【魔女と空 中編】

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【魔女と空】 中編  出発してから一時間あまり。東京湾を出て洋上へ200キロほど沖。五本の帚はそれぞれ魔女と射手を乗せ、双葉区に建つどのビルよりも高く、海面を遥か下に見下ろして空を駆ける。  最初は緊張していたガンナーの面々も、慣れてしまえば快適なフライトであった。  飛行スピートからすれば風の抵抗はとても強いのだろうが、魔女の障壁のおかげでそよ風程度しか感じない。  飛行機やヘリコプターのようなエンジン音もないので会話も楽に出来る。これから向かうのが戦場とは思えないくらいツーリングめいたひとときであった。  四人の魔女達も当初の緊張はほぐれてきたのか、予想以上に安定した飛行を続けている。それぞれ得意な速度域も違うのだが、ダイヤモンド編隊を崩すことなくここまできていた。  お互いに私的な会話をする余裕すら生まれ、ガンナー達とも大分打ち解けて来た様だ。  その様子をやや後方上空から、空太と葉月が見下ろしていた。  なにかと先行しようとする葉月を何度も叱責し、なだめすかし、ようやくこのポジションに収まることができたのである。 「だから護衛が対象を置き去りにするなんておかしいだろ。この位置でいいんだって」 「うるさい男ねえ。分かったって言ってるでしょう? そんなんじゃモテないわよ」 「ほっとけ。どーせモテねぇよ」  痛いところをつかれた。自慢ではないがこれまでモテたことなど一度も無い。  異能に目覚めるまでは飛行機少年として夢に向かって一直線。異性との縁などまるでなかったのだ。  さらに異能に目覚めてからは新たな環境に慣れることに精一杯で、慣れた頃には周囲の異性は戦友としてしか見ることができない状態であった。 「そっちこそ、そんなに口が悪いと美人でもモテねぇぞ」  風になびく髪が空太の鼻をくすぐる。飛ぶ事に意識がいっていたせいで忘れていたが、異性との密着というのはどうにも落ち着かない。照れ隠しにぶっきらぼうな口調になる。 「はあ? 何言ってんのよバカじゃないの」  ささやかな反撃であったがまるで通じていない。口は悪いがとびきりの美少女である。モテないということはありえないだろう。 「好きだの惚れただのは地上にいる連中がやっていればいいのよ」 「ん? なんだ魔女にはそんなルールでもあるのか?」  異能の発動に条件があるケースは多い。誰かを好きになってはいけないなどというルールは聞いたこともないが、魔女ともなればとんでもない条件があってもおかしくはさそうだ。 「別にルールがある訳じゃないわよ。ただ……余計なものを持てばそれだけ飛べなくなるから」 「なんだ」  どうやら葉月の個人的なポリシーのようだ。飛ぶことに並々ならぬこだわりを見せる葉月らしいともいえる。  これだけ自由に空を飛べるのなら、そのようなこだわりを持つのも理解できる。  きっと自分がその立場であれば、いろんなものを投げ捨ててでも空にこだわった筈だと空太は思う。まさしく色々なものを持ち過ぎて飛ぶ事を諦めたのが自分なのだ。 「てっきり柊さんが男女交際禁止とかって言ってるのかと思ったぜ」 「そんなわけないでしょ。魔女にだって彼氏もちはいるわよ。むしろキリエ先輩はそっち方面は積極的に交遊を広めろって言う方ね」 「それは意外だ」  もっと体育会系のガチガチなスパルタコーチの印象があった。いや新兵をしごく鬼軍曹か。 「先輩は何でもできるもの。偏っていると思うように飛べなくなるって。だから友達でも恋人でもいろんなものを背負ってバランスをとりなさいって言うのよ」  不満気な口調だが、そこにはどこか拗ねた響きがある。 「なるほどなぁ。さすがだな」  学園にいる異能者の多くは10代の少年少女だ。その自我はまだ未発達で手にした力に対してあまりにも不安定だ。それ故に思想や人格が特定の方向に偏るようなことは極力避けるよう配慮がなされている。  それでも管理する側からすればある程度の偏りは必要だろう。むしろ純粋に兵士としての教育を施すほうが異能者を安全に管理するには良い筈だ。  しかし異能の発現は能力者の意思や想像力に大きく左右される。絶対的な忠誠心や狂信といったものは異能の発現を妨げることが多いのだ。  だからこそキリエが言うような指導が活きてくるのだろう。しかしそれを実践するのは難しい。無軌道さを戒める手綱を締めながらも、窮屈さを感じさせない教育などというものは本職ですら困難な筈だ。  見た目と違って面倒見がいいのかもしれないと空太は思った。 「先輩は特別だもの」  一人で飛ぶことにこだわり、他者と距離を置こうとしているように見受けられる葉月だが、キリエのことを話題にすると態度が変わる。何がそこまで特別などと言わせるのか。 「随分ほかのやつらと態度が違うんだな」 「……キリエ先輩は私達とはちがう、本物の『魔女』なのよ」  ──魔女。  葉月達のような帚に乗って飛ぶという能力を発現させた異能者ではなく、古来から脈々と継がれて来た血によって成る本物の『魔女』だと言う。  使い魔を連れ、帚に乗って空を飛び、薬を調合し、様々な魔術を駆使する存在。  かつては森に住んでいた彼女らは住処を失いながらも人々の間に入り込むことによって生きながらえて来た。  異能が超能力とすれば魔術は技能といえるだろう。長い時間をかけ研鑽された深い知識と技術から成る魔術は学園の異能者達とはまた違った意味でのスペシャルであった。  学園はおろか、日本という国においても数えるほどの人数しかいない、正真正銘の『魔女』。それが柊キリエの正体である。 「……魔女の宅急便のあれか?」  空太の言葉に笑みが浮かぶ。異能者とはいえ魔女という言葉から想像できるものといえばそんなものだろう。そしてそれは正解であった。 「先輩はキキのお母さんね。町に住み地域に根付いて人々の生活の為に魔術を使う人。それにくらべれば私達なんて使い魔もいない分キキより下だわ」  あの柊キリエも怪しげな鍋をぐつぐつ煮込んだりするのだろうか。  結婚したらまさに奥様は魔女ってやつか。  その思いつきを遠野彼方はキリエ本人を前に口にしたことがあり、「ほう、それは遠回しなプロポーズというわけか?」と壮絶な笑みを向けられたというのは余談である。 「先輩は本当なら私達みたいな紛い物に飛び方を教えているような人じゃないのよ。この前の任務で怪我なんてしていなければ今日だって自分ひとりで済ませるはずよ」 「それじゃあ意味がないだろ」 「とにかくあの人は特別なの。まがりなりにも私達が魔女を名乗るからには、あの人に恥をかかせないようにするのが義務よ」 「本物の魔女か……どんだけ凄いんだ」  頬を染めて語る葉月だが、魔女についてそれほど知っているわけではない空太にはピンとこない。 「そうね、先輩が本気で飛べば音速の壁を超えるわ」 「超音速!? すげぇっ!!」  音速は時速約1200キロメートル。超音速はそれを超えるという意味だ。高速移動能力を持つ異能者でさえそんなことが出来るのはそうはいない。ましてや超音速は空を飛ぶ者にとっても特別な領域である。 「到達時間は? スーパークルーズできるのか?」  突然目の色を変える空太に戸惑う葉月。急に子供みたいにはしゃぎだした理由が分からない。 「魔女ってそこまでいけるのかよ!」 「私達の中でもそこまでいけるのは本当に一部だけどね」  憧れのキリエへの賞賛に誇らしげに答える。 「瀬野はどうなんだ?」 「……」 「柊さんが褒めてたぜ。お前はいつか自分を越えるだろうって」 「……まだやったことない」 「え?」 「止められてるのよ! 危険だからって! 私だって本気出せばそこまでいけるわよ!」 「あ、ああ」  どうやらそれは実行したことがないらしい。  それくらい簡単だ、と言わないところからやはり困難なのだろうとあたりをつける。葉月ひとりでなら今の3倍から4倍のスピードは出せるらしいが、さらにその上となるとジェットエンジンを搭載した航空機の領域だ。 「まあ今回の任務には必要ないだろうしな。そもそも音速で飛んで吹き飛んだりしないのかよ?」 「その分、障壁を強くして飛ぶのよ。先輩はジャンボジェット機と正面からぶつかっても平気だとか言ってたけど……」 「物騒なこと言うな!」  それが話半分だとしてもコルウスの群れ程度なら突っ込むだけで事が済みそうである。 「でも見てみたいな。やっぱ衝撃波はあるんだろうな」 「そりゃあ凄い音がしたわよ。ってか何か性格変わってない? アンタ」 「……しょうがないだろこれでも飛行機好き少年なんだからな」  確かにちょっとはしゃぎ過ぎた。任務中だということを忘れるなと自分をたしなめる。 「ふーん。将来の夢はパイロットってやつ?」 「……そういう訳にもいかないだろ」 「……」  冷めた空太の口調に、思わず葉月も黙る。  異能に目覚めたが故に何かを諦めた者は少なくない。それは穏やかな日常であったり、憧れや夢であったりする。 「ラルヴァが全部いなくなりゃそれもいいんだろうけどさ。