【Mission XXX Mission Extra-02】

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【Mission XXX Mission Extra-02】 Mission XXX Mission Extra-02 ドタバタ☆マスカレード     午前9時30分 「とりあえず、『男連れ込むなんてやるねえ』とか言ったらいくらナオでも本気で怒るからね」 (ここは『まさか隠し子がいたなんて』とかボケるべき場面なんだろうか…?)  皆槻直は真剣に悩んでいた。  休日の朝、夢うつつの状態を心行くまで楽しむという贅沢を満喫していたところに突如飛び込んできた親友の結城宮子からの電話。  「何も言わずに来て」の一点張りで彼女の寮まで呼び出されてみれば、 (…いや、年齢差的に強引過ぎるか)  興味津々な顔で宮子の部屋をきょろきょろ見回している少年がいた。 「…じゃあ親戚?」  我ながら芸のない、と思いつつ直は問いかける。 「そ、従姉弟なの。…光太!」  呼ばれた少年は慌てて立ち上がりこちらに向かってドタドタと煩い音を立てて走り寄ってきた。 「この人は私の先輩で色々とお世話になってる人なの。ほら、挨拶なさい」 「あ、うん。オレ、結城光太って言います。宮子姉ちゃんの従姉弟で、今年中学に入りました」  少しでも自分を大人に近い存在だとアピールしたいのか、中学生になったことを強調する語りだった。 「よろしくね、光太君。私の名前は皆槻直。この娘の一つ上だけど、むしろ私のほうが彼女には色々助けられているよ」  そんな姿が微笑ましく思えて自然と笑顔が浮かんでくる。 「え?直さんって宮子姉ちゃんと一つしか違わないんですか?てっきり大学生かと思ってました」  「うわー、おっきいなー」と直を見上げる光太少年。その視線は忙しなく直の体の上を彷徨っている。 「こらっ、いきなり馴れ馴れしすぎ」  すぱかーん!と軽快な音と共に光太の頭がはたかれた。 「いきなりひどいよ!」  涙目で宮子をにらむ光太。 「『色々とお世話になってる人』って言ったよね?なにいきなり馴れ馴れしく『直さん』って?馬鹿なの?死ぬの?」 「まあまあ、私は気にしていないから…」  光太が「ひっ!」とすくみ上がるほどの眼力で睨みすえる宮子。慌てて割って入る直。 「…まあそれだったら私はいいけど。光太、お姉ちゃんたちは大人の話があるからちょっと奥行ってなさい」 「大人ってたって三つしか違わないじゃん…わかったよ、行きますよ」  犬でも追っ払うかのような調子の宮子にぶうたれる光太だったが、先程の恐怖の余韻がまだ残っているのか大人しく部屋の中へ消えていく。 「まったくもうあいつったら…ごめんね、ナオ」 「いいじゃない、あの年頃の男の子だったらあのくらい元気な方がいいよ。…でも、どうしてわざわざここに連れてきたのかな」 「それなのよ」  こめかみを指で押さえて大きくため息をつく宮子。 「…あの子、家出してきたの」     午前10時 「直さんって良く見るとその…すごい格好だね」 「何言ってるの?東京じゃ二周ほど回ってこれがブームになりつつあるのよ」 「嘘だっ!?」 (私だって外から来たミヤの親戚と会うって知ってたらもう少し普通に見える服を用意していたよ…)  折悪しく飛び込んできた後ろのひそひそ話にそう心の中でぼやく直。  急ぎで家を出たため、今の直の服装は異能を使った戦闘を前提としたタンクトップとカットオフショートデニムという、四肢の露出が激しい服装である。「暑いからねえ」と言い繕うにもとてもじゃないが繕いきれない。何の説明もしなかった宮子を恨みたい気分だ。  季節は夏。文字通りの雲ひとつない天気。天の太陽と地のアスファルトが両面攻勢で天と地の間にある全ての物を蒸し焼きにしていく。  できうるならば冷房の利いた屋内でずっと過ごしていたい、誰もがそう思う夏めいた一日だった。  そんな中女子寮から追い出される形になった三人は日陰伝いに歩き始める。 (しかしまあ、また変な意味でややこしいことになったなあ) 「家出!?」 「しーっ!寮監には『許可とって島まで来たけどいたずら心で勝手にここまで来た』っていうことにしてるんだから」  家出発言に驚く直を慌てて押しとどめる宮子。直はこくこくと頷き、一つ深呼吸をして話を続ける。 「大体どうやってここまで来たんだい?」 「私のほうが聞きたいわよ…光太に聞いても『普通に来れたよ』と言うだけだし」  この学園都市島は一見してそうと分からぬように隠蔽されているが、複合的なシステムで封鎖されている。  望まぬ人間は入って来れないようになっている…そのはずだったのだ。 「親御さんには?」 「とっくに連絡してるわよ。でも着くの夕方になるんだって」 「じゃあそれまでここにいてもらえばいいんじゃないの?」 「ここ女子寮だからね、粘ってみたけど二時間以内に出て行けだって。ナオの部屋は…ダメね」 「クーラーが無いしねえ」  直はワンルームマンションを借りているが、割と雨風をしのげればいいという思想に近い考えなので冷暖房機器は一切備えられていない。部屋が五階にあって風通しがいいので一人でいる分にはどうにかしのげているが、 「三人というのは流石に考えていなかったよ」 「だから買っとけってあれほど…はあ、後の祭りね」 「困ったね」 「困ったわね」  『ラルヴァ』そして『異能者』。どちらも世間には秘せられている存在である。知るべきでない人間がそれを知った場合、基本的にはそれらに関する記憶は政府に属する機関の手で奪われてしまう。  現在の世界の状況では仕方のないこと、ではある。命や人格にダメージが及ぶ、というわけでもない(何がしかの黒い噂が流れることもあったが)。しかし、それは哀しいことなのだ、と二人はこの間見た昔の映画を通して学んでいた。その映画のラストでは主人公が師でもあり友人でもあった男の記憶を奪い、自分のいる世界とは違う一般人の世界に送り返す。娯楽映画として笑いあいながら見ていたのに、そのシーン一つで妙に身につまされる話としてこの映画は二人の脳内にインプットされたのだ。 「だから、なんだね」  二人がかりで光太をガードし、余計なものを見せないまま無事に外に送り返したい、それが宮子の望みだった。 「そうなの。お願い、ナオ。無茶な頼みだけど…」 「いつもミヤに心配かけてる無茶と比べればどうってことないよ」  そういうことなら惜しみなく力を尽くしてあげたい。偽らざる直の本心だった。  その後タイムリミットが近いということで慌しく準備をして女子寮を出、今に至るというわけだ。 「これからどうする?図書館なんかどうかな?」 「考えが甘いわ。みんな同じこと考えてるわよ」  直の言葉を一言で切り捨てる宮子。図書館は司書たちによって秩序が保たれているが、同時にその一環として来館者数が多い時は入場者数制限を行っていた。つまり人がそれ以上に集まれば図書館の周りは人であふれることになるわけで、 (こんな暑さだ、逆に騒ぎが起きかねない、か)  やはりこういう思考では一歩先を行っているんだな、と改めて実感する直だった。 「じゃあどこに行く?」 「まずどこか喫茶店でも行きましょ」 (私の考えと大してレベルが変わらないような気がするのだけど)  心中で突っ込みを入れる直だったが、それを見透かすかのように宮子は肩をすくめてやれやれと首を振った。 「暑さで私の脳もハングアップしそうなの、正直すぐに良いアイデアなんて思いつかないわ」     午前11時  商店街にはすっかり人影がなく、がらんとしたものだった。 (こんなに暑いのも悪いことばかりじゃないものだね)  人がいなければ異能者に会うことはない。学園都市島のほぼ中央にあるここではラルヴァが出現することもまずない。  屋外ではまともに過ごせないという点を除けば最高の条件だった。 「ごめん、待った?」  コンビニから宮子が出てくる。袋からアイスを取り出して直と光太に渡す。 「今日は機嫌がいいから奢ったげる。ほら、まだまだあるわよ」 「ありがと、宮子姉ちゃん!」  ぱああ、と目を輝かせて礼を言う光太。 『この子一人っ子で、その上年の近い親戚が私しかいなかったの。だから姉のように懐かれてて…』  それなのに双葉学園に来てからは面倒な島外外出許可の問題もあってほとんど会うことができなかった。  だから思い余って宮子に会うために家出したんだ、ということらしい。 