【続 虹の架け橋 エピローグ】

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  エピローグのようなもの 二十五年後  二十五もの年数の間に、世界中で色々なことが起こった。双葉島でも、私の把握しきれないぐらいの、たくさんの出来事があったことだろう。  それぐらい目もくらみそうなぐらい高いハードルを、私は立った今、ひょいと飛び越えて帰ってきた。  私の本来、生きている時空へと戻ってきたのだ。  目を開けると、そこは研究所。  超科学関係の機材が、理路整然と並べられている。膨大な量の書類も、きちんと片付けられている。それだけ、ここの主が真面目な性格をしているという証拠だろう。  でも、そんなしっかりした彼女も、だらしなく机の上に突っ伏して眠っていた。 「郁美さん」 「……はう?」 「郁美さんったら」 「……はう! あ、あかりちゃん?」  彼女はずり落ちかけていた眼鏡をもとに戻すと、まじまじと私の顔を見る。そしてすぐに涙ぐんでしまった。 「馬鹿ぁ。何で勝手に使っちゃったの?」 「ごめんなさい」  私は申し訳なさそうにうつむいた。  この泣き虫の研究者は中里郁美といい、ママの古くからの友達だ。私も小さい頃からこの研究所に出入りしていて、もしかしたら、ママやパパより一緒にいた時間が長い人物だと思う。 「どうして過去に行ったの?」 「……だって」  郁美さんは「タイムマシンの発明」を異能にしている、超科学者の中でも有名な人物だ。  といっても、この時代でもタイムマシンは未だに開発段階にあり、五十年を超えるタイムトラベルは、私の知る限りでは、まだ実現していない。  今回、私は郁美さんの作った試作品で、二十五年前に旅立った。あの赤いリボンが、実はタイムマシンなのである。 「何もしなかったよね? 正体、バラしてないよね?」  郁美さんは私の両肩を持ち、大変取り乱した様子できいてきた。  心がずきんと痛む。  過去の人間に干渉するのは、良いことではない。もしもあのとき、太陽や虹子に正体をバラしていたら、少なからず今の時空に影響を及ぼしたことだろう。それはつまり「罪」である。 「うん、何もなかったよ?」  本当は虹子も太陽も生命の危機に陥ったのだが、正直に言えなかった。素直に「ごめんなさい」ができないと、パパや郁美さんに何度も叱られてきたのに。 「よかった」  郁美さんはほっとする。  こちこちと、時計の針が進む音が聞こえる。  私は不意に悲しくなってきた。また、あの太陽と虹子に会いたくなってきたのだ。  本当は、虹子と太陽に真実を打ち明けたかった。二人にとって、自分は非常に近しい存在であることを、声を大にして言いたかったのだ。  それをずっと我慢して、ぐっとこらえて、私は二人の前で笑顔を見せていた……。  郁美さんも、申し訳なさそうな表情で、カレンダーを一目見てからこう言う。 「その、やっぱ寂しかったんだよね? 今日はあかりちゃんの」 「お誕生日だもぉん!」  私は怒鳴った。 「みんなみんなあかりに優しくしてくれたのに! おじいちゃんもおばあちゃんも、うさぎおばちゃんも! ……昔のママもパパも!」 「あかりちゃん……」 「どうしてこっちじゃ一人ぼっちなの? もうやだ、こんなの!」  郁美さんは、無言で私をぎゅっと抱きしめる。私はわんわん泣きながら、喚く。 「パパ、ママ、早く帰ってきて……!」  もう我慢の限界だった。  私のママは、いつもお仕事で海外にいる。学生時代、いろんな国でレインボーロードを見せていたとき、多数の外国人と繋がりを持ったらしい。その経験から、今でも国際関係の仕事をしている。だから、あまり日本に帰ってこない。会えない。  私のパパは、とあるプロ野球球団のピッチャーをしている。本拠地が関西なのであまりこっちの自宅に帰ってこない。ストッパー一筋で、デビュー当初は誰も打ち返せないような直球を誇ったが、歳を重ねて衰え、左肩の故障も重なり、ここ数年、抑えきれない試合が多かった。「がっかりクローザー今日もダメ」。今朝のスポーツ紙の見出し。  