ま、だからといってパイロットは簡単になれるものじゃないんだけどな」 「どうせなら飛行能力の異能に目覚めればよかったのにね。もっともアンタみたいなのが魔女なんてご免だけど」  気まずい空気を誤摩化すように互いに軽口を叩く。 「さて、そろそろ予定遭遇空域だが」  端末に表示されている予測範囲は徐々に広がるばかりで、正確さは失われて行く一方である。  このような迎撃任務では索敵こそが最も重要なのだが、偵察班が別件を優先して任務に就いている状態では仕方が無い。原始的な目視による索敵と有視界戦闘を行うしかないのだ。 「こちらレッド。先行して索敵を行う。各機はそのまま進め」 『了解』  楽しいフライトは終わりだ。ここからは戦場である。気を抜けば待ち受けるのは死だ。 「前に出るわ」  葉月の操る帚は、編隊の頭を飛び越して赤い尾を引いて進む。 「こんなに広くてアンタに見つけられるの?」 「一応、異能の応用でレーダーもどきは使えるけどな。どっちかというとドットサイトみたいな使い方の方が得意なんだが。そっちは?」 「魔女の目を舐めないでよね。こっちだって飛んでいる時は普通の視力じゃないんだから!」  その目標たるコルウスの群れは、洋上上空を飛行していた。通常のカラスや海鳥が飛ぶ高度を遥かに越えている。  コルウスは基本的にカラスに近い生態を持つ。群れで行動し、巣を作って繁殖する。  そしてその生活圏は他のラルヴァのものと重なることが多い。特に凶暴で危険なラルヴァである程それは顕著であった。コルウスは他のラルヴァの獲物のおこぼれを狙うスカベンジャーでもあった。  故にコルウスの姿を見ることがあれば、そこは危険なラルヴァの領域の可能性が高い。特に廃墟や古城、怪しげな洋館などがそうだ。  だがそれは同時に狩人が目をつける場所でもある。  コルウスの群れがいる場所には討伐が必要な危険な存在がいる。──コルウスにとっての利用対象のラルヴァは、皮肉にも餌だけではなく厄介な敵を招くことがあった。  この群れもそんな異能者の手によって生息地のラルヴァを討伐され、移動を余儀なくされたものであった。  幸い海を渡ることすら可能な翼を持っているコルウスである。これまで棲み慣れた土地を離れ、遠い異国に新天地を求めて移動することを決め飛び立った。  行き先については本能に従ったとしか言いようが無い。  多くの研究者はラルヴァと魂源力の関係をあげ、地脈や霊脈、パワーラインと呼ばれるものと関連づけをした仮設をいくつもあげるだろうが、当のコルウス達にとってはどうでもよいことだ。  50羽を越える群れは脱落者もなく、ときおり不運な漁船などを襲って腹を満たしては海を渡ってきたのである。  その旅もようやく終わろうとしていた。陸は近い。しかしこれまでの経験から人間の目に入らぬよう狡猾に移動し、夕闇に乗じて眼下の手頃な無人島に降り立とうとしていた。  ──その動きが察知されているとも知らずに。  双葉学園側がコルウスの群れに気付いたのは偶然であった。  通常の警戒範囲を越えた海域である。しかしとある事件から洋上に対しての警戒網が強化されており、対空戦力の多くが動員されていたのである。  まさに作戦活動中のその警戒網にかかってしまったのがコルウス達にとっての不運あった。  脅威度は低く現状の戦力を割くことはないと判断され、まだ育成段階の魔女達にあたらせる事が決定された。  指揮官は柊キリエ。待機療養中とはいえ本物の魔女であり、後進の育成に力を入れている彼女はうってつけだ。  キリエの判断も早かった。以前より計画していた射撃系異能者との組み合わせを実行し、まがりなりにも戦力と呼べるチームを用意することが出来た。あとは成果を上げるのみである。 「無茶はしてくれるなよ」  簡易指揮所のテントの下。ディスプレイに映し出される情報を見ながらキリエは呟いた。 「──!?」  群れからやや先行して飛ぶ警戒役のコルウスの赤い目が、それを捉えた。  遠くにぽつりと浮かぶ点。飛行物体。  この高度を飛行するものは人間が作ったものか、自分達のような存在だ。すなわち敵性体。  戦闘は極力回避する、それがコルウスの習性である。仲間達に警告を発する。上昇か下降してやり過ごすか、脅威度が低ければ群れで襲ってもいい。  その為に意識を一瞬でも逸らしてしまったのが命取りだった。  遥か先に見えたはずのそれは、一瞬にしてすぐ眼前に迫っていた。  ──ドバンッ!!  凶悪な弾丸さながらに直進してきたそれが、回避行動をとる余裕すら与えずコルウスをはじき飛ばし、肉片へと変えて宙へまき散らした。  コルウスを発見したのは葉月の方が先であった。  魔女の異能である『飛行』は単純に見えて、空を飛ぶことに必要な様々な能力が組み合わさったものだ。  空を飛ぶために進化した鳥が人間とはまるで違う身体構造をしているように、魔女が空を飛ぶためには人ならざる能力が必要であり、異能がそれを成していた。  そのうちのひとつが高速度域で物を見る能力である。猛禽類が高空から得物を捉えるように、魔女である葉月の視力は遥か遠くの目標を見つけ出すことが可能であった。  空太が気付いたのは急激な加速があったからだ。後続の魔女達などおかまいなしに最大戦速(フルスロットル)で突っ込んでゆく。  当初の打ち合わせとはまるで違うその行為に、空太は制止を叫ぶがまるでその耳には届いていない。  障壁は加速するにつれ強化され空気を裂き、その速度は一気に400ノットに達した。  空太の目にもコルウスの姿は捉えていたが、一直線に突き進む帚の前面に展開されている障壁のせいで光撃を放つこともできない。  ちくしょうと毒づいて葉月の腰にしがみつき、衝撃に備える。  そして二人乗せた帚は、コルウスと激突した。  葉月を含む五人の魔女達は、異能に目覚めてからまだ日が浅い。  覚醒の仕方はさまざまだ。朝、目覚めてみたらベッドの上を布団と一緒に浮かんでいたとか、階段から落ちかけた際に浮かび上がったなどである。  ただ共通していることは誰もがその飛行能力を制御できていなかったという事だ。ひどい場合はまともに足を地につけることさえ困難であった。  未発達な異能。ふいに飛び上がり制御できずに墜落するか、際限なく上昇しかねない危険な状態。外出することさえ叶わない日々があった。  ほどなくして異能者の育成機関である双葉学園への転入。突然いままでの生活を失い不安や恐怖に震えていた彼女達の前に現れたのが、学園の魔女達である。 『私達が飛び方を教えてあげる』  魔女式航空研究部──通称『魔女研』。航空研究部から派生した部員10名ほどの集団が葉月達五人の面倒を見る事になったという。  彼女達は三角帽子にマントを纏い、漫画やアニメそのままに帚に跨がって光の尾をひきながら空を舞う。五人ともその光景に魅せられた。  選択肢はいくつかあった。異能を封じて一般人として生活することさえも含まれていたが、五人とも魔女になることを選んだ。 「キミ達の教育係の柊キリエだ。言っておくが私の指導は厳しいぞ」  魔女研の副部長であるキリエが指導者と知った時は嬉しかった。魔女の中でも数少ない音速超えが可能な彼女は、五人にとってヒーローのように映ったのだ。  その後の地獄の特訓はあまり思い出したくはない。言葉通りキリエの指導は熾烈を極めた。脱落者が出なかったのは厳しいながらも様々なかたちでフォローしてくれた先輩魔女達のおかげだろう。  そして初めての帚による飛行。  今から思えば飛行というにはおそまつな内容であったが、あの時の高揚は今でもはっきりと憶えている。見習い魔女が五人でようやく空を飛んだ日。  あらためて瀬野葉月という少女にとって『空を飛ぶ』という行為は特別なものになった。  そう、それは他の何ものにも代えられぬ『特別』。葉月は自らを誇りをもって魔女と名乗るようになったのだ。 「──しっかりしろ! 目を覚ませ!」  はっと意識を取り戻す。  轟々と風まいて二人を乗せた帚はきりもみ状態で降下、いや墜落していた。  高速でコルウスに衝突し、相手を粉砕した衝撃は葉月と空太を乗せた帚自身をもはじき飛ばしていた。  鳥がキャノピーや推進機に衝突するバードストライクという事故は航空機を墜落させかねないものだ。いくら障壁があるとはいえ、軽量で高速飛行する魔女にとっては非常に危険なものであった。  意識を失っていたのは一瞬だったらしい。帚から振り落とされなかったのは奇跡に近い。  激しく左に回転(ロール)。  視界いっぱいに迫るキラキラと輝く壁──海面だ。 「くっ」  帚の柄を握る手に力が入る。暴れる帚に魔力を送り、なんとかロールを止める。帚の先端をあげて水平飛行へと移る。水面を跳ねる石ような飛び方をしてからようやく制御を取り戻した。  なんて無様! 『どうやらキミが一番うまく飛べるようだな。その調子で他の四人をフォローしてやれ』  キリエからの言葉。両親や教師などの大人達からの賞賛よりも大切な宝物。葉月は魔女であることに誇りを持つようになった。  もっと速く、もっと高く。目指す高みは遥かに遠く。それでもいつか辿り着いてみせる。