「ふふっ、確かに姉弟にしか見えないよね」  必要以上に自分というものを押し出さない落ち着いた感じの宮子と、じっとしていることができないかのように動き回る元気いっぱいな光太。  さほど面立ちが似ているというわけではないが、強い絆は確かに感じ取れた。 「この双葉アイスっておいしいよね!」 「チョコ味もあるわよ」  アイスの助けも合って一時暑さも忘れ歩を進める三人。  だが、好事魔多しとはよく言ったもの、そんな三人の前に熱気を纏わせて対峙する二人の男が立ちふさがった。 (確かあの二人って…)  双子のようにそっくりなこの二人、嘘臭いほどに太い眉にこれみよがしに存在を主張する長い長いもみ上げ、そしていかにも汗臭そうな胴着という実に男臭い格好。体感温度に遠慮なく介入する(この時期には)迷惑極まりない存在である。 「えっと…なに、あれ?」  呆然とした表情で宮子に問いかける光太。 「ん?ここのご当地ヒーローだけど知らなかった?」 「聞いたことないよ」 「ま、知名度低いからねー」  立て板に水を流すような勢いで適当なことを並べ立てる宮子。暑苦しい男たちはそんな三人をちらちらと見やり視線を送っている。 「決闘の邪魔にならないように行けって言いたいんじゃないのかな」  その意図を察し宮子に耳打ちする直。宮子は「さ、行こ」と光太を促し男たちを迂回するように通り過ぎた。 (周りのことを配慮してくれる人で良かった…)  心の中で頭を下げる直と宮子。通り過ぎて少したち、後ろで気配が変わるのを感じる。 「「合体変身!!」」 「え?」  驚いた光太が振り返る。だが、場数を積んだ戦士である直の動きはただの中学生である光太より桁違いに速い。  直は自然な動きで光太の視線を遮る位置に移動した。 「直さん、そこにいたら変身シーン見えないよ!」 「ああ、ごめんごめん」  と場所を空ける直だったが、その時には既に変身は終わっている。  頭に二本の角を生やしたどこかクワガタっぽいイメージを与える男とどこか俊敏そうな印象を与える猫と人間をかけあわせたかのような姿の男。  二人の間の熱気がじりじりと凝縮していくのを直は敏感に感じ取る。 (ちょっとうずうずしてきたかな…でもここは光太君のために我慢しないと)  だが当の光太は実につまらなそうな顔であった。 「…うわ、だっさ」 「こ、この馬鹿光太!」  慌てた宮子が光太をぽかりと殴るが、 (…あ)  熱気は雲散霧消し、二人の男は打ちひしがれた様子で膝をつく。  直と宮子は二人に謝りながらまだなにか言いたげな光太を引きずるようにその場を後にするしかなかった。     午後0時10分 「「「暑い…」」」  三人の呟きがシンクロする。  言葉の槍で一突きされた男たちへの後ろめたい気持ちから急いでその場を後にしたのだが、その結果としてこれまで以上の暑さに捕らわれることになってしまった。 「もうちょっとの我慢よ、光太。もうすぐ店に着くから」 「うん…」  さすがの光太も言葉に張りがなくなってきている。 「ほら、この角を曲がったら…」  その先に見えたのは喫茶店ではなくて人だかりだった。何かの観戦をしているのか喧しいことこの上ない。 「なんでこんな暑い日にこんなに人が群がっているのかな」 「…今すぐ消えてなくなればいいのに」 「え、宮子姉ちゃん?」  どう動くか図りかねて立ちすくむ直たち。前方からヒュッと軽い音が響いた。 「あれ、直さんそれどうしたの?」  直の身の変化に気づいた光太が首を傾げて問いかける。 「ああ、これ?」  と直はその変化――右手に掴んだトレーを手のひらに置き、宮子のビニール袋から最後のアイスを取り出しその上に載せた。 「こういうこと。さあ、召し上がれ。…光太さん」  膝をついて光太に視線を合わせ、茶目っ気たっぷりの瞳で光太にトレーを差し出す直。 「…は、はい」  言われるがままに大人しくアイスをかじりだす光太。直はそんな光太にもう一度笑いかけると立ち上がって人だかりの方へ向かった。  ちょうど彼女が来るのを待っていたかのようなタイミングで人だかりの向こうから女性としての魅力を高らかに主張するかのような大きな胸を具えたウェイトレスが現れた。 「あらあら、これはこれはわざわざありがとうね」 「いや、別に礼を言われるほどのことでもないから」  と直はウェイトレスにトレーを返し、耳元で囁いた。 「ちょっと今事情があって『外』の人を連れているからあまり派手に暴れないでほしいのだけれど…」 「わかったわ、そういう事なら喜んで」  男なら撃墜必至の笑顔で応諾するウェイトレス。だが直はその笑顔に不吉な何かを感じずにはいられなかった。 (誰だか知らないけれど相手の人には同情するよ)  未だ軽い痺れが残っている右腕をさすりながら直は思う。 「この店は満席でいつ空くか分からないのだって。他の店に行こうか」 「分かったわ」 「えー?」  何故か嫌がる光太を引きずりながら直たちはその場を後にした。  やがて喫茶店の方から押し殺した悲鳴のようなものが聞こえてきたが、直と宮子は徹底して聞こえない振りを決め込んだ。     午後0時50分  偶然見つけたその喫茶店は直たちが切望する条件――余計な騒ぎが起きなさそう――を満たしているように思われた。  見るものをほっとさせる木造の屋根と淡いクリーム色の壁。喧しくがなりたてる蝉の声すら店から流れ出る穏やかな空気に合わせてトーンを落としているかのように感じられる。 「宮子姉ちゃん、これってなんて読むの?」 「ディ…マン…ああ、これがあの。ディマンシュって呼ぶのよ、光太」  そんな会話をしながら店内に入ると、ひんやりとした空気が三人を出迎えてくれた。  外で何かあってもできるだけ見えにくい一番奥のボックス席を目指す宮子。彼女たちの他にいる数人の客もここの穏やかな空気を尊重してくれる人のようで直はほっと胸をなでおろした。  席に深く腰かけ、体を休めながら注文の品を待つ三人。と、光太が立ち上がって数歩歩くとそこから宮子を手招きした。 「はいはい」  その行為の意味が分かっているのだろう、余裕の表情で光太のほうへ向かう宮子。二言三言言葉を交わした後、光太は店の奥の方へ消えていった。 「光太君、何かあったの」 「ただのトイレよ、それより」  と宮子はカウンターの方へ行き、マスターやウェイトレスに話しかけた。 「光太のことについて話してきたわ。とりあえずこれで一安心ね」 「ああ、そういうこと」  その後急いで作戦会議を行う二人。良好な環境のおかげで会議ははずみ、ものの数分で基本的な計画が出来上がった。 「でも運よく光太君が席を立ってくれて良かったよね」 「運よく?」  きょとんとした顔で言う宮子。やがて口元を手で押さえ体を震わせて笑い出した。 「??」 「あの子ね、アイスには目がないんだけどお腹が弱いのよ。冷やすと必ずお腹下すんだから」  気前よくアイスをあげていたことを思い出しはっと息をのむ直。 「それじゃ光太君にアイスを買ってあげたのって…」 「でも、助かったって思ったでしょ?」  くすくすと笑う宮子。 (なんというか)  と直は思う。人には様々な面がある。この私だってそうだ。それは理解していたつもりだったのだが。 (ミヤのことを年下の存在、そして一緒に歩む存在としてしか見てなかったのだなあ)  年上(姉あるいは先輩と置き換えてもいい)の立場としての彼女のアクションがとても新鮮に映る。  自分の立場でそれを望むのはそもそも矛盾なのだと分かってはいるのだけれど。 「…やっぱり知りたいよね…」 「ナオ?」 「ああ、いや、うん、なんでもないよ」 「嘘」  直の目をじっと見つめ問い詰める宮子。 「隠し事なんて、ダメだからね」 「お客様、チキンドリアのセットです」  す、と二人の間に入ってきたウェイトレス――ネームプレートには『森村マキナ』とある――が食事の載ったトレーを差し出した。 「それと、従姉弟さんがもうすぐ戻ってこられるみたいですよ」  幾分不満げな表情だった宮子だったが、その言葉を聞くやいなや『姉』の顔に立ち戻る。 (ありがとう、森村マキナさん)  命を宿した西洋人形と例えても違和感がなさそうな儚げな雰囲気の少女に直は感謝の言葉を捧げた。     午後2時20分  事件とか騒動とかとはまるで無縁なディマンシュで時間まで過ごしたいのはやまやまであったが、配慮を強いられる店のスタッフに悪いということで三人は後ろ髪を引かれる思いで店を後にした。  先程立案した計画通りにバス停に向かう三人。だが… 「なんかこっちに来てるよ」 「ああ、あれはここで時々ある自然現象なのよ」 「ええー、でも一瞬人の姿が見えたような…」  埃を撒きたて高速で何かがこちらへ突進している。