【X-link 3話 Apart】

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[[ラノで読む>http://rano.jp/1595]] Xーlink 3話 Apart 【LORD OF THE SPEED / 前座男と二台のバイク】 「ねえねえ、出来た? 新しい『ダブル』」 「ええ、もう性能はあなたの注文通りに、調整もとっくに済んでいますよ。しかし、また天地《あまち》奏《かなで》ですか?」  黒いスーツに身を包んだ男が白衣の男に話しかける。スーツの男の方は顔だけ見ればかなりの童顔だが、年の頃ならおそらく三十代後半といったところ。年齢にそぐわない口調が不気味だ。白衣の男は二十歳前後にみえる白人で、奇麗なブロンドと整った顔立ちが特徴的でハリウッド俳優としても通じそうな見た目をしている。  大小問わず並んだ様々な機器や設備はどれも最新鋭で、どの研究所や大学にも劣らないものだったが、それらとはっきりと違うのは、この部屋には男二人しかいないという事だった。 「そうそう、そりゃもちろんだよ。他に僕が何に使うっていうのさ?」 「せっかくの『ダブル』を一個人のために使うっていうのはね」  白衣の男は溜息をつく、彼には相手の執着が理解できない。 「何言ってるのさ。この設備を整えたのは誰なのかな。それに、アールイクスの事も気にならない?」 「正直、もうアールイクスに興味はありませんね。あれはただの試作機ですよ。 でも、それぞれがやりたい事をやるっていうのがこの組織の基本ですからね。あなたのやる事に異議はありません」 「じゃあ、いいじゃないか。心配しなくてもちゃ〜んと『ダブル』も然るべきところに売ってあげるから。ていうか。もういくつか売ってるから」 「私は金に興味は有りませんが。ああ、わかっているとは思いますが、例によって行動パターンなどは私のほうでは何もしていませんから」 「了解。さあ、今度の嫌がらせはすっごいぞ〜」  跳ねるような口調でスーツの男は部屋を出て行く。いい年をした中年のそのような姿ははっきり言って気持ちが悪かったが、自分たちが持ちつ持たれつな事は確かなのでそれは言わない事にした。  スーツの男と入れ替えで、今度はジーパンにシャツといったラフな格好の男が部屋に入ってきた。外見では二十代後半くらいに見えるが全身から放たれる妖しい雰囲気はとても二十代のものとは思えない。 「おや、今度はあなたですか。ご用件は?」 「大した事じゃないさ。組織名の事についてなんだけど」 「その件ですか。そういえばもうそんな季節なんですね。で、今度は何にするんですか?」  まるで、二人とも明日の予定を話し合うかのような調子である。 「|悪意の幽霊《ブラック・ゴースト》にしようと思うんだけど、どうかな?」 「今度はサイボーグ009ですか? 私に異存なんてありませんよ、所詮便宜上のものですしね」 「そう? じゃあそのように。ところで、彼は何? また天地奏かな?」 「ええ、新しい『ダブル』をね。今度は二体使うとか」 「全く彼にも困ったものだな。素材にするラルヴァの調達も大変なのに。まあ、天地奏の父親には相当手を焼かされたからな」 「さすがは『万魔殿《パンデモニウム》』を生き残った男ですよ。彼には前の研究所を使用不能なまでに破壊されましたから」  思わず溜息が漏れる、そのおかげでしばらく研究がストップした事とデータの喪失は大きな痛手だった。 「そういえば、君にも双葉学園に知り合いがいるんじゃないのか? しかも彼女、最近天地奏に接近しているようじゃないか」 「ええ、でも大した問題じゃありませんよ。所詮、博夢《ひろむ》は出来損ないです」 「ほう、手厳しいな。我々凡人からすればその頭脳は素晴らしいものに見えるのだが」 「ラルヴァのあなたがその言い回しをするのはどうなんでしょうね。……まあ、博夢は天啓を受けられない、一人では何も生み出せない女でしかありませんよ」  白衣の男は口をゆがめ、笑みを浮かべた。      **  世の中には、どうにもソリが合わない、折り合いが悪い人間というものがいるものだ。別にお互い嫌い合っているわけではない、それどころか相手の事すらよく知らない程度の仲なのに不思議と巡り会わせがよろしくない人間というものが。  天地《あまち》奏《かなで》と西院《さいん》茜燦《せんざ》がそうだった。  初めての接触は、事もあろうにトイレだった。奏のクラスの二−A、茜燦のクラスは二−D。必然的に同じフロアのトイレを使う事になる。その時、茜燦は奏より一歩早くトイレに入った。運悪く、茜燦が前に立った小便器が最後の一つで他は全部埋まっている。  茜燦はバツの悪い顔をして振り返る。奏と目が合う。だが奏としてもどうしようもない。誰が悪いともいえないし、膀胱が激しく自己主張している今、騒ぐ気もなかった。  二人はどちらともなく、黙って会釈をするより他に無いのであった。  ちなみに、奏はしょうがないから空いていた大便器で小用を足したわけだが、その開放感と共に自然と口から漏れた史上最低の替え猥歌『ぼく、デカマラえもん』を聞いて吹き出した茜燦は少し狙いを外してしまう。最悪でもないがあまりよろしいとはいえないファーストコンタクトだった。  次に二人が接触したのは購買部。昼休みの事だった。このマンモス学園では、購買部の役割は大きい。殆どの生徒が親元を離れて寮住まいのために、弁当を自分で作っている律儀な生徒以外はその胃袋を購買部で満たさなければならないからだ。したがって、昼の購買はいつでも戦争状態である。  奏と茜燦、二人の男の手が同時に最後のカツサンドにのびる。飢えた男二人、それを譲る筈も無い。 「このカツサンド、俺の方が早く手を出したと思うんだが」  茜燦の目が剣呑に輝く。幼少の頃より実戦を経験してきた男の目には並の男なら即座に引く程の凄みがあった。 「いいや、俺だ。誰がなんと言おうと絶対にこの俺様だ! 俺の方が美形だからな!」  だが奏も一歩も引かない、この男には相手の表情を恐ろしいと思うような感性ははじめから存在しないのだ。 「いや、わけわかんねーよ! お前の顔なんざ知るか! とにかくカツサンドは俺のものだからな」 「ふざけんな! カツサンド食えなかったら渚《なぎさ》の学校での楽しみが無くなっちまうだろ! どうすんだまた渚が不登校になったら!」 「誰だよ渚って!? 知らねーよ!」 「朋也《ともや》君酷いです! いいからそのカツサンドをこの天才様に寄越せ!」 「いやだね!」  一つのサンドイッチを前にそれに恋焦がれる男が二人。  争うのは必然であった。このような出会い方でなければ、二人はあるいは親友となれたかもしれない。だが残酷な運命はそれを許さない。カツサンドを前にして二人に譲歩の二文字はない。茜燦の顔はさらに険しくなり、その形相はまさに鬼。奏は低いうなり声をあげる、その声はまさに虎。  まさに一触即発、見敵必殺《サーチ・アンド・デストロイ》、悪即斬。命有る限り戦い、そして壮絶に散る。生き残る男はただ一人、願いを叶えられるのはただ一人!カツサンドにありつける男はただ一人!! 「あれ、まだカツサンド残ってるじゃん、ラッキー! オバちゃん、カツサンドくださいな〜」 「はい、二百円ね。まいどあり」  この道十年余のパートのおばちゃん・西川《にしかわ》清子《きよこ》(四十六)はベテランの匠の技、淀みない動作でカツサンドを袋に入れると、硬貨を受け取り、商品を手渡す。 「いや〜、今日はついてるかも。あれ、あまち〜じゃん。どしたの? 変な唸り声出して。まあ、あまち〜が変なのはいつもの事だけどね。あははははは」  最後のカツサンドをゲットし、意気揚々と引き上げたのは醒徒会書記・加賀杜《かがもり》紫穏《しおん》であった。  残された男二人に出来る事などありはしない。 「「フン!!」」  息もぴったりにお互いにガンを飛ばし合うと、二人は踵を返したのであった。  二回目の接触は(おそらく)、最悪のものだった。      **  土曜日の朝、双葉学園二輪演習場。学園の敷地のほど近くにあり、ごくごく小規模ながらもサーキットとダートコースが備えられたここでは、日夜、生徒達が二輪の演習に励んでいる。秋晴れの十月中旬、演習場には天地奏と喜多川《きたがわ》博夢《ひろむ》以下、数名の喜多川研の生徒が来ていた。奏は突っ立っているだけだが、喜多川研の学生達はピットの脇にテントを設営し、様々な機器のセッティングに追われている。 