それは誓いでもあった。  空は神聖な場所であり、魔女達の領域である。それを穢すコルウスという存在は葉月自身が思っていた以上に嫌悪の対象であったようだ。その姿を発見した瞬間、ただ怒りが心を支配した。  大きくターンしながら周囲を確認。コルウスの群れを探す。空太の声も耳に入らない。  障壁で直接ぶつかるのは無理があると分かった。キリエのような超音速の領域での障壁であればびくともしないのであろうが、今の自分ではそこまで強力な障壁は作れない。  ならば障壁の縁でひっかけてやればいい。まだ他の皆は追いついていない。いまのうちに── 「いい加減にしろ!」 「──っ!?」  左胸に激痛が走った。  空太が葉月の乳房を力任せに鷲掴みにしたのだ。 「なっ!?」  羞恥よりも痛みで身がすくんだ。 「そんなにラルヴァを殺すのが楽しいのかっ!」  振り払って怒りの声を上げる前に浴びせられた言葉にひるむ。むき出しの怒りの感情を向けられることへの恐怖感と、思いもしなかったその内容にショックを受けた。 「な、なに言ってるのよ」 「違うっていうなら言う事をきけ」  抗弁は睨みつけることで封じる。空太にしてみても、葉月が戦闘に楽しみを見いだすような人間ではないことは百も承知だ。衝撃を与えて怒りを冷ましたに過ぎない。  これが地上だったらひっぱたいてやるんだけどな、と冷めた頭で思う。別に下心があって胸を掴んだわけではない。 「……」  葉月としても言いたいことは沢山あった。あいつらは空にいてはいけない存在だし、他の四人よりもうまく飛べる自分がやらなければならない。  ラルヴァを殺すのが楽しいなどという下衆な思考などこれっぽっちもない。そう思うがうまく言葉をまとめられない。  悔しさと怒りで涙がにじんだが、それを悟られるのが嫌で葉月は歯を食いしばって耐えた。  その沈黙からこれ以上の暴走はないとふんで、空太は通信機で仲間達に声をかける。 「こちらレッド。エンゲージって言う間もなかったな。そちらからコルウスの群れは確認できるか?」 『こちらグリーン。見えるけどまだ遠いわね』 「よし、じゃあ予定通りにこちらが囮になる。射程に入ったら後ろから襲いかかれ」  了解とそれぞれから返答。さきほどの予定外のことにはあえて触れるものはいない。場数をふんでいるだけあって落ち着いたものだ。 「聞いてたな? 予定通りに逃げろ。振り切ったりするなよ」 「分かってるわよ!」  かろうじてそう返す。三角帽子で視界が遮られていることを期待して袖口で目元を拭う。 「だいぶ降下しちまったけどちょうどいい。奴らに頭を抑えていると思わせよう」  振り返るとコルウスの群れが迫って来ている。怪我の功名か、墜落しかけたのを見て逃げるより群れで攻撃することを選択したようだ。  怒りの声をあげるコルウス達が赤い目を輝かせて殺到する。翼の端から端までおよそ二メートル。実際に見るとかなり大きい。それが50羽ほどもとなれば視界を埋めるほどだ。 「くらいついたな。さぁ追ってこい。このまま大きく左へターン。合図したら急上昇。いいな?」 「いいけど今度、胸に触ったら振り落とすわよ」 「え? 何だって?」 「もういい、いくわよ!」  強襲は成功した。コルウス達が後方からの接近に気付いた時には既にガンナーの射程内。激しい射撃が浴びせられた。  正面に対する射撃ができないため、群れに対して斜め方向に進み側面を向けて攻撃する様はまるで戦艦の艦砲射撃のようであった。ただし激しい砲音や煙のかわりに周囲を満たすのはまばゆい輝きだ。  絶妙なタイミングで上昇し、その様子を上空から見下ろした空太は通信機で続けて指示を出す。  他の魔女達が葉月ほどの腕前であれば一撃離脱ができるのだが、四人ともそれだけの飛行能力はない。空太がとったやり方は密集して守りを堅めることを優先した戦法であった。  魔女の障壁は横にした卵のような形で周囲に展開される。そのうえで意識を向けた方──主に前面、進行方向が強くなる。ならば傘のようなそれを盾にすることで攻撃をしのげば良い。  コルウスはカラスの亜種ではなくラルヴァである証として、通常ではありえない攻撃をする。羽ばたきからつむじ風を発生させて叩きつけてくるのである。  生身であれば肉を裂かれるであろうが、幸い魔女の障壁で耐えられる程度の強さだ。  それぞれのお尻をくっつけ合わせて四方に障壁を展開し、その隙間からガンナーが射撃をする。上空からのコルウスの攻撃は大地の雷球が盾となって防ぐ。  後は攻撃がきつい方へ障壁が強い魔女を向けさせるなど、パズルを組み替えるように配置を替えてやれば良い。  飛行速度はほとんど出していない。だからこそ編隊を崩さずにいられるのだが、まだ数も多く逆上しているコルウスは逃げ出す様子も無く、追撃する必要がないので好都合だ。  イメージでいえば盾をかざして身を守り、隙あらばチクリチクリと槍を繰り出す騎士のよう。魔女の空中戦というと華麗なものを想像していたがとてもそうは見えない。  だが、見た目を気にする者はいなかった。ここは戦場、観客のいるスポーツとは違うのだ。何よりも身の安全と堅実さが優先される。  翼を撃ち抜かれて墜落していくコルウス。逆の立場になどなりたい者はいない。初陣にもかかわらず着実に戦果をあげてゆく様子を空太は満足げに見やる。 「よしよし。みんな思ったよりやるなぁ」  危惧していたパニックもなく、四人の魔女は予想以上の動きを見せていた。 「……」  賞賛の言葉をもらす空太だが、一方の葉月も戦闘が始まってから内心感嘆の声を上げていた。──その対象は背後の空太である。  魔女の後ろに乗って空を飛んでまだ僅かな時間しか経っていないというのに、それに慣れたどころか他の魔女のそれぞれの個性を把握して指示を出す。  先ほどもコルウスの波状攻撃の動きを事前に察知し、葉月へ撹乱の指示を出したところだ。  高速でコルウスの前を横切り、さらに空太の光撃で打撃を与えて敵の連携を牽制する。あまりにも見事な手際で、魔女達も目の前のことに集中して初めての戦闘に怯える間もないくらいである。  癪ではあるが、葉月の目から見ても空太はベテランのハンターであり指揮官であった。  他のガンナーの面子もそうだ。前に座る魔女達に常に声をかけ、互いにフォローを欠かさない。通信機からは大地の軽口が流れ出しているが、これさえも緊張をほぐすためのものだろうか。  一体どれだけの経験を積めばこうなるのだろう。これまではただ飛行技術を磨いてきたが、戦場に出るということはそれ以上に多くを求められるという事が理解できる。  目の前で繰り広げられる光景が百の言葉よりも葉月を納得させた。  だからこそ先の失態はどうしようもないほどの恥辱であった。逆上して仲間を危険にさらすような事をするなどあまりにもお粗末ではないか。  空では一人で飛んで一人で死ぬ――それが魔女の誇などと、どの口でそんなことを言ったのか。  自分自身のふがいなさに、葉月はコルウスの群れに飛び込みたい衝動にかられるが、先ほど空太に掴まれた胸の痛みがそれを押しとどめる。その痛みと空太の言葉は葉月の心を強く叩いていた。 (これ絶対にアザになってる。どうしてくれるのよ)  そう口を尖らせるが、仕方がないことだとも理解している。これが空の上でなければ殴られていただろう。そうされて当然のことをしたのだ。 「連中そろそろ逃げ出すな。ここからが厄介たぞ。予定通り周囲を旋回して牽制しよう」 「え? ええ」  空太の言葉にあらためて見やれば、コルウスの群れは三分の一ほどに数を減じていた。まとまって襲いかかってくるのであれば迎え撃てばいいのだが、今度は立場が逆となるだろう。  大きく周回しながらコルウスの動きを伺う。確かに一斉に四方へ逃げ出されると厄介なことになる。追撃戦についてもあらかじめ段取りはついているが、これは足の速い葉月の働き次第となるだろう。  カラスといえば古来より魔女の使いとされているが、このコルウスは使いどころか魔女にとっては天敵とも言える危険なラルヴァである。  記録によると災害に見舞われた地方の村ひとつを群れで襲い壊滅させたこともあるという。奴らは抗う術がないとならば人間をも襲うのだ。  戦闘に対する恐怖心や殺すことへの生理的嫌悪感がないといえば嘘になる。しかしそれを上回る義務感が葉月を動かしていた。  ギャアギャアと怒りと威嚇の声をあげているコルウスだが、その動きに乱れが出始めていた。士気が落ちて来ているのだ。 「そろそろね」 「いや、まて」  空太が首を上下左右に目まぐるしく動かしながら警戒する。──何かがおかしい。  長年培って来た闘争本能がそれを察知させたのか。嫌な予感にうなじの辺りがチリチリとする。 『落下注意だって』  彼方の言葉が浮かぶ。やっちゃんの予知は曖昧で分かりにくいが、それに何度も助けられているのは間違いない。  コルウスの叫びが変わった。怒りから驚愕。 「ブレイク! ブレイク! 回避しろ!」 「──!!」  唐突な空太の叫び。ただし魔女達の反応は早かった。それぞれ四方に弾け飛ぶように散る。  