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「【幸運】」(2010/07/06 (火) 18:55:56) の最新版変更点
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目の前にいる少年は恐らく自分と同じくらいの歳だろう。ただ、自分よりも小柄で線が細く頼りなさげで、どことなく保護欲をかき立てる風貌だった。
「う、噂を聞いて来たんです。あなたに会えばモテるようになるって本当ですかっ!?」
うだるような熱気が充満する部室に、彼なりに精一杯の大声が響く。
隣で机の上に座っていた比留間《ひるま》は下敷きを団扇代わりにして面倒そうにその少年の方を見てこう言った。
「悪いことは言わないから帰った方がいいよ。彼と関わるとろくな目に遭わないからね」
自分を揶揄するその言葉を無視し軽く流すと、目の前の少年の目を見つめ質問する。
「つまり、君はモテたいのかい?」
「だから、さっきから言ってるじゃないですか! 僕は彼《・》女《・》にモテたいんです!!」
「うーん、隣の馬鹿の言葉を繰り返すようだけど、悪いことは言わないから帰った方がいいよ」
「馬鹿は余計だ」
比留間は、馬鹿という言葉が癇に障ったのか、それまで満遍なく部室を生ぬるい風でかき回していた扇風機の首振りを解除すると自分の方に向け、一人涼もうとする。
「帰った方がいいって言うのはどういうことです? あれですか? どっきりですか!? 告白する勇気もない僕を騙そうっていうんですか?」
そう言いながら少年は勝手に妄想を膨らませ、空回りしている。なんか凄く面倒な人のようだった。
「いや、そういう意味じゃない。確かに俺は君が異性にモテるようにすることができる。そういう能力だからね」
「だったら今すぐ!」
少年は見た目と違ってかなり気が短いようだった。こういった手合いに説明するのは骨が折れるのだが仕方ない。
「フェロモンってあるだろ?」
「はい……」
「俺の能力は対象者のそれを変質させ、より異性に効果を発揮させるようにしたり、完全に効き目をなくしたりするのさ。といっても、フェロモン自体が人間に効果があるかどうか自体が不明だから、本当にそうなのかは分からないけどね」
「あ~~~~~~」
比留間が扇風機に顔を当てながら声が震えて聞こえるのを楽しんでいる。暑いんだから独り占めしてないでこっちに向けて欲しいものだ。
「つまり、出来るってことでしょ?」
少年はそう言って詰め寄ってくる。このくそ暑いのに男と密着するのはゴメンなんだがなあ。
「まあ……モテるようにはなる。確率としては三、四割といったところだけど。それともう一つ、誰にモテるのかは分からない」
「それってどういう……」
「意中の彼女が君のフェロモンに反応してくれるかは分からないってことさ。フェロモンにも相性ってのがあるんだよ。でも成功した場合には、これだけは約束するよ。不特定多数の女性にモテモテだ!」
「それでも……僕は……」
少年は何か歯切れの悪い表情をする。恐らく、まだ諦め切れていないのだろう。しかし、こっちは暑さでそろそろ我慢の限界だ。一刻も早く比留間から扇風機を奪い返さないといけない。
机の引き出しから一枚の書類を出し、彼の目の前に突き出すことにした。
「じゃあこれ、契約書ね」
「契約書?」
細かな字でびっしりと埋め尽くされた紙切れを受け取りながら、少年はこちらの意図を理解できず、不思議そうな顔をする。
「いやなに、こちらも面倒ごとはゴメンでね。後々ゴネられても困るってこと。『思ってたのと違う』『全然モテない』なんて言われても困るから。なーに契約料なんてのは頂かないから安心していい。そこまで阿漕じゃない」
少年の目はこちらと書類を往復させている。これはまーだ悩んでいるな。全くもって困ったものだ。
「だからやめちゃっていいって。本当にいいことないぞ。それより、僕は君の何度告白しても諦めないその勇気が好きだぞ」
扇風機を抱きしめながら、茶々を入れるな。
「えっ!? 僕は彼女に告白なんて一度もないですよっ!? そう思うことはあるんですけど勇気が足りなくて」
「あれ? じゃあ、いつものあれは僕の勘違いか」
