『凍った炎<ははのぬくもり>』
(ロンドンの街を震撼させた連続無差別放火犯・Grigori Urnov。
郊外の民家に火を放とうとしていた所を現行犯逮捕される。
尋問の席にて静かに語る彼の瞳は、何かに怯える様に震えていた)
「僕の故郷(ふるさと)は、寒い土地でした。
一年を通して厚い雲が空を覆い、そしてその雲からは白い雪が絶え間なく降っていました。
雪は突風(かぜ)に乗り吹雪となり、大地を凍らせました。
その頃、僕はまだ幼い子供でした。
日々寒さに震え、しかし決して抗えずに冷たい死に怯えるだけの無力な子供でした。
そんな時、凍り付きそうになる僕の心を包んだのは、母の優しく、暖かな笑顔でした。
僕の小さな身体を抱いてくれたあの温もりは、今でも胸(ここ)に残っています……
幾度も季節は廻り、幾度も冬が訪れました。
その度に僕の周りでは人が減って行きました。
親切だったおばさんも、仲の良かった友達も、大好きな父も、皆いなくなりました。
降り積もる雪、されど時は決して凍らず流れ続け……
所が、ある雪の日を境に――確か僕が十歳になった雪の夜を境に、記憶が途切れてしまったのです。
その間、何も無い真っ白な空間で、夢を見る夢を見ていました。
その夢は、正しく悪夢と呼ぶに相応しいものでした。
母が、優しく暖かな母が、灼熱の炎に焼かれる、そんな悪夢を見続けていました。
決して消えない煉獄の炎に焼かれながらも、母は僕に優しく手を差し延べて来る……それがまた、幼い僕には恐ろしかった。
延々と繰り返される悪夢もやがて一陣の風雪によって吹き飛んで行きました。
気が付くと、僕は知らない土地にいました。
見上げると、穏やかな風で静かに揺れる緑の天井――そこは大きな、とてつもなく大きな<樹>の根元だったのです。
何故そこにいたのか、どうやってそこに来たのか、どれだけの時間がそこで過ぎたのか。何も解りません。
一つはっきりしていたのは、ここが僕の故郷(ふるさと)では無い、と言う事だけでした。
それから僕はしばらく歩き、小さな町に辿り着きました。
まだ子供だった僕には仕事も食事も住居も無く、道端で意地汚く生きる他ありませんでした。
春、夏、秋――そしてまた、冬が。その町で、その土地で迎える、最初の冬が訪れました。
苦しい生活でしたが、そこは故郷(ふるさと)に比べ、幾らか暖かく、僕は何とか生きることが出来ていました。
ある日、ある寒い日。
僕はその町にある林道の奥、豪華な屋敷の近くを歩いていました。
ふっ、と。僕の肩に何かが降りてきました。
それは、白く、淡く、そして小さな――
刹那、僕は弾かれるように天を仰ぎました。
見ればそこあったのは、一面の白。
いつの間にか青空には厚い雲が幾重にも折り重なっていて、そこから、たくさんの、たくさんのたくさんのたくさんのたくさんの。
――次の瞬間、何故か僕の視界は紅く染まりました。
僕は狂ったように笑い声を上げて、目に入ったお屋敷を――
――遠く燃え盛る炎を眺めながら、僕は記憶(全て)を取り戻しました
泣きながら笑っている<童>(こども)。差し延べられた手を払って。
炎に焼かれ苦しみ悶える母。差し延べられた手を払って。
瓶の中身をぶちまける僕。差し延べられた手を払って。
ああ、僕だったんだ。母を焼いたのは、僕だったんですよ。
何故(どうして)そんなことをしたのか――それも今でははっきりと解ります。
寒かったんですよ。酷く寒かった。どうしようも無く寒かった。
寒くてしょうがないから、暖を取らなくちゃいけなかったから、火を点けたんです。
ごめんなさいおかあさん、とても暖かかった。
ありがとうおかあさん、とても暖かかった。
――そういえば、ここも。
ここも、とても寒い――」
(一面の雪化粧。
煌々と燃え盛る炎の中から立ち昇るのは、煙と笑い声。
その笑い声も、大きな崩落の音に飲み込まれ、やがて聴こえなくなった)
最終更新:2007年08月27日 22:49