【騒がしい保健室の事件記録2 『質量考察』後編】


騒がしい保健室の事件記録2
『質量考察 後編』

■4

「え、どういう事ですか!?」
 堀衛が発した言葉に対し、数秒間の空白を空けたのち、困惑を隠せない声で能都が聞き返す。奈央も激しい戸惑いを感じ、泡を食った様に取り乱す。
「い、いいい、一体その結論をドコからどーやって引き出したんですかっ、先生ぇっ!?」
 サスケェみたいな口調で唾が飛んだ。
「うむ、冗談にしては度が過ぎると思う」
 やや非難めいた視線を夏鈴が向けてくる。
「そうだな、どう説明したものやら」 
 問われた保健医自身も、上手く文章表現ができない様子だった。
「じゃあ順番に整理していくか。
 深夜まで時間も在るしな。さて──全ては瑞樹が思い出した言葉、その中にある」
 結論を話すよりも段階的に促した方が楽だと踏んだのか、彼女の逡巡はすぐに終わった。
持っていた箸を茶碗の上に置くと、顔に疑問符を浮かべたままの三人を見る。
 そして彼女は、文字にしてみると二八文字しかない謎の文章を、するりするりと紐解いていった。

「まず最初の推論」
 そう口にする堀衛の目に、鋭い眼光が灯る。
「話し手はうんざりしている」
「まぁ……確かにそうだな。推論というか、文章の中に含まれているわけだが。それでも短い文章の中にある、確かな情報だ」
 幼馴染の返答と指摘に「その通り」と能都も賛同する。
「第二の推論。彼はこの七キログラムという重さを想定していなかった」
 白衣のポケットから缶コーヒーを取り出し、プルタブを開けて口をつける。
「でなければ『ましてや』なんて演技がかった単語を使わず、ただ単に『明かりが無い所で七キロ運ぶのは重すぎる』──とか言えばいいだけの話だ」
「うーん……その辺りは分かりきった感じがしなくもないですねー」
「推論というのは、まず『分かりきった事』を積み重ねていくものだぞ、瑞樹」 
 ふん、と鼻を鳴らす。
「次の推論だが……能都、何か分かるか?」
 ぐびり、とコーヒーを喉の奥へ流し込むと、今度は四角い男子生徒へと矛先を向けた。
「ええっ、ここで俺に振るんですか?」
 動揺しながらも、その視線の刺突を受け止める能都の形をした立方体。唸りつつ、何とか彼女の期待に応えようと頭をひねる。
やがて「たぶん……」と、自信が無さそうに前置きをした上で、二八文字から推測できる事柄を口にする。
「彼はスポーツマンではないと思う。
 アウトドアを趣味にしていたり、土木作業とかの職業でもないんじゃないかな」
「うーん。それは説明してくれないと分かんないよ、麻太郎」
「えーっとだな。これも『ましてや』という部分がヒントにして考えてみたんだけどな」
 当惑して口を尖らせる女装少年に、能都は微笑んでみせた。目尻が下がっており、夏鈴が冷たい視線を送ってくる。
 保健医は無言でそれを制し、そして同様に言葉無く続きを促した。
「スポーツをしている人間にとって、筋力のトレーニングは必須だ。屋内だろうが屋外だろうが、とにかく激しい運動に耐えるには筋力とスタミナが必要なんだ」
 奈央は、ふと視線を下方修正する。能都の腕は太い。自分は当然の事ながら、同年代の男子と比べてもサイズが違う。さらに胸板も厚い。肥満体型などではなく、幼少の頃から空手を習い、純粋に鍛え上げてきた筋肉によるものだ。
 なるほど、彼の言《げん》には説得力がある。
「ああ、成る程、分かったよ麻太郎。
 身体を鍛えているはずの人間が、七キロの荷物で愚痴を漏らすはずないもんね!」
「ああ。七キロといえば、普段の鍛錬で使うベンチプレスよりは軽いんだ。
 そりゃあ一般的なダンベルよりは軽いだろうけど、それでも愚痴るほどの重さじゃない。
 七キロよりも重いものを運んだりする機会が多い職業の人間や、普段から身体を鍛えている人間なら、ただ持って運ぶだけで文句を言ったり、それこそ『ましてや』なんて言葉も出てこないと思う」
「さすが鍛えてる『だけ』の事はあるな」
 セリフの一部を強調しつつも、夏鈴は素直に感心する。
