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 光。
 目を閉じても、瞼の裏から確かに感じられる光が、そこにはあった。
 それは私の独りよがりでも、目の錯覚でもなく。
 本当にあったんだ。








 それが、いつまでも燦然と輝く――まるで、太陽のような存在であると、私は信じていた。











―――――――



「ねぇ~ん、みお~?」
「なんだよ。その猫なで声は」

 夏休みまであと2週間。じめじめして蒸し暑い季節。嫌いだ。
 律が私に甘えてくるというのはいつもなら不自然だけど、3日後に控えた”あれ”がある
ので、ある意味自然的と言えなくもない。
 ある種、私の家を訪ねてきた時点でそれはもう分かりきっていたりする。

「たまには一人で勉強しなよ」
「えぇ~、べつにいいけどさぁ」
「なんだよ」
「私が一緒じゃないと澪がさみしがっちゃ」

 手刀。
 えへへ、と律が笑う。まったく、とんだおちゃらけ者だ。


「実はだねぇ」
 と、律がバックから取り出したのは1枚のチケット。ピンク色で綺麗に装飾されていて、
見覚えのあるキャラクターが描かれている。えっと、それ、何?
「んふふ」
 この小憎たらしいニヤニヤした顔、みんなにも見せてやりたいよ。


「遊園地のペアチケットなのでぇぃす!」
 へぇ、と思わず口から興味深々そうな声が出てしまった。


「勉強教えてくれたら、誘わないでもないよ?」
「なんで上から目線なんだ」 
「他にも候補はいるからねぇ、唯とか、ムギとか。あ、聡も行きたがってたかも」

 弟想いでいい奴じゃないか。一緒に行けばいいだろう。
「え、澪はわたしと行きたくない?」
 ……どういうこと。

「他の人と一緒に行ってもいいの?」
 ……。


「さぁ!勉強するぞ!律はただでさえ遅れてるんだからな!
 私が効率良く教えてあげないと、赤点取っちゃうからな!」
「やったぁ!澪好きだー!」

 口車に乗せられてしまった気がするけど、まぁ、いいかな。


―――――――



 最初から、律は私を誘う気でいたんだろう。
 でも、いきなり誘うのもなんだか気恥ずかしいところがあったりする。
 だから勉強教えて、なんて交換条件を突き出してくるのだ。  
 律にも意外と可愛らしいところがあるものだ。

「ふぅ~ん、むにぃ……」

 なんてね。
 そんなワケあるか。
 きっと律のことだから、本当にヤバかったんだろう。この間のテストの時だって、私が
教えるまでは一番簡単な公式でさえ「え、初耳」状態だったからな。
 もちろん、そんな状態でテストを受ければ結果は火を見るより明らかだろう。

「んふ、キャベツかな……」

 まぁ、一緒に遊園地に行く相手に私を選んだのもきっと理由なんてないんだろうな。 
 あえて理由付けるなら、『幼馴染だから』とかその辺だろう。『家が近いから』ってのもある。
 でもなんだかんだ言って、ちょっぴり嬉しいかも。
 遊園地、あまり行ったことないんだよなぁ。

「ふも?」

 あぁ、考え事をしながら勉強していたらいつの間にか結構時間が経ってしまっているな。
 さっきから私のベッドを占領しながら謎の寝言を呟く物体R。
 起こすのもおこがましい。私は自分の勉強をしつつ、重要なポイントをまとめておく。
 それだけ。それだけでもかなり勉強の役には立つだろう。

