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599 : ◆Heaaunpf3c :2009/08/04(火) 22:48:45.89 ID:HBw/Z8oK0

 不意にけたたましい電子音が私の睡眠を妨害した。
 こんな時間に電話?何時だと思ってるんだ全く。
 無視を決め込んでいたが一向にやむ気配がしない。
 仕方なく眠気眼のままベッドの上にあるであろう携帯電話に手を伸ばした。

「うぅ……眩し……」

 待受画面の光に目が慣れるまで少し時間が掛かった。
 その間にベッドから這い出し体を起こしてベッドの上に座り直した。
 画面に表示される発信者名に少々戸惑いを覚えたが着信に応えることにした。

「……もしもし」
『……………………』

 応答がない。

「もしもーし?……どうした梓?」
『うぅ…………っ…………』

 状況がよく飲み込めない。
 頭がうまく回転してないこともあるが軽音部の中ではまともな常識を持ち合わせている梓がこんな時間に電話を掛けてきていることが。

「おーい、もしもーし。聞こえてるかー?何か言ってくれー」
『……………………』

605 : ◆Heaaunpf3c :2009/08/04(火) 22:56:09.16 ID:HBw/Z8oK0
 それは5分だっただろうか30分だっただろうか。
 衣擦れの音と時折漏れる鼻水をすする音が聞こえるだけの相手に応答を求めていたのは。
 さすがに突然睡眠を邪魔された上いつまでも無言電話の相手をしているほど私はお人好しではない。

「もう……いい加減にしてくれ。何も言わないなら切るぞ」
『…………ごめ゛んなざい……みお゛先輩……』

 ようやくまともに返ってきた返事は涙声でグズグズの声だった。

「おい?どうしたんだこんな時間に。何かあったのか」
『……わい……ひっぐ……めを……みた……で……ひっぐ……』

必死に何かを伝えようとしていることは分かるがほとんど聞き取れない。

「とりあえず落ち着け。な?」
『ずみ゛ま……ぜん……』

何度か深呼吸を促し呼吸の整った梓にもう一度問いかけてみる。

「どうしたんだ?こんな夜中に。何かあったのか?」
『その……』
「その?」
『……怖い夢を見たん……です……』
「へ?」

思わず気の抜けた声を出してしまった。

611 : ◆Heaaunpf3c :2009/08/04(火) 23:04:50.86 ID:HBw/Z8oK0
『だからその……昨日……』

 ようやく事情を話し始めた梓にしばらくは相槌だけ打つことにした。

『律先輩から面白い映画があるからってDVD渡されて……』
「うん」
『それを帰ってから見てみるとすごく怖いホラー映画だって……』
「あらら……」
『止めよう止めようと思ったんですけど……』
「最後まで見たのか?」
『続きが気になっちゃって……』
「よく最後まで見られるな……」

 そういえば昔はそういうの見せられてたのは私だったな。
 ホラーとかそういうの得意だからなあいつは……。
 律にちょっかいを出される梓を見ると昔の自分を見てるみたいだな。
 梓みたいに小さくて可愛い女の子じゃなかったけど……。

614 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/08/04(火) 23:15:30.88 ID:HBw/Z8oK0
「それでその映画がそのまま夢に出てきた、と」
『はい……』
『怖くなって起きたんですけど部屋は真っ暗で私1人だけで……』

 それはそうだろう。今は午前3時半を回ったばっかりだし、彼氏と同棲……でもしてない限り1人だろうし。
 梓に限ってそんなことは無いだろうしな。ないよな……?いやないない……ない……と信じよう……。

『それで声が聞きたくなって……』
「それでとりあえず誰かの声が聞きたくなって私に電話したわけか」
『とりあえずじゃないです……』
「ん?」
『澪先輩の声が聞きたかったんです』