「言っていることが良く分からないけど……うん! なんとなく分かった気がします。こんな人様の力に頼ろうというのが間違ってました。勇気を振り絞って告白します!」
「おー」
扇風機を抱えながら拍手をするという器用なことをしながら、比留間が感嘆の声を上げる。いい加減、こちらに向けて欲しいものだ。
「なるほど、それではこの契約書は不要だな。それと、そろそろこの部室から出ていった方がいい」
「へ?」
突然の退出を告げられた少年は先ほどまでの勇気溢れる凛々しい表情とは一転して、実に間抜けで情けない顔つきになっていた。
「比留間の話だと、そろそろ揉め事がやってくるからだよ。いいかい? 日頃モテない人物が急にモテるとどうなると思う?」
時計を見るとまだ時間があるようだった。ものはついでだ、能力を付与した人間の末路も教えておくことにするためちょっとした質問をする。
「そ、そりゃあ、それを謳歌するんじゃ」
「正解。でもねそれは最初のうちだけさ。赤子の頃からモテる人間なんてのはいない。モテるってのは顔や性格、運動や勉強など、様々な要素で成り立っている。モテて行くその過程で異性の扱い方やかわし方も学んでいくんだ。もちろん、天性の才を持つ人もいるけどね。だけど多くはモテたいから努力し、切磋する」
「はあ……」
少年はこちらの話が良く理解できていないのか、的を射ないといった表情で、ぼーっとこちらを見るだけだった。
「そういったバックボーンがない人間が不特定多数の人間にモテるようになって、彼女たちを上手くあしらえると思うかい?」
「そんなわけないよねー」
だから、お前は茶々を入れるなよ。
「そこで扇風機抱えている人と同じ意見です!」
ようやくこちらの言いたいことが分かったみたいだね。
「そう! そういうこと。最初はいいけど、時が進むほど、関係する人間が増えるほど確実にその関係は破綻へと邁進する。そもそも自分でモテる努力もせずに人の能力に頼る人間だ。ハーレムなんて複雑なパワーバランスに基づく人間関係、どうやっても維持できるもんじゃないのさ」
やれやれといいた表情でハリウッド映画のように両掌を上に向けてわざとらしいポーズをとっている時、部室のドアが勢いよく開けられる。
「手前ぇぇぇ! 今すぐ能力を解除しやがれ!」
「ほらきた」
男は目の前にいた少年を豪腕で払いのけると、唾も飛ばさんばかりの勢いで自分に食って掛かってくる。少年が部室の隅へと弾き飛ばされ、倒れこむ。
「今すぐ解除しろ!」
「モテたいといったのはそちらだが」
「う、うるせー、あの時と今とじゃ状況が違うんだよ」
「では、規定通りの違約金を払って頂けば……」
契約書に小さく記載された一文を一ミリも違わず指差す。
「んだとゴラァ!」
そう男がブチ切れた瞬間、いや、彼が切れるよりも速く動いていたのだろう。比留間はその男の背後を取ると瞬く間に組み伏せ、床に叩きつける。
「悪いね。きみが今《・》日《・》どうするか僕は全《・》部《・》知っているんだよ。悪いことは言わない。違約金を払って解除してもらいな」
比留間は淡々とそう喋りながら、押さえつけた男の手首を掴み締め上げる。男から悲鳴にも似たくぐもった呻き声が聞こえてきた。
「どうするね?」
自分がそう問い質すと、男は必死の形相で懇願し始める。関節が極まっていて相当な苦痛なのだろう。
「分かった、払う! 払うから!!」
「ご利用有難うございました~」
最大限の笑顔を作る。相手に抗う意思がないと分かったのか比留間もその力を弱める。
その後、男は捻られた右手首を摩りながら、財布の中を空っぽにしてスゴスゴと部室を後にする。
「まあ、こういうことだよ」
部屋の片隅で腰を抜かしボーゼンとしている少年の方を見ながら、悪戯っぽくウインクをした。
「毎度毎度、面倒だなあ」
購買部から買って来たアイスを頬張りながら比留間がぶちぶちと文句を言う。
「そうは言うけど仕方ない。ところで、君はどうして今の彼女と付き合ってる?」
突然自分に振られて驚いたのか、アイスを加えたまま腕を組みしばしの間思案する。そして、なにやら思いついたか、ゆっくりと口を開き始める。
「うーん、それは一言で説明するのは難しいな……強いて言えば“気が狂いそうな世界の中で、唯一彼女だけが自分のことをずっと見ててくれた”そんなとこかな」
「始まりなんていい加減で意味なんて殆どないのさ。所詮色恋沙汰なんてそんなもんだよ」
