第2次松方内閣


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{{日本の内閣記事|だい2じ まつかた ないかく|6|松方正義|Template:和暦?|9月18日|Template:和暦?|1月12日|藩閥内閣進歩党協力)|第5回衆議院議員総選挙|Template:和暦?12月25日|http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/kakuryo/06.html|前職 = 前大蔵大臣}}

概要

Template:和暦?9月10日、松方に大命が降下したものの、以前の第1次松方内閣のときの帝国議会対策での失敗もあり組閣も順調とはいかなかった。三菱財閥岩崎弥之助は松方に大隈重信進歩党との連携を提案した。だが、超然主義者の前首相山縣有朋を始め、松方自身が率いる薩摩からも反対論が出た。松方は進歩党からは大隈の外務大臣以外の入閣は認めなかったものの、書記官長法制局長官、更に当時勅任官であった参事官の一部を進歩党系から出すことで合意に達した。この結果、尾崎行雄外務省参事官に任命されるなど政党からの参事官起用が実現した(逆に、これが第2次山縣内閣による文官任用令改正の遠因となる)。このため、この内閣を松方と大隈の名より「松隈内閣(しょうわいないかく)」とも呼称する。

松方・大隈、そして組閣の功労で日本銀行総裁に抜擢された岩崎の手によって、「大隈財政」・「松方財政」の悲願でありながら実現できなかった金本位制の確立がTemplate:和暦?3月26日公布の貨幣法によって実現する(同年10月1日施行)。また、進歩党の要求していた新聞紙条例の改正が行われて言論統制の一部が緩和された。

だが、松方・進歩党が希望するこの二大課題が解決すると、元々大隈との提携に不満があった薩摩閥系閣僚と進歩党側の対立が激化、更に松方が財政難の解決のために地租改正反対一揆以来一種のタブーとなっていた「地租増徴」を提案したことから進歩党内に倒閣の機運が生じた。その結果、Template:和暦?10月31日に進歩党は事実上の野党となり、直後に大隈と進歩党系参事官は辞任した。同年12月25日衆議院内閣不信任案が上程されて可決が確実視されると、松方は直ちに衆議院解散を断行する。だが、選挙後の政権運営の方策が全く見出せなかった松方はその日のうちに辞表を提出した。衆議院を解散してそのまま内閣総辞職を行った例は大日本帝国憲法日本国憲法を通じてこの時だけであった。

在任期間

在任; 1896年明治29年)9月18日 - 1898年(明治31年)1月12日

閣僚等

第2次松方内閣 1896年(明治29年)
9月18日
同年
9月20日
同年
9月22日
同年
9月26日
同年
9月28日
同年
9月29日
内閣総理大臣 松方正義 松方正義 松方正義 松方正義 松方正義 松方正義
外務大臣 西園寺公望(兼務) 西園寺公望(兼務) 大隈重信 大隈重信 大隈重信 大隈重信
内務大臣 板垣退助 樺山資紀 樺山資紀 樺山資紀 樺山資紀 樺山資紀
大蔵大臣 松方正義(兼務) 松方正義(兼務) 松方正義(兼務) 松方正義(兼務) 松方正義(兼務) 松方正義(兼務)
陸軍大臣 大山巖 高島鞆之助(兼務) 高島鞆之助(兼務) 高島鞆之助(兼務) 高島鞆之助(兼務) 高島鞆之助(兼務)
海軍大臣 西郷從道 西郷從道 西郷從道 西郷從道 西郷從道 西郷從道
司法大臣 芳川顯正 芳川顯正 芳川顯正 清浦奎吾 清浦奎吾 清浦奎吾
文部大臣 西園寺公望 西園寺公望 西園寺公望 西園寺公望 蜂須賀茂韶 蜂須賀茂韶
農商務大臣 榎本武揚 榎本武揚 榎本武揚 榎本武揚 榎本武揚 榎本武揚
逓信大臣 白根專一 白根專一 白根專一 野村靖 野村靖 野村靖
拓殖務大臣 高島鞆之助 高島鞆之助 高島鞆之助 高島鞆之助 高島鞆之助 高島鞆之助
班列 黒田清隆 黒田清隆 黒田清隆 黒田清隆 黒田清隆 黒田清隆
内閣書記官長   高橋健三 高橋健三 高橋健三 高橋健三 高橋健三
法制局長官           神鞭知常


第2次松方内閣
(つづき)
1897年(明治30年)
3月29日
同年
9月2日
同年
10月8日
同年
10月28日
同年
11月6日
同年
11月8日
内閣総理大臣 松方正義 松方正義 松方正義 松方正義 松方正義 松方正義
外務大臣 大隈重信 大隈重信 大隈重信 大隈重信 西徳二郎 西徳二郎
内務大臣 樺山資紀 樺山資紀 樺山資紀 樺山資紀 樺山資紀 樺山資紀
大蔵大臣 松方正義(兼務) 松方正義(兼務) 松方正義(兼務) 松方正義(兼務) 松方正義(兼務) 松方正義(兼務)
陸軍大臣 高島鞆之助(兼務) 高島鞆之助 高島鞆之助 高島鞆之助 高島鞆之助 高島鞆之助
海軍大臣 西郷從道 西郷從道 西郷從道 西郷從道 西郷從道 西郷從道
司法大臣 清浦奎吾 清浦奎吾 清浦奎吾 清浦奎吾 清浦奎吾 清浦奎吾
文部大臣 蜂須賀茂韶 蜂須賀茂韶 蜂須賀茂韶 蜂須賀茂韶 濱尾新 濱尾新
農商務大臣 大隈重信(兼務) 大隈重信(兼務) 大隈重信(兼務) 大隈重信(兼務) 大隈重信(兼務)
明治30年11月6日まで
山田信道
逓信大臣 野村靖 野村靖 野村靖 野村靖 野村靖 野村靖
拓殖務大臣 高島鞆之助 1897年(明治30年)9月2日
拓殖務省廃止
       
班列 黒田清隆 黒田清隆 黒田清隆 黒田清隆 黒田清隆 黒田清隆
内閣書記官長 高橋健三 高橋健三 平山成信 平山成信 平山成信 平山成信
法制局長官 神鞭知常 神鞭知常 神鞭知常 梅謙次郎(兼務) 梅謙次郎(兼務) 梅謙次郎(兼務)

外部リンク




出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年11月9日 (日) 04:54。












     
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