【ミッドナイト・パニック 後編】

「【ミッドナイト・パニック 後編】」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

【ミッドナイト・パニック 後編】」(2010/02/17 (水) 21:59:20) の最新版変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

[[ラノで読む>http://rano.jp/2284]] [[中編へ戻る>【ミッドナイト・パニック 中編】]]  ※ ※ ※  響き渡る警報と、人々の悲鳴で最悪な惨劇が起きているのだと悟った瀬賀は練井に外に逃げるように、と告げると階段を駆け上り惨劇の最中へと向かっていった。  その途中で何人もの逃げ惑う患者や看護士とすれ違い、そのほとんどが赤黒い血を浴びていることに気付く。 (ファック! ファック! 一体何が起きてるんだよ!)  瀬賀は騒ぎが起きている階に到着し、廊下を見渡す。瀬賀は眼を疑った。そこはまるで地獄のような光景が広がっていた。 「なんだよこれ……ひでえ……」  何人もの看護士や患者たちが血塗れで倒れている。ショコラがいた病室の扉は開け放たれ、そこにいた警備員も倒れている。 「おい、大丈夫か!」  瀬賀は倒れている人たちのもとへと駆け寄り、その生死を確認する。そこに倒れているのは十人ほどだったが、奇跡的に即死している人間はいなかった。だがその半数以上がいつ事切れてもおかしくない重症で、助かる見込みがないほどの傷である。 「せ、瀬賀……」  彼の後ろから自分の名を呼ぶか細い声が聞こえた。慌てて振り返るとそこには肩から血を流している針村が倒れている。彼の左腕は、肩から先が無くなり、腕が床に落ちてしまっていた。それを見て瀬賀は顔を歪める。 「針村、お前もか――!」 「大変だ。ショコラちゃんを追いかけてきた殺人鬼がみんなをチェーンソーで……」  それを聞いて瀬賀は総てを理解した。みなの傷痕はショコラのものと同じものであったからだ。その殺人鬼が慌ててショコラを追いかけたから斬り込みが甘く、みな即死を免れたのだろうと判断した。 「ショコラはどうした?」 「わからない。だが逃げたようだ……」 「そうか――」  瀬賀は必死に考えた。どうするべきか。自分は何をするべきか。 「今この場にいる奴を全員治して、ショコラも助ける。時間が無い。機動隊や応援の医者たちが来る前にみんな死んでしまうし、ショコラも敵に捕まるかもしれない」  その言葉に針村は驚きの顔を見せる。 「正気か? お前一人でここにいる全員を治療する気か?」 「ああ、まずはお前からだ」 「僕はいい。それより他の人を――」 「いや、お前から治す。十秒で腕を縫合する。その後お前は俺の手伝いをしろ」  予想外の言葉に針村は驚愕の表情を浮かべるが、すぐに苦痛に耐えながらも覚悟を決めた顔つきに変わった。 「重傷人に手伝わせようとするか普通。まったく無茶苦茶な奴だ……」  針村は溜息をつきながらも、その言葉からは瀬賀を信頼していることが伝わってくる。 「甘えるなよ。ここは病院だ。お前は医者だ。怪我人を救うのは俺と、お前の役目だ」  そう言って瀬賀はいつも持ち歩いている救急セットの入ったバッグを開き、ゴム手袋を着用し、必要なものを取り出していく。 「オーケェイファッキンベイビィ、さあ術式開始だ」  パンっと手を鳴らし、瀬賀は一瞬だけ眼をつぶって精神を集中する。  もう一度眼を開けた時、彼の瞳は真紅に染まっていた。 (“|医神の瞳《アスクレピオス》”発動――)  瀬賀は針村の切断された肩と腕を診る。瀬賀は床に落ちていた彼の腕と、切断面を消毒し、神経と筋肉の繊維を繋ぎ合わせていく。それは本来ならあり得ないことだが、異能の力により極限まで高められた医療技術では、不可能と思われる手術も瀬賀には一瞬で行うことができる。  それこそが“|ツギハギ博士《ドクター・フランケンシュタイン》”と彼が呼ばれる所以である。  そしてきっかり十秒後、針村の腕は見事に繋ぎ合わされた。 「よし、一先ずこれで大丈夫だ。だけど無理して動かすなよ。お前は怪我の軽い奴の手当てに回れ、俺は瀕死の奴らの方に回る」 「ああ、しかし凄まじいな……。これが修復能力《リカバー》か」  これこそが治癒能力《ヒーリング》より回復率が劣る修復能力《リカバー》の利点であり真骨頂であった。それは素早く、大人数の治療に時間を割けることである。だがそれゆえに使用者の負担は尋常ならざるものだった。  感心しながら瀬賀のほうへ目を向けると、彼は顔を青くし、滝のような汗を流していた。手は震え、膝が笑っている。今瀬賀には凄まじい疲労が襲っている。これが能力の代償。もはや彼の体力は限界に近付いている。 「大丈夫か瀬賀。そんな調子で全員治療するつもりなのか」  心配そうにそう尋ねるが、瀬賀は自分の足をばんっと叩いてなんとか倒れそうな身体を動かしていた。 「やるしかねーだろ。喋ってる暇はねえ!」  瀬賀は次に腹部を切り裂かれている男性患者のもとへと駆け寄った。異能を発動し、ショコラのときと同じように止血と縫合を繰り返す。  それも十秒で応急手当を済ませ、次々と瀬賀は怪我人たちの治療に向かった。それと同じように針村は傷の浅い者たちの手当てを済ませていく。左腕は動かせないため、無茶なことはできないが、それでも彼の技術力でカバーすることができた。  そうこうしている内に、夜勤をしていた他の医者たちも駆けつけてきた。殺人鬼を恐れず怪我人のために現場へ向かってきた彼らもまた、プロフェッショナルだった。 「ゆっくりと全員手術室へ運べ!」 「くそ、応援はまだか!」 「気をつけろ、あの殺人鬼がまた戻ってくるかもしれない」  数人の医者と一部の逃げ出さなかった看護士たちが次々と集まってきて、一先ずこの場は安心のようだった。  瀬賀は最後の一人を治療し終わり、ぐったりとその場に膝をついた。 