chaina_battle @ ウィキ内検索 / 「岩波新書」で検索した結果

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  • 国民学校
    ...』山中恒 岩波書店 岩波新書黄 356 ISBN 4-00-420356-2 C0221 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年11月2日 (日) 19 22。     
  • 労働者農民党
    ...4年8月、岩波書店・岩波新書、ISBN 4-00-430904-2) 当選者に追加公認は含まず。追加公認には会派に加わった無所属を含む。 参考文献 国史大辞典編集委員会編『國史大辭典 14』(1993/4 吉川弘文館 ISBN 4642005145 神田文人による記事より) 関連項目 日本の政党一覧 園田天光光 木村禧八郎 岡田春夫 石野久男 外部リンク 労働者農民党立党宣言 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年4月19日 (土) 09 55。     
  • 中原大戦
    ...小島晋治・丸山松幸・岩波新書(黄336)・1986年 5月から半年間(125ページ)、4月開始(巻末年表の15ページ) 蔣介石・保阪正康・文春新書040・平成11年 9月1日(蒋の総攻撃開始)から12月(148ページ) 中華民国・横山宏章・中公新書1394・1997年 5月から(178ページ、303ページ)8ヶ月以上(181ページ) 中国近現代史(上・下)・姫田光義他・東京大学出版会・1982年 3月から10月(上343ページ)、5月(閻・馮への総攻撃を発令)から10月(下・年表34ページ) 中国の歴史10・菊池秀明・講談社・2005年 4月から(285ページ)10月には大勢が決した(287ページ)、5月から9月(巻末年表、ページ数の記載はなし) 近代中国関係史年表・岩波書店・2006年 5月11日(蒋、閻・馮への総攻撃を命ずる。463ページ)から11...
  • 木戸幸一
    ...終戦史』(岩波書店、岩波新書、1992年) 城山三郎『落日燃ゆ』(新潮社、ISBN 4101133182 1986年11月) 平塚柾緒、太平洋戦争研究会『図説 東京裁判』(河出書房新社、2002年) 木戸幸一を演じた人物 中村伸郎(『日本のいちばん長い日』) 歌澤寅右衛門(『プライド・運命の瞬間』) 関連項目 戦前の政治家一覧 重臣会議 外部リンク 系図でみる近現代 木戸日記研究会旧蔵資料 | 国立国会図書館 木戸幸一の墓 木戸幸一 系譜   出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』2008年1月11日 (金) 05 03。    
  • 岩倉使節団
    ...節団は何を見たか』(岩波新書 2003年)  『「脱亜」の明治維新 岩倉使節団を追う旅から』(NHKブックス 日本放送出版協会 1984年、オンデマンド版 2003年)  宮永孝 『アメリカの岩倉使節団』(ちくまライブラリー20 筑摩書房 1992年)  『白い崖の国をたずねて 岩倉使節団の旅 木戸孝允のみたイギリス』(集英社 1997年) 萩原延壽 『岩倉使節団』<遠い崖 アーネスト・サトウ日記抄9> 朝日新聞出版 2000年、のち朝日文庫 2008年 泉三郎 『誇り高き日本人 国の命運を背負った岩倉使節団の物語』(PHP 2008年) 『岩倉使節団という冒険』(文春新書 2004年) 『堂々たる日本人―この国のかたちを創った岩倉使節団「米欧回覧」の旅』 祥伝社 1996年、祥伝社黄金文庫、2004年 『写真・絵図で甦る堂々たる日本人 この国のかたちを創った...
  • 平民社
    ...の婦人革命家像』(『岩波新書』)、岩波書店、1970年1月。ISBN 400413126X 梅森直之編著『帝国を撃て-平民社100年国際シンポジウム』、論創社、2005年3月。ISBN 4-8460-0342-6 太田雅夫『初期社会主義史の研究-明治三〇年代の人と組織と運動』、新泉社、1991年3月。 柏木隆法ほか著『大逆事件の周辺-平民社地方同志の人びと』、論創社、1980年6月 幸徳秋水 / 山泉進編集・解題『幸徳秋水』(平民社資料センター監修『平民社百年コレクション』第1巻)、論創社、2002年10月。ISBN 4846003531 堺利彦 / 堀切利高編・解題『堺利彦』(平民社資料センター監修『平民社百年コレクション』第2巻)、論創社、2002年10月。ISBN 484600354X シンポジウム‘平民社100年と「熊本評論」’事務局編『非戦・自由・人権-平民社1...
  • 幸徳秋水
    ...秋水、吉野作造』(『岩波新書』)、岩波書店、1958年(昭和33年) 師岡千代子『夫・幸徳秋水の思ひ出』、東洋堂、1946年(昭和21年) 師岡千代子『風々雨々-幸徳秋水と周囲の人々』、隆文堂、1947年(昭和22年) 山泉進「社会主義と社会進化論-幸徳秋水」、野田又夫・田丸徳善・峰島旭雄編著『近代日本思想の軌跡-西洋との出会い』、北樹出版、1982年(昭和57年)4月。 山泉進「幸徳秋水のなかのアナーキズム-自由思想と大逆と」、『現代思想』第32巻第6号(特集=アナーキズム)、2004年(平成16年)5月。 渡辺順三編『十二人の死刑囚 大逆事件の人々』、新興出版社、1956年(昭和31年) 脚注 関連項目 田中正造 大逆事件 奥宮健之 外部リンク 幸徳 秋水:作家別作品リスト(青空文庫) 幸徳事件 出...