「こんな所に、こんなコースがあるなんて知らなかったぞ」 「ああ、ラルヴァ戦のために各地に派遣されると未舗装路を行く事が多いからね。バイクを使えれば便利なんだ。だから学園でもこういう場所を作って生徒に二輪の練習を推奨してるってわけさ。一応高校生でも免許は取れるからね」  奏に説明したのは喜多川研の三年生、椿《つばき》幻司郎《げんしろう》である。高校生どころかときどき中学生にも見間違えられる中性的な童顔といつも左手にしている手袋が特徴の男である。 「そうなのか。で、なんでこの俺様が土曜日の朝からこんなところに来させられたんだ?」  朝の弱さに定評のある奏は機嫌が悪い。もともと彼は土曜日は寝るかデートをする日、と決めているのだ。もっとも、デートに休日を使ったことはないのだが。 「それは私から説明しようか」  ピットのシャッターが開き、その中から喜多川博夢が現れる。サーキットに来てもその出で立ちはいつも通りのシャツ、タイトスカート、それに白衣という場ににつかわしくないものだった。 「おお、博夢ちゃん。今日もご機嫌麗しゅう」 「麗しくはない、サーキットは火気厳禁で……。いや、まあそれよくないが、いい。今日、君に来てもらったのは、コイツのテストをしてもらうためだ。八十神《やそがみ》、いいぞ」  喜多川の言葉に応じて、椿と同じく喜多川研の学生である八十神《やそがみ》九十九《つくも》がピットからバイクを転がして現れる。彼が押している白いバイクは大型の、おそらくオンロードタイプと思われるものだった。 「天地君には、今日、このバイクでサーキットを走ってもらう」 「はあ? 俺はバイクの免許なんて持ってないぞ」 「構わないよ、ここは学園の私有地だからね」 「ああ、そうなのか」  奏は得心し、うなずいてみせた。  それで納得が行く訳が無いのは喜多川研の学生達だ。口々に「何を考えてるんですか先生」だの「素人にこんな大型バイクなんて無茶だ」だの「死ぬからやめてください」だのと言い募る。  だが、そんな事を気にする彼女ではない。「問題無い」の一言で学生の意見を切って捨てると、学生達に西院び指示を出し始めた。実際の所、喜多川にはなんの裏付けも根拠も無いが、奏の過去が喜多川の推測通りならその程度の訓練は受けているだろうという勘があった。  数十分後、ライダースーツに着替えた奏は喜多川が用意したホワイトカラーのHONDA CBR1300XX スーパーブラックバード2というバイクにまたがっていた。数年前に発売された時、HONDAはおかしくなったんじゃないかと言われた、公道を走るには最早無駄なレベルの無闇な排気量とスピードを持つこのバイクは喜多川とその協力者によってチューニングされ、もはや得体の知れないモノに仕上がっている。 「おいおい、マジで乗る気なのかよ、奏」  意気揚々とバイクのエンジンをスタートさせた奏に九十九が話しかける。天地奏という男が正気ではない事を彼も短い付き合いの中でも十分に知っていたが、それにしたってこれはおかしい。125cc程度ならばともかくとして、国内では扱い辛すぎてまともに売れず、最高速の記録が欲しかっただけとまで言われたこのバイクの、しかもチューンモデルを素人が乗るなど考えられない。一つ間違えれば死、だ。 「ははははは!心配性だな、この天才様に出来ない事などないだろう。どきたまえ。ひとっ走りしてくるから」  いつも通りの根拠の無い自信を見せると奏はアクセルを捻り、その車体を発進させる。耳をつんざくような、凄まじいエンジン音をたてて奏の姿はあっという間に小さくなって行った。 「先生、やっぱりまずいですよコレ。案の定、最初は様子見でとかしやがらねえしあのバカ」  九十九は喜多川に言い募る。 「いや、やはり天地君はバイクに乗った事があるようだね」 「え?」 「考えてもみろ、この場で誰か彼にバイクのスタートの仕方を教えたか? ギアチェンジの仕方は? 何一つ教えていない。なのに彼はそれができている」 「ああ、言われてみれば確かに。先生はこの事がわかっていたんですか?」 「まあ、なんとなくね」  ひとまず自分の予測が正しかった事に安堵して喜多川はポケットからあるものを取り出そうとして、やめた。思わず眉間に皺がよる。足りない。『アレ』が決定的に足りない。 「はあ、さすがというかなんというか、うちの先生の考えている事はよくわからんな」  奏がスタートしてから数分後、ピット前の特設テントでは九十九と椿が走行データとにらみ合っていた。 「さすがといえば天地君もなかなか凄いよ。あのモンスターを上手い事操ってるね。あれを乗りこなせるとは思わなかった」  データを見ながら椿は嘆息する。奏の運転はかなり荒削りだが、それでも1300ccのモンスターマシンを乗りこなしている事は確かだ。 「確かに、な。荒削りだがライディングの基礎はきっちりしてやがる。才能だのアホなガキが無免許のバイク遊びで身につけただのってもんじゃない。どっかで訓練でも受けたに違いないな。ますます得体のしれない野郎だぜ。本当に何者なんだあの自称天才様はよ」 「さあ? 詮索するとただでさえ機嫌の悪いセンセーの気分がさらに悪くなっちゃうよ。僕も彼を『観ちゃいけない』って言われてるからさ」 「そうだ、そういやなんでうちの女王様の機嫌が悪いんだ今日は。いつにもましてぶっきらぼうというか」 「ああ、サーキットは火気厳禁だからね。ニコチンが足りないんじゃない?」  椿の言う通り、ヘビースモーカーである喜多川博夢の機嫌の悪さはそこに理由があった。      ** 『なあ、いったいいつまでこれを続けるんだ? 飽きたんだが、というか腹が減ったんだが』 「これでは物足りないと?」 「当然だろう、この天才様にこんな反復演習なぞ無意味だ」  テストが始まって約二時間、数度の休憩を挟みながら、奏はひたすらにサーキットを走り続けていた。元来飽きっぽさには定評のある奏はスピードにもすっかり慣れている。完全にだらけてインカムに向かって思わず不満をこぼす。  奏に対しての喜多川博夢の返答は『笑み』だった。インカム越しの会話なのでもちろん奏には喜多川の笑みが見える筈も無い。だがそれを見た喜多川研の学生達は総毛立つ。彼女がこのような笑みを浮かべた時はロクな事がない事を彼らは経験から知っている。  そして学生達の予感は見事に的中する。  ピットに面したホームストレートの向こうの黒い影を最初に発見したのは九十九だった。慌てて目をこらすと、それは凄まじい速さで接近してくる。間違いない、バイクだ。 「先生、今日ってうちらの貸し切りじゃないんですか?」 「そうだが」 「じゃあなんですか、アレ?」 「ああ、あれもテスト予定のうちだ」  八十神九十九は思わず頭を抱えた。なんとなくそんな予感はしていたが、やはり目の前の女(年下である)には時々ついて行けないと思う。  現れた黒いバイクは奏の白いバイクを猛追し、そしてあっという間に並んでみせた。 『おい、なんだこの黒いの!』 「ただ走る事には飽きただろう? だから、次のテストだよ。その黒いバイクとレースしてみなさい」  インカム越しに奏に対して喜多川は涼しい顔で言ってのける。 「いやいや、先生、無茶ですって!」 『レースか! 燃えてくるシチュエーションだな!』 「うわ、ノリノリだしこの人」  案の定という感じだったが、それでも喜多川研の学生達は驚くより他無い。  奏は横を走る自分と同じバイクのブラックカラーを一瞥すると、唇を少し舐め、アクセルを吹かす。  そしてデッドヒートが始まった。 「いやぁ、喜多川先生、ごきげんよろしゅう」 「喜多川先生、こんにちは」  黒と白の同型機によるレースが始まると同時にテントに現れたのは双子の姉妹だった。見た目はそっくりだが、一人はハイテンションで笑顔を振りまいているのに対して、もう一人は初対面の人間達に囲まれて落ち着かないようだ。 「すまないね。今日は協力していただいて。鵡亥《むい》未来来《みらく》君、明日明《あすあ》君」 「いえ、おやすい御用です。この程度でうちのパラスのオーバーホール手伝ってもらえるなんてむしろこっちが申し訳ないくらいで」 「そうそう、兄ちゃん女王蜘蛛の時はパラスに相当無茶させよったからな。センザ兄ちゃんもちょっと鍛え直した方がええって事で」  そう、奏と今競い合っているのは西院茜燦だった。お互いに相手はわかっていないが、これが三回目のコンタクトとなる。  茜燦の持つモンスターマシン、パラス・グラウクスにオーバーホールが必要になったのがそもそもの始まりだった。