「はぁ……はぁ……」 「大丈夫か瀬賀。無茶するな。この異能はお前の体に負担がかかるんだろ」  針村が瀬賀に駆け寄り彼の汗を拭く。だが瀬賀はまだ終わっていないのだと、身体を無理矢理起こしていた。 「駄目だ。ショコラを探さなきゃ……。機動隊が来るまであと数分かかる。それまでに殺人鬼がショコラを殺してしまうかもしれない」 「よせ、それはお前の仕事じゃない」 「いや、約束しただろ。絶対に助けるって――」  瀬賀は床にぽつぽつと垂れている血痕を辿り、殺人鬼が走っていった方向を推測する。 「こっちか」 「おい瀬賀――つっ」  針村は瀬賀を止めようとしたが、左肩に激痛が走りその場に倒れこんでしまった。 「お前こそ無理するなよ。一応お前も怪我人だ。早く他の連中に治療してもらえ。俺のはあくまで応急手当てでしかないからな」  瀬賀はもつれる足を無理矢理動かし、呼びとめる針村を置いて殺人鬼を追った。途中で廊下に置いてあったロッカーからモップを取りだして、ブラシ部分を外して杖代わり兼武器として使おうと考えた。 (何もないよりはましだろう。さて、ショコラと殺人鬼はどこに行った――?)  モップの棒を握りしめ、血痕を辿っていくと、それは屋上への階段に続いている。 (ファック。屋上か!)  逃走先が屋上ということは袋小路に自ら飛び込んでくのと同じだ。瀬賀はショコラが完全に追い詰められてしまっていることを悟り、顔を青くしながらもその階段を駆け上る。  やがて外界と院内を繋ぐ扉が見え、瀬賀はその扉を思い切り開け放った。  身を切るような冬の凍てついた空気が一気に流れ込んでくる。扉の先には間近に見える夜の空の下に、足から血を流し、柵にもたれかかっているショコラと、チェーンソーを構える殺人鬼――フラニーの姿があった。  瀬賀が自分の足元を見ると、生白い人間の足が転がっている。その断面から流れる血はショコラの下まで続いており、腰をおろしているショコラの足を見ると、左足が切断されてしまっている。それゆえにショコラはうまく立っておられず、屋上の柵にもたれかかっているようだった。 「――くそったれ」  瀬賀が苦々しくそう呟くと、ショコラとフラニーは彼の存在に気付いたようで、視線を瀬賀に向けている。  冷たい地獄のような視線を向けるフラニーと対照的に、ショコラの顔は驚きに満ち、青い瞳に涙を浮かべて瀬賀に怒鳴った。 「に、人間! なんできたんじゃ! 死にたいのか! わしのことなんて放っておけばよかったじゃろ!」 「うるせえバカ。言ったろ。助けてやるってよ……」  瀬賀はぜいぜいと息を切らし、モップを杖代わりにして身体を支えている。自分の身体も限界だが、ショコラもまた、足を切り落とされ、大量に出血して死の際にある。不死の吸血でも、銀の刃でつけられた傷口からは血が止まらず流れ続けてしまう。早く止血しなければ再生もできない。  満身創痍の二人を見て、フラニーはただ嘲笑うだけであった。 「あらあら。こんな化物を助けに来たんですの? ご苦労様ですぅ。でも無理です無駄です。二人ともわたしが切り刻んでやるですの」  フラニーは再びチェーンソーの刃を回転させ、その切っ先を瀬賀に向ける。 「や、やめるのじゃ! お主の狙いはわしじゃろ! その人間は関係ないはずじゃ!」  ショコラはフラニーに向かって悲痛に叫ぶが、フラニーは意にも介さずじっと瀬賀をねめつけている。フラニーを止めようと柵から手を離して飛びかかろうとするが、足を切り落とされている彼女はただ無様に転んでしまうだけである。 「大人しくしてろってショコラ。この糞ったれは俺が倒す……」 「あらあらまぁまぁ。わたしを倒すですの? 面白い事言うですぅ。ならやってみるがいいですの!!」  フラニーはチェーンソーを構え、瀬賀に向かって全速力で駆け始めた。それは凄まじいスピードで、全力で瀬賀を殺そうとしていることが理解できる。  しかし、それを正面から迎える瀬賀の瞳は真紅に染まっていた。そう、それは彼の異能である“|医神の瞳《アスクレピオス》”が発動している証拠であった。 「百分割してあげるですのぉぉぉ!」  フラニーは雄叫びを上げ、大きくチェーンソーを振りかぶった。そしてそのまま横一線にチェーンソーを薙ぐ。  完璧に瀬賀の首を捕え、切断した――はずだった。  チェーンソーは虚しく空を切り、その反動でフラニーはバランスを崩してしまう。 「え――?」  視線を下に向けると、瀬賀は少しだけしゃがみ、紙一重でその刃を避けている。それはフラニーにとって予想外のことであり、今まではあり得ないことであった。  バランスを崩し隙だらけになっているフラニーの腹部を、瀬賀は手に持っていたモップを思いきり突きつける。 (入った――!)  そこは人体の急所で、フラニーは激痛に襲われることになった。呼吸がままならず、そのまま屋上の地面を転がっていく。  フラニーは倒れ込み、吐瀉物を吐き散らせながら必死に呼吸を整えようとしている。それを瀬賀はただ見下ろしているだけである。  激痛のあまり精神の集中が乱れたせいか、彼女の異能の産物であるチェーンソーは光りの粒子のとなり分解され、もとの人間の腕に戻っていく。 「はぁ……はぁ……」  これが瀬賀の切り札である。  瀬賀は“|医神の瞳《アスクレピオス》”によって人体構造の総てが視ることができる。それは筋肉の動きも同様で、瀬賀はフラニーの筋肉がどう動くかを見極め、どういう攻撃をどの角度からするのかを計算していたのであった。  そして彼の眼には人間の急所や、弱点をも見極めることが可能である。急所を突かれたフラニーはしばらく起き上がることはできないだろうと思い、瀬賀は視線をフラニーから倒れこんでいるショコラへと移した。  瀬賀は血だまりに落ちている彼女の足を拾い上げ、急いでショコラへと駆けていく。 「おい大丈夫か! 今足を繋げてやる!」  瀬賀は彼女の身体を抱き起こし、足の断面と睨めっこする。