「ふむ。しかし能都。男は後半で『明かりが無い』と言っているぞ。いくらスポーツマンでも、重い荷物を抱えて暗い夜道を進むのは大変じゃないか?」
 しかし堀衛が、すかさず鋭い指摘を入れる。
 夏鈴の感嘆が急停止した。
「言われてみればそうだな」と少女は落胆と侮蔑の視線を能都に注ぎ込む。
「い、いや、でも、それなら『暗い』って事だけに愚痴を言うと思うんですよ先生」
 相変わらず刃物的な保健医に対し、能都も負けじと言い返す。
「夜中にマラソンをして鍛える人もいるし、夜間作業する作業員もいる。
 そういう人間にとって、少しぐらい重い荷物を持って夜に移動する程度、屁でもないと思うんだ」
「麻太郎、レディが二人も前にいるんだよ?」
「おおっと」
「いや瑞樹、きっとこいつは私達の事を女性だなんて思ってないぞ?」
 四人の間に、緊張が緩んだ様に笑いが漏れた。この辺りの話術は、さすが年長者と云うべきか。
 まぁ少なくとも、と能都は空気を改めた。
「この二八文字しかない文章から推測するに、アウトドアを趣味とする人間じゃないな」
「うむ、そういう根拠があるならなら、私も筋肉立方体に同意見だ」
 アウトドアを趣味とする夏鈴が大きく頷く。
 それを見た堀衛が、今度はデコの広い少女に質問を向ける。
「では、次は田邑だな。これまでの事から、何か分かった事はある?」
「難しい問題だな」
 鼻で溜息を吐《つ》きながら、大仰に腕を組んでから答えた。降参を意味する返答ではなく、思案をまとめているジェスチャーだった。
 少し前に彼女が奈央を勧誘した様に、彼女の家は剣道道場を開いている。当然ながら、夏鈴も道場の門下生だ。
 幼い頃から祖母と母に厳しく鍛えられ、剣とは『読み合い』であると教えられてきた。
 場合によって、相手の実力が未知数なまま戦わなくてはならない。そんな時は、相手の心理を正確に読み取り、的確に動かなくては勝てないのだ。
 攻撃も防御も、相手の性格を探り、裏の裏の裏まで読まなくては、凶刃の餌食となってしまう。
 つまるところ推測《これ》は剣術と同じなのだ。
 夏鈴は、そう解釈した。
「──この荷物を運ぶ者達は、商店街の近辺に住んでいるな。
 堀衛先生が仰った通り、七キロという重さが想定外であったとしても、遠くから買い物をしに来る場合は、自転車か自動車を使うのが一般的だろうからな」
 夏鈴達は学生なので運転免許を持っていないが、自転車ぐらいは持っている。買い物で荷物がかさばる事が予想されれば、当然ながら徒歩ではなく自転車を使う。
 例え軽い荷物であったとしても、長い距離を徒歩で移動するのが辛い事を知っている。
「麻の字が推測した、重い物を使って運動しない人なら尚更だな。
 仮に自転車や自動車を持っていなくとも、徒歩で買い物に行ける距離に拠点がある……という事になる」
「なるほどー。確かに夏鈴ちゃんの言う通りだねっ。ということは、徒歩で活動する範囲内の端っこが商店街付近だと仮定したら……そうだなぁ、半径にして五〇〇メートル程度に住んでる場所があるという事になるかな?」
 夏鈴の指摘に、神社の跡取りが脳裏で地図を思い描き、四番目の推測を重ねていく。
 能都も夏鈴も同じ様な地図を思い浮かべたらしい。奈央の言葉に従って、地図上の商店街を端に捉えつつ、赤い線で円形を描き込んでいく。その中には銀行や郵便局、駅もある。
とりあえず「生活する」だけなら、それほど苦労しなさそうではあった。
「ほほう」
 空になった缶コーヒーが、堀衛の手によって賞賛のダンスを踊る。素直に三人が推察した内容に感心したらしい。
「揃いも揃って問題児のクセに、風紀委員が務まっているだけはあるな」
「……素直に生徒を褒めるという行為は教師の仕事だと思いますが」
「それに相応する金銭的報酬が確約されたら即座に実行してやる」
 鈍器少女の殴打的な要求に、ナイフ眼鏡が世知辛《せちがら》い現実で切り返す。
 微笑みは、そのままに議題を真面目な方向へと軌道修正させる。
「ではここから五番目の推測。
 唯一、はっきりとした情報である『質量』から導き出されるのは、彼らの購入した物が、綿密に計算された計画的な行動に使用される……という事だ」

