軍需省(ぐんじゅしょう)は太平洋戦争期に設置された日本の行政機関の一つ。戦時の軍需産業強化の必要性のため、1943年11月1日、商工省の大半と企画院とを統合して設置(軍需省官制(昭和18年勅令第824号)による)された省。軍需大臣(ぐんじゅだいじん)を長として、軍需次官以下、内部部局の大臣官房、総動員局と八つの局、および外局、さらに地方支分部局によって構成され、軍需関連会社を所管した。
軍部と密接に関わる行政だったことから陸海軍人が要職に就く例が多かった。1945年2月、戦局の更なる悪化、本土への空襲の本格化に対応して軍需工場の疎開を円滑に行う為、省内に臨時生産防衛対策中央本部が設置された。同本部の総裁は軍需大臣、事務総長は総動員局長、事務次長は総動員局第2部長がそれぞれ就いた。戦後の進駐軍上陸を目前としていた1945年8月26日、椎名悦三郎次官らの指導によって商工省に復帰した。
軍需省の組織
- 大臣官房
- 総動員局
- 航空兵器総局
- 機械局
- 鉄鋼局
- 軽金属局
- 非鉄金属局
- 化学局
- 燃料局
- 電力局
外局他
- 企業整備本部
- 燃料研究所
- 中央度量衡検定所
- 地質調査所
- 機械試験所
- 臨時生産防衛対策中央本部
地方支分部局
- 関東信越軍需管理局
- 近畿軍需管理局
- 東海軍需管理局
- 中国軍需管理局
- 福岡軍需管理局
- 新潟軍需管理局
- 札幌軍需管理部
軍需省の人事
軍需大臣
氏名
| 任
| 免
| 備考
|
東條英機
| 1943年11月1日
| 1944年7月22日
| 内閣総理大臣の兼務。陸軍大将
|
藤原銀次郎
| 1944年7月22日
| 1944年12月19日
| 小磯内閣
|
吉田茂
| 1944年12月19日
| 1945年4月7日
| 小磯内閣
|
豊田貞次郎
| 1945年4月7日
| 1945年8月17日
| 一時期運輸通信大臣を兼ねた。鈴木内閣
|
中島知久平
| 1945年8月17日
| 1945年8月26日
| 廃止・商工大臣へ
|
軍需次官
氏名
| 任
| 免
| 備考
|
岸信介
| 1943年11月1日
| 1944年7月22日
| 国務大臣の兼務。前商工大臣。東條内閣
|
椎名悦三郎
| 1944年7月23日
| 1944年7月28日
| 心得。総動員局長の兼務
|
竹内可吉
| 1944年7月28日
| 1945年4月10日
|
|
椎名悦三郎
| 1945年4月10日
| 1945年8月25日
| 総動員局長事務取扱
|
軍需政務次官
氏名
| 任
| 免
| 備考
|
松村光三
| 1944年9月1日
| 1945年4月11日
|
|
野田武夫
| 1945年5月25日
| 1945年8月22日
|
|
化学局長
氏名
| 任
| 免
| 備考
|
津田広
| 1943年11月1日
| 1944年11月18日
|
|
山田秀三
| 1944年11月18日
| 1945年8月25日
|
|
管理局長
氏名
| 任
| 免
| 備考
|
岡松成太郎
| 1945年6月6日
| 1945年8月25日
|
|
機械局長
氏名
| 任
| 免
| 備考
|
美濃部洋次
| 1943年11月1日
| 1944年11月18日
|
|
美濃部洋次
| 1944年11月18日
| 1945年3月22日
| 総動員局第2部長の兼務
|
橋井真
| 1945年3月22日
| 1945年8月25日
|
|
企業整備本部長
氏名
| 任
| 免
| 備考
|
難波経一
| 1943年11月1日
| 1944年6月10日
|
|
末永術
| 1944年6月10日
| 1945年6月5日
|
|
軽金属局長
氏名
| 任
| 免
| 備考
|
中西貞喜
| 1943年11月1日
| 1945年4月5日
| 陸軍少将(後に中将)
|
久保田芳雄
| 1945年5月5日
| 1945年5月10日
| 航空兵器総局第3局長の兼務。海軍少将
|
山之内二郎
| 1945年5月5日?
