バンザイ突撃


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バンザイ突撃(ばんざいとつげき)は、太平洋戦争中の日本軍兵士による米軍に対して敢行された突入攻撃。自滅的攻撃と解釈されるのが一般的である。

主に戦闘の最終段階(日本軍敗色濃厚時)に行われ、米軍からは『バンザイ・アタック』(banzai attack)、もしくは『バンザイ・チャージ』(Banzai charge)と呼ばれ、狂信的な兵士達の理解不能な自殺行為として恐れられた。銃剣軍刀を振りかざし、鬨の声を上げて突進してくる日本兵の姿に恐怖し、精神に深いダメージを負う米兵もいた。

実際の突撃時に全ての日本兵が『バンザイ!』と叫びながら突進したとは限らず、日本兵の言葉にならない雄叫びを耳にした米兵が、日本人が叫ぶ詞で一番米国で知られていた『万歳!』を当て嵌め、名付けたものと推測される。他に、突撃決行の前に全員で「天皇陛下万歳」を唱和した事からこう呼ばれるようになったとする説もある。

バンザイ突撃に加わった日本軍兵士の生存者は非常に少ないため、米軍側の視点が主になりやすい。

生きて虜囚の辱めを受けず

戦陣訓によって捕虜になる事は不名誉な事であり、命惜しさに投降するなど言語道断であると教え込まれた日本軍兵士は、太平洋戦争における米軍との攻防戦において、遂に終戦まで自らの命と引き換えに台湾人将兵の投降を認めさせた例以外、殆ど組織的降伏(部隊としての武装放棄・投降)をしなかった。これは近代化された一国の正規の軍隊としては他に例が見られない。

投降に対する認識の差

武器弾薬、食料等が尽きて、それ以上戦闘行為の継続が不可能な状態に追い詰められた場合、近代的軍組織の常識的行動は投降である。適切な状況での軍隊の組織的投降は国際的な常識として認められており、太平洋戦争当時、日本の同盟国であったドイツにおいても武器弾薬が尽きれば降伏するのが当然であった。

意外な事に、日露戦争の頃までは、日本においても捕虜になったことがあると周囲から冷たい目線を投げかけられることもあったが、さほど不名誉なものとはされていなかった(職業軍人の場合、逮捕送還されて、以後の出世が望めなくなる程度の差別はあったようであるが、捕虜経験者でその後将官に累進したり金鵄勲章を貰った者もいる)。むしろ、明治時代に近代日本の経験した主要な戦争では、近代国家としての日本の国際的地位確立を目指したこともあって、交戦相手の軍の組織的投降をヨーロッパにおける国際基準に沿って取り扱うことを強く目指していた。

一方、戦国時代において、戦に敗北し降伏した相手に再度仕官する事はごく普通に行われていたし、相手側でも優秀な人材は積極的に雇用した。 つまり、軍隊の組織的投降を不名誉で日本文化に反するとする思想は決して武士道に基づく伝統的なものではなく、比較的新しい思想と考えざるを得ない。現に、「生きて虜囚の辱を受けず」の文言で知られる『戦陣訓』は昭和16年、つまり太平洋戦争開戦前夜の時代に成立したもので、大日本帝国陸海軍の歴史の中では末期のほんの一時期を規定した訓告に過ぎない。

尚、捕虜となることを禁じたことによる弊害として、第二次世界大戦において一旦捕虜となってしまった日本兵は、捕虜となった時の敵側の尋問に対する応対法等の教育が全くされなかったため(氏名・認識番号・階級以外は黙秘してよい)、結果として本人も知らないうちにしなくてもいい情報漏洩等の利敵行為をしてしまったとされる。

戦術的意義

バンザイ突撃は、確かに米軍兵士の精神に衝撃を与えた。しかし、この行為によって戦闘そのものに勝利した事は無い。ペリリューの戦い硫黄島の戦い沖縄戦における戦闘では、有能な指揮官の指導により、バンザイ突撃を戒められ、堅固な防御線を敷き徹底した持久戦法で戦った結果、安易な突撃戦法を繰り返した他の戦場に比べ、米軍に大損害を与える事ができた。太平洋戦争において、米軍は『日本軍の兵士は極めて勇敢・精強であった』と評価している。それは、自暴自棄からくるバンザイ突撃を評価したものではない。前記の戦場において、米軍の圧倒的な火力に臆する事無く、最後まで忍耐強く戦い抜いた日本軍兵士に敬意を表したものなのである。

現代の価値観から見れば、日本軍のバンザイ突撃は絶望的な戦法で、無駄に兵士を死なせたとして非難される行為である。自動火器と有り余る弾薬で待ち受ける米軍に対し有効な戦法ではなかった。

バンザイ突撃を選択した理由の正当性

島嶼部での戦闘においては、長期間包囲された場合、深刻な水、食糧不足が生起する。補給の望めない日本軍にとって一発逆転思想での短期決戦は当然の帰結である。多くの島嶼部の戦場において、日本軍の輸送船が次々と撃沈されて武器弾薬、食料の輸送が滞り、ほぼ丸腰の兵隊が守備隊として配備されていた事実が、バンザイ突撃に走らせた原因であるという考え方もあるTemplate:要出典?

しかし、太平洋戦争末期になると、米軍の攻撃を受けた全ての戦場において、日本軍は程度の差はあれ兵力・武器・弾薬・食料等の物資・物量で米軍に圧倒されており、新たな補給も望めない状況だった。日本軍が物資の面で米軍よりも有利な条件で戦えた例は一つも無かったと言える。にもかかわらず、米軍に与えた損害に差があったのは、不利な条件下でも的確な対抗策を編み出し、実践した現場指揮官の力量の差でしかない。当時の閉鎖的状況を考慮しても、一発逆転思想が極めて現実性の薄いものであった事は十分に認識できた事であり、これを正当化することは難しいと言える。

そもそも、無意味な自殺的戦闘を敢行するのは、国家が敗戦したとしても、その再建に当たる人材を無為に死なせることであり、中長期的に見て祖国を害する行為とも言える。バンザイ突撃を玉砕以外の側面で理解するのは難しい。


米陸軍第442連隊戦闘団における「バンザイ突撃」

第二次世界大戦の欧州戦線に於いて、日系人のみで編成された米陸軍第442連隊戦闘団」は、ドイツ軍との戦闘の際バンザイ突撃を展開した事がアメリカ陸軍の公式記録に残っている。

「バンザイ!」を叫びながら勇敢に突撃して来る姿にドイツ軍は恐怖を覚えたと言われている。この『バンザイ突撃』は、攻撃の際、味方兵士との一体感を高める為、日系人兵士の『気合』の掛け声として使用された意味合いが強く、このバンザイ突撃を効果的に利用して戦闘を優位に進めたと云われる。特に有名なのが、第34師団141連隊第1大隊、通称テキサス大隊を救出した戦いである。待ち構えていたドイツ軍に対し第442連隊戦闘団はバンザイ突撃を繰り返して多大な死傷者を出し、最終的に救出には成功したものの、テキサス大隊の211名を救出するために第442連隊戦闘団の約800名が死傷するという事態になった。このような戦闘を重ねた結果、第442連隊戦闘団はのべ死傷率314%(のべ死傷者数9,486人)という恐るべき損害を出している。

彼らのこうした戦いぶりへの評価が、戦後、アメリカ社会における日系人の地位の回復と躍進へと繋がったと考えられているTemplate:要出典?

関連項目


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年4月18日 (金) 16:09。












     
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