そんな彼をショコラは息も絶え絶えに怒鳴り散らす。 「や、やめろ人間! わ、わしは人間に借りなんて――」 「まだそんなこと言ってんのかクソガキ。いいから黙って大人しくしてろ。このぐらい俺ならなんとかなる。止血して縫合さえすればお前の再生力も戻るだろ」  瀬賀はささっとショコラの白く細い足を繋ぎ合わせていく。だが、その途中で瀬賀の手は震え、動きが止まってしまう。 「くそ、もう、駄目か……」  瀬賀はそのままうつ伏せに、ショコラの身体に覆いかぶさるように倒れてしまった。ショコラは彼が突然倒れたことに驚き瀬賀の肩を揺さぶる。 「大丈夫か人間! どうしたんじゃ!」  瀬賀はなんとか意識を保っているようであったが、身体は言うことを聞かず、起き上がる事も出来ない。 「どうやら能力を使いすぎたみたいだ。もう、指一本動かせねえ……」  苦笑いしながら瀬賀はショコラにそう言った。疲労がピークに達し、身体が悲鳴を上げているようだ。 「……人間」  そんな瀬賀を、ショコラは複雑な表情で見つめている。  自分のために、こここまで全力を尽くした人間を彼女は知らない。ロックベルトが一族が滅び、国を出て以来、彼女は様々な人間に追いかけ回されてきた。  自分の味方になってくれた人間は彼と、この双葉区の人たちだけである。 「殺してやる……」  そんな冷たい声が聞こえ、ショコラはその声が聞こえてきた方向を振り向く。瀬賀も眼だけをそっちに向け、顔を歪ませる。  そこには無理矢理身体を立ち上がらせ、右腕を変形させているフラニーの姿がそこにあった。その眼は尋常じゃないほどに怒りに満ち、その右腕はその怒りを体現しているかのように禍々しい形に変貌していく。それは形容しようのない、無茶苦茶な形をしている。刃物が何十本と飛び出し、鉤爪やチェーンソーや刀やナイフがごちゃまぜになったような巨大な腕に変形している。 「ファック……まだやる気かよ……」  瀬賀はどうしたものかと呟く。もう自分は動くことができない。間違いなく殺されることになるだろう。 「ショコラ。お前だけでも逃げろ。足はまだ痛むだろうが、ここから逃げ切るまでは持つはずだ……」 「な、何を言う人間。お主を置いて逃げろと申すか! お主には借りがある。それを返さず逃げ出すなんてロックベルトの名を汚す行為じゃ!」  ショコラは自分でもわからないうちに、そう怒鳴りながら涙をぽろぽろと流している気付いた。このままでは自分を助けた人間が死ぬ、それだけが確信としてあった。 「まだそんなこと言ってるのかよショコラ……誇りより命だ。いいから逃げろ。生きてればなんとでもなる」  瀬賀は必死にショコラに逃げるように促した。だがショコラは彼を抱きしめるだけで動こうとはしない。 「何してんだ、早く――」 「馬鹿者! お主はバカじゃ! 命を大事にしろって言うなら手本を見せろ! お主も死ぬな!!」  ショコラに怒鳴られ、瀬賀はぽかんとした表情になった。それはまったくもって予想外の言葉。 「はは、そりゃそうだ。言ってる俺が命粗末にしてちゃ世話ねーな。だけど、駄目だ。俺はもう動けない……」  瀬賀はゆっくりとこっちに近づいてくるフラニーに視線を向ける。もうあの魔の手から逃れる術はない。自分が犠牲になれば、ショコラは逃げる切れるだろう、そう瀬賀は考えていた。だが、ショコラはそれを許さない。 「駄目じゃ。諦めるな人間」 「けどもう……」  ショコラは意を決したようにゆっくりとその言葉を瀬賀に呟いた。 「お主の血をわしに飲ませろ」 「は?」 「何度も言わせるな。お主の血をわしに寄こすんじゃ」  そう言うショコラの口からは、鋭い犬歯が覗いている。瀬賀は彼女が吸血鬼であることを思い出した。 「安心しろ人間。お主らの間に広まる伝承みたいに血を吸ったところでお主が吸血鬼になることはないんじゃ。だがこれが契約じゃ。お主と、わしのな」 「契約……?」 「もう二人が生きるためにはこれしかないのじゃ。覚悟せい!」  迫りくるフラニーの脅威から逃れるために、ショコラは瀬賀の首もとにかぶりと噛みついた。  瀬賀の首筋に鋭い痛みが走ったかと思うと、それはすぐに快感に変わっていき、血が抜き取られ、脱力していく。 「何を――?」  瀬賀の問いかけを無視し、ゆっくりとショコラは牙を抜いていく。その時瀬賀は見た。彼女の足が一瞬にして完治していくのを。 「げっぷ。満腹じゃ」  ショコラは口元の血を拭いさり、そう呟く。  そして、迫りくるフラニーをキッと睨みつける。その瞳には力が宿っており、さきほどまでの貧血状態のような顔の青さは消えていた。ショコラはその小さな手を握りしめ、拳を作る。 「さあ来い。人間の血を得た、本当の吸血鬼の力を見せてやるのじゃ」 「化物が! 死ね! 死ね! 死ね!」  ショコラの挑発を受け、フラニーは巨大は右腕を振り上げ突進してくる。それと同時にショコラもまた真っ直ぐに駆け抜ける。  フラニーが右腕を突き出してその刃の矛先をショコラに突き刺そうとしたが、ショコラは怯まず、自分の左腕を思い切りその刃に向かって殴りつけた。 「――!」  フラニーはそのショコラの行動に言葉が出なかった。その刃もまた銀で出来ており、ショコラの弱点のはずであった。その通りに、ショコラの左腕は切り刻まれ、千切れ飛んでいく。だが、ショコラの拳の衝撃で、フラニーの右腕も完全に破壊され、破片が宙に舞っていく。  鮮血と刃物が宙を舞うその一瞬に、ショコラは残った自分の右拳でフラニーの顔面を思い切り殴る。それは技術も何もない、原始的な攻撃。だがその拳には凄まじい威力が宿っており、殴られたフラニーは顔を衝撃で歪ませながらはるか遠くへと飛んでいってしまった。  決着はその一瞬でついた。  地面を転がっていったフラニーはもうぴくりとも動くことなく、完全に気絶してしまったようである。  千切れた左腕から血を流しながらも、ショコラはフラニーに勝利したのであった。 「ふう、まったく。