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このSSは『【けいおん!】唯×梓スレ 3』というスレに投下されたものです
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841 名前:やくそくゆいあず1[sage] 投稿日:2009/10/27(火) 03:18:06 ID:OGilvgkU
小さなため息の音。
今日何度も耳にしたそれが、自分のものだと気付き、私は再び、今度は大きくため息をついた。
考えてみれば当たり前のこと。今この部屋の中で生まれる音は、そのほとんどが私発祥のもの。
何故なら、今ここにいるのは私だけなんだから。
抱えていたギターを脇に下ろし、腰掛けていたソファーの背もたれに背中を預け、天井を仰ぐ。
しばらくその姿勢を続けた後、身を起こし、自らのギターに目を落とした。
ずっと一緒だった私の相棒。普段は無口だけど、爪弾けばすぐに応えてくれる。
練習して上達すれば、それをちゃんと教えてくれて、それが嬉しくて私はずっと弾き続けてきた。
今もそう。ずっと練習していたフレーズ、それをようやく弾きこなせるようになった私に、また新しい音を響かせてくれた。
いつもの私なら、それに満足げな笑みを浮かべていたはずなのに。
今の私はそうじゃない。とても、そうとはいえない。仮にそうだと強がって見せても、それはすぐ自己否定に遮られてしまうだろう。
ううん、満足感も嬉しさも確かにある。ただ、それより強い何かが自分の中に居座ってて、その邪魔をしているだけなんだ。
ああ、昔の私ならこんなの全然平気だったのに。平気だって笑っていられたのに。
「寂しい、か」
呟く。本当にそのまま。その言葉が今の私の全て。
1人で練習することが、じゃない。それだけなら、普段の殆どがそれに当てはまる。
でもそれは、本当は1人じゃない。皆と演奏をするための単独練習。だから、その先には皆がいるから、1人じゃない。
だけど今は、いつもなら皆と一緒にいる時間。その空間に今、1人でいるということ。
本当なら、やるなあってドラムの向こうで笑いかけてくれる人がいて。
こちらもうかうかしてられないななんて微笑を浮かべて見せる人がいて。
それまでの私の努力を労う様な優しいまなざしを向けてくれる人がいて。
そして、すごいねあずにゃんって自分のことのように喜んでくれる人が隣にいるはずなのに。
だけど今は私1人。目を閉じればすぐ傍にあるように浮かんでくる光景は、どこを探しても見つからない。
ただ、がらんとした、こんなに大きかったのかと疑問を抱いてしまうほど広く感じる音楽室の風景だけが視界を埋め尽くしている。
それは本当に、もうどうしようもないほどの寂しさをこの胸に湧き上がらせている。
ぎゅうっと絞り込まれるような、そんな感触が心臓の下あたりに居座っていて、痛覚と錯覚しかねないほどの不快さを与えてくる。
それはとても苦しくて、苦しくて。私が得られてきた楽しさを、根こそぎ奪い去ってしまうほどの、感覚。
だけど、と私は続ける。今のこれは、そんなに深刻なものじゃない。そんなはずはない。何故なら――
ふと、私の目が扉に目を向けられる。そこに生まれたかすかな気配が、くいっと私の視線を引っ張る。
普段ならたやすく見逃してしまうそれを、今の私は鋭敏に感じ取っていた。
「あれ、あずにゃんだけ?」
直後、がちゃりと音を立てて生まれた隙間からひょっこり現れたのは、私の予想通りの顔だった。
そう、予想通り。だって先輩がここに来ることはわかっていたこと。部活中止の連絡があったわけではなかったから。
学園祭での劇の練習のため、先輩たちが遅れてくることはあらかじめ知っていることだったし、その中で比較的作業量の少ないこの人が真っ先にここに現れることも、想定の範囲内のことだった。
「唯先輩」
私の口から零れ落ちたのは、その名前。
流れ的には質問への返事を返すべきだと思ったが、何故か私の口はそう動いていた。
扉の影からその全身を現したその人の名前を、口にしていた。
ほんわりとした柔らかな笑顔と、のんびりとしたそれでもひょこっとした軽快さを見せる仕草と、私より手のひらくらい高い背を持った先輩。
