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「あ……」
 部室に一人で残って、あずにゃんに指摘された部分を繰り返し練習していると、窓の外からザーザーという音が聞こえてきた。
 その音に、私はギー太を傷付けないように床に下ろして、窓に近付く。どんよりと沈んでいた雲は、ついに悲しみに堪えられなくなったのか、大粒の涙を降らしていた。
「困ったなぁ……、傘持ってきてないや……」
 今日も今日とて遅刻ギリギリに起きた私は、天気予報を見る暇も無く、最低限の身だしなみを整えてから学校まで走ってきたのだ。当然、傘を持ってくる余裕なんて無い。しかも、今日に限っていつも鞄の中に入っている折り畳み傘が見当たらない。
 どうしようかなぁと一人部室で途方に暮れていると、不意に音楽室の扉が開いた。反射的に振り返ると、そこにはあずにゃんが立っていた。
「あ……、唯先輩、まだいたんですか」
 どこか不安げに室内を見回していたあずにゃんは、私の姿を見つけるとほっとしたように笑顔を零した。そんな何気ない表情に、胸がどきりとさせられる。
 やっぱり私はこの子が大好きなんだなぁ……。
「どうしたの?」
「帰ろうとしたら雨が降ってきたので、傘を取りに戻ってきました」
 そう言いながら、あずにゃんは壁に立てかけている傘を指差した。そっか、いつも置きっぱなしで誰かの忘れ物かと思ってたけど、あずにゃんの置き傘だったんだ……。
 納得したところで、ふと気付く。ひょっとしたらこれはチャンス? 私は傘を持ってないし、あずにゃんは傘を持っている。外は相変わらずの大雨だし、私が一緒に入れてくれと頼み込めば、あずにゃんの性格的に考えて断られることはまずないだろう。
 ……って、それはやっちゃいけないよね。人の性格に付け込んで距離を縮めようとするなんて、卑怯にも程がある。でもでも、あずにゃんと仲良くなりたいし……、どうしたらいいんだろう……。
 私が心の中で悩んでいる間に、あずにゃんは傘を手にとって音楽室を抜け出そうとして――
「もしかして、唯先輩、傘持ってきて無いんですか?」
 だけど、振り返って私にそんな疑問を投げかけてくる。
 ズバリその通り。だから傘に入れてくれない? と、いつものノリで言えたら楽だったけど、どうしてか言えなかった。
 あずにゃんは、返事をしない私のことを訝しそうに見ている。その視線に耐え切れず、とうとう私は俯いてしまった。
「唯先輩?」
 もう一度私に呼びかけてくるあずにゃん。だけど、私はそれに答えることができず、ただひたすら俯いて、あずにゃんが部屋を出るのを待っている。
 いよいよ私の様子がおかしいことに気付いたのか、あずにゃんが私に向かって歩いてくるのが気配で解った。やだ、来ちゃだめだよ、来ないで……あずにゃん……。
 私の願いも空しく、あずにゃんが私の目の前まで来た。俯いている私の顔を、しゃがみ込んで下から覗き込んでくる。
「どうしたんですか、唯先輩」
「別に、何でもないよ」
「何でもない訳無いでしょう。それならどうしてそんなに元気が無いんですか」
「それは……」
 そんなこと言える訳が無い。あずにゃんのことが好きすぎて、だから元気が無いなんて、言える訳が無い。
 あずにゃんはじぃっと私を見つめていて、私が話し出すまでずっとそのままでいるつもりみたいだ。だけど、根気強さなら私だって負けない、絶対に話さないんだから。
「……」
「……はぁ」
 やがて、私が話すつもりが無いということに気付いたのか、それとも諦めたのか解らないけど、あずにゃんがふっと視線を私から外した。
 ようやく解放されたとほっと一息吐いていたら、不意に腕が引っ張られた。突然のことにびっくりする。抵抗しようと思っても、完全に不意打ちだったから力が入らない。
 ――結局、成す術も無くあずにゃんに引っ張られたまま、下駄箱の所まで連れて行かれてしまった。