「ん……んん~」

 起きた。
 体を起こして、眠り足りないと言うように目をこすって第一声。
「いつのまにか寝てた」
「知ってる」
「今何時?」

 手元の携帯で時間を確認。
「1時」

 ぽかーん。そんな音が聞こえたような気がする。

「んげぇっ!」
「なんて声を出すんだ」
「澪のばかぁ!起こしてよぉ~!」

 あんなに熟睡してた奴が何を言う。



―――――――














 この時は、あんなことが起こるなんて想像してもいなかった。















―――――――




 夏休みまであと一週間。
 長かったテストもなかなかの手ごたえに終わり、私は上機嫌だった。
 音楽準備室へと向かう足取りも軽い。

「入るぞー」
「あ、澪ちゃんきたぁ!」
 ドアを開けると、もうみんな揃っていた。

「私も手伝うって言ったのに」
 ムギが紅茶を注ぎながら言う。私のための紅茶だ。芳ばしい香りに胸躍る。
「でも、日直ってふつう一人でやるものじゃないか?」
「みんなで助けあえばいいじゃん!わたしの時はみんな手伝ってね!」
「こらこら」
 律が苦笑いしながらツッコむ。


「そういえば、澪のおかげでかなり助かったよ」
「ふふ。そうだろうそうだろう」
 なにせ、あんな風にポイントを纏めるのは初めてではないし。
 というか、もう慣れっこだし。

「わたしもおうちでいっぱい勉強したよ、ムギちゃんとあずにゃん呼んで」
「へぇ」
「ムギちゃんからいっぱい教わっちゃった。おかげで点数ぐんぐんだよぉ」
「ちょっと教えただけなのに、唯ちゃんすぐに解けるんだもの」
 ムギの教え方が上手なんだよ、それは。

「梓も唯の家行ったんだ?」
「えぇ、憂ちゃん頭良いですから。次のテストの時も呼んでくださいね」
「あれ、梓って頭悪いキャラだったの?」


 律の問いに梓は固まる。
 まるで知られないように隠していた秘め事が見つかったかのような反応。
 あれ、図星?

「だって、仕方ないじゃないですか!猫可愛いですし!」
「いやそれ理由になってないし」


 去年の冬。
 梓は友達から猫を預かって以来、猫にハマってしまったようで。
 その一ヶ月後には自分の家でも猫を飼うことにしたのだった。
 名前はもちろん「あずにゃん2号」。

「猫も可愛いけど、あずにゃんも可愛いよ~」
 唯が梓に抱きつく。
 さすがにこんなやりとりも一年続いているので、慣れた手つきで拘束を解いていく。

「先輩、暑いです。暑苦しいです」
「むほぉー、あずにゃんのいけずぅ!」

 あはは、とみんなで笑う。



―――――――



「そういえば、さ」

 帰り道。
 みんなと分かれて律と二人、帰路の途中。


「遊園地、8月1日に行こうぜ」


 律の話題提供。それはあのチケットの話だった。

「夏休みの真っ只中じゃないか。人がいっぱいだぞ」
「仕方ないじゃん、それに賑わってたほうが楽しいよ」
「人ごみはやだ」
「じゃあ、行かないのか?」
「……そっちの方がヤダ」
「あっははは!!現金だなぁ」

 笑われてしまった。
 人ごみは、ガマンしよう。

「あ、チケットはわたしが持っとくと失くしちゃいそうだから渡しとく」
「はいはい」

 手渡された一枚のペアチケット。
 私が失くしたら威厳も失くしてしまうことになるので、厳重に保管しておこう。





「あ、わたしの家だ。それじゃね、澪」
「うん。じゃあね」

 玄関を開けた律の元気な「ただいまー!」という声を聴いてから、私も自分の家に
向かって歩きだす。この光景も何度見たことやら。


 なんだか胸が落ち着かない。
 まるで遠足前日の幼稚園児のようだ。
 8月まで、あと2週間とちょっとかぁ。



 ……遊園地、私の方が楽しみにしてるじゃん。


―――――――  




 終業式。
 退屈な校長先生の話をなんとなく聞いていたら、いつの間にか終わっていた。
 明日から夏休みだ。

 夕方、皆で下校中に、ふと律との約束を思い出す。

「……ふふっ」

 漏れてしまう笑み。
 あぁ、ヤバい。これでは私は危ない人だ。
 こんなに楽しみなことが今までにあったであろうか。いやない。(反語)