ほんの2年にも満たないくらいの付き合いのはずなのに、もう随分長い間近しい関係を続けていたような、そんな錯覚を思わせる人。
私の先輩。そう、まだ今は。この人が先輩で、私が後輩。この限られた時間の中で、私たちはその関係でいられている。
そう、だから今は深刻じゃない。そのはずがない。いずれ訪れるそのときに比べれば、そう言える筈がない。
何故なら、こうして待っていさえすれば、この人は必ずここに来てくれるのだから。今、こうして向かい合っていられるように。
842 名前:やくそくゆいあず2[sage] 投稿日:2009/10/27(火) 03:19:17 ID:OGilvgkU
「……?」
返事も返さず、目を向けたまま停滞している私に、唯先輩はその笑顔を維持しながら小さく首を傾げて見せた。
そこで私は初めて自分の俯瞰的な状態に気付き、慌ててたたずまいを直す。
「ボーっとしてるなんて珍しいね」
小さく笑い声を上げると、唯先輩はとすんとケースを肩から下ろし、その愛用のギターを取り出した。
私はといえば、いくら軽音部がゆるい部活とはいえ、先輩が来たと言うのに挨拶すらしなかったことに自己嫌悪を覚えたりしつつ――
唯先輩が、ティータイムも抜きで練習しようとしていることに驚きを覚えていた。
「ん~ムギちゃんもいないからお菓子もないし。それに遅くなっちゃったから、時間もあまりないからね」
何度か爪弾き、何度かペグをひねるだけのチューニングを済ませ、唯先輩はギターに落としていた視線をこちらに向けた。
ふんわりとした眼差しと柔らかな笑顔。向けられる者を容赦なく優しい気持ちにさせてしまう佇まい。
それはひょっとしたら、私の贔屓目かもしれないけど。それでも、彼女を取り巻くほとんどの人が私と同じ感想を抱いてるだろうと半ば確信していた。
知らず浮かべていた笑顔を、その不覚を僅かに悔しく思いながら、それでもあっさりとそれを上回る暖かさに押されるように、私は腰を上げた。
ギターを持ち上げ、ストラップを肩にかけ、いつでもいけますよ、と先輩に視線を送る。
いつもならまるで習慣のように――たぶんきっと先輩にとっては本当にそうなんだろうけど――きゅっと私に抱きついてくるのに、今日は、先輩にしては本当に珍しく、すぐにギターに向かっていたから、それはお預け。
それが習慣になっているほうがおかしいんです、なんて普段の私なら思っていたのだろうけど。
今の私は素直にそれを寂しいことだと感じ、思い浮かべていた。
「アレいこっか」
「アレですね」
一度だけうなずき、特に合図の声を交わすでもなく、唯先輩は眼差しに確かな真剣さを灯し、小さく、でも踊るような軽やかさでピックを振り下ろす。
それに合わせて、自然と私の手も動き出す。拍合わせなんていらない。もう何回も何十回も重ねたものだから。その音が、その気配が、その存在があるだけで、私はきっと目を瞑っていたとしても演奏できるだろう。
何時もの私たちのナンバー。そういえば、始まりはいつもこの曲だった。先輩たちにとっては、初めてのライブで演奏した曲。それだからかもしれない。
そのいつものタイミングで、先輩の声が響く。やわらかくて、包み込まれるようで、それでも確かな芯を持った歌声。
唯先輩の声。そしてその奏でる音色。それは私の大好きな――
それに飲み込まれてしまわないように、それを更に高められるように、それに負けない輝きを放てるように、私は嵐の海の上懸命にマストにしがみつく船乗りのような必死さを持って紡ぐべき音を奏でていく。
実際、そうでもしないと置いていかれそうだった。私の心情に依存するものだけではなく、先輩は掛け値なしに私が初めて出会ったときよりもずっと上に登っているから。
そして予感するまでも無く、これからもずっと登り続けていくのだろうと確信できる。
この音を聞けば、きっとそれは私だけの感想ではなくなることだろう。そう思えるくらいに。
それに触れられることは、今の私にとって至上の幸せだった。勿論そう言うべきなのは、それだけではないのだけど。
その音に包まれること。それと共に奏でられること。
優しく笑いかけられること。
ぎゅっと強く時に優しく抱きしめられること。
放課後音楽室を訪れれば、やっほーあずにゃん、なんて出迎えてくれて。
練習しますよと促しても、もう少しだけーとお茶とお菓子と椅子にしがみついたりして。
