【七の難業 六】


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「何故ならば」
 と兇次郎。
「ディベートと名乗る気ならば議論の場を仕切る進行役とどちらの論が優れていたか決する判定役が必要だ。牛歩戦術、水掛け論、循環論法。進行役がいなければ議論を停滞させ、あるいは時間稼ぎすることはあまりに容易い。そして判定役がいなければ「まだ負けていない」と強弁することも可能だ」
「なんと言う悪意にみちた解釈」
 崇志はおどけた調子でやれやれと首を振った。
「論題をこちらに決めさせることで多少譲歩しているように錯覚させるのがまた悪質だな。実に性質の悪い茶番だ。いや、茶番といえばこの七の難業とやらがそもそもそうだな」
「酷い言いがかりさぁなぁ」
 崇志がせせら笑いながら否定するが、兇次郎はそれに構わず話を続けた。
「挑戦者にランダムで相手を振り分けるのもそう、三墨ちさとの『紙牌の難業』のような普通では決して勝てぬ難業を用意したのもそう。そうと分かって見れば全てがそのため、最初から誰も勝たせる気などないことだと明白だ。挑戦者から文化祭の間難業の記憶を奪ったのもその一環。『先に挑戦する者と後に挑戦する者との間で不公平にならないため』だと、笑わせる。あまりに理不尽な難業に対して文化祭の間余計な文句を付けられない、その為に他ならない」
 祭さえ終わってしまえばたかが入場料程度のことを引きずる者もいないだろうからな、と兇次郎は付け加えた。
「いやぁ、長々と推理お疲れ様。でもよう、アンタの推理など簡単に突き崩せる。確かに全く勝てないゲームなら問題にもなるだろうさ。だがな、もしそうならアンタはこの最後の難業まで来れやしない。アンタが言った三墨も実際は敗北している」
 ま、これは俺も少し計算外だったがね、と崇志は肩をすくめる。
「要するに、アンタは頑張りすぎたよ。足掻けば足掻くほど自分の首を絞めてるんだぜ、お笑い種だな。いや、あんたもそのくらい分かっているんだろう。アンタの異能のことは聞き及んでるぜ。どうだい、全く打つ手がないことが分かってしまうって気分は?」
「全く見当外れだな。我輩の頭脳には常に最終的な勝利しか見えておらんよ」
 そこだ、と崇志が兇次郎に指を突きつけた。
「その空意地がアンタの弱点だ。勝ちに行きたいなら徹底すればいいだろうに。あの『魔物』、清廉唯笑でもこちらに当ててくればまだ分からなかったかもしれねぇが、大将同士の勝負にこだわった結果がこの様だ」
「そうか、そう見たか」
 兇次郎の口から失笑が漏れる。
「くだらん、実にくだらん」


