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目を薄く開くと、見覚えのない真っ白な天井が目に飛び込んできた。
ここは……?
まだぼんやりとした頭で、記憶をたどってみる。
朝、学校に行く。そのまま何もなく授業時間を終える。そして……それから……そうだ、放課後の化学部の実験で薬品を混ぜ間違えて……?
どうやらその後に何かあったらしい。記憶の糸はそこで途絶えていた。
意識を今に戻す。すると大体の事情が読めてきた。
ここは病院のベッドの上。どうやら結構眠っていたらしい。テレビの上に置かれたカレンダーつきの時計の日付は、最後に見た日付の三日後を指していた。
病室を物色していると、僕の名前を呼ぶ声が聞こえた。
「まこと……?」
あ、母さん。彼女は病室の入り口のところで立ち尽くしていた。突然の訪問者に僕はうまく表情を返すことができなかった。
「まことっ! ああ、よかった!」
母さんは持っていた荷物も放り出して僕の胸に抱きついてきた。……胸?
「このまま目が覚めなかったらと思うと、心配で心配で……。」
「母さん、あの……。」
目に溢れんばかりの涙を浮かべている母さん。その話をさえぎるのは気が引けるが、落ち着いてはいられなかった。
「む、むね……。」
なぜなら、胸が、膨らんでいる。僕の胸が。腫れたような感じではない。これじゃあまるで……。
母さんは黙ってうつむいた。喉がごくりと鳴る音を聞いた。
しばらく沈黙が流れたが、やがて静かに優しい声で語りかけられた。
「まこと、驚かないで聞いてね。今のあなたの体は、完全に女の子なの。」
オンナノコ?
「お医者様も首をかしげていたわ。いったいどんな実験をしたらこうなるのかって。とにかく、現代の医学では元に戻す方法はない、と。」
モドスホウホウハナイ。
「それで、無理に男に戻る方法を探るより、このまま女として生きた方が幸せなんじゃないかって。まことはどう思う?」
シアワセ……。
「まこと?」
「あ、ごめん、何?」
母さんが話した言葉を、僕の脳はうまく解釈できなかった。あわてて返事を返すと、母さんはため息混じりに、
「そうよね、いきなりこんなこと言われても実感無いわよね。ゆっくり考えなさい。」
と、僕の頭をぽんぽんと叩いて出ていった。
母さんが帰った後、僕はあわててシーツの中に手を伸ばした。
少し逡巡した後、思い切って股の間に触れてみる。無い。たったそれだけのことで、人生を全て失ったかのような気がして、涙が溢れて止まらなかった。

夕日が弧を描いてビルの谷間に赤く揺らめいている。美しい。あれからまたいつの間にか眠っていたようだ。
ふと思い立ってテレビ台の中を探ってみる。そうして見つけ出した手鏡を恐る恐る眺めてみた。
お姉ちゃんそっくりの女の子が引きつった顔で見つめ返してきた。これが、今の僕なのか。今度は不思議と素直に受け入れることができた。
手鏡を元に戻し、しばらく外を眺めていると、病室の扉が開いた。
「先生……。」
増田先生。僕の通っている高校の、化学の先生。まだ新任二年目で、僕たちと同時に「入学」してきたのだが、生徒からの人気は高い。
「すまなかった!」
「や、やめてくださいよ、先生。」
いきなりの土下座。僕は慌てて声をかける。
「俺の監督責任だ。」
増田先生は僕の所属している化学部の顧問でもあった。
しかし先生が気に病む必要は無い。なぜならあの日彼は出張で、僕は自己責任で実験していたのだから。
という旨を伝えたはずなのだが、頑なに態度を変えようとはしなかった。
「だが、俺がちゃんと君に注意していればこんなことには……。」
「分かりました、分かりましたから頭を上げてください!」
結局、不毛なやりとりを半時間ほど続けた挙句、うちの家族が見舞いに来たので帰ってしまった。
まったく仕事熱心な人だ。

