第3次伊藤内閣

{{日本の内閣記事|だい3じ いとう ないかく|7|伊藤博文|Template:和暦?|1月12日|同年|6月30日|藩閥内閣|第6回衆議院議員総選挙|同年6月10日|http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/kakuryo/07.html|元老}}

概要

地租増徴を目指して衆議院を解散したものの、政局運営に自信を失った前総理松方正義に代わって伊藤が組閣した。だが地租増徴に反対する進歩党自由党からの協力は得られなかったために、文部農商務逓信を自派(「伊藤系官僚」)が、内務司法陸軍山縣有朋系が占める超然内閣を作らざるを得なかった。

第5回衆議院議員総選挙では自由・進歩両党が圧勝、これに対して伊藤は選挙から僅か3ヶ月で再度衆議院を解散した。だが、これに対して進歩党と自由党が合同して憲政党を結成、貴族院も政権に非協力な態度を取った為に、伊藤は自らの政局運営の甘さの自覚と新党結成の決意を固めて、山県有朋らの反対を押し切って憲政会の大隈重信板垣退助のいずれかを後継にするように上奏して内閣を総辞職した。

在任期間

在任; 1898年明治31年)1月12日 - 同6月30日

国務大臣

第3次伊藤内閣 1898年(明治31年)
1月12日
同年
4月26日
同年
4月30日
内閣総理大臣 伊藤博文 伊藤博文 伊藤博文
外務大臣 西徳二郎 西徳二郎 西徳二郎
内務大臣 芳川顯正 芳川顯正 芳川顯正
大蔵大臣 井上馨 井上馨 井上馨
陸軍大臣 桂太郎 桂太郎 桂太郎
海軍大臣 西郷從道 西郷從道 西郷從道
司法大臣 曾禰荒助 曾禰荒助 曾禰荒助
文部大臣 西園寺公望 西園寺公望 外山正一
農商務大臣 伊東巳代治 金子堅太郎 金子堅太郎
逓信大臣 末松謙澄 末松謙澄 末松謙澄
班列 黒田清隆 黒田清隆 黒田清隆
1898年(明治31年)6月27日まで
内閣書記官長 鮫島武之助 鮫島武之助 鮫島武之助
法制局長官 梅謙次郎(兼務) 梅謙次郎(兼務) 梅謙次郎(兼務)

外部リンク




出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年11月17日 (月) 14:10。












     

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最終更新:2009年02月03日 23:55
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