「随分と偉そうだな」
「そりゃあね。身に染みて分かってるからだよ」
比留間から差し出されたアイスを手に取ると、袋を破り即座に頬張る。心地よい夕方の風と口の中に広がるソーダ味が涼しかった。
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彼が自分の不注意と迂闊さに気が付いた時には、すでに手遅れであり、鼓膜が破れんばかりの爆音と共に目の前は真っ白になり、何も聞こえず何も見えなくなってしまっていた。
(どうして、こうなったんだろう)
恐らく死に際なのであろう彼は、自分の短絡的な行為を後悔する。こんなことになるはずがなかったのに……と。いや、いつかはこうなるはずだったのだろうと、四肢どころか指先一つを動かすことも出来ずに、彼は過去を思い返していた。
彼が自分の能力に気が付いたのは小学生の頃、原因不明の難病に苦しむ妹の元へ向かうため、家族一緒に乗り込んだ飛行機の事故だった。
それは突発的なトラブルで、予測不能で致命的な事態だった。当然、彼の乗っている飛行機は墜落。当時の速報では生存者は絶望的であろうとまで言われていた事故だった。
だが、彼一人が生き残った。
評論家や現地を検証したマスメディアは『この事故で生き残るのは天文学的確率である』と、その奇跡をこぞって囃し立て、美談に作り上げていった。
彼は一躍時代の寵児となった。そして、彼の唯一の肉親であり、不幸な病気の妹と共に格好のメディアの対象となったのだった。
だが……。
メディアが掌を返すようになったのは、彼が宝くじの一等を連続して当ててからのことだった。一本目の当選直後こそ、ワイドショーや夕方のニュースで頻繁に“奇跡は再び!!”などと世紀の美談として取り上げられていたが、二回目以降、何らかの規制があったのか、メディアの話題に上がることはなくなり、自然と彼のことは話題にならなくなっていった。
ただ、そういったメディアの空虚な喧騒を抜きにしても、彼の身の回りでは、ある種のやっかみ、僻みや妬み、嫉みとは無縁ではなかった。人の業や欲というものは尽きないものなのである。
だが、彼は当選金の全額を自分の妹の膨大な治療費にあてがっており、裕福とは言えない生活を粛々と送っていた。
それというのも、妹の病気は原因すら解明できていない難病であり、治療法どころか対処療法も皆無という状態だったからだ。
そんな状況で、技術的にも限界のある現代医療が抗えるはずもない。それを超えるであろう能力者の治癒魔法や能力でさえ(それには真贋問わず膨大な費用を要したにも関わらず)、進行を遅滞させることは出来ても、彼女の病気を回復させるには至らなかった。
そんな、唯一の肉親である妹の病気を治せない現実とそれに役立つことさえ出来ない自分に彼は絶望していた。
(妹の病気さえも治せない、当り籤を引く程度の奇跡がなんの足しになるのだろうか?)
当然、彼の類まれな能力を双葉学園が放って置くはずもなく、水面下で彼と接触し、任意に彼を保護すると、巧みな話術と彼のそそる条件を提示した交渉により、自らの傘下に納めることに成功していた。
実際、メディアへの情報を遮断したのは政府と密接に関係を持つ学園の組織の一部であり、彼らの統制と情報操作によって、彼の奇跡は秘されることになっていた。
なお、学園と彼との交渉において、妹の完全な保護とその治療費用の全額免除、また、治癒法が見つかった場合に速やかにその施術を行うという、彼にとっては涎が出るほどに旨みのある取引が行われていたのは想像に難くないし、それは事実だった。
何より、彼がそれを承諾したのは、自分よりも唯一の肉親である妹が病気から回復し、幸せな生活を送るのが最大の大事であり、それを最も可能としてくれるのが双葉学園だと理解したからだ。
彼の能力は“因果律の調整”だった。分かりやすく言うと自分が振ったサイコロの目を自分の都合の良いように操作できるのである。
つまり、マークシート式のテストを受ければ鉛筆を転がしても満点を取れるし、彼がラスベガスへ乗り込めば、一晩どころかスロットマシンのレバーを引くだけでジャックポットという有様で、元手が数ドルあれば僅かな時間で億万長者になれるのだ。