それが人間…というより異能者であることを直と宮子は良く知っていた。 (排除して) (了解)  それは、現役のJリーガーすら舌を巻くレベルのアイコンタクトだった。  ぼうっ、と直の周りで風が爆ぜる。 「竜巻まで!」  と叫びながら宮子が光太に覆いかぶさるのを確認し、直は接近するそれを見つめる。  別に戦闘行動をとっているわけではないそれの動きは実に単純で読みやすいことこの上ない。  後は覚悟だけだ。  それが直の前を通り過ぎようとする刹那、直は自らの体をそれのすぐ前に投げ出した。    とびだすな はやせはきゅうに とまれない  彼の切り札である『思考加速』を使っている時ならともかく、ルーチンワークにふさわしい緩んだ警戒態勢(そもそもスピードを出しすぎた車ならともかく歩行者がいきなり自分めがけて飛び込んでくるとはいくらなんでも想定外だった)で浮かせた思考能力をアレやコレやの妄想に費やしている状況では停止も回避も不可能だった。  二人はそのまま衝突し絡まりあったままごろごろと転がっていく。  直は少年が怪我をしないように抱き寄せ、大気を惜しみなく放射して壁などにぶつからないように転がる進路を制御した。 「あ、たたた…」  数十m程先でようやく停止した二人。少年の方は予期しない災難に対する準備がなかったためか失神していた。 (う、まだ頭がくらくらする)  とっさの判断とはいえ無茶苦茶な手だった。とはいえ何とかこれで… 「!」  ピンチはまだ終わっていなかった。光太が宮子の体の下から抜け出そうとしていたのだ。 (どうする?)  悩んで瞬時に名案が浮かぶなら誰も苦労はしない。 (ええい、ままよ!)  直は少年を抱きしめたまま立ち上がった。 「逢いたかったよ、ダーリン!」  必死にそれっぽい声を作って呼びかけるが、当然返事はない。 (うう、空しい…) 「ねえ、あの男の人白目剥いてるんだけど…」 「白目剥くほど嬉しいってことわざあるじゃない」 「そんなのあったっけ…?」  首をひねる光太の後ろから宮子は再び視線に言葉をこめる。 (光太が疑ってるわよ!) (そんなのわかってるって!) 「え、今は忙しいからどうしても駄目だって…?寂しいな…」  言いながら少年の背中にのの字を描くが、当然反応はない。 (泣きたくなってきたよ) 「でもそう言うんなら仕方がないよね…せめてそこまで送らせて」  と言い直は少年を光太の死角になる小道に連れ込んだ。 「というか男の人引きずられてない?」 「そういうプレイなのよ」  しれっとした表情で宮子は答えた。  光太から見えないことを確認し、直は少年を座らせた。 (意識がないまま放っておくのも悪いよね)  と少年の頬をはたく直。幸い数発で「うう…」と少年は意識を取り戻した。 「ここは…?」 「申し訳ない。私の不注意で君とぶつかってしまったんだ。どこか痛いところとかはない?」 「大丈夫だぜ、なんせもっと酷い目に何度もあってるからな!」  なぜか自分の受難を自慢げに語る少年だったが、光太のためとはいえ酷いことをしたと思っていた直にとってはまずは一安心の一言だった。 「それよりあんたの方こそ大丈夫なのか?」 「ああ、割と頑丈にできているものでね。君も大丈夫そうだけど一応念のために病院に行っておいた方がいいと思うよ」 「俺の仕事が終わったらな。あんたの方こそちゃんと医者に見てもらえよ!」  そう言い残すと少年は小道の向こうへあっという間に走り去っていった。 「ねえ、直さん。なんか顔真っ青だよ」  戻ってきた直に心配そうに声をかける光太。 「恋する乙女は恋人と離れ離れになるとこうなるものなのよ」 「いやこれ絶対そんなレベルじゃないって!というか手足青あざだらけだし!」  と突っ込む光太をどうにかこうにかなだめすかして直たちは再びバス停へ向けて歩き出した。 「大丈夫?」  直の横に移動してきた宮子が心配そうに囁きかけてきた。 「多分骨折まではしていないと思うけど…ひびの数は数えたくないね」 「本当にごめんね、ナオ」  小さくなって頭を下げる宮子に直は首を振って答える。 「気にしないで。ミヤのためならこのくらいなんでもないよ」 「ありがとう…」  宮子は直に向け手を差し出す。直はん、と頷きその手を握り返す。  〈ペインブースト〉の力、痛みを伴う癒しの力が直を包んでいく。 「どうして宮子姉ちゃんと直さん手をつないでるの?」  後ろを振り向いた光太が問いかける。 「このお姉さんは寂しいと死んじゃう兎みたいな人なの。さっき恋人と別れたばっかりだからこうやってないといけないのよ」 「へー、そうなんだ」 (え、そこは素直に信じるんだ…)     午後3時  適度に冷房が利いたバスに揺られ、直は車内をゆっくりと見渡していた。  午後はどこか一箇所で過ごそうと言うのがディマンシュでの話の出発点だった。  ならばどこにするか。  叔母との待ち合わせ場所である双葉区バスターミナルから直通でいける場所がいい、と宮子は言う。  なんにせよ、広い場所がいい。何かあっても対応しやすいから、と直は言う。  その意見を掛け合わせた結果導き出された結論が南公園だった。  南公園は灯台を有する観光スポットだったが、ある事件で灯台が崩壊してからめっきり人が寄り付かない場所になっていた。  そして今南公園行きのバスに乗っているわけだが。 「ねえ、ミヤ」  直は前の席に座っている宮子の肩を叩いた。  宮子の更に前の席に光太が座っている。その光太の視線は反対側の座席に向いていた。  二列座席に並んで座っている二人の女性。どうやら二人とも双葉学園の生徒らしい。長く伸びた黒髪とグラビアアイドルもかくやと言わんばかりのスタイルの女性はすーすーとすっかり寝入っている。もう一人、その少女の連れっぽい癖っ毛の少女は黒髪の少女にもたれかかられながらうつらうつらと舟をこいでいる。  要するに二人とも眠っていて無防備な状態だ。光太はそんな二人を割と堂々と眺め回していた。 「ちょっとまずいんじゃない?」 「ああ、あれ?」  宮子は少し疲れを滲ませた声色で答えた。 「あの子たちには悪いんだけど、変に外を見られて何か面倒なの見られるよりは女の子の胸をガン見してもらえる方がまだマシかなーって」 「元気出して!後もう数時間の辛抱だから!」  精神的な疲労に苛まれ、明後日の方向をぼんやり眺める宮子を励まし続ける直。  二分後、回復した宮子の鉄拳制裁で光太の狼藉は終わりを告げた。     午後3時50分  南公園には想定どおり人はいなかった。同時に、灯台なき今見るべきものもほとんど無かった。 (まあそこは二人で話でもして間をつなげればいいか)  と考える直の肩が叩かれる。 「ナオ、ちょっとだけ光太と二人にしてくれない?」 「どうしたの?」 「原因をどうにかしなきゃいずれまた同じことがあると思うの」  ただの従姉弟に会いたいというそれだけの理由で家出まではしない、というのはそういう関係に疎い直にも見当はついていた。 「ミヤはいいの、それで?」  その問いに少し困ったような顔をした宮子だったが、 「あの子の気持ちはともかく、私にとってあの子は弟みたいなもの、それ以上じゃないわ」  と言い切った。 「わかった、頑張ってね」  と言い残し直はその場を離れ、気の向くままに歩き出す。 「恋とか、愛とか…」  少し難しい概念だな、と直は考えていた。  仲間や友人を想う気持ちとその先の恋だったり愛だったりという気持ち。その両者の違いや境界線は、直にとってはいまいち掴みかねぬものだった。 (興味が無いと言えば嘘になるんだけれど…)  と、その思考を携帯の音が遮る。 「?どうしたの?」 「今すぐ来て!ラ…大きな動物が!」  ビーストタイプのラルヴァのようだと判断しつつ走り出す直。 (最後の最後で厄介なことに…!)  遊歩道に戻り、軽快に駆け上る。少し開けた所に出ると、宮子と光太、そして、 「熊だーっ!」  熊型ラルヴァの姿を見定め、直は大声でそれを熊だと規定した。 「そ、そうよ。熊だわ!熊だわ!」 「こ、こんな熊いたっけ…?」  瞬時に直の意図を察し合わせる宮子と狼狽する光太。  あくまで似ているから熊型という俗称で呼ばれているだけで、本物の熊とはやはりところどころ姿が異なっているのだ。 (強引過ぎる手だけど、仕方が無いよね)  いずれにせよ、光太の前で異能が使えない以上ここは逃げるより他ない。 「行くよ!光太君」  直は答えも確かめずに光太を小脇に抱え遊歩道を下る。