■5

「綿密な計画?」
「ここで重要なのは『一〇キログラムぐらい』や『七、八キログラム』でもなく、荷物を運んでいた男性がはっきりと『七キログラム』と述べているところだ、瑞樹。
 つまり彼らは園芸店に行って、こう店員に言ったはず」
 ○○を七キログラムくれ、と。
 そう言われて、奈央は思わず「ああ」と声を上げる。確かに中途半端な数字ではある。二八文字の言葉に居心地の悪さを覚えたのは「7」が孤独な数字だったからかもしれない。
 しかしその数字が必然であったとすれば、七と言い切る事に納得できた。
「だが先生、先生は最初にこう言ってたではないか。七キログラムという重さを想定していなかった、と。これは矛盾していないか?」
「七キログラムも用意しなければならない事が予想外だったとしたら?
 だからこそ、その荷物を運ぶ男性が思わず『重過ぎる、ましてや~』などと漏らしたのだと推測できる」
「なるほど。つまり彼らは、事前に購入するものがどれだけ必要か計算していたって事になりますよね。
 それが最初の予測より量が多くなった、と」
 ううむ、と能都が虎の様に唸りを上げる。
「そうなると、何を買ったかが問題になってきますねー」
 奈央の記憶によると、彼らは園芸店から出てきたらしい。園芸店で七キログラムも何を購入したというのだろう?
「普通に考えれば、鉢植えの花を買った──という事になるんだろうけどねー」
「しかし奈央、彼が抱えていたのは紙袋だったのだろう? 鉢植えを紙袋に入れて運んだりしないと思うぞ」
「そもそも園芸店で買い物をしたなら、一鉢二鉢とか一株二株って数えるだろ。
 ってーと、キログラムで計る商品を買ったって事になるんじゃないか?」
 三人が頭をつき合わせて考え込む。
 それを見た堀衛が「じゃあ六番目の推測」と、次のステージへ促がした。
「これも唯一の手がかりから推測される事だ。
 彼らは明かりのない時間帯で、それを使用するつもりでいる」
 思考のスイッチを切り替えさせられた奈央が「後半のセリフの事ですね」と頷いた。
「明かりのない場所で重い荷物を運ぶとなると、大変そうですもんねぇ」
 二番目の推測、能都が提示した時にも出てきた情報だ。足下や進行方向が見えないのは、当人にとって不安でしかない。
 そんな状態で重い荷物を抱えていれば尚更であろう。想像上の行為ではあるが、そんな作業をしなければならない人物に奈央は同情する。
「では何故、明かりを用意しない?」
「え?」
 その通りだ。暗いのであれば懐中電灯等を用意すればいい。
「つまり、だ。彼らがしようとしている事は『明かりを必要としない』作業であるか──もしくは『明かりを使用してはならない』類の作業である可能性が高い」
「つまり、夜に作業するのだな?」
 ビンゴ、と保健医は二本目の缶コーヒーをポケットから取り出し、教え子に投げ渡した。
 正解に対する景品のつもりらしい。
 夜に作業するにもかかわらず、照明を用意しない作業。そんな堀衛と夏鈴の言葉を受け、能都は弾かれたように手を叩く。
「そうか、つまりそれは『泥棒』か」
「冴えてるな能都。多分それが正解だ」
 口端を吊り上げて微笑み(それを微笑と称するのが許されるのなら。そうだ)三本目の缶コーヒーを正解者へ投げてよこす。
 奈央は実際に泥棒という存在を見た事などないが、イメージ的に煌々と明かりを灯して活動する泥棒はいないように思える。
 泥棒が目立つ事は自殺行為そのものだ。