  • 徴兵令
    ...江志乃夫『徴兵制』(岩波新書、1981年) 吉田裕『徴兵制 その歴史とねらい』(学習の友社、1981年) 加藤陽子『徴兵制と近代日本 一八六八~一九四五』(吉川弘文館、1996年) 脚注 関連項目 徴兵制度 徴兵検査 兵 (日本軍)   出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年10月19日 (日) 16 35。    
  • 日比谷焼打事件
    ...191頁~194頁、岩波新書(1996年:第一刷) ISBN 9784004304586。これにより東京は無政府状態となり、翌9月6日、日本政府は戒厳令を敷くことでようやくこの騒動を治めたのである(戒厳令廃止は11月29日)。 この騒動により、死者は17名、負傷者は500名以上、検挙者は2000名以上(このうち有罪となったのは87名)にも上った。 なお、各地で講和反対の大会が開かれ、神戸(9月7日)、横浜(9月12日)でも暴動が起こった。 背景 この事件の背景として、これに先立つ日清戦争での戦費負担を補って大いにあまりある賠償金獲得により「戦争は勝てば儲かる」という発想が民衆(および新聞社以下マスコミ)にあったと考えられる。いずれにせよ、こうした民衆の姿勢がその後の軍部躍進の一助となった可能性はあるだろう。当時の新聞報道にも、日露戦争を起こすことで収益が上がると軍事行動を...
  • 江華島事件
    ...ーズ日本近現代史1』岩波新書、2006、ISBN 4004310423 関連項目 江華島 日朝修好条規 黒船来航 日本史の出来事一覧 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年11月29日 (土) 10 39。      
  • 進歩党 (日本)
    ...4年8月、岩波書店・岩波新書、ISBN 4-00-430904-2) 当選者に追加公認は含まず。追加公認には会派に加わった無所属を含む。 第22回総選挙の定数には、選挙を実施できなかった沖縄選挙区(定数2)含む。 進歩党 (日本 1987-1993) {{政党 |国名 = Template JPN? |党名 = 進歩党 |公用語名 = Progressive Party(PP) |成立年月日 = 1987年1月22日 |解散年月日 = 1993年8月2日 |解散理由 = 代表の政界引退 |後継政党 = |郵便番号 = |本部所在地 = |政治的思想・立場 = 保守主義、中道主義 |機関紙 = |シンボル = |国際組織 = |その他 = }} 1987年 - 新自由クラブ解散後、自由民主党に復党しなかった衆議院議員田川誠...
  • 昭和天皇-3
    ...終戦史』(岩波書店、岩波新書、1992年,ISBN 4004302579) エドウィン・P・ホイト 『世界史の中の昭和天皇―「ヒロヒト」のどこが偉大だったか』(1993年,クレスト社,ISBN 487712005X) 秦郁彦 『昭和天皇五つの決断』(1994年,文芸春秋/文春文庫,ISBN 4-16-745302-9) 『裕仁天皇 五つの決断』 ISBN 4062011271 の改題文庫化 内野 光子『短歌と天皇制』(2000年,風媒社,ISBN 4833120186) 出雲井晶編 『昭和天皇』(2001年,扶桑社,ISBN 4531062825)(多くの資料の勘所を集めたアンソロジー) 秦郁彦「歪められた昭和天皇像」(『文藝春秋』2003年3月号) 加藤恭子『昭和天皇「謝罪詔勅草稿」の発見』(2003年,文藝春秋,ISBN 4163655301 ) ...
  • 吉田茂-2
    ...田茂 尊皇の政治家』岩波新書、2005 麻生太郎 『麻生太郎の原点 祖父・吉田茂の流儀』 2007年 徳間書店 関連項目 Template Wikiquote? 本文中・表中にリンクのあるものを除く 吉田健三 吉田学校 吉田13人衆 保守本流 保守合同 反共主義 ワンマン道路 只見特定地域総合開発計画 外部リンク 歴代総理の写真と経歴 吉田茂 ニュース映画で綴る吉田の時代(昭和20〜29年) 宿毛人物史 ―吉田茂― 家系図(竹内綱・土佐宿毛人脈) 家系図(吉田健三家) 東大OBの偉人伝 吉田 茂 / クリック 20世紀 外務省 特別展示 吉田茂展 没後40年 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年12月7日 (日) 02 50。 ...
  • 自由党 (日本)
    ...4年8月、岩波書店・岩波新書、ISBN 4-00-430904-2) 当選者に追加公認は含まず。追加公認には会派に加わった無所属を含む。 第22回総選挙の定数には、選挙を実施できなかった沖縄選挙区(定数2)含む。 第22回総選挙では、他に法定得票不足で定数を満たせなかった選挙区の再選挙で当選者1。 鳩山自由党 1953年(昭和28年)2月28日、衆議院本会議における吉田首相のバカヤロー発言後、首相懲罰動議採決で欠席した自由党鳩山派は、その後の内閣不信任案の採決前に可決させんがために、自由党を離党して結成。正式名は分党派自由党だが、鳩山が党首であるので一般に鳩山自由党と呼ばれる。 総選挙後に鳩山を含む大半は吉田自由党に復党したが、三木武吉や河野一郎ら8名は復党せずに日本自由党を結成。 日本自由党 (1953-1954) 日本自由党(にほんじゆうとう)は、1953年11...
  • 大逆事件
    ...野富士夫『思想検事』岩波新書(2000年)p.11。松室致検事総長、平沼騏一郎大審院次席検事、小山松吉神戸地裁検事局検事正らによって事件のフレームアップ化がはかられ、異例の速さで公判、刑執行がはかられた。平沼は論告求刑で「動機は信念なり」とした荻野富士夫前掲書p.12。 1911年1月18日に死刑24名、有期刑2名の判決(鶴丈一郎裁判長)。1月24日に幸徳秋水、森近運平、宮下太吉、新村忠雄、古河力作、奥宮健之、大石誠之助、成石平四郎、松尾卯一太、新見卯一郎、内山愚童ら11名が、1月25日に1名(菅野スガ)が処刑された。特赦無期刑で獄死したのは、高木顕明、峯尾節堂、岡本一郎、三浦安太郎、佐々木道元の5人。仮出獄できた者は坂本清馬、成石勘三郎、崎久保誓一、武田九平、飛松与次郎、岡林寅松、小松丑治。 赤旗事件で有罪となって獄中にいた大杉栄、荒畑寒村『寒村茶話』朝日選書(1979)所収「...