「澪ちゃん、なんか楽しそうだね」
「そ、そうか?」
「うん。私もそう見えるわ」

 みんなに見透かされていたようだ。

「澪~?そんなに楽しみなのかぁ?」

 律が口角をにやりと上げながら言う。
 なんだかヤラしいぞ、それ。

「なになに!何かあるのりっちゃーん!」
「ん~……ヒミツだな」
「えー、ずるいよぉ~」

 秘密、か。
 別に秘密にすることもないような気がするんだけど。
 律はこちらに目をやって、軽くウインクめいたまばたきをする。
 出来てないけど。大体言いたいことはわかった。

「うん、秘密だな」
「澪ちゃんまでぇ!」

 騒ぐ唯を尻目に、律は話を切り出す。

「まぁ、今年も合宿行くからいいじゃん」
「そうもそうだね。楽しみだねぇ」
「そうねぇ」
「そうですねぇ」


 今年の夏休みは、楽しいことがいっぱいありそうだ。




 と、思った瞬間。





 後ろから鳴る自転車のベル。


 咄嗟に横に避ける律。


 避けた先は、何もなかった――階段が続いていた。


 スローモーションのように、転げ落ちていく。


 数瞬で、最下段。


 見える赤色の液体。


「りっちゃんっ!!」
「律先輩ッ!!」
「もしもし、○○病院ですか、××前の……」

 私はどうすることも出来ずに――意識を闇に手放した。 





 光が、消えた気がした。





―――――――


「ん……」

 なんだか目覚めが悪い。
 まるで悪夢でも見ていたかのように、寝汗を掻いている。
 背筋が痛い。
 ここは、どこ?
 まるで病院みたいだ。

「澪ちゃん……」
 涙声――だれ?
 上半身を起こしてその人物を見る。

「あぁ、ムギか」
「りっちゃんが、りっちゃんが……うぅぅ」

 え、律が、どうし――

「律!!律はどこだ?!」
「待って!澪ちゃん!」


 考えるより先に、体が動いた。
 走る。
 どこへ行くあてもない。
 でも、嫌な予感だけが頭をついてまわった。
 うなじに流れるひんやりとした汗。
 想像しうる最悪の展開が脳裏に浮かんでは消える。
 やだ。そんなのやだ。絶対にやだ。
 気がつくと、目の前には『手術室』と書かれた大きな扉があった。
 その上にはランプが赤々と点灯している。


「……」
「ひっく、ひぐ」 

 そのすぐ横のベンチに唯と梓が座っていた。
 唯のこんな表情――まるで意識がないかのように、目が虚ろだ――初めて見た。
 それと対照的にハンカチを顔に押し当てて泣きじゃくる梓。
 二人を見た瞬間、沸騰していた血液の温度がほんの少し下がった気がした。


「……律は」
 自分でも驚くほど泣きそうな声。視界がぐにゃり、と曲がる。

「い゙ま゙、手゙術゙中でず……」

 梓がハンカチを顔に当てたまま答える。

「そう……か」
「澪ちゃん……」

 振り返ると、ムギと律のご両親と弟が。
 やばい、涙が溢れちゃいそうだ。

「律が」
「うん」

 ムギに抱きつく。
 暖かい手が私の頼りない背中を優しく抱きしめてくれた。


「ぅ、ぅう、うぁあああああああああ!!」


―――――――



 翌朝。
 一人だと不安だという理由でムギの家に強制宿泊させられた私は、すぐさまみんなと
病院へ行った。みんな目元が腫れている。

「……」

 なんとなく気まずい。
 誰も何も喋らない。
 一番いつもと変わっていたのは唯で、悲しげな表情さえも見せない。
 それほど信じられないことだったのだろう。





「大きな身体的傷害は後頭部の打撲のみです。後遺症は無いでしょう。
 他は小さなかすり傷程度ですが……一時的な記憶障害にあっています」
「え……」
「ですが3日ほどで記憶は取り戻すはずですよ」
「本当ですか!」