折角血を補給したのにまた出血してしまったではないか……」  余裕そうな笑みを浮かべ、ショコラは倒れている瀬賀のもとへゆっくりと歩いていく。瀬賀はそんな彼女を不思議そうに見上げた。当然だろう。さきほどまで彼女も満身創痍であったのだから。 「何したんだお前。ロックベルトの吸血鬼は人間と同じ力しかないって聞いてたぞ」 「お主の血を補給させてもらったのじゃ。わしらロックベルト一族は、人間の血を飲むことで本来の力を引き出すことができる特殊な吸血鬼でな。それまでは生命力以外は人間と変わらんのじゃ」 「だったら最初から飲めよ。それなら俺がこんな苦労せずにすんだんだ」  恨めしそうに瀬賀はそう言うが、ショコラはなぜか顔を赤らめている。 「どうした。熱でもあるのか?」 「違うのじゃ。わしらロックベルト一族は、血を飲む人間を限定している。生涯にただ一人の人間の血しか飲んではならないと決められているのじゃ」 「は?」 「つまり、わしはもうお主以外の血を飲むことができんのじゃ。これが“契約”。ロックベルト一族と人間との間に交わされる契約じゃ。わしらは血を飲まなくても死ぬことはないが、人間の血が無ければ吸血鬼としての力が出せないのじゃな」 「まてまてまて。それってどういうことだ。生涯ただ一人の血?」  瀬賀は混乱したように頭を抱える。 「人間の言葉で言うなら“結婚”ということになるじゃろうな。その吸血鬼と補給役の人間はずっと一緒にいなければならないのじゃから」 「は?」  ぽかんと口を開ける瀬賀を、ショコラは抱き起こし、動けないことをいいことに、その唇に自分の唇を重ねた。 「んん――!?」  数秒後唇をショコラは離し、混乱している瀬賀をよそににこりと笑った。 「これでわしとお主は夫婦《めおと》じゃ。わしじゃってお主のような人間なんかと結婚なんてしとうないが、これも全部ロックベルト家のしきたりじゃ。仕方あるまい。わしのパパも人間じゃった。わしらロックベルトの家系は、そうして人間と共に生きてきたわけじゃ」  そう言うショコラの顔は、真っ赤になっており、吸血鬼というよりはごく普通の女の子のように瀬賀は思えた。 「おーい大丈夫かー!」  瀬賀がショコラに何かを言おうとしたとき、機動隊や応援の救急隊が屋上の扉から飛び込んできた。気絶したままのフラニーは拘束され、針村と救急隊員がこっちに向かって走ってきていた。  どうやら騒ぎは一段落ついたようだ。色々気になる事はあるが、瀬賀は安堵し、溜息を漏らす。 「人間。お主、名前は?」  ショコラは恥ずかしそうに視線を空に向け、瀬賀にそう尋ねる。 「名前がわからないと色々不便じゃろ。わしはまだお主の名前を聞いておらん」 「ああ、そうだったか。俺は瀬賀。瀬賀或」 「ふん、アル――か。綺麗な名前じゃ。よろしく頼むぞアル」  何をよろしくするのか今は考えたくないな、そう思いつつ瀬賀は疲労の中ゆっくりと眠りに落ちていく。  深夜の大騒ぎはこうして幕を閉じた。   ※おまけ※  その一連の騒ぎから数日後、ようやく事件のことから落ち着きを取り戻して双葉区にはまた平和(あるいはそうではない)日常が取り戻された。  その朝、春部は幼馴染の有葉と一緒に学園へ登校してきた。 「今日もいい天気だね千乃」 「そうだね春ちゃん。今日も中庭でご飯食べようよ!」 「そうね。今日は温かいし、気持ちいいわよ」  春部は嬉しそうに身体をくねらせる。しかし、数日前にも中庭でお弁当を食べていて、二人は怪我を負った少女を見つけたのであった。おかげで二人きりの昼食は台無しになってしまい、その数日間春部は不機嫌であった。だが今日はようやく愛する有葉と二人きりになれると、喜んでいる。 「せっかくだからめっしーもきいちゃんたちも呼ぼうよ!」  しかし、春部の希望を打ち砕くかのように有葉は無邪気な笑顔でそう言った。春部は表情を固まらせ、C組のあの二人に恨みの電波を送る。 (はあ、せっかく千乃と二人きりでお弁当食べようと思ったのに……)  楽しそうにしている有葉に文句など言えるわけもなく、彼女は肩を落としながら教室の扉を開き、自分たちの席についていく。すると、ちょうど始業を告げるチャイムが鳴り響き、数分後担任の練井が教室に入ってきた。  練井はいつにもまして暗い表情をしており、はあっと溜息をついている。 「えー。出席の前に、今日は新しいお友達を紹介したいと思います」  練井はそう小さな声で生徒たちに言った。すると当然のことながらざわざわと生徒たちはざわめきはじめ、教室はうるさくなっていく。 「新しいお友達って、転校生?」 「男? 女?」 「うおーまじかよー」   大騒ぎする生徒たちに困りながらも、練井は扉の外にいるであろう転校生に声をかける。 「み、みなさん静かにしてくださ~い。ど、どうぞ入ってください」  するとがらりと扉は開かれ、中に入ってきたのは小学生くらいにしか見えない女の子だった。その少女は金髪碧眼で、教室の中にも関わらず、心地いい日差しを避けるように日傘をさしている。そのにこりと笑う口元からは牙が見えていることに春部は気付いた。  奇妙な転校生を見て、クラスメイト達はどう反応したらいいのかと静まり返っている。その少女はチョークで黒板に名前を書き始める。その字は日本語で書かれているが、慣れていないのか妙に拙い。なんとか書き終わり、手を叩いて粉を落とすと、教室の生徒たちに向かって名前を名乗った。 「わしはショコラーデ・ロコ・ロックベルト、吸血鬼じゃ。仲良くしてやるから感謝するがいい人間共。わしの“夫”のアルには絶対に手を出させないつもりじゃからそのつもりで頼むぞ」  ふふんと腰に手を当て、自慢げに名前を名乗るその少女を見て、練井は頭を抱えていることに春部は気付く。そしてきっと今練井はこう考えているのだろうと、春部は察しがついた。  またこのH組に変人が増えた――と。  おわり(あるいはつづく) [[前編へもどっちゃう>【ミッドナイト・パニック 前編】]] ---- [[トップに戻る>トップページ]] [[作品保管庫に戻る>投稿作品のまとめ]]