  • 独ソ不可侵条約
    ...二次世界大戦前夜』(岩波新書、1969年)より抜粋〕 公表された内容は上記のようなごく平凡なもので、独ソの結託という大事件の結果としては取るに足らないものでしかない。そのため、必ず裏取引――秘密議定書があると、成立当初から疑われていた。事実、第二次世界大戦後にそれは明らかにされている。そこでは、東ヨーロッパにおける独ソの勢力範囲の線引きが画定され、バルト三国、ルーマニア東部のベッサラビア、フィンランドをソ連の勢力圏に入れ、独ソ両国はカーゾン線におけるポーランドの分割占領に合意していた。 なお、のちにバルト三国がソ連より独立する際、上記の秘密議定書を根拠に主権の回復を主張することになる。 評価 この条約の締結により、ドイツは東西2正面での開戦という最悪の事態を避けられるようになり英仏との戦いに有利な状況ができたため、第二次世界大戦の勃発を早める結果となった。戦後に東西冷戦が...
  • 坂本龍馬-2
    ...1) 幕末・維新』(岩波新書、2006年) 高橋秀直『幕末維新の政治と天皇』(吉川弘文館、2007年) 木村幸比古『龍馬暗殺の謎』(PHP新書、2007年) 龍馬を研究する上で参考になる主な文献(論文編) 岩崎鏡川「坂本龍馬先生に就て」(『土佐史談』15、1926年) 尾佐竹猛「坂本龍馬の『藩論』」(『明治文化研究』9、1934年。『土佐史談』46、1934年に再録) 松村巌「坂本龍馬」(『土佐史談』68、1939年。『続新選組史料集』新人物往来社、2006年に再録) 赤尾藤一「幕末に於ける薩長両藩の提携成立と坂本龍馬等土州藩士の周旋運動に就いて」(『中部日本歴史地理学会論文集』1、飯島書店、1941年) 森銑三「坂本龍馬」(『伝記』1月号、1943年。『森銑三著作集 続編』第1巻、中央公論社、1992年に再録) 塩見薫「才谷屋のことなど」(『寧楽史苑』8、19...
  • 天皇
    ...の誕生』 岩波書店 岩波新書 、1997、ISBN 4004305101。吉村武彦 「倭の五王の時代」 『古代史の基礎知識』 角川書店 角川選書 、2005、ISBN 4047033731。など。また、『隋書』倭国伝に倭国王の姓を「阿毎」(あま、あめ)とする記述があり、7世紀初頭まで大王家が姓を有していたとする考えもあるが、中国風の一字姓でないことから「阿毎」は姓でないとする見解が支持されている吉田前掲。。大王家の「倭」姓は、中国の冊封体制から離脱した5世紀末ないし、氏姓制度の形成が進んだ5世紀末から6世紀前半までの間に放棄されたとする説が有力となっている吉村前掲。。 吉田孝は、倭国が5世紀末に中国の冊封体制から離脱し、7世紀初頭の推古朝でも倭国王に冊封されなかったことが、大王=天皇が姓を持たず「姓」制度を超越し続けたことにつながったとしている吉田前掲。。 天皇の皇位継承 ...
  • 天皇制
    ...『戦後思想を考える』岩波新書、1980年、3頁による。 内務大臣山崎巌、1945年10月 「天皇制の下に他国とは趣の異なったデモクラシーの運用が行われねばならぬ」(安岡正篤・1945年12月) * 安岡正篤「政体と日本天皇制」(部外秘)1945年12月。。 「天皇を現人神と仰ぎ奉り皇国を毒する内外一切の勢力を打滅せん事を期す」「大日本帝国憲法の復活」「核武装による皇軍再建」(大日本殉皇会・1961年設立) ref name= 公安 公安調査庁編『主要右翼団体規約・綱領・宣言集』公安調査庁、1968年。 「天皇制の下に日本民族の主体性を把握」(治安確立同志会・1952年設立) ref name= 公安 / Template 節stub? 皇室批判派の意見 Template main? 「天皇をたゞの人間に戻すことは現在の日本に於て絶対的に必要」(坂口...
  • 広田弘毅
    ...終戦史』 岩波書店〈岩波新書〉、1992年。 服部龍二 『広田弘毅―「悲劇の宰相」の実像』  中央公論新社〈中公新書〉、2008年、ISBN 4121019512) 伝記 岩崎栄 『広田弘毅伝』 新潮社、1936年。 吉井魯斎 『児童の鑑 広田弘毅さん』 尚文館、1936年。 沢田謙 『広田弘毅伝』 歴代総理大臣伝記刊行会、1936年。 永松浅造 『新日本の巨人を語る 人間・広田弘毅(他三編)』 森田書房、1936年。 北川晃二 『黙してゆかむ 広田弘毅の生涯』 講談社、1975年。講談社文庫、1987年、ISBN 4061840959。 広田弘毅伝記刊行会編 『広田弘毅』 広田弘毅伝記刊行会、1966年。複製版 葦書房、1992年5月、ISBN 4751204270 渡邊行男 『秋霜の人 広田弘毅』 葦書房、1998年、ISBN 475120...