|
| 陸軍少将
|
- 秦郁彦著『戦前期日本官僚制の制度・組織・人事』では山之内の補任は記されていないが、上法快男監修『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』では昭和20年5月5日に軽金属局長就任となっている。
航空兵器総局長官
氏名
| 任
| 免
| 備考
|
遠藤三郎
| 1943年11月1日
| 1945年8月25日
| 陸軍中将
|
航空兵器総局総務局長
氏名
| 任
| 免
| 備考
|
大西瀧治郎
| 1943年11月1日
| 1944年10月5日
| 海軍中将
|
遠藤三郎
| 1944年10月5日
| 1944年10月7日
| 事務取扱。航空兵器総局長官の兼務
|
酒巻宗孝
| 1944年10月7日
| 1945年8月25日
| 海軍中将
|
航空兵器総局第1局長
氏名
| 任
| 免
| 備考
|
原田貞憲
| 1943年11月1日
| 1945年4月21日
| 陸軍少将
|
駒村利三
| 1945年4月21日
| 1945年8月25日
| 6月6日から兵器局と改称。陸軍中将
|
航空兵器総局第2局長
氏名
| 任
| 免
| 備考
|
多田力三
| 1943年11月1日
| 1945年5月15日
| 海軍機関中将
|
駒村利三
| 1945年5月15日
| 1945年6月5日
| 総局第1局長の兼務
|
久保田芳雄
| 1945年6月6日
| 1945年8月25日
| 資材局と改称
|
航空兵器総局第3局長
氏名
| 任
| 免
| 備考
|
久保田芳雄
| 1943年11月1日
| 1945年6月5日
|
|
太田輝
| 1945年6月6日
| 1945年8月25日
| 経理局と改称
|
航空兵器総局第4局長
氏名
| 任
| 免
| 備考
|
太田輝
| 1943年11月1日
| 1945年6月5日
|
|
整備局長
氏名
| 任
| 免
| 備考
|
難波経一
| 1945年6月6日
| 1945年8月25日
|
|
石炭局長
氏名
| 任
| 免
| 備考
|
赤間文三
| 1945年6月6日
| 1945年8月25日
|
|
総動員局長
氏名
| 任
| 免
| 備考
|
椎名悦三郎
| 1943年11月1日
| 1944年4月10日
|
|
椎名悦三郎
| 1944年4月10日
| 1945年6月6日
| 事務取扱。軍需次官の兼務
|
高嶺明達
| 1945年6月6日
| 1945年8月25日
| 後に日本規格協会理事長
|
総動員局第2部長
氏名
| 任
| 免
| 備考
|
美濃部洋次
| 1944年11月18日
| 1945年6月
|
鉄鋼局長
氏名
| 任
| 免
| 備考
|
美奈川武保
| 1943年11月1日
| 1945年8月25日
| 海軍少将
|
電力局長
氏名
| 任
| 免
| 備考
|
塩原時三郎
| 1943年11月1日
| 1944年4月11日
| 後に逓信院総裁
|
岸信介
| 1944年4月11日
| 1944年4月19日
| 事務取扱。軍需次官の兼務
|
荒木万寿夫
| 1944年4月19日
| 1945年8月25日
|
|
燃料局長
氏名
| 任
| 免
| 備考
|
菱沼勇
| 1943年11月1日
| 1944年6月10日
|
|
難波経一
| 1944年6月10日
| 1945年6月6日
|
|
榎本隆一郎
| 1945年6月6日
| 1945年8月25日
| 海軍少将(後に中将)
|
非鉄金属局長
氏名
| 任
| 免
| 備考
|
岸信介
| 1943年11月1日
| 1943年11月13日
| 事務取扱。軍需次官の兼務
|
加賀山一
| 1943年11月13日
| 1944年10月17日
|
|
奥田新三
| 1944年10月17日
| 1945年6月6日
| 6月6日鉱山局に改称
|
鉱山局長