「あれ、でもちょっと待って。じゃあ、その泥棒達は、園芸店で7キログラムも何を購入したのかな? ひとつの店で7キロも何かを買うと、逆に目立っちゃわない?」
「奈央の言う事も尤《もっと》もだが──逆に考えれば、そうまでして入手する必要があり、かつ多少目立ったとしても、泥棒と関連付けられ難い物、という事になるな」
 さらに矛盾を指摘する奈央に対し、選択肢の幅を狭める指摘が返された。
 むむっと純白の少年は言葉につまり、能都は保健室の天井を仰ぎながら考え込んだ。
「泥棒するのに園芸店で必要なものかぁ」
 待てよ、と彼は視線を保健医へと戻す。
「そもそも、そいつらは何処に忍び込もうとしてるんだ?」
 当然の疑問である。
 しかし、二八文字の中に場所を示す情報は見当たらない。それに気が付いた奈央の首がますます傾き、瞳に「?」マークが浮かぶ。
「彼らが泥棒である可能性が高い。
 スポーツマンの様に身体を鍛えてはいないから、あまり大きな物や重い物を盗もうとはしないだろう。
 そんな彼らが、思わず愚痴ってしまいたくなる場所といえば?」
 つまりそれは『車両などが使えない距離を移動する状況がある』という事に他ならない。
車を使いたくても使えない場所。照明器具を使うと目立ってしまう場所。
「銀行や民家、双葉学園……じゃないよなぁ、車を使える場所にあるし」
「となると、車両では入れない道を移動した先にある場所という事だな」
「う~ん、車が入れない場所かあ。……湿原とか密林とか岩山とか砂地とか獣道とか階段とか地雷原とか?」
「双葉島はどんなサバイバル地帯なんだよ」
 そう口にして。能都の脳内に居候している『閃き』が、奈央の挙げた候補から、ひとつ選び出した。
「……階段」
 以前、何処かでその単語を思い浮かべた様な気がした。つい最近、さっきも口に出していたはず。四角い頭の脳内で、脳がフル回転して球状になる。
「あ、双葉神宮か」
 しばしの熟考の末、能都はその言葉を導き出した。その場所の名を耳にすると、奈央も夏鈴も息を呑む。
「確かに。双葉神宮には緩やかだが長い階段があり車では入れないな!」
「双葉神宮に参拝する人は多いから、賽銭もかなりの額になるよっ! それに、本殿には文化財も沢山あるっ! 泥棒が狙うとしたらソレだよ麻太郎っ!」
 喉につかえていた餅が取れたような表情で能都が照れる。
「この双葉島で泥棒が注目する所といえば、銀行と各研究機関、双葉学園、神社仏閣辺りだろうからな」
 食卓として使っている机に肘をつきながら、堀衛も彼の考察を認めた。
「おお、先生のお墨付き! 来た! ついに我が世の春が来た! 俺の時代なのか!?」
 滅多に褒めない教師であるから、これには能都も舞い上がる。
「だが惜しいな、五〇点だ」
、しかし教師当人が、それを対空砲で無慈悲に撃ち落した。撃墜され、机に突っ伏す箱型少年。
「ええぇぇ ち、違うんですかぁ~」
 てっきり双葉神宮で「正解」だと思っていた奈央は、叫び声を上げようとして失敗した。
妙に脱力して裏返った声になってしまう。
「落ち着け奈央。今ので『惜しい』という事は──先生、まさか」
「うん、双葉神宮ではないと思う。あそこは、アレでなかなか警備が厳しいからな。
 何を『守護』しているのかまでは知らんが、まぁ今は関係がない。
 私が泥棒なら、もう少し楽な場所を狙う」
 自分専用の椅子に深く沈み込み、背もたれを軋ませる。左右の指を組み、生徒達を見渡した。 
「彼らが狙うのは、十中八九──」
 わずかに、言葉を溜めた。
「増糸神社に奉られている『宝刀』だ」