[[ラノで読む>http://rano.jp/2284]] [[中編へ戻る>【ミッドナイト・パニック 中編】]]  ※ ※ ※  響き渡る警報と、人々の悲鳴で最悪な惨劇が起きているのだと悟った瀬賀は練井に外に逃げるように、と告げると階段を駆け上り惨劇の最中へと向かっていった。  その途中で何人もの逃げ惑う患者や看護士とすれ違い、そのほとんどが赤黒い血を浴びていることに気付く。 (ファック! ファック! 一体何が起きてるんだよ!)  瀬賀は騒ぎが起きている階に到着し、廊下を見渡す。瀬賀は眼を疑った。そこはまるで地獄のような光景が広がっていた。 「なんだよこれ……ひでえ……」  何人もの看護士や患者たちが血塗れで倒れている。ショコラがいた病室の扉は開け放たれ、そこにいた警備員も倒れている。 「おい、大丈夫か!」  瀬賀は倒れている人たちのもとへと駆け寄り、その生死を確認する。そこに倒れているのは十人ほどだったが、奇跡的に即死している人間はいなかった。だがその半数以上がいつ事切れてもおかしくない重症で、助かる見込みがないほどの傷である。 「せ、瀬賀……」  彼の後ろから自分の名を呼ぶか細い声が聞こえた。慌てて振り返るとそこには肩から血を流している針村が倒れている。彼の左腕は、肩から先が無くなり、腕が床に落ちてしまっていた。それを見て瀬賀は顔を歪める。 「針村、お前もか――!」 「大変だ。ショコラちゃんを追いかけてきた殺人鬼がみんなをチェーンソーで……」  それを聞いて瀬賀は総てを理解した。みなの傷痕はショコラのものと同じものであったからだ。その殺人鬼が慌ててショコラを追いかけたから斬り込みが甘く、みな即死を免れたのだろうと判断した。 「ショコラはどうした?」 「わからない。だが逃げたようだ……」 「そうか――」  瀬賀は必死に考えた。どうするべきか。自分は何をするべきか。 「今この場にいる奴を全員治して、ショコラも助ける。時間が無い。機動隊や応援の医者たちが来る前にみんな死んでしまうし、ショコラも敵に捕まるかもしれない」  その言葉に針村は驚きの顔を見せる。 「正気か? お前一人でここにいる全員を治療する気か?」 「ああ、まずはお前からだ」 「僕はいい。それより他の人を――」 「いや、お前から治す。十秒で腕を縫合する。その後お前は俺の手伝いをしろ」  予想外の言葉に針村は驚愕の表情を浮かべるが、すぐに苦痛に耐えながらも覚悟を決めた顔つきに変わった。 「重傷人に手伝わせようとするか普通。まったく無茶苦茶な奴だ……」  針村は溜息をつきながらも、その言葉からは瀬賀を信頼していることが伝わってくる。 「甘えるなよ。ここは病院だ。お前は医者だ。怪我人を救うのは俺と、お前の役目だ」  そう言って瀬賀はいつも持ち歩いている救急セットの入ったバッグを開き、ゴム手袋を着用し、必要なものを取り出していく。 「オーケェイファッキンベイビィ、さあ術式開始だ」  パンっと手を鳴らし、瀬賀は一瞬だけ眼をつぶって精神を集中する。  もう一度眼を開けた時、彼の瞳は真紅に染まっていた。 (“|医神の瞳《アスクレピオス》”発動――)  瀬賀は針村の切断された肩と腕を診る。瀬賀は床に落ちていた彼の腕と、切断面を消毒し、神経と筋肉の繊維を繋ぎ合わせていく。それは本来ならあり得ないことだが、異能の力により極限まで高められた医療技術では、不可能と思われる手術も瀬賀には一瞬で行うことができる。  それこそが“|ツギハギ博士《ドクター・フランケンシュタイン》”と彼が呼ばれる所以である。  そしてきっかり十秒後、針村の腕は見事に繋ぎ合わされた。 「よし、一先ずこれで大丈夫だ。だけど無理して動かすなよ。お前は怪我の軽い奴の手当てに回れ、俺は瀕死の奴らの方に回る」 「ああ、しかし凄まじいな……。これが修復能力《リカバー》か」  これこそが治癒能力《ヒーリング》より回復率が劣る修復能力《リカバー》の利点であり真骨頂であった。それは素早く、大人数の治療に時間を割けることである。だがそれゆえに使用者の負担は尋常ならざるものだった。  感心しながら瀬賀のほうへ目を向けると、彼は顔を青くし、滝のような汗を流していた。手は震え、膝が笑っている。今瀬賀には凄まじい疲労が襲っている。これが能力の代償。もはや彼の体力は限界に近付いている。 「大丈夫か瀬賀。そんな調子で全員治療するつもりなのか」  心配そうにそう尋ねるが、瀬賀は自分の足をばんっと叩いてなんとか倒れそうな身体を動かしていた。 「やるしかねーだろ。喋ってる暇はねえ!」  瀬賀は次に腹部を切り裂かれている男性患者のもとへと駆け寄った。異能を発動し、ショコラのときと同じように止血と縫合を繰り返す。  それも十秒で応急手当を済ませ、次々と瀬賀は怪我人たちの治療に向かった。それと同じように針村は傷の浅い者たちの手当てを済ませていく。左腕は動かせないため、無茶なことはできないが、それでも彼の技術力でカバーすることができた。  そうこうしている内に、夜勤をしていた他の医者たちも駆けつけてきた。殺人鬼を恐れず怪我人のために現場へ向かってきた彼らもまた、プロフェッショナルだった。 「ゆっくりと全員手術室へ運べ!」 「くそ、応援はまだか!」 「気をつけろ、あの殺人鬼がまた戻ってくるかもしれない」  数人の医者と一部の逃げ出さなかった看護士たちが次々と集まってきて、一先ずこの場は安心のようだった。  瀬賀は最後の一人を治療し終わり、ぐったりとその場に膝をついた。 「はぁ……はぁ……」 「大丈夫か瀬賀。無茶するな。この異能はお前の体に負担がかかるんだろ」  針村が瀬賀に駆け寄り彼の汗を拭く。だが瀬賀はまだ終わっていないのだと、身体を無理矢理起こしていた。 「駄目だ。ショコラを探さなきゃ……。機動隊が来るまであと数分かかる。