そんな私の孤独を埋めてくれたのが、郁美さんだった。ママと特別仲のいい彼女が気をよくして引き受けてくれたのが、一人娘である私の面倒見だ。  所詮、私なんてそんな扱いなのだ……。 「こんなことなら、ずっと過去にいればよかった……」 「あかりちゃん」  郁美さんは、少しばかりきつめの声で言う。 「そんなこと言ったらパパとママが悲しむ。二度と言わないで」 「でも、パパもママも私のことなんて」 「ちょっと、表でようか」  郁美さんは優しい微笑みを向けた。 「どこ行くの、郁美さん」 「お散歩だよ」  郁美さんはなかなか、本当の目的を教えてくれない。  ほんのり潮を含んだ風の香りは、昔も今もまったく変わらない。二十五年経った今でも、双葉島はそれほど変化が無いようだ。それなりに進歩したテクノロジーが、随所に反映されているだけで。 「そろそろかな?」  郁美さんは時計を見る。ここは街の中心部だ。時刻は夜九時半、そろそろ華やかで賑やかなひと時も終わろうとするころだ。 「何があるの?」  と、郁美さんに問いかけたそのとき。  私たちを、大型液晶の明かりが照らしたのである。街頭モニターは、「スポーツニュース」という文字を表示していた。 『二点リードの九回、朝倉が登場』 「パパ」と、私は呟いた。二軍暮らしが長かったため、パパは日焼けをしている。 『昨日1アウトも取れずに降板しましたが、今日は三人でピシャリ! 嬉しい今シーズン初セーブを記録し、現役通算百セーブまであと九となりました』 「ふーん、やっと結果が出せたのね、あのがっかりクローザー」  わざとひどいことを言ってやる。素直に喜んでやるのは、なんだか悔しいから。 「まだよ、あかりちゃん。大事なのはこれからよ」 「?」  そういわれてモニターに目を戻すと、ヒーローインタビューの様子が映し出された。どういうわけか、うちのパパがお立ち台に上がったようだ。きっと故障上がりのお情けだろうと、ひねくれたことを思った。 『話は変わりますが朝倉選手、今シーズン終了後、メジャーリーグ挑戦という話が出てますが』  私は目線を落とした。パパは数年前から、しきりに夢を語っていたから。 『自分の中ではね、もう諦めてます』  私は驚愕して、モニターの中の、汗まみれのパパを見る。 『ずっと野球一筋だったけど、今シーズンで引退することにします』  球場に悲鳴が上がる。  当然だろう、デビュー当時は何度も読売巨人に立ちはだかってコテンパンにした、ファンの記憶に残る左腕が。  長年肩の故障に悩まされ、三年間一軍登板の無かった老いぼれリリーフエースが。  よりにもよって、その場で現役引退を表明したのだから。 『家族を大切にしてやりたいなって思ったんです。一人でリハビリしてるとね、東京に置いてきた娘も寂しいんだなって』 「何を言ってるの? どうしちゃったのよ、パパ……!」 「もう、左肩が上がらないんだって」  言葉を失った。  パパは物心ついたときから「左肩が痛い」とこぼしていた。それがなかったら、きっと球界で屈指の剛腕になれたはずだ。  野球のできないパパなんて、パパじゃない。頑固一徹な本人が、一番そう思っていると思う。これからどうするつもりなんだろう。  私は両膝をつき、薄暗いアスファルトの上に涙を落とした。頭のなかがぐちゃぐちゃで、混乱していて、落ち着かない。  でも、パパはとっても爽やかに笑っていた。汗がキラキラ輝いていた。  それを見たら、不思議と気持ちが落ち着いた。 『では、娘さんにぜひ一言お願いします』 『あかり、誕生日おめでとう!』  パパの目いっぱいの笑顔が、大きく映し出された。  怒号のような歓声が球場を揺らす。  ファンによる、応援歌の合唱が響く。  黄色いメガホンが上下する。 「バカ。やっぱりうちのパパはバカだよ……!」  本当は泣きたいぐらい嬉しいのに、罵らずにはいられない。  私の性格はパパに似たのだから、素直になることができないのだ。  それから、私は郁美さんと一緒に運動公園へ向かった。  二十五年前のその人と別れた場所であるのは、偶然だろうか。だから、私は対面を直前にして、すごく緊張していた。  