めっと怒ると、懐柔しようとケーキ付きのフォークを差し出してなんか来たりして。
その癖に奏でる音は、やはり私の大好きな音だったりして。
私の風景の中に、先輩はいつも存在していた。四六時中一緒というわけでは当然のことながら無かったけど。
だけど、私が引き出せる思い出という名のページには、いつも先輩がにっこりとした笑顔を見せてくれていた。
それはきっとこれからも私のページに刻まれていくのだろう。いまだ白いそのページに。
そして――次の春が来れば、そこにその姿が刻まれることはない。
演奏が止む。映画のワンシーンのようにぴたりと、ではなく。歪んだ私の音を合図にして、不揃いの余韻を残しながら、ゆっくりと。
「珍しいね、あずにゃんが間違えるなんて」
「すみません」
843 名前:やくそくゆいあず3[sage] 投稿日:2009/10/27(火) 03:20:43 ID:OGilvgkU
とすんと音を立てて、先輩のギターがソファーの淵にに立てかけられる。少し遅れて、私のギターもその隣に立てかけられる。
練習は中断ということらしい。折角乗ってきたと思ったのに、と私は自分のミスを悔やむ。
本当に何をやってるんだろう。練習中にそれを浮かべてしまうなんて。動揺してしまうことなんて、わかっていたことのはずなのに。
ちゃんとしていかないといけない。だって、もうすぐ学園祭なんだから。そこで、自分にできる最高のパフォーマンスで、最高のライブにしないといけないのに。
振り返ったとき、最高の思い出だって胸を張れるほどの。これを逃せば、もうチャンスはないんだから。
だって、それが先輩たちとできる最後の――
それがキーワードだった。
考えるまでも無く、それは当たり前のこと。私は二年生で先輩は三年生。この年が終われば、先輩たちは卒業してしまう。
今年になってから先輩たちと過ごしたこと。梅雨のじめじめしたあの日も、夏の日差しにうんざりしたあの日も、夏合宿でライブを見に行ったあの日も。
先輩たちと、という言葉を頭につければ全て、その後に最後のという言葉が続いてしまう。
最初は、だから頑張ろうなんて思えていた。だからこそ最高のものにしようって。最高の思い出にしようって。
そう無邪気に考えられていた。だけど、それらを一つ一つ終えて行き、あと「最後の」は幾つ残ってるんだろうって考えたときに、私は気付いてしまった。
気付かないように蓋をしていたものを、開けてしまった。
この「最後の」が全て終わってしまったら、もう私の傍に先輩たちはいないんだ、と。
さっきの私みたいに、一人きりの音楽室でギターを抱えるしかなくなるんだと。そして、いくら待ってもそこに先輩たちが訪れることはない。
ひょっとしたら、一人じゃないかもしれない。今年は入らなかったけど、来年の春になれば新入部員がどっと来たりして。
そしてまた新しい桜高軽音部が作られて。その賑やかで楽しそうな音が、私を包み込んでくれるのかもしれない。
だけど、そこには先輩たちはいない。先輩は、いない。
当たり前のことだとも、仕方がないことだとも、それが普通だということも、全てわかっている。
自分がそれを受け入れて、先に進まなければいけないことも全てわかっている。
だけど、それはどうしようもなく寂しい。寂しくて、切ない。切なくて、苦しい。
そう、それをこうして明確な形で思い浮かべてしまうだけで、そのときまでずっと零さないと決めていたものが溢れ出してしまいそうになるほどに。
慌てて、堪える。それが耐え難いものだとしても、今は我慢しないといけない。だって、私の目の前には今、ふんわり笑う先輩がいるんだから。
今ここでそうしてしまえば、きっとそれを崩してしまう。それは、嫌だ。先輩には、笑っていて欲しいから。
それが在るだけで、そのシーン全てが私にとって最高の思い出になるんだから。
「あーずにゃん♪」
ぎゅうっと先輩が私を抱きしめてくる。今日初めての、そして初めてそうされてから今までずっと、習慣になってしまった行為。
そのぬくもりは、あっさりと私を溶かしてくれる。この人のぬくもりに私は弱い。どんなものを抱えていたとしても、抱え込んでいたとしても、この瞬間だけはふわりとそれは何処かに行ってしまう。
今も、この気持ちをあっさりと消し去ってくれるに違いない。先輩には、その魔力が在るから。