「貴様のような人間が何故七の難業などという大仕掛けを企むに至ったのか、そこが我輩にしても容易ならざる難問だった。貴様は実に利己主義的な人間だ。どんなことがあろうと自分の利益にならぬことなどやるとは思えん」
「まあ正解だなぁ」
 兇次郎の話はなおも続き、崇志の動機の分析へと移っていた。
「だが、七の難業が直接貴様に利益をもたらせるはずもない。文化祭の企画の利益を私できるはずもないし、いや、そもそも貴様がこれにつぎ込んだ労力は学生個人個人を相手にしての収益程度では到底購えるものではない」
「それも正解。だがなぁ、俺のプロファイリングにかまけてる余裕があるのかい?」
「孫子曰く、『彼れを知りて己を知れば、百戦して殆うからず』。敵の心の内を掌にすれば勝利したも同然なのだ」
「少なくとも口はたいそう達者なようだなあ。だが」
 と崇志は生徒手帳を兇次郎に突きつける。
「その口車で人間は誑かせても、時間ばっかりはどうにもならないよなぁ」
 生徒手帳に表示されたタイマーモード、刻々と0に近づいているそれを見せびらかしながら崇志は自らの優位を確信したもののみが見せることのできる顔で兇次郎に告げる。
「これでも多少は待ってやったんだぜ?でもなあ、アンタの話を最後まで待ってやる義理もないよなぁ」
「――とするならばこの式を見たす解は外に求めざるを得ないだろう」
「?」
 ディベートを進める気など毛頭見られず――そもそも論題すら未だに提示していないのだ――ただ崇志の行動原理を推理する話を続ける兇次郎。
 鼻っ柱をへし折るつもりの一手が軽く受け流されたことで、さしもの自信家の崇志にも一抹の不安がよぎり始めていた。
「そこが最後の難関だった。そもそもこの大仕掛けに見合う利の動きなどそうそうあるわけではない」
「…アンタ、一体何をするつもりなんだ?」
 あらゆる読み合いで負けたことがないと自負する崇志にとって、相手が何をするのか全く見えてこないというのはありえないことであった。みすみす精神的優位を与える愚行だと理解しつつも、崇志はそう問いたださざるをえなかった。
「何をするつもりだ、だと?」
 それまで淡々と話を続けてきた兇次郎の容貌が、自らが他者の上に立つ存在だと言わんばかりの傲然たるものへと変わる。
「ここまで時間をやったのに、その程度のことすら気付いていなかったのか?」
 唇の端を歪めて崇志を挑発する兇次郎。
「『何をするつもりだ?』」
 兇次郎は再びくり返し、
「もう、終わっているさ」
 嘲るように言うと、兇次郎は机の上に一台のICレコーダーを放り出す。

――あの裏醒徒会が『七の難業』に挑戦するというのは本当なのか?――

 兇次郎を問い詰めようとしていた嵩志の動きがぴたりと止まった。


 裏醒徒会とN組と、自分の出番が終わり手持ち無沙汰になった者たちがだれ言うとなく『縦横の難業』の会場の前に集いつつあった。
「そろそろ終わっていてもいい頃合いだけど」
「さて、どうなってんのかねえ?」
「もうこれ以上何事も無いのを祈るだけだよ…」
 戦いの結果に思いをはせる直と昭彦に対し、修はそれどころではないようである。
「あれ、清廉おねえちゃんは?」
「もう帰ったみたいですわ。負け犬らしい殊勝な心掛けと言うべきかしら」
「蛇蝎さん…」
 裏醒徒会の方では兇次郎のことを心配しているのは克巳だけで導花と陸は兇次郎のことなど気にもかけずに雑談にふけっていた。
 そんなざわめきを切り裂くように、扉を開く音が一同の元を駆け抜ける。
 一同の視線がその音の元に集中した。古兵の余裕を漂わせる導花と陸ですら言葉を止め耳をそばだてる中、最初に姿を現したのは崇志だった。
 密度の濃い気配を漂わせる崇志。裏醒徒会側の注視が外れN組側も声をかけあぐねている中、彼は悠然と立ち去ろうとする。
「…百目鬼君」
「ちぃと後片付けをしてくるわ」
 声をかけようとする修の出鼻をくじき、崇志は廊下の角を曲がって消えていった。
「!」
 ゆらり、と空気が揺らぐ感触に反射的に振り返る修たち。視線の十字砲火の中、静かに姿を現したのは挑戦者の兇次郎である。
 崇志とは真逆に、兇次郎からは殊更に構えるような気配は感じられない。だがここだけは同じく待ち受ける一同に目をくれることもなく歩を進めていた。
 少しの間あっけに取られたようにそれを見送っていた一同だったが、やがて声のないざわめきが広がり、それに背を押されるように一人の少年が飛び出していく。
「蛇蝎さん!結果はどうなったんですか?」
 慌てて走り寄った克巳の質問に兇次郎はようやく足を止め、
「ふん」
 とつまらなそうに鼻を鳴らした。