茜燦は女王蜘蛛の一件の際、パラスで山道を踏破し、壁を破るという無茶をやらかした。さしものモンスターマシンもここまでの無茶をしてただで済むわけもない。徹底的なオーバーホールが必要になったわけだが、普段パラスのメンテナンスをしている鵡亥姉妹は困り果てた。彼女達は超科学系異能を持つ秀才だったが、この全長四メートルを誇るモンスターマシンを二人でオーバーホールするには設備も人手も時間も足りない。そこで、支援を依頼すべく、喜多川研に赴いた。  喜多川としてもこれは渡りに船だった。天地奏の専用マシンを作成する為には、まず彼にバイクの特訓を課す事は必須だったが、彼女にはそれに付き合ってもらう適当なドライバーの知り合いがいなかった。そこに現れたのが鵡亥姉妹である。喜多川と姉妹は見事に利害の一致をみた。 「くくくく……」 「うふふふふ‥‥」 「あはははは……」  女科学者達は顔を寄せて笑い合う。その光景は一見すると、美女と美少女達の和やかな会話のように見えたが、その実まわりにいた学生達は何故か寒気を覚えた。     ** 「で、結局先週の土曜は一日中サーキットを走り回っていたわけだ」 「ああ、明《・》ら《・》か《・》に《・》俺様の方が実力は上だったのに、向こうがなかなか諦めなくてな。誰か判らずじまいだったが、今度あったら絶対……」 (コイツもしかすると負けたな)  サーキットでのテストから二日後の月曜日の第二限、音羽《おとわ》繋《つなぐ》と天地奏は学園のグラウンドにいた。今は体育の時間、今日の二—Aの体育(男子)は二—Dとのソフトボールの試合となっている 「そういやさ、アンタソフトボールやった事あんの?」 「知らん! だが俺はやるぞ!」  鼻を鳴らして大きな声で元気よく無知をアピールする人間はそうそういない。根拠の無い自信はいつも通りだった。 「では、ここで一曲!」  颯爽と、どこに仕込んだのやら、体操着の中からフルートを取り出すと演奏を始める。音楽に造詣の深くない繋だったがその曲はよく知っていた。 「フルートで六甲おろしはやめなさい!」  グラウンドに妙なアレンジの『六甲おろし』が流れてから数分後、ピッチャーマウンドには西院茜燦、そしてバッターボックスには天地奏が立っていた。茜燦は先発ピッチャー、奏は一番バッターである。 「顔が良い順に打つべき。そして俺はこのクラスで一番カッコイイわけだから当然俺が一番というわけだ」  意味不明な超理論を展開すると奏は意気揚々とバットを振り回し、打席に向かう。もっとも、奏以外には誰も月曜の二限からソフトボールに血道をあげる人間などおらず、気になるあの子に良い所を見せたい。などという健全思春期少年以外は基本的にやる気が無い為に、一番バッター=天地奏はこれといった反対もなく通った。盛り上がっているのは見学の女子だけである。  奏が打席に立つと、二—Aの女子と反対側に陣取っている二—Dの女子達は黄色い声を上げた。 「天地さん、人気があるんですねえ」  繋の横に座る水分《みくまり》理緒《りお》は感心したような声を漏らす。それはそうだろう。奏を良く知る二—Aの女子は誰も奏に黄色い声をかける者はいない。それどころか敵チームのピッチャー、西院茜燦に声援を送っているものまでいた。 「ああ、まあ噂は聞いてるだろうけど、他のクラスの人はアイツについて今イチ良く知らないだろうから」 「ちょっと酷いけどそうかもしれませんね」 「そういやさ、D組のピッチャーの人誰? ちょっと格好良くない?」 「ああ、彼ですか? 彼は西院茜燦さんですよ」 「何、前座?」 「お約束ですね〜。前座じゃありません茜燦です。彼のバイクはちょっと凄いんですよ」 「はあ。バイクねえ」  バイクと聞いて繋は先ほど聞いた奏のバイク練習の話を思い出した。そこで奏が競った相手が今、話題に挙っている西院茜燦である事は彼女には知る由もなかったが。  ピッチャーマウンドの西院茜燦は得体の知れない何かを違和感を覚えていた。その原因は他の誰でもない、今彼の数十メートル前のバッターボックスでバットを構える男、天地奏であった。茜燦も噂で耳にしたとびきりイカレタ転校生。  奏の構えは誰の目にもメチャクチャだった。そもそもバットの握りがおかしい。左手が上にきている。それに足を殆ど開いてない上に棒立ちだ。あれではバットがボールを捉えてもまともに飛ばす事はできないだろう。  ここまで見る分にはただのド素人だ、恐るるに足らない。だが問題は奏の妙な自信とそして無駄な気迫にある。先日の購買部での一件で茜燦は奏がただ者ではないであろう事を理解していた。もし、身体強化系の異能者だったら、厄介だ。あんなクソフォームでも場外に飛ばしてしまうかもしれない。かくいう茜燦自身も身体強化異能を持っていたが、このような状況では異能は発動しない。発動には条件があるのだ。 「おい、なんのつもりだ、お前?」  茜燦の声が低くなる。その原因は奏がバットをバックスタンドに向けているためだ。紛う事無く、それは予告ホームランのサイン。 「おや、見て判らないか? カツサンド泥棒君。これは予告ホームランというものだよ」  にへらにへらと笑いながら答える奏。それは最高にむかつく笑顔だった。 「見れば判るぞその位! 大体俺はカツサンド泥棒じゃない! あの時カツサンドを買ったのは醒徒会だろ」 「そういえば、そうだったな。では名を名乗りたまえ! バットの錆にしてやる前に名前くらいは覚えておいてあげようじゃないか」 「どこまでも人の神経を逆撫でする奴だな。いいか、じゃあしっかり聞いとけよ、俺の名前は西院茜燦だ!」 「前座君? だから先発ピッチャーなのかな」 「お約束だが前座じゃねえ! サ・イ・ン・セ・ン・ザだ!」 「では、俺の名前も教えてあげよう前座君! 俺は天と地に俺の音を奏でる、今世紀最高の天才、天地奏だ!」 「知ってるよ……。というか、何度も言わせるな、前座じゃない!」 「はあ、もういいよ。いいから早く投げたまえ前座君。俺の後ろの三十路独身男性体育教師がお怒りだ」  確かに審判を勤める体育教師は怒っているように見える。だがそれは間違いなく奏のせいだ。  前座と間違えられるのは最早お約束、その事でいちいち怒っていたらキリが無い事を茜燦は十分に理解していた。だが、目の前の男に関しては何故か頭に来た。そもそもコイツさえいなければ、自分はあの日カツサンドにありつけたわけだ。あの少し冷めたカツと、濃厚なソースが染みたパンの織りなす完全調和《パーフェクトハーモニー》、その至福を邪魔した男にむざむざ打たれるわけにはいかない。茜燦は球技には拘りがあった。  必ず三球で仕留めてみせる!  裂帛の気迫と共に勢いをつけて思い切り振りかぶり、必殺の気合と共に西院茜燦はソフトボールをキャッチャーミット目がけて放り投げた。  一方の奏も茜燦の気迫に呑まれる事はない。それを迎え撃つ。男同士の意地と意地が今、真正面から激突する。  この勝負の結果がどうなったか。結論から言うと、天地奏は塁に出た。ただし、彼はとても走れる状態ではなかったので塁に出たのは彼の代走の生徒だった。何故このような事になったのかと言えば、実に単純な話で、茜燦の放った白球が奏の頭部に直撃したからである。奏は即タンカで保健室送り。茜燦はそのあまりに見事な危険球でクラスメイトにピッチャーの座を引きずり降ろされた。西院茜燦、双葉学園でも屈指の球技好きは、超ノーコン男でもあった。      **  ソフトボール対決からおよそ一週間後の午後五時過ぎ、奏と繋は喜多川に呼ばれて学園内の車輛整備場に来ていた。普段ここでは学園の備品扱いとなっている車輛の整備や、理工学部が制作する車輛の整備が行われている。  現在、ここには二台のバイクがある。一つは言わずと知れた全長四メートルのモンスターマシン、パラス・グラウクス。そしてもう一台は白をベースとした塗装に金のラインが入っている、アールイクスのような色彩パターンの大型バイクだった。と、いってもパラスに比べると普通のバイクという感じでしかないのだが。それよりも奇妙なのはカウルだった。オンロード車にしてはカウルが少ないし、逆にオフロード車にしては多い。  喜多川研の学生達と鵡亥姉妹、それに喜多川本人も二台のバイクの最終調整に追われていた。奏も整備場に到着して早々、力仕事に駆り出されている。 「喜多川先生、なんですか、このバイク達?」  繋は思い切って喜多川に疑問をぶつけてみた。バイクには詳しくないが、それでもこの異常に大きい黒のバイクと奇妙な白いバイクは気になる。 「黒い方は西院君のバイク、そして白い方は天地君用のバイクだ。