 唯が律の安全を知ってか、急に活気付く。
 さっきまで死んだ魚のような濁った目をしていたのが嘘のようだ。

「えぇ。人間の脳というのは案外丈夫に出来ているんです。
 例えば、ロッカーのようにいくつもの部屋があって、それらに記憶は整理されます。
 今、彼女はそのロッカーの鍵を失くした状態です。失ってはいません」
「えっと……ありがとうございました!」

 唯はわけもわからず礼を言ったようだ。

 病室に入ろうとした私たちへの医者の忠告は私たちを安心させた。
 どうやら律の安全は確保されているようだ。
 まったく、あれだけ心配させておいて迷惑な奴だなぁ。
 ドアを開くと、真っ白な部屋が私たちを迎えた。

「律、同じ高校の友達が来たわよ」

 律の母親。やはり目元が腫れている。



「あの……すみませんでした」

 ムギが家族に向かって謝る。

「私たちが一緒にいながら……」
「君達に責任はないよ。話は聞いている」

 父親がムギを諭す。
 なんて優しい表情をしているんだろう。

「それでは私たちは席をはずすよ。さぁ母さん、聡」 

 うなづいて、退室していく家族。
 気を遣わせてしまった。


「あ……あの……」

 律が喋る。
 たった半日ぶりなのに、なんだかすごく久しぶりに声を聴いたような気がする。



―――――――



















 まさか、自分が記憶喪失になるなんて誰が想像できるかって感じ。
 しかも漫画やアニメでよくある階段転落。越後屋事件?いやいや。





 目が覚めたら、両親と弟と名乗る人物達からわたしの身に起こった出来事を大まかに
話してくれた。わたしの名前は『田井中律』という。らしい。
 とりあえず手渡されたカチューシャを着けてみたら、しっくり来た。いいね、コレ。
 ちなみに年齢は17歳。高校3年生。桜ヶ丘高校という女子高に在学中。
 その設定のどれもが初耳。
 うっわ、マジで記憶喪失だよ。
 真っ白だよ。白紙だよ。無垢だよ。


 などと考えていると。
 がちゃり、という音と共に女の子が4人入ってきた。
 うわ、なんか可愛い子達だなぁ。

 と思ったら、そのうちの一人がウチの父親に向かって謝り始めた!
 重い、重いよ空気が。That's so heavy.

「それでは私たちは席をはずすよ。さぁ母さん、聡」 

 は?
 いや待って、わたしを一人にしないでぇ!
 知らない子達だけじゃ不安なんです!
 でもいや待て?記憶喪失だからと言って先手を取られたら負けも同じ。
 つまり、先手必勝・急がば回れの思い立ったが吉日だ!

「あ……あの……」

 やばい。早速話すことが無い。
 というか、みんな目を輝かせすぎ。
 わたしに何を求めているの。

「えっと、高校の友達……でしたっけ」
「そうだよ!ねぇりっちゃん、ほんとに覚えてないの?」

 一番元気そうな子が喋り出す。
 まさに明朗快活って感じのなかなか活きの良い獲れたて新鮮なぴちぴちサンマみたい。
 いや、言い過ぎだよわたし。
 それに『りっちゃん』って……。『律』だから『りっちゃん』なのかな。

「うん。覚えてないみたいです」
「わたしの名前は?」
「えっと……ごめんなさい」
「こっちは?」
 差し出されたのはさっきお父さんに謝ってた髪がうす茶色で高貴な感じの子。
 苦笑いが心に痛い。可愛いんだから、そんな表情やめてほしいなぁ。
 でも、わたしの返答は同じ。

「この子は?」
 次はツインテールの良く似合ったちっちゃな子。
 猫レベルに可愛いな。添い寝したい。
 けど、わからない。

「じゃあ、最後」
 最後の4人目は、黒くて長い髪の似合った和風美人な子だった。
 その子はなにやら必死に口を動かしている。
 えっと……?