 不意に放たれた一言に呼吸の仕方を忘れそうになる。

『澪先輩の声を聞いたら落ち着けるかなって……』

 必死に供給し損ねた酸素を補うと次は顔が熱くなるのがわかる。
 電話越しでなく面と向かって言われていれば卒倒していたかもしれない。

『澪先輩?どうかしました?』
「い、いやなんでもない」

 梓に気づかれないようにゆっくりと2度深呼吸をし何事も無かったかのように振舞った。
 これじゃあさっきと立場が逆じゃないか。

618 : ◆Heaaunpf3c :2009/08/04(火) 23:22:09.62 ID:HBw/Z8oK0
『でもほんとに怖い夢だったんですよ?』
「そ、そうなのか……」
『すごくリアルな夢で……繁華街で酔っ払ってるおじさんたちを怪物が残らず襲って……』
「あ、それ以上言わないで」
『一通り周り人たちを襲い終わったら、背中を向けたまま首だけ180度回して私の方をみつめて……』
「あーあーあーあー」

 わざとやってるのか?私が怖いの苦手なの知ってるはずなのに……。

『あっ……ごめんなさい……』
「いいよ別に……」
『うぅ……思い出したらまた怖くなってきました……』

 こっちもだ。

「とりあえず落ち着いたみたいだし寝坊するといけないからもう切るぞ」
『澪先輩……』
「なんだ?」
『……眠くなるまでお話しててもらえませんか?』
「……あぁ、眠くなるまでな」

 切ると言われ心細くなったのかまた梓の声が涙混じりになっていたように感じた。
 そんな切なそうな声で言われたら切るに切れなくなっちゃったな。

623 : ◆Heaaunpf3c :2009/08/04(火) 23:30:34.09 ID:HBw/Z8oK0
『ごめんなさい澪先輩。澪先輩だって寝坊したらいけないのに……』
「いいよいいよ。私朝は強い方だしな」

 梓を心配させないために小さな嘘をついてしまった。
 それより早く寝ちゃわないと。このままだと夜が明けるまで起きてる羽目になる。

「んーどうしよう」
『眠くなりませんね』

 ここは少々古典的すぎるがあの手でいってみるとしようか。成功したことは一度もないんだけど。

「……羊でも数えてみるか」
『羊……ですか?』

 予想通りの反応。

「ほら、よく言うじゃないか。羊を数えると眠くなるって」
『いや……それは知ってますけどそんなので眠くなるのかなって』

 そうだろうな。私もそう思う。

「とりあえず騙されたと思って」
『……はい』
「羊が1匹」
『羊が2匹』
「羊が3匹」
『羊が4匹』

………

633 : ◆Heaaunpf3c :2009/08/04(火) 23:38:23.31 ID:HBw/Z8oK0
「羊が……55匹」
『羊が56匹……』
「……羊が57匹」
『もういいです……』

 中野牧場の羊舎が飽和状態になったのだろう。不貞腐れているのが電話越しにでも伝わってくる。

『やっぱり騙されました……』
「そういうつもりじゃなくて……そうだ!数えるモノが悪かったんだ!」
『数えるモノ?』
「羊みたいに想像しにくくて平凡なモノよりもっと身近で愉快なモノじゃないと」
『身近で愉快なモノ?』
『そう例えば』
「唯とか!・唯先輩とか?』

変なところで思考がシンクロした。

「他に方法が思いつかないしやってみるか……」
『そうですね……』

 今度は想像力を働かせて。頭の中で柵を飛び越える羊になった唯を思い浮かべて。

「唯が1匹」
『唯先輩が2匹』
「唯が3匹」
『唯先輩が4匹』

………

654 : ◆Heaaunpf3c :2009/08/04(火) 23:49:47.86 ID:HBw/Z8oK0
「ッ……唯が23匹」 みおちゃんの髪の毛サラサラ~
『ゆ、唯先輩が24匹……』 あずにゃんのほっぺプニプニ~
「唯が25匹……っく……」 すごくいい……
『唯しぇん輩が26匹……』 あいすぅ~あいすぅ~

「……ぷっ」
『あはは……』

 睡魔を呼び起こすための数を数えるだけの単調な作業に唯という題材は適さなかったようだが
 これはこれで良かったような気がした。

『やっぱりダメじゃないですか』

 電話越しに伝わる梓の声がさっきよりも穏やかになっている。

「ごめんごめん。それで思い出したんだけど眠くなるには楽しいことを考えるといいんだって」
『もう、早く言ってくださいよ。頭の中が唯先輩だらけになっちゃったじゃないですか』