七の難業 対裏醒徒会 最終結果

              『颶風の難業』
        皆槻 直   △ ― △   竹中 綾里

              『競愚の難業』
      陣台 一佐男   × ― ○   市原 和美

              『天秤の難業』
        金立 修   ○ ― ×   工 克巳

              『紙牌の難業』
      三墨 ちさと   × ― ○   相島 陸

              『幻砦の難業』
       黒田 一郎   × ― ○   笑乃坂 導花

              『円舞の難業』
ミステリアス・パートナー   ○ ― ×   清廉 唯笑

              『縦横の難業』
      百目鬼 崇志   × ― ○   蛇蝎 兇次郎




――おたおたすんなっつーの。逆に奴らを踏み台にするぐらいの気概がなくてどうするよ?――

 レコーダーからは続けて崇志の声が聞こえてきた。

――しかし、な。本当に大丈夫なのか?万が一奴等にクリアされれば計画は全て台無しだぞ――
――だから腹くらいくくれや。ここぞというときにバクチ打つ覚悟もねえんなら最初から高望みなんかすんじゃねぇよ――

 崇志と話をしている声、その正体は現在知る人ぞ知る存在の生徒だった。
 次期醒徒会選挙への立候補を公言しじりじりと知名度を高めていたある生徒。その生徒が今レコーダーの中で崇志と何らかの密談を行っている。

――何だその言い方は!最初に薦めてきたのはお前のほうだろうが!――
――あぁそうだな。それより必要以上に連絡するなと言ったはずだ。もう切るぜ――

 崇志のうんざりした声と共に会話は止まり、後は無音のみが吐き出され続ける。
「幾つか手は打ってあったのだがな。我輩自らが撒き餌となっての鎌かけという最初の手でチェックをかけることができるとは、少々拍子抜けだったよ」
 驕りや誇示のような余計な夾雑物はない。ただただ単純な勝者の貌。
(そんで俺の顔は敗者の貌ってか)
 諦めの吐息を吐き出し、崇志は全ての終わりを告げる。
「しゃーねーわ。それ握られている時点で計画はおじゃんだ。つまりもう俺の難業を続ける理由もない。アンタの勝ちだ。金は長谷の奴に預けてるから持ってけ」
「ふむ。醒徒会として相応しい箔をつける場としては中々良くできていたことは認めよう」
 「醒徒会」に求められているものとは何か?
 マンモス学園を実質的に仕切る実務能力?生徒たちに慕われる人望?無論それらも必要だ。
 だが、もっとも必要なものは、生徒たちが「醒徒会」に何より望むのは、力。ラルヴァと戦う組織として、またどういうわけかラルヴァとの遭遇率が高い土地の住民として、多種多様な脅威を最終的に解決する切り札としての存在であることが第一に求められている。
 だから、名だたる実力者ぞろいの今期醒徒会に限らず、醒徒会に名を連ねるたちは様々な形で力――必ずしも戦闘力だけでなく問題解決能力も含む――を生徒たちに知らしめたものが選ばれることが多い。
「大金を餌に名だたる実力者を集め、そのことごとくを理不尽な難業で粉砕。しかる後に貴様が仕立てたあの男のチームを八百長で勝たせる。僅か三日で労せずして格付けの一つの頂点に駆け上がることができるわけだ」
「その通り。これでも一年近くかけた自慢の計画だったんだけどねぇ。正にアンタの言うとおり戦う前に終わってたってことか、こんな形でゲームオーバーとは思わんかったなぁ」
 そう言う割には妙にさばさばした表情の崇志。あるいは彼の言うとおりこの計画自体がひとつのゲームに過ぎないのかもしれない。
「まがい物にいくら鍍金をかけたところで本物になれるわけもない。その根本的な誤解が貴様の敗因だ」
「はぁ?」
 何を馬鹿なことを、と崇志は全身で訴える。
「分かってねーな。本物がまがい物を打ち倒す。まがい物が本物の姿を見て改心する。どれもこれもありきたりすぎて駄目。まがい物がまがい物のまま本物を駆逐する、そんくらいの無理を押し通すことこそ策謀家冥利に尽きるってもんよ」
「付き合いきれんな」
 兇次郎は一言で切り捨てる。勝負は決した。最早兇次郎にとってこの男、百目鬼崇志には何らの価値もない存在だ。
「こんな所で意見が一致するたぁな」
 崇志は肩をすくめ立ち上がる。もう二度とコンティニューができないゲームに意味などない。当然、その相手である蛇蝎兇次郎も崇志にとって最早何の価値もない存在である。
「賢明だな」
 真っ直ぐに出口に向かう崇志に兇次郎の声が辛辣に追い討ちをかける。
 醒徒会選挙まで絡んだ大きな流れが断ち切られた以上、その責任は誰かが詰腹を切らなければまず収まらないだろう。それから逃れるための逃げ足の速さを評した言葉だ、という兇次郎の揶揄をその一言から瞬時に読み取り、崇志は面倒くさそうに首だけを兇次郎に向けた。
「アンタ、子供の時に教わらなかったのか?」
「…何がだ?」
 一矢報いたといわんばかりのある意味では幼稚な、だが誇らしげな顔で答える崇志。
「遊び終わったらちゃんと後片付けをしなさい、ってな」
 ……数日後、醒徒会選挙に出馬を表明していたある生徒が出馬辞退を表明したが、そのことと七の難業を結びつけて騒ぎ立てる人間は誰一人としていなかった。