退院は、あれからすぐ翌日にできた。外傷も内傷もまったく無かったらしい。人体とは不思議なものだ。
「おかえり!」
玄関で満面の笑みで迎えてくれたお姉ちゃん。
それに反して、僕は適当にただいまを返して素通り。自分の部屋でベッドに倒れる。正直疲れた。
「入っていい?」
返事をするのも面倒くさくて黙っていると、肯定と取ったのかそのまま僕の部屋に入ってきた。まったく、姉という生き物は。
「今日はお風呂一緒に入ろうか。」
「は?」
何を言い出すんだ、この人は。
「ね!」
「う……。」
涙は女の武器とはよく言うが、笑顔もまた強力な武器なんじゃないだろうかと思う。
目、キラキラさせすぎです。逆らえません。
「分かったよ……。」

目のやり場に困る。
すぐ前には大きな鏡があるし、下には見慣れないふたつのカタマリ。後ろにはお姉ちゃんが上機嫌で僕の背中を洗っている。
「一緒に入るの、小学校のとき以来だね。」
人形のように固まったまま動くことができない。だって恥ずかしすぎるじゃないか。いくら家族とはいえ、もうすぐ成年を迎える、しかも昨日まで異性だった人が真っ裸で真後ろにいる。そして僕もまた、その「異性」の姿で一糸まとわぬ姿を晒している。
「おーい、聞いてる?」
聞いてますよ聞いてます。と心の中では返事をするのだが、まるで金縛りにでもあったかのように首一つ振れなかった。
「ふふ。心配しなくてもきっとすぐに慣れるから、大丈夫だよ。」
ひととおり僕の体を洗い終えると、お姉ちゃんは洗面器で浴槽からお湯をすくって、
「ばしゃーん!」
風呂場に響いた子供のいたずらのような声がおかしくて、僕は思わずふきだした。
「やっと笑った。」
「あ。」
「ほら、そこどいたどいた。」
言うが早く椅子を占領される。しかたがないので湯船につかる。
「何かあったらさ、」
「うん?」
「いつでも頼ってきなさいよ。」
タオルを泡立てながら語るお姉ちゃん。
「これでも一応、あんたより十九年も長く女やってるんだからね。」
「うん。」
背、縮んだのかな。お姉ちゃんの背中がいつもより少し大きく見えた。

後日、家庭裁判所にて、僕は社会的にも女として認められることとなった。割と、すんなり。
人生の転機というのは未知の力による性転換をもってしても簡単に訪れるものではないらしい。
それからの僕の日常は相変わらずだった。変わったことといえば、保健体育のカリキュラムと、月に一度面倒臭いことになるくらい。
と、そう思っていた――もしくはそう思いたかっただけかもしれない――僕が自分の変化に気付かされたのは半年ほど後、ある日の夕食の席だった。
何気ない会話の何気ない一言。それを発した本人であるお姉ちゃんは、きっとすぐに忘れたんだろう。
「そういえばまことさ、最近増田先生の話よくするよね。」
しかしそれは僕の中に眠っていた得体の知れない感情を呼び起こすには十分であった。

昼下がり。僕の視線はまっすぐと、教壇に立つ男性だけに注がれていた。
胸が苦しい。授業が早く終わればいいのに。いや、永遠に続けば。いっそ家庭教師なら……。
内容は頭の上をむなしく素通りする。もっとも、この科目に限っては、聞いていなければならないようなことはとっくに理解しているのだが。
突然視界がさえぎられた。見渡すと全員席を立っている。いつチャイム鳴ったんだろう。……最近はずっとこんな調子だった。
一礼をすませると、教室を出て行く先生の後を追う。悪いことをしているわけじゃないのに、なるべく目立たないように気を配る。
「増田先生、今日の部活のことですけど……。」
「おう、先にはじめておいていいぞ。」
「はい!」
たったこれだけの会話でも心臓が飛び出そうになる。我ながらかなり重症だ。