 なんとも楽しそうな脳内庭園だ。

664 : ◆Heaaunpf3c :2009/08/04(火) 23:57:29.18 ID:HBw/Z8oK0
「梓は何をしてる時が1番楽しい?」
『ギターを弾いて……軽音部のみんなと演奏をしてる時です』
「梓は本当に音楽が好きなんだな。昔からずっとやってたみたいだし」
『もちろん音楽は好きですけどそうじゃないんです』
「どういうこと?」
『今までは両親とか周りが大人ばっかりであんまり話も合わなくて……
でも今は部室でお茶をしたり、お喋りをしたり、たまに練習したり……』

練習の分量が少ないことは触れないでおこう。事実だし。

『そういうのがすごく楽しいんです!』

なんだかんだ言って梓も楽しんでくれてるんだな。最初はすごく反発してたけど。

『みんなで演奏するのもなんだが今までより楽しくて』
『律先輩のドラムは走り気味だし、唯先輩はいつもマイペースだし、
でもそれを紬先輩と澪先輩がうまくカバーしてて一体感?っていうのかなそれがすごく気持ちよくて』
「やっぱりあるよなそういうの。相性がいいのかな」
『そうかもしれ……ませんね』
『でもやっぱりもっとれん……習しないと……』

 そうは思っていてもムギの持ってくるお菓子とお茶の誘惑がなぁ。

679 : ◆Heaaunpf3c :2009/08/05(水) 00:08:23.78 ID:fHafQTM70
『律先輩もいつ……も私や澪先輩にちょっかいばか……り出して』

 うんうん、その通りだ。

『唯先輩もセン……スはあるんだからちゃん……と練習しないともったい……ないです』

 よく1年やそこらであれだけ弾けるようになったもんだなぁ。
 今でもたまにコード忘れてるけど。

『ムギ先ぱ……いは優しいん……ですけどた……まにはぁはぁ言ってるし』

 いいじゃないか誰が何を好きになったとしても。

『澪先輩は……みおせんぱ……いは……』
「ん?どうした?」

 急に言葉が途切れる。

『このま……まで……いいです……』

688 : ◆Heaaunpf3c :2009/08/05(水) 00:18:43.45 ID:fHafQTM70
 このままでいい?

『いまの……みおせ……んぱいが1番す……てきです……』
「ちょっ、ちょっと梓何言ってるんだ!?」
『だか……ら……』

 だから?

『だ……いすき……です……』
「!?!?」

 誰に対して?私?軽音部のみんな?
 何に対して?音楽?部活?

「ちょっ、ちょっと梓!今のって……」
『………………』
「梓……?寝たの?」
『………………』
「おーい」
『………………』

701 : ◆Heaaunpf3c :2009/08/05(水) 00:38:50.45 ID:fHafQTM70
 電話越しには微かな寝息が聞こえるだけだった。
 最後のアレは本気で言っていたのだろうか、それともただの寝言だったのだろうか。

「よりによってなんであんなことを言うんだ……」

 心臓が蒸気機関のように全身に血液を送り出しているのがわかる。
 耳まで真っ赤になってじっとりと汗も噴き出している。

「もう眠れないよこんなの……」

 カーテンの隙間から差し込む微かな日差しに気づき閉じた携帯の時刻を確認する。

「もうこんな時間……今日はもうずっと起きてるか……」

 遅刻はしそうにないが居眠りをしてしまうかもしれない。
 放課後のお茶とお菓子で満腹中枢を刺激されれば容易に居眠りをしてしまうのが想像できる。
 このままでいい。しっかり者で優しくてかっこいい先輩。
 そう言ってくれた梓の気持ちに応えることはできるだろうか。
 だらしない先輩でもいいかな?1日くらいはいいよね?
 それも含めてこのままの私なんだから。


                                  おしまい