true MAMAN あなたを見ている人がいる~比呂美の章2~


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 2人の前に紅茶が置かれる。
 ミルクを入れ、ティーサーバーからカップに注ぐ。
 ティーサーバーからカップに注ぎ、ミルクを入れる。
 ただミルクティーを飲むだけでも、二人の所作は一致しなかった。
 理恵子はまだ何も言わない。
 比呂美はじっと理恵子が話し始めるのを待っていた。
 先に根負けしたのは比呂美だった。
「あの――」
「この前の大会、惜しかったわね」
「え!?――は、はい」
 さっきにも出た話題だ。
「これでもう3年生は引退するの?」
「はい」
「じゃあ比呂美ちゃん達が中心になるのね。キャプテンはやっぱり比呂美ちゃんが務め
るのかしら?」
「いえ、私は副キャプテンです」
 本当である。本来なら実力的にも人望の点からも比呂美は適任とされ、監督も高岡キ
ャプテンも比呂美を指名したのだが、比呂美本人が
「私は一つの事に集中すると他の人の気持ちが見えなくなります。私がキャプテンでは
結果的に周りを潰してしまいます」
 とこれを固辞し、ムードメーカーであり、縦の関係を穏やかにしてくれる朋与をキャプテ
ンに推薦し、自分は副キャプテンとして練習メニューの作成などの実務面に限定して携
わる事になった。
「そう、来年はいい新入生が入ってくるといいわね」
「そうですね。そう願っています」
「でも、比呂美チャンくらいの選手は中々来てくれないでしょうね。麦端は進学校だから」
「そんな、私なんて――」
「憶えてるかしら?比呂美ちゃんが中三の時は、色々な高校からスカウトが挨拶に来た
のよ」
 理恵子の言う通り、麦端は進学校としては実績があるが、スポーツでは強いとは言え
ない高校だった。中学から既に県内外から注目される選手だった比呂美には、スポーツ
推薦や特待生待遇の誘いが、両手に余るほどの高校から来ていた。
 理恵子はこの話が来た時、比呂美が誘いを受けるだろうと思っていた。県外からの誘い
も多く、近代的で快適な寮を持つ高校もあった。比呂美にとって仲上家は安らげる場所で
はなかったはずだ。家を出て仲上から離れた寮に入り、学費などの最小限の支援のみを
受けて後の関係を絶つ。理恵子にとっても、比呂美の顔を見ずに済むならその方がよかっ
た。
 だが、比呂美はそれらの誘いを全て断った。自由を手にする機会を得ながら、自由を捨
てる事を自ら選んだのだ。
「はい、憶えています」
 比呂美の表情は変わらない。少なくとも今、あの決断を悔いてはいない顔貌だった。
「あの時は私、少し意外だったのよ」
 今の理恵子にはその理由がわかる。いや、その当時もわかってはいたのだ。しかし、
その決意がいかに悲しいものであったか、わかってやろうとはしなかったのだ。
「それは・・・・そう、ですね」
「私はあなたには冷たかったし、それに、その・・・・あの頃、信じていたのでしょう?あの事
を・・・・」
 理恵子が言い澱んだ。「あの事」が、2人の間で話されるのは交通事故で学校に事情説
明に行った日以来初めてだった。
 比呂美の表情が翳る。今全てが解決しているからと言って、当時の衝撃や哀しみがなか
ったことになるわけではない。自分の親を信じられなかった事が、今でも比呂美の痛みに
なっていた。
「それは・・・・それでも・・・・結果的には・・・・」
「いつも、一人で決めてきたのね。誰にも頼らずに」
 だめだ、この言い方はいけない。
「それは仕方ないと思います」
 ほら、かたくなになってしまう。
「そうね、私でもそうすると思うわ」
 比呂美を遮って、同意した。比呂美は沈黙する。よかった。まだ、話を聞いてくれる。
「でも、今はもう一人で決めなくてもいいのよね」
 慎重に、慎重に。この娘には知ってもらわないといけない。
「学校から連絡があったの。進路調査票のことで」