「み……お?」
「おぉ!覚えてる!澪ちゃんのことだけは覚えてるよ澪ちゃん!」
「澪先輩、今口動かしてましたよね?」
「……はは」
「はは、じゃないですよ!わりと真面目だったのに!」
「まぁまぁまぁまぁまぁまぁ」
「6回!」
「私の名前を一番最初に覚えたぞ」
「澪ちゃんばっかりずるいよ!わたしも名前覚えさせる!」

 あれよこれよと多量の情報を受け取った後、退院の手続きを済ませて家に帰った。 
 特に、幼馴染であるらしい『澪さん』は色々と必死だった。





―――――――



 翌日から、わたしの記憶を取り戻すために思い出の場所などを巡ることにした。
 最初は「どうせすぐに思い出すよ」と楽観的なムードだったけど、見覚えのない様々な
場所へ連れて行かれて、「わからない」と言う度にどんどんと空気が重くなっていった。
 だけど少し休憩して、唯さんの家に行ったらほんわかした空気になった。
 ムギさんの淹れてくれた紅茶がすごくおいしい。
 お菓子もおいしいし。
 でも、「唯さんって面白いですね」って言ったら、みんなから変な顔をされた。なんで?


 2日目になると、さわちゃんと呼ばれる美人女教師に着せ替え人形のように扱われた。
 興奮した面持ちで「楽しめるうちに楽しんじゃお!」と言われると、抵抗できなくなって
しまった。
 山中先生、目が血走っていてこわいです。
 他のみんなもなんかこわい。萌え萌えキュンってなにそれ。こわい。
 でも、澪さんだけはどこか憂いを帯びた目でわたしを見ていた。なんで?


 3日目。
 運命の3日目。わたしが記憶を取り戻す最終日らしい。

「どんな感じで思い出すの?」
「きかれてもわからないです」

 唯さんにきかれたが、わからないものはわからない。

「あ、もしかして白雪姫とか?りっちゃん、わたしとキスしよっか?」
「キスして目覚めるってヤツですね」
「いやいや。さすがに女の子同士だぞ」
「本人たちがよければ、いいんじゃないでしょうか」

 いやいや、さすがにわたしも女の子同士はちょっと……。


 記憶は無いのに、なぜかドラムはできた。体が覚えてることはできるらしい。
 なのでバンド演奏をした。
 あえてケーキを食べながらお茶を飲んだりしてみた。
 でも、記憶は一向に戻らない。
 時間が経つにつれて、みんなの表情にだんだん焦りが見えてきた。

「明日になったら記憶、元通りだよね」
「ですよね、律先輩」

 だから、わからないってば。
 わたしは何も返答せずに困った顔をした。
 その時の澪さんの表情が、いつまでもわたしの脳裏に焼きついて、離れなかった。



―――――――


 翌朝。
 未だ記憶を取り戻せていなかったわたしは、真っ青な顔をした澪さんに手を引っ張られて、
病院へ行った。
 医者曰く「どちらにせよ一時的なものなので、すぐに戻る」とのことだったが、澪さんは
「このまま記憶が戻らなかったらどうするんだ!」と怒声を上げていた。
 今にも掴みかかろうというところで、わたしが止めた。
 泣いていた。
 わたしの記憶が戻らないのがそんなに悲しいのかな。 
 澪さんがこんな大声を上げるなんてここ4日間で一度も無かったから、少し驚いた。


 どうやら記憶を取り戻すためにいろんな所に行くみたいだ。
 でも、今日は澪さんと二人っきりだ。
 澪さんがそうしたかったらしい。

 小学校。
 この前は、校門までで入らなかったけど、今日は入った。
 夏休みなので誰もいない。警備手薄っ。
 教室で、澪さんが一つ一つ思い出を語ってくれたけど、まったく思い出せない。

「この机の傷、見覚えあるか?律が付けたんだぞ?」
 ごめんなさい。わかりません。
 とは言えないので、ただわたしは無言で立ち尽くす。
 その度に澪さんは「ちょっとごめん」と言ってどこかへ行ってしまう。
 ちょっとしたら帰ってきて、また思い出話。
 何してるんだろう?


