ママンの黙認

「おばさん、何か手伝う事ありますか?」
「いえ、こっちは大丈夫よ――そうね、主人の所にお茶を運んでもらえるかしら?」
「はい」
 比呂美が後ろでお茶の支度を整え、台所から遠ざかる足音を聞きながら、理恵子は煮物のアクを掬い取った。
 今のは自然に言えたわ。
 春になり、眞一郎も比呂美も2年に進級し、最近では比呂美から声を掛けてくることが多くなった。
 傍から見れば特に感慨もない光景だが、二人にとってはそれは努力の賜物であり、大いなる進歩であった。理恵子などは
今でも、比呂美にものを頼む時高圧的にならないよう、命令口調にならないよう細心の注意を払っていた。今回は自分でも
納得行く言い方が出来たようだ。

 それにしても、と理恵子は思う。眞一郎はいつまで、自分達の前で「何もない」ふりをするつもりだろう?

 目下、形の上で二人の関係は「黙認」だった。あの日の会話はほぼ筒抜けで夫婦の耳に届いていたが、眞一郎は今でも
仲上家で比呂美に対して必要以上に親しく話しかけないようにしていた。むしろ以前よりそっけないと見えるほどで、比呂美
が苦笑をかみ殺しているのを見たのは一度ではない。
 そのくせ、家の外では堂々と腕を組んで歩いているのだから「詰めが甘い」というものだ。
 この前など――

「あれ、奥さん、あれ・・・・・・」
 ヒロシの下で杜氏の修行をしている少年が、そういって指差した先に、眞一郎と比呂美がいた。
 町のスーパーである。本来なら少年は仕事中なのだが、届けものを持ってもらうために同行してもらい、その帰りに夕食の買
い物をと立ち寄ったスーパーで、眞一郎と比呂美を見かけたのだった。
「夕食の買い物ですかね?声かけましょうか?」
 少年の言葉に、理恵子は黙って首を振った。遠慮以前に、そこまで無粋な真似をしたくはない。
 二人は理恵子達には気付いてなかった。大きな声ではないが、二人の会話は驚くほどよく透る。
「あ、パプリカが安い。どうしようかな・・・」
「パプリカ~?赤ピーマンだろそれ。俺ピーマン嫌いなの知ってるだろ」
「何それ?子供じゃあるまいし。決めた、今夜はこれ使おう」
「やめてくれよ~」
 比呂美のクスクスと言う笑い声が聞こえた。理恵子もフッと軽く微笑んだ。少年には何故か寂しげに見えた。
「奥さん?」
「こんなものかしらね。そう、後はケーキも買いましょうね。眞ちゃんはいらなそうだけど」


「――おばさん?」
 振り返ると比呂美が立っていた。
「ごめんなさい。少しぼうっとしてたわ」
「あの、代わりましょうか?」
「ありがとう。大丈夫よ、居間でゆっくりしてて」
 比呂美が居間に戻るのを見ながら、再びスーパーでの出来事を思い浮かべた。
 比呂美は仲上家ではまだ、あのような笑顔を見せていない。しかし、眞一郎の前で見せてくれるなら、遠くない将来に家の中
でも見ることが出来るだろう
 そのころには眞一郎も比呂美を「紹介」してくれる筈だ。

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最終更新:2008年04月04日 04:29
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