『ブレイク』の指示が出た場合には、何はともあれ右にバンクしてその場を離れろと最初の打ち合わせで厳命されていたのだ。  ドオンッと激しい衝撃波と共に巨大な物体が魔女達がいた空間を通過する。巻き込まれたコルウスが何羽か肉片となって散った。 「きゃあ!!」  悲鳴があがる。  風に舞う木の葉のようにくるくると回りながらなんとか体勢を立て直そうと必死な魔女と、帚からふりおとされないようにしがみつくガンナー達。 「みんな!」 「慌てるな! ブルーはグリーンをフォロー! こっちはパープルを助ける! いけるな?」 「もちろんよ!」  そう答えた時にはもう追っていた。斜めになって飛ぶ仲間の帚の下にもぐり込んで障壁で軽く押し上げてやる。 「あ、ありがとう」 「大丈夫ね?」  首をめぐらせて仲間達の安全を確認する。混乱するコルウス達に視界が遮られるが、なんとか全員の姿を捉えることが出来た。 『なんだ今のは!?』 『なに? 飛行機が落ちて来たの!?』 「ちがう! ラルヴァだ!」  空太は襲撃者の姿を見ていた。雲を突き抜け雷のように落ちて来たそれは、海面に激突する前に『翼』を広げ、急降下から機首をあげて水平飛行に入り、大きく羽ばたいて高度をあげていく。それは── 「なんなのあれ!?」  葉月は思わず息をのむ。 「ボギーは飛竜種(ワイバーン)! ボギーは飛竜種(ワイバーン)!」  空太は通信機に向かって叫んだ。 『ボギーは飛竜種(ワイバーン)! ボギーは飛竜種(ワイバーン)!』  通信機から響くその声に指揮所は喧噪に包まれた。  ここにいるのは多少の差はあれラルヴァに詳しい者ばかりだ。飛竜種がどんなものかはすぐに分かる。  ワイバーンとは大型の飛行タイプのラルヴァで、名前の通りの伝承に出てくるそのままの怪物だ。ドラゴンに似た姿をしており高速で飛翔し、種類によっては口から火炎や毒液を吐く。 「うそだろ! なんでそっちに!?」 「偵察班は何やってるのよ!」 「──状況を報告しろ」  テントの中でキリエの声が静かに響く。パニックに陥りかけた指揮所に沈黙がおりた。 『──全員無事。ボギーは雲の上に行った。いまのところ確認できたのは一体だけだ。コルウスどもはまだ残っていたが今ので散った』  空太の冷静な報告に皆胸を撫で下ろす。 『種類はみたところクルエントゥス。元米軍パイロットの叔父貴が空中戦やったって言うんで調べたことがあるから間違いないと思う。全長は9から10メートル。資料よりずっと小さい』  ディスプレイにデータが画像つきで表示される。  典型的な飛竜種の外観。前肢が翼になっているドラゴンといった姿だ。  灰色の身体に赤い斑模様があるのが特徴で、そこから血まみれという意味のクルエントゥスと名付けられた。  背中には垂直尾翼を思わせる大きな背びれがあり、巨大な翼の膂力と脇の下の部分にある襞を震わせて推力を得る。高速高機動で飛行し、過去に何度か戦闘機との空中戦を行った記録があるという。  本来ならばもっと南の方でごく少数が確認されるようなラルヴァであり、日本の領海内で出現するようなものではない。  体長は18メートルほどが標準とされており、おそらく空太達が接触したのは幼体だ。それらはとある条件を満たしていた。 「聞こえるか? そいつは現在防空隊が討伐中のラルヴァのうちの一体に違いない。情報が正しければ他にはいないはずだ。今応援をよこす。撤退しろ」  キリエの合図で防空隊本部へ連絡がとられる。 『……やつはこちらを捉えてます。雲の上で旋回しているのが見えた。レッドはこれより迎撃。他は撤退させる』 「莫迦を言うな! お前達にどうにか出来る相手ではない! 私が行く、いいから撤退しろ!」  空太の意外な回答にパイプ椅子を蹴って立ち上がろうとするキリエ。その肩に手をおいて押しとどめたのは彼方だ。鋭い視線を向けるがひるみもせずに首を振る。 『怪我人が何言ってるんですか! 無茶言わんでください!』 「くっ」  空太の言う通りであった。音速を超えることが可能なキリエではあったが、今は飛ぶことすら出来ない状態だ。 「防空隊は?」 「ダメです。現在三体のクルエントゥスと交戦中。応援はとてもまわせないそうです」  オペレーターが首を振る。 『奴は速い。どのみち逃げきれない。なら後は戦うだけですよ。柊さんの最適の人選ってやつを信じて下さい』 「……すまない。予定外の大物が相手だが頼む」  深く息を吐いてようやく洩らす。 「瀬野」 『はい』 「無理をさせる。だがお前は一人ではない。相方を信じろ」 『……わかりました』  緊張の為か答える声は硬い。 『では、これより迎撃に向かいます』 「ああ、最適の結果を要求する」 『了解』  通信は切れた。再び沈黙が訪れる。 「信じましょう。後はできる事をするしかありませんよ」  彼方が微笑む。その言葉で再び指揮所は動きはじめた。 「そうだな、やれることをやろう。各自関連部署に連絡。動かせるものは何でも動かせ。私の名前を使え、場合によっては三宅島の連中にも動いてもらう」 「本部から健闘を祈る、とのことです」 「ふん、言われなくとも。神那岐観古都に連絡。どうにもきな臭い、この件に便乗して双葉に襲撃をしかける奴がいるかもしれん」 「風紀委員にも連絡します」 「ああ頼む。まったく、どいつもこいつも双葉に興味津々だ。ここに手を出すからには大きな代償を払わせてやらねばな。私が直接手を下せないのが残念だ」  壮絶な笑みを浮かべるキリエ。それを見ないように目をそむけ、こえーと内心で青ざめるスタッフ達。 「……?」  キリエはふっと息をついて、まだ肩に彼方の手が乗っていることに気づく。 「はい?」  緊迫感とは無縁に微笑む彼方。無性に憎らしくなり、キリエはその手を思いきり抓りあげた。 「みんな聞いてたな? 全員ブルーを中心に密集して飛行。三島、そっちの指揮は頼む」  上空の雲を見つめて空太。 『了解。守りに徹して撤収する。心配するな、ハーレムを守るためならはりきっちゃうぜ」  ガンナー役の面々は決断も早くシビアだった。動揺する魔女達をうながして編隊を組む。  切り替えは早い。空太は仲間のことは大地に任せて追撃のルートを組み立てる。 「いいか。こっちから、こう上昇するんだ。奴の後ろをつく」  肩越しに腕を伸ばし葉月に指示を出す。 「ええ」  ちらりと他の魔女達を一瞥。誰もが不安な表情を浮かべている。それを振り払うように空を睨みつける。 「いくわよ」  いつもの口癖を呟き、急発進。  はじかれるように二人を乗せた帚が空を駆け上がる。声をかける間もなく小さな点になってしまった。 「葉月ちゃん……」 「ワイバーンはあっちに任せておけばいい。あの二人が組まされたのはこういう時のためなんだぜ?」  大地は極力明るい声で言う。 「それより警戒をおこたるなよ。コルウスどもだってまだ残ってるんだからな」 「あんなのが来たのにまだいるかな?」 「ワイバーンがこっちに来ないと分かれば来るだろうな。やつらも相当怒ってるだろうし」  勢いにのって攻撃できていた時は良かったが、動揺しての逃げ腰では先ほどのようには戦えないだろう。できれば何事もなく撤退したいところだが、おそらく無理だなと考える大地。 「さぁて、有言実行が俺の取り柄だってのを見せないとな」  大地は更に雷球を周囲に発生させた。  これまでとは段違いの速度で上昇する二人を乗せた帚。  葉月の顔はこころなしか青ざめて、帚の柄を握る手は力が入って白くなっていた。 「あんまり無理するな」 「アンタ言ってたじゃない、必要なら無理も無茶もするって。今がそうなんでしょ。必要なら障壁ぶつけてでも叩き落としてやるわ」 「そうだけどさ、ガチガチに気負ったってダメなんだからな」 「わかってるわよ! でも私がやらなきゃ……」 「いた!」  空太が指差す方向の雲の隙間にクルエントゥスの姿が見えた。 「こっちも雲の上に出るわよ!」 「おう!」  次の瞬間、帚が雲の中に入る。視界が乳白色に染まる。  障壁表面を水蒸気が渦巻いて流れてゆく。  そして── 「抜けた!」  目の前に雲海が広がる。  迫る夕暮れにうっすらと赤く染まり始めたそれは、幻想的でまさしく地上では見る事の出来ない異界であった。 「すげぇ」  一瞬その光景に見とれた。今、あれほど夢見た大空にいる。  しかしそんな感慨も投げ捨てて敵の姿を探す。異能の発現による常人より優れた視力と探知能力はすぐさまクルエントゥスの姿を見つけ出していた。  緩やかに旋回中。先程は偶発的に接触したのではない。明らかに魔女達を狙っての襲撃で、そして奴はまだ続けるつもりだ。  葉月の腰にまわした腕に力を入れてそちらへと促す。葉月も即その動きを察知して帚の先を向けた。  急速に長年組んでいたコンビのように意思の疎通が可能になってきていたが、それを喜ぶような余裕も自覚もなかった。極限状態において二人の意思が重なり合う。  ──奴を仲間のところへ行かせるな!  「エンゲージ!」 「いくわよ!」 続く ---- [[トップに戻る>トップページ]] [[作品保管庫に戻る>投稿作品のまとめ]]
