笑顔の記憶


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「そういえばもうすぐ七夕よね」
 部活が終った後、更衣室でマヨが唐突に言い出した。
「ああ、そういえばそうね」
「商店会も笹飾ってるわね」
「今年は晴れるかしらね」
 口々に言い合う。
「でも、正直、いまさらって感じもあるわね」
「え、そう?」
 比呂美が訊き返す。
「だって、もう短冊に願い事書くような歳でもないし」
「わかんないわよ、比呂美の事だから、まだ書いてるかも」
「え?そうなの、比呂美?」
「仲上君のお嫁さんになれますようにとか、書いちゃったりしてるんだ」
「してないわよ、そんなの。変な事言わないでよ」
 比呂美が笑って否定する。それもそうよねと同調して、更衣室に笑いが広がる。
「そう言えばさあ、流しそうめんてやった事ある人いる?」
 思い出したように朋与が言い出す。
「朋与、結局そっちに話が行くわけ?」
「だってさー、食べた事ないんだもん、夏の風物詩って言う割に」
「流れるプールみたいなぐるぐる回る奴ならあるけど・・・・」
「そっちじゃなくて、竹のトイを上から滑り落ちてくる方」
「あ、あたしあるよ。九州の親戚の家で」
「ええ、いいなあ」
 ワイワイと盛り上がる中、着替えを済ませた比呂美が
「じゃ、お先に」
 と、一足早く帰途に着いた。
「――流しそうめん、か」
 帰り道、比呂美は一人呟いた。
 かすかに憶えている。あれは多分、比呂美が三歳の頃だった。親子三人で、家の小さな
庭で食べた流しそうめん。
 父の眞治がトイを作り、水を流しながらそうめんを流す。香里と比呂美が下流で待ち構
える。当然、比呂美はフォークでもまともに掬えないが、楽しかった事は間違いなく記憶
に残っていた。
 その後すぐ、眞治は入院し、そのまま二度と退院する事はなかった。
 本当は比呂美が箸の使い方を憶え、そうめんを一人で食べられるようになるまで待つつ
もりだったものを、自分に時間がない事を悟って前倒しで想い出作りをしたのだと、後に
なって母から聞かされた。想い出は残ったが、父の笑顔がどうしても思い出せない。もう
歩くのも辛かっただろう身体で無理してやってくれたことなのに、それがとても申し訳な
く思えてくる。
「きっと、笑ってたのよね・・・・それはわかってるんだけど・・・・」




「あれ、父さんは?まだ仕事?」
 眞一郎が居間に入ると、まだひろしは戻っていなかった。
「ああ、仕事はもう終ったんだけどね、ちょっとやる事があってね」
 理恵子はそれだけ言うと、料理を並べて食卓に着く。
「さ、先に食べてしまいましょう」
「あ、ああ・・・・」
 ひろしが戻ってくるまで食事は待つのが常である。どうもおかしい。
 結局、眞一郎が食べ終わる頃になってひろしが戻ってきた。
「ただいま」
「お帰りなさい。すぐに用意しますね」
「ああ」
 ひろしは自分の席に座るとすぐに新聞を手に取る。
「どこに行ってたの?」
「ちょっと、竹をな」
「竹?ああ、七夕の。でも、随分長い事あんなもの飾ってないよね」
 小学校の低学年には庭先に笹のついた竹を立てて短冊を飾ったりもしたが、もう何年も
飾っていない筈だ。
「・・・・まあ、今年ならいいだろう」
 ひろしはそれだけを、やや声を落として言った。
「ま、いいけどさ。それで、竹はいいの見つけたの?」
「ああ、そこの竹林から、適当に分けてもらえる事になった。明日にでも見繕ってくる」
「ふーん」
「それなりに、俺にも拘りがあるからな」
 妙な拘りだ、と眞一郎は思ったが、口には出さない。
 「眞一郎、今度の七夕は、比呂美を家に連れて来い。夕食はこっちで食うようにとな」
「わかった。伝えるよ」
 眞一郎が部屋に戻ると、理恵子が言った。
「――本当は、去年か一昨年にもしたかったんですね」
 聞こえていたようだ。ひろしは気まずそうに
「ああ、まあ、家族を失くして寂しかったろうからな」
「本当にごめんなさい」
「・・・・いや、俺も言葉が足りなすぎた。比呂美の事を優先して、お前の事まで考えてやれ
なかった」
「でも――」
「この話は、終わりだ。この話を蒸し返していいのは、比呂美だけだ。俺達は、何を言っ
ても言い訳にしかならん」
 そう言うとひろしは、笑みを見せて、
「せめて、今度は、今までの分まで明るく盛り上げてやろう。な?」
 と言った。
「・・・・はい・・・・」
 理恵子も落ち着いて返事をした。