それまでに殺人鬼がショコラを殺してしまうかもしれない」 「よせ、それはお前の仕事じゃない」 「いや、約束しただろ。絶対に助けるって――」  瀬賀は床にぽつぽつと垂れている血痕を辿り、殺人鬼が走っていった方向を推測する。 「こっちか」 「おい瀬賀――つっ」  針村は瀬賀を止めようとしたが、左肩に激痛が走りその場に倒れこんでしまった。 「お前こそ無理するなよ。一応お前も怪我人だ。早く他の連中に治療してもらえ。俺のはあくまで応急手当てでしかないからな」  瀬賀はもつれる足を無理矢理動かし、呼びとめる針村を置いて殺人鬼を追った。途中で廊下に置いてあったロッカーからモップを取りだして、ブラシ部分を外して杖代わり兼武器として使おうと考えた。 (何もないよりはましだろう。さて、ショコラと殺人鬼はどこに行った――?)  モップの棒を握りしめ、血痕を辿っていくと、それは屋上への階段に続いている。 (ファック。屋上か!)  逃走先が屋上ということは袋小路に自ら飛び込んでくのと同じだ。瀬賀はショコラが完全に追い詰められてしまっていることを悟り、顔を青くしながらもその階段を駆け上る。  やがて外界と院内を繋ぐ扉が見え、瀬賀はその扉を思い切り開け放った。  身を切るような冬の凍てついた空気が一気に流れ込んでくる。扉の先には間近に見える夜の空の下に、足から血を流し、柵にもたれかかっているショコラと、チェーンソーを構える殺人鬼――フラニーの姿があった。  瀬賀が自分の足元を見ると、生白い人間の足が転がっている。その断面から流れる血はショコラの下まで続いており、腰をおろしているショコラの足を見ると、左足が切断されてしまっている。それゆえにショコラはうまく立っておられず、屋上の柵にもたれかかっているようだった。 「――くそったれ」  瀬賀が苦々しくそう呟くと、ショコラとフラニーは彼の存在に気付いたようで、視線を瀬賀に向けている。  冷たい地獄のような視線を向けるフラニーと対照的に、ショコラの顔は驚きに満ち、青い瞳に涙を浮かべて瀬賀に怒鳴った。 「に、人間! なんできたんじゃ! 死にたいのか! わしのことなんて放っておけばよかったじゃろ!」 「うるせえバカ。言ったろ。助けてやるってよ……」  瀬賀はぜいぜいと息を切らし、モップを杖代わりにして身体を支えている。自分の身体も限界だが、ショコラもまた、足を切り落とされ、大量に出血して死の際にある。不死の吸血でも、銀の刃でつけられた傷口からは血が止まらず流れ続けてしまう。早く止血しなければ再生もできない。  満身創痍の二人を見て、フラニーはただ嘲笑うだけであった。 「あらあら。こんな化物を助けに来たんですの? ご苦労様ですぅ。でも無理です無駄です。二人ともわたしが切り刻んでやるですの」  フラニーは再びチェーンソーの刃を回転させ、その切っ先を瀬賀に向ける。 「や、やめるのじゃ! お主の狙いはわしじゃろ! その人間は関係ないはずじゃ!」  ショコラはフラニーに向かって悲痛に叫ぶが、フラニーは意にも介さずじっと瀬賀をねめつけている。フラニーを止めようと柵から手を離して飛びかかろうとするが、足を切り落とされている彼女はただ無様に転んでしまうだけである。 「大人しくしてろってショコラ。この糞ったれは俺が倒す……」 「あらあらまぁまぁ。わたしを倒すですの? 面白い事言うですぅ。ならやってみるがいいですの!!」  フラニーはチェーンソーを構え、瀬賀に向かって全速力で駆け始めた。それは凄まじいスピードで、全力で瀬賀を殺そうとしていることが理解できる。  しかし、それを正面から迎える瀬賀の瞳は真紅に染まっていた。そう、それは彼の異能である“|医神の瞳《アスクレピオス》”が発動している証拠であった。 「百分割してあげるですのぉぉぉ!」  フラニーは雄叫びを上げ、大きくチェーンソーを振りかぶった。そしてそのまま横一線にチェーンソーを薙ぐ。  完璧に瀬賀の首を捕え、切断した――はずだった。  チェーンソーは虚しく空を切り、その反動でフラニーはバランスを崩してしまう。 「え――?」  視線を下に向けると、瀬賀は少しだけしゃがみ、紙一重でその刃を避けている。それはフラニーにとって予想外のことであり、今まではあり得ないことであった。  バランスを崩し隙だらけになっているフラニーの腹部を、瀬賀は手に持っていたモップを思いきり突きつける。 (入った――!)  そこは人体の急所で、フラニーは激痛に襲われることになった。呼吸がままならず、そのまま屋上の地面を転がっていく。  フラニーは倒れ込み、吐瀉物を吐き散らせながら必死に呼吸を整えようとしている。それを瀬賀はただ見下ろしているだけである。  激痛のあまり精神の集中が乱れたせいか、彼女の異能の産物であるチェーンソーは光りの粒子のとなり分解され、もとの人間の腕に戻っていく。 「はぁ……はぁ……」  これが瀬賀の切り札である。  瀬賀は“|医神の瞳《アスクレピオス》”によって人体構造の総てが視ることができる。それは筋肉の動きも同様で、瀬賀はフラニーの筋肉がどう動くかを見極め、どういう攻撃をどの角度からするのかを計算していたのであった。  そして彼の眼には人間の急所や、弱点をも見極めることが可能である。急所を突かれたフラニーはしばらく起き上がることはできないだろうと思い、瀬賀は視線をフラニーから倒れこんでいるショコラへと移した。  瀬賀は血だまりに落ちている彼女の足を拾い上げ、急いでショコラへと駆けていく。 「おい大丈夫か! 今足を繋げてやる!」  瀬賀は彼女の身体を抱き起こし、足の断面と睨めっこする。そんな彼をショコラは息も絶え絶えに怒鳴り散らす。 「や、やめろ人間! わ、わしは人間に借りなんて――」 「まだそんなこと言ってんのかクソガキ。いいから黙って大人しくしてろ。このぐらい俺ならなんとかなる。止血して縫合さえすればお前の再生力も戻るだろ」  瀬賀はささっとショコラの白く細い足を繋ぎ合わせていく。