ベンチに腰かけて、待ち合わせの人物を待つ。虹子と一緒にお話しした時のベンチだ。ところどころ欠けて、剥がれ落ちているが、ペンキは綺麗に塗り替えられている。  やがて、私服姿をした、大柄の男が姿を現した。 「あかり、久しぶり!」 「パパ!」  私は大きなパパの体に飛びついた。  試合はテンポよく終了していたらしく、あの後新幹線に乗って帰ってきたそうだ。明日は試合が無いので、つかの間の休息だ。 「わざわざ帰ってこなくてもいいのに。あさって試合でしょ?」  色んな人に自慢したいぐらい、大好きなパパ。 『あかりはパパのお嫁さんだから絶対他の男には渡さない』  ……そう真顔で言ったりする点に目を瞑れば。 「迷惑かけたな、郁美」 「どーせ、いつものことだもん」 「またそうやってむくれる。そういえばまだ独身だっけ? 結婚しないの?」 「『大きなお世話』です」  郁美さんはほっぺたを膨らませた。  私は知っている。郁美さんの初恋の人が、パパだってこと。  パパは今年限りで野球を辞めたあと、おじいちゃんのお店を継ぐことにしたようだ。実はかなり昔から決めていた「男同士のお約束」だったらしい。  つまり、私たちは来年、おじいちゃんの家にみんなで住むことになったのだ。それを聞いたとき、私は飛び上がって喜んだ。 「それじゃあ、これからずっとずっと、パパやおじいちゃんおばあちゃんと一緒なんだね!」 「あかり、一人足りなくないか?」  そう、パパがにやにやしながらきいてきたのである。 「どういうこと?」  私がそうききかえしたときだ。後ろから、誰かが息を切らしつつ、走ってきたのだ。トラベル・ケースを転がす音も続いてくる。 「あかりちゃんっ」  振り向いてその姿を見たとき、私は信じられなかった。  だって、ママは今頃ドイツにいるはずで、どうして……? 「遅かったじゃねえか、虹子」 「乗り換え間違えちゃった、てへ」 「よくそんなんであちこち回れんな」  パパが呆れ顔でそう言う。 「どうしたの、ママ……?」  きっと私一人だけが、呆然としていたことだろう。年に数回会えるかもわからないママが、今日のような、なんでもない日に帰ってきてくれるなんて、夢にも思わない。  ママはきょとんとして小首を傾げてから、「ふふっ」と可愛らしく笑う。 「何でもないじゃないでしょ。今日は――」  あなたのお誕生日でしょ?  私は大泣きをして、スーツ姿のママに抱きついた。「よかったね」と郁美さんが言う。私は幸せすぎて、死んでしまいそうなぐらいだ。  と、ここでパパは背中に隠し持っていた箱を見せた。双葉島でも屈指の名店である、スイーツショップ・タナカのバースデーケーキだ。 「お誕生日おめでと、あかり」 「もう、パパのばかぁ」  私は反省をした。パパもママも、私のことを見捨てていなかったんだ。だから、何も過去を目指す必要はなかったんだ。  ママも今年限りで今の仕事を辞め、これからは双葉学園で教師を目指すそうだ。つまり、これから私はずっとずっと、ママやパパと一緒だということ。寂しくて辛い日常は、やっとのことで終わりを告げたのだ。 「ん、どうした虹子、そのマーク」 「マタニティマークって言うんだって。駅でもらってきたよっ」 「なるほど、鞄に付けときゃわかるもんな?」  二人が何の話をしているのか、私にはさっぱりわからない。でも、二人の笑顔からして、それは私たちにとって、とってもハッピーなことに違いない。 「ママっ」  ママがパパと話しているところを、私は割り込む。ママはすごく優しい笑顔をして、私のほうを向いてくれた。 「なに、あかりちゃん」 「明日さ、またみんなで公園に来ようよ!」 「公園で何するの、あかりちゃん?」  そう郁美さんが素朴にきいた。 「あのねママ、パパ」  ちょっぴり打ち明けるのは恥ずかしかったが、私には、すぐにでも二人を前にしてやりたいことがある。勇気を振り絞って言った。 「あかり、二人に見せたいものがあるんだ」 &bold(){ 終わり} ---- [[トップに戻る>トップページ]] [[作品保管庫に戻る>投稿作品のまとめ]]
