%A9 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年12月10日 (水) 17:39。]    

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示:
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。