  • 脱亜論
    脱亜論(だつあろん)とは、明治18年(1885年)3月16日、「時事新報」紙上に掲載された社説を指す。 「脱亜論」は福澤諭吉が執筆したとされているが、原文は無署名の社説である。昭和8年(1933年)に慶應義塾編『続福澤全集〈第2巻〉』(岩波書店)に「脱亜論」が収録されたため、「脱亜論」は福澤が執筆した社説と考えられるようになった ref name= seiyorikai 平山洋 「福沢諭吉の西洋理解と「脱亜論」」『西洋思想の日本的展開—福沢諭吉からジョン・ロールズまで』西洋思想受容研究会、慶應義塾大学出版会、2002年 ISBN 978-4766409512 を参照。。 概要 以下、「脱亜論」の原文脱亜論からの引用を含む。 第1段落より まず、執筆者は交通手段の発達による西洋文明の伝播を「文明は猶麻疹の流行の如し」と表現する。それに対し、これを防ぐのではなく「其蔓延を助...
  • 幕末
    ...上勝生『幕末・維新』岩波新書〈シリーズ日本近現代史1〉、2006年 ISBN 978-4-004-31042-6 関連項目 明治維新 幕末の人物一覧 ええじゃないか 外部リンク 幕末写真館 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年4月16日 (水) 14 48。    
  • 沖縄戦-2
    ...縄ノート』岩波書店〈岩波新書 青版 762〉、1970年9月、ISBN 4004150280 [5] 大田昌秀『これが沖縄戦だ 写真記録』琉球新報社、1979年/改訂版 1985年/改訂版 那覇出版社、2002年1月、ISBN 4930706009 大田昌秀編著『総史沖縄戦 写真記録』岩波書店、1982年8月 [6]/増刷版 1994年3月、ISBN 4000012223 大田昌秀監修『沖縄戦 写真集』那覇出版社、1990年3月 [7] 大田昌秀『血であがなったもの 鉄血勤皇師範隊/少年たちの沖縄戦』那覇出版社、2000年7月、ISBN 4890951296 大田昌秀『有事法制は、怖い 沖縄戦が語るその実態』琉球新報社、2002年12月、ISBN 4897420482 大田昌秀『沖縄戦下の米日心理作戦』岩波書店、2004年12月、ISBN 4000223...
  • リヒャルト・ゾルゲ
    {{Infobox 軍人 |name=リヒャルト・ゾルゲTemplate lang-ru-short? |lived=1895年10月4日 - 1944年11月7日 |placeofbirth=アゼルバイジャン、バクー |placeofdeath=巣鴨拘置所 |image= |caption=リヒャルト・ゾルゲの功績を称えて発行された旧ドイツ民主共和国の切手 |nickname= |allegiance=ソビエト軍 |serviceyears= |rank= |commands= |unit=労農赤軍参謀本部第4局 |battles= |awards=ソ連邦英雄勲章 (死後) |laterwork= |Mausoleum=多磨霊園 }} リヒャルト・ゾルゲ(Template lang-ru-short?、Template lang-de-shor...
  • 日露戦争
    ...ら見る日本と世界』、岩波新書、2005年、ISBN 4004309581 黒岩比佐子 『日露戦争 勝利のあとの誤算』、文春新書、2005年、ISBN 4166604732 森貞彦 『日露戦争と「菊と刀」』、東京図書出版会、2004年、ISBN 443040065 日露戦争研究会 『日露戦争研究の新視点』、成文社、2005年、ISBN 4915730492 日露戦争を描いた作品 小説 司馬遼太郎 『坂の上の雲』全8巻、文春文庫、1999年、ISBN 4167105764, ISBN 4167105772, ISBN 4167105780, ISBN 4167105799, ISBN 4167105802, ISBN 4167105810, ISBN 4167105829, ISBN 4167105837 児島襄 『日露戦争』全8巻、文春文庫、1994年、ISBN ...
  • 近衞文麿
    ...政治家』(岩波書店[岩波新書], 1972年) 杉森久英『近衛文麿』(河出書房新社, 1986年/河出文庫(上・下), 1990年) 中川八洋『大東亜戦争と「開戦責任」― 近衛文麿と山本五十六』(弓立社, 2000年) その他 平泉澄『日本の悲劇と理想』 原書房 1977年3月 平泉澄『悲劇縦走』 皇学館大学出版部 1980年9月 早川隆 『日本の上流社会と閨閥』 角川書店 1983年 8-14頁 関連項目 Template Commons? 華族 第1次近衛内閣 第2次近衛内閣 第3次近衛内閣 近衛新体制 陽明文庫 ゾルゲ事件 尾崎秀実 後藤隆之助 石渡荘太郎 『TIME』誌 脚注 Template reflist? 外部リンク 近衛文麿 | 近代日本人の肖像 近衛文麿の紀元260...
  • 脱亜入欧
    脱亜入欧(だつあにゅうおう)とは、「後進地帯であるアジアを脱し、欧州列強の一員となる。」ことを目的とした日本に於けるスローガン、およびそれに類する思想のこと。その具現化として断髪令・廃刀令が著名である。 明治以降、富国強兵とともに政府が行った政策の根幹となるものともいえるが、この考え方も、のちの朝鮮半島および中国など、大陸への進出に至る流れの一つの過程と捉えることもできる。 福澤諭吉が書いたとされる論説「脱亜論」なお、同論説はあくまでも無署名文であり、近年は福沢執筆説に対して疑問が提出されている。詳細は同項目参照は、基本的にこの考え方にそっていると指摘されることがある。またよく間違えられることであるが、福澤諭吉は署名著作・時事新報論説のすべてにおいて「入欧」という言葉を一度も使用していない ref name= fukuzawa 「「入欧」という言葉にいたっては(したがって「脱亜入欧」...