「どこで間違えてしまったんだろう…」
 教室を見渡し、修は沈鬱な表情でそう呟く。
 修自身は両腕、直は右腕に負傷、一佐男は戻ってきてから一言も口をきかぬまま据わった目で辺りを睨みつけている。
 ちさとは躁鬱病にかかったかのように周りの女子に話しかけたり塞ぎ込んだりを繰り返し、ようやく連れ戻した一郎は「わ…俺は普通の人間に戻るぞ!」と間欠泉のように一定周期で叫び続けていた。
 物的損害も酷いものだ。『颶風の難業』の会場の体育館は壁の一部が倒壊、『幻砦の難業』の大教室では黒板に穴が開いて交換が必要だと苦情が届いていた。
 挙句の果てに『円舞の難業』の教室ではミステリアス・パートナーが床に大穴を開けたとか。なんでそんなことになったのか見当も付かない。問い詰めようにも彼(結局そう言うべきかどうかも分からなかった)はとっくの昔に風を食って逃走していた。頭を抱えたい気分だ。
 崇志が何かを企んでいるとしても、昭彦ので制約をかけておいて後は協力してしっかり警戒をしておけばそれは阻止できると思っていた。
 だが事態は修の想像を軽く超越したところで進行しており、その結果がこの惨状だ。
 伏流水のような見えない流れのぶつかり合いに七の難業は体よく利用されてしまったのだろうとはなんとなく想像できるが、このクラスで唯一その先を知っていそうな崇志はいつの間にやら姿を消していた。
「なーにしけた顔してんのさ修ちゃん」
 昭彦がやや疲労の色を滲ませつつも快活に声をかけてくる。いつもは助けになる彼のそんな気遣いも、だが今回ばかりは修の心を癒せそうになかった。
「この七の難業で番人役の人間は皆程度はどうあれ犠牲になってしまった。僕がもっとしっかりしていれば…」
 昭彦ははあ、と大きく溜息をつき、真剣な眼差しで修の鼻先に指を突きつけた。
「前から思ってたんだけどさ、修ちゃんちょっと過保護過ぎだぜ?」
「え?」
「俺らもう高二じゃん。誰に強制されるわけでもなく皆手前の責任で参加を決めたんだから、その結果も手前で引き受ける。それが当然だろ?それを修ちゃんが自分の責任自分の責任って、それって皆のことを自分で自分の責任も取れない人間ってバカにしてるも同然だぜ?」
 昭彦の言いたいことはよく分かる。それが正しいということも。それでも、やはり心情的に割り切れないしこりが残っていた。
「それに修ちゃん考えすぎなんだよ。直っちはああだから別に気にしてるわけないし、ちさっちや黒田はまるで人が変わったみたいだけど、あれはあれでショック療法と思えば案外いい方に風向きが向くかもよ?」
「それは…」
 流石にどうかと思わなくもない。基本的に真面目人間な修にはその楽観的な考えは付いていきにくいものだった。
 そんな修の煮え切らない様子を見た昭彦は「仕方ねえなあ」と何度も頷きながら修の周りを回り、背後に回ったところでいきなり修を押し出すようにして椅子から立ち上がらせた。
「な、何するんだい昭彦」
「もうこうなったら仕事漬けにして余計なことは忘れさせるしかねえや。百目鬼がいなくなった以上修ちゃんがこの後の面倒見ないと」
「あ…」
 これだから日本人はワーカホリックって呼ばれるんだとぼやく昭彦を尻目に、彼の思惑通りこの状況に対応するためにフル回転する修の思考。
「皆、僕の話を聞いてくれないか」
 その言葉と共に、ざわめいていたクラスの空気が徐々に修を注視するものへと変わる。
「今回の挑戦で難業の担当者の殆どが肉体的に、または精神的にダメージを負ってしまった。残念だけどこの状態では七の難業の継続は不可能だと僕は思う。本来は責任者の百目鬼君が決定するべきことだけど、彼は今所在不明なのでクラス委員長として僕が決定させてもらう」
 そこで一瞬口ごもる修。色々不満や心のしこりはあれど、ここまで関わってきた七の難業にはそれ以上にひとかたならぬ思いがある。だが、それでもこれは彼がやらなければいけないことだった。
「…N組の文化祭企画、七の難業は現時点を持って中止とします。待っている人への説明と外の看板等の回収が終れば文化祭終了まで各自自由時間とするので、皆少しだけ協力してくれないかな」
 「OK」「委員長お疲れさん」「まだ終ってねっての」等々様々な声が飛び交う中、今度は昭彦が皆の前に飛び出してきた。
「打ち上げに参加するやつ、今から手を上げてくれ!」
 昭彦が参加者を数え出す中、修はその人の集まりから抜け出す人影を捕らえていた。
「陣台君、やっぱり打ち上げには参加しないのかい」
「ああ」
「勝負師だから?」
 一佐男は苦りきった表情を浮かべたが、それもすぐに諦めたような苦笑に変わる。
「それはしばらく返上だ。ただな、それでも崇志のそばにいたほうが俺的に面白いものが見れそうだからな」
「そう、か…」
 一佐男は修に背を向ける「じゃあな」とおざなりに手を振りながら去っていく。
「そんな顔すんなって」
 感慨にふける暇もなく、修にそう後ろから声がかけられる。
「そこからじゃ見えないだろ、昭彦」
「俺と修ちゃんの仲だろ、そんくらいは分かるわな。それより」
 声に促されるように修は振り返った。
「私も…参加…するわ…今日は…何でも…いい…から…憂さ晴らし…したい…気分…なの」
「俺も随は…じゃなくて参加させてくれないかな?」
 破れかぶれな開き直りっぷりが伺える口調のちさとと、まるで着慣れぬ晴れ着を慌てて着込んだかのようなぎこちなさが漂う口調の一郎。
 昭彦に付き添われてやってきた二人、常にクラスから一線を引いていた二人がその内心はどうあれ一歩こちらに足を踏み出していたのだ。
「色々あったけど、まあ何もかもが無駄じゃなかったってこった。な、修ちゃん」
 昭彦のそんな楽観的な思考には相変わらずついていきかねるところがあったが、少なくとも修の心を覆う影は確かにその暗さを減じていた。