いや、というよりもアールイクス用かな?」 「ああ、なんかお約束って感じですね。やっぱり変身とかする人は専用バイクとか持ってなくっちゃ」  そう言っていつの間にか整備場には醒徒会副会長・水分理緒がいた。 「あれ、水分さん? どうしてここに?」 「その辺を散歩していたら、何か賑やかだったんで寄ってみたんです。まずかったですか? 喜多川先生」 「構わないよ。醒徒会に隠し事はしない」 「あら? ルール君が言ってましたよ。喜多川先生は私たちに何かお隠しになっているって」  いつも通りの上品な笑顔を浮かべる理緒だったが、何故か繋は寒気を覚えた。  水分理緒が来てから数分後、今度はパラス・グラウクスの現オーナーである西院茜燦が姿を見せた。勿論目的はオーバーホールを終えたパラスの受け取りであったが、当然のごとく奏は茜燦に食って掛かる。 「テメーはこの間の死球前座男! どの面下げてこの俺様の前に姿を見せやがった!」 「何度でも言うが俺は前座じゃない、センザだ。それに、この間のは悪かったって。謝っただろ?」 「なんや、謝ったのにぐちぐちぐちぐち! タマの小さいニーちゃんやなあ!」 「タマが小さいんじゃない! タマを当てられたんだよ俺は!」  奏と茜燦だけではなく、そこに鵡亥未来来まで加わって、言い争いになっている。さすがに喜多川が止めに入ろうかとした、その時だった。 「先生、ちょっといいですか? PCがネットに通じないんですけど。それに学生証の通信機能のほうも……」  一人の学生が声をあげた。それが最初だった。 「通信ができない? まさか!?」  喜多川は自分の通信機器を取り出して確かめる。どれも使えない。自分だけではなく、まわりの学生達も同様のようだ。間違いない、これは‥‥。  顔をあげた喜多川の前の空間が歪み、そして次の瞬間には二体のラルヴァが現れた。  一体は蜘蛛と猿が組合わさったようなラルヴァ、そしてもう一体は体長二メートルほどの巨大なトンボのように見える。  たちまち周囲は怒号と悲鳴に包まれた。多くの学生は戦闘系の異能を持たない。ラルヴァと交戦経験がない学生が悲鳴をあげるのも無理はない。 「やれやれ、うるせーなあ。殺っちまうか?」  蜘蛛の方が声を出す。 「めんどくせえよ。とっとと目当てのもん拉致ってずらかろうぜ」 「そうだな、えーと、目当ての女はと……おっいたいた」  蜘蛛が目をつけた女、それは繋だった。繋の姿を認めると蜘蛛はその口から糸を吐き出す。吐き出した糸はあっという間に繋の全身を覆い、糸で作った繭のようなもので繋をすっぽりと包み込んだ。 「はいはい、こんなとこかな。あと頼むよ」 「ああ、めんどくせえなあ。重いもん抱えて飛びたくねーよ」  トンボは繋の入った繭をその足で掴むと、飛び去り、それを追って蜘蛛も整備場を凄まじい速さで飛び出して行った。  それはあまりに一瞬の、まるで冗談のような、悪夢のような出来事で、奏も茜燦も、そして理緒も対応できなかった。 「なんなんだ、アレは。ワープでもしてきたっていうのか? いやいやいや、話は後だ。未来来、明日明、パラス使うぞ! 奴等追いかける!」  我に返った茜燦は即座に行動に移る。幼少時より対ラルヴァ戦闘を経験している彼は行動がはやかった。 「すまん兄ちゃん、あと十分は無理や。ここの調整で適当したら走行中にお釈迦になりかねんからなあ」 「なんだと!?」  通信が復旧したのを受けて、まず喜多川は双葉学園管理科に問い合わせて現状を報告すると共に、繋を抱えて逃げて行ったラルヴァの現在位置を聞く。二体のラルヴァは双葉区を本州との連絡橋に向かって北上中。その時速、なんと二百キロメートルオーバー。そんな速度で移動する蜘蛛型ラルヴァもトンボ型ラルヴァも前代未聞である。まず間違いなく『ダブル』だろう。管理科の報告は悲鳴のようだった。もし、ラルヴァが結界の外に出てしまえば、もうその存在を隠匿する事はできない。ある意味では双葉学園そのものにとって非常にマズい事になる。  管理下の報告を受けて、喜多川は各方面に手を打ってみる事にする。まず連絡したのは空戦能力を持つ魔女研。だが、これは無理だった。東京湾上に現れたラルヴァ討伐で魔女研は出払っていて、割ける戦力がない。 「そうだ、水分君、早瀬君は? 彼の速さなら奴等を捕える事もできるはずだが」 「はい、私もそう考えたんですけど、実は早瀬君、昨日からおたふく風邪で学校を休んでいて‥‥」 「うわ〜」  思わず近くの学生が声を上げた。 「おいよせ、天地。お前が走っても追いつけるわけないぞ」 「うるせえ! じゃあ俺に繋を見捨てろって言うのか!? 冗談じゃない! 必ず奴等を捕まえてやる」 「落ち着けって。冷静に考えろよ」  整備場の入り口では九十九と奏が押し問答を繰り広げていた。奏はなんと走ってラルヴァを追いかけようというのだ。結局奏は走って追いかけるという事は断念したが、その無茶さ、そして何よりいつものへらへらした奏とはかけ離れた激昂ぶりが周囲を驚かせる。 「やはり、手段はこれしかないか……」  いくらかの思考の後、喜多川は一つの結論に達する。外部からの支援が無い以上、自分たちでどうにかするより他に無い。 「天地君、西院君、それに水分君、君たちとここの二台のバイクであのラルヴァから音羽君を奪還し、そして奴等が結界の外に出る前に撃破してもらう。急だが手段はこれしかない」 「何言ってるんですか先生! パラスはともかく、AKFの方は無理ですよ。テスト走行もしていない」  学生の一人が喜多川に言い募る。テストをしていない以上、どのようなアクシデントが起きるかわからない。 「だが、それ以外にないんだ。天地君、どうだ?」 「聞くなよそんな事。行くに決まってるだろ」  普段と調子の違う奏に喜多川も違和感を覚えたが、それでも彼の意思を確認すると理緒と茜燦に顔を向けた。 「君たちはどうだ? 恐らく、上手く行ったとしても君たちの魂源力《アツィルト》も体力も限界まで使い切ることになるぞ」 「ああ、構わないぜ。どの道一人でも追いかけるつもりだったしな」 「私も、音羽さんは大事なクラスメイトですから」  茜燦も理緒も喜多川の指示に従う事を了承する。 「わかった、では作戦を説明しよう。音羽君の救出、そして結界から奴等を出さない、この二つを両立させなければならない」  三人は喜多川の説明に耳を傾ける。      ** 「とんでもない作戦ですよね。無茶にも程がありますよ」  パラス・グラウクスのサイドカーの中で理緒は口を開いた。現在、奏はアールイクスに変身し、バイクにまたがり、茜燦もパラスのコクピットに収まり、理緒はサイドカーの中でそれぞれ出撃を待っていた。 「そうか? ワンオフを仕留めた副会長さんのお言葉とは思えないな」 「そういえば、あの時もこのサイドカーに乗りましたね。……あら、天地さん? どうされました?」  理緒は奏=アールイクスがパラスの脇に立っていた事に気がつく。 「何してるんだ? そろそろ出撃だぞ」 「出撃する前に言っておきたい事があるんだ」 「何でしょう?」 「俺は何が有っても彼女を助けたいんだ。頼むぞ、水分理緒、それに西院茜燦」  それだけ言うと、奏は軽く頭を下げて、自らのバイクのほうに戻って行った。アールイクスに変身しているために、その表情は全く読めない。 「俺の名前はセンザだ。ていうか、なんだアイツ、いきなり……。」 「あら、言ってましたよちゃんと、西院茜燦って」 「思わず訂正したけど、そういえば……。全く、よくわかんない奴だぜ全く」 「ああ見えて結構優しい人なんですよ。天地さんは」 「まあいいか。ああいう風に言われたらきっちりやらなきゃ男じゃないよな」  茜燦は気合を入れ直し、ヘルメットを被った。  バイクに戻った奏に喜多川が近づいてきた。 「どうしたんだ? まだ何か?」 「大した用じゃないんだけどな。君に決めてもらいたいものがある」 「何をだ?」 「ああ、名前だよ、このバイクのな。一応AKF—01ていうコードネームはあるんだが、名前を君に決めて欲しい」 「良いだろう。そうだな……『イクスターミネーター』だ。必ず奴等を追いつめて、そして仕留める。ターミネーターがぴったりだろう」 「わかった。ではあと一分もしたら出撃だ。ぬかるなよ」 「ああ……絶対にな」  アールイクスは力強く頷いた。  そしてそれから一分後、陽が落ちかけた双葉区に白と黒、二台の超バイクが凄まじい轟音をたてて、飛び出した。 ---- [[トップに戻る>トップページ]] [[作品保管庫に戻る>投稿作品のまとめ]]