だが、その途中で瀬賀の手は震え、動きが止まってしまう。 「くそ、もう、駄目か……」  瀬賀はそのままうつ伏せに、ショコラの身体に覆いかぶさるように倒れてしまった。ショコラは彼が突然倒れたことに驚き瀬賀の肩を揺さぶる。 「大丈夫か人間! どうしたんじゃ!」  瀬賀はなんとか意識を保っているようであったが、身体は言うことを聞かず、起き上がる事も出来ない。 「どうやら能力を使いすぎたみたいだ。もう、指一本動かせねえ……」  苦笑いしながら瀬賀はショコラにそう言った。疲労がピークに達し、身体が悲鳴を上げているようだ。 「……人間」  そんな瀬賀を、ショコラは複雑な表情で見つめている。  自分のために、こここまで全力を尽くした人間を彼女は知らない。ロックベルトが一族が滅び、国を出て以来、彼女は様々な人間に追いかけ回されてきた。  自分の味方になってくれた人間は彼と、この双葉区の人たちだけである。 「殺してやる……」  そんな冷たい声が聞こえ、ショコラはその声が聞こえてきた方向を振り向く。瀬賀も眼だけをそっちに向け、顔を歪ませる。  そこには無理矢理身体を立ち上がらせ、右腕を変形させているフラニーの姿がそこにあった。その眼は尋常じゃないほどに怒りに満ち、その右腕はその怒りを体現しているかのように禍々しい形に変貌していく。それは形容しようのない、無茶苦茶な形をしている。刃物が何十本と飛び出し、鉤爪やチェーンソーや刀やナイフがごちゃまぜになったような巨大な腕に変形している。 「ファック……まだやる気かよ……」  瀬賀はどうしたものかと呟く。もう自分は動くことができない。間違いなく殺されることになるだろう。 「ショコラ。お前だけでも逃げろ。足はまだ痛むだろうが、ここから逃げ切るまでは持つはずだ……」 「な、何を言う人間。お主を置いて逃げろと申すか! お主には借りがある。それを返さず逃げ出すなんてロックベルトの名を汚す行為じゃ!」  ショコラは自分でもわからないうちに、そう怒鳴りながら涙をぽろぽろと流している気付いた。このままでは自分を助けた人間が死ぬ、それだけが確信としてあった。 「まだそんなこと言ってるのかよショコラ……誇りより命だ。いいから逃げろ。生きてればなんとでもなる」  瀬賀は必死にショコラに逃げるように促した。だがショコラは彼を抱きしめるだけで動こうとはしない。 「何してんだ、早く――」 「馬鹿者! お主はバカじゃ! 命を大事にしろって言うなら手本を見せろ! お主も死ぬな!!」  ショコラに怒鳴られ、瀬賀はぽかんとした表情になった。それはまったくもって予想外の言葉。 「はは、そりゃそうだ。言ってる俺が命粗末にしてちゃ世話ねーな。だけど、駄目だ。俺はもう動けない……」  瀬賀はゆっくりとこっちに近づいてくるフラニーに視線を向ける。もうあの魔の手から逃れる術はない。自分が犠牲になれば、ショコラは逃げる切れるだろう、そう瀬賀は考えていた。だが、ショコラはそれを許さない。 「駄目じゃ。諦めるな人間」 「けどもう……」  ショコラは意を決したようにゆっくりとその言葉を瀬賀に呟いた。 「お主の血をわしに飲ませろ」 「は?」 「何度も言わせるな。お主の血をわしに寄こすんじゃ」  そう言うショコラの口からは、鋭い犬歯が覗いている。瀬賀は彼女が吸血鬼であることを思い出した。 「安心しろ人間。お主らの間に広まる伝承みたいに血を吸ったところでお主が吸血鬼になることはないんじゃ。だがこれが契約じゃ。お主と、わしのな」 「契約……?」 「もう二人が生きるためにはこれしかないのじゃ。覚悟せい!」  迫りくるフラニーの脅威から逃れるために、ショコラは瀬賀の首もとにかぶりと噛みついた。  瀬賀の首筋に鋭い痛みが走ったかと思うと、それはすぐに快感に変わっていき、血が抜き取られ、脱力していく。 「何を――?」  瀬賀の問いかけを無視し、ゆっくりとショコラは牙を抜いていく。その時瀬賀は見た。彼女の足が一瞬にして完治していくのを。 「げっぷ。満腹じゃ」  ショコラは口元の血を拭いさり、そう呟く。  そして、迫りくるフラニーをキッと睨みつける。その瞳には力が宿っており、さきほどまでの貧血状態のような顔の青さは消えていた。ショコラはその小さな手を握りしめ、拳を作る。 「さあ来い。人間の血を得た、本当の吸血鬼の力を見せてやるのじゃ」 「化物が! 死ね! 死ね! 死ね!」  ショコラの挑発を受け、フラニーは巨大は右腕を振り上げ突進してくる。それと同時にショコラもまた真っ直ぐに駆け抜ける。  フラニーが右腕を突き出してその刃の矛先をショコラに突き刺そうとしたが、ショコラは怯まず、自分の左腕を思い切りその刃に向かって殴りつけた。 「――!」  フラニーはそのショコラの行動に言葉が出なかった。その刃もまた銀で出来ており、ショコラの弱点のはずであった。その通りに、ショコラの左腕は切り刻まれ、千切れ飛んでいく。だが、ショコラの拳の衝撃で、フラニーの右腕も完全に破壊され、破片が宙に舞っていく。  鮮血と刃物が宙を舞うその一瞬に、ショコラは残った自分の右拳でフラニーの顔面を思い切り殴る。それは技術も何もない、原始的な攻撃。だがその拳には凄まじい威力が宿っており、殴られたフラニーは顔を衝撃で歪ませながらはるか遠くへと飛んでいってしまった。  決着はその一瞬でついた。  地面を転がっていったフラニーはもうぴくりとも動くことなく、完全に気絶してしまったようである。  千切れた左腕から血を流しながらも、ショコラはフラニーに勝利したのであった。 「ふう、まったく。折角血を補給したのにまた出血してしまったではないか……」  余裕そうな笑みを浮かべ、ショコラは倒れている瀬賀のもとへゆっくりと歩いていく。瀬賀はそんな彼女を不思議そうに見上げた。当然だろう。さきほどまで彼女も満身創痍であったのだから。 「何したんだお前。ロックベルトの吸血鬼は人間と同じ力しかないって聞いてたぞ」 「お主の血を補給させてもらったのじゃ。