■6

 堀衛の言葉を受けて、奈央の記憶がスパークする。青白い電流にも似た思考が、点と点を線で結んだ。
「テレビの取材!」
「そうか!」
 今度こそ叫び声をあげる事ができた奈央に、夏鈴も叫んで同調した。
 泥棒に入るのだから、可能な限りリスクを減らすものだ。ならば、わざわざ厳重な警備がされている場所を狙って忍び込む事はないはずである。
 人目がない場所で、セキュリティが大甘で、しかも盗む価値がありそうな場所といえば、確かに増糸神社しかない。
「取材を申し込み、わざわざ下見までしたにもかかわらず、それ以後は一切の連絡が取れなくなった取材スタッフ。
 これは露骨に不自然だろう?」
 オカルト番組の取材ではなく、窃盗する為に下見をしていたのだ。
 奈央も親から話を聞いただけで実際に目にしたわけではないが、おそらく「それらしい」
装備をして来たに違いない。
 増糸神社に行くためには、どうしても角度が急なあの階段を登らねばならぬ。明かりも灯さず、重い荷物を持って暗闇を移動するとなれば、愚痴のひとつも言いたくなろう。
「じゃあ──園芸店で買ったものって?」
「猫だ」
「え?」
 顔を上げた能都の疑問に、奈央は呟きで応えた。
「神社の境内には、たくさんの猫がいる。
 その猫達が、深夜の集会中にニャーニャー大合唱して、近所の人達を起こす騒ぎがあったって言ったじゃないか麻太郎!」
「あ、え、じゃあ、その騒ぎって」
 能都が思い浮かべた事を、夏鈴が代弁する。
「過去に一度、奴等は宝刀を盗みに来たが、猫達に騒がれて退散したんだ」
 単に騒いだわけではなかったのだ。
 猫達は、大切な仲間である奈央達に、神社の危機を報せてくれていたのだ。
「園芸店で買った物が、泥棒するの必要だったとすれば、夜中の境内に集まっている猫をどこかに移動させる為の物なんだ!」
「なるほどなぁ。……神社の外にある場所にバラ撒くなりして、穏便に猫を排除できる物といえば」
 双葉島は双葉区であり、立派な東京都内に含まれる首都の街だ。これが都心等であれば外での出来事に無関心な人間が多い為、リスクは少なくなる。しかし同じ都内でも、こうした島の中ではそうもいかない。
 島で暮らしていると、田舎にも似た相互の絆が自然と形成されていくものだ。騒ぐ猫を不審がって様子を実に来る近所の人間がいないとも限らない。
 となれば、猫たちが騒がない様にしてやるしかない。つまり。
「そうか! 奴らが園芸店で買ったのは、マタタビの葉か! それならキログラムで換算できる!」
「草葉でも七キロもあれば、かなりかさばる物だし、あの急な階段を暗闇の中で歩くのは確かに大変そうだ!」
「あわわわ。ボクの家に、どど泥棒なんて、た、大変だあっ!」
 三〇文字にも満たない言葉が解きほぐされていく。その事実に、三人の顔が興奮で紅潮している。
 しかし保健医は、ここで初めて苦笑いを浮かべた。
「細かい事なんだがな、私はマタタビじゃあないと思んだ」
「え、どうしてですか? 猫にはマタタビって昔から決まってるじゃないですか?」
「ここまで計画を立てるんだから、逆に大量のマタタビを買うのは不自然だろ。
 神社から一時的に猫達がいなくなり、そのせいで誰にも気付かれずに泥棒が入ったとしたら──当然、マタタビを買い込んだ奴らが疑われるだろう?」
「あー、そうか。そう言われるとそうだなあ」
 奈央が投げた疑問に、的確な答が打ち返し、それを氷解させる。
「じゃあ、なんなんです?」
「おそらく、イヌハッカだろう」

 イヌハッカ(英名『キャットニップ』)は、シソ科ネペタ属の多年草で、ハーブの一種である。肉料理の香り付けに用いたり、サラダに入れたり、ハーブティーにしたりする。
 英語名である『キャットニップ』は「猫が噛む草」という意味であり、その名の通り、猫はこの草を好む。
 これはこの草の精油に「ネペタラクトン」という猫を興奮させる物質が含まれている為である。