【魔女と空】 中編  出発してから一時間あまり。東京湾を出て洋上へ200キロほど沖。五本の帚はそれぞれ魔女と射手を乗せ、双葉区に建つどのビルよりも高く、海面を遥か下に見下ろして空を駆ける。  最初は緊張していたガンナーの面々も、慣れてしまえば快適なフライトであった。  飛行スピートからすれば風の抵抗はとても強いのだろうが、魔女の障壁のおかげでそよ風程度しか感じない。  飛行機やヘリコプターのようなエンジン音もないので会話も楽に出来る。これから向かうのが戦場とは思えないくらいツーリングめいたひとときであった。  四人の魔女達も当初の緊張はほぐれてきたのか、予想以上に安定した飛行を続けている。それぞれ得意な速度域も違うのだが、ダイヤモンド編隊を崩すことなくここまできていた。  お互いに私的な会話をする余裕すら生まれ、ガンナー達とも大分打ち解けて来た様だ。  その様子をやや後方上空から、空太と葉月が見下ろしていた。  なにかと先行しようとする葉月を何度も叱責し、なだめすかし、ようやくこのポジションに収まることができたのである。 「だから護衛が対象を置き去りにするなんておかしいだろ。この位置でいいんだって」 「うるさい男ねえ。分かったって言ってるでしょう? そんなんじゃモテないわよ」 「ほっとけ。どーせモテねぇよ」  痛いところをつかれた。自慢ではないがこれまでモテたことなど一度も無い。  異能に目覚めるまでは飛行機少年として夢に向かって一直線。異性との縁などまるでなかったのだ。  さらに異能に目覚めてからは新たな環境に慣れることに精一杯で、慣れた頃には周囲の異性は戦友としてしか見ることができない状態であった。 「そっちこそ、そんなに口が悪いと美人でもモテねぇぞ」  風になびく髪が空太の鼻をくすぐる。飛ぶ事に意識がいっていたせいで忘れていたが、異性との密着というのはどうにも落ち着かない。照れ隠しにぶっきらぼうな口調になる。 「はあ? 何言ってんのよバカじゃないの」  ささやかな反撃であったがまるで通じていない。口は悪いがとびきりの美少女である。モテないということはありえないだろう。 「好きだの惚れただのは地上にいる連中がやっていればいいのよ」 「ん? なんだ魔女にはそんなルールでもあるのか?」  異能の発動に条件があるケースは多い。誰かを好きになってはいけないなどというルールは聞いたこともないが、魔女ともなればとんでもない条件があってもおかしくはさそうだ。 「別にルールがある訳じゃないわよ。ただ……余計なものを持てばそれだけ飛べなくなるから」 「なんだ」  どうやら葉月の個人的なポリシーのようだ。飛ぶことに並々ならぬこだわりを見せる葉月らしいともいえる。  これだけ自由に空を飛べるのなら、そのようなこだわりを持つのも理解できる。  きっと自分がその立場であれば、いろんなものを投げ捨ててでも空にこだわった筈だと空太は思う。まさしく色々なものを持ち過ぎて飛ぶ事を諦めたのが自分なのだ。 「てっきり柊さんが男女交際禁止とかって言ってるのかと思ったぜ」 「そんなわけないでしょ。魔女にだって彼氏もちはいるわよ。むしろキリエ先輩はそっち方面は積極的に交遊を広めろって言う方ね」 「それは意外だ」  もっと体育会系のガチガチなスパルタコーチの印象があった。いや新兵をしごく鬼軍曹か。 「先輩は何でもできるもの。偏っていると思うように飛べなくなるって。だから友達でも恋人でもいろんなものを背負ってバランスをとりなさいって言うのよ」  不満気な口調だが、そこにはどこか拗ねた響きがある。 「なるほどなぁ。さすがだな」  学園にいる異能者の多くは10代の少年少女だ。その自我はまだ未発達で手にした力に対してあまりにも不安定だ。それ故に思想や人格が特定の方向に偏るようなことは極力避けるよう配慮がなされている。  それでも管理する側からすればある程度の偏りは必要だろう。むしろ純粋に兵士としての教育を施すほうが異能者を安全に管理するには良い筈だ。  しかし異能の発現は能力者の意思や想像力に大きく左右される。絶対的な忠誠心や狂信といったものは異能の発現を妨げることが多いのだ。  だからこそキリエが言うような指導が活きてくるのだろう。しかしそれを実践するのは難しい。無軌道さを戒める手綱を締めながらも、窮屈さを感じさせない教育などというものは本職ですら困難な筈だ。  見た目と違って面倒見がいいのかもしれないと空太は思った。 「先輩は特別だもの」  一人で飛ぶことにこだわり、他者と距離を置こうとしているように見受けられる葉月だが、キリエのことを話題にすると態度が変わる。何がそこまで特別などと言わせるのか。 「随分ほかのやつらと態度が違うんだな」 「……キリエ先輩は私達とはちがう、本物の『魔女』なのよ」  ──魔女。  葉月達のような帚に乗って飛ぶという能力を発現させた異能者ではなく、古来から脈々と継がれて来た血によって成る本物の『魔女』だと言う。  使い魔を連れ、帚に乗って空を飛び、薬を調合し、様々な魔術を駆使する存在。  かつては森に住んでいた彼女らは住処を失いながらも人々の間に入り込むことによって生きながらえて来た。  異能が超能力とすれば魔術は技能といえるだろう。長い時間をかけ研鑽された深い知識と技術から成る魔術は学園の異能者達とはまた違った意味でのスペシャルであった。  学園はおろか、日本という国においても数えるほどの人数しかいない、正真正銘の『魔女』。それが柊キリエの正体である。 「……魔女の宅急便のあれか?」  空太の言葉に笑みが浮かぶ。異能者とはいえ魔女という言葉から想像できるものといえばそんなものだろう。そしてそれは正解であった。 「先輩はキキのお母さんね。町に住み地域に根付いて人々の生活の為に魔術を使う人。それにくらべれば私達なんて使い魔もいない分キキより下だわ」  あの柊キリエも怪しげな鍋をぐつぐつ煮込んだりするのだろうか。  結婚したらまさに奥様は魔女ってやつか。  その思いつきを遠野彼方はキリエ本人を前に口にしたことがあり、「ほう、それは遠回しなプロポーズというわけか?」と壮絶な笑みを向けられたというのは余談である。 「先輩は本当なら私達みたいな紛い物に飛び方を教えているような人じゃないのよ。この前の任務で怪我なんてしていなければ今日だって自分ひとりで済ませるはずよ」 「それじゃあ意味がないだろ」 「とにかくあの人は特別なの。まがりなりにも私達が魔女を名乗るからには、あの人に恥をかかせないようにするのが義務よ」 「本物の魔女か……どんだけ凄いんだ」  頬を染めて語る葉月だが、魔女についてそれほど知っているわけではない空太にはピンとこない。 「そうね、先輩が本気で飛べば音速の壁を超えるわ」 「超音速!? すげぇっ!!」  音速は時速約1200キロメートル。超音速はそれを超えるという意味だ。高速移動能力を持つ異能者でさえそんなことが出来るのはそうはいない。ましてや超音速は空を飛ぶ者にとっても特別な領域である。 「到達時間は? スーパークルーズできるのか?」  突然目の色を変える空太に戸惑う葉月。急に子供みたいにはしゃぎだした理由が分からない。 「魔女ってそこまでいけるのかよ!」 「私達の中でもそこまでいけるのは本当に一部だけどね」  憧れのキリエへの賞賛に誇らしげに答える。 「瀬野はどうなんだ?」 「……」 「柊さんが褒めてたぜ。お前はいつか自分を越えるだろうって」 「……まだやったことない」 「え?」 「止められてるのよ! 危険だからって! 私だって本気出せばそこまでいけるわよ!」 「あ、ああ」  どうやらそれは実行したことがないらしい。  それくらい簡単だ、と言わないところからやはり困難なのだろうとあたりをつける。葉月ひとりでなら今の3倍から4倍のスピードは出せるらしいが、さらにその上となるとジェットエンジンを搭載した航空機の領域だ。 「まあ今回の任務には必要ないだろうしな。そもそも音速で飛んで吹き飛んだりしないのかよ?」 「その分、障壁を強くして飛ぶのよ。先輩はジャンボジェット機と正面からぶつかっても平気だとか言ってたけど……」 「物騒なこと言うな!」  それが話半分だとしてもコルウスの群れ程度なら突っ込むだけで事が済みそうである。 「でも見てみたいな。やっぱ衝撃波はあるんだろうな」 「そりゃあ凄い音がしたわよ。ってか何か性格変わってない? アンタ」 「……しょうがないだろこれでも飛行機好き少年なんだからな」  確かにちょっとはしゃぎ過ぎた。任務中だということを忘れるなと自分をたしなめる。 「ふーん。将来の夢はパイロットってやつ?」 「……そういう訳にもいかないだろ」 「……」  冷めた空太の口調に、思わず葉月も黙る。  異能に目覚めたが故に何かを諦めた者は少なくない。それは穏やかな日常であったり、憧れや夢であったりする。 「ラルヴァが全部いなくなりゃそれもいいんだろうけどさ。ま、だからといってパイロットは簡単になれるものじゃないんだけどな」 「どうせなら飛行能力の異能に目覚めればよかったのにね。もっともアンタみたいなのが魔女なんてご免だけど」  気まずい空気を誤摩化すように互いに軽口を叩く。 