 小学校の思い出話が終わると、次は中学校だった。

 似たようなことの繰り返し。
 馴れ馴れしい教員に遭ったけど、記憶喪失だということを説明したら悲しい顔をされた。


 高校の門へ辿り着いた頃には、もう夕日が上り終えていた。

「ねぇ、澪さん。もう帰りませんか」
「……やだ」
「疲れました。帰りたいです」

 そう言うと、澪さんは黙って帰り始めた。
 わたしは小走りで追いついて、横に並んだ。




 夕焼け空は光を失い、後は真っ暗な空を見つめることしかできなかった。




―――――――




 律が記憶を失ってから、2週間が過ぎようとしていた。



 今日は7月31日。
 なのに。まだ律の記憶が戻っていない。


 『もしかして、もう二度と戻らないかも』


 そう考えて、何度枕を涙で濡らしたか。
 極力考えないようにしていたけれど、私が話を振った後の律の困った顔を見ると、
やはり想像してしまうんだ。
 怖いんだ。すごく、怖い。


 私が律を見失ってしまいそうになるのが怖いんだ。
 "幼馴染の"律を失いたくないんだ。




 夜。
 今日も駄目だった。
 律は先週から私の家に泊まりっきりだ。
 明日は、8月。
 私があれほど待ちに待っていた8月。

 律本人には、明日遊園地に行く約束をしていたことを話していない。
 いや、何度か話そうかと思ったけど、"話せなかった"。

 これまで、律の前では極力涙を見せないように、努力してきた。
 泣きそうになったら、律の前から逃げて、個室のトイレでこっそり泣いて。
 ひとしきり泣いたら、また律の前に戻って。

 辛かった。

 遊園地の約束の話題は、考えるだけで目頭が熱くなってくるから。
 大切にバッグの中に潜ませていたこのペアチケットは、見るだけで視界が歪む。


 でも今日は、話そう。 


「なぁ、律……まだ起きてるか?」
「うん……」
「これ……覚えてるか?」

 私の手元にはあのチケット。
 律は、いつもの"困った顔"をした。



 だめだ、ごめん。抑えきれないよ、律。



―――――――




 夜、布団で横になっていると澪さんが話しかけてきた。

「なぁ、律……まだ起きてるか?」
「うん……」
「これ……覚えてるか?」

 手元には、なにやらピンク色の紙切れ。
 なんだろう。でも、わからない。


 わたしがいつものように困った顔をすると、澪さんは急に泣きはじめた。


 涙を見るのは、最後に病院に行って澪さんが怒声を上げた日ぶりだ。
 ここ10日間くらいは泣きそうな顔はしていたけれど、涙は見たことはなかったのに。
 なんで急に?


「……ひっく、ぅぅうう」 
「なんで泣いてるの?澪さん」
「……ぅ、ぅうぅ、ひっく」
「澪さん……」
「……なんで”さん”付けなんだよ……前みたいに澪って呼んでよぉ……!」
「えっと……ごめんなさい」
「謝るなよぉ……ひっく、ぅぅう」

 躯を切ったように泣き出してしまった。
 こんなとき、どうすればいいのかな。昔のわたし。わからないよ。
 ん?記憶を取り戻す……ねぇ。




「あー。やってみます?」
「ぅぅぅう、ぇ?」


 わたしは、いつかの、唯さんの提案を思い出していた。






『あ、もしかして白雪姫とか?』










「白雪姫」








 わたしがそう提案すると、澪さんは藁をも掴む気持ちなのか――

                           ―――飛びついてきた!!