そう思ったのに――やはりというか、それは消えてくれなかった。
先輩にこうされること、それも時間制限つきなんだと、そんな意識が湧いて来てしまう。暖かいのに、いつもどおりの先輩のぬくもりなのに、今はそれが切ない。
きっと、ナーバスになってるのだろう。「最後の」学園祭のライブが近付いてるから。
そして、それが近付いていると言うのに、先輩たちはクラスでの出し物である劇の練習に時間を割かれていて、部活で練習する時間をほとんど取れない。
さっきみたいに、一人でギターの練習をしているのがこのところの私の部活時間の過ごし方になっている。
本当なら、もっともっとみんなで練習したいのに。みんなでいっぱい練習して、これなら最高のライブに出来るなって笑い合いたいのに。
その最高の思い出を、一緒に作ってるんだって実感したいのに。
だけど、それが独りよがりな物だってことは分かってる。
先輩たちにとっては、どの瞬間も最後のということになる。放課後ティータイムのライブも、クラスでの出し物も、その他の学園行事に類するもの全て。
だからどれにも一生懸命。演劇の練習を頑張っているのは、話を聞いていれば分かるし、短くなってはいるけどライブの練習もちゃんとしていることもわかってる。
844 名前:やくそくゆいあず4[sage] 投稿日:2009/10/27(火) 03:24:30 ID:OGilvgkU
それでも、今の私にとっての「最後の」は、先輩たちと学園祭の舞台に立つということ。
だからなんとしても最高のライブにしたい。最高の思い出にしたい。私にとって、最高の思い出を作って欲しい。
来年が来て、先輩たちがいなくなっても、それに耐えられるくらいの最高の思い出を作って欲しい。
私がそう思って、なのに先輩は劇の練習に時間を割いていることを切なく寂しく思っていることを、わかって欲しい。
そんな――欲しいというものばかり。私が抱いてしまっているのは。
そんなこと、言えるはずがない。ううん、言っちゃ駄目なことだと思う。だから、私は泣かないと決めた。そうしてしまえば、それはきっと押し付けがましいものになってしまうから。
最後の最後、その瞬間まで取っておかないといけない。それまでは、笑っていないといけない。
私だけじゃなくて、先輩たちにも沢山の最高の思い出をあげたいから。あげないと、いけないから。
「あずにゃん」
耳元で響く先輩の甘い声が、トンと優しく私を打つ。
直後、ぎゅうっとさらに力を込めて、強く私は先輩に抱きしめられる。
あれ?と思う。さっきまでのいつものとは確かに違うその感覚に、私は小さく首を傾げる。
「先輩?」
問いかけに、先輩は答えない。ただぎゅっと私を強く抱きしめ続けるだけ。
いつものべたーっとくっついて私を感じようとする、先輩風に言えばあずにゃん分補給というそれとは違う。
まるで、自分がここにいるよということを私に教えるような、そんな形のもの。
ああ、そう言えば一度だけこれを感じたことがあった。それを思い出す。
あれは確か、去年の今頃。学園祭のライブの直前で、ようやく現れた先輩を前に、私が泣いてしまいそうになっていた、あのときと同じだ。
それで、全てがわかってしまった。
唯先輩には、お見通しだったんだ。私が今どういう気持ちでいるのかを。
気付かれていないと思っていた。ちゃんと笑えていると思っていた。そして、それは上手く行っていたと思う。
だけど、そうじゃないと説明できない。
先輩は今こうして、こんなにも強く私を抱きしめているから。
一生懸命隠そうとする私の手をすり抜けて、先輩の手はあっさりとそこに届いてしまっているから。
「いいんだよ、あずにゃん」
そしてそんなことを、そんな状態の私に告げるものだから、もうそれはどうしても我慢できなくなって私の頬を濡らしていた。
絶対にそうしないと決めていたことだったのに。南極の氷よりもずっとずっと厚くて冷たいところに、閉じ込めていたはずなのに。
あっさりと溶かされてしまっていた。そう、わかっていたこと。唯先輩はいつも容易く、私を溶かしてしまうんだから。
一度零れてしまえば、もうその勢いは止まらない。嗚咽も慟哭も、最早私の意志に関わらず、どんどん溢れ出して来る。
まるで子供みたいに、私は先輩の胸で泣きじゃくる。そうでもしないと、この勢いと量に押しつぶされてしまいそう。