[[ラノで読む>http://rano.jp/1595]] Xーlink 3話 Apart 【LORD OF THE SPEED / 前座男と二台のバイク】 「ねえねえ、出来た? 新しい『ダブル』」 「ええ、もう性能はあなたの注文通りに、調整もとっくに済んでいますよ。しかし、また天地《あまち》奏《かなで》ですか?」  黒いスーツに身を包んだ男が白衣の男に話しかける。スーツの男の方は顔だけ見ればかなりの童顔だが、年の頃ならおそらく三十代後半といったところ。年齢にそぐわない口調が不気味だ。白衣の男は二十歳前後にみえる白人で、奇麗なブロンドと整った顔立ちが特徴的でハリウッド俳優としても通じそうな見た目をしている。  大小問わず並んだ様々な機器や設備はどれも最新鋭で、どの研究所や大学にも劣らないものだったが、それらとはっきりと違うのは、この部屋には男二人しかいないという事だった。 「そうそう、そりゃもちろんだよ。他に僕が何に使うっていうのさ?」 「せっかくの『ダブル』を一個人のために使うっていうのはね」  白衣の男は溜息をつく、彼には相手の執着が理解できない。 「何言ってるのさ。この設備を整えたのは誰なのかな。それに、アールイクスの事も気にならない?」 「正直、もうアールイクスに興味はありませんね。あれはただの試作機ですよ。 でも、それぞれがやりたい事をやるっていうのがこの組織の基本ですからね。あなたのやる事に異議はありません」 「じゃあ、いいじゃないか。心配しなくてもちゃ〜んと『ダブル』も然るべきところに売ってあげるから。ていうか。もういくつか売ってるから」 「私は金に興味は有りませんが。ああ、わかっているとは思いますが、例によって行動パターンなどは私のほうでは何もしていませんから」 「了解。さあ、今度の嫌がらせはすっごいぞ〜」  跳ねるような口調でスーツの男は部屋を出て行く。いい年をした中年のそのような姿ははっきり言って気持ちが悪かったが、自分たちが持ちつ持たれつな事は確かなのでそれは言わない事にした。  スーツの男と入れ替えで、今度はジーパンにシャツといったラフな格好の男が部屋に入ってきた。外見では二十代後半くらいに見えるが全身から放たれる妖しい雰囲気はとても二十代のものとは思えない。 「おや、今度はあなたですか。ご用件は?」 「大した事じゃないさ。組織名の事についてなんだけど」 「その件ですか。そういえばもうそんな季節なんですね。で、今度は何にするんですか?」  まるで、二人とも明日の予定を話し合うかのような調子である。 「|悪意の幽霊《ブラック・ゴースト》にしようと思うんだけど、どうかな?」 「今度はサイボーグ009ですか? 私に異存なんてありませんよ、所詮便宜上のものですしね」 「そう? じゃあそのように。ところで、彼は何? また天地奏かな?」 「ええ、新しい『ダブル』をね。今度は二体使うとか」 「全く彼にも困ったものだな。素材にするラルヴァの調達も大変なのに。まあ、天地奏の父親には相当手を焼かされたからな」 「さすがは『万魔殿《パンデモニウム》』を生き残った男ですよ。彼には前の研究所を使用不能なまでに破壊されましたから」  思わず溜息が漏れる、そのおかげでしばらく研究がストップした事とデータの喪失は大きな痛手だった。 「そういえば、君にも双葉学園に知り合いがいるんじゃないのか? しかも彼女、最近天地奏に接近しているようじゃないか」 「ええ、でも大した問題じゃありませんよ。所詮、博夢《ひろむ》は出来損ないです」 「ほう、手厳しいな。我々凡人からすればその頭脳は素晴らしいものに見えるのだが」 「ラルヴァのあなたがその言い回しをするのはどうなんでしょうね。……まあ、博夢は天啓を受けられない、一人では何も生み出せない女でしかありませんよ」  白衣の男は口をゆがめ、笑みを浮かべた。      **  世の中には、どうにもソリが合わない、折り合いが悪い人間というものがいるものだ。別にお互い嫌い合っているわけではない、それどころか相手の事すらよく知らない程度の仲なのに不思議と巡り会わせがよろしくない人間というものが。  天地《あまち》奏《かなで》と西院《さい》茜燦《せんざ》がそうだった。  初めての接触は、事もあろうにトイレだった。奏のクラスの二−A、茜燦のクラスは二−D。必然的に同じフロアのトイレを使う事になる。その時、茜燦は奏より一歩早くトイレに入った。運悪く、茜燦が前に立った小便器が最後の一つで他は全部埋まっている。  茜燦はバツの悪い顔をして振り返る。奏と目が合う。だが奏としてもどうしようもない。誰が悪いともいえないし、膀胱が激しく自己主張している今、騒ぐ気もなかった。  二人はどちらともなく、黙って会釈をするより他に無いのであった。  ちなみに、奏はしょうがないから空いていた大便器で小用を足したわけだが、その開放感と共に自然と口から漏れた史上最低の替え猥歌『ぼく、デカマラえもん』を聞いて吹き出した茜燦は少し狙いを外してしまう。最悪でもないがあまりよろしいとはいえないファーストコンタクトだった。  次に二人が接触したのは購買部。昼休みの事だった。このマンモス学園では、購買部の役割は大きい。殆どの生徒が親元を離れて寮住まいのために、弁当を自分で作っている律儀な生徒以外はその胃袋を購買部で満たさなければならないからだ。したがって、昼の購買はいつでも戦争状態である。  奏と茜燦、二人の男の手が同時に最後のカツサンドにのびる。飢えた男二人、それを譲る筈も無い。 「このカツサンド、俺の方が早く手を出したと思うんだが」  茜燦の目が剣呑に輝く。幼少の頃より実戦を経験してきた男の目には並の男なら即座に引く程の凄みがあった。 「いいや、俺だ。誰がなんと言おうと絶対にこの俺様だ! 俺の方が美形だからな!」  だが奏も一歩も引かない、この男には相手の表情を恐ろしいと思うような感性ははじめから存在しないのだ。 「いや、わけわかんねーよ! お前の顔なんざ知るか! とにかくカツサンドは俺のものだからな」 「ふざけんな! カツサンド食えなかったら渚《なぎさ》の学校での楽しみが無くなっちまうだろ! どうすんだまた渚が不登校になったら!」 「誰だよ渚って!? 知らねーよ!」 「朋也《ともや》君酷いです! いいからそのカツサンドをこの天才様に寄越せ!」 「いやだね!」  一つのサンドイッチを前にそれに恋焦がれる男が二人。  争うのは必然であった。このような出会い方でなければ、二人はあるいは親友となれたかもしれない。だが残酷な運命はそれを許さない。カツサンドを前にして二人に譲歩の二文字はない。茜燦の顔はさらに険しくなり、その形相はまさに鬼。奏は低いうなり声をあげる、その声はまさに虎。  まさに一触即発、見敵必殺《サーチ・アンド・デストロイ》、悪即斬。命有る限り戦い、そして壮絶に散る。生き残る男はただ一人、願いを叶えられるのはただ一人!カツサンドにありつける男はただ一人!! 「あれ、まだカツサンド残ってるじゃん、ラッキー! オバちゃん、カツサンドくださいな〜」 「はい、二百円ね。まいどあり」  この道十年余のパートのおばちゃん・西川《にしかわ》清子《きよこ》(四十六)はベテランの匠の技、淀みない動作でカツサンドを袋に入れると、硬貨を受け取り、商品を手渡す。 「いや〜、今日はついてるかも。あれ、あまち〜じゃん。どしたの? 変な唸り声出して。まあ、あまち〜が変なのはいつもの事だけどね。あははははは」  最後のカツサンドをゲットし、意気揚々と引き上げたのは醒徒会書記・加賀杜《かがもり》紫穏《しおん》であった。  残された男二人に出来る事などありはしない。 「「フン!!」」  息もぴったりにお互いにガンを飛ばし合うと、二人は踵を返したのであった。  二回目の接触は(おそらく)、最悪のものだった。      **  土曜日の朝、双葉学園二輪演習場。学園の敷地のほど近くにあり、ごくごく小規模ながらもサーキットとダートコースが備えられたここでは、日夜、生徒達が二輪の演習に励んでいる。秋晴れの十月中旬、演習場には天地奏と喜多川《きたがわ》博夢《ひろむ》以下、数名の喜多川研の生徒が来ていた。奏は突っ立っているだけだが、喜多川研の学生達はピットの脇にテントを設営し、様々な機器のセッティングに追われている。 「こんな所に、こんなコースがあるなんて知らなかったぞ」 「ああ、ラルヴァ戦のために各地に派遣されると未舗装路を行く事が多いからね。バイクを使えれば便利なんだ。