 澪さんの泣き顔が近づいてくる!


 ていうか、勢いゆるめて!

 やばい、逃げ――

      ―――きれない!



 キス。の直前、わたしは後頭部を澪さんの本棚で勢いよく打った。




―――――――




 私は何をしているんだ。




 律の提案があまりにも扇情的すぎて思わず飛び掛ってしまった。
 ある種、記憶を失った律への恨みとか憎しみとか愛おしさとか、2週間分がどっと出た感じがある。
 キスに専念してて、律が気絶しているのに気づいたのは数分経った頃だった。



 私は何をしているんだ。

 気が狂っていたとしか思えない。
 自分でもよく分からない感情に動かされすぎた。


「というか、律っ!」

 口に手を当てる。あぁ、息はしている。
 顔色も悪くない。


 ……どうせなら、もっかいくらい『白雪姫』しとく……か……?


 はっきり自覚している。
 今の私は錯乱状態だ。


 近づく律の顔。
 唇、柔らかかったなぁ。








「澪」







 ぱちり、と律の目蓋が開かれている。

「え?」
「何してるんだ?」




 ……今、『澪』って……。



「律。8月1日。何か約束してたっけ?」
「え、忘れたの?遊園地行く約束したじゃん」



「これ。見覚えは?」
「あるよ。っていうか、わたしが渡したし」






 戻った……。



 律の記憶が戻った……。




 律。
 今度は、泣いても いいよね ……。





―――――――




「いや、だからごめんって」
「怒ってないよ」

 今日は8月1日。
 今朝、"ここ"に来るまえにみんなに会って、病院にも行ってきた。
 なんか、「え……もしかして、ショック療法……?とりあえず、検査の結果、脳に異常は
ありません。脳血腫なども見当たりません」とのこと。いやぁ、健康っていいね。

 ところで、せっかくわたしの記憶が戻ったっていうのに、澪はそっぽ向いてばっかりだ。
 わたしがこの2週間の記憶を失わずに記憶まで取り戻したもんだから、澪はそれが気に食わない
のか、ずっと顔を真っ赤にしている。



「『白雪姫』」
「~~~~っ!!」

 痛い、痛い。澪がパンチしてくる。
 思えば、ここ2週間ずっと澪は元気無かったからなぁ。
 いっそ、『白雪姫』してやるか?……いやいや、わたしまで恥ずかしくなる。




 この2週間。
 わたしの脳裏に強く焼きついていた、澪の表情。

 もうあんな悲しい顔、
 わたしが絶対にさせないから。





「バカ律!ほんとに心配したんだからな!」
 いつかの『バカ律』と違って、なんだか愛の言葉に聴こえてくる。
 なんつって。

 まぁ、今は。




 遊園地と夏休みを、存分に楽しもう! 






―――――――









 光。
 目を閉じても、瞼の裏から確かに感じられる光が、そこにはあった。
 それは私の独りよがりでも、目の錯覚でもなく。
 本当にあったんだ。








 それが、いつまでも燦然と輝く――まるで、太陽のような存在であると、私は信じていた。












 そして私は、今でもそれを信じ続けている。








                         ~End~

出展
【けいおん!】田井中律の前髪可愛いーし51【ドラム】

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  • 終わり方といい、いいなぁ… -- (名無しさん) 2012-04-04 13:13:38
  • 新年早々、素晴らしい作品を読ませてもらいました。 -- (聡の後輩) 2011-01-01 10:47:55
  • マジで泣いた -- (名無しさん) 2010-08-17 18:06:55
  • このSSが一番好きです -- (no) 2010-06-27 16:44:04

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最終更新:2009年08月01日 02:22
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