斜め後ろを宮子が追随し、更にその後方から熊型ラルヴァが追いかけてくる。 「ミヤ、風…じゃなかった『警察』に電話して」  風紀委員が武力で治安維持をしている…こんなことを『外』の人間、例えば光太に言っても頭がおかしくなったとしか思われないだろう。 (随分と私もここに馴染んでしまったものだなあ)  直に片腕で抱え上げられながら、光太の中では疑念が急速に膨らんでいった。 (なんで宮子お姉ちゃんや直さんはこんなに落ち着いているんだろう?)  こんな人気のない場所で熊に追いかけられているのに大して怖がる様子も無いというのはおかしすぎる。  おかしいと言えば、三人で外に出てから微妙におかしいことの連続だった。  そして極めつけは二人が熊だと断言したあの動物。 (牛のような角が生えてる熊なんて聞いた事がないよ!) 「ねえ、やっぱりあれ熊じゃないよ宮子姉ちゃん!」 「いや、あれ熊だから」 「…直さん」 「熊だよ」  光太は恐怖を押さえ込んで再び熊?の方に視線を向ける。やっぱり二本の角が生えていた。 (あれは一体何なんだ?)  突然、心の奥底から台座のようなものが浮かび上がってくるような感覚を感じる。 「え、なに、これ」 「どうしたの、光太」  従姉弟の声も心の台座に何かが彫りこまれる感触に塗りつぶされ、届かない。 「…ラ…ル…ヴァ…」  一瞬、直と宮子の足が止まった。 「光太!今何って言ったの!」 「…ラルヴァ」  光太は心の台座に刻み込まれた言葉を再び口にする。 「宮子お姉ちゃんたちが熊って言ったあれが本当は何なのかって考えてたら突然この言葉が浮かび上がってきたんだ。ねえ、ラルヴァって何なの?」  その言葉に目を見合わせる直と宮子。 「間違いない?」 「多分。もし違ったとしてもラルヴァって言葉を知られちゃったらもう同じようなものよ」 「そっ、か」  直と宮子は完全に足を止め、二人して大きなため息をついた。 「ねえ、ラルヴァだか熊だか知らないけど来ちゃうよ!」  全く訳が分からない。そしてなんだか分からない怖い存在が涎を垂らしながら突っ込んでくる。光太の心は困惑と恐怖に塗りつぶされた。 「確かに話の邪魔だね、…ミヤ」 「はーい」  宮子の体が直の腕の中におさまる。 「舌噛むから落ち着くまで喋っちゃダメよ」 「え?」  突如、世界の全てが急激に沈下した。いや、違う。自分たちが空へと急上昇しているのだ。 (えええええええええええっ!!!!)  地面が、あれだけ恐ろしかった化け物が急速に小さくなっていく。  それでも、自分のそばには宮子姉ちゃんと直さんがいる。それだけでどこか安心できるような気がした。 「光太」  宮子が優しい声で光太に呼びかける。 「宮子、姉ちゃん…」 「みんな、教えてあげる。ラルヴァのことも、ラルヴァに関わる世界の話も…」 「でも、その前に」  と直が口を開いた。「見て」という直の視線を追い、光太は下を眺める。 「うわぁ…」  中央に幾十、ひょっとしたら百以上かもしれない数の棟々が連なる建物群がある。その周囲には運動場や点在する建物などがあり、更にその外には内と外を隔てる境界がある。  その更に外には商店街や港、森林などの施設が中央のエリアを飾り立てる宝石のように散らばっている。 「あの中央にある大きなエリア、あれが双葉学園。私たちが通う学校。…そしてもしかしたら光太君もここに通うことができるかもしれない」 「本当ですか!」 「うん。でも、その選択は慎重に考えて?これは君の人生に大きく関わる問題なんだよ」 「行きます!オレ、宮子姉ちゃんと一緒に居れるなら!」     午後4時40分  ラルヴァのこと、異能者のこと、そしてそれらにまつわる世界の問題のこと。  概略だけなのにかなり長くなってしまった話が(その原因の半ばは光太の驚愕のリアクションだったが)ようやく終わりを告げた。 「…まあ今までのはざっくりまとめた話だから。正確なことは学園の職員の人がまた話してくれるわ。…本当にここに来る気があるなら」 「さっきも言ったとおり君は選択しなければいけない。自分の異能の力と共にここで生きるのか、それとも今日の記憶を忘れて元の暮らしに戻るのか」 「本当ならまだ中学に入ったばかりのあんたにこんな選択なんかさせたくなかった。というかまさかあんたが異能に目覚めるなんてね」  選択肢を示しながら、実のところ自分を引き止めたいのだということはまだ子供の光太にも容易に察することができた。  それが不快だとは思わなかった。あの熊のラルヴァとは比べ物にならないほど強いラルヴァがいっぱいいて、学園に通うことになったらそんなのと出会う可能性もあるのだ。普通ならそんな所など関わることすら嫌だ。それでも… 「これだけははっきり言っておくよ。異能者としてラルヴァと戦うということは決して綺麗ごとじゃすまない。先生たちや私たち先輩も頑張ってるけど、それでもここでの生活の中で死んでしまう確率は…まあ正確な統計を取ったわけじゃないけど普通に『外』で生きている中で交通事故で死ぬ確率よりは明らかに高いはずだよ」 「死ななくても大怪我をする可能性もあるわよ。なんだか妙な病気で一生入院になったり…」  と直の言葉を引き取るように宮子が光太を脅しつける。 「ホントにいいの?今なら帰るって言っても私もナオも絶対馬鹿になんかしないから。というかできたらあんたには帰って向こうで平和に過ごしてほしいのよ」  うって変わって真剣な面持ちで言う宮子。だが光太は決然とした表情で首を振った。 「ありがとう、宮子姉ちゃん。それでも、男に二言は無いから。宮子姉ちゃんと一緒に居たいから」 「ねえ、光太。私、あんたのこと…」 「言わないで!」  光太は大声で宮子を抑えこむ。 「分かってた。それでも、宮子姉ちゃんの近くに居たいんだ。オレが近くにいたら…迷惑?」  ぐしゅぐしゅと顔を歪めながら叫ぶように言う光太。 「わかったわよ…あんたがそこまで言うのに『迷惑だ』なんて言えるわけ無いじゃない…」  宮子は涙を滲ませながら光太を抱き寄せ、落ち着くまで頭を撫で続けたのだった。     午後9時  そこからがこれまでにも増して忙しい時間となった。  学園を通じて当局と連絡して光太を保護してもらい、親族兼学生代表として宮子も同行し改めて専門家から光太に詳細な説明が行われた。  一方直はいつものごとく病院直行コースで、その上宮子の分まで事情聴取を受けることに。  何とか一段落つきそのまま帰宅しようとした直だったが宮子に呼び出され合流することに相成った。 「え!学園も承知の上だったって?」 「元々検査で近々異能に覚醒する可能性が高いって出たんだって。それを知らせる直前にああなっちゃって…変に拘束しようとしてそのストレスで異能が暴発してしまったら大変なことになるから、いっそ何かあっても対処しやすい中に入れてやって様子を見ようってことになったってことらしいよ」  今日の私たちの苦労って一体なんだったんだろうね?と肩をすくめて苦笑いを浮かべる宮子。 「でもまあ結果的に悪いことにはならなかったし良かったんじゃないかな」 「相変わらずナオはポジティブねえ」 (ま、ミヤの新しい一面も見れたしね)  と、宮子の呆れ顔を眺めながら直は思う。 「?何か顔についてる?」 「ううん。…光太君のことだけど、結局押し切られちゃったけど良かったの?」 「あの子一度こうと決めたらてこでも動かないとこあるしね、根性はあるほうだからここの生活も何とかなるんじゃない?それにあの子結構スケベだからどっかで可愛い女の子に夢中になってすぐに私のことなんて忘れちゃうわよ」  ほら、ナオのこともいやらしい視線で見てたし、と頬を膨らませて怒る宮子。直はしばらく考えてようやくああ、最初に会ったあの時か、と思い出した。 「…ひょっとして気付いてなかった?…はあ、もうナオは警戒心無さ過ぎ」  ぶっきらぼうに宮子の手が直の前に突き出される。直はゆっくりと宮子の掌に自分の掌を重ねた。 「今日は本当に大変だったね」 「そうよねえ」  一方的に癒しの異能を与えるのでなく、繋いだ手から体温を分かち合いつつ夜道を歩く二人。 「でも、結構楽しかったね」 「うん、まあねえ」 「今日も無事に終わってよかったね」 「うーん、…うん?」  直の、あちこち包帯だらけの肢体をみやる宮子。当の直はというと今にも鼻歌を歌いそうな表情で輝く月を見上げていた。  まあ、いいか。と宮子は思う。たまには計算抜きでポジティブ思考なのも悪くは無い。こんないい夜ならば尚更だ。 「…うん、よかった」 ---- [[トップに戻る>トップページ]] [[作品保管庫に戻る>投稿作品のまとめ]]