「さて、そろそろ予定遭遇空域だが」  端末に表示されている予測範囲は徐々に広がるばかりで、正確さは失われて行く一方である。  このような迎撃任務では索敵こそが最も重要なのだが、偵察班が別件を優先して任務に就いている状態では仕方が無い。原始的な目視による索敵と有視界戦闘を行うしかないのだ。 「こちらレッド。先行して索敵を行う。各機はそのまま進め」 『了解』  楽しいフライトは終わりだ。ここからは戦場である。気を抜けば待ち受けるのは死だ。 「前に出るわ」  葉月の操る帚は、編隊の頭を飛び越して赤い尾を引いて進む。 「こんなに広くてアンタに見つけられるの?」 「一応、異能の応用でレーダーもどきは使えるけどな。どっちかというとドットサイトみたいな使い方の方が得意なんだが。そっちは?」 「魔女の目を舐めないでよね。こっちだって飛んでいる時は普通の視力じゃないんだから!」  その目標たるコルウスの群れは、洋上上空を飛行していた。通常のカラスや海鳥が飛ぶ高度を遥かに越えている。  コルウスは基本的にカラスに近い生態を持つ。群れで行動し、巣を作って繁殖する。  そしてその生活圏は他のラルヴァのものと重なることが多い。特に凶暴で危険なラルヴァである程それは顕著であった。コルウスは他のラルヴァの獲物のおこぼれを狙うスカベンジャーでもあった。  故にコルウスの姿を見ることがあれば、そこは危険なラルヴァの領域の可能性が高い。特に廃墟や古城、怪しげな洋館などがそうだ。  だがそれは同時に狩人が目をつける場所でもある。  コルウスの群れがいる場所には討伐が必要な危険な存在がいる。──コルウスにとっての利用対象のラルヴァは、皮肉にも餌だけではなく厄介な敵を招くことがあった。  この群れもそんな異能者の手によって生息地のラルヴァを討伐され、移動を余儀なくされたものであった。  幸い海を渡ることすら可能な翼を持っているコルウスである。これまで棲み慣れた土地を離れ、遠い異国に新天地を求めて移動することを決め飛び立った。  行き先については本能に従ったとしか言いようが無い。  多くの研究者はラルヴァと魂源力の関係をあげ、地脈や霊脈、パワーラインと呼ばれるものと関連づけをした仮設をいくつもあげるだろうが、当のコルウス達にとってはどうでもよいことだ。  50羽を越える群れは脱落者もなく、ときおり不運な漁船などを襲って腹を満たしては海を渡ってきたのである。  その旅もようやく終わろうとしていた。陸は近い。しかしこれまでの経験から人間の目に入らぬよう狡猾に移動し、夕闇に乗じて眼下の手頃な無人島に降り立とうとしていた。  ──その動きが察知されているとも知らずに。  双葉学園側がコルウスの群れに気付いたのは偶然であった。  通常の警戒範囲を越えた海域である。しかしとある事件から洋上に対しての警戒網が強化されており、対空戦力の多くが動員されていたのである。  まさに作戦活動中のその警戒網にかかってしまったのがコルウス達にとっての不運あった。  脅威度は低く現状の戦力を割くことはないと判断され、まだ育成段階の魔女達にあたらせる事が決定された。  指揮官は柊キリエ。待機療養中とはいえ本物の魔女であり、後進の育成に力を入れている彼女はうってつけだ。  キリエの判断も早かった。以前より計画していた射撃系異能者との組み合わせを実行し、まがりなりにも戦力と呼べるチームを用意することが出来た。あとは成果を上げるのみである。 「無茶はしてくれるなよ」  簡易指揮所のテントの下。ディスプレイに映し出される情報を見ながらキリエは呟いた。 「──!?」  群れからやや先行して飛ぶ警戒役のコルウスの赤い目が、それを捉えた。  遠くにぽつりと浮かぶ点。飛行物体。  この高度を飛行するものは人間が作ったものか、自分達のような存在だ。すなわち敵性体。  戦闘は極力回避する、それがコルウスの習性である。仲間達に警告を発する。上昇か下降してやり過ごすか、脅威度が低ければ群れで襲ってもいい。  その為に意識を一瞬でも逸らしてしまったのが命取りだった。  遥か先に見えたはずのそれは、一瞬にしてすぐ眼前に迫っていた。  ──ドバンッ!!  凶悪な弾丸さながらに直進してきたそれが、回避行動をとる余裕すら与えずコルウスをはじき飛ばし、肉片へと変えて宙へまき散らした。  コルウスを発見したのは葉月の方が先であった。  魔女の異能である『飛行』は単純に見えて、空を飛ぶことに必要な様々な能力が組み合わさったものだ。  空を飛ぶために進化した鳥が人間とはまるで違う身体構造をしているように、魔女が空を飛ぶためには人ならざる能力が必要であり、異能がそれを成していた。  そのうちのひとつが高速度域で物を見る能力である。猛禽類が高空から得物を捉えるように、魔女である葉月の視力は遥か遠くの目標を見つけ出すことが可能であった。  空太が気付いたのは急激な加速があったからだ。後続の魔女達などおかまいなしに最大戦速(フルスロットル)で突っ込んでゆく。  当初の打ち合わせとはまるで違うその行為に、空太は制止を叫ぶがまるでその耳には届いていない。  障壁は加速するにつれ強化され空気を裂き、その速度は一気に400ノットに達した。  空太の目にもコルウスの姿は捉えていたが、一直線に突き進む帚の前面に展開されている障壁のせいで光撃を放つこともできない。  ちくしょうと毒づいて葉月の腰にしがみつき、衝撃に備える。  そして二人乗せた帚は、コルウスと激突した。  葉月を含む五人の魔女達は、異能に目覚めてからまだ日が浅い。  覚醒の仕方はさまざまだ。朝、目覚めてみたらベッドの上を布団と一緒に浮かんでいたとか、階段から落ちかけた際に浮かび上がったなどである。  ただ共通していることは誰もがその飛行能力を制御できていなかったという事だ。ひどい場合はまともに足を地につけることさえ困難であった。  未発達な異能。ふいに飛び上がり制御できずに墜落するか、際限なく上昇しかねない危険な状態。外出することさえ叶わない日々があった。  ほどなくして異能者の育成機関である双葉学園への転入。突然いままでの生活を失い不安や恐怖に震えていた彼女達の前に現れたのが、学園の魔女達である。 『私達が飛び方を教えてあげる』  魔女式航空研究部──通称『魔女研』。航空研究部から派生した部員10名ほどの集団が葉月達五人の面倒を見る事になったという。  彼女達は三角帽子にマントを纏い、漫画やアニメそのままに帚に跨がって光の尾をひきながら空を舞う。五人ともその光景に魅せられた。  選択肢はいくつかあった。異能を封じて一般人として生活することさえも含まれていたが、五人とも魔女になることを選んだ。 「キミ達の教育係の柊キリエだ。言っておくが私の指導は厳しいぞ」  魔女研の副部長であるキリエが指導者と知った時は嬉しかった。魔女の中でも数少ない音速超えが可能な彼女は、五人にとってヒーローのように映ったのだ。  その後の地獄の特訓はあまり思い出したくはない。言葉通りキリエの指導は熾烈を極めた。脱落者が出なかったのは厳しいながらも様々なかたちでフォローしてくれた先輩魔女達のおかげだろう。  そして初めての帚による飛行。  今から思えば飛行というにはおそまつな内容であったが、あの時の高揚は今でもはっきりと憶えている。見習い魔女が五人でようやく空を飛んだ日。  あらためて瀬野葉月という少女にとって『空を飛ぶ』という行為は特別なものになった。  そう、それは他の何ものにも代えられぬ『特別』。葉月は自らを誇りをもって魔女と名乗るようになったのだ。 「──しっかりしろ! 目を覚ませ!」  はっと意識を取り戻す。  轟々と風まいて二人を乗せた帚はきりもみ状態で降下、いや墜落していた。  高速でコルウスに衝突し、相手を粉砕した衝撃は葉月と空太を乗せた帚自身をもはじき飛ばしていた。  鳥がキャノピーや推進機に衝突するバードストライクという事故は航空機を墜落させかねないものだ。いくら障壁があるとはいえ、軽量で高速飛行する魔女にとっては非常に危険なものであった。  意識を失っていたのは一瞬だったらしい。帚から振り落とされなかったのは奇跡に近い。  激しく左に回転(ロール)。  視界いっぱいに迫るキラキラと輝く壁──海面だ。 「くっ」  帚の柄を握る手に力が入る。暴れる帚に魔力を送り、なんとかロールを止める。帚の先端をあげて水平飛行へと移る。水面を跳ねる石ような飛び方をしてからようやく制御を取り戻した。  なんて無様! 『どうやらキミが一番うまく飛べるようだな。その調子で他の四人をフォローしてやれ』  キリエからの言葉。両親や教師などの大人達からの賞賛よりも大切な宝物。葉月は魔女であることに誇りを持つようになった。  もっと速く、もっと高く。目指す高みは遥かに遠く。それでもいつか辿り着いてみせる。それは誓いでもあった。  空は神聖な場所であり、魔女達の領域である。それを穢すコルウスという存在は葉月自身が思っていた以上に嫌悪の対象であったようだ。