 理恵子はようやく本題を切り出した。
 比呂美はついに来たと思った。
 比呂美は進路希望を「就職」として出していた。
 より具体的な志望動機、将来的な希望を書く備考欄には「仲上酒造の経営を手伝いたい」
と書いてあった。
「でも、早く仕事を覚えたいのは本当です」
 本心である。今や比呂美が理恵子の将来的な跡継ぎである事は周知の事実であった。
より深く業務に関りたいと比呂美も思うようになっていた。
 学費についての負担を遠慮したわけでもない。比呂美の母の保険金はほぼ手付かずで
残っており、その気があれば奨学金制度も利用すれば仲上に負担をかけることはない。
事実高校に入学した頃はそうやって独立しようと考えていたのだ。
 自分が進学しないのは誰に遠慮してるわけでもない。そう言い切れる自信が今の
比呂美にあった。
「それは私たちも嬉しいのよ。でも・・・・」
 大学に進んでからでも遅くない。そう言葉が続くと思っていた。比呂美はそう言われた時
のために考えた返答を頭の中で反復した。
「眞ちゃんは東京の美大志望なのよ、それは知ってたの?」
「え?あ、はい・・・・」
 全く予想外の方向からの攻撃。比呂美は心の中でずっこけた。
「まだその美大に受かると決まってるわけでもないけど、そうなったら離れ離れになる事になる
けど、それでもいいのかしら?」
「・・・・でも、4年間だけですから」
「4年間は長いわよ。思ってる以上に。それに・・・・4年で帰ってくるとは、限らないんじゃないか
しら」
「え・・・・?」
 比呂美が動揺する。
「眞ちゃん、今度出版社まで持ち込みに行くでしょう」
 比呂美の動揺には気付かないフリをして、理恵子が話を進める。
「絵本作家としてデビューして、いくらかでも実績が出来てからなら、富山にいても仕事は出来る
でしょうけど、それまでは出版社通いをするためにも、東京に残るんじゃないかしら?そう
なったらいつ帰ってくるのかわからないわ」
「・・・・・・・・」
 比呂美は言葉が出なかった。
 比呂美は眞一郎が東京の美大を志望していることは勿論知っていた。絵本作家の夢も応援し、
支えていこうと思っていた。だから家業の酒造業は自分が引き受けようと覚悟したのだ。
 だが眞一郎がいつ富山に帰ってくるかわからないとは考えていなかった。作家になれな
かったらどうする、という話をしたことはなかった。2人の年齢を考えれば無理もない。恋する
若者が、ネガティブな将来を語り合う事などあるまい。
 比呂美の心の中で、さっきまでの自信と決意が急速に揺らいでいくのを感じた。4年。
4年で帰ってくる。4年なら寂しくても待っていられる。今ならおばさんとも、おじさんとも
楽しくやっていける。
 でも、いつ帰ってくるかわからない人をいつまで待てばいい?週に一度か、月に一度か、
それだけしか逢えずに、期限のわからない遠距離恋愛に耐えていける?


 比呂美の混乱を見て、理恵子は自分の考えが正しかったことを知った。
 比呂美は眞一郎の夢を支えたいと思っている。それは比呂美の幸せの一面であって、
本質ではない。幸福である事に慣れてしまった少女は、一番大切な事を忘れがちになる
のだ。
 だから、知ってもらわなければならない。
 あなたを見ている人がいる、あなたの幸せを願う人がいる事を。あなたが見えなくなった
ものを見つけ出せる人がいる事を。
「一緒について行きなさい」
「・・・・え?」
「眞ちゃんと一緒に東京へ行ってしまいなさい」
「おば・・・・さん」
「比呂美ちゃんが進学するか、就職するかは比呂美ちゃんが決めることよ。あなたが決め
たことなら私達は何も言わないわ。でもね、出来れば、眞ちゃんの傍にいてあげて欲しい
の。家の事よりも、あの子を支えてあげて欲しいのよ」
「それは・・・・」
「2人でルームシェアできるアパートを探せばいいわ。東京に出るなら、就職にこだわらな
くても進学してもいいでしょう。もう一度、考えてみてはもらえないかしら」
 比呂美は無言。
「比呂美ちゃんはなぜあの時うちに残って麦端に進学したの?眞ちゃんのそばに居たか
ったからでしょう?ならば何故今度も何があっても眞ちゃんの傍にいたいと言わないの?」
 比呂美がはっとしたように理恵子を見た。愕然、ではなく、霧が晴れたような
顔貌だった。
「どうかしら」
「・・・・はい」
 比呂美は泣いていた。自分の事をこんなにも理解し、幸せを願ってくれる人が、眞一郎以外
にいることを、今更ながらに再確認したのだ。
「はい、ありがとうございます。ありがとうございますありがとうございます・・・・」
 いつまでもいつまでも、比呂美は礼を繰り返した。


                       続

ノート
 本文中でも語っていますが、高校生のカップルが、将来設計において「上手く行かなかった場合」について語り合うことはまずないと思います。
 ママンは比呂美と眞一郎が離れる事を比呂美の幸せにならないと信じていますので、進路調査票を見たときに2人があまりこの件について話し合っていないと感じたのでしょう
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