さらに言えば、彼に安全ピンを抜いた手榴弾を投げても偶然にも不発になるどころか、核ミサイルでさえも“天文学的な確率の積み重ね”によって起動しないか、着弾点を大きくそれ、彼には安全圏になるような場所で爆発するのである。
ある種、彼は無敵で不死身だった。それはそうだ、無意識に自分の都合が良いように因果律を修正してしまうのだから。
もちろん、それにはしわ寄せもある。それは彼の周りだ。ギャンブルは勝者がいれば敗者がいる。それと同様に、彼が被るべき因果(つまりは負け)を他の誰かに押し付けてしまうことになるのだ。
これは学園から下されるミッションに多く見受けられることになる。
どんな絶望的なミッションであろうと、その能力を存分に発揮し、作戦の成否に関わらず彼は必ず無傷で生き残り、本部に戻ってくるのだ。
これを快く思わない人がいないわけがない。必然、彼の周りに人は寄り付かなくなり、『死神』『疫病神』などと陰口を叩かれることになる。
結果、彼はチームを組むことはなくなり、単独編成によってラルヴァが多く徘徊する場所への強行偵察などを行うことになった。
当然、それでも彼は平然とした表情で本部に戻り、状況を的確に報告した。それが彼の仕事だったからだ。
彼は、そんな自分の能力を嫌悪していた。
チームを組んでいたクラスメイトや上級生、下級生が何人も怪我をし、時に死んでしまうこともあった。だが、彼はかすり傷ひとつもないのである。そういった、自分の不幸を他人に押し付けるという能力の発動は、彼の罪悪感を苛み、更にその幸運さえもいつ尽きてしまうのかもしれないという強迫観念も彼の心を蝕んでいた。
彼は『もし、この世に神という存在がいるのなら、全ての人に幸運を等しく授けるはずだろう』と考えていた。だからこそ、彼はギャンブルなどに手を出すことは一切なく、選択式の試験問題に回答することもなかった。何時尽きるかもわからない自分の能力を些細なことで浪費したくなかったのだ。
『勝つ人間がいれば、負ける人間も必ずいる』
これは、彼がこれまで見てきた現実問題であり、自分の能力の根源だった。だからこそ、いつか大きなしっぺ返しが自分に降り懸かるはずだと恐怖していた……。
酷く簡単なミッションだったと彼はブリーフィングルームで渡された資料を読みながら思っていた。いつも通りの極々普通の仕事だったはずだ。
(それがなんで、こうなってしまったのか……)
何も見えなくなった彼の目の前に妹の元気な姿が浮かび上がり、彼に微笑み手を振っている。それは彼が一番望んでいたものだった。
彼にとっての一番の気がかりは妹だった。彼は自分が死ぬことで学園は妹を放逐するのではないかと心配していた。だからこそ、学園側からの命令には絶対服従していたし、どんなことがあっても死ぬまいと心に誓っていた。それが親友に自分の死を押し付けるような酷い行為であってもだ。
彼にとって、妹は最後の肉親であり、心の拠り所であり、全てだったのだから。
だが、そんな思いももうすぐ終わりを迎えようとしていた。
彼は笑い話になるようなちょっとしたミスで瀕死の状態になっており、彼の目の前で優しく微笑む妹の幻影が彼の死を出迎えていた。
差し出される手を掴もうとするが、身体は動かない。
(ゴメンよ、そっちにはいけないんだ……)
声にならぬ声で彼は答えようとする。その声に反応したのか、妹の幻影は彼を優しく抱き起こそうとする。その瞬間、僅かに指が何かを掴むように動き、そして力なく手がパタリと落ちる。
彼は全ての罪悪から解き放たれたように、実に幸せそうな表情を見せていた。
「お兄さんには連絡したのかい?」
目の前で息を引き取った若い女性の姿を見つめながら、彼女の担当医は機材を片付ける看護士に声を掛ける。
「それが……彼は先ほど連絡があって……」
彼女は医師に目を合わせることなく、言葉を適当に濁すと機材の片付けに没頭しようとする。担当医は、その言葉と行動に理解を示したのか、静かにため息をつくとぼそりと一言呟く。
「そうか……。なんとも痛ましいことだ。でも彼にとっては幸《・》運《・》だったかもしれんな。妹さんが死んだと知ったら、彼はとても正気ではいられまいて……」
「ええ……」
医師は、今さっきこの世を去った兄妹を思い、僅かに頬を塗らした。彼らの幸せを祈りながら。
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