「お金も手に入ったしこれで一安心だね」
「ようやくですわね。部下に不自由させるような上司など塵紙ほどの役にも立たないと何度申し上げようと思ったかわかりませんわ」
 勝利と十万円を手に帰途につく裏醒徒会の一同はどことなく浮かれた空気に包まれていた。毒舌でならす導花でさえも、今その口調はほんの少し鋭さを減じている。
 だが、兇次郎だけは常と変わらずの冷静さで状況の分析を続けていた。
 半ば無意識にメール画面に目をやる兇次郎。
『せっかくそちらから指名してもらったのに期待に沿えなくてごめんなさい。そんな訳ですので報酬については辞退します。また何かあったらいつでも声をかけてね。 唯笑』
 清廉唯笑。恐るべき異能を持つ放送委員会の女帝。この七の難業の目的の一つは、彼女の行動を予測するための情報収集であった。現在の裏醒徒会にはどうしても組織力が欠けており、そのため大きく事を起こす際には好むと好まざるとに関わらず唯笑と放送委員会の力が必要となる場面があるだろう、と兇次郎は考えていた。
 だが、事が大きければ大きいほど、内部の綻びは致命傷につながりやすい。だからこそ事に際して彼女が何を考えどう行動するのか、この七の難業という場で見定めようと思ったのだが。
(やはり、そう容易く尻尾をつかませてはくれんか)
 彼女からの最後のアクションとなったこのメールまでを通して、肝心な部分は巧みにかわしきられたというのが結論と言わざるを得ない。
 まあいい、と兇次郎は思う。唯笑に対して、兇次郎は「警戒すべき人物」というある意味では彼にとって最大の賛辞を与えていた。だからこそ、彼女が思いどおりにならないことに苛立ちつつも、同時にそうでないと、という気持ちが心の隅にあるのをしっかりと認識していた。
「それにしても」
 とふと思い出したような口調で導花が兇次郎に問いただす。
「昨日の作戦会議のときから思っていたのですが、四勝だけすればよいのですからもっと楽にすむカードの組み方もあったでしょうに。ひょっとしてそれが男のロマンとか言うやつですか?馬鹿馬鹿しい」
「そう見たか、笑乃坂」
 兇次郎は「は」と皮肉げな顔を見せた。
「どういうことですの?」
「我らの真の敵は誰だ?そう、醒徒会、学園の代表、学園そのものだ。それを打ち倒そうとするたるもの、たかが一クラスごとき相手の土俵で粉砕する程度のことができなくてどうする」
(口惜しいですが、大局的な視点では敵いませんわね)
 「醒徒会」に求められるのは、力。醒徒会に取って代わろうという裏醒徒会にも当然同じことが言える。この戦いはただの軍資金稼ぎだけではなかった。兇次郎が現状の裏醒徒会の力を推し量るテストの意味も込められていたのだ。
 ようやく同じ認識レベルに到達した導花を兇次郎が見下ろしている。
 敵わないと認めつつも、それを他者に知られるのは矜持が許さず、導花はただ黙って肩をすくめることで応えとした。
「おい、相島。歩きながらメールに熱中し過ぎだ」
「はーい」
