悪の作法


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ダークザギさんの魂の叫び。

 決して悪役である自分を美化したり正当化したりするわけではありませんが、悪役にも、守らなければならない悪役なりの作法のようなものがあると思います。それがなんであるかは、個々人に備わっている文化・理想・思想などによって、文字通り十人十色だと思うのですが、私の場合のそれは、子供に対する接し方にあります。
 悪役とは、言ってしまえば、光である正義の味方を引き立てる存在です。テーブルの上に例えるならば、ヒーローは料理で、悪役は食器でしょう。そして、テーブルの前に座るのが、そう、お子さんです。
 子供は、ヒーローを見て育ち、ヒーローから様々なことを学びます。しかし同時に、我々ヒールからも何かを学んでいるはずです。それは決して、堂々とお子さんに対して、『私から学べ!』なんて言えるような、立派ものではないかもしれません。しかし、時には反面教師として、時には強きものに対するアンチテーゼとして、時には正義の理論を裏付ける必要悪として、我々の存在は少なからず意味があるのではないでしょうか。
 私は、そんな子供たちにとって、常に愚かな存在でありたい。私は、たとえ相手が途方も無く強い正義であろうと、何度となく挑み、その度に負け、相手を変え挑み、また破れ、それでもまだ志を持っていたい。私は、豪華な装飾が擦り切れた、ボロボロの皿になりたいのです。たった一人でもいい。私を見てくれた子供が、『ザギってダサいよな。弱いよな。』と思ってくれたら、私は本望です。
 何故なら、悪にいいことなんか、一つもないからです。希望ある子供たちを、悪にはしたくない。私の姿を見て、私のような真似をすると、正義によって裁かれることを知ってもらいたい。
 常にそんな象徴であり続けるよう努力する。
 それが、小さな悪なりに築き上げてきた、つまらない悪の作法です。