【Mission XXX Mission Extra-02】 Mission XXX Mission Extra-02 ドタバタ☆マスカレード     午前9時30分 「とりあえず、『男連れ込むなんてやるねえ』とか言ったらいくらナオでも本気で怒るからね」 (ここは『まさか隠し子がいたなんて』とかボケるべき場面なんだろうか…?)  皆槻直は真剣に悩んでいた。  休日の朝、夢うつつの状態を心行くまで楽しむという贅沢を満喫していたところに突如飛び込んできた親友の結城宮子からの電話。  「何も言わずに来て」の一点張りで彼女の寮まで呼び出されてみれば、 (…いや、年齢差的に強引過ぎるか)  興味津々な顔で宮子の部屋をきょろきょろ見回している少年がいた。 「…じゃあ親戚?」  我ながら芸のない、と思いつつ直は問いかける。 「そ、従姉弟なの。…光太!」  呼ばれた少年は慌てて立ち上がりこちらに向かってドタドタと煩い音を立てて走り寄ってきた。 「この人は私の先輩で色々とお世話になってる人なの。ほら、挨拶なさい」 「あ、うん。オレ、結城光太って言います。宮子姉ちゃんの従姉弟で、今年中学に入りました」  少しでも自分を大人に近い存在だとアピールしたいのか、中学生になったことを強調する語りだった。 「よろしくね、光太君。私の名前は皆槻直。この娘の一つ上だけど、むしろ私のほうが彼女には色々助けられているよ」  そんな姿が微笑ましく思えて自然と笑顔が浮かんでくる。 「え?直さんって宮子姉ちゃんと一つしか違わないんですか?てっきり大学生かと思ってました」  「うわー、おっきいなー」と直を見上げる光太少年。その視線は忙しなく直の体の上を彷徨っている。 「こらっ、いきなり馴れ馴れしすぎ」  すぱかーん!と軽快な音と共に光太の頭がはたかれた。 「いきなりひどいよ!」  涙目で宮子をにらむ光太。 「『色々とお世話になってる人』って言ったよね?なにいきなり馴れ馴れしく『直さん』って?馬鹿なの?死ぬの?」 「まあまあ、私は気にしていないから…」  光太が「ひっ!」とすくみ上がるほどの眼力で睨みすえる宮子。慌てて割って入る直。 「…まあそれだったら私はいいけど。光太、お姉ちゃんたちは大人の話があるからちょっと奥行ってなさい」 「大人ってたって三つしか違わないじゃん…わかったよ、行きますよ」  犬でも追っ払うかのような調子の宮子にぶうたれる光太だったが、先程の恐怖の余韻がまだ残っているのか大人しく部屋の中へ消えていく。 「まったくもうあいつったら…ごめんね、ナオ」 「いいじゃない、あの年頃の男の子だったらあのくらい元気な方がいいよ。…でも、どうしてわざわざここに連れてきたのかな」 「それなのよ」  こめかみを指で押さえて大きくため息をつく宮子。 「…あの子、家出してきたの」     午前10時 「直さんって良く見るとその…すごい格好だね」 「何言ってるの?東京じゃ二周ほど回ってこれがブームになりつつあるのよ」 「嘘だっ!?」 (私だって外から来たミヤの親戚と会うって知ってたらもう少し普通に見える服を用意していたよ…)  折悪しく飛び込んできた後ろのひそひそ話にそう心の中でぼやく直。  急ぎで家を出たため、今の直の服装は異能を使った戦闘を前提としたタンクトップとカットオフショートデニムという、四肢の露出が激しい服装である。「暑いからねえ」と言い繕うにもとてもじゃないが繕いきれない。何の説明もしなかった宮子を恨みたい気分だ。  季節は夏。文字通りの雲ひとつない天気。天の太陽と地のアスファルトが両面攻勢で天と地の間にある全ての物を蒸し焼きにしていく。  できうるならば冷房の利いた屋内でずっと過ごしていたい、誰もがそう思う夏めいた一日だった。  そんな中女子寮から追い出される形になった三人は日陰伝いに歩き始める。 (しかしまあ、また変な意味でややこしいことになったなあ) 「家出!?」 「しーっ!寮監には『許可とって島まで来たけどいたずら心で勝手にここまで来た』っていうことにしてるんだから」  家出発言に驚く直を慌てて押しとどめる宮子。直はこくこくと頷き、一つ深呼吸をして話を続ける。 「大体どうやってここまで来たんだい?」 「私のほうが聞きたいわよ…光太に聞いても『普通に来れたよ』と言うだけだし」  この学園都市島は一見してそうと分からぬように隠蔽されているが、複合的なシステムで封鎖されている。  望まぬ人間は入って来れないようになっている…そのはずだったのだ。 「親御さんには?」 「とっくに連絡してるわよ。でも着くの夕方になるんだって」 「じゃあそれまでここにいてもらえばいいんじゃないの?」 「ここ女子寮だからね、粘ってみたけど二時間以内に出て行けだって。ナオの部屋は…ダメね」 「クーラーが無いしねえ」  直はワンルームマンションを借りているが、割と雨風をしのげればいいという思想に近い考えなので冷暖房機器は一切備えられていない。部屋が五階にあって風通しがいいので一人でいる分にはどうにかしのげているが、 「三人というのは流石に考えていなかったよ」 「だから買っとけってあれほど…はあ、後の祭りね」 「困ったね」 「困ったわね」  『ラルヴァ』そして『異能者』。どちらも世間には秘せられている存在である。知るべきでない人間がそれを知った場合、基本的にはそれらに関する記憶は政府に属する機関の手で奪われてしまう。  現在の世界の状況では仕方のないこと、ではある。命や人格にダメージが及ぶ、というわけでもない(何がしかの黒い噂が流れることもあったが)。しかし、それは哀しいことなのだ、と二人はこの間見た昔の映画を通して学んでいた。その映画のラストでは主人公が師でもあり友人でもあった男の記憶を奪い、自分のいる世界とは違う一般人の世界に送り返す。娯楽映画として笑いあいながら見ていたのに、そのシーン一つで妙に身につまされる話としてこの映画は二人の脳内にインプットされたのだ。 「だから、なんだね」  二人がかりで光太をガードし、余計なものを見せないまま無事に外に送り返したい、それが宮子の望みだった。 「そうなの。お願い、ナオ。無茶な頼みだけど…」 「いつもミヤに心配かけてる無茶と比べればどうってことないよ」  そういうことなら惜しみなく力を尽くしてあげたい。偽らざる直の本心だった。  その後タイムリミットが近いということで慌しく準備をして女子寮を出、今に至るというわけだ。 「これからどうする?図書館なんかどうかな?」 「考えが甘いわ。みんな同じこと考えてるわよ」  直の言葉を一言で切り捨てる宮子。図書館は司書たちによって秩序が保たれているが、同時にその一環として来館者数が多い時は入場者数制限を行っていた。つまり人がそれ以上に集まれば図書館の周りは人であふれることになるわけで、 (こんな暑さだ、逆に騒ぎが起きかねない、か)  やはりこういう思考では一歩先を行っているんだな、と改めて実感する直だった。 「じゃあどこに行く?」 「まずどこか喫茶店でも行きましょ」 (私の考えと大してレベルが変わらないような気がするのだけど)  心中で突っ込みを入れる直だったが、それを見透かすかのように宮子は肩をすくめてやれやれと首を振った。 「暑さで私の脳もハングアップしそうなの、正直すぐに良いアイデアなんて思いつかないわ」     午前11時  商店街にはすっかり人影がなく、がらんとしたものだった。 (こんなに暑いのも悪いことばかりじゃないものだね)  人がいなければ異能者に会うことはない。学園都市島のほぼ中央にあるここではラルヴァが出現することもまずない。  屋外ではまともに過ごせないという点を除けば最高の条件だった。 「ごめん、待った?」  コンビニから宮子が出てくる。袋からアイスを取り出して直と光太に渡す。 「今日は機嫌がいいから奢ったげる。ほら、まだまだあるわよ」 「ありがと、宮子姉ちゃん!」  ぱああ、と目を輝かせて礼を言う光太。 『この子一人っ子で、その上年の近い親戚が私しかいなかったの。だから姉のように懐かれてて…』  それなのに双葉学園に来てからは面倒な島外外出許可の問題もあってほとんど会うことができなかった。  だから思い余って宮子に会うために家出したんだ、ということらしい。 「ふふっ、確かに姉弟にしか見えないよね」  必要以上に自分というものを押し出さない落ち着いた感じの宮子と、じっとしていることができないかのように動き回る元気いっぱいな光太。  さほど面立ちが似ているというわけではないが、強い絆は確かに感じ取れた。 