王道楽土

王道楽土(おうどうらくど)は、1932年満州国建国の際の理念。 アジア的理想国家(楽土)を、西洋の統治(覇道)ではなく東洋の統治(王道)で造るという意味が込められている。

五族協和」「王道楽土」と並び称されたが、「五族協和」とは、満日蒙漢朝の五民族が協力し、平和な国造りを行うとする趣旨の言葉。満州には五族以外にも、ロシア革命後に逃れてきた白系ロシア人等も居住していた。

満州には内戦の続く疲弊した中国からの漢人や、新しい環境を求める朝鮮人、そして大日本帝国政府と満州国政府の政策に従った満蒙開拓団(満蒙開拓移民・満州武装移民)らの移住・入植が相次ぎ、人口も急激に増加した。

大日本帝国本土(日本列島地域)においても、(当時の農村不況も相まって)困窮する零細農民や土地を持たぬ小作農、土地を相続できない農家の次男三男以下など、または大陸にて雄飛し名をあげる野望を抱く「大陸浪人」らの間で、満州に憧れる風潮が生まれた。 満州を王道楽土、楽園(ユートピア)のように表現する映画や歌も作られた。

  • 「開拓団の子供」
  • 「迎春花」(李香蘭)
  • 「新日本の少女よ大陸へ嫁げ」(東宮鉄男作詞)

日本人の「満州馬賊」と知られているのは

などであった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年9月15日 (月) 19:28。











    

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最終更新:2008年12月20日 23:43
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