 メールに熱中している陸を見咎めた兇次郎だったが、そう返事しつつも彼はメールをやめようとしない。「ちゃんと前は見てるから大丈夫だよ」とでも言いたいのだろう。
 まったく、と兇次郎は溜息をついた。
 計算高い知能と、強大な異能と、そしてその本質にある子供らしい単純さ。
 兇次郎のみるところ、その三者が軋みあう今にも爆発しそうな爆弾というのが彼の印象である。
 その才能と異能の全てを、彼は自分自身の欲求の追求のためだけに使っていた。良くも悪くも、彼にはそれ以外ない。
 女遊びのためなら時には任務放棄も辞さない、裏醒徒会の中でももっとも扱いが大変な人間である。
 突如、自転車が角を曲がってこちらに向かってきた。
 下を向き続けていたはずの陸は普通に道を開け、後ろにいたちゃんと前を見ていたはずの克巳の方が危なっかしくよける。
(そう、その上要領はとにかくいいから困る)
「どうした工、疲れているのか」
 考えてどうにもなるものではない陸の性格の問題点への思考は止め、兇次郎は克巳の方へ目をやった。
 それが定められた役目であるかのように綾里を背負っているため、克巳の反応が遅れたのも仕方のない面はある。
「いえ、大丈夫です!」
 だが、克巳はどこか気を張った様子で問題ないことを強調した。
(やはり、まだ引きずっているか)
 自らが言葉をかけたにもかかわらず、まだ少し敗北を気に病んでいるらしい。もう少し図太くなってもらわないとこちらとしても困るのだがな、と考える兇次郎の視線がふと上向き、綾里のだらしない寝顔を捉える。
(こいつほどにふてぶてしくなられても困るのだがな)
 全身から警戒心を欠片も残さず排除し克巳に身体を預けるその姿は兇次郎の頭痛の種である。
 彼女へのコードを教え込みが完了した時、兇次郎は人の形をした武器が一つ手に入ったという認識であった。
 大きな間違いだった。
 武器ならば必要な環境で保管し、適宜手入れをすればそれで事足りる。
 だが、この怠惰の化身は無言のうちに…というより文字通り何もしないことで自分の日常の世話まで要求していた。
 裏醒徒会の暗躍を進めつつそれに応えるだけの能力を兇次郎が有していたことはある意味不幸だったのかもしれない。
 結果として、兇次郎は強力な戦力と引き換えに綾里に振り回されるという苦悩を背負うことになってしまった。
(二人の図太さを足して二で割れればいいのだが)
 魔が差した、と言うべきか。兇次郎はふと自らの異能でそれができないか演算を始めた。
 当然のごとく、瞬時に不可能だという答えが返ってくる。
「まったく、どいつもこいつも」
 誰も彼も、只人には扱えようもない人間だ。本来なら有象無象の中に埋もれ只の一生徒として終わる運命だったはずだろう。
(だが、この学園には我輩がいた)
 我輩がいたから、裏醒徒会の一員として日の目を見ることができた。
 兇次郎はいつもの傲岸さで彼らを睥睨し、思う。
(だから、これからも我輩の手足として死ぬまで働くがいい)