  エピローグのようなもの ~二十五年後~  二十五もの年数の間に、世界中で色々なことが起こった。双葉島でも、私の把握しきれないぐらいの、たくさんの出来事があったことだろう。  それぐらい目もくらみそうなぐらい高いハードルを、私は立った今、ひょいと飛び越えて帰ってきた。  私の本来、生きている時空へと戻ってきたのだ。  目を開けると、そこは研究所。  超科学関係の機材が、理路整然と並べられている。膨大な量の書類も、きちんと片付けられている。それだけ、ここの主が真面目な性格をしているという証拠だろう。  でも、そんなしっかりした彼女も、だらしなく机の上に突っ伏して眠っていた。 「郁美さん」 「……はう?」 「郁美さんったら」 「……はう! あ、あかりちゃん?」  彼女はずり落ちかけていた眼鏡をもとに戻すと、まじまじと私の顔を見る。そしてすぐに涙ぐんでしまった。 「馬鹿ぁ。何で勝手に使っちゃったの?」 「ごめんなさい」  私は申し訳なさそうにうつむいた。  この泣き虫の研究者は中里郁美といい、ママの古くからの友達だ。私も小さい頃からこの研究所に出入りしていて、もしかしたら、ママやパパより一緒にいた時間が長い人物だと思う。 「どうして過去に行ったの?」 「……だって」  郁美さんは「タイムマシンの発明」を異能にしている、超科学者の中でも有名な人物だ。  といっても、この時代でもタイムマシンは未だに開発段階にあり、五十年を超えるタイムトラベルは、私の知る限りでは、まだ実現していない。  今回、私は郁美さんの作った試作品で、二十五年前に旅立った。あの赤いリボンが、実はタイムマシンなのである。 「何もしなかったよね? 正体、バラしてないよね?」  郁美さんは私の両肩を持ち、大変取り乱した様子できいてきた。  心がずきんと痛む。  過去の人間に干渉するのは、良いことではない。もしもあのとき、太陽や虹子に正体をバラしていたら、少なからず今の時空に影響を及ぼしたことだろう。それはつまり「罪」である。 「うん、何もなかったよ?」  本当は虹子も太陽も生命の危機に陥ったのだが、正直に言えなかった。素直に「ごめんなさい」ができないと、パパや郁美さんに何度も叱られてきたのに。 「よかった」  郁美さんはほっとする。  こちこちと、時計の針が進む音が聞こえる。  私は不意に悲しくなってきた。また、あの太陽と虹子に会いたくなってきたのだ。  本当は、虹子と太陽に真実を打ち明けたかった。二人にとって、自分は非常に近しい存在であることを、声を大にして言いたかったのだ。  それをずっと我慢して、ぐっとこらえて、私は二人の前で笑顔を見せていた……。  郁美さんも、申し訳なさそうな表情で、カレンダーを一目見てからこう言う。 「その、やっぱ寂しかったんだよね? 今日はあかりちゃんの」 「お誕生日だもぉん!」  私は怒鳴った。 「みんなみんなあかりに優しくしてくれたのに! おじいちゃんもおばあちゃんも、うさぎおばちゃんも! ……昔のママもパパも!」 「あかりちゃん……」 「どうしてこっちじゃ一人ぼっちなの? もうやだ、こんなの!」  郁美さんは、無言で私をぎゅっと抱きしめる。私はわんわん泣きながら、喚く。 「パパ、ママ、早く帰ってきて……!」  もう我慢の限界だった。  私のママは、いつもお仕事で海外にいる。学生時代、いろんな国でレインボーロードを見せていたとき、多数の外国人と繋がりを持ったらしい。その経験から、今でも国際関係の仕事をしている。だから、あまり日本に帰ってこない。会えない。  私のパパは、とあるプロ野球球団のピッチャーをしている。本拠地が関西なのであまりこっちの自宅に帰ってこない。ストッパー一筋で、デビュー当初は誰も打ち返せないような直球を誇ったが、歳を重ねて衰え、左肩の故障も重なり、ここ数年、抑えきれない試合が多かった。「がっかりクローザー今日もダメ」。今朝のスポーツ紙の見出し。  そんな私の孤独を埋めてくれたのが、郁美さんだった。ママと特別仲のいい彼女が気をよくして引き受けてくれたのが、一人娘である私の面倒見だ。  