第2次近衛内閣は、米内内閣のあとを受けて、新体制運動の主導者であった元首相・貴族院議員の近衛文麿が組閣した内閣である。組閣直後の1940年(昭和15年)7月26日、「大東亜新秩序建設」(大東亜共栄圏)を国是とし、国防国家の完成を目指すことなどを決めた「基本国策要綱」を閣議決定する。同年9月27日には日独伊三国軍事同盟を締結し、同年10月12日に新体制運動の指導的組織となる大政翼賛会を結成。翌1941年(昭和16年)4月13日には日ソ中立条約を締結した。同年7月18日に、改組のため内閣総辞職。
設置されず(小磯内閣で復活するまで置かれなかった)
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