だから学園でもこういう場所を作って生徒に二輪の練習を推奨してるってわけさ。一応高校生でも免許は取れるからね」  奏に説明したのは喜多川研の三年生、椿《つばき》幻司郎《げんしろう》である。高校生どころかときどき中学生にも見間違えられる中性的な童顔といつも左手にしている手袋が特徴の男である。 「そうなのか。で、なんでこの俺様が土曜日の朝からこんなところに来させられたんだ?」  朝の弱さに定評のある奏は機嫌が悪い。もともと彼は土曜日は寝るかデートをする日、と決めているのだ。もっとも、デートに休日を使ったことはないのだが。 「それは私から説明しようか」  ピットのシャッターが開き、その中から喜多川博夢が現れる。サーキットに来てもその出で立ちはいつも通りのシャツ、タイトスカート、それに白衣という場ににつかわしくないものだった。 「おお、博夢ちゃん。今日もご機嫌麗しゅう」 「麗しくはない、サーキットは火気厳禁で……。いや、まあそれよくないが、いい。今日、君に来てもらったのは、コイツのテストをしてもらうためだ。八十神《やそがみ》、いいぞ」  喜多川の言葉に応じて、椿と同じく喜多川研の学生である八十神《やそがみ》九十九《つくも》がピットからバイクを転がして現れる。彼が押している白いバイクは大型の、おそらくオンロードタイプと思われるものだった。 「天地君には、今日、このバイクでサーキットを走ってもらう」 「はあ? 俺はバイクの免許なんて持ってないぞ」 「構わないよ、ここは学園の私有地だからね」 「ああ、そうなのか」  奏は得心し、うなずいてみせた。  それで納得が行く訳が無いのは喜多川研の学生達だ。口々に「何を考えてるんですか先生」だの「素人にこんな大型バイクなんて無茶だ」だの「死ぬからやめてください」だのと言い募る。  だが、そんな事を気にする彼女ではない。「問題無い」の一言で学生の意見を切って捨てると、学生達に西院び指示を出し始めた。実際の所、喜多川にはなんの裏付けも根拠も無いが、奏の過去が喜多川の推測通りならその程度の訓練は受けているだろうという勘があった。  数十分後、ライダースーツに着替えた奏は喜多川が用意したホワイトカラーのHONDA CBR1300XX スーパーブラックバード2というバイクにまたがっていた。数年前に発売された時、HONDAはおかしくなったんじゃないかと言われた、公道を走るには最早無駄なレベルの無闇な排気量とスピードを持つこのバイクは喜多川とその協力者によってチューニングされ、もはや得体の知れないモノに仕上がっている。 「おいおい、マジで乗る気なのかよ、奏」  意気揚々とバイクのエンジンをスタートさせた奏に九十九が話しかける。天地奏という男が正気ではない事を彼も短い付き合いの中でも十分に知っていたが、それにしたってこれはおかしい。125cc程度ならばともかくとして、国内では扱い辛すぎてまともに売れず、最高速の記録が欲しかっただけとまで言われたこのバイクの、しかもチューンモデルを素人が乗るなど考えられない。一つ間違えれば死、だ。 「ははははは!心配性だな、この天才様に出来ない事などないだろう。どきたまえ。ひとっ走りしてくるから」  いつも通りの根拠の無い自信を見せると奏はアクセルを捻り、その車体を発進させる。耳をつんざくような、凄まじいエンジン音をたてて奏の姿はあっという間に小さくなって行った。 「先生、やっぱりまずいですよコレ。案の定、最初は様子見でとかしやがらねえしあのバカ」  九十九は喜多川に言い募る。 「いや、やはり天地君はバイクに乗った事があるようだね」 「え?」 「考えてもみろ、この場で誰か彼にバイクのスタートの仕方を教えたか? ギアチェンジの仕方は? 何一つ教えていない。なのに彼はそれができている」 「ああ、言われてみれば確かに。先生はこの事がわかっていたんですか?」 「まあ、なんとなくね」  ひとまず自分の予測が正しかった事に安堵して喜多川はポケットからあるものを取り出そうとして、やめた。思わず眉間に皺がよる。足りない。『アレ』が決定的に足りない。 「はあ、さすがというかなんというか、うちの先生の考えている事はよくわからんな」  奏がスタートしてから数分後、ピット前の特設テントでは九十九と椿が走行データとにらみ合っていた。 「さすがといえば天地君もなかなか凄いよ。あのモンスターを上手い事操ってるね。あれを乗りこなせるとは思わなかった」  データを見ながら椿は嘆息する。奏の運転はかなり荒削りだが、それでも1300ccのモンスターマシンを乗りこなしている事は確かだ。 「確かに、な。荒削りだがライディングの基礎はきっちりしてやがる。才能だのアホなガキが無免許のバイク遊びで身につけただのってもんじゃない。どっかで訓練でも受けたに違いないな。ますます得体のしれない野郎だぜ。本当に何者なんだあの自称天才様はよ」 「さあ? 詮索するとただでさえ機嫌の悪いセンセーの気分がさらに悪くなっちゃうよ。僕も彼を『観ちゃいけない』って言われてるからさ」 「そうだ、そういやなんでうちの女王様の機嫌が悪いんだ今日は。いつにもましてぶっきらぼうというか」 「ああ、サーキットは火気厳禁だからね。ニコチンが足りないんじゃない?」  椿の言う通り、ヘビースモーカーである喜多川博夢の機嫌の悪さはそこに理由があった。      ** 『なあ、いったいいつまでこれを続けるんだ? 飽きたんだが、というか腹が減ったんだが』 「これでは物足りないと?」 「当然だろう、この天才様にこんな反復演習なぞ無意味だ」  テストが始まって約二時間、数度の休憩を挟みながら、奏はひたすらにサーキットを走り続けていた。元来飽きっぽさには定評のある奏はスピードにもすっかり慣れている。完全にだらけてインカムに向かって思わず不満をこぼす。  奏に対しての喜多川博夢の返答は『笑み』だった。インカム越しの会話なのでもちろん奏には喜多川の笑みが見える筈も無い。だがそれを見た喜多川研の学生達は総毛立つ。彼女がこのような笑みを浮かべた時はロクな事がない事を彼らは経験から知っている。  そして学生達の予感は見事に的中する。  ピットに面したホームストレートの向こうの黒い影を最初に発見したのは九十九だった。慌てて目をこらすと、それは凄まじい速さで接近してくる。間違いない、バイクだ。 「先生、今日ってうちらの貸し切りじゃないんですか?」 「そうだが」 「じゃあなんですか、アレ?」 「ああ、あれもテスト予定のうちだ」  八十神九十九は思わず頭を抱えた。なんとなくそんな予感はしていたが、やはり目の前の女(年下である)には時々ついて行けないと思う。  現れた黒いバイクは奏の白いバイクを猛追し、そしてあっという間に並んでみせた。 『おい、なんだこの黒いの!』 「ただ走る事には飽きただろう? だから、次のテストだよ。その黒いバイクとレースしてみなさい」  インカム越しに奏に対して喜多川は涼しい顔で言ってのける。 「いやいや、先生、無茶ですって!」 『レースか! 燃えてくるシチュエーションだな!』 「うわ、ノリノリだしこの人」  案の定という感じだったが、それでも喜多川研の学生達は驚くより他無い。  奏は横を走る自分と同じバイクのブラックカラーを一瞥すると、唇を少し舐め、アクセルを吹かす。  そしてデッドヒートが始まった。 「いやぁ、喜多川先生、ごきげんよろしゅう」 「喜多川先生、こんにちは」  黒と白の同型機によるレースが始まると同時にテントに現れたのは双子の姉妹だった。見た目はそっくりだが、一人はハイテンションで笑顔を振りまいているのに対して、もう一人は初対面の人間達に囲まれて落ち着かないようだ。 「すまないね。今日は協力していただいて。鵡亥《むい》未来来《みらく》君、明日明《あすあ》君」 「いえ、おやすい御用です。この程度でうちのパラスのオーバーホール手伝ってもらえるなんてむしろこっちが申し訳ないくらいで」 「そうそう、兄ちゃん女王蜘蛛の時はパラスに相当無茶させよったからな。センザ兄ちゃんもちょっと鍛え直した方がええって事で」  そう、奏と今競い合っているのは西院茜燦だった。お互いに相手はわかっていないが、これが三回目のコンタクトとなる。  茜燦の持つモンスターマシン、パラス・グラウクスにオーバーホールが必要になったのがそもそもの始まりだった。茜燦は女王蜘蛛の一件の際、パラスで山道を踏破し、壁を破るという無茶をやらかした。さしものモンスターマシンもここまでの無茶をしてただで済むわけもない。