  • 南進論
    南進論(なんしんろん)とは、日本が南方地域へ進出すべきであるという第二次世界大戦前の対外論である。 概要 古くは明治時代から提唱され台湾領有や第一次世界大戦後の南洋諸島の委任統治の際にも論じられ、特に日中戦争の頃に主唱された。初期の南進論は必ずしも日本による領土拡張や軍事的進出と結びついたものではなかったが、1930年代以降、日本における「自存自衛」理念他国から見るともちろん侵略行為である。また大東亜戦争も危機的な情勢としては日露戦争と同様に生存戦争だが、日本人自身も戦後教育のため、「軍国主義による侵略戦争」として捉えられることが多い。但し、盧溝橋事件後の日中戦争については自他共に認める侵略行為で、結果的に自らの首を絞め、太平洋戦争を起こす要因となった。と結びつき、「武力による南進」が志向されるようになった幕末に佐久間象山などが唱えた攘夷運動(外国の力を取り入れ、日本が植民地になる...
  • 冊封
    冊封(さくほう)とは、中国王朝の皇帝がその周辺諸国の君主と「名目的」な君臣関係を結ぶこと。これによって作られる国際秩序を冊封体制と呼ぶ。  概要 冊封の原義は「冊(文書)を授けて封建する」と言う意味であり、封建とほぼ同義である。 冊封を受けた国の君主は、王や侯といった中国の爵号を授かり、中国皇帝と君臣関係を結ぶ。この冊封によって中国皇帝の(形式的ではあるが)臣下となった君主の国のことを冊封国という。このようにして成立した冊封関係では、一般に冊封国の君主号は一定の土地あるいは民族概念と結びついた「地域名(あるいは民族名)+爵号」という形式をとっており、このことは冊封が封建概念に基づいていることを示しているとともに、これらの君主は冊封された領域内で基本的に自治あるいは自立を認められていたことを示している。したがって冊封関係を結んだからといって冊封国がそのまま中国の領土となったと言う意味で...
  • 蹇々録
    『蹇々録』(けんけんろく)は、明治時代の外交官陸奥宗光が執筆した外交記録。『蹇蹇録』と書く場合もある。 陸奥の晩年の1892年以降に執筆されたが、外務省の機密文書を引用しているため長く非公開とされ、1929年に初めて公刊された。明治外交史上の第一級史料である。 内容 甲午農民戦争(東学党の乱)から三国干渉までの陸奥宗光自身の外交の経験・苦労・感想が書かれている。たとえば、日清戦争開戦の動機については、内村鑑三は当初、中国の不当な朝鮮支配を打破するための義戦であると唱え、日本の世論もだいたいにおいてこれに一致していたが、『蹇々録』にははっきりと日本の国益のための戦争であって義侠の精神はまったくないと書かれている。 日朝関係については三期に分けて記述されているが、日清戦争までの第一期、井上馨による韓国の改革のいきさつを記す第二期と異なり、第三期の記述は自ら省略すると書かれている。こ...
  • 愛新覚羅溥儀
    ... 入江曜子『溥儀』(岩波新書、2006年)ISBN 978-4-00-431027-3 (4-00-431027-X) レジナルド・ジョンストン『新訳 紫禁城の黄昏』(本の風景社、2007)ISBN 978-4-939154-04-1 太平洋戦争研究会『秘録東京裁判の100人』(ビジネス社、2007年)ISBN 978-4-8284-1337-2 関連項目 愛新覚羅氏 日中戦争 徳王 第二次世界大戦 張作霖爆殺事件 張学良 蒋介石 川島芳子 南満洲鉄道 立命館大学 現在の京都衣笠キャンパスの用地は溥儀の寄付による。当時のお金で50万円という巨額の寄付を受けた。そのうち20万円で、衣笠の6万坪の土地を購入し、校舎を建て、さらに学生向けの奨学金の基金も創設できた。 外部リンク 系図でみる近現代 第23回 出典 フリー百科事典『ウィ...
  • 渋沢栄一
    Template Infobox 人物? 渋沢 栄一(しぶさわ えいいち、天保11年2月13日(1840年3月16日) - 昭和6年(1931年)11月11日)は、幕末の幕臣、明治~大正初期の大蔵官僚、実業家。第一国立銀行や王子製紙・日本郵船・東京証券取引所などといった多種多様の企業の設立・経営に関わり、日本資本主義の父と呼ばれる。 正二位勲一等子爵。雅号は青淵。戒名は泰徳院殿仁智義譲青淵大居士。 人物 生い立ち 天保11年(1840年)2月13日、武蔵国血洗島村(現埼玉県深谷市)に父・市郎右衛門、母・エイの長男として生まれた。幼名は市三郎。のちに、栄一郎、篤太夫、篤太郎。渋沢成一郎は従兄。 渋沢家は藍玉の製造販売と養蚕を兼営し米、麦、野菜の生産も手がける大農家だった。原料の買い入れと販売を担うため、一般的な農家と異なり、常に算盤をはじく商業的な才覚が求められた。市三郎も父と...
  • ゾルゲ事件
    ゾルゲ事件(ゾルゲじけん)は、1941年9月から1942年4月にかけて山村八郎 (1949)、21頁。リヒャルト・ゾルゲを頂点とするソ連のスパイ組織が日本国内で諜報活動および謀略活動を行っていたとして逮捕された事件。この組織の中には近衛内閣のブレーンとして活動した尾崎秀実もいた。 経緯 逮捕 太平洋戦争開戦直前の1941年9月から1942年4月にかけて、ゾルゲや尾崎らのグループはスパイ容疑で警視庁特高一課と同外事課によって逮捕された。軍事情報のスパイは陸軍の憲兵隊の管轄であるが、コミンテルンのスパイとして特別高等警察が取り扱ったゾルゲは実際にはコミンテルンではなく、労農赤軍参謀本部第4局に所属していた。。 まず1941年6月に日本共産党員であった伊藤律が逮捕され、アメリカ共産党員で当時日本に住んでいた北林トモの名を自供、警視庁は北林を9月28日に逮捕。さらに北林がアメリカ共産党の同志...