その姿を発見した瞬間、ただ怒りが心を支配した。  大きくターンしながら周囲を確認。コルウスの群れを探す。空太の声も耳に入らない。  障壁で直接ぶつかるのは無理があると分かった。キリエのような超音速の領域での障壁であればびくともしないのであろうが、今の自分ではそこまで強力な障壁は作れない。  ならば障壁の縁でひっかけてやればいい。まだ他の皆は追いついていない。いまのうちに── 「いい加減にしろ!」 「──っ!?」  左胸に激痛が走った。  空太が葉月の乳房を力任せに鷲掴みにしたのだ。 「なっ!?」  羞恥よりも痛みで身がすくんだ。 「そんなにラルヴァを殺すのが楽しいのかっ!」  振り払って怒りの声を上げる前に浴びせられた言葉にひるむ。むき出しの怒りの感情を向けられることへの恐怖感と、思いもしなかったその内容にショックを受けた。 「な、なに言ってるのよ」 「違うっていうなら言う事をきけ」  抗弁は睨みつけることで封じる。空太にしてみても、葉月が戦闘に楽しみを見いだすような人間ではないことは百も承知だ。衝撃を与えて怒りを冷ましたに過ぎない。  これが地上だったらひっぱたいてやるんだけどな、と冷めた頭で思う。別に下心があって胸を掴んだわけではない。 「……」  葉月としても言いたいことは沢山あった。あいつらは空にいてはいけない存在だし、他の四人よりもうまく飛べる自分がやらなければならない。  ラルヴァを殺すのが楽しいなどという下衆な思考などこれっぽっちもない。そう思うがうまく言葉をまとめられない。  悔しさと怒りで涙がにじんだが、それを悟られるのが嫌で葉月は歯を食いしばって耐えた。  その沈黙からこれ以上の暴走はないとふんで、空太は通信機で仲間達に声をかける。 「こちらレッド。エンゲージって言う間もなかったな。そちらからコルウスの群れは確認できるか?」 『こちらグリーン。見えるけどまだ遠いわね』 「よし、じゃあ予定通りにこちらが囮になる。射程に入ったら後ろから襲いかかれ」  了解とそれぞれから返答。さきほどの予定外のことにはあえて触れるものはいない。場数をふんでいるだけあって落ち着いたものだ。 「聞いてたな? 予定通りに逃げろ。振り切ったりするなよ」 「分かってるわよ!」  かろうじてそう返す。三角帽子で視界が遮られていることを期待して袖口で目元を拭う。 「だいぶ降下しちまったけどちょうどいい。奴らに頭を抑えていると思わせよう」  振り返るとコルウスの群れが迫って来ている。怪我の功名か、墜落しかけたのを見て逃げるより群れで攻撃することを選択したようだ。  怒りの声をあげるコルウス達が赤い目を輝かせて殺到する。翼の端から端までおよそ二メートル。実際に見るとかなり大きい。それが50羽ほどもとなれば視界を埋めるほどだ。 「くらいついたな。さぁ追ってこい。このまま大きく左へターン。合図したら急上昇。いいな?」 「いいけど今度、胸に触ったら振り落とすわよ」 「え? 何だって?」 「もういい、いくわよ!」  強襲は成功した。コルウス達が後方からの接近に気付いた時には既にガンナーの射程内。激しい射撃が浴びせられた。  正面に対する射撃ができないため、群れに対して斜め方向に進み側面を向けて攻撃する様はまるで戦艦の艦砲射撃のようであった。ただし激しい砲音や煙のかわりに周囲を満たすのはまばゆい輝きだ。  絶妙なタイミングで上昇し、その様子を上空から見下ろした空太は通信機で続けて指示を出す。  他の魔女達が葉月ほどの腕前であれば一撃離脱ができるのだが、四人ともそれだけの飛行能力はない。空太がとったやり方は密集して守りを堅めることを優先した戦法であった。  魔女の障壁は横にした卵のような形で周囲に展開される。そのうえで意識を向けた方──主に前面、進行方向が強くなる。ならば傘のようなそれを盾にすることで攻撃をしのげば良い。  コルウスはカラスの亜種ではなくラルヴァである証として、通常ではありえない攻撃をする。羽ばたきからつむじ風を発生させて叩きつけてくるのである。  生身であれば肉を裂かれるであろうが、幸い魔女の障壁で耐えられる程度の強さだ。  それぞれのお尻をくっつけ合わせて四方に障壁を展開し、その隙間からガンナーが射撃をする。上空からのコルウスの攻撃は大地の雷球が盾となって防ぐ。  後は攻撃がきつい方へ障壁が強い魔女を向けさせるなど、パズルを組み替えるように配置を替えてやれば良い。  飛行速度はほとんど出していない。だからこそ編隊を崩さずにいられるのだが、まだ数も多く逆上しているコルウスは逃げ出す様子も無く、追撃する必要がないので好都合だ。  イメージでいえば盾をかざして身を守り、隙あらばチクリチクリと槍を繰り出す騎士のよう。魔女の空中戦というと華麗なものを想像していたがとてもそうは見えない。  だが、見た目を気にする者はいなかった。ここは戦場、観客のいるスポーツとは違うのだ。何よりも身の安全と堅実さが優先される。  翼を撃ち抜かれて墜落していくコルウス。逆の立場になどなりたい者はいない。初陣にもかかわらず着実に戦果をあげてゆく様子を空太は満足げに見やる。 「よしよし。みんな思ったよりやるなぁ」  危惧していたパニックもなく、四人の魔女は予想以上の動きを見せていた。 「……」  賞賛の言葉をもらす空太だが、一方の葉月も戦闘が始まってから内心感嘆の声を上げていた。──その対象は背後の空太である。  魔女の後ろに乗って空を飛んでまだ僅かな時間しか経っていないというのに、それに慣れたどころか他の魔女のそれぞれの個性を把握して指示を出す。  先ほどもコルウスの波状攻撃の動きを事前に察知し、葉月へ撹乱の指示を出したところだ。  高速でコルウスの前を横切り、さらに空太の光撃で打撃を与えて敵の連携を牽制する。あまりにも見事な手際で、魔女達も目の前のことに集中して初めての戦闘に怯える間もないくらいである。  癪ではあるが、葉月の目から見ても空太はベテランのハンターであり指揮官であった。  他のガンナーの面子もそうだ。前に座る魔女達に常に声をかけ、互いにフォローを欠かさない。通信機からは大地の軽口が流れ出しているが、これさえも緊張をほぐすためのものだろうか。  一体どれだけの経験を積めばこうなるのだろう。これまではただ飛行技術を磨いてきたが、戦場に出るということはそれ以上に多くを求められるという事が理解できる。  目の前で繰り広げられる光景が百の言葉よりも葉月を納得させた。  だからこそ先の失態はどうしようもないほどの恥辱であった。逆上して仲間を危険にさらすような事をするなどあまりにもお粗末ではないか。  空では一人で飛んで一人で死ぬ――それが魔女の誇などと、どの口でそんなことを言ったのか。  自分自身のふがいなさに、葉月はコルウスの群れに飛び込みたい衝動にかられるが、先ほど空太に掴まれた胸の痛みがそれを押しとどめる。その痛みと空太の言葉は葉月の心を強く叩いていた。 (これ絶対にアザになってる。どうしてくれるのよ)  そう口を尖らせるが、仕方がないことだとも理解している。これが空の上でなければ殴られていただろう。そうされて当然のことをしたのだ。 「連中そろそろ逃げ出すな。ここからが厄介たぞ。予定通り周囲を旋回して牽制しよう」 「え? ええ」  空太の言葉にあらためて見やれば、コルウスの群れは三分の一ほどに数を減じていた。まとまって襲いかかってくるのであれば迎え撃てばいいのだが、今度は立場が逆となるだろう。  大きく周回しながらコルウスの動きを伺う。確かに一斉に四方へ逃げ出されると厄介なことになる。追撃戦についてもあらかじめ段取りはついているが、これは足の速い葉月の働き次第となるだろう。  カラスといえば古来より魔女の使いとされているが、このコルウスは使いどころか魔女にとっては天敵とも言える危険なラルヴァである。  記録によると災害に見舞われた地方の村ひとつを群れで襲い壊滅させたこともあるという。奴らは抗う術がないとならば人間をも襲うのだ。  戦闘に対する恐怖心や殺すことへの生理的嫌悪感がないといえば嘘になる。しかしそれを上回る義務感が葉月を動かしていた。  ギャアギャアと怒りと威嚇の声をあげているコルウスだが、その動きに乱れが出始めていた。士気が落ちて来ているのだ。 「そろそろね」 「いや、まて」  空太が首を上下左右に目まぐるしく動かしながら警戒する。──何かがおかしい。  長年培って来た闘争本能がそれを察知させたのか。嫌な予感にうなじの辺りがチリチリとする。 『落下注意だって』  彼方の言葉が浮かぶ。やっちゃんの予知は曖昧で分かりにくいが、それに何度も助けられているのは間違いない。  コルウスの叫びが変わった。怒りから驚愕。 「ブレイク! ブレイク! 回避しろ!」 「──!!」  唐突な空太の叫び。ただし魔女達の反応は早かった。それぞれ四方に弾け飛ぶように散る。  『ブレイク』の指示が出た場合には、何はともあれ右にバンクしてその場を離れろと最初の打ち合わせで厳命されていたのだ。  ドオンッと激しい衝撃波と共に巨大な物体が魔女達がいた空間を通過する。