所詮、私なんてそんな扱いなのだ……。 「こんなことなら、ずっと過去にいればよかった……」 「あかりちゃん」  郁美さんは、少しばかりきつめの声で言う。 「そんなこと言ったらパパとママが悲しむ。二度と言わないで」 「でも、パパもママも私のことなんて」 「ちょっと、表でようか」  郁美さんは優しい微笑みを向けた。 「どこ行くの、郁美さん」 「お散歩だよ」  郁美さんはなかなか、本当の目的を教えてくれない。  ほんのり潮を含んだ風の香りは、昔も今もまったく変わらない。二十五年経った今でも、双葉島はそれほど変化が無いようだ。それなりに進歩したテクノロジーが、随所に反映されているだけで。 「そろそろかな?」  郁美さんは時計を見る。ここは街の中心部だ。時刻は夜九時半、そろそろ華やかで賑やかなひと時も終わろうとするころだ。 「何があるの?」  と、郁美さんに問いかけたそのとき。  私たちを、大型液晶の明かりが照らしたのである。街頭モニターは、「スポーツニュース」という文字を表示していた。 『二点リードの九回、朝倉が登場』 「パパ」と、私は呟いた。二軍暮らしが長かったため、パパは日焼けをしている。 『昨日1アウトも取れずに降板しましたが、今日は三人でピシャリ! 嬉しい今シーズン初セーブを記録し、現役通算百セーブまであと九となりました』 「ふーん、やっと結果が出せたのね、あのがっかりクローザー」  わざとひどいことを言ってやる。素直に喜んでやるのは、なんだか悔しいから。 「まだよ、あかりちゃん。大事なのはこれからよ」 「?」  そういわれてモニターに目を戻すと、ヒーローインタビューの様子が映し出された。どういうわけか、うちのパパがお立ち台に上がったようだ。きっと故障上がりのお情けだろうと、ひねくれたことを思った。 『話は変わりますが朝倉選手、今シーズン終了後、メジャーリーグ挑戦という話が出てますが』  私は目線を落とした。パパは数年前から、しきりに夢を語っていたから。 『自分の中ではね、もう諦めてます』  私は驚愕して、モニターの中の、汗まみれのパパを見る。 『ずっと野球一筋だったけど、今シーズンで引退することにします』  球場に悲鳴が上がる。  当然だろう、デビュー当時は何度も読売巨人に立ちはだかってコテンパンにした、ファンの記憶に残る左腕が。  長年肩の故障に悩まされ、三年間一軍登板の無かった老いぼれリリーフエースが。  よりにもよって、その場で現役引退を表明したのだから。 『家族を大切にしてやりたいなって思ったんです。一人でリハビリしてるとね、東京に置いてきた娘も寂しいんだなって』 「何を言ってるの? どうしちゃったのよ、パパ……!」 「もう、左肩が上がらないんだって」  言葉を失った。  パパは物心ついたときから「左肩が痛い」とこぼしていた。それがなかったら、きっと球界で屈指の剛腕になれたはずだ。  野球のできないパパなんて、パパじゃない。頑固一徹な本人が、一番そう思っていると思う。これからどうするつもりなんだろう。  私は両膝をつき、薄暗いアスファルトの上に涙を落とした。頭のなかがぐちゃぐちゃで、混乱していて、落ち着かない。  でも、パパはとっても爽やかに笑っていた。汗がキラキラ輝いていた。  それを見たら、不思議と気持ちが落ち着いた。 『では、娘さんにぜひ一言お願いします』 『あかり、誕生日おめでとう!』  パパの目いっぱいの笑顔が、大きく映し出された。  怒号のような歓声が球場を揺らす。  ファンによる、応援歌の合唱が響く。  黄色いメガホンが上下する。 「バカ。やっぱりうちのパパはバカだよ……!」  本当は泣きたいぐらい嬉しいのに、罵らずにはいられない。  私の性格はパパに似たのだから、素直になることができないのだ。  それから、私は郁美さんと一緒に運動公園へ向かった。  二十五年前のその人と別れた場所であるのは、偶然だろうか。だから、私は対面を直前にして、すごく緊張していた。  ベンチに腰かけて、待ち合わせの人物を待つ。虹子と一緒にお話しした時のベンチだ。