  • 人類館事件
    人類館事件(じんるいかんじけん、「学術人類館事件」、「大阪博覧会事件」とも)は、1903年に大阪天王寺で開かれた第5回内国勧業博覧会の「学術人類館」において、沖縄県や、朝鮮・アイヌ・台湾高砂族・インド・マレー・ジャワ・アフリカの人々を、民族衣装姿でそれぞれの民族住居に住まわせ展示され、見世物として観覧させた事件である。 博覧会―帝国主義の視線― 19世紀半ばから20世紀初頭における博覧会は「帝国主義の巨大なディスプレイ装置」であったといわれる。博覧会は元々その開催国の国力を誇示するという性格を有していたが、帝国主義列強の植民地支配が拡大すると、その支配領域の広大さを内外に示すために様々な物品が集められ展示されるようになる。生きた植民地住民の展示もその延長上にあった。人間そのものの展示が博覧会に登場したのは、1889年のパリ万国博覧会である。 こうした「人間の展示」の背後には、当時...
  • ロシア革命
    ロシア革命(ロシアかくめい)とは、1917年にロシア帝国で起きた2度の革命のことを指す名称である。特に、史上最初の社会主義国家樹立につながった十月革命を指す場合もある。 なお、「二月革命」、「十月革命」は当時ロシアで用いられていたユリウス暦における革命勃発日を基にしており、現在一般的に用いられるグレゴリオ暦ではそれぞれ「三月革命」、「十一月革命」となる。 thumb|right|340px|[[防護巡洋艦アヴローラ10月革命に際して冬宮を砲撃し、革命の成功に貢献した。映画『十月』ではその場面も描かれる。日露戦争における日本海海戦にも参加しており、撃沈又は鹵獲を免れた数少ない艦の一つであった。現在はサンクトペテルブルクのネヴァ川に保存されている。]] 経緯 前史 Template USSR? ロシアでは1861年の農奴解放以後も農民の生活向上は緩やかで、封建的な社会体制に対...
  • 日本資本主義論争
    日本資本主義論争(にほんしほんしゅぎろんそう)とは、1933年頃から1937年頃まで行われたマルクス主義者の論争のこと。広義には1927年頃から1932年頃まで日本共産党と労農派の間で行われた日本民主革命論争を含めていうこともある。日本の資本主義の性格について、講座派と労農派の間で激しく論戦が交わされた。 概要 日本資本主義論争は日本共産党の三十二年テーゼの基づいた『日本資本主義発達史講座』(1932年5月から1933年8月)の刊行を機に起こった。共産党系の講座派は、明治維新後の日本を絶対主義国家と規定し、まず民主主義革命が必要であると論じた(「二段階革命論」)。これに対し、労農派は明治維新をブルジョア革命、維新後の日本を近代資本主義国家と規定し、社会主義革命を主張した。この論争によって、近代日本の本質規定をめぐって理解が深まり、「封建論争」「地代論争」「新地主論争」「マニュファク...
  • 明六社
    明六社(めいろくしゃ)は、明治時代初期に設立された日本最初の近代的啓蒙学術団体。 1873年(明治6年)7月にアメリカから帰国した森有礼(もりありのり)が、福澤諭吉・加藤弘之・中村正直・西周(にしあまね)・西村茂樹・津田真道・箕作秋坪・杉亨二・箕作麟祥らとともに同年秋に啓蒙活動を目的として結成。名称の由来は明治六年結成からきている。会合は毎月1日と16日に開かれた。会員には旧幕府官僚で、開成所の関係者が多かった。 1874年(明治7年)3月から機関誌『明六雑誌』(岩波文庫全3巻)を発行、開化期の啓蒙に指導的役割を果たしたが、1875年(明治8年)、政府の讒謗律(ざんぼうりつ)・新聞紙条例が施行されたことで機関誌の発行は43号で中絶・廃刊に追い込まれ事実上解散となった。その後、明六社は明六会となり、東京学士会院、帝国学士院を経て、日本学士院へと至る流れの先駆をなした。 大久保利謙...
  • 企画院事件
    企画院事件(きかくいんじけん)は、1939年から1941年にかけて、多数の企画院職員・調査官および関係者が左翼活動の嫌疑により治安維持法違反として検挙・起訴された事件。企画院事件は、1939年以降の「判任官グループ」事件、および1940年以降の「高等官グループ」事件の複合体である。 経緯 1938年10月の京浜工業地帯の労働者による研究会に対する弾圧事件(「京浜グループ」事件)において、同研究会で講師を務めていた企画院属の芝寛が逮捕された。芝による自供をもとに、企画院内若手判任官による研究会(これ自体は同院内部で認可された小規模な勉強会であった)の存在が警察の認識するところとなり、これが「官庁人民戦線」の活動として扱われ、1939年11月から翌1940年までに岡倉古志郎・玉城肇ら4名が検挙された(「判任官グループ」事件)。 さらに検挙は1940年10月から1941年4月にかけて、...
  • 講座派
    講座派(こうざは)とは、日本資本主義論争において労農派と対抗したマルクス主義者の一派。岩波書店から1930年代前半に出版された、『日本資本主義発達史講座』を執筆したグループが中心となったのでこう呼ばれる。 概要 明治政府下の日本の政治体制は絶対主義であり、また当時の社会経済体制の実態は半封建的地主制である、と捉え、天皇制を打倒するブルジョワ民主主義革命の後に、社会主義革命が起こる、とする「二段階革命論」を唱えた。これはコミンテルンの32年テーゼを擁護するものとなり、日本共産党の基礎理論となった。 主な人物 野呂栄太郎 山田盛太郎 平野義太郎 服部之総 羽仁五郎 その他 講座派は1936年のコム・アカデミー事件で一斉検挙されたために壊滅状態になり、日本資本主義論争も途絶えた。しかし、彼らの思想は戦後の農地改革に影響を与えたとされる。また、丸山真男...