徹底的なオーバーホールが必要になったわけだが、普段パラスのメンテナンスをしている鵡亥姉妹は困り果てた。彼女達は超科学系異能を持つ秀才だったが、この全長四メートルを誇るモンスターマシンを二人でオーバーホールするには設備も人手も時間も足りない。そこで、支援を依頼すべく、喜多川研に赴いた。  喜多川としてもこれは渡りに船だった。天地奏の専用マシンを作成する為には、まず彼にバイクの特訓を課す事は必須だったが、彼女にはそれに付き合ってもらう適当なドライバーの知り合いがいなかった。そこに現れたのが鵡亥姉妹である。喜多川と姉妹は見事に利害の一致をみた。 「くくくく……」 「うふふふふ‥‥」 「あはははは……」  女科学者達は顔を寄せて笑い合う。その光景は一見すると、美女と美少女達の和やかな会話のように見えたが、その実まわりにいた学生達は何故か寒気を覚えた。     ** 「で、結局先週の土曜は一日中サーキットを走り回っていたわけだ」 「ああ、明《・》ら《・》か《・》に《・》俺様の方が実力は上だったのに、向こうがなかなか諦めなくてな。誰か判らずじまいだったが、今度あったら絶対……」 (コイツもしかすると負けたな)  サーキットでのテストから二日後の月曜日の第二限、音羽《おとわ》繋《つなぐ》と天地奏は学園のグラウンドにいた。今は体育の時間、今日の二—Aの体育(男子)は二—Dとのソフトボールの試合となっている 「そういやさ、アンタソフトボールやった事あんの?」 「知らん! だが俺はやるぞ!」  鼻を鳴らして大きな声で元気よく無知をアピールする人間はそうそういない。根拠の無い自信はいつも通りだった。 「では、ここで一曲!」  颯爽と、どこに仕込んだのやら、体操着の中からフルートを取り出すと演奏を始める。音楽に造詣の深くない繋だったがその曲はよく知っていた。 「フルートで六甲おろしはやめなさい!」  グラウンドに妙なアレンジの『六甲おろし』が流れてから数分後、ピッチャーマウンドには西院茜燦、そしてバッターボックスには天地奏が立っていた。茜燦は先発ピッチャー、奏は一番バッターである。 「顔が良い順に打つべき。そして俺はこのクラスで一番カッコイイわけだから当然俺が一番というわけだ」  意味不明な超理論を展開すると奏は意気揚々とバットを振り回し、打席に向かう。もっとも、奏以外には誰も月曜の二限からソフトボールに血道をあげる人間などおらず、気になるあの子に良い所を見せたい。などという健全思春期少年以外は基本的にやる気が無い為に、一番バッター=天地奏はこれといった反対もなく通った。盛り上がっているのは見学の女子だけである。  奏が打席に立つと、二—Aの女子と反対側に陣取っている二—Dの女子達は黄色い声を上げた。 「天地さん、人気があるんですねえ」  繋の横に座る水分《みくまり》理緒《りお》は感心したような声を漏らす。それはそうだろう。奏を良く知る二—Aの女子は誰も奏に黄色い声をかける者はいない。それどころか敵チームのピッチャー、西院茜燦に声援を送っているものまでいた。 「ああ、まあ噂は聞いてるだろうけど、他のクラスの人はアイツについて今イチ良く知らないだろうから」 「ちょっと酷いけどそうかもしれませんね」 「そういやさ、D組のピッチャーの人誰? ちょっと格好良くない?」 「ああ、彼ですか? 彼は西院茜燦さんですよ」 「何、前座?」 「お約束ですね〜。前座じゃありません茜燦です。彼のバイクはちょっと凄いんですよ」 「はあ。バイクねえ」  バイクと聞いて繋は先ほど聞いた奏のバイク練習の話を思い出した。そこで奏が競った相手が今、話題に挙っている西院茜燦である事は彼女には知る由もなかったが。  ピッチャーマウンドの西院茜燦は得体の知れない何かを違和感を覚えていた。その原因は他の誰でもない、今彼の数十メートル前のバッターボックスでバットを構える男、天地奏であった。茜燦も噂で耳にしたとびきりイカレタ転校生。  奏の構えは誰の目にもメチャクチャだった。そもそもバットの握りがおかしい。左手が上にきている。それに足を殆ど開いてない上に棒立ちだ。あれではバットがボールを捉えてもまともに飛ばす事はできないだろう。  ここまで見る分にはただのド素人だ、恐るるに足らない。だが問題は奏の妙な自信とそして無駄な気迫にある。先日の購買部での一件で茜燦は奏がただ者ではないであろう事を理解していた。もし、身体強化系の異能者だったら、厄介だ。あんなクソフォームでも場外に飛ばしてしまうかもしれない。かくいう茜燦自身も身体強化異能を持っていたが、このような状況では異能は発動しない。発動には条件があるのだ。 「おい、なんのつもりだ、お前?」  茜燦の声が低くなる。その原因は奏がバットをバックスタンドに向けているためだ。紛う事無く、それは予告ホームランのサイン。 「おや、見て判らないか? カツサンド泥棒君。これは予告ホームランというものだよ」  にへらにへらと笑いながら答える奏。それは最高にむかつく笑顔だった。 「見れば判るぞその位! 大体俺はカツサンド泥棒じゃない! あの時カツサンドを買ったのは醒徒会だろ」 「そういえば、そうだったな。では名を名乗りたまえ! バットの錆にしてやる前に名前くらいは覚えておいてあげようじゃないか」 「どこまでも人の神経を逆撫でする奴だな。いいか、じゃあしっかり聞いとけよ、俺の名前は西院茜燦だ!」 「前座君? だから先発ピッチャーなのかな」 「お約束だが前座じゃねえ! サ・イ・セ・ン・ザだ!」 「では、俺の名前も教えてあげよう前座君! 俺は天と地に俺の音を奏でる、今世紀最高の天才、天地奏だ!」 「知ってるよ……。というか、何度も言わせるな、前座じゃない!」 「はあ、もういいよ。いいから早く投げたまえ前座君。俺の後ろの三十路独身男性体育教師がお怒りだ」  確かに審判を勤める体育教師は怒っているように見える。だがそれは間違いなく奏のせいだ。  前座と間違えられるのは最早お約束、その事でいちいち怒っていたらキリが無い事を茜燦は十分に理解していた。だが、目の前の男に関しては何故か頭に来た。そもそもコイツさえいなければ、自分はあの日カツサンドにありつけたわけだ。あの少し冷めたカツと、濃厚なソースが染みたパンの織りなす完全調和《パーフェクトハーモニー》、その至福を邪魔した男にむざむざ打たれるわけにはいかない。茜燦は球技には拘りがあった。  必ず三球で仕留めてみせる!  裂帛の気迫と共に勢いをつけて思い切り振りかぶり、必殺の気合と共に西院茜燦はソフトボールをキャッチャーミット目がけて放り投げた。  一方の奏も茜燦の気迫に呑まれる事はない。それを迎え撃つ。男同士の意地と意地が今、真正面から激突する。  この勝負の結果がどうなったか。結論から言うと、天地奏は塁に出た。ただし、彼はとても走れる状態ではなかったので塁に出たのは彼の代走の生徒だった。何故このような事になったのかと言えば、実に単純な話で、茜燦の放った白球が奏の頭部に直撃したからである。奏は即タンカで保健室送り。茜燦はそのあまりに見事な危険球でクラスメイトにピッチャーの座を引きずり降ろされた。西院茜燦、双葉学園でも屈指の球技好きは、超ノーコン男でもあった。      **  ソフトボール対決からおよそ一週間後の午後五時過ぎ、奏と繋は喜多川に呼ばれて学園内の車輛整備場に来ていた。普段ここでは学園の備品扱いとなっている車輛の整備や、理工学部が制作する車輛の整備が行われている。  現在、ここには二台のバイクがある。一つは言わずと知れた全長四メートルのモンスターマシン、パラス・グラウクス。そしてもう一台は白をベースとした塗装に金のラインが入っている、アールイクスのような色彩パターンの大型バイクだった。と、いってもパラスに比べると普通のバイクという感じでしかないのだが。それよりも奇妙なのはカウルだった。オンロード車にしてはカウルが少ないし、逆にオフロード車にしては多い。  喜多川研の学生達と鵡亥姉妹、それに喜多川本人も二台のバイクの最終調整に追われていた。奏も整備場に到着して早々、力仕事に駆り出されている。 「喜多川先生、なんですか、このバイク達?」  繋は思い切って喜多川に疑問をぶつけてみた。バイクには詳しくないが、それでもこの異常に大きい黒のバイクと奇妙な白いバイクは気になる。 「黒い方は西院君のバイク、そして白い方は天地君用のバイクだ。いや、というよりもアールイクス用かな?」 「ああ、なんかお約束って感じですね。