ハロルド・J・ティンパーリ(Harold John Timperley、中国表記:田伯烈、1898年 - 1954年)は、オーストラリアバンベリー出身のジャーナリスト。
What War Means翻訳書:
「国民党中央宣伝部国際宣伝処工作概要」(台北・党史館所蔵)という1941年に作成された文書は、国際宣伝処が『外国人目睹之日軍暴行』("What War Means"の中国語書名)を宣伝書として編集印刷したとしている。(東中野修道『南京「虐殺」研究の最前線・平成十五年版』p.265-6)また、鈴木明著『新南京大虐殺のまぼろし』(飛鳥新社)にて初めてティンパーリが中華民国政府顧問の秘密宣伝員である事が暴露され、続いて北村稔著『「南京事件」の探求』(春秋新書)にて国際宣伝処処長曽虚白の回想記『曽虚白自伝(上集)』に「ティンパーリーとスマイスに金を払って目撃者として二冊の本を書いてもらった」記されていることから、これら資料の背後には国際宣伝処が関与していた事を示唆している。(『「南京事件」の探究』p.43-4)
また「中国社会科学院近代史研究所翻訳室編『近代来華外国人名辞典』(1981年)」には、ティンパーリーについて「1937年盧溝橋事件後、国民党により欧米に派遣され宣伝工作に従事、続いて国民党中央宣伝部顧問に就任した」と明記されている。
一方、渡辺久志は、曽虚白がティンパーリーを日本軍占領下の南京にいたとする誤りを前提として語っていることなどを指摘、この証言には問題があるとする。また、曽虚白はティンパーリーが当時、中央宣伝部と関係あったとしていないとして渡辺は北村説に疑問を投げかけている。(『季刊 中帰連』21号 2002・夏, p.69-72) また、井上久志は「中央宣伝部国際宣伝処二十七年度工作報告」(中国第二歴史档案館所蔵)に「われわれはティンパリー本人および彼を通じてスマイスの書いた二冊の日本軍の南京大虐殺目撃実録を買い取り、印刷出版した」とあり、曽虚白の回想記の「二冊の本を書いてもらった」という記述は誤りとしている。(『現代歴史学と南京事件』p.249)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年2月16日 (土) 00:18。