「おおかた『パーティーの料理に使うんだ』とでも誤魔化したんだろうな」
 鍋パーティーではなくて、もっと立派な奴だ……と保健医はスープだけになった鍋を指差す。
「この辺では見ない顔でも、引越パーティーをやるとか何とか適当な事を世間話レベルで言い含めておば、それほど警戒されんだろ?
 そもそもハーブの一種なんだから、犯罪と結び付けて考える人のほうが稀だろう」
 そこまで流暢に喋っていた保健医の口が、ピタリと止まる。
「どうしたんですか?」
「なぁ瑞樹。ちょっと聞くんだが」
 真剣な表情で声を潜めるものだから、つられて瑞樹の顔も神妙なものになる。
「……その宝刀だが、こんな手間隙(てまひま)まで掛けて盗む価値のあるもんなのか?」
「泥棒に代わって何をする気ですかっ!?」
 教師の瞳の奥に、不穏な濁りを感じ取った神社の息子が思わず大声を出す。
「ああいや? 勘違いするなよ瑞樹?
 単純にカネ、いや金銭的な付加価値が如何ほどのものか気になるだけでな?」
「言い直す必要あったんですか、今の」
 白無垢の巫女ならぬ白ゴスロリの少年は、深く溜息を吐いて「父さんからの聞きかじりですが」と前置きをする。
「稲荷というのは字の如く、古来より稲作と非常に深い関わりがあるそうなんです」
 雷の事を『稲妻』と書くのは、雷光が激しくなる季節と稲が実る時期が重なるので、雷が豊作をもたらすのだと信じられた為だ。
「で、この雷──稲妻が『雲の中を走る蛇』にも見える事から、稲妻と稲作と蛇とを関連付け、神格化したのが稲荷神の起源とする説もあるそうなんですよ」
「ほほう」
 福岡地方にある稲荷神社の中には、蛇を奉る所もある。
 これは、その地方を統治していた豪族が豊作を祝う餅で射的をしようとしたところ、餅が蛇に変化した。するとその蛇は村に凶作の呪いを掛けたので、蛇(神)を鎮める為に神社を建てて奉った──という説話に基づいたものである。
「ウチに奉られてるのは、千年ほど前、この稲荷神の原型に当たる神様に奉納した刀らしくてですね。
 無銘なんですが、なんでも稲荷神……蛇神様の御力が授けられてるんだとか」
 その刃を田へ振るわば、稲妻と共に稲は豊かに実り。
 その刃を邪へ振るわば、雷光と共に悪しきは天罰を受ける。
 奈央は父に教えられた一節を暗証してみせる。本当かどうかは知りませんけどね、と話を結ぶ
「お前、それ本物なら国宝級じゃないのか」
 驚くよりも、呆れた口調で堀衛が言う。
 神力が宿っているかどうかは別にして、千年前というのが本当であれば、その歴史的な価値は相当なものだ。
「元は双葉神宮の物らしいですし、お姉ちゃんが欲しがってたから、たぶん本物ですよ」
 なるほど、と堀衛は納得する。
 そういう逸話がある刀ならば、裏ルートでかなり高く売れるはずだ。それが、小さくて小汚い神社に保管されているなどと知ったら、泥棒をしようと考える輩も出てくるだろう。
「とにかく、能都。この推測が考え過ぎならいいんだが、念のために警察に連絡を入れておけ。私の名前を出せば話は通るはずだ。
 神社の方には瑞樹が連絡しとけ。いくらなんでも、親御さんも起きてるだろ」
 言いながら時計を見る。夜の八時を少し過ぎた頃だ。能都は既にモバイル学生証で警察に連絡を取っている。
 奈央も慌てた様子で、家に連絡を取ろうと学生証と格闘していた。
「杞憂に終わればいいのだが」
 そんな幼馴染達の様子を眺めながら、夏鈴がポツリと漏らす。ポケットから煙草を取り出し、一服していた保健医はカセットコンロの火を点火した。
「風紀委員が学園外で風紀粛正するわけにもイカンだろ。後は警察に任せておけ」
 泥棒も能力者やラルヴァの類じゃないだろうしな、と彼女はスープをかき混ぜていく。
「能力者の泥棒ならば、もう少しスマートな方法をとるのでしょうが……
 ところで先生、何故に火を?」
 クツクツと煮えだしたスープを眺めながら、保健医の目が光った。
「馬鹿たれ、決まってるだろうが。
 ──おじやの用意だよ」
 鍋ジェネラル、堂々の復活であった。