 蛇蝎兇次郎の野望は果てない。集う者を糧に、出会う者を踏み台に、そして敵となる者は無に。
 全ての者を踏みにじり往く、それこそが彼の進む道―――

「そうだ、せっかくいっぱいお金が手に入ったんだし、ぱーっと祝勝会しようよ」
「何を言っている。我が裏醒徒会にそんな無駄遣いの余裕などない。大体貴様らがそう浪費するから」
「兇ちゃん、私今日はいっぱい働いたからもうくたくただよー。私横になってるから兇ちゃんが食べさせてー」
「綾里、お前に労働の後の心地いい疲労を語る資格はない!そして寝ながら食べるとしまいには牛になるぞ!」
「いや、もう牛です、ある意味で」
 反射的にそう突っ込み、自分で自分の言葉に赤面する克巳。
「私も賛成ですわ。そういうことで過半数の賛成が得られましたのでこの件は可決、ということで」
「我が裏醒徒会は民主制など採用しておらん。我輩の意志こそがすなわち裏醒徒会の意志なのだ」
 あれよあれよと言う間に祝勝会開催の流れになっていた。慌てて拒絶する兇次郎だったが、一同全く気にする様子もない。
「いずれ学園の支配者となるのですもの、そんなことでは器が小さいと笑われますわよ」
「そうそう、豪勢にいこうよ。綺麗どころはぼくがあつめておくからさ」
「お前たちはどうしてそういつもいつも…というか勝手に出発するな!」
 こちらの考えなどまるで頓着しない部下たちに苛立たしげな兇次郎に克巳が駆け寄った。
「大丈夫です、おれは何があってもずっと蛇蝎さんの側にいますから」
「…工、気持ちは分かるがもう少しものの言い方は選べ、な」
 失点を取り戻したいのだろう、ひたむきな視線で兇次郎を見上げ強く訴える克巳。
 嫌な予感に駆られ釘を刺した兇次郎の元に、タイミングを合わせるかのようにメールの着信音が響く。
『私とあなたとはいい友達だと思うけど、これでも放送委員長としてそういう行為は見過ごせないわ。しかも三つも年下の男の子相手なんて』
「……やってくれるではないか、清廉唯笑…!!」
 性質の悪い嫌がらせは、運悪く兇次郎にとってクリティカルヒットだった。
 どす黒い気を漂わせくつくつと笑う兇次郎。事態をいまいち飲み込めていない克巳と、相変わらず幸せに寝こけている綾里。導花と陸は兇次郎たちがついてくるのが当然だとばかりにどんどん先に進んでいる。
 これもまた、裏醒徒会の日常の光景の一つであった。

 ―――か、どうかは未だ定かではない。




                    七の難業 完



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