ところどころ欠けて、剥がれ落ちているが、ペンキは綺麗に塗り替えられている。  やがて、私服姿をした、大柄の男が姿を現した。 「あかり、久しぶり!」 「パパ!」  私は大きなパパの体に飛びついた。  試合はテンポよく終了していたらしく、あの後新幹線に乗って帰ってきたそうだ。明日は試合が無いので、つかの間の休息だ。 「わざわざ帰ってこなくてもいいのに。あさって試合でしょ?」  色んな人に自慢したいぐらい、大好きなパパ。 『あかりはパパのお嫁さんだから絶対他の男には渡さない』  ……そう真顔で言ったりする点に目を瞑れば。 「迷惑かけたな、郁美」 「どーせ、いつものことだもん」 「またそうやってむくれる。そういえばまだ独身だっけ? 結婚しないの?」 「『大きなお世話』です」  郁美さんはほっぺたを膨らませた。  私は知っている。郁美さんの初恋の人が、パパだってこと。  パパは今年限りで野球を辞めたあと、おじいちゃんのお店を継ぐことにしたようだ。実はかなり昔から決めていた「男同士のお約束」だったらしい。  つまり、私たちは来年、おじいちゃんの家にみんなで住むことになったのだ。それを聞いたとき、私は飛び上がって喜んだ。 「それじゃあ、これからずっとずっと、パパやおじいちゃんおばあちゃんと一緒なんだね!」 「あかり、一人足りなくないか?」  そう、パパがにやにやしながらきいてきたのである。 「どういうこと?」  私がそうききかえしたときだ。後ろから、誰かが息を切らしつつ、走ってきたのだ。トラベル・ケースを転がす音も続いてくる。 「あかりちゃんっ」  振り向いてその姿を見たとき、私は信じられなかった。  だって、ママは今頃ドイツにいるはずで、どうして……? 「遅かったじゃねえか、虹子」 「乗り換え間違えちゃった、てへ」 「よくそんなんであちこち回れんな」  パパが呆れ顔でそう言う。 「どうしたの、ママ……?」  きっと私一人だけが、呆然としていたことだろう。年に数回会えるかもわからないママが、今日のような、なんでもない日に帰ってきてくれるなんて、夢にも思わない。  ママはきょとんとして小首を傾げてから、「ふふっ」と可愛らしく笑う。 「何でもないじゃないでしょ。今日は――」  あなたのお誕生日でしょ?  私は大泣きをして、スーツ姿のママに抱きついた。「よかったね」と郁美さんが言う。私は幸せすぎて、死んでしまいそうなぐらいだ。  と、ここでパパは背中に隠し持っていた箱を見せた。双葉島でも屈指の名店である、スイーツショップ・タナカのバースデーケーキだ。 「お誕生日おめでと、あかり」 「もう、パパのばかぁ」  私は反省をした。パパもママも、私のことを見捨てていなかったんだ。だから、何も過去を目指す必要はなかったんだ。  ママも今年限りで今の仕事を辞め、これからは双葉学園で教師を目指すそうだ。つまり、これから私はずっとずっと、ママやパパと一緒だということ。寂しくて辛い日常は、やっとのことで終わりを告げたのだ。 「ん、どうした虹子、そのマーク」 「マタニティマークって言うんだって。駅でもらってきたよっ」 「なるほど、鞄に付けときゃわかるもんな?」  二人が何の話をしているのか、私にはさっぱりわからない。でも、二人の笑顔からして、それは私たちにとって、とってもハッピーなことに違いない。 「ママっ」  ママがパパと話しているところを、私は割り込む。ママはすごく優しい笑顔をして、私のほうを向いてくれた。 「なに、あかりちゃん」 「明日さ、またみんなで公園に来ようよ!」 「公園で何するの、あかりちゃん?」  そう郁美さんが素朴にきいた。 「あのねママ、パパ」  ちょっぴり打ち明けるのは恥ずかしかったが、私には、すぐにでも二人を前にしてやりたいことがある。勇気を振り絞って言った。 「あかり、二人に見せたいものがあるんだ」 &bold(){ 終わり} ---- [[トップに戻る>トップページ]] [[作品保管庫に戻る>投稿作品のまとめ]]

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