わしらロックベルト一族は、人間の血を飲むことで本来の力を引き出すことができる特殊な吸血鬼でな。それまでは生命力以外は人間と変わらんのじゃ」 「だったら最初から飲めよ。それなら俺がこんな苦労せずにすんだんだ」  恨めしそうに瀬賀はそう言うが、ショコラはなぜか顔を赤らめている。 「どうした。熱でもあるのか?」 「違うのじゃ。わしらロックベルト一族は、血を飲む人間を限定している。生涯にただ一人の人間の血しか飲んではならないと決められているのじゃ」 「は?」 「つまり、わしはもうお主以外の血を飲むことができんのじゃ。これが“契約”。ロックベルト一族と人間との間に交わされる契約じゃ。わしらは血を飲まなくても死ぬことはないが、人間の血が無ければ吸血鬼としての力が出せないのじゃな」 「まてまてまて。それってどういうことだ。生涯ただ一人の血?」  瀬賀は混乱したように頭を抱える。 「人間の言葉で言うなら“結婚”ということになるじゃろうな。その吸血鬼と補給役の人間はずっと一緒にいなければならないのじゃから」 「は?」  ぽかんと口を開ける瀬賀を、ショコラは抱き起こし、動けないことをいいことに、その唇に自分の唇を重ねた。 「んん――!?」  数秒後唇をショコラは離し、混乱している瀬賀をよそににこりと笑った。 「これでわしとお主は夫婦《めおと》じゃ。わしじゃってお主のような人間なんかと結婚なんてしとうないが、これも全部ロックベルト家のしきたりじゃ。仕方あるまい。わしのパパも人間じゃった。わしらロックベルトの家系は、そうして人間と共に生きてきたわけじゃ」  そう言うショコラの顔は、真っ赤になっており、吸血鬼というよりはごく普通の女の子のように瀬賀は思えた。 「おーい大丈夫かー!」  瀬賀がショコラに何かを言おうとしたとき、機動隊や応援の救急隊が屋上の扉から飛び込んできた。気絶したままのフラニーは拘束され、針村と救急隊員がこっちに向かって走ってきていた。  どうやら騒ぎは一段落ついたようだ。色々気になる事はあるが、瀬賀は安堵し、溜息を漏らす。 「人間。お主、名前は?」  ショコラは恥ずかしそうに視線を空に向け、瀬賀にそう尋ねる。 「名前がわからないと色々不便じゃろ。わしはまだお主の名前を聞いておらん」 「ああ、そうだったか。俺は瀬賀。瀬賀或」 「ふん、アル――か。綺麗な名前じゃ。よろしく頼むぞアル」  何をよろしくするのか今は考えたくないな、そう思いつつ瀬賀は疲労の中ゆっくりと眠りに落ちていく。  深夜の大騒ぎはこうして幕を閉じた。   ※おまけ※  その一連の騒ぎから数日後、ようやく事件のことから落ち着きを取り戻して双葉区にはまた平和(あるいはそうではない)日常が取り戻された。  その朝、春部は幼馴染の有葉と一緒に学園へ登校してきた。 「今日もいい天気だね千乃」 「そうだね春ちゃん。今日も中庭でご飯食べようよ!」 「そうね。今日は温かいし、気持ちいいわよ」  春部は嬉しそうに身体をくねらせる。しかし、数日前にも中庭でお弁当を食べていて、二人は怪我を負った少女を見つけたのであった。おかげで二人きりの昼食は台無しになってしまい、その数日間春部は不機嫌であった。だが今日はようやく愛する有葉と二人きりになれると、喜んでいる。 「せっかくだからめっしーもきいちゃんたちも呼ぼうよ!」  しかし、春部の希望を打ち砕くかのように有葉は無邪気な笑顔でそう言った。春部は表情を固まらせ、C組のあの二人に恨みの電波を送る。 (はあ、せっかく千乃と二人きりでお弁当食べようと思ったのに……)  楽しそうにしている有葉に文句など言えるわけもなく、彼女は肩を落としながら教室の扉を開き、自分たちの席についていく。すると、ちょうど始業を告げるチャイムが鳴り響き、数分後担任の練井が教室に入ってきた。  練井はいつにもまして暗い表情をしており、はあっと溜息をついている。 「えー。出席の前に、今日は新しいお友達を紹介したいと思います」  練井はそう小さな声で生徒たちに言った。すると当然のことながらざわざわと生徒たちはざわめきはじめ、教室はうるさくなっていく。 「新しいお友達って、転校生?」 「男? 女?」 「うおーまじかよー」   大騒ぎする生徒たちに困りながらも、練井は扉の外にいるであろう転校生に声をかける。 「み、みなさん静かにしてくださ~い。ど、どうぞ入ってください」  するとがらりと扉は開かれ、中に入ってきたのは小学生くらいにしか見えない女の子だった。その少女は金髪碧眼で、教室の中にも関わらず、心地いい日差しを避けるように日傘をさしている。そのにこりと笑う口元からは牙が見えていることに春部は気付いた。  奇妙な転校生を見て、クラスメイト達はどう反応したらいいのかと静まり返っている。その少女はチョークで黒板に名前を書き始める。その字は日本語で書かれているが、慣れていないのか妙に拙い。なんとか書き終わり、手を叩いて粉を落とすと、教室の生徒たちに向かって名前を名乗った。 「わしはショコラーデ・ロコ・ロックベルト、吸血鬼じゃ。仲良くしてやるから感謝するがいい人間共。わしの“夫”のアルには絶対に手を出させないつもりじゃからそのつもりで頼むぞ」  ふふんと腰に手を当て、自慢げに名前を名乗るその少女を見て、練井は頭を抱えていることに春部は気付く。そしてきっと今練井はこう考えているのだろうと、春部は察しがついた。  またこのH組に変人が増えた――と。  おわり(あるいはつづく) [[前編へもどっちゃう>【ミッドナイト・パニック 前編】]] ---- [[トップに戻る>トップページ]] [[作品保管庫に戻る>投稿作品のまとめ]]

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示:
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。