■7

 翌日。
 朝のHRを終え、能都は保健室を訪れた。
「先生、聞きましたか」
 部屋に入るなり、彼は保健医に呼びかける。
「五月蝿いな。聞いてるよ。泥棒が捕まったんだろう? 比良乃《ひらの》刑事から連絡があったよ」
 不機嫌そうに堀衛が睨みつけてくる。
 スチール製の灰皿には、何十本もの吸殻が山積みになっていた
「あ、あれ? なんか不機嫌ですね……?」
「同じセリフを朝から聴かされてな。お前で三人目だよ」
 よく見れば、ベッドに奈央と夏鈴が腰掛けている。どうりで教室を覗いても姿が見えなかったわけである。
「あ、麻太郎ー、おはよー」
「朝から随分と一八禁な顔面だな」
 二人が挨拶をしてきたので、能都は片方に優しく、もう片方には歯を剥き出しにして威嚇した。
「そうそう、麻太郎。昨日初めて警察の捕物を見ちゃったよ! 本当に泥棒が来たんだよ、深夜の二時過ぎに!」
 帰宅後、どうやら寝ないで待機していたらしい。実に眠そうな目をしている。いつもなら保健室のベッドで爆睡するところだが、どうやら能都に昨夜の事を話したくて待っていた様だ。
「警察の人達は半信半疑だったけど、比良乃さんって刑事さんが堀衛先生の言う事を信用してくれてね。物陰とかに隠れて見張っててもらってたら……これがドン☆ピシャリ!」
 何故かここでVサイン。
「堀衛先生の推理通り、何人かの男の人達がやって来て、神社にいた猫に葉っぱをバラ撒いて大人しくさせたんだ」
 そこまでで終わっていれば、ただの悪戯で済んだのだろうが……奈央の言葉を受けて、辟易した表情で堀衛が言葉をつなぐ。
「さすがに神社の鍵を壊したところで、現行犯ってわけだ」
「比良乃刑事が言うには、連中は捕まったというのに、悔しがるよりも先に不思議そうな顔してたらしい」
「そりゃそうだろうなぁ」
 続いて夏鈴がリレーで説明をつなぐ。
 当然の結末に、能都も大きく頷いた。
「あぁっ、もうっ! 先生も夏鈴ちゃんも、なんで先に言っちゃうんですか!」
 眠そうな目を必死に見開いて、女装少年が激しく抗議する。
「黙れ。お前から寸分違わぬ説明を、三回も聞くのは御免なんだよ!」
 事務机を「ドン!」と叩いて、それ以上の抗議活動を弾圧した。しょぼくれる奈央の頭を夏鈴が幸せそうに撫でて慰める。
「まぁ犯人の気持ちは分からんでもないがな」
 そうして警察が先回りしていたのか、理解できなかっただろう。聞けば、彼らが双葉島で拠点にしていたのは、商店街の近くにある駅前の安ホテルであった。
 能都や夏鈴が推測した範囲内に、そのホテルは存在していたのである。
「神社に奉納してある宝刀を盗んで、海外に売り飛ばそうとしてたらしい。比良乃が言うには、最近では、本土の方でも同様の犯罪が増えてるそうだから、もしかしたら同一犯かもしれんとさ」
 煙草がなくなったのだろう、缶コーヒーをポケットから取り出してガブ飲みする。
「やけに手口が手馴れてるらしいからねー。
けしからんって、父さんも母さんもカンカンだったよ」
 復活した奈央は腕を組み、何度も小さく頷いてみせる。
「ともあれ被害が未遂でよかったな、奈央。
 もしも盗まれてたら、七日さんが残念がるろうし」
「お姉ちゃんなら──」
 犯人を探し出して肉団子にすると思うよ。
 奈央は姉の人となりを、そう表現した。
 残念がるどころの話ではなかった、むしろその性格の方が残念だと言わざるを得ない。
「しかし隻眼大将たちには感謝しないとな」
 夏鈴は、ふてぶてしい顔の猫を思い出しながら、そんな事を口にする。
「そうだねー」
 隻眼大将をはじめとする猫達が騒いでくれたおかげで、最初の犯行を防げたのだ。それが結果的にイヌハッカを買う事になり、奈央が例の二八文字を耳にする結果となった。
 因果とは不思議なものである。
「なにか、お礼をしてあげないとねー」
「うむ、久し振りに私も遊んでやるか」
「委員長が知ったら飛んでくるだろうなあ」
 三人は重い思いに口を開く。
「猫相手に律儀な事だな。感謝するなら私にもしておけよ。金銭的な感謝を」
 予鈴が鳴る。
 モゾモゾと奈央がベッドに潜り込む。
「奈央、一限目からサボる気で満々か」
「うんー。だって寝てないんだもんー」
 能都の諌言に、奈央はうつぶせになりながら眠そうな声で弁解する。こうなると、もうベッドから動かない。
「眠いなら仕方がないな」
「うむ、仕方がない」
「お前ら瑞樹を甘やかし過ぎだ。ロクな大人に育たんぞ」
 引きずってでも連れて行け、と教師は注意するが、字面ほどの口調ではない。
 完全に諦めているので、お決まりの文句の様なものだ。
「どうせなら寝てる間に、猫への礼でも考えたらどうだ」
 奈央の方には目もくれず、書類にボールペンを走らせる保健医は、そんな提案をしてみせる。うーんと唸った奈央は、半分まどろみの中で、悪戯っぽく微笑む。
「ネコ缶、七キログラムは重過ぎるかなー?」


                考察終了



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