ガスバーナーに火をつけると、ビーカーの中の液体がごぽごぽ音を立てて泡立っていく。実に化学部らしい光景だ。
「先輩!」
一年生が呼んでいる。今この場にいるのは彼と僕の二人だけだから、当然僕のことなんだろう。そんなことに気付くにもいちいちいつもより時間がかかる。もう、しゃっきりしろ! 僕。
今行く、と机に手をついて……。
「熱っ!」
机に手をついたつもりが思わずバーナーに触ってしまった。まさかそんなことをする奴がいるなんて夢にも思ってもいなかったが、それが自分だとは。笑えない。
バーナーが倒れる。それに呼応してビーカーが音を立ててはじけた。
「きゃっ!」
すごく女っぽい声。僕の口から出たとはとても信じられない。
それはともかくとして、後輩が僕の腰あたりを指差して絶句していた。なんだろうと思って見てみると、制服の上から羽織っていたカーディガンが燃えている。
ええと、ええと、どうしよう。とりあえず脱がないと危ないな。それでええっと……。
後に思う。なんであんな馬鹿なことをしたんだろう。パニック状態に陥った人は何をしでかすか分からない。
僕は脱いだカーディガンを、ガスバーナーのほうに投げ出した。そんなことをしたから火がよりいっそう早く回る。当たり前だ。
もうそれから後はあまり覚えていない。とにかくおろおろしていたら先生がやってきて、そのときはもう手遅れで、避難訓練が実際に活かされるなんて生徒たちは初めてだっただろう。

後日、案の定増田先生に呼び出された。僕はいったいどんなお叱りを賜るのだろう。いや、もしかしたら優しくなだめてくれるのかも。なんて、考えが甘いかな。
しかし彼が最初に口にしたひとことは叱咤でも激励でもなかった。
「辞表出してきた。」
意味をすぐには飲み込めなかった。
数瞬後、はっと気付いた時には叫んでいだ。
「そんな! 僕のせいで。」
「君のせいじゃないよ、誰のせいでもない。」
「でも……。」
「本当に火事の件は関係ないよ。もともと俺には教師は向いてなかったんだ。」
顔が熱い。
「じゃあ、なんでわざわざ僕だけ呼び出したりして……。」
そこから先は言葉にならなかった。うつむくと雫がこぼれて、自分が泣いているんだと分かった。
「辛い思いをさせてしまったから。改めて謝りたかったんだ。本当にすまなかった。」
ただ首を横に振ることしかできなかった。
教室に僕のすすり泣く声だけが響いて、またいっそう不安になる。
どうにか落ち着きを取り戻すと、頭の中から指令が聞こえた。今だ、今しかない、言うんだ。
「先生。」
ばっちりと目が合って、少し怖気づく。頑張れ、まこと!
「好き、でした。」
最後は消え入りそうな声だった。もう返事も聞かずに逃げ出してしまおうかと思った。半年前まで男だった生徒なんて相手にしてくれるはずない。
と、そう思っていると肩が揺れた。先生の顔が目の前にある。つまり、これは、抱き合っている形だ。
「せ、先生!」
「手がかかる子ほど可愛い、か。」
それもすぐに解放された。もっとそうしていたかったという思いもあるが、あのままだといけない気持ちになってしまいそうだった。
「今はまだ無理だけど、いつか……。」
「本当にぼ……私なんか……。」
「ああ。」
嘘じゃないかとほっぺをつねりたくなるが手が動かない。多分、顔は真っ赤だろう。
言葉に詰まった。むしろこのまま無言の時間を共有するのもいいな、とも思ったが、無情にもタイムアップはやってきた。
「じゃあ、元気でな。」
「あ、はい。先生こそ、お元気で。」
もっと何か言えないのかという気もしたが、口がうまく回らなかった。

翌日、学年集会が開かれて、先生は発っていった。
いつか、その日が来るまでに、彼にふさわしい人になる。私の女としての人生は、その時始まったのだった。

[おわり]

元レス
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1220262396/20-23
最終レス投稿日時
2008/09/04 23:37:30