巻き込まれたコルウスが何羽か肉片となって散った。 「きゃあ!!」  悲鳴があがる。  風に舞う木の葉のようにくるくると回りながらなんとか体勢を立て直そうと必死な魔女と、帚からふりおとされないようにしがみつくガンナー達。 「みんな!」 「慌てるな! ブルーはグリーンをフォロー! こっちはパープルを助ける! いけるな?」 「もちろんよ!」  そう答えた時にはもう追っていた。斜めになって飛ぶ仲間の帚の下にもぐり込んで障壁で軽く押し上げてやる。 「あ、ありがとう」 「大丈夫ね?」  首をめぐらせて仲間達の安全を確認する。混乱するコルウス達に視界が遮られるが、なんとか全員の姿を捉えることが出来た。 『なんだ今のは!?』 『なに? 飛行機が落ちて来たの!?』 「ちがう! ラルヴァだ!」  空太は襲撃者の姿を見ていた。雲を突き抜け雷のように落ちて来たそれは、海面に激突する前に『翼』を広げ、急降下から機首をあげて水平飛行に入り、大きく羽ばたいて高度をあげていく。それは── 「なんなのあれ!?」  葉月は思わず息をのむ。 「ボギーは飛竜種(ワイバーン)! ボギーは飛竜種(ワイバーン)!」  空太は通信機に向かって叫んだ。 『ボギーは飛竜種(ワイバーン)! ボギーは飛竜種(ワイバーン)!』  通信機から響くその声に指揮所は喧噪に包まれた。  ここにいるのは多少の差はあれラルヴァに詳しい者ばかりだ。飛竜種がどんなものかはすぐに分かる。  ワイバーンとは大型の飛行タイプのラルヴァで、名前の通りの伝承に出てくるそのままの怪物だ。ドラゴンに似た姿をしており高速で飛翔し、種類によっては口から火炎や毒液を吐く。 「うそだろ! なんでそっちに!?」 「偵察班は何やってるのよ!」 「──状況を報告しろ」  テントの中でキリエの声が静かに響く。パニックに陥りかけた指揮所に沈黙がおりた。 『──全員無事。ボギーは雲の上に行った。いまのところ確認できたのは一体だけだ。コルウスどもはまだ残っていたが今ので散った』  空太の冷静な報告に皆胸を撫で下ろす。 『種類はみたところクルエントゥス。元米軍パイロットの叔父貴が空中戦やったって言うんで調べたことがあるから間違いないと思う。全長は9から10メートル。資料よりずっと小さい』  ディスプレイにデータが画像つきで表示される。  典型的な飛竜種の外観。前肢が翼になっているドラゴンといった姿だ。  灰色の身体に赤い斑模様があるのが特徴で、そこから血まみれという意味のクルエントゥスと名付けられた。  背中には垂直尾翼を思わせる大きな背びれがあり、巨大な翼の膂力と脇の下の部分にある襞を震わせて推力を得る。高速高機動で飛行し、過去に何度か戦闘機との空中戦を行った記録があるという。  本来ならばもっと南の方でごく少数が確認されるようなラルヴァであり、日本の領海内で出現するようなものではない。  体長は18メートルほどが標準とされており、おそらく空太達が接触したのは幼体だ。それらはとある条件を満たしていた。 「聞こえるか? そいつは現在防空隊が討伐中のラルヴァのうちの一体に違いない。情報が正しければ他にはいないはずだ。今応援をよこす。撤退しろ」  キリエの合図で防空隊本部へ連絡がとられる。 『……やつはこちらを捉えてます。雲の上で旋回しているのが見えた。レッドはこれより迎撃。他は撤退させる』 「莫迦を言うな! お前達にどうにか出来る相手ではない! 私が行く、いいから撤退しろ!」  空太の意外な回答にパイプ椅子を蹴って立ち上がろうとするキリエ。その肩に手をおいて押しとどめたのは彼方だ。鋭い視線を向けるがひるみもせずに首を振る。 『怪我人が何言ってるんですか! 無茶言わんでください!』 「くっ」  空太の言う通りであった。音速を超えることが可能なキリエではあったが、今は飛ぶことすら出来ない状態だ。 「防空隊は?」 「ダメです。現在三体のクルエントゥスと交戦中。応援はとてもまわせないそうです」  オペレーターが首を振る。 『奴は速い。どのみち逃げきれない。なら後は戦うだけですよ。柊さんの最適の人選ってやつを信じて下さい』 「……すまない。予定外の大物が相手だが頼む」  深く息を吐いてようやく洩らす。 「瀬野」 『はい』 「無理をさせる。だがお前は一人ではない。相方を信じろ」 『……わかりました』  緊張の為か答える声は硬い。 『では、これより迎撃に向かいます』 「ああ、最適の結果を要求する」 『了解』  通信は切れた。再び沈黙が訪れる。 「信じましょう。後はできる事をするしかありませんよ」  彼方が微笑む。その言葉で再び指揮所は動きはじめた。 「そうだな、やれることをやろう。各自関連部署に連絡。動かせるものは何でも動かせ。私の名前を使え、場合によっては三宅島の連中にも動いてもらう」 「本部から健闘を祈る、とのことです」 「ふん、言われなくとも。神那岐観古都に連絡。どうにもきな臭い、この件に便乗して双葉に襲撃をしかける奴がいるかもしれん」 「風紀委員にも連絡します」 「ああ頼む。まったく、どいつもこいつも双葉に興味津々だ。ここに手を出すからには大きな代償を払わせてやらねばな。私が直接手を下せないのが残念だ」  壮絶な笑みを浮かべるキリエ。それを見ないように目をそむけ、こえーと内心で青ざめるスタッフ達。 「……?」  キリエはふっと息をついて、まだ肩に彼方の手が乗っていることに気づく。 「はい?」  緊迫感とは無縁に微笑む彼方。無性に憎らしくなり、キリエはその手を思いきり抓りあげた。 「みんな聞いてたな? 全員ブルーを中心に密集して飛行。三島、そっちの指揮は頼む」  上空の雲を見つめて空太。 『了解。守りに徹して撤収する。心配するな、ハーレムを守るためならはりきっちゃうぜ」  ガンナー役の面々は決断も早くシビアだった。動揺する魔女達をうながして編隊を組む。  切り替えは早い。空太は仲間のことは大地に任せて追撃のルートを組み立てる。 「いいか。こっちから、こう上昇するんだ。奴の後ろをつく」  肩越しに腕を伸ばし葉月に指示を出す。 「ええ」  ちらりと他の魔女達を一瞥。誰もが不安な表情を浮かべている。それを振り払うように空を睨みつける。 「いくわよ」  いつもの口癖を呟き、急発進。  はじかれるように二人を乗せた帚が空を駆け上がる。声をかける間もなく小さな点になってしまった。 「葉月ちゃん……」 「ワイバーンはあっちに任せておけばいい。あの二人が組まされたのはこういう時のためなんだぜ?」  大地は極力明るい声で言う。 「それより警戒をおこたるなよ。コルウスどもだってまだ残ってるんだからな」 「あんなのが来たのにまだいるかな?」 「ワイバーンがこっちに来ないと分かれば来るだろうな。やつらも相当怒ってるだろうし」  勢いにのって攻撃できていた時は良かったが、動揺しての逃げ腰では先ほどのようには戦えないだろう。できれば何事もなく撤退したいところだが、おそらく無理だなと考える大地。 「さぁて、有言実行が俺の取り柄だってのを見せないとな」  大地は更に雷球を周囲に発生させた。  これまでとは段違いの速度で上昇する二人を乗せた帚。  葉月の顔はこころなしか青ざめて、帚の柄を握る手は力が入って白くなっていた。 「あんまり無理するな」 「アンタ言ってたじゃない、必要なら無理も無茶もするって。今がそうなんでしょ。必要なら障壁ぶつけてでも叩き落としてやるわ」 「そうだけどさ、ガチガチに気負ったってダメなんだからな」 「わかってるわよ! でも私がやらなきゃ……」 「いた!」  空太が指差す方向の雲の隙間にクルエントゥスの姿が見えた。 「こっちも雲の上に出るわよ!」 「おう!」  次の瞬間、帚が雲の中に入る。視界が乳白色に染まる。  障壁表面を水蒸気が渦巻いて流れてゆく。  そして── 「抜けた!」  目の前に雲海が広がる。  迫る夕暮れにうっすらと赤く染まり始めたそれは、幻想的でまさしく地上では見る事の出来ない異界であった。 「すげぇ」  一瞬その光景に見とれた。今、あれほど夢見た大空にいる。  しかしそんな感慨も投げ捨てて敵の姿を探す。異能の発現による常人より優れた視力と探知能力はすぐさまクルエントゥスの姿を見つけ出していた。  緩やかに旋回中。先程は偶発的に接触したのではない。明らかに魔女達を狙っての襲撃で、そして奴はまだ続けるつもりだ。  葉月の腰にまわした腕に力を入れてそちらへと促す。葉月も即その動きを察知して帚の先を向けた。  急速に長年組んでいたコンビのように意思の疎通が可能になってきていたが、それを喜ぶような余裕も自覚もなかった。極限状態において二人の意思が重なり合う。  ──奴を仲間のところへ行かせるな!  「エンゲージ!」 「いくわよ!」 続く ---- [[前編へ >【魔女の空 前編】]] [[後編へ >【魔女の空 後編】]] [[トップに戻る>トップページ]] [[作品保管庫に戻る>投稿作品のまとめ]]

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