「この双葉アイスっておいしいよね!」 「チョコ味もあるわよ」  アイスの助けも合って一時暑さも忘れ歩を進める三人。  だが、好事魔多しとはよく言ったもの、そんな三人の前に熱気を纏わせて対峙する二人の男が立ちふさがった。 (確かあの二人って…)  双子のようにそっくりなこの二人、嘘臭いほどに太い眉にこれみよがしに存在を主張する長い長いもみ上げ、そしていかにも汗臭そうな胴着という実に男臭い格好。体感温度に遠慮なく介入する(この時期には)迷惑極まりない存在である。 「えっと…なに、あれ?」  呆然とした表情で宮子に問いかける光太。 「ん?ここのご当地ヒーローだけど知らなかった?」 「聞いたことないよ」 「ま、知名度低いからねー」  立て板に水を流すような勢いで適当なことを並べ立てる宮子。暑苦しい男たちはそんな三人をちらちらと見やり視線を送っている。 「決闘の邪魔にならないように行けって言いたいんじゃないのかな」  その意図を察し宮子に耳打ちする直。宮子は「さ、行こ」と光太を促し男たちを迂回するように通り過ぎた。 (周りのことを配慮してくれる人で良かった…)  心の中で頭を下げる直と宮子。通り過ぎて少したち、後ろで気配が変わるのを感じる。 「「合体変身!!」」 「え?」  驚いた光太が振り返る。だが、場数を積んだ戦士である直の動きはただの中学生である光太より桁違いに速い。  直は自然な動きで光太の視線を遮る位置に移動した。 「直さん、そこにいたら変身シーン見えないよ!」 「ああ、ごめんごめん」  と場所を空ける直だったが、その時には既に変身は終わっている。  頭に二本の角を生やしたどこかクワガタっぽいイメージを与える男とどこか俊敏そうな印象を与える猫と人間をかけあわせたかのような姿の男。  二人の間の熱気がじりじりと凝縮していくのを直は敏感に感じ取る。 (ちょっとうずうずしてきたかな…でもここは光太君のために我慢しないと)  だが当の光太は実につまらなそうな顔であった。 「…うわ、だっさ」 「こ、この馬鹿光太!」  慌てた宮子が光太をぽかりと殴るが、 (…あ)  熱気は雲散霧消し、二人の男は打ちひしがれた様子で膝をつく。  直と宮子は二人に謝りながらまだなにか言いたげな光太を引きずるようにその場を後にするしかなかった。     午後0時10分 「「「暑い…」」」  三人の呟きがシンクロする。  言葉の槍で一突きされた男たちへの後ろめたい気持ちから急いでその場を後にしたのだが、その結果としてこれまで以上の暑さに捕らわれることになってしまった。 「もうちょっとの我慢よ、光太。もうすぐ店に着くから」 「うん…」  さすがの光太も言葉に張りがなくなってきている。 「ほら、この角を曲がったら…」  その先に見えたのは喫茶店ではなくて人だかりだった。何かの観戦をしているのか喧しいことこの上ない。 「なんでこんな暑い日にこんなに人が群がっているのかな」 「…今すぐ消えてなくなればいいのに」 「え、宮子姉ちゃん?」  どう動くか図りかねて立ちすくむ直たち。前方からヒュッと軽い音が響いた。 「あれ、直さんそれどうしたの?」  直の身の変化に気づいた光太が首を傾げて問いかける。 「ああ、これ?」  と直はその変化――右手に掴んだトレーを手のひらに置き、宮子のビニール袋から最後のアイスを取り出しその上に載せた。 「こういうこと。さあ、召し上がれ。…光太さん」  膝をついて光太に視線を合わせ、茶目っ気たっぷりの瞳で光太にトレーを差し出す直。 「…は、はい」  言われるがままに大人しくアイスをかじりだす光太。直はそんな光太にもう一度笑いかけると立ち上がって人だかりの方へ向かった。  ちょうど彼女が来るのを待っていたかのようなタイミングで人だかりの向こうから女性としての魅力を高らかに主張するかのような大きな胸を具えたウェイトレスが現れた。 「あらあら、これはこれはわざわざありがとうね」 「いや、別に礼を言われるほどのことでもないから」  と直はウェイトレスにトレーを返し、耳元で囁いた。 「ちょっと今事情があって『外』の人を連れているからあまり派手に暴れないでほしいのだけれど…」 「わかったわ、そういう事なら喜んで」  男なら撃墜必至の笑顔で応諾するウェイトレス。だが直はその笑顔に不吉な何かを感じずにはいられなかった。 (誰だか知らないけれど相手の人には同情するよ)  未だ軽い痺れが残っている右腕をさすりながら直は思う。 「この店は満席でいつ空くか分からないのだって。他の店に行こうか」 「分かったわ」 「えー?」  何故か嫌がる光太を引きずりながら直たちはその場を後にした。  やがて喫茶店の方から押し殺した悲鳴のようなものが聞こえてきたが、直と宮子は徹底して聞こえない振りを決め込んだ。     午後0時50分  偶然見つけたその喫茶店は直たちが切望する条件――余計な騒ぎが起きなさそう――を満たしているように思われた。  見るものをほっとさせる木造の屋根と淡いクリーム色の壁。喧しくがなりたてる蝉の声すら店から流れ出る穏やかな空気に合わせてトーンを落としているかのように感じられる。 「宮子姉ちゃん、これってなんて読むの?」 「ディ…マン…ああ、これがあの。ディマンシュって呼ぶのよ、光太」  そんな会話をしながら店内に入ると、ひんやりとした空気が三人を出迎えてくれた。  外で何かあってもできるだけ見えにくい一番奥のボックス席を目指す宮子。彼女たちの他にいる数人の客もここの穏やかな空気を尊重してくれる人のようで直はほっと胸をなでおろした。  席に深く腰かけ、体を休めながら注文の品を待つ三人。と、光太が立ち上がって数歩歩くとそこから宮子を手招きした。 「はいはい」  その行為の意味が分かっているのだろう、余裕の表情で光太のほうへ向かう宮子。二言三言言葉を交わした後、光太は店の奥の方へ消えていった。 「光太君、何かあったの」 「ただのトイレよ、それより」  と宮子はカウンターの方へ行き、マスターやウェイトレスに話しかけた。 「光太のことについて話してきたわ。とりあえずこれで一安心ね」 「ああ、そういうこと」  その後急いで作戦会議を行う二人。良好な環境のおかげで会議ははずみ、ものの数分で基本的な計画が出来上がった。 「でも運よく光太君が席を立ってくれて良かったよね」 「運よく?」  きょとんとした顔で言う宮子。やがて口元を手で押さえ体を震わせて笑い出した。 「??」 「あの子ね、アイスには目がないんだけどお腹が弱いのよ。冷やすと必ずお腹下すんだから」  気前よくアイスをあげていたことを思い出しはっと息をのむ直。 「それじゃ光太君にアイスを買ってあげたのって…」 「でも、助かったって思ったでしょ?」  くすくすと笑う宮子。 (なんというか)  と直は思う。人には様々な面がある。この私だってそうだ。それは理解していたつもりだったのだが。 (ミヤのことを年下の存在、そして一緒に歩む存在としてしか見てなかったのだなあ)  年上(姉あるいは先輩と置き換えてもいい)の立場としての彼女のアクションがとても新鮮に映る。  自分の立場でそれを望むのはそもそも矛盾なのだと分かってはいるのだけれど。 「…やっぱり知りたいよね…」 「ナオ?」 「ああ、いや、うん、なんでもないよ」 「嘘」  直の目をじっと見つめ問い詰める宮子。 「隠し事なんて、ダメだからね」 「お客様、チキンドリアのセットです」  す、と二人の間に入ってきたウェイトレス――ネームプレートには『森村マキナ』とある――が食事の載ったトレーを差し出した。 「それと、従姉弟さんがもうすぐ戻ってこられるみたいですよ」  幾分不満げな表情だった宮子だったが、その言葉を聞くやいなや『姉』の顔に立ち戻る。 (ありがとう、森村マキナさん)  命を宿した西洋人形と例えても違和感がなさそうな儚げな雰囲気の少女に直は感謝の言葉を捧げた。     午後2時20分  事件とか騒動とかとはまるで無縁なディマンシュで時間まで過ごしたいのはやまやまであったが、配慮を強いられる店のスタッフに悪いということで三人は後ろ髪を引かれる思いで店を後にした。  先程立案した計画通りにバス停に向かう三人。だが… 「なんかこっちに来てるよ」 「ああ、あれはここで時々ある自然現象なのよ」 「ええー、でも一瞬人の姿が見えたような…」  埃を撒きたて高速で何かがこちらへ突進している。それが人間…というより異能者であることを直と宮子は良く知っていた。 (排除して) (了解)  それは、現役のJリーガーすら舌を巻くレベルのアイコンタクトだった。  ぼうっ、と直の周りで風が爆ぜる。 「竜巻まで!」  と叫びながら宮子が光太に覆いかぶさるのを確認し、直は接近するそれを見つめる。  別に戦闘行動をとっているわけではないそれの動きは実に単純で読みやすいことこの上ない。  後は覚悟だけだ。  それが直の前を通り過ぎようとする刹那、直は自らの体をそれのすぐ前に投げ出した。    とびだすな はやせはきゅうに とまれない  彼の切り札である『思考加速』を使っている時ならともかく、ルーチンワークにふさわしい緩んだ警戒態勢(そもそもスピードを出しすぎた車ならともかく歩行者がいきなり自分めがけて飛び込んでくるとはいくらなんでも想定外だった)で浮かせた思考能力をアレやコレやの妄想に費やしている状況では停止も回避も不可能だった。  二人はそのまま衝突し絡まりあったままごろごろと転がっていく。  直は少年が怪我をしないように抱き寄せ、大気を惜しみなく放射して壁などにぶつからないように転がる進路を制御した。 「あ、たたた…」  数十m程先でようやく停止した二人。少年の方は予期しない災難に対する準備がなかったためか失神していた。 (う、まだ頭がくらくらする)  とっさの判断とはいえ無茶苦茶な手だった。とはいえ何とかこれで… 「!」  ピンチはまだ終わっていなかった。光太が宮子の体の下から抜け出そうとしていたのだ。 (どうする?)  悩んで瞬時に名案が浮かぶなら誰も苦労はしない。 (ええい、ままよ!)  直は少年を抱きしめたまま立ち上がった。 「逢いたかったよ、ダーリン!」  必死にそれっぽい声を作って呼びかけるが、当然返事はない。 (うう、空しい…) 「ねえ、あの男の人白目剥いてるんだけど…」 「白目剥くほど嬉しいってことわざあるじゃない」 「そんなのあったっけ…?」  首をひねる光太の後ろから宮子は再び視線に言葉をこめる。 (光太が疑ってるわよ!) (そんなのわかってるって!) 「え、今は忙しいからどうしても駄目だって…?寂しいな…」  言いながら少年の背中にのの字を描くが、当然反応はない。 (泣きたくなってきたよ) 「でもそう言うんなら仕方がないよね…せめてそこまで送らせて」  と言い直は少年を光太の死角になる小道に連れ込んだ。 「というか男の人引きずられてない?」 「そういうプレイなのよ」  しれっとした表情で宮子は答えた。  光太から見えないことを確認し、直は少年を座らせた。 (意識がないまま放っておくのも悪いよね)  と少年の頬をはたく直。幸い数発で「うう…」と少年は意識を取り戻した。 「ここは…?」 「申し訳ない。私の不注意で君とぶつかってしまったんだ。どこか痛いところとかはない?」 「大丈夫だぜ、なんせもっと酷い目に何度もあってるからな!」  なぜか自分の受難を自慢げに語る少年だったが、光太のためとはいえ酷いことをしたと思っていた直にとってはまずは一安心の一言だった。 「それよりあんたの方こそ大丈夫なのか?」 「ああ、割と頑丈にできているものでね。君も大丈夫そうだけど一応念のために病院に行っておいた方がいいと思うよ」 「俺の仕事が終わったらな。あんたの方こそちゃんと医者に見てもらえよ!」  そう言い残すと少年は小道の向こうへあっという間に走り去っていった。 「ねえ、直さん。なんか顔真っ青だよ」  戻ってきた直に心配そうに声をかける光太。 「恋する乙女は恋人と離れ離れになるとこうなるものなのよ」 「いやこれ絶対そんなレベルじゃないって!というか手足青あざだらけだし!」  と突っ込む光太をどうにかこうにかなだめすかして直たちは再びバス停へ向けて歩き出した。 「大丈夫?」  直の横に移動してきた宮子が心配そうに囁きかけてきた。 「多分骨折まではしていないと思うけど…ひびの数は数えたくないね」 「本当にごめんね、ナオ」  小さくなって頭を下げる宮子に直は首を振って答える。 「気にしないで。ミヤのためならこのくらいなんでもないよ」 「ありがとう…」  宮子は直に向け手を差し出す。直はん、と頷きその手を握り返す。  〈ペインブースト〉の力、痛みを伴う癒しの力が直を包んでいく。 「どうして宮子姉ちゃんと直さん手をつないでるの?」  後ろを振り向いた光太が問いかける。 「このお姉さんは寂しいと死んじゃう兎みたいな人なの。さっき恋人と別れたばっかりだからこうやってないといけないのよ」 「へー、そうなんだ」 (え、そこは素直に信じるんだ…)     午後3時  適度に冷房が利いたバスに揺られ、直は車内をゆっくりと見渡していた。  午後はどこか一箇所で過ごそうと言うのがディマンシュでの話の出発点だった。  ならばどこにするか。  叔母との待ち合わせ場所である双葉区バスターミナルから直通でいける場所がいい、と宮子は言う。  なんにせよ、広い場所がいい。何かあっても対応しやすいから、と直は言う。  その意見を掛け合わせた結果導き出された結論が南公園だった。  南公園は灯台を有する観光スポットだったが、ある事件で灯台が崩壊してからめっきり人が寄り付かない場所になっていた。  そして今南公園行きのバスに乗っているわけだが。 「ねえ、ミヤ」  直は前の席に座っている宮子の肩を叩いた。  宮子の更に前の席に光太が座っている。その光太の視線は反対側の座席に向いていた。  二列座席に並んで座っている二人の女性。どうやら二人とも双葉学園の生徒らしい。長く伸びた黒髪とグラビアアイドルもかくやと言わんばかりのスタイルの女性はすーすーとすっかり寝入っている。もう一人、その少女の連れっぽい癖っ毛の少女は黒髪の少女にもたれかかられながらうつらうつらと舟をこいでいる。  要するに二人とも眠っていて無防備な状態だ。光太はそんな二人を割と堂々と眺め回していた。 「ちょっとまずいんじゃない?」 「ああ、あれ?」  宮子は少し疲れを滲ませた声色で答えた。 「あの子たちには悪いんだけど、変に外を見られて何か面倒なの見られるよりは女の子の胸をガン見してもらえる方がまだマシかなーって」 「元気出して!後もう数時間の辛抱だから!」  精神的な疲労に苛まれ、明後日の方向をぼんやり眺める宮子を励まし続ける直。  二分後、回復した宮子の鉄拳制裁で光太の狼藉は終わりを告げた。     午後3時50分  南公園には想定どおり人はいなかった。同時に、灯台なき今見るべきものもほとんど無かった。 (まあそこは二人で話でもして間をつなげればいいか)  と考える直の肩が叩かれる。 「ナオ、ちょっとだけ光太と二人にしてくれない?」 「どうしたの?」 「原因をどうにかしなきゃいずれまた同じことがあると思うの」  ただの従姉弟に会いたいというそれだけの理由で家出まではしない、というのはそういう関係に疎い直にも見当はついていた。 「ミヤはいいの、それで?」  その問いに少し困ったような顔をした宮子だったが、 「あの子の気持ちはともかく、私にとってあの子は弟みたいなもの、それ以上じゃないわ」  と言い切った。 「わかった、頑張ってね」  と言い残し直はその場を離れ、気の向くままに歩き出す。 「恋とか、愛とか…」  少し難しい概念だな、と直は考えていた。  仲間や友人を想う気持ちとその先の恋だったり愛だったりという気持ち。その両者の違いや境界線は、直にとってはいまいち掴みかねぬものだった。 (興味が無いと言えば嘘になるんだけれど…)  と、その思考を携帯の音が遮る。 「?どうしたの?」 「今すぐ来て!ラ…大きな動物が!」  ビーストタイプのラルヴァのようだと判断しつつ走り出す直。 (最後の最後で厄介なことに…!)  遊歩道に戻り、軽快に駆け上る。少し開けた所に出ると、宮子と光太、そして、 「熊だーっ!」  熊型ラルヴァの姿を見定め、直は大声でそれを熊だと規定した。 「そ、そうよ。熊だわ!熊だわ!」 「こ、こんな熊いたっけ…?」  瞬時に直の意図を察し合わせる宮子と狼狽する光太。  あくまで似ているから熊型という俗称で呼ばれているだけで、本物の熊とはやはりところどころ姿が異なっているのだ。 (強引過ぎる手だけど、仕方が無いよね)  いずれにせよ、光太の前で異能が使えない以上ここは逃げるより他ない。 「行くよ!光太君」  直は答えも確かめずに光太を小脇に抱え遊歩道を下る。斜め後ろを宮子が追随し、更にその後方から熊型ラルヴァが追いかけてくる。 「ミヤ、風…じゃなかった『警察』に電話して」  風紀委員が武力で治安維持をしている…こんなことを『外』の人間、例えば光太に言っても頭がおかしくなったとしか思われないだろう。 (随分と私もここに馴染んでしまったものだなあ)  直に片腕で抱え上げられながら、光太の中では疑念が急速に膨らんでいった。 (なんで宮子お姉ちゃんや直さんはこんなに落ち着いているんだろう?)  こんな人気のない場所で熊に追いかけられているのに大して怖がる様子も無いというのはおかしすぎる。  おかしいと言えば、三人で外に出てから微妙におかしいことの連続だった。  そして極めつけは二人が熊だと断言したあの動物。 (牛のような角が生えてる熊なんて聞いた事がないよ!) 「ねえ、やっぱりあれ熊じゃないよ宮子姉ちゃん!」 「いや、あれ熊だから」 「…直さん」 「熊だよ」  光太は恐怖を押さえ込んで再び熊?の方に視線を向ける。やっぱり二本の角が生えていた。 (あれは一体何なんだ?)  突然、心の奥底から台座のようなものが浮かび上がってくるような感覚を感じる。 「え、なに、これ」 「どうしたの、光太」  従姉弟の声も心の台座に何かが彫りこまれる感触に塗りつぶされ、届かない。 「…ラ…ル…ヴァ…」  一瞬、直と宮子の足が止まった。 「光太!今何って言ったの!」 「…ラルヴァ」  光太は心の台座に刻み込まれた言葉を再び口にする。 「宮子お姉ちゃんたちが熊って言ったあれが本当は何なのかって考えてたら突然この言葉が浮かび上がってきたんだ。ねえ、ラルヴァって何なの?」  その言葉に目を見合わせる直と宮子。 「間違いない?」 「多分。もし違ったとしてもラルヴァって言葉を知られちゃったらもう同じようなものよ」 「そっ、か」  直と宮子は完全に足を止め、二人して大きなため息をついた。 「ねえ、ラルヴァだか熊だか知らないけど来ちゃうよ!」  全く訳が分からない。そしてなんだか分からない怖い存在が涎を垂らしながら突っ込んでくる。光太の心は困惑と恐怖に塗りつぶされた。 「確かに話の邪魔だね、…ミヤ」 「はーい」  宮子の体が直の腕の中におさまる。 「舌噛むから落ち着くまで喋っちゃダメよ」 「え?」  突如、世界の全てが急激に沈下した。いや、違う。自分たちが空へと急上昇しているのだ。 (えええええええええええっ!!!!)  地面が、あれだけ恐ろしかった化け物が急速に小さくなっていく。  それでも、自分のそばには宮子姉ちゃんと直さんがいる。それだけでどこか安心できるような気がした。 「光太」  宮子が優しい声で光太に呼びかける。 「宮子、姉ちゃん…」 「みんな、教えてあげる。ラルヴァのことも、ラルヴァに関わる世界の話も…」 「でも、その前に」  と直が口を開いた。「見て」という直の視線を追い、光太は下を眺める。 「うわぁ…」  中央に幾十、ひょっとしたら百以上かもしれない数の棟々が連なる建物群がある。その周囲には運動場や点在する建物などがあり、更にその外には内と外を隔てる境界がある。  その更に外には商店街や港、森林などの施設が中央のエリアを飾り立てる宝石のように散らばっている。 「あの中央にある大きなエリア、あれが双葉学園。私たちが通う学校。…そしてもしかしたら光太君もここに通うことができるかもしれない」 「本当ですか!」 「うん。でも、その選択は慎重に考えて?これは君の人生に大きく関わる問題なんだよ」 「行きます!オレ、宮子姉ちゃんと一緒に居れるなら!」     午後4時40分  ラルヴァのこと、異能者のこと、そしてそれらにまつわる世界の問題のこと。  概略だけなのにかなり長くなってしまった話が(その原因の半ばは光太の驚愕のリアクションだったが)ようやく終わりを告げた。 「…まあ今までのはざっくりまとめた話だから。正確なことは学園の職員の人がまた話してくれるわ。…本当にここに来る気があるなら」 「さっきも言ったとおり君は選択しなければいけない。自分の異能の力と共にここで生きるのか、それとも今日の記憶を忘れて元の暮らしに戻るのか」 「本当ならまだ中学に入ったばかりのあんたにこんな選択なんかさせたくなかった。というかまさかあんたが異能に目覚めるなんてね」  選択肢を示しながら、実のところ自分を引き止めたいのだということはまだ子供の光太にも容易に察することができた。  それが不快だとは思わなかった。あの熊のラルヴァとは比べ物にならないほど強いラルヴァがいっぱいいて、学園に通うことになったらそんなのと出会う可能性もあるのだ。普通ならそんな所など関わることすら嫌だ。それでも… 「これだけははっきり言っておくよ。異能者としてラルヴァと戦うということは決して綺麗ごとじゃすまない。先生たちや私たち先輩も頑張ってるけど、それでもここでの生活の中で死んでしまう確率は…まあ正確な統計を取ったわけじゃないけど普通に『外』で生きている中で交通事故で死ぬ確率よりは明らかに高いはずだよ」 「死ななくても大怪我をする可能性もあるわよ。なんだか妙な病気で一生入院になったり…」  と直の言葉を引き取るように宮子が光太を脅しつける。 「ホントにいいの?今なら帰るって言っても私もナオも絶対馬鹿になんかしないから。というかできたらあんたには帰って向こうで平和に過ごしてほしいのよ」  うって変わって真剣な面持ちで言う宮子。だが光太は決然とした表情で首を振った。 「ありがとう、宮子姉ちゃん。それでも、男に二言は無いから。宮子姉ちゃんと一緒に居たいから」 「ねえ、光太。私、あんたのこと…」 「言わないで!」  光太は大声で宮子を抑えこむ。 「分かってた。それでも、宮子姉ちゃんの近くに居たいんだ。オレが近くにいたら…迷惑?」  ぐしゅぐしゅと顔を歪めながら叫ぶように言う光太。 「わかったわよ…あんたがそこまで言うのに『迷惑だ』なんて言えるわけ無いじゃない…」  宮子は涙を滲ませながら光太を抱き寄せ、落ち着くまで頭を撫で続けたのだった。     午後9時  そこからがこれまでにも増して忙しい時間となった。  学園を通じて当局と連絡して光太を保護してもらい、親族兼学生代表として宮子も同行し改めて専門家から光太に詳細な説明が行われた。  一方直はいつものごとく病院直行コースで、その上宮子の分まで事情聴取を受けることに。  何とか一段落つきそのまま帰宅しようとした直だったが宮子に呼び出され合流することに相成った。 「え!学園も承知の上だったって?」 「元々検査で近々異能に覚醒する可能性が高いって出たんだって。それを知らせる直前にああなっちゃって…変に拘束しようとしてそのストレスで異能が暴発してしまったら大変なことになるから、いっそ何かあっても対処しやすい中に入れてやって様子を見ようってことになったってことらしいよ」  今日の私たちの苦労って一体なんだったんだろうね?と肩をすくめて苦笑いを浮かべる宮子。 「でもまあ結果的に悪いことにはならなかったし良かったんじゃないかな」 「相変わらずナオはポジティブねえ」 (ま、ミヤの新しい一面も見れたしね)  と、宮子の呆れ顔を眺めながら直は思う。 「?何か顔についてる?」 「ううん。…光太君のことだけど、結局押し切られちゃったけど良かったの?」 「あの子一度こうと決めたらてこでも動かないとこあるしね、根性はあるほうだからここの生活も何とかなるんじゃない?それにあの子結構スケベだからどっかで可愛い女の子に夢中になってすぐに私のことなんて忘れちゃうわよ」  ほら、ナオのこともいやらしい視線で見てたし、と頬を膨らませて怒る宮子。直はしばらく考えてようやくああ、最初に会ったあの時か、と思い出した。 「…ひょっとして気付いてなかった?…はあ、もうナオは警戒心無さ過ぎ」  ぶっきらぼうに宮子の手が直の前に突き出される。直はゆっくりと宮子の掌に自分の掌を重ねた。 「今日は本当に大変だったね」 「そうよねえ」  一方的に癒しの異能を与えるのでなく、繋いだ手から体温を分かち合いつつ夜道を歩く二人。 「でも、結構楽しかったね」 「うん、まあねえ」 「今日も無事に終わってよかったね」 「うーん、…うん?」  直の、あちこち包帯だらけの肢体をみやる宮子。当の直はというと今にも鼻歌を歌いそうな表情で輝く月を見上げていた。  まあ、いいか。と宮子は思う。たまには計算抜きでポジティブ思考なのも悪くは無い。こんないい夜ならば尚更だ。 「…うん、よかった」 ---- [[トップに戻る>トップページ]] [[作品保管庫に戻る>投稿作品のまとめ]]

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