 当日、比呂美はアパートで着替えを済ませ、眞一郎が迎えに来るのを待っていた。
 チャイムが鳴る。
「はーい」
 比呂美が玄関に駆け寄る。ドアの向こうから眞一郎が
「迎えに来たよ」
 と伝える。
「もう準備できてるよ」
 そう言って比呂美はドアを開け、
「すぐに出た方がいい?」
 と訊いた。
「いや、少し時間潰してろって言われた。お茶もらえるかな」
 眞一郎の言葉に比呂美は少し意外そうに瞬きをする。
「そう・・・・じゃあ、上がって」
 眞一郎は部屋に座ると、比呂美がお茶を入れるのを待っていた。紅茶を淹れた比呂美が
戻ってくると、
「今日はカップ二つあるんだ」
 とからかう。
「もう・・・・バカ」
 比呂美が上目遣いに睨む。もう何度となく交わされた、お決まりの遣り取りだ。
 勿論、他に誰かいるところでは絶対にやらない。
「でも、眞一郎くんまで追い出して準備なんて、そんなに大掛かりなの?」
「いや・・・・庭に笹立てて終わりなんだけど。昔、愛ちゃんなんかと短冊飾っただろ?」
 小学校の一、二年の頃の話である。近所の子供を集め、眞一郎の祖父が花火を焚いたり、
西瓜を振舞ってくれたりしてくれた。
「言われてみれば、場所が広いだけで飾りつけはそんなでもなかったような・・・・」
「だろ?何かサプライズを企画してるみたいなんだけど、想像つかないんだよな」
 眞一郎から見ると、ひろしも理恵子も至って常識人である。悪く言えば面白みがない。
眞一郎や比呂美が予想もつかないような奇抜な事を、するイメージがないのだ。
 もっとも、それは祖父という「極めて非常識な」人物と比較しているせいでもある。眞
一郎にしたところで、朋与などから見れば「いたって常識的」と見做されているのだ。
「ま、行ってみてのお楽しみ、なんだろうな」
「うん」
  頃合いもよくなったところで、二人は出かけた。



「ただいま」
「お邪魔します」
 二人が同時に玄関から呼びかけたが、中からは誰からの返事も聞こえなかった。
 中に上がったが台所も居間も無人だ。
「誰もいないね」
「おかしいな・・・・」
 この時間になったら戻って来いと母から言われていた。その時間に両親揃って家を空け
るとはどういう事だろう。
 その時、奥から杜氏見習いの少年が来た。
「あ、ちょっと」
「はい、なんスか?」
「親父とお袋どこに行ったか聞いてないかな?」
「社長と奥さんッスか?お二人とも庭で見かけたッスよ」
「庭?まだ準備終ってないのかな・・・・」
「眞ちゃん?帰ってきたの?」
「あ、母さん。どこ?」
「こっちよ、お庭に来て頂戴。比呂美ちゃんも一緒に」
「はーい」
 理恵子の声に促され、眞一郎と比呂美は庭に出た。
 そして二人は見た。
 庭に長い竹のスロープが設けられ、竹のトイには水が流されているのを。
 理恵子が茹で上げたばかりのそうめんを氷で締めているのを。
 そしてその場には、ひろし、理恵子の他、三代吉や愛子、朋与にあさみ、さらに女バス
の友人までいて――。
「よう、遅かったな」
 とぼけた口調で三代吉が言う。
「これは・・・・?」
「朋与、どうして・・・・?」
「こういうのは、大勢の方が楽しいでしょう?」
 比呂美の問いに、朋与に代わって理恵子が答えた。
「お前の母さんに、聞いたことがあるんだ。湯浅が昔、七夕に流しそうめんをした事があ
るとな。三人しかいない上に、お前が小さいから、まともに掬えなかった、と言っていた」
「で、おばさんがあたしのところに話し持ってきてくれてね。あたしから三代吉に他の友
達も誘っておいてもらったの。二人には内緒でね」
「いやーこの前流しそうめんの話してたらこのお誘いでしょ?即答だったわよ」
 皆口々に種明かしをしていく。眞一郎も比呂美も、言葉が思いつかない。
「あの、ありがとう、ございます・・・・私のために、色々と・・・・」
「何、七夕らしい事をしてみようか、と思って考えていたら、この話を思い出しただけだ。
それに、みんなを呼ぼうと言い出したのは、家内なんだ」
「おばさん・・・・?」
 比呂美が振り返る。理恵子は何事もないかのように
「さっきも言ったのだけど、こういうものは人数が多い方が楽しいものなのよ。お料理を
たくさん作るのは慣れてるし」
 それから少し言おうか言うまいか考えた後、こう付け加えた。
「それに、あなたが学校でお世話になっている人達に、何かお礼をさせて欲しいと思って
いたし」
 ここで初めて、かすかに微笑んだ。照れているようだ、と眞一郎は思った。
「さあ、みんな揃った事だし、そろそろ始めようか」
 ひろしが皆に箸と椀を配るよう眞一郎に命じた。
「あ、三代吉、そんな上流に立ってずるい!」
「愛子もこっち来ればいいじゃないか」
「あたしはそっちだと背が届かないの!」
「さあー食べるぞー」
「仲上君、茗荷取ってくれない?」
「あ、これ?はい」
「それじゃ、流しますよ」
 理恵子の合図と共に、そうめんが滑り落ちてくる。三代吉と朋与が先を争って救い上げ、
下流の愛子やあさみが抗議の声を上げる。
(ああ、そうだ・・・・・・・・)
 その騒ぎを見て笑いながら、同じく笑っている眞一郎の顔を見て、比呂美は思った。
(お父さん、こんな風に笑ってたんだわ)


                   了


ノート
短冊の願いの想い出をどこかに挟もうと思っていたのですが、「冒頭に流しそうめんの話振っておいてもうミスリードは無理だな」
と思い直し、思い切ってカット。誰か競作の呼びかけに答えてくれれば、そちらが当然やるだろうという事で。
ド定番を外しておいて、なおかつ読んだ後で優しい気持ちになれるような、出来れば(今日はもう遅いけど)誰かとそうめん食べたいな、
と思ってもらえるような話、を狙ってみましたが、さて・・・・。
ちなみに比呂美だけでなく眞一郎にも内緒にした理由は「絶対比呂美にばれるから(by朋与)」
あと、眞一郎の両親の呼び方は、面と向かっては父さん、母さん、いない所では親父、お袋、興奮すると面と向かっても親父、お袋で
統一してます。基本的にアニメと同一解釈。
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