氏名
| 任
| 免
| 備考
|
奥田新三
| 1945年6月6日
| 1945年8月25日
| 非鉄金属局を改称
|
部長
- 総動員局総務部長:石川信吾海軍少将(1943年11月~1944年11月)
- 総動員局総務部長:一宮義之海軍少将(1945年5月5日~1945年8月26日)
- 総動員局監理部長:渡辺渡陸軍少将(1943年11月1日~1944年11月5日、前職は企画院第1部長)
- 燃料局石油部長:榎本隆一郎海軍少将(1944年7月~1945年6月、燃料局長へ)
- 燃料局石炭部長:北野重雄(1944年11月~1945年6月)
課長
- 大臣官房文書課長:北野重雄(1943年11月~1944年11月、軍需書記官兼務)
- 航空兵器総局総務課長:松下勇三陸軍大佐(1943年11月1日~1945年8月)
- 機械局産業機械課長:松田武陸軍大佐(:1943年11月~1945年6月、航空兵器総局附へ)
- 総動員局総務部考査課長:山本高行(1943年11月~1945年6月)
- 総動員局総務課長:山本高行(1945年6月~1945年8月)
軍需官他
- 軍需官:石川準吉(防空総本部事務官兼任)
- 軍需官:山之内二郎陸軍大佐(1943年11月10日~1945年3月1日。中部軍参謀副長を経て軽金属局長)
- 軍需官:長山三男陸軍少将(1945年2月24日~)
- 軍需官:金子倫介陸軍中佐(1945年4月5日~)
- 航空兵器総局附:松田武陸軍大佐(1944年~1945年、陸軍航空本部部員兼任:後に航空幕僚長)
外局
東京軍需監理部長
- 伍賀啓次郎海軍中将(1943年12月27日~1944年11月1日)
- 妹尾知之海軍中将(1944年11月1日~1945年5月1日)
- 小畑愛喜海軍中将(1945年5月1日~解体)
- ※1944年11月1日より東京軍需監理部は関東軍需監理部へ名称変更
- ※1945年6月10日より関東軍需監理部は関東信越軍需管理局へ名称変更。
- ※1945年3月10日より軍人は一律軍需監理部次長へ格下げされた。
- ※1945年6月10日より軍需監理局長官へ呼称変更
- ※上記2つの変更と局への格上げは以下も同じ。
近畿軍需管理部長
- 長谷川治良陸軍中将(1943年12月27日~1945年2月24日)
- 岡崎清三郎陸軍中将(1945年2月24日~1945年7月21日)
- 小柳津政雄陸軍中将(1945年7月28日~解体)
東海軍需管理部長
- 岡田資陸軍中将(1943年12月27日~1945年2月1日)
- 阪口芳太郎陸軍中将(1945年2月1日~1945年6月6日)
- 鳥本隆一陸軍中将(1945年6月6日~解体)
中国軍需監理部長
- 秋山徳三郎陸軍中将(1943年12月27日~1944年11月1日)
- 秋永月三陸軍中将(1944年11月11日~1945年4月16日)
- 原乙未生陸軍中将(1945年4月16日~解体、軍需官兼任)
福岡軍需管理部長
- 堀内茂礼海軍中将(1943年12月27日~1944年8月12日)
- 鉾立金矢海軍中将(1944年8月12日~1945年9月15日)
新潟軍需管理部長
- 桑原虎雄海軍中将(1943年12月27日~1945年2月11日)
かつてのナチス・ドイツにも軍需省は存在した。フリッツ・トートやアルベルト・シュペーアが、その大臣を務め、特にシュペーアは1944年代に一気にドイツの軍需品生産量を高めるなど多大な功績を挙げた。それはシュペーア革命と呼ばれ、連合軍を最後まで苦しめた。だが、戦局を巻き返す事はできず、無条件降伏によるナチ党一党独裁体制の崩壊に伴い、消滅した。
関連項目
外部リンク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年4月29日 (火) 21:22。
最終更新:2008年11月09日 00:18