比呂美と愛子のあいちゃん焼き新メニュー

「いただきます」
 そう言って今川焼きを口にする。
「・・・・うぅ~」
 愛子が泣きそうな顔になる。
「・・・・ん、んん?ん~」
 口元を押えながら比呂美が唸り声のようなものを発する。
「これは、ないわ・・・・」
 高岡ルミが本音を漏らす。
「え~っと、食べなきゃ、ダメ?」
 出遅れた朋与が引きつった笑いを浮かべる。
「まあ、新しい味だな」
 唯一前向きな評価を下したのはひろしだが、これは当てにならない。朋与は、自分の父
親が朋与の作った料理を今まで不味いと言った事がない事を思い返した。
「やっぱり、チューリップの球根を今川焼きに入れるのは無理じゃないかな・・・・」
 比呂美がこの場にいる全員の意見を代弁する。
「う~ん、ユリ根みたいに調理すればと思ったんだけどな~」
「安藤さん、百歩譲ってユリ根としても今川焼きには入れないから」
 ルミが冷静に指摘する。
「愛子さん、あまり奇をてらわない方が――」
「あ~!もうどうしよ~!」
 愛子は朋与の忠告など聞こえず、一人で煮詰まっている。比呂美はため息をつき、ひ
ろしは無言で水を飲む。



 話は3日前に遡る。
 眞一郎と連れ立って「あいちゃん」に寄った比呂美は、愛子の新作今川焼きを試食した。
 2つに割った瞬間に危険な予感が立ちこめた。中に入っていたのは真っ黒い物体で、細
長く切りそろえたそれはなにやら磯の香りを漂わせ、醤油の匂いとあいまって今川焼きの
皮の匂いを見事に打ち消していた。
 2つに割らずにそのままかぶりつこうとしていた眞一郎がそれを見て動きを止める。先に来ていた三代吉は製造過程から見ていたせいか、もう覚悟は決めている様子
だった。
 思い切って一口食べてみる。磯の香りと、砂糖と醤油の甘辛い味、一種独特な歯ごた
えが、今川焼きの皮の柔らかさと見事に喧嘩していた。
「あ、愛子ちゃん。これは・・・・?」
「ホタルイカの佃煮なんだけど・・・・よくない?」
「愛ちゃん、いくらなんでもこれはねえよ」
 さすがに眞一郎が控えめに批判する。
「だから合わねえって言ったんだ俺は」
「あ~、あんこの中に混ぜた方が、よかったか・・・なあ?」
「もっと食えるか、そんなもん!」
 三代吉のツッコミに愛子がさらにしょげかえる。
「だってさ、せっかくさ、『あいちゃん焼き』なんてオリジナルな名前付けてんだからさ、中
身もオリジナルにしたいと思ったんだもん。どうせならさ、富山らしいもの使ったほうがいい
かなって思ったんだもん」
「可愛い言い方してごまかすな!不味い物は不味い!」
(可愛いのはとりあえず認めるんだ)
 比呂美は思った。無論口には出さない。
 愛子は頭を抱えて泣きまねをしていたが、あまりに言われて少し頭にきたらしい。
「何よ!そこまで言わなくってもいいじゃない!あたしだって頑張ったんだからあ!」
 だが、今回ばかりは三代吉も退かない。佃煮の前に沖漬け入りあいちゃん焼きも試食
させられ、これ以上今川焼きに対する冒涜を許してはならないという使命感すら感じている。
「一所懸命なのはわかってるからもうちょっと、こう、チョイスってものがあるだろう。なんで
こんなご飯の友やら酒の肴みたいなもん入れて食わにゃならんのだ!?そう思うだろ、眞一郎?」
 急に話を向けられた眞一郎は、困ったように曖昧に笑いながら
「いや、まあ、俺は、普通にあんこかカスタードで十分かな、なんて・・・・」
「ひっどぉ~い、眞一郎まで。比呂美ちゃんならわかってくれるわよね?少しでも店の未来
を思う私の気持ちが」
 比呂美としては全面的に三代吉を支持したい心境である。しかし、ここで信念のままに
動くのは少しばかり愛子に気の毒な気がした。眞一郎が万が一にでも愛子擁護に回って
いたら、遠慮なく攻撃していただろうが。
「確かにイカはちょっと合わなかったけど、色々試していけば何か合うものに行き着くんじゃ
ないかしら」
「ほ~ら見なさい!比呂美ちゃんはわかってくれるのよ。今川焼きの未来の為に頭を悩ま
す私の苦労が」
「今川焼きの未来の為に人体実験で自分の未来閉ざしたくねえよ」
「ちっとも上手くないわよ。いいわよ三代吉にはもう頼まないから。これからは比呂美ちゃ
んに協力してもらうから」
「え!?ちょ、ちょっと――」
 さすがに比呂美が異議を唱えようとするが、その前に三代吉が
「おう頑張ってくれ。眞一郎共々、傑作の誕生を期待しているぞ」
「見てなさいよ。絶対参りましたって言わせてやるんだから」
 結局、比呂美の意思は聞き入れられることはなかったのである。