やっぱり変身とかする人は専用バイクとか持ってなくっちゃ」  そう言っていつの間にか整備場には醒徒会副会長・水分理緒がいた。 「あれ、水分さん? どうしてここに?」 「その辺を散歩していたら、何か賑やかだったんで寄ってみたんです。まずかったですか? 喜多川先生」 「構わないよ。醒徒会に隠し事はしない」 「あら? ルール君が言ってましたよ。喜多川先生は私たちに何かお隠しになっているって」  いつも通りの上品な笑顔を浮かべる理緒だったが、何故か繋は寒気を覚えた。  水分理緒が来てから数分後、今度はパラス・グラウクスの現オーナーである西院茜燦が姿を見せた。勿論目的はオーバーホールを終えたパラスの受け取りであったが、当然のごとく奏は茜燦に食って掛かる。 「テメーはこの間の死球前座男! どの面下げてこの俺様の前に姿を見せやがった!」 「何度でも言うが俺は前座じゃない、センザだ。それに、この間のは悪かったって。謝っただろ?」 「なんや、謝ったのにぐちぐちぐちぐち! タマの小さいニーちゃんやなあ!」 「タマが小さいんじゃない! タマを当てられたんだよ俺は!」  奏と茜燦だけではなく、そこに鵡亥未来来まで加わって、言い争いになっている。さすがに喜多川が止めに入ろうかとした、その時だった。 「先生、ちょっといいですか? PCがネットに通じないんですけど。それに学生証の通信機能のほうも……」  一人の学生が声をあげた。それが最初だった。 「通信ができない? まさか!?」  喜多川は自分の通信機器を取り出して確かめる。どれも使えない。自分だけではなく、まわりの学生達も同様のようだ。間違いない、これは‥‥。  顔をあげた喜多川の前の空間が歪み、そして次の瞬間には二体のラルヴァが現れた。  一体は蜘蛛と猿が組合わさったようなラルヴァ、そしてもう一体は体長二メートルほどの巨大なトンボのように見える。  たちまち周囲は怒号と悲鳴に包まれた。多くの学生は戦闘系の異能を持たない。ラルヴァと交戦経験がない学生が悲鳴をあげるのも無理はない。 「やれやれ、うるせーなあ。殺っちまうか?」  蜘蛛の方が声を出す。 「めんどくせえよ。とっとと目当てのもん拉致ってずらかろうぜ」 「そうだな、えーと、目当ての女はと……おっいたいた」  蜘蛛が目をつけた女、それは繋だった。繋の姿を認めると蜘蛛はその口から糸を吐き出す。吐き出した糸はあっという間に繋の全身を覆い、糸で作った繭のようなもので繋をすっぽりと包み込んだ。 「はいはい、こんなとこかな。あと頼むよ」 「ああ、めんどくせえなあ。重いもん抱えて飛びたくねーよ」  トンボは繋の入った繭をその足で掴むと、飛び去り、それを追って蜘蛛も整備場を凄まじい速さで飛び出して行った。  それはあまりに一瞬の、まるで冗談のような、悪夢のような出来事で、奏も茜燦も、そして理緒も対応できなかった。 「なんなんだ、アレは。ワープでもしてきたっていうのか? いやいやいや、話は後だ。未来来、明日明、パラス使うぞ! 奴等追いかける!」  我に返った茜燦は即座に行動に移る。幼少時より対ラルヴァ戦闘を経験している彼は行動がはやかった。 「すまん兄ちゃん、あと十分は無理や。ここの調整で適当したら走行中にお釈迦になりかねんからなあ」 「なんだと!?」  通信が復旧したのを受けて、まず喜多川は双葉学園管理科に問い合わせて現状を報告すると共に、繋を抱えて逃げて行ったラルヴァの現在位置を聞く。二体のラルヴァは双葉区を本州との連絡橋に向かって北上中。その時速、なんと二百キロメートルオーバー。そんな速度で移動する蜘蛛型ラルヴァもトンボ型ラルヴァも前代未聞である。まず間違いなく『ダブル』だろう。管理科の報告は悲鳴のようだった。もし、ラルヴァが結界の外に出てしまえば、もうその存在を隠匿する事はできない。ある意味では双葉学園そのものにとって非常にマズい事になる。  管理下の報告を受けて、喜多川は各方面に手を打ってみる事にする。まず連絡したのは空戦能力を持つ魔女研。だが、これは無理だった。東京湾上に現れたラルヴァ討伐で魔女研は出払っていて、割ける戦力がない。 「そうだ、水分君、早瀬君は? 彼の速さなら奴等を捕える事もできるはずだが」 「はい、私もそう考えたんですけど、実は早瀬君、昨日からおたふく風邪で学校を休んでいて‥‥」 「うわ〜」  思わず近くの学生が声を上げた。 「おいよせ、天地。お前が走っても追いつけるわけないぞ」 「うるせえ! じゃあ俺に繋を見捨てろって言うのか!? 冗談じゃない! 必ず奴等を捕まえてやる」 「落ち着けって。冷静に考えろよ」  整備場の入り口では九十九と奏が押し問答を繰り広げていた。奏はなんと走ってラルヴァを追いかけようというのだ。結局奏は走って追いかけるという事は断念したが、その無茶さ、そして何よりいつものへらへらした奏とはかけ離れた激昂ぶりが周囲を驚かせる。 「やはり、手段はこれしかないか……」  いくらかの思考の後、喜多川は一つの結論に達する。外部からの支援が無い以上、自分たちでどうにかするより他に無い。 「天地君、西院君、それに水分君、君たちとここの二台のバイクであのラルヴァから音羽君を奪還し、そして奴等が結界の外に出る前に撃破してもらう。急だが手段はこれしかない」 「何言ってるんですか先生! パラスはともかく、AKFの方は無理ですよ。テスト走行もしていない」  学生の一人が喜多川に言い募る。テストをしていない以上、どのようなアクシデントが起きるかわからない。 「だが、それ以外にないんだ。天地君、どうだ?」 「聞くなよそんな事。行くに決まってるだろ」  普段と調子の違う奏に喜多川も違和感を覚えたが、それでも彼の意思を確認すると理緒と茜燦に顔を向けた。 「君たちはどうだ? 恐らく、上手く行ったとしても君たちの魂源力《アツィルト》も体力も限界まで使い切ることになるぞ」 「ああ、構わないぜ。どの道一人でも追いかけるつもりだったしな」 「私も、音羽さんは大事なクラスメイトですから」  茜燦も理緒も喜多川の指示に従う事を了承する。 「わかった、では作戦を説明しよう。音羽君の救出、そして結界から奴等を出さない、この二つを両立させなければならない」  三人は喜多川の説明に耳を傾ける。      ** 「とんでもない作戦ですよね。無茶にも程がありますよ」  パラス・グラウクスのサイドカーの中で理緒は口を開いた。現在、奏はアールイクスに変身し、バイクにまたがり、茜燦もパラスのコクピットに収まり、理緒はサイドカーの中でそれぞれ出撃を待っていた。 「そうか? ワンオフを仕留めた副会長さんのお言葉とは思えないな」 「そういえば、あの時もこのサイドカーに乗りましたね。……あら、天地さん? どうされました?」  理緒は奏=アールイクスがパラスの脇に立っていた事に気がつく。 「何してるんだ? そろそろ出撃だぞ」 「出撃する前に言っておきたい事があるんだ」 「何でしょう?」 「俺は何が有っても彼女を助けたいんだ。頼むぞ、水分理緒、それに西院茜燦」  それだけ言うと、奏は軽く頭を下げて、自らのバイクのほうに戻って行った。アールイクスに変身しているために、その表情は全く読めない。 「俺の名前はセンザだ。ていうか、なんだアイツ、いきなり……。」 「あら、言ってましたよちゃんと、西院茜燦って」 「思わず訂正したけど、そういえば……。全く、よくわかんない奴だぜ全く」 「ああ見えて結構優しい人なんですよ。天地さんは」 「まあいいか。ああいう風に言われたらきっちりやらなきゃ男じゃないよな」  茜燦は気合を入れ直し、ヘルメットを被った。  バイクに戻った奏に喜多川が近づいてきた。 「どうしたんだ? まだ何か?」 「大した用じゃないんだけどな。君に決めてもらいたいものがある」 「何をだ?」 「ああ、名前だよ、このバイクのな。一応AKF—01ていうコードネームはあるんだが、名前を君に決めて欲しい」 「良いだろう。そうだな……『イクスターミネーター』だ。必ず奴等を追いつめて、そして仕留める。ターミネーターがぴったりだろう」 「わかった。ではあと一分もしたら出撃だ。ぬかるなよ」 「ああ……絶対にな」  アールイクスは力強く頷いた。  そしてそれから一分後、陽が落ちかけた双葉区に白と黒、二台の超バイクが凄まじい轟音をたてて、飛び出した。 ---- [[トップに戻る>トップページ]] [[作品保管庫に戻る>投稿作品のまとめ]]

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