  • 軍部
    軍部(ぐんぶ)は、最広義には、陸軍・海軍・空軍など、国家が保有する軍隊全体を指していう言葉である。 この「軍部」が用いられるのは、文民政府との関係を論じる文脈で、軍部による政治介入、軍部クーデターによる文民政府の倒壊、軍事専門職集団である軍部に対する文民統制、アジア・ラテンアメリカの権威主義体制下における民政移管など、いわゆる「政軍関係 civil-military relations 」を論じる場合である。 日本における軍部 日本における狭義の軍部は、大日本帝国陸軍及び同海軍の上部組織、すなわち、陸海軍省・陸軍参謀本部・海軍軍令部等の上部組織を指す(空軍は当時の日本に存在しなかった)。 戦前期日本における軍部の制度的前提となったのは、軍部の政府からの独立性を保障した統帥大権(大日本帝国憲法第11条)、軍部大臣現役武官制、帷幄上奏権などであった。 ただし、実際に軍部がその実体...
  • 森戸事件
    森戸事件(もりとじけん)は、大正9年(1920年)に起きた経済学者・森戸辰男の筆禍事件。 東京帝国大学助教授・森戸辰男はこの年、経済学部機関誌『経済学研究』にロシアの無政府主義者クロポトキンに関する「クロポトキンの社会思想の研究」を発表した。このことが上杉慎吉を中心とする学内の右翼団体から攻撃を受けて、雑誌は回収処分となった。さらに、新聞紙法第42条の朝憲紊乱罪により森戸は起訴され、休職処分となる。当時の助教授・大内兵衛も掲載の責任を問われて起訴される。 10月2日、大審院は上告を棄却して有罪が確定。両名は失職し、同じ頃ILO日本代表派遣問題をめぐって東大を辞職した師の高野岩三郎(初代経済学部長)とともに大原社会問題研究所に参加、同所の中核メンバーとなった。その後、大内は復職したが、人民戦線事件で検挙、再び東大を追われた。 同じ経済学部の教授である渡辺銕蔵などは、森戸の論文は論理も学...
  • 軍国主義
    軍国主義(ぐんこくしゅぎ、Militarism)とは軍事力を国家戦略的に重視し、政治体制・戦略・財政・経済体制・社会構造などの総合的な国力を軍事力の増強のため集中的に投入する国家の体制や思想を意味する。軍事主義とも呼ばれる。軍事力増強に向けて国内のあらゆる領域を統制・管理しようとする傾向があり、非民主的な独裁政治となる場合がある。 通俗的に戦争を支持する人や国の考え、傾向を大まかに指すこともあり、平和主義、民主主義の対義語として用いられる。しかし平和主義と同じように非常に包括的な概念である側面を持っており、絶対的な定義は難しい。 概説 軍国主義に基づいた国家体制は、さまざまな国力が軍事力の造成のために投入されるため、国民や各種の組織が軍事的な目的で動員され、その目的のためにしばしば人権や思想の自由などが侵害される場合がある。 戦時体制と社会現象的には似ている。戦時体制とは戦争という...
  • 大川周明
    Template Infobox Celebrity? 大川 周明(おおかわ しゅうめい、1886年12月6日 - 1957年12月24日)は、戦前の代表的な思想家の一人。 なお戦後は、イスラームへの興味から、コーランの全文翻訳するなど日本のイスラーム研究にも貢献した。 出自 山形県酒田市出身。荘内中学(現山形県立鶴岡南高等学校)、第五高等学校を経て、東京帝国大学文科大学卒(印度哲学専攻)。「特許植民会社制度の研究」で法学博士(1926年取得)。東亜経済調査局・満鉄調査部に勤務の後、法政大学教授大陸部(専門部)部長を経て拓殖大学教授。 学生時代 後にともに活動する北一輝らと同様に、平民新聞の読者であった。 荘内中学時代は、庄内藩の儒者・角田俊次宅に下宿し、このときに漢学の素養を身につけた。 五高時代には、栗野事件で活躍した。 戦前の活動 インドの独立運動を支援。ヘー...
  • 永田鉄山
    Template Infobox 軍人? 永田 鉄山(ながた てつざん、1884年1月14日 - 1935年8月12日)は、日本の陸軍軍人。統制派の中心人物。陸軍省軍務局長、参謀本部第2部長、歩兵第1旅団長を歴任し、階級は陸軍中将に至る。追贈であるが、正四位勲一等に叙され瑞宝章を受けている。 略歴・人物 長野県諏訪郡上諏訪町本町出身。陸軍幼年学校、陸軍士官学校をいずれも首席、陸軍大学校も2位で卒業する秀才ぶりで、軍務官僚として常に本流を歩み、「将来の陸軍大臣」「陸軍に永田あり」と評される人物だったが、陸軍内部の派閥抗争に絡んで陸軍中佐相沢三郎に暗殺される。皇道派の領袖、陸軍大将真崎甚三郎を教育総監の要職から更迭したことが暗殺の引き金となっている。死亡当時、陸軍省軍務局長で階級は陸軍少将。 郡立高島病院長永田志解理の子として生まれ、高島尋常小学校・諏訪高等小学校(現諏訪市立高島小...