 そして今日、新メニューを検討すべく、朋与、ルミ、それに商工会の集まりから帰る途中
に偶然会ったひろしまで巻き込んでの試食会となったのである。
「これはいけると思ったんだけどな~」
「あ、愛子ちゃん、他にはなにかないの?」
「あと、まだ試してないのは・・・・鰤とか、白海老とか・・・・」
「安藤さん、チューリップの花は使えない?食用花に、チューリップってないの?」
 危険を察知したルミがすかさず方向転換を図る。
「あるにはあるんだけど、どうしても季節物になっちゃうのよ。薔薇ほど香りが強いわけじゃ
ないからあんこの中に1枚2枚花弁入れてもあんまり感じでないし」
「じゃあさじゃあさ、砂糖で煮込んでジャムにして入れるとか」
 珍しく朋与がまともな提案をする。
「それもやってみたんだけど、一つ一つに必ず花弁が入るように数をそろえようと思うとか
なり高くついちゃって。元々チューリップの花の食用なんてほとんど作ってないし」
 黙って話を聞いていたひろしは、この時使えそうな食材を思いついた。提案してみようか、とも思ったが、このままどこに話が飛んでいくか見てみたい気がして黙っていた。
「でも、後富山らしい食べ物って言ったら・・・・」
「・・・・干し柿?」
「・・・・・・・・牛?」
「・・・・・・・・米?」
 郷土愛を感じさせない貧困なイメージが一巡した後、一同は暫らく沈黙した。ひろしがそ
ろそろ声をかけようか、と思ってるところで愛子が大声を出した。
「あああああもう!よさそうなのが全然出てこない!これじゃ三代吉を見返せないよー」
「愛子さん、あまり富山に拘らなくていいんじゃないですか?どうせチューリップも白海老
も麦端の名産てわけじゃないんだし」
「でもさー――」
 その時、比呂美の頭に一つの食材が浮かんできた。愛子も、朋与も、ルミも気付いたら
しい。全員の目がひろしに集中した。
「おじさん、酒骨(さかぼね)って分けていただけるんでしょうか?」
「ああ・・・・それほど、多くはないが」
 ひろしは即答する。
 酒骨とは、要するに酒粕のことである。粕、という語感を嫌い、酒を造る上での基幹、と
言う意味で骨の字を当てる。
「それがあるじゃない!金賞を連続で獲る麦端の名酒、その酒粕を使った今川焼きなら
地元アピールも抜群!」
「なんで気付かなかったんだろ、酒饅頭とか昔からあんことの相性もいいのに」
「いけますよこれ絶対。これなら野伏君も鼻緒を脱ぎますよ」
「朋与、それ兜」
 たちまち姦(かしま)しくなる店内で、ひろしはなんとなく自分も楽しみに感じている事に
気付いて、苦笑した。



 酒粕を用意できたら再開、という事で今日のところは散会し、それぞれに家に帰っていた。
比呂美も途中まではひろしに送られ、そのままアパートに帰っていった。
「ただいま」
「お帰りなさい。遅かったんですね」
 理恵子が上着を受け取りながら訊ねる。
「ああ、安藤さんの店に寄ってきた」
「あいちゃんにですか?あの、新メニューとか、言ってませんでした?」
「なんだ、知ってるのか?」
「ええ、今日眞ちゃんがお友達連れて・・・・」
 居間に入ると、眞一郎と三代吉が大の字になって寝ていた。
眞一郎は顔が真っ赤、三代吉は真っ青だった。
「・・・・どうしたんだ、これは?」
「夕方2人で帰ってきたと思ったら、台所貸してくれと言って・・・・なんでも、あいちゃん焼き
の新メニューを完成させて、愛子ちゃんと仲直りするんだとか言って・・・・それで、あの、
酒骨を――」
 ひろしはテーブルの上の今川焼きを一つ手に取った。近づけただけでも酒の匂いが鼻腔
に飛び込んでくる。今川焼きの中にあんこと酒骨が半分づつ入っていて、その酒骨を、柔ら
かくする為に酒で伸ばしたらしい。一口食べてみたが、完全に酒の味だ。
「こいつに、気がついたところまでは、よかったが、惜しかったな・・・・」
 おそらく、食べ物を無駄にしないよう、失敗に気がつきながらもなんとか完食しようと試
みたのだろう。三代吉に至っては手にまだ持っていた。
「しかし、代々続く造り酒屋の一人息子が、下戸とは・・・・」
 ひろしはどうでもいいことで嘆いていた。


                         了


ノート
酒骨は関東の蔵人だと稀に使っているのを聞きますが、富山でも使ってるでしょうか?いかにも語感の縁起に拘る日本人らしいので使ってみました。
酒粕はあんこに入れるより、丁寧に裏ごしして生地に練りこんで焼けば、酒粕の香りや風味が活きるかなと思います。
展開上全く必要ないので触れていませんが、高岡キャプテンと愛子は小学校の同級生、中学以降は連絡を取ることもなくなっていましたが、女バスの打ち上げであいちゃんに来た時に再会、交流が復活しつつある、という設定になっています。

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最終更新:2008年04月30日 02:31
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