そんな私を、先輩はぎゅっと抱きしめていてくれた。私から零れるもの全てを、受け止めようとするかのように。
それがあまりに優しいから、私はまるで母猫に甘える子猫のように、全てを預けてただひたすらに泣き続けた。

ひくっと、ちいさくしゃくりあげる。それを最後にして、私の涙はようやく止まってくれた。
ゆっくりと顔を上げると、ぐしゃぐしゃになってしまった先輩の制服と、それでも先程と微塵も変わらない優しい先輩の笑顔が目に入った。
「すみません」
とりあえず、謝る。制服を汚してしまったことと、こんな醜態を見せてしまったこと、とにかく、いっぱい迷惑をかけてしまったことを。
実際、私が顔を埋めていた胸元辺りは染みになっていたし、ぎゅっとしがみついて握り締めていた部分はクシャクシャになってしまってる。
間違いなくクリーニング行きコースだろう。
なのに先輩はそんなことどうでもいいよって顔して、やっぱりにへらって笑ってる。
「いいよ~気にしなくて」
そう言って、パタパタ手を振って見せて、そのままその手を私の頭にぽんって乗せて、なでなで。
先程と同じ。この仕草も、何処か私を慰めようとするもの。普段のそれとは少し違う感覚を与えてくれる。
845 名前:やくそくゆいあず5[sage] 投稿日:2009/10/27(火) 03:25:31 ID:OGilvgkU
それでもやはりそれは心地よくて、私はやがて喉を鳴らす猫のように、それに身を委ねて、力を抜く。
へなりとなった私を先輩はよいしょなんて掛け声を上げながら抱え込むと、ポスンとソファーの上に座り込んだ。
私もそのまま倒れこむように、どさりとソファーの上に身を投げ出され、頭はぺたりと座り込んだ先輩の太腿の上に。
丁度膝枕をされている形。ううん、正確に言うなら、飼い猫を膝の上で優しく可愛がるように、先輩の手は私の頭を撫でている。
勿論それは私の主観なのだろうけど。そう思うということは、ひょっとしたら私にはそういう願望があるのかも、なんて思ったりして。
泣くだけ泣いて、何とか落ち着きを取り戻した状態だと、この姿勢は少し恥ずかしい。
だけど、それを上回るほどの心地よさとか暖かさとか、そんな私にとってプラスなことにみっしりと包まれているから、私は顔を上げることなく、それに身を委ねている。
喉を鳴らしながら、ちらりと覗いた先輩の眼差しは、やはり量りようも無いほどの優しさに満ちていて。
私はとろんと、私というものが溶けて行く感覚を確かに感じていた。
「…なんでわかったんですか?」
「ん~、なにが?」
その熱と疼きに、身をよじるように零れた疑問。だけどそれは疑問なんてものじゃなくて。
例えて言うなら、もっと甘い言葉をくださいというおねだりみたいなもの。
もっともっと、私を溶かしてください、なんて言う。
何もかも、忘れてしまえるほどに、もっともっと熱いものをくださいなんて、そんな思い。
――それはやはり、私の寂しさを埋めて、一人になっても耐えられるほどのものを与えてくださいという気持ちからくるもの。
仕方がない。いっぱい泣いて落ち着きはしたけど、それはやはりいずれ確実に訪れるものだから、この気持ちは隠れはしても、消えてはくれない。
だけど。
今抱いているこの欲求は、その理由だけじゃなくて、ただ純粋に唯先輩のことをもっと感じたいと、そういう気持ちからも来てると思う。
だって、そうじゃなきゃ。こんなにも胸が熱くなっていることの説明がつかないから。
こんなにも、先輩が欲しいと思ってしまっている、その理由に説明がつかないから。
私は先輩の問い返しに答えることなく、ただぎゅっと、その腰に手を回し抱きしめた。
それこそが、答えだと言わんばかりに。
「わかるよ、だって」
そして唯先輩は、私を撫でる手を止めることなく
「あずにゃんのこと、ずっと見てたもん。だから、わかるよ」
そう、言ってのけた。
それは本当に、私が望んでいた言葉そのままで、だから私は嬉しくてきゅっとまた先輩にしがみつく腕に力を込める。
「こういうときはね、我慢せずに泣いちゃった方がいいんだよ。泣くだけ泣いて、全部流しちゃって、すっきりしなきゃ」
「そう、ですね……」
全部、とはさすがに言えない。ちゃんとそれは残ってて、それはどうしようもないものだけど。