  • 横浜事件
    横浜事件(よこはまじけん)とは、第二次世界大戦中の1942-1945年におきた言論弾圧事件のことである。 1942年、雑誌『改造』に掲載された論文が問題になり、執筆者が治安維持法違反で検挙された。これを発端に編集者、新聞記者ら約60人が神奈川県警察特別高等警察課によって逮捕された。横浜地裁は敗戦から治安維持法廃止までの期間に約30人に有罪判決を下し、4人の獄死者を出した。 戦後、無実を訴える元被告人やその家族・支援者らが再審請求を繰り返し、2005年に再審が開始されることになったが、最終的に罪の有無を判断せず裁判を打ち切る免訴が確定した(後述)。なお、別の遺族が2002年3月に申し立てた第4次再審請求について、2008年10月31日、開始される事が決定した。 経緯 1942年、総合雑誌『改造』(8-9月号)に掲載された細川嘉六の論文「世界史の動向と日本」が共産主義的でソ連を賛美...
  • 満鉄調査部
    満鉄調査部(まんてつちょうさぶ)は、戦前に存在した南満州鉄道の調査機関である。 設立は明治40年(1907年)。 概要 1906年に南満州鉄道(満鉄、総裁後藤新平)が発足した翌年、満鉄調査部が設置された。当初は満鉄の経営のための調査をはじめ中国東北地区などの政治、経済、地誌等の基礎的調査・研究を行なったが、その後の日本の中国進出の拡大に呼応してその対象を広げ、中国そのものを対象とした本格的な調査研究も行うようになっていった。 他方、多数の調査要員を必要としたこともあり、日本国内で活動の場を失っていた多数の自由主義者、マルクス主義者などを取り込むようになり、やがてその活動は軍部の忌避するところとなって2度にわたる弾圧事件を受け、活動を縮小した。 満鉄調査部は当時の日本が生み出した最高のシンクタンクであるとしばしば形容される。日本の敗戦と満州国の消滅により満鉄が消滅した後も、満鉄...
  • 大阪商大事件
    大阪商大事件(おおさかしょうだいじけん)は、太平洋戦争中の1943年から1945年初めにかけて、大阪商科大学(現大阪市立大学)の教員・卒業生・学生ら数十名が治安維持法違反容疑で特別高等警察により検挙、投獄された事件である。 背景 日中戦争の始まった1937年以降、大阪商大では戦時下にもかかわらずマルクス経済学についての研究会活動が活発となった。この背景には、河田嗣郎学長のもとリベラルな学風が強かったことに加え、1937年から1941年にかけて商大において岩波書店版『経済学辞典』の編集が行われ、その執筆陣として多数のマルクス経済学者が参加したことがあげられる。 また同じ時期、進歩的な予科講師として人気のあった立野保男の退職処分に反対する運動(1941年)が展開された。この運動をきっかけに商大では上林貞治郎教授ら教員、学生により「帝国主義戦争に反対し、マルクス経済学を研究する...
  • 統帥権
    統帥権(とうすいけん)とは、軍隊における最高指揮権をいう。 近代日本における統帥権 近代日本では大日本帝国憲法第11条が定めていた天皇大権のひとつである陸軍や海軍への統帥の権能を指す日本国憲法下では、憲法の実際的な解釈と自衛隊法第7条により、内閣総理大臣が自衛隊の最高指揮監督権を持つと規定されている。。 明治憲法下で天皇の権能は、特に規定がなければ国務大臣が補弼することとなっていた。併しそれは憲法に明記されておらず、また、慣習的に軍令(作戦・用兵に関する統帥事務)については、国務大臣ではなく、統帥部(陸軍:参謀総長。海軍:軍令部総長)が補弼することとなっていた1932年に陸軍大学校が教本として作成した『統帥参考』には「統帥権ノ独立ヲ保障センカ為ニハ“武官ノ地位ノ独立”ト“其職務執行ノ独立”トヲ必要トス 政治機関ト統帥機関トハ飽ク迄対立平等ノ地位ニ在リテ何レモ他ヲ凌駕スルヲ得サルヘ...
  • 秩父事件
    秩父事件(ちちぶじけん)は、1884年(明治17年)10月31日から11月9日にかけて、埼玉県秩父郡の農民が政府に対して起こした武装蜂起事件。自由民権運動の影響下に発生した、いわゆる「激化事件」の代表例ともされてきた。 事件の背景 江戸時代末期以来、富国強兵の大義名分のもと年々増税等が行われる中、1881年(明治14年)10月に大蔵卿に就任した松方正義によるいわゆる松方財政の影響により、現在でいうデフレスパイラルが発生し(松方デフレ)、いまだ脆弱であった日本の経済、とりわけ農業部門には深刻な不況が発生した。農作物価格の下落が続き、元来決して裕福とはいえない農産地域の中には、さらなる困窮に陥る地域も多く見られるようになっていった。 国内的には主として上記の松方財政の影響、さらには1873年から1896年ごろにかけて存続したヨーロッパ大不況のさなかに発生した1882年のリヨン生糸取引...
  • 大正政変
    大正政変(たいしょうせいへん)は、1913年(大正2年)2月、前年末から起こった憲政擁護運動(第1次)によって第3次桂内閣が倒れたことを指す。広義には、第2次西園寺内閣の倒壊から、第3次桂内閣を経て第1次山本内閣の時代までとされる ref name=okubo 大久保(1964)。 狭義の大正政変 概略 明治末以来、藩閥勢力の代表で陸軍に近い桂太郎(長州藩出身)と立憲政友会の西園寺公望(公家出身)が「情意投合」1911年(明治44年)1月26日の桂・西園寺会談の結果、1月29日に発表した合意のこと。第2次桂内閣が立憲政友会の支援を必要としていることから、桂は次期首班に政友会を推し、自分は再び政権につかないという確約を政友会の原敬とのあいだに結んだ。これにより、政府と政友会の提携が成立した。のもと、交互に政権を担う慣例が続いていた(桂園時代と呼ばれる)。 明治天皇崩御...
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