 ☆☆☆

「あずにゃん、痛いよ……」
「あ、すみません……」
 泣きそうな声でそう言うと、あずにゃんはようやく手を離してくれた。掴まれていた部分を見てみると、赤く痕が残っていて、思わず顔をしかめてしまう。
 あずにゃんもそれを見たのか、気まずそうに私から目を逸らす。そのときに、小さく唇を動かしてごめんなさいと謝ってくれた気がした。
「それはいいんだけど……、急にどうしたの?」
「唯先輩があまりに強情だったので、強硬手段に出ただけのことですよ」
「強情って……」
「強情じゃないですか。あれだけ待ったのにちっとも話し出そうとしないんですから、私には言えないことだったんですか?」
「それは……」
 言える訳が無い。あずにゃんのことが好きすぎてってこれさっきも考えたような気が……。
 とにかく、いつかは言わなきゃならないことなんだろうけど、今はまだ勇気が出ない。失敗して失うものが大きすぎるから。何もかも失うぐらいなら、現状で満足した方がマシだ。
「はぁ……まったく、いつもの元気な先輩はどこに行ったんですか」
「へ?」
「そんな泣きそうな顔してるの、先輩らしくないですよ、元気出してください」
 あずにゃんはそう言って、目尻に溜まった涙を人差し指で拭ってくれた。そして、その指をそのまま自分の口に持っていって、ぱくりと銜える。
 数秒ぐらい味わって、やがて指を口から出した。濡れたその指が艶かしく感じて、何となく気恥ずかしくなる。「ちょっと甘いですね」と言って指を私に突き出してくるけど、それから目を逸らしてしまった。
 そんな私の反応に対して気にした様子も無く、あずにゃんはにっこりと笑って、私に向けていた指を引いてくれた。それと同時に私の視線もあずにゃんへと戻る。
「もう、からかわないでよ」
「すみません、唯先輩の反応が可愛かったのでつい」
「かっ……かわいくなんてないよっ!?」
「可愛いですよ、ふふ」
「もう、またそうやってからかうぅ……」
 正直言って、あずにゃんに可愛いと言われたのは嬉しかった。それなのに、素直に感謝の気持ちを言えないのは、やっぱり恥ずかしいからだろう。
 何せ、好きな人から可愛いと言われたのだから、体のいろいろな部分がどきどきしてしまって、まともに話すことができない。今も、あずにゃんの顔を見ただけで頭が沸騰してしまいそうだし……。
 あずにゃんはそんな私を見て、相変わらずにこにことしている。その様子に、何もかも見透かされているような気がして、やっぱり恥ずかしくなった。
「はい」
「ほぇ?」
「傘、忘れたんですよね? 入れてあげますから、一緒に帰りましょう」
 言いながら、傘と私の荷物を見せてくる。……いつの間に、私の荷物を持ってきたんだろう?
 不思議に思ったけど、とりあえず差し出された荷物を受け取る。一瞬、ギー太を置きっぱなしにしてるんじゃないかと心配になったけど、ずしりとした重みは間違いなくギー太のもので、安心した。
「それじゃ、どうぞ」
「でも……」
「もう、しつこいですよ」
 開けた傘になかなか入ろうとしない私に痺れを切らしたのか、なんとあずにゃんは大胆にも私の腕に自分の腕を絡めて、ぐいっと引っ張ってきた。
 突然のことに反応できず、私は足を踏ん張らせることもできずに、あずにゃんの懐にぽすんと収まった。体格的には私の方が大きいのだけれど、今は体が縮こまっているから、普段はあり得ない状況なのにそれが簡単に起きてしまう。
「あずにゃん……」
「唯先輩は、もう少し他人に頼ってもいいと思います」
 どう反応していいか解らずに、名前だけを呟いたら、返ってきたのは何の脈絡も無い言葉。とりあえず、黙って続きを促す。
「いつも割りと頼っていると思うかもしれませんが、変なところで気を使うじゃないですか」
「変なところ?」
「はい。例えば、ギターの練習をしているとき。解らないところがあったら私が練習していることなんて気にせずに訊いてくれていいんですよ?」
「でも、それじゃあずにゃんの邪魔しちゃうんじゃ」
「邪魔なんて思いませんから。私としては、自分が上手になるより先輩が上手になってくれた方が数倍嬉しいんです」
「そうなの?」
「はい。ですから、たとえ私が練習していたとしても、気にせずにどんどん質問してください、いいですね?」
「う、うん……」
 なんだかあずにゃん、イライラしてる? 顔は普段どおりだけど、言葉の隅っこにそんな感情が篭ってる気がするんだけど……、気のせいかな?
「それと、今日のこともそうです」
「な、なに?」
「先輩、傘を忘れたのにどうしてすぐそれを言わなかったんですか? そうすれば一緒に傘に入れてあげるのに」
「それは……」
「私には言えない理由があったんですよね? それは解ってます」
「だったら」
「でも! でもですよ? 先輩が困っているなら素直にそう言ってくれたらいいじゃないですか! それとも、私じゃ先輩の役には立たないっていうんですか!?」
「そ、そういう訳じゃ無いよ? ただ……」
 徐々に感情が表に出てくるあずにゃんに気圧されながらも、なんとか言葉を発しようとする。
「私はいつも先輩に助けてもらってるのに、その恩返しすらさせてくれないっていうんですか? それはちょっと酷いんじゃないですか?」
 ……だめだ、今のあずにゃんには何を言っても通じない。言葉が通じないとなれば……。
「大体先輩はいつもいつも……」
「あずにゃん、少し落ち着いて」
 いつもするように、あずにゃんの体を後ろからぎゅっと抱きしめる。すると、今まで興奮状態だったあずにゃんの体が、すぅっと冷静になった。
 あずにゃんが充分落ち着いたことを確認して、名残惜しいけど私はあずにゃんから両腕を放す。
「落ち着いた?」
「あ……はい、すみません……」
 落ち着いたことによってさっきまでの自分を恥ずかしく思ったのか、あずにゃんは頬を真っ赤に染めていた。そんな顔で目を逸らされながら謝られると、イケナイ考えが……おっと。
「ううん。私が悪いんだから、気にしないで。あずにゃんは私に頼られたかったんだよね?」
「……はい」
「それで、あんなに起こった風に言ってたんだ」
「すみません、お騒がせして……」
「いや、まぁ確かに少し怖かったけど……」
 あのときのあずにゃんはほんと別人なんじゃないかと思ったし。
「でも、大切なことを教えてくれたから、いいよ」
「大切なこと……ですか?」
「うん。これからは私、もっとあずにゃんに頼ることにするよ」
 そう言うと、あずにゃんはびっくりしたように目を見開いて、でもしばらくするとにっこりとした最上級の笑顔を私に向けてきて、
「はいっ」
 そうして、私たち二人はお互いの腕を絡めながら、相合傘で家まで帰ることになった。……少しは、距離が縮まったのかな?
 本当のお願いはまだ言えないけど、いつか絶対に言うから。その時まで、待っててね? あずにゃんっ!

 ――中野梓さん。私と、結婚を前提としたお付き合いをしてください。


Fin