だけど、それでも随分楽になってくれた。いっぱい泣いたことと、いっぱい先輩が甘えさせてくれたことで。
私の心を埋め尽くして、それがいられる場所を小さくしてくれた。これくらいなら、駄目な私でも、ちゃんと頑張れる。
全部、唯先輩のおかげ。
ああ、そうだ。こうしてとろけてるだけじゃなくて、ちゃんとお礼をしないと。
そう思って、一本だけ、手を離す。その分だけ、先輩との距離が少しだけ空いてしまったけど。我慢して。
ゆっくりと伸ばしたその手は、だけどあっさりと先輩の手に捕まえられてしまった。
頭をいっぱい撫でられてる分、こちらも撫で返そうと思ったのに。私の左手は、先輩の右手の中。
そのままぎゅうっと、胸に抱え込まれる。そしてぴたりと、私の頭を撫でていた先輩の手が止まった。
「あずにゃん」
先輩の声が私を呼ぶ。少しだけ、真面目な声。それに釣られるように、私は埋めていた顔を上げ、それに必要なだけ状態をひねって、先輩の顔を見上げた。
合わせた瞳は、やはり柔らかだけど、その声色の通り少しだけ真剣さを灯していた。
「最後の学園祭だから、って思ってた?」
ぴくりと私の体が震える。私が埋め込んでしまおうと思っていたもの、それを先輩はスパッと切り出そうとしていた。
846 名前:やくそくゆいあず6[sage] 投稿日:2009/10/27(火) 03:28:49 ID:OGilvgkU
反射的に逃げようと私の体は動こうとしたけど、私の左手は先輩の胸に、頭は右手に、そして何よりもその視線が一番的確に私を絡め取って、動きようがない。
「そうだよね?」
続く言葉。返事を促す、先輩の声。私はそれに頷くしかない。仮に首を横に振って見せたとしても、今この瞬間の私には、先輩を誤魔化せる気なんて欠片もし無かったから。
「それが終わるともうライブの予定も無いし、春が来れば私たちは卒業しちゃうから……一人になっちゃうって思ってたんだよね」
「……はい」
目を逸らし、確認するような二つ目の問いかけに、返事を返す。
予想はしていたけど、やはりそこまで知られていたんだ。そう、先輩は嘘をつかない。ずっと見てたって言ってくれた。わかるよって言ってくれた。
だから、ここまで読み取られていても、全然不思議じゃなかったんだ。
だけど、怖い。そこまであけすけにされて、そして今それを認めて、そんな私を今先輩がどんな目で見ているのか。それが、怖い。
なんでだろう。先輩には出来れば自分のいいところだけを見ていて欲しくて、こんな弱くて醜いところなんて見せたくないって思ってる。
どうして――
「てい」
「あいたっ」
額の真ん中、その少し右側に走った衝撃に、私は思わず声を上げた。
何ごとと、顔を上げて、ぴたっと視線が合ってしまう。折角逸らして、隠していたのに。
だけど、先輩の目は柔らかなままで、だけどその顔は少し怒ったようにその分だけほっぺたを膨らませていた。
そのいつもどおりに、私は心底安堵し、そして首をかしげた。
先輩の左手はチョップの形。それが私の額を打ったのだろう。声は上げたけど、肩をぽんと叩く程度の力。
怒ってるよって合図の、表情と行動。でも、なんで、どれに対して、何のために。
「な、何するんですか、唯先輩」
「なにするんですか、じゃないよ、もう」
先輩は表情を苦笑に切り替え、チョップ型の手から力を抜いて、また私の頭を撫でる。
「あずにゃん、卒業したらもうそれまでって思ってた?」
「…え?」
その言葉に、私はぽかんと口をあけていた。
「ダメだよ、そんなの。私はね、卒業してもずっと変わらないって思ってたんだよ」
先輩の言葉が続いていく。私は、ただそれを聞いているしかない。だって、それは私にとって、奇跡のような魔法の言葉。
何故なら、それは今まで私がずっと抱えてきたものを、悩んできたことを、苦しんできたことを全て、本当に魔法のように無かったことにしてくれる言葉だから。
それが今、私の目の前にある。それでも私はまだそれを信じられない、夢じゃないのかな、なんて思ってしまっている。
「私たちは変わらない。だって、こんなにすごくて、あったかくて、気持ちよくて、楽しいの、私他に知らないもん」
だって、それはあまりに私にとって都合のいい言葉。あまりにそうだから、そんなはずないって反射的に蓋をしてしまっていて。
そう、蓋をしてしまっていたんだ。それを望んでしまえば、それが裏切られてしまったときに私は酷く傷ついてしまうだろうから。
酷く傷ついて、そしてひょっとしたら先輩たちを恨んでしまうかもしれない。そんなのは絶対に嫌だったから。
だから私は望むのをやめて、それが叶わない世界こそ当たり前なんだって決め込んで、そして一人で悩んで苦しんで辛い思いをしている気になっていた。
「きっと、澪ちゃんもりっちゃんもムギちゃんも同じ気持ちでいるんだって思ってる」
私はそこではじめて、自分の本当の弱さに気がついた。本当に弱くて、どうしようもなくて、駄目な自分に。
本当に臆病で、嫌になる。逃げ出した癖して、その痛みに耐えることが強さなんだって勘違いして。
「あずにゃんも、同じ気持ちだったって思ってた。だから私、今とっても悲しいんだよ……」
ただ、信じられなかっただけなのに。先輩たちを、こんなにも真っ直ぐに私を見つめてくれる唯先輩のことを。
「確かにね、卒業しちゃうとここではもう一緒にいられなくなる。でも、私たちは、放課後ティータイムはね、それでも続いていくんだよ。
あずにゃんを一人にしたりなんてしない。私ももう、みんなと離れるのはいや。だから、ずっとずっと一緒だよ」
847 名前:やくそくゆいあず7[sage] 投稿日:2009/10/27(火) 03:30:01 ID:OGilvgkU
強く、確かな意思を込めて、先輩は私に視線を落とす。それは、じゅっと音を立てて私の中に在るものを溶かしてくれる。
「唯先輩……私も、そう思っていいんですか」
「もちろん!」
間髪いれず、先輩はにこっと笑ってそう返してくれた。本当に嬉しいって、そんな笑顔で。
本当は、ずっと一緒なんて難しいってこと、わかってる。今は一緒でも、進む道がずっと重なってる保証はない。
例え今、どんなにそれを強く信じていても、どんなに強くそれを望んでいたとしても。私たちそれぞれの道を決める要素は、それだけではないのだから。
でも、先輩は今言ってくれた。ずっと一緒だって。私を一人にしたりしないって。
それだけで、それをもらえたから、私はもう大丈夫。
例え、この先離れ離れになったとしても、その想いはずっと私の中にあるだろうから。
それが在る限り、どんなに離れていても私たちは、そして放課後ティータイムはずっと私の中に存在するんだから。
勿論、そうと決めたからには、そんな例え話、絶対に実現させたりはしないけど。
「いいんですね、もう絶対、離さないですよ。例え先輩が、もういやって言ってもです」
ぎゅうっと、その意思を伝えるようにしがみつく腕に力を篭める。
「もー、いやなんていわないよ」
先輩はまた少し膨れて、そしてまたにこっと笑って見せた。
目を閉じても、瞼に焼き付いてしまいそうな眩しい笑顔。
それを離したくない。離れたくない。もうずっと、離さない。
だから私も、とびっきりの笑顔を浮かべて見せた。ずっと傍にいますって、約束するように。
願わくば、それに負けないくらいの眩しさを先輩に与えられるように。
先輩は微かに目を細め、私がその目論見が満たされたことに満足を覚えるのと同時に、きゅうっと力いっぱい、その胸に抱き寄せられていた。
抱き寄せられ、膝枕の状態から持ち上げられた上体を、膝を立てて安定させ、私は先輩に重心を預ける。
背中に両手を回し、そのままくいっと抱え込むように軸を傾けると、唯先輩はあっけなくポスンとソファーの上に倒れこんだ。
床に落ちてしまわないように支点の位置を調整しつつ、私は覆いかぶさるようにぎゅうっと強く先輩を抱きしめる。
もっと強く抱きしめたい。もっともっとぎゅーっとしてあげて、私の中に先輩を閉じ込めてしまいたい。唯先輩の中に、私を閉じ込めてしまいたい。
そんな思いのまま、ただひたすらに、強く、強く。
私の想いを、気持ちを、余すところなく伝えられるように。
「ずっと一緒だよ、あずにゃん」
先輩の声が耳元で囁かれる。言葉だけじゃ足りなくて、動作だけでもやはり足りなくて、だからまた言葉を重ねようと紡ぎ出された言葉。
だから私もそれに重ねる。今の思いを集約して、形にしたもの。それが同じなんだと、確かな形としてこの記憶に残せるように。
「ずっと一緒です、唯先輩」
848 名前:やくそくゆいあず8[sage] 投稿日:2009/10/27(火) 03:30:52 ID:OGilvgkU
「先輩、知ってたんですね?」
「まあね~」
帰り道、私はすたすたと先輩の前を歩く。私のほっぺはいかにも不機嫌ですという思いを隠すことなく膨らんでいた。
だけど先輩は、そんなこと気にも留めることなく、ふんふん鼻歌を歌いながら、私の後を上機嫌に歩いていた。
「もう、だからあの日、あんなに自信満々だったんですね」
「ふふーん」
「得意げにならないでくださいっ」
「えへへ」
くるりと振り返ると、先輩は私に笑顔を見せる。得意気というよりは、本当に嬉しそうなそんな笑顔。
少しだけ拗ねていた私から、あっさりとそれを奪い去ってしまう。
「りっちゃんが、驚かせるから内緒だぞーって言うからさ」
「もう、律先輩らしいですけど」
それを読み取らせないように、私ははぁとため息をついて見せた。尤も、唯先輩がそれくらいで誤魔化されるとは思わなかったけど。
「それにしても、びっくりしましたよ」
今日律先輩が、みんなを集めて口にした重大発表。
それは、放課後ティータイムが卒業後プロとして活動して行くことだった。
さわちゃん先生が勝手に送ったデモテープから、とんとん拍子で話が進んで行ったらしい。
事務所の意向で、デビューは高校を卒業してからということで。
だから、先輩たちも卒業後のデビューになるし、私は更に一年後卒業してからの加入となる。
一年も待たないといけないのはやっぱり辛いと思うけど、だけど逆に一年待てば私はまたそこに飛び込んでいける。
そしてその間も、ずっと放課後ティータイムは文字通り存在し続ける。
まさしく、先輩が口にしたとおりの展開。先輩はそれを知っていたからこそ、あんなに強く一緒だよっていえたんだ。
――でも、それだけじゃないと思う。
「でもね、あずにゃん」
「…なんですか?」
私の思考を遮るように、そして私の期待通りの笑みを浮かべて、唯先輩は私をじっと見つめた。
「もしね、この話が無かったとしても。例え私一人になってたとしてもね。私はあずにゃんを一人にしたりはしなかったよ」
「…っ」
そして、私の期待通りの言葉を続けてくれる。本当にこの人は、いつもそんな奇跡みたいなことを容易く形にしてくれる。
そしてそれには欠片すらも嘘は混じってないのだろう。
「大好きなあずにゃんだもん!」
そう言って、ぎゅうっと私を抱きしめてくれたのだから。そう、その例えどおりになっていたとしても、先輩はこうして私を抱きしめ、一人にはさせなかったに違いない。
「もう…唯先輩は。そういうこと、簡単に言ってくれるんですから」
「えへへ」
「それにきっと、そうだったとしたら、私から離しませんでしたよ」
「えへへー、あずにゃん寂しがり屋だもんね」
「そんなんじゃありませんけど…ね」
だって、大好きな唯先輩ですから、なんて簡単に返せたらいいんですけど。
私がその勇気を振り絞るか否か迷っている間に、先輩はふいっと私から身を離した。そのままとんとんとスキップするように前へと歩を進めていく。
少し肩透かし。だけど、確かに考えれば通学路で長時間抱き合ってるわけにも行かない。寂しさを素早く胸の中にしまいこむと、その後に着いて歩き出す。
先輩はやはり上機嫌で、鼻歌なんか歌ってたりして。
ひょっとしたらと、私は思う。この事実を知って、嬉しかったのは先輩も同じだったんじゃないかと。
先輩も多少なりとも私と同じような思いを抱いていて、そしてもうその心配をすることはないと知って、嬉しくて。
だから、あんな風に私の気持ちを読み取ることができたんじゃないかって。
なんて、確かめたりはしないけど。それに意味があるとは思えないし、きっとそれは必要がないこと。
だってもう、私たちはお互いの気持ちを確かめ合えたのだから。
ちゃんとその約束を、交し合えたのだから。
それに、そんなことより先に確かめないといけないことがある。だって、先輩の鼻歌は、私の知らないメロディーだったから。
「それ、新曲ですか?」
「うん、まだ完成には遠いけど、タイトルは決まってるよ」
「なんてタイトルなんですか?」
先輩はそこで言葉を区切り、くるりと振り返って、そして最高の笑顔を浮かべながら